菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2015年05月

自己矛盾に向き合うことで自己実現が進む

 本当の気持ちで生きることが何らかの理由で危険だと感じると、私たちは偽物の気持ちで生き延びようと自己防御します。

 こうやって、「怖い現実世界」で生きていくために、自分を偽ることで守るという習慣を重ねていくと、様々な自己矛盾が生じてきます。

 本当の自分が何層にも重なった自己防御の奥の奥に隠れてしまい、偽物の気持ちで固められたマスクの自分しか分からなくなるのです。

 すると、何をやっても孤独と空虚を感じるようになります。本当の気持ちを置き去りにして、表面でしか生きていないからです。

 自分を守るために自分を偽るという行為は、とても代償が大きい。幸せや喜びを感じる能力が麻痺するのです。自分が何者かさえ分からなくなります。

 こういう社会人は少なからずいらっしゃいます。

 でも、取り返しがつかないかと言うと、そんなことはありません。

 本当の自分は決してなくなることはないので、掘り起こしてあげれば、本当の感情や欲求を取り戻すことは可能です。

 そのためには、自己矛盾に1つずつ向き合わなくてはなりません。

 「これは偽りだ」「これは自己防御だ」と1つずつ見極めて整理し、「自分は本当はどう感じているのか」「自分は本当はどうしたいのか、どうして欲しいのか」という質問とともに、とことん本当の自分を探求していかなくてはならないのです。

 このようにして、これまでの生き方を整理して、清算することで、本当の自己実現(自分らしく開花すること)へと進むことができます。

天のエネルギー・地のエネルギー

 私たち人間は2方向からエネルギーが供給されています。

 1つは天から地(頭上から足下)に向かって、もう1つは地から天(足下から頭上)に向かって。

 この2つのエネルギーには以下のような特徴があります。

天のエネルギー
  • 天から地に(頭上から足下に)向かう
  • 無限大から一点に集中する求心力
  • スピリットから物質化に向かう凝固力
  • 男性原理
地のエネルギー
  • 地から天に(足下から頭上に)向かう
  • 一点から無限大に拡散する遠心力
  • 物質界にスピリットを受け取り委ねる力
  • 女性原理
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

男性性は天のエネルギーから、女性性は地のエネルギーから来る

 男性は「天のエネルギー」が優性で、女性は「地のエネルギー」が優性です。私たちは皆、両方のエネルギーを使っていますが、男性性を高めたいときには「天のエネルギー」を取り込み、女性性を高めたいときには「地のエネルギー」を取り込むようにすると役立ちます。

 以下に男性性と女性性の特徴をいくつか挙げ、その後で2つのエネルギーの取り込み方をお話しします。

男性性の特徴
  • 肩が広く腰が狭い逆三角形のからだ(天のエネルギーを取り込むため)
  • 声が低い
  • 体心に向かって引き締まったからだ
  • 理想を物質界の現実に降ろして有形化・実行する
  • 背骨に芯が通っている
  • 生きる指針と志がしっかりしている
  • 決断力がある
  • 身を挺して弱いものを守護する
  • イニシアチブをとる
  • 人を励まし勇気づける
  • 真善美を守り、偽悪醜を断つ
  • 欲しいものを決め、手にするまで求める
女性性の特徴
  • 肩が狭く腰が広い三角形のからだ(地のエネルギーを取り込むため) 
  • 声が高い
  • 体心から外へ向かって開いた柔らかなからだ
  • 男性性の理想実現を尊敬し支える
  • 無条件に男や子を受容する
  • 心で繋がる
  • あらゆる生命との一体感を感じる
  • 共感能力が高い
  • 慈しみ育む
  • 讃える・褒める
  • 流れに身を委ねる
男性性の短所
  • 勝ち負けに拘る
  • 頑固
  • 面子に拘る
  • 主義主張の誤りを認めない
  • 攻撃的になり過ぎる
  • 感情に触れられない
  • 支配的になり過ぎる
  • 聞き手に回ったり共感するのが下手
  • 自分を出したがる
女性性の短所
  • 優柔不断
  • 依存的
  • 生活力・実現力が低い
  • 受け身
  • 子離れをしない
  • 他人との境界線が引けない
  • 他人への過干渉や癒着
  • 理性的判断が下手
  • 主張できない
  • すぱっと捨てたり諦めたりできない
  • 自分をすぐ犠牲にしてしまう
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

天のエネルギー(男性性)の取り込み方

 男性性の特徴をもっと活かしたい、あるいは女性性の短所を補いたいときには、天のエネルギーを取り込みます。

 たとえば、優柔不断で踏ん切りがつかないときとか、勇気をもって主張できないとき、集中力を高めたいときなどです。

 天のエネルギーとは、天から地に降りてくるエネルギーであり、無限大から一点に集中する凝固力ですから、イメージとしては「周辺から中心に向かってエネルギーを集中させる」「地面にエネルギーをグラウンディングさせる」の2種類です。

 具体的な取り込み方を幾つか挙げます。「四股を踏む」「拳を握る」「やーっと叫びながら両腕を引き締める」「押忍のポーズをする」「太鼓やドラムを叩く動作をする」「ボクシングのパンチをする」「ガッツポーズをする」「腹の底から雄叫びをあげる」「両腕を高く頭上に上げて、やーっと叫びながら素早く地面に向けて振り下ろす」などです。

 だいたい、武道やスポーツで使われる仕草は、天のエネルギー(男性性)を高めます。

地のエネルギー(女性性)の取り込み方

 女性性の特徴をもっと活かしたい、あるいは男性性の短所を補いたいときには、地のエネルギーを取り込みます。

 たとえば、攻撃性を抑えて優しく寄り添ったり共感的に相手の気持ちを聞ける状態にしたいとき、緊張し過ぎて空回りしているとき、何でも我で支配しようとしているので大きな力に委ねたいとき、夫や子供に無条件の愛を示してあげたいとき、もっとゆったりとした気持ちで豊かさを味わいながら生活したいとき、目標達成の意識から解放されてのんびりしたいときなどです。

 地のエネルギーとは、地から天に向かって伸びるエネルギーであり、中心から周辺に向かって広がっていく遠心力ですから、イメージとしては「内側からエネルギーが花のように開いていく」「地面から天に向かってエネルギーが解き放たれる」感じです。

 具体的なジェスチャーは、「ハートに両手を当ててからふわ〜っと外に向けて開いて愛を全世界に放つ」「両手を地面から天に向かって思い切り伸ばして天を仰ぐ」「両手を開いて、両腕を開いて、全世界を受け止める」「全身が中から柔らかくなってどんどん開いていって、内面の光が外に漏れていくのをイメージする」「周りにあるものを静かに1つ1つ感じる」などです。

 他に、「赤ちゃんを抱っこしているところを想像して、子守唄を歌ってあげる」「可愛い子供やペットに愛おしいと感じたとき、喜びを笑顔として出す」「喜びや満足を素直に顔や声に出す(美味しい!可愛い!きれい!素敵!すごい!嬉しい!羨ましい!尊敬する!ありがとう!)」「大自然に抱かれて頭を休める」「マッサージを受ける」など。
 
  ああ〜、これ書いているだけで、気持ちよ〜くなってきました・・・ 大自然の女神様に抱かれているような(微笑)。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

子育て中のお母様がたへ

 赤ちゃんは天から地へ着いたばかり。まずは地上に慣れるためにも、大地にゆったりと抱かれて安心できるように、お母様からたっぷりと女性エネルギーを注いであげてくださいね。

 習い事などは、その子に合ったペースで始めるのがベスト。思春期までは、結果を出す男性エネルギーよりも、豊かな母性愛で包んであげて、「自分が生きていることを喜んでくれる人が近くにいるんだ」「無条件で愛されているんだ」「私には安らぎの居場所がある」と感じられる環境を作ってあげることが最も大事です。

 特に、「私(僕)の気持ちをちゃんと聞いてくれる」と子供が感じてくれるように、共感的傾聴をしてあげることを大事にしてください。「どうしたの?」と内面に関心を示して、「恐怖」「悲しみ」「怒り」「自己否定」などの感情が出たときに、本人がそれらを受容し理解できるように、そして適切に満たしてあげられるように、心で繋がってあげることを、子育ての中心に据えていただきたいのです。

 勉強や習い事などは、少し遅くても、精神的にはこのような無条件の愛を注がれた子の方が、あとで打たれ強い、自己肯定感と自信に満ちた、精神的に健康な人間になります。何ができるという特定のことではなく、自分として生きていくのに自信のある、自分でいることが好きで、家族が大好きな、精神的に成熟した大人になってくれます。

 頑張って結果を出し、現実の中で生き残っていける強さは、男性エネルギーの導き(父性の導き)によって確かに刺激される必要はあります。でも、最初から父性が強すぎると、無理をして自分の未熟な感情を抑え込んで、つまり自分を殺して結果を出す人間になってしまいます。

 ですから、母性主導の年月はかなり長くてもいい、いや、むしろ長い方が健全な男性エネルギーが後に育つと私は考えています。

 人より話すのが遅いとか、勉強がなかなかできないとか、発達の遅さにイライラしたりあせったりしてしまうと、結果重視(男性エネルギー傾向)の精神になってしまいます。こういうときこそ、お母様がどっしりと構えて、「なあに、私の子だもの、絶対素晴らしい人間になるわ。この子を信じましょう。この子のペースでいいのよ」と思って、どんな発達段階の自分であっても受容されているという安らぎを感じさせてあげてください。もちろん、そのときそのときで適切な導きもしなくてはなりません。男性エネルギーの部分もゼロではいけません。

 地のエネルギーと天のエネルギーは、赤ちゃんの頃、最初は10対0でいいですね。そして、大きくなるにつれて、9対1、8対2と変えていく。小学校高学年でもまだ、6対4ほどでいいと思います。

 4の父性を、父親が担うのか、母親が担うのかは、家庭事情により臨機応変に。

 指導よりも、受容と共感を主体にした愛の与え方は、思春期まで続けます。そして、思春期になったら5対5で等しくなり、それは成人と成人との付き合いでも同じです。

 ただ、女性的な人は、その人の性質からして、地のエネルギー優性になりますので、どの人間関係においても、地のエネルギーを担うことが多い天命です。自分の天性に反して無理に男性性を発揮しようと思わずに、女性性の役割を果たして、その幸せを楽しむことが自他ともに潤わす道です。

「羨ましい」は健康な感情です

 「羨ましい」(envious)はとても健康な感情です。

 「妬ましい」(jealous)は羨ましいと感じる相手を憎悪する不健康な感情です。

 この2つは異なるものなので、混同しないことが大事です。

 「羨ましい」という健康な感情が湧いたときに、「私は嫉妬深い」と勘違いして卑下するとしたら勿体ない話です。

 「羨ましい」という感情は、自分の成長にとってポジティブな作用をする、とても素敵な感情なのです。 

 「羨ましい」というのは、「わあ、私はあの人のようになりたいなあ」と思うことです。目標としたいような魅力のある人に会うと、その人の優れた性質を賞賛したくなる。そして、自分もああなりたいと願う。こういう感情は、自分を成長させてくれるものです。

 あの人のように堂々としていられるようになりたい。
 あの人のように自分らしく輝きたい。
 あの人のように人に優しくできるようになりたい。
 あの人のように豊かな生活をしたい。
 あの人のように美しくありたい。
 あの人のように強くなりたい。
 あの人のように賢くなりたい。
 あの人のように忍耐強くなりたい。
 あの人のように愛されたい。

 このように、自分が目指したいものをすでに体現している人に対して「羨ましい」と認めることは、それらの性質を賛美することです。

 そして、賛美した性質は、自分の中で育っていきます。目標とする人に近づいていく。自らそれらの性質を体現していく方向へ成長するのです。

 それに対して「妬ましい」という感情は、目指したい人へと自分が近づくことを諦め、代わりにその人を憎むことです。本当は自分が体現したい性質なのに、それを体現している人を憎むことで、自分が体現できない不満を晴らそうという魂胆です。

 すると、本来自分が体現したいはずの美しさや豊かさや強さや賢さを攻撃することになります。

 私が美しくあれないなら、いっそのこと、美しいものを破壊してやるという感情です。

 ますます、自分は美しさから遠のきます。

 ですから、「妬ましさ」は自己実現を妨害する危険な感情です。

 自分が愛するものに素直に近づいていくことが大事です。諦めずに。自分を信じて。

 「妬ましさ」の棘を抜けば、健康な「羨ましさ」に戻ります。そうすれば、自己実現に向かえるのです。

嫉妬心は劣等感を責任転嫁したもの

 アメリカの美人女優が老けたことを、2人の有名人女性がテレビで堂々と喜んでいました。

 「人間は弱いもので、嫉妬心を持ってしまうことがありますよね」という人間的なお笑いネタなら微笑ましいのですが、この女性たちは、自分たちの嫉妬心を、悪びれる様子もなく露骨に表現していて唖然としました。

 恨みと同じように、嫉妬心だって、持ち続けずに解消する方が、自分にとっても周囲にとっても幸せです。

 ということで、今日は、嫉妬心の構造と、嫉妬心の解消法をお伝えし、皆さんの幸福度アップに役立つことができれば嬉しく思います。

嫉妬心は自分の劣等感を相手に責任転嫁したもの

 仮に私が学歴の低いことに劣等感をもっている男だとしましょう。大卒の男を見ると、自分の劣等感が刺激されてイヤな気持ちがしてきます。羨ましいと同時に、憎たらしいと感じるのです。

 私が劣等感に苦しむのは、記事「劣等感とは何か」で説明した通り、「相手のようになりたい訳ではないのに、相手のような人の方がよいという思い込みがある」か、「相手のようになりたいけど、自分がなれると信じられずに絶望している」か、「相手のようでない自分を自分自身が嫌っている」か、3つに1つです。

 つまり、劣等感に苦しむのは、自分の中に「誤解」「絶望」「自己嫌悪」のどれかがあるからで、すべて自分が解けることばかりなのです。

 大卒の男を見たときに、自分が不快になるのは、自分が「誤解している」か、「絶望している」か、「自己嫌悪」しているかなのに、それを自分で解決しようとせず、相手に対して憎しみと敵意を持つことで安易な解決をしようとするのが嫉妬心です。

 全くの責任転嫁であって、無責任極まりないのです。

 そして、このように自分の不快感を相手のせいにしていては、不快感から自由になれず、ずっと縛られてしまうのです。

 ですから、嫉妬心を解消したいと思われたら、根底にある劣等感をまず解消してください。

 やり方は、記事「劣等感とは何か」の中で詳しく説明してありますので、ご参照ください。

感情は幾重にも変化(へんげ)する

 精神構造が単純な人は分かりやすいのですが、多くのクライアントの心理は複雑怪奇です。

 感情が複雑化していて、原形を留めていません。だから、本当に何を望んでいるのかが見えてこないし、本人もよく分からないなんてことになります。

 「これが欲しいのだ」と自分で認知できることを求めても満たされない。それは、そもそも欲しいものじゃないから。

 見ないようにしている感情や、囚われている信念が多い人ほど、純粋に本当の欲求や感情に触れられません。

 そして、本当は A が欲しいのに、A を得るには B が必要で、だから B が欲しくて、B を得るには C が必要で、だから C が欲しくて、でも C は得られないから D で代用しておこう、でも D じゃやっぱり満足できない、ああどうしよう、というようなこんがらがった心理をしているのです。そして、A を得ることがそもそもの目的だったことは忘れています。 

 こういう場合、私の役割は、幾重にも重なり合った複雑な感情を、ひとつひとつ紐解いていき、全体像を正確に把握することと、その人が真に満たされて安らかになるには、何を捨て、何を大事にするかを明確にすることです。

 ここで、架空の人物、マキコを通して、実際にそのプロセスをご覧いただきましょう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

カウンセラー(以下C):どうしましたか?

マキコ(以下M):夫にイライラしているんです。

C:夫の何にイライラするのですか?

M:お皿を洗うとか、ゴミ出しをするとか、約束したことをちゃんとやらないんです。

C:ご主人が約束したことをしないことにイライラするのですね?

M:はい。

C:約束をちゃんと守って欲しいとご主人に伝えましたか?

M:伝えましたとも。でも、分かったと言うだけで、何もしません。

C:それでは誰でも困ってしまいますよね。

M:私どうしたらいいんでしょうか?

C:解決策を考える前に、マキコさんの感情を掘り下げて、もう少し正確に理解してみたいと思うのですが、よろしいですか?

M:はい。

C:約束を破られるのはイヤなものだし、守って欲しいと思うのは当然のことです。しかし、マキコさんの本当の不満が、約束を履行しないからなのかどうか実際に調べてみたいのです。

M:はあ。つまり、本当の不満が別のところにあるかもしれないということですね?

C:ええ。では、1つ質問をさせてください。ご主人が約束通りにお皿を洗い、ゴミ出しをしてくれたとしましょう。その場面を思い描いていただけますか?

M:はい。(目を閉じて想像する。)

C:どんな気持ちがしますか?

M:ほっとしています。

C:ほっとしているんですね。何が叶って安堵しているのですか?

M:面倒が減って、解放されている感じです。

C:マキコさんは、面倒から自由になりたいのですね。

M:あらやだ、私そんなこと思ってたんだわ。確かにそう感じています。

C:では、2番目の質問に行きます。何が面倒なんですか?

M:夫の世話をすることがです。

C:夫の世話をするのが面倒なんですね?

M:あらやだ、私夫の世話をしたくないんだわ。

C:全くしたくないのですか、それとも減らしたいだけなのですか?

M:なんかもう、私夫のことが嫌いみたいです。全くしたくないと感じています。

C:夫の世話は全くしたくないのですね?

M:はい。でも、それを認めるのがとても怖いです。

C:認めるのが怖い・・・

M:ええ。

C:夫が嫌いだということを認めるのも怖いのではないですか?

M:はい。

C:3番目の質問に行きます。夫が嫌いだと認めると、どんなひどいことが起こると思うのですか?

M:私生きていけません。

C:生きていけないというのは、経済的に1人でやっていけないということですか? それとも、別の意味ですか?

M:両親や世間から白い目で見られるのが耐えられません。

C:承認されない状態になるのが耐えられないのですか? それとも孤立することが耐えられないのですか?

M:孤立することが怖いです。ひとりぼっちになることが。

C:ということは、マキコさんは、孤立することを回避するために、好きでない夫と居続けることを選択してきたのですね?

M:そうなりますね。

C:孤立してひとりぼっちになるのが怖いという感情が、今ここで実際に確認できますか?

M:はい。

C:その感情に抵抗せず、解決しようともせず、ただ心を開いて寄り添っていてください。できますか?

M:はい。

C:「ひとりになるのが怖い」という感情に向き合って、「こんにちは」と言ってみてください。

M:はい。「(感情に向かって)こんにちは。」

C:「あなたのことを理解したいので、何でも話してね」と言ってみてください。

M:はい。「(感情に向かって)あなたのことを理解したいので、何でも話してね。」

C:感情が反応を示してくれるときには、映像・ことば・フィーリングの3つの言語のいずれかでコミュニケートしてくれます。何か反応があったら教えてください。

M:話しかけたら、何か緊張していたものが緩みました。ほっとしているみたいです。

C:とても上手にされています。その調子で続けましょう。「ひとりになるのが怖いの?」と聞いてみてください。

M:「(感情に向かって)ひとりになるのが怖いの?」

C:反応があったら教えてください。それまで待っています。

M:(10秒ほどして)頷いている感じです。

C:「どうしたの?」と聞いてみてください。

M:「(感情に向かって)どうしたの?」

C:待ちます。

M:小さい頃お父さんに叱られたシーンが見えます。

C:何歳ぐらいですか?

M:5歳ぐらいです。

C:なぜ叱られたのですか?

M:トマトを食べたくなかったので、ポンって床に投げつけたんです。そしたら、お父さんが大きな声で叱って、私はショックで泣いてしまいました。

C:「びっくりしたんだね」とその子に言ってあげてください。

M:「(その子に)びっくりしたんだね。」(しばらくして)ウンって頷いて、泣いています。なんだか私も泣けてきました。

C:その子を抱っこして、感情が落ち着くまで一緒に泣いてあげてください。「辛かったよね」と言ってあげてください。

M:(30秒ほどして)泣きやんで落ち着きました。笑って遊んでいます。

C:マキコさんの体の中はどんな感じがしますか?

M:温かくて安らかです。この子が愛おしいと感じます。

C:何か引っかかっている感情はありますか?

M:いえ、ありません。

C:この子の意識は癒されたようです。「ひとりになるのが怖い」と3回唱えてみて、どんな感情が湧いてくるか実験してみましょう。

M:「ひとりになるのが怖い」「ひとりになるのが怖い」「ひとりになるのが怖い」。あれ? 何ともないわ。怖くないです!

C:良かった。孤独への恐怖は、この子が癒されず抱えていたものです。それが癒されたので、その感情が消滅しました。

M:へえ、すごいですね!

C:では、感情の鎖を遡っていきます。「夫が嫌いなことを認めるのが怖い」と3回唱えてみて、どんな感情が湧いてくるか実験してみましょう。

M:「夫が嫌いなことを認めるのが怖い」「夫が嫌いなことを認めるのが怖い」「夫が嫌いなことを認めるのが怖い」。何も感じません。空っぽです。

C:根底にあった感情が変容しました。では、表面の感情が変化しているか確認してみましょう。夫が約束を守らず、お皿を洗わない、ゴミ出しをしないという現実を思い出してください。

M:はい。(想像する。)

C:どんな気持ちがしますか?

M:ああ、もう私この人と一緒に住むのもイヤなんだわ、って感じです。アハハハハ!

C:約束を破るとか守るという次元の問題ではないんですね?

M:ええ。嫌いなのを隠して、一生懸命イヤな人の世話をして、孤独を避けてきたんですね、私。

C:そのようですね。でも、それを認めて緊張に固まっているどころか、笑いさえ出てくるということは、大きなものを受け入れられたのですね?

M:はい。でもどうしよう? 私やっぱりこの人と別れるしかないのかなあ・・・?

C:それはマキコさんが何を望むかによります。マキコさんが本当に欲しいもの、本当に望んでいるものは何なのですか?

M:このままの夫婦生活を続けることではなさそうだけど、でもまだ何を叶えたいのかは明確に分かりません。ちょっと時間が必要なような気がします。

C:生き方を根底から変えるほどのことですから、じっくり見極めてください。

M: そうします。

〜The End〜

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

解説

 マキコさんの心理がどういう構造になっていたのか、説明します。

  マキコさんは5歳のとき、嫌いなトマトを床に投げたとき、父親に大声で叱られてショックを受けました。そのときに共感的に優しく理解されなかったトラウマが抑圧されて、未解決の感情として潜在意識に残留しました。

 それ以降、マキコさんは自分の感じるままに表現したり主張したりしようとすると、また同じように心にショックを受けて、精神的に孤立する淋しさを味わわなくてはならないのではないかと無意識に感じてしまい、本心を出さずに周囲から認められるようにと行動するようになりました。

 大人になったマキコさんは、自分の深層心理にそういったメカニズムが働いていることなど知りません。そして、自分が本当は好きでもない男だったけど、両親や周囲が承認してくれた結婚だったので、一緒になりました。

 嫌いな男であると認めることは、両親や周囲からの承認を失い孤立することだったので、固く自分に禁止することで生存を確保したのです。

 ところが、好きでない男の世話をするのは、本当はイヤです。そのイヤな気持ちを素直に認められません。それが、約束を守らないという狭い狭い一カ所の不満としてだけ表現することができました。

 マキコさんには、気づいていない本当の感情が幾つかあったため、自分が本当に何を求めていて、何を感じているのかを把握できなかったのです。

 夫が約束を破るたびに感じていた不満は、元を辿っていけば、父親から怒られたときに感じたショックを二度と感じなくて済むように自分の傷ついた感情を埋もれさせたことに起因しています。

父から共感されなかった傷ついた感情を二度と感じたくない
自分の感情を出すことで周囲に見捨てられたくない
嫌いな男と結婚したくないと言うことで周囲に見捨てられたくない
夫の世話を本当はしたくないと認めることで周囲に見捨てられたくない
だから、せめて私の負担を減らすために、ゴミ出しと皿洗いぐらいしてよ!

 この最後の気持ちにしか最初は気づいていませんでした。上の4段は、すべて無意識だったのです。でも全貌が明らかになることで、最後の気持ちは大きく変容しました。マキコさんは、自分が自分を守るために偽ってきたことを受け入れ、変わろうと決心したのでした。
 

学ぶ楽しみとは「知る喜び」「分かる喜び」「できる喜び」

 私は教えるのも好きですけれど、学ぶことが好きなんだなあとつくづく思います。

 学ぶ楽しみは、学校教育に限らず、すべての人が人生を通して味わうことのできるものです。

 学ぶことが楽しいと感じられるのは、「知らなかったことを知ることができたとき」「分からなかったことが分かるようになったとき」「できなかったことができるようになったとき」です。

 この3つに当てはまることなら、何でも学びだと思っていい。

 皆さんは、最近どんなことを学びましたか? 最近知ったこと、分かったこと、できるようになったことって何ですか?

1.知らなかったことを知る喜び

 ずっと「T(ティー)字路」だと思っていたのに、正確には「丁(てい)字路」だと最近知りました。 思わず「へえ〜」と声が出ました。面白い!

2.分からなかったことが分かる喜び

 コミュニケーションがうまく行かないとき、男性原理と女性原理で多くのことが説明できることが分かって、ワクワクしています。相手が女性原理の対応を求めているのに、男性原理の対応をすることでちぐはぐになるなど、この理論を使うといろいろな問題点が浮き彫りになって見えてきたので楽しいです。

3.できなかったことができるようになる喜び

  主張と受容の様々なバランスを駆使して、いろんな場面でいろんな人といろんな距離感で納得できる付き合い方ができるようになってきている自分がいます。自分の成長を誇らしく感じています。

 よくやったね、すごいよ、亮ちゃん!(笑)

 皆さんの学び、よかったらコメント欄でお知らせください。お待ちしております。
 

心は元来が空(くう)である

 心には、いろいろなエネルギーが入っては消え、入っては消えします。一時的に、特定の思考や感情によって充満することもあります。しかし、基本的には心は元来が空(くう)なのです。空洞だと言ってもいいでしょう。

 自分の心が空っぽの壺だとしますと、長い間不安や絶望や自己嫌悪感に悩まされているというような場合、壺の中に不安や絶望や自己嫌悪感が留まっているに過ぎません。

 それらのマイナス感情は、壺の性質ではありません。内容物です。ということは、壺から出してあげれば、元の空っぽの状態に戻れます。

 自分が悩まされている思考や感情というものは、壺の内側にべたっとくっついてなかなか取れない汚れのようなものです。

 この「べたっとくっついてなかなか取れない」という状態が、「掴んでしまっている」「執着してしまっている」状態です。

 マイナス感情を癒す作業をするには、壺の中をしっかりと覗いて、どんな汚れがあるのかを把握して、汚れが剥がれ落ちるように、削り落としたり、水をかけて柔らかくしたりと、様々な方法を使わなくてはなりません。

 それが、心に取り組む様々な心理的取り組みなのです。

 心理療法が成功したとき、クライアントは、壺の汚れがなくなってすっきりしたような感じを受けます。実際に、それまで心にべっとりとくっついていたような不安や怒りや自己嫌悪感や罪悪感などの「気持ち悪い感情」が剥がれ落ちて、軽やかな状態になることができたのです。

 壺が空っぽの状態だと、誰も自己否定をしません。あるがままの自分でいることを楽しめています。すべての赤ちゃんのスタート時と同じように、自然な状態は、自己受容している状態なのです。

 自己否定は異物混入が起こった状態だし、絶望も不安もそうです。

 どの感情も、あなたのアイデンティティーではありません。内容物です。持ち物ですので、捨てることができます。 

劣等感とは何か

 劣等感の塊だった青年期の私ですが、劣等感に苦しむことはもうなくなりました。

 劣等感はその正体を知って、根本原因をなくせば、克服できるものです。

 今回は、劣等感の構造をまず説明し、その後で解消法をお伝えします。

劣等感の発生条件①:願望

 自分が不細工であっても、特にイケメンになりたいという願望がなければ、劣等感は生まれません。「私はこれぐらでいい」と思って自分を受け入れて満足しているからです。

 でも、自分が頭が悪いと思っていて、頭が良くなりたいという願望が強いと、劣等感になることがあります。「私は頭が悪いけど、そこが私のキャラ」と思える人は、劣等感にはなりません。でも、「どうしても頭が良くなりたい」と強く欲しているなら、やはり今の自分ではイヤなのです。そして、頭の良さとか悪さがどうしても気になるわけです。

劣等感の発生条件②:悲観・絶望

  頭が悪い自分でも、頭が良くなっていけると楽観的でいられるなら、劣等感は生まれません。楽観的でいる場合であれば、頭が良い人を見ると、「私もああなりたい」と羨ましく感じるだけです。羨ましいというのは、自分が目指したいものを見たときに感じるワクワク感であり、健全なものですので問題ありません。

 「自分もああなりたいけど、自分にはなれない気がする」という具合に、希望を失っているときに、劣等感が生じます。

 自分の可能性を信じられないのです。 

劣等感の発生条件③:自己嫌悪・自己否定

 頭が悪くても、良くなる可能性を信じられるなら、ずっと今のままでいるわけではないので、今いるところが受け入れられます。常に変化していっている通過点に過ぎないのですから。

 でも、変われないと思ってしまうと、ずっと今のままでロックされる気がします。そうすると、「ダメな自分」を叩きたくなるのです。「自分の望みを妨げる憎い奴だと思って、自分に怒っている」、それが自分を拒絶するという行為です。

 今の自分を受け入れられないこと自体が苦しみとなります。

劣等感=願望+悲観+自己否定

 このように、劣等感が生じているとき、こうなりたいという願望がまずあって、それが叶うことに悲観的であって、叶えられない自分を責めている、という3条件があるわけです。

 これが劣等感の正体です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

劣等感の解消法

1.本物の願望を特定する

 お金持ちに対して劣等感を感じていても、自分が本当に欲しいのは多額の収入ではなく、社会で活躍することだと気づくかもしれません。

 あなたの欲していることが、本当に多額の収入なのか、あるいは自分らしく活躍できることなのかを区別して認識することで、自分の願望を正確に理解できます。

 羨ましいと思う人を想像し、その人のどういうところが羨ましく感じるのか、自分が叶えたいことは正確には何なのか、よく考えてみてください。

 本物の願望を見つけられたら、「私は◯◯したい」「私は◯◯ありたい」と口に出して唱えたとき、しっくり感があり、ハートに喜びや情熱を感じるので分かります。

 自分は高卒で、大学に行きたいわけではない。でも、「大学を出ない人間は価値がない」という思い込みがあると、高卒の自分を肯定できずに劣等感になることがあります。こういう場合、本物の願望を見極めていく過程で、「自分が望んでいるのは大卒になることではない」ことが明確になれば、大卒に嫉妬していたのは、「大学を出ない人間は価値がない」という思い込みがあったことが唯一の原因だったと気づけます。こういう場合、この思い込みを捨てるだけで、劣等感は消滅します。

2.願望を捨てるか、願望成就に向かうかを決断する

 本物の願望が特定できた1番の段階で、劣等感がまだ残っているなら、願望成就の可能性をどう思っているのかを吟味します。

 たとえば、恋人が欲しいけれど、今までいたためしがない。恋人が欲しいし、できれば結婚したいという本当の願望がある。けれど、自分はモテたことがないし、叶う気がしない。

 このように、自分が欲しくて仕方がないものなのだけれど、得られる可能性が低いと感じていると、暗い気持ちになって動きたくなくなるのです。

 ここでは、勇気をもって決断するという男性原理を使わなくてはなりません。

 叶う可能性のないことならすぱっと諦めて、今の自分で満足すると決める。叶う可能性のあることであり、かつ成就に向かって進みたいなら、前進を決意する。前進すると決めたら、きっと叶えられるんだと自分を励ますことも必要です。「きっとできるさ!!」「気合いだ!!気合いだ!!気合いだ!!」

 諦めもつかず、求めようと決心もしないから、煮え切らない膠着状態にあるのです。撤退か前進かを決断すれば、劣等感の多くは消え失せます。 

3.無益な自己嫌悪・自己否定を捨てて、エネルギーを有効に使う

 願望も本物だし、成就に向かって前進しようと決めたなら、大部分の劣等感は解消しているはずです。劣等感は、目標とする人への健全なる羨望と、夢に向かう情熱と希望によって入れ替わったのです。

 それでも、今の自分に腹が立つ気持ちが残っているならば、自己嫌悪・自己否定を何のためにしているのかと問うてみるとよいでしょう。

  あらゆる自己嫌悪と自己否定は、実は「叶えたい」という気持ちの裏返しです。叶えたいものが叶わなくて不満になったとき、叶えていける思考と行動を選べばいいのに、多くの人は、叶わない不満を未熟な自分のせいだと思って責めることで解消しようとしてしまいます。

 「私がこんな嫌な気持ちになっているのは、不細工なお前が悪いんだ」と怒って責めることで解消しようとしているのです。

 ところが、不細工な自分をどれだけ責めても、どれだけ否定しても、どれだけ嫌悪しても、得たいものは得られない。それどころか、感情はどんどん暗くなるだけ。つまり、不満の苦しみから出るためにしている攻撃が、不満を深めてしまう結果になるのです。

 自分を嫌ったり否定することで、不満を解消しようとするのは、手段を誤っています。ところが、大部分の人は、そのことに気づかないので、やり続けてしまうわけです。

 そう、自己嫌悪と自己否定は、すべて「八つ当たり」なのです。

 不細工な自分が嫌われたら、美人になろうという気持ちになりますか? なりませんよね。

 恋人を作れない自分を否定したら、恋人を作れる自分になれますか? なれませんよね。

 ですから、自分を嫌うことで、否定することで、何かを叶えようとするのは、エネルギーの無駄遣いなのです。

 それに心底気づけたら、その瞬間にやめられます。

 そのエネルギーは、すべて願望成就に向けて用いるのです。そのように、目的に向かって創造的にエネルギーを使えているとき、感情は自然と元気になります。

 元気になるから心がハッピーになる。明るくなる。明るくなるから、努力もすいすいできる。そうすると、人にも好かれるし、業績も上がるし、好きな仕事にも出会えるし、良いことずくめ。

 自分の大事なエネルギーは、実のなる方向で放出していきましょう!

見極める
決断する
前進する
エネルギーを創造的に使う 
これで劣等感はなくなります
私が生き証人です 
 

愛せない男に惹かれてしまう女

 幼少期に父親との関係が良くなかった娘は、恋人や夫を探すときに、意識して父親と違うタイプを探しますが、どうしても父親と同じ欠点を持つ男にばかり惹かれてしまう。

 気がついてみると、父親と同じく、自分を愛することのできない男ばかりと一緒になってしまう、という悲劇を繰り返す。

 なぜこういうことが起こるのか、そしてどうすれば脱却できるのかを説明した名著が、岩月謙司著『娘の結婚運は父親で決まる』です。

 この本の要点を、私なりにまとめてみました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

父親が精神的に未成熟だと、機嫌をとって世話をすることで愛されようとする 

 世の中には、精神的に未成熟な父親がたくさんいます。娘を本当に愛することができず、浮気やギャンブルに耽る人もいれば、暴力的なコミュニケーションをとる人もいます。また、娘を性的対象として見る人さえいます。

 そういう家庭で育った娘は、根底では父親を嫌い、憎みさえしているけれど、本心を認めたのでは辛過ぎて生きていけません。ですから、父親が嫌いである気持ちは、意識の奥深くに抑圧して精神的安全を保ちます。

 そういう父親であっても、やはり子供は愛されたいという気持ちを捨てられません。ですから、何とか父親の注意を引こうとして、父親の喜ぶことをします。父親の機嫌をとり、世話をし、「お父さん、大好き」という言葉をかけたりして、父親が不機嫌にならないことで、自分も安心できる、そういう関係性が長く続くのです。

 この娘は、大きな嘘を背負っています。意識の根底では「大嫌い」な父親に、意識の表面では「大好き」だということにして、世話をして喜んでもらいたいと思う。

 マスクを被ることで、本当の気持ちに気づかずに済む。そして、自分は愛されていないのだという真実によって傷つくことから自分を守っているわけです。

 そうすると、大きくなって恋人や夫を選ぶ段になって、催眠にでもかかったように、父親と同じ未成熟な男に惹かれていってしまいます。

 自分を愛する能力のある成熟した男には、魅力を感じません。

 なぜか、無意識で未成熟な男を好きになってしまうのです。

 それは、未成熟な男を世話しているモードにあるとき安心できる、という精神構造になってしまっているからなのです。

 この女性にとって、本当に自分を愛せる男と一緒になるということは、脅威に感じられます。なぜかと言うと、自分を愛せるだけ成熟した男と調和するには、自分の嘘を暴かなくてはならないからです。「自分が父親から愛されなかったのだ」「自分は父親が大嫌いだったのだ」という事実に向き合わなくてはならないからです。

 なぜ真実に向き合うのが脅威だと感じられるのかというと、幼少期の自分は、それに気づいてしまうことイコール生きていけないという意味だと捉えたからなのです。

 幼子にとって、親が大嫌いであると認めることは、生きる場を失うことです。なので、真実を認めることは、死ぬほどの恐怖心を煽ります。

 それが無意識なため、大人になったこの女性は、そのことに気づいていません。気づいていない無意識のことだからこそ、影響を受け続けてしまうのです。

 では、どうすればいいか。

 勇気をもって、自分が父親が嫌いだったことを認めるのです。嘘をつくのをやめるのです。仮面を脱ぐのです。そして、未熟な父親がいた家庭環境で生き抜くために、自分は嘘をついて、世話役に回ったのだと気づくのです。愛することのできない父親から何とか愛を絞り出そうと、一生懸命世話をし、機嫌をとっているうちに、そういう生き方が染み付いてしまった。それが習慣になってしまった。そして、その習慣を捨てるのが怖いのは、当時の自分にとってそれが死ぬこととイコールだと思うほど深刻なものだったからだと理解するのです。そして、大人になった現在、父親の未熟さを理解し、彼から愛されることを期待しなくても、自分は大丈夫であると悟るのです。

 このように、自分の奥底と表面との不一致を癒し、本当に好きな人を好きだと認識できるだけの健全な心を取り戻したとき、自分を愛する能力のある男との出会いが可能になります。

 まずは、自分を守ってきた自己防衛のプログラミングを解いてあげることが重要です。

推薦図書



 

相手と自分との「違い」が受け入れられるかどうか

 人間はひとりひとり好みや価値観や性格が違います。

 そして、人と付き合うときに、その「違い」が対立のもとになることがあります。

 自分は何でもきちんと真面目にやりたい性格で、相手はリラックスしてアバウトでいきたい性格だとすると、この「違い」がお互いのイライラになったりします。

 多少なら相手のことを考えて合わせられる部分もあるでしょうが、すべて相手の都合に合わせて変われるものではありません。

 そして、この「違い」が決定的な不満になり、関係が危機的状況になることがあります。

 この「違い」が努力によってなくせる性質のものでないのであれば、イライラの解決には、「違い」をもった相手を受け入れるか、それとも別れるか、いずれかを決めるしかありません。

 昨日のテレフォン人生相談では、妻の酒癖やだらしないところに嫌気がさしている夫からどうしたらいいのかという相談がありました。

 加藤諦三氏の回答は、別れる場合と別れない場合のメリットとディメリットをそれぞれ全て書き出して、どちらかを選ぶようにというものでした。

 いずれの選択にもマイナスがあるので、マイナスをすべて避けることはできない。プラスだけという選択肢は現実にはない。自分が選べるのは、別れた場合のマイナスをとるか、別れない場合のマイナスをとるかであると。

 決断を下し、不可避のマイナスを受け入れることができたら、そこから何かプラスの展開が起こり得ます。でも、マイナスから逃げようとしている間は、道は開けません。

 受け入れるしかないマイナスを受け入れるのも、精神的成長なのです。

マイナスを背負うと覚悟することでしか遂げられない成長があります

ロジャーズが説いた女性原理 その2

女性原理の履き違えと混乱

 女性原理が心理学や教育や医療に導入されたことで、それまで男性原理の支配に苦しんだ人たちは開放感を味わったことでしょう。と同時に、男性原理を全面否定したり、女性原理を履き違えたりすることで、戸惑う人が少なからず出てきたのも事実です。

 たとえば、親に「こうしろ、ああしろ、こうしてはならぬ」と厳しく育てられた人が親になって、「子供にはこうしろ、ああしろと命令などしない方がいい」という考えで、放任主義に走ったりする人が出てきました。「すべて子供に好きなようにさせておけばいいのだ」という考えです。

 心理療法の世界でも、同じような混乱が起きました。

 「クライアントの言うことに、アドバイスもせず、自分の話もせず、ただひたすら聞いていれば、クライアントの自らの力で良くなっていくのだ」という考えのもと、ロジャーズの提唱した「非指示的セラピー」がポピュラーになったのですが、ロジャーズの説いた女性原理の深みを理解しないセラピストが多かったり、「非指示的セラピー」自体に限界があることなどから、「ただ聞くだけのカウンセリング」に不満や疑問を持つ人がたくさん出ましたし、今でもそれは続いています。

 このようにして、権威主義への反動として、男性原理自体を否定して、女性原理のみを採用するような思想が出てきて、多くの人を混乱させたと私は考えています。

 やはり、男性原理と女性原理は、どちらか一方でよいというものではなく、両方必要です。そして、それぞれが機能して長所を発揮できるには、両方を対等に尊重し、いずれにも支配性を認めない環境が必要なのです。

男性原理と女性原理が対等に支え合うとどうなるか

 子育てにしても、カウンセリングにしても、職場の関係においても、女性原理が素晴らしい働きをするには、相手の本心が引き出せるような真の心の繋がりや信頼や受容関係ができていないといけません。「心の絆を育む」ための受容や共感が働いて初めて、女性原理が美しく光るのです。

 「下の者」が「上の者」を怖れずに、本当のことを言え、本当の自分を出せる関係にあるならば、そこには女性原理がきちんと機能していると言っていいでしょう。

 そして、このような対等で相互尊重・相互信頼の雰囲気のある関係においてこそ、男性原理もまた健全に機能するのだ、と私は考えています。

 男性原理とは、相手を上から支配することと歴史的にダブってきてしまったので、男性原理と言えば支配だと連想する人が少なからずいると思うのですが、真の男性原理とは支配ではなく、対等な関係において、双方のために自分を主張したりイニシアチブをとったり、考えを具体的現実に有形化していくことを指す、というのが私の考えです。

 つまり、対等でない支配・被支配の関係性は、男性原理と女性原理の両方を妨害してしまうのです。

 対等の関係においては、相手も自分も怖れずに自分を出せる。つまり主張ができる。主張ができるということが男性原理なのです。そして、主張するだけでなく、相手を受け止めようと聞きます。聞くということが女性原理なのです。主張することと聞くことがバランスよく機能するには、関係性は対等であり、一方が他方を支配するという要素から自由でなくてはなりません。

 教育においては、教師が生徒を支配するのではなく、教師が生徒の言いなりになるのでもなく、対等な信頼関係の中で、双方が自分を主張するとともに相手にも耳を傾けられるようにするのが、男性原理と女性原理のバランスなのです。

 生徒の本当の気持ちに教師が関心をもって心の耳を傾けて、本当の繋がりを求めていることが伝わるとき、生徒は教師の考えや気持ちを受け入れられるのです。そして、教師が導く必要のあるときに、生徒はそれが自分にとって良いと感じたときには、喜んで従うことになります。

 教師の男性原理が生徒に快く受け入れられるためには、教師が女性原理も上手に使いこなす必要があるということです。誰も男性原理と女性原理の片方だけを担っていれば良い、という関係性は実は存在しないと私は考えます。

 人間関係やコミュニケーションは、キャッチボールのように、投げると受けるの両方、話すと聞くの両方を各自が担います。ただ、その場その場で一部の人が主に男性原理を担い、その他の人が女性原理を担うということもあります。

 男性原理の担い手は、相手をリードしたり、話したり主張したりする側ですが、この役割が上手に果たせ、相手に受け入れられるには、女性原理を必要に応じて使いこなし、相手の気持ちやニーズに合致しているかを感じ取ったり、フィードバックを受け取ったりする作業を大事にしなくてはなりません。

 また、主に受け手や聞き手の役割を演じる人も、完全に受け身ではなく、分からないことがあったり、賛成できないことがあったりしたときに、それを主体的に表現して伝えるだけの男性原理を担わなくてはなりません。

 その場その場で、各自が必要に応じて、男性原理と女性原理の両方を使いこなせることが重要なのです。

 そして、各人がその関係性において、男性原理と女性原理を交互に担う自由を享受できるのは、誰も一方的に男性原理を独占しないという、対等な関係性が確立されているときだと言えます。

 カウンセリングにおいても、カウンセラーとクライアントの両者が、男性原理と女性原理の両方を担うことが大事だと私は考えています。 

 ロジャーズの説いた「クライアント・センタード・セラピー」(来談者中心療法)では、カウンセラーが女性原理を徹底して担うことになっています。「カウンセラーとクライアントの関係は、母と子のようであるべき」という人さえいます。

 しかし、ロジャーズ自身も晩年に認めているように、女性原理だけに頼って非指示的アプローチに徹すると、救われないクライアントも確実にいます。

 防衛が強く、自分の本当の気持ちに触れることが極めて困難な人や、現実認知があまりにも歪んでいて、積極的介入なしには改善の可能性が低い人などです。

 こういう人たちは、完全受容の環境で、気持ちを完全に受け止めて聞いてあげるだけで、自分の持っている潜在能力を放っておいても発揮していけるとは言い難いです。

 やはり、セラピストの積極的介入が求められていると思います。この「積極的介入」をするのが、男性原理なのです。

 認知療法やゲシュタルト療法などは、最初から男性原理を堂々と打ち出していて、来談者療法と対極を成します。お互いに欠けているところを補い合っているような感があります。

 このように、あらゆる人間関係においては、各自が男性原理と女性原理の両方を、必要に応じてどちらも担えるだけの自由と柔軟性が重要なのです。

女性原理の深み

 「男性原理も大事なんだよ」というだけだと、また古い秩序に戻ってしまいそうです。そこで、女性原理の深みについて触れておきたいと思います。女性原理の体現は、それほど容易なものではなく、とても深淵なるものなのです。

 ロジャーズの説いたカウンセリングでは、徹底的に、そして深くクライアントの内面に心の耳を向けます。そのことによって、クライアント自身がどんどん自分の内面深くにあるものに触れて、それを受容し、理解し、表現でき、統合し、それによってより自分らしく生きていけると考えているのです。

 つまり、女性原理の深みとは、自分の意識の深みにどんどん自分自身を開いていき、生命の神秘を受け取ることと言ってもいいほどです。

 男性原理で簡単に「こうしたらいいですよ」とか「それは◯◯ということですね」と忠告や診断や評価をしないのは、まだ意識に上っていないようなその人の意識の奥底に流れているものに意識を向け続けるためなのです。

 カウンセラーがクライアントに対して意識を開いて受容的に待つ体勢になることで、クライアントはどんどん自分の奥から深い本音を表現するよう誘われます。表面的に聞かないことで、クライアントは意識の奥にどんどん入っていける。何を言っても受け止めてくれる環境では、深い意識に注意を注ぐことができ、自分でも知らなかった自分に出会えるのです。

 この「深く受け止める」という女性原理を体現しつつ、必要に応じてカウンセラーが男性原理を担うことで、クライアントの防衛を解いたり、認知を修正したりなど、積極的な介入もできれば、全体として効果的なカウンセリングにできるのではないかと私は考えます。

まとめ

 相手の気持ちをよく聞かないで主張しても、相手は気持ちよく聞けませんよね。ということは、ただ話せば良いのではないし、ただガイドすれば良いのではない。やはり相手の反応を受け止めながら、話したりガイドすることが大事だということです。女性原理を担いつつ、男性原理を使うことで、はじめて男性原理が本当に活きる。女性原理を使わないで、男性原理のみ使うと、活きないのです。それは支配的関係になってしまうからです。

 また反対に、完全に受け身になってしまって、子供が親に与えられるまま、生徒が教師に教わるまま、患者が医師の言いなり、というように、女性原理しか担おうとしないならば、自分の人生に対して無責任です。必要に応じて、親に自分の気持ちを言う、教師に反応を伝える、医師に意見を言う、というように、自分をしっかりもって、男性原理も果たすときに、女性原理も本当の意味で活きるのです。

 ですから、健全な人間関係においては、すべての人が男性原理と女性原理の両方を担うことが大切だと私は考えています。


ロジャーズが説いた女性原理 その1

 カール・ロジャーズの功績は、心理学・教育・子育て・医学など、それまで男性原理偏重だった世界に、女性原理の恵みをもたらしたことだと私は考えています。

 今日は、これらの分野において、男性原理と女性原理がどのような現れ方をするのかをまず説明し、両原理を統合していくことの意味について私なりの考えを述べたいと思います。

男性原理と女性原理

 私は男性原理を求心力・方向づけ・導き・有形化・決断・集中・収縮、女性原理を遠心力・受容・ 委ね・繋がり・開示・解放・弛緩だと捉えています。あらゆる二元と同様に、相補的な関係にあります。

人間関係における男性原理と女性原理

 人間関係においては、「話す側」が男性原理を担うとき、「聞く側」が女性原理を担うし、「リードする側」が男性原理を担うとき、「ついていく側」が女性原理を担うというように、2つの原理は対になって現れます。

 ピッチャーがボールを投げるのは男性原理で、キャッチャーが受けとるのは女性原理です。キャッチャーは受けとったボールをピッチャーに投げ返すとき男性原理で、ピッチャーがそれを受けとると女性原理というわけです。

 ピッチャーとキャッチャーはどちらもボールを投げるし、どちらも受けとるという意味では、男性原理と女性原理を交互に担います。しかし、キャッチャーが投げるのは、ピッチャーが投げるためであって、この2つは重要性が異なります。やはり、ピッチャーの主な役割は投げることであり、キャッチャーの主な役割は受けとることという意味では、ピッチャーは主に男性原理の担い手、キャッチャーは女性原理の担い手だと言えます。

 講演会に行くと、講演者と聴衆がいます。講演者が話し、聴衆が聞くのですから、主に講演者が男性原理、聴衆が女性原理を担います。聴衆も質問をしたり、拍手をしたりして、自分を表現することがあります。そのときは、聴衆が男性原理で行動しており、講演者が聴衆の質問や拍手を受けとるとき、女性原理が働いていると言えます。しかし多少の交替はあっても、やはり男性原理は主に講演者が担うと考えてよいでしょう。

支配的な上下関係における男性原理と女性原理

 「親と子」「医師と患者」「教師と生徒」などは、人類の歴史において長らく「上下関係」だと捉えられていました。

 この価値世界においては、「上の者」が男性原理を、「下の者」が女性原理を一方的に担うこととされました。たとえば、子は親の言うことを聞き、生徒は教師の言うことを聞くべきであり、口答えは許されないとされたのです。「上の者」が判断し指導し決定をしたことに対して、「下の者」は疑わずして服従するべしとする関係性です。

 こういった支配的体質は、生活の隅々にまで浸透し、文化の根底を形成するほど強力なものでした。男と女の関係においても、この支配的体質は広がりました。

 このようにして、男性原理を担う者が、女性原理を担う者を支配するという時代があり、今も部分的には続いています。

「上の者」が女性原理を担う新たな思想

 男性原理と支配的体質が結びつくことで、様々な問題が生じました。

 子供の主体的気持ちや個性の違いなどを親や教師が「受け止める」(理解する・尊重する)という女性原理なしに、一方的に指示を出していたのでは、子供は傷つき個性が発揮できませんし、情緒的に豊かになれません。

 「下の者」に耳を傾けずに、一方的に主張する医師や上司や教師などによって、「下の者」は不満と怒りを募らせていったのです。「下の者」の理解され、尊重され、対等に扱われたいという欲求が満たされなかった数多くの体験が、新しい関係性を希求していく原動力となりました。

 そこで現れたのが、「上の者こそ女性原理を体現し、下の者に耳を傾け、自主性を引き出す」という考え方でした。親や教師は、子供や生徒に対して、「ああせよ、こうせよと指示を出して、大人目線で指揮していく」のではなく、「子供や生徒が自ら潜在的能力を開花できるよう、引き出し役に回る」という考え方です。

 ここには、「人間には自己実現に向かっていく力が備わっており、受容的な環境さえ与えれば、人間は自らなりたい人間になっていけるのだ」とする「ヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメント」が深く関与していました。

 そういった歴史的な流れの中に、カール・ロジャーズも出現したのです。

 ロジャーズも、その弟子であるゴードンやローゼンバーグも、それまで「上下関係」だと捉えられていたあらゆる関係性において「対等であること」を基軸とすることと、古い秩序において「上に立つ者」と考えられていた者が、「下の者」に対して共感的・受容的・非指示的であることの重要性を説きました。「下の者」がどう生きるのか、どう物事を決定するのか、そういった自己決定能力は本人に備わっているのであり、「上の者」が規定したり押し付けたりするものではないという考えを広めたのです。

 「あるがままの子供を受容すれば自分の力で育っていく」「あるがままの患者を受容すれば本当の気持ちを医師に語ってくれるし、そのほうが医療が進む」「どのような治療を選ぶかは患者が決めるべきことである」「どのように学びたいのか、教わりたいのかは生徒に教えてもらう」という考え方は、従来「上に立っていた者」が、女性原理を身につけることを勧めるものです。

 さて、「上の者」が女性原理を体現する新しい潮流が日本にも入ってきました。そのことで、トップダウン式の支配的関係があちこちで弛み、いろいろなプラスも生まれました。しかし、古い秩序の欠点が減る一方で、新たな混乱も生じることとなりました。

 子供をガイドせず好きにさせることが愛だと思う人や、受け身で話を聞くことがカウンセリングだと思う人がたくさん現れました。

 次回「その2」では、このような混乱について、そして男性原理と女性原理をそれぞれ十分に活かすような関係性について、お話ししたいと思います。

「同一化」「抵抗」「受容と超越」

 私たち人間の「マイナス思考」「マイナス感情」に対する関わり方は3種類あります。

 それは「同一化(identification)」「抵抗(resistance)」「受容と超越(acceptance & transcendence)」の3つです。 

 「怒り」を例にとりますと、「怒り」が生じたときに、感情と一体になって、見境なく言動してしまうとき、「同一化」していると言います。自分の中に怒りがあることを客観視できず、自分と怒りの間に距離がない状態です。外から見ると、「怒り」のままに暴言を吐いたり、暴力を振るったりするという形として表れます。

 それに対して、「怒り」に「抵抗」している人は、外からは何も見えません。この人は、「怒ってはいけない」「怒りたくない」と思って抑えています。ですから、極端な場合には「怒り」があることさえ認めません。「怒り」と断絶しようとしている態度だと言えます。

 「怒り」に対して「同一化」しても「抵抗」しても、「怒り」は解決されず永続してしまいます。

 「怒り」を根本から解消するには、3番目のアプローチが必要です。

 「怒り」を「受容」するとは、「怒り」があることに客観的に気づいている状態を保ちつつ、その存在に対する抵抗を捨てて、そこに「怒り」があることを許すということです。

 「存在を許す」ということは、「一体化」して感情のままに外に表現することを許すのとは違います。感情に対して無抵抗になって、感じることを許すのであって、外に出すのではありません。

 「感じたくない」と力んでいる状態から、「感じてもよい」と抵抗と防御を捨てることが「受容」です。

 「怒り」を完全に「受容」すると、「受容」された「怒り」とはしっかりと繋がった状態でコミュニケーションがとれます。なぜ怒っているのか、何を必要としているのか、いつから怒っているのか、自分に何かしてあげられるのか、こういった情報を受け取ってあげることができます。

 このように、とことん交流してあげると、「怒り」は「怒り」でない別のものに自然と変容していきます。「ああ、理解された」と感じた「怒り」は、もはや「怒り」ではありません。ここに「超越」が生じるのです。「怒り」を超えて、別のものへと変容できたわけです。

 「変容」するには、まずは「受容」してあげなくてはなりません。

 自分の中に、不安とか自己嫌悪とか怒りとか、何でもいいです、マイナスのものがあって悩んでいるとしましょう。そうすると、それが何であれ、上の3つのアプローチがありますので、自分が現在どの姿勢をとっているのかよく吟味してみてください。そして、「同一化」や「抵抗」というやり方をしているなら、きっと問題が解消されていないはずです。「受容と超越」というやり方に切り替えてみられることをお勧めします。

 自分の中の「マイナス」を「猛獣」だとしますと、「同一化」とは、自分自身が「猛獣」になって、周囲の人に見境なく襲いかかっている状態です。「抵抗」とは、「猛獣」が自分の中にいることを怖くて認められないために、意識の深い深いところに監禁して出られなくしようという作戦です。「猛獣」がいることから目を逸らし、表面では平穏に暮らしたいわけです。これだと一時的には平穏に暮らせるかもしれませんが、「猛獣」はいなくなるわけではありませんので、何らかの形で猛威を振るってきます。いつか対処しなくては、「猛獣」から悩まされることは止まないのです。

 そこで、「猛獣」と対峙しようと決断するときがやってきます。

 「猛獣」がいることをまず認め、その存在を自分の中で許します。ただ、「猛獣」が周囲の人を襲わないように、囲いをして、自分の心の中だけで放し飼いにします。

 「自分の心の中という囲いの中で動き回る自由を与える」のです。

 そして、コミュニケーションの断絶を解いて、「猛獣」と対話をします。

 「あなたのことを理解したいのだけど、どんな気持ちなのか話してくれる?」と問いかけます。

 「お前は俺のことなど聞く気がないだろうが!」と鬼の形相をするかもしれません。

 そこで諦めずに、共感を伝えます。「そうか、僕が長い間あなたを拒絶してきたから、聞いてくれるはずがないと感じているんだね?」と。

 「猛獣」が何と言っても、受け止めてあげて、関係を切らずに向き合い続ければ、最終的には「猛獣」は心を開いて、奥で感じていること、欲していることを伝えてくれます。本当は分かって欲しいのですから。 

 こうやって、「猛獣」と仲良くなり、話ができる間柄になると、「猛獣」は「猛獣」ではない、何かポジティブなものに変容していきます。

 ちょうどヨーロッパの童話で、蛙が元の王子様の姿に戻るように、「猛獣」の本当の姿は「猛獣」ではなかったと悟るときが来るのです。

 このように、「猛獣」だと思っていたものは、怖れるべきものではなかったのだと気づくまで、関わり続けることが大事です。

 今日は、自分の中の「マイナス」だと思っているものとは、一体化せず、戦わず、自分の中で認めて対話することで、本来のプラスの姿に戻してあげるというプロセスについてお話ししました。
 

「体験者」と「観察者」

 私たち人間の中には、「体験者」と「観察者」の二人がいます。

 「体験者」というのは、「生身の人間」のことで、食べ物を食べて「美味しい!」とか「まずい!」と感じたり、人に批判されて「傷ついた!」とか「あいつ嫌いだ!」と感じている人です。

 「体験者」には、肉体があり、精神があり、感覚や思考や感情があります。

 それに対して「観察者」というのは、「生身の人間」が体験していることを客観的に見つめている人です。「観察者」は「体験者」のいろいろなことに気づいていますが、その人自体は何かを感じているわけではありません。

 「体験者」が1人称の主観的体験に浸っている存在だとすれば、「観察者」は3人称の客観的観察によって「体験者」に気づいているだけの存在です。

 様々な宗教修練においては、「観察者」の意識を強化することを目指しています。そうすることで、人間としてのあらゆる執着や苦悩から離れた境地、超越的な悟りが得られると信じられているからです。

 宗教的修練に没頭する人の中には、「体験者」として生きることを捨てて、「観察者」と一体になることだけを目指した者もいました。

 これはちょうど、「観察者」の存在になど全く気づかず、「体験者」としてのみ生きている人と対照的です。

 「体験者」としての主観的体験があってこそ、魂は進化できるのであって、「体験者」の自分を捨てることは賛成できません。

 ただ、「体験者」の自分しか知らないと、その次元で生まれる様々な人間としての執着や苦悩を解決することが困難になります。ですから、「生身の人間」をある程度離れて、客観的に観察できる能力を養うことは、よりよく人間としての生を全うするためにも大変重要です。

 ということで、「体験者」としての生を大事にしつつも、「観察者」の意識を育てて行く時間をもち、バランスを取ることが大切だと考えます。

 仏教には「七覚支」(悟りを構成する7要素)と呼ばれるものがあります。その中に、「念」(マインドフルネス、気づいていること)と「捨」(ディタッチメント、対象に執着しないこと)があります。

 「観察者」の意識を育てていくということは、この「念」と「捨」を修養していくことになり、怒りや不安や執着などの強い反応が出てきたときにも、それらと一体化せずにクールに傍観していられる能力が育っていき、エゴ反応に振り回されない自由を獲得していけるわけです。

 ということで、「体験者」と「観察者」の2つの部分を別々に捉えたことのない方には、是非「観察者」の修養をお勧めします。
 

あなたの男女エネルギーの成熟度は?

 私は自分の中にある男性エネルギーと女性エネルギーの両方を成熟した形で体現したいと思っている人間です。

 今日は、この記事を読んでくださった方が、ご自分の男女エネルギーの状態を認識して、成熟目標を明確に意識する一助になれば嬉しく思います。 

 私にとって女性エネルギーは遠心的で、無限に開かれている、柔らかで、何も拒絶しない受容的・共感的なものです。

 それに対して、男性エネルギーは求心的で、1点に絞って、決断し、方向づけ、特定の目標に向かって突き進む、積極的・実現的・保護的なものです。芯が通っていてしっかりとして、逞しい、頼り甲斐のあるエネルギーです。

 さて、私は日常でいろいろな人に出会いますが、女性エネルギーの成熟した人の前にいると、女神様に抱かれているような、無条件で受容され、すべて大丈夫だと思わせてくれるような深い安らぎを感じます。

 女性エネルギーは、拒絶しないので、これは善でこれは悪という具合に、2つに分断することなく、あるがままを抱きとめるのです。

 勉強ができようができまいが、五体満足であろうがなかろうが、美人であろうがなかろうが、「愛おしい我が子よ」と言って、大事に大事に我が子の存在を受け止めて喜ぶ。これが無条件の母性愛の権化だろうと思います。

 女性エネルギーは受容的であって、切り捨てるということをしません。何でも呑み込み、何でも一体になるので、離れるということがありません。ですから、あらゆる人は女性エネルギーの前で、受け入れられる安らぎを感じることができるわけです。

 女性エネルギーが成熟した人は、この無条件受容を体現している人です。

 それに対して、女性エネルギーが未熟な現れ方をした場合、ゆらゆらととりとめもなく彷徨うとか、決断できないとか、相手との境界線が引けないとか、過度に依存してしまうなどという現象になります。

 相手に嫌われたらイヤだから、自分が主張できないというのは、女性エネルギーの未熟な状態で、相手の感情と自分の感情をすぱっと切り離せないわけです。相手が不満なら、自分が悪いと思ってしまうのです。

 では、男性エネルギーが成熟した人にはどんな特徴があるのでしょうか? 男性エネルギーは方向を決めて進む、捨てるものと目指すものを区別して捨てるものは捨てる、感情で相手と一体化せず、クールに冷静な判断ができるなどです。

 男性エネルギーが成熟した人は、自分が目指すべきものをしっかりと持っていて、価値観や生き方がしっかりしていて、背骨が通っている。そして、その大志の成就に向けてまっすぐに努力できる。弱い者や迷っている者には助言をし、良い方向に導くこともできる。現実世界で結果を出すことができるし、頼り甲斐がある。

 自分をしっかり持っている男や、決断力のある男、仕事のできる男に女性が惚れるのは、それが成熟した男性性であって、成熟した女性が求める対極の性質だからです。

 女性エネルギーのもう1つの特徴は、ゆらゆらと揺れることです。動きが優雅で美しい。柔らかでゆらゆらと揺れる女性の仕草や話し方に男性は魅了されます。

 女性エネルギーが安心してゆらゆらと揺れることができるのは、しっかりと支えてくれる男性エネルギーがあってのことです。ですから、女性エネルギーが自らを成就させるために、成熟した男性エネルギーの担い手を求めるのはごく自然なことだと言えましょう。

 男性エネルギーが成熟していない相手だと、女性は自分が男性エネルギーを担おうとします。それが成熟した男性エネルギーならいいのですが、未熟な形で男性エネルギーを体現してしまうと、次のような現象になります。

 未熟な男性エネルギーの現れ方としては、暴力的になることがまず挙げられます。男性エネルギーは指揮的・支配的・実現的なので、未熟な形では、相手のことを慮れず、やんちゃな出方をします。

 優しく包んでくれる男性エネルギーがないとき、女性エネルギーだけの人は、ガミガミ言ったり、不平を言ったり、ヒステリックになって主張しようとします。これは、未熟な男性エネルギーの現れ方です。

 また、男性エネルギーは固いという特徴があります。こちこちになって、黙ってしまう。殻に閉じこもってしまう。心を通わせなくなる、というのも未熟な男性エネルギーの特徴です。すぱっと、心の交流を断ってしまうのです。

 適度な男性エネルギーのない女性は、とりとめもない話し方をします。話題があっちへ行ったりこっちへ行ったり。ある程度なら可愛らしいのですが、何か目的を達成するために話し合うような場面だと、もう少し段取りよく話して欲しいという気持ちになります。

 この「段取りよく話す」というスキルは男性エネルギーで、キャリアウーマンなど職業的任務をこなしてきた女性なら大抵上手にできます。

 感情を自由に外に出せる人は、女性エネルギーが成熟している人です。未熟な男性エネルギーに囲まれてきた人の中には、かちこちになって気持ちを表現できない人がいます。

 そういうクライアントが来たら、私は女性エネルギーになって、「何を言っても拒絶されることはありませんよ。私はあなたを無条件に受け入れますよ」というメッセージを無言で発します。すると、少しずつ固い殻を破って、心を開いてくださいます。

 この人は、成熟した女性エネルギーの精神的栄養に飢えている人です。

 それに対して、女性エネルギーがたっぷりあるので、自由に何でも話してくれるけれど、話に方向性があまりになくて、決壊したダムのように無秩序な会話になってしまうというクライアントには、私は成熟した男性エネルギーを担わなくてはなりません。

 無条件で聞いてあげる母性愛であっては、この人は救われません。父性愛がこの人には必要です。

 すると、私は聞くことをストップして、介入します。「今日のセッションでは、何を目標にしましょうか?」と対決して、決心してもらうのです。

 時間の使い方に一定の方向性を与えるのを手伝います。 

 未熟な女性エネルギーの人が時々やるのは、私にべたべたと依存して、甘えてくることです。

 カウンセラーとクライアントというプロフェッショナルな関係性や距離感を超えて、べたべたとこちらの領域に入って来られます。そして、甘えが満たされないと怒り出します。

 こういう、男性エネルギーも女性エネルギーも未熟な人は、対応が難しいですね。

 無条件の愛としての母性愛にも飢えているけれど、きちんと導いてくれる厳しい父性愛も欠けている人です。

 すると、拒絶されたように感じないようにと母性愛を使いながらも、厳しく境界線を引いて行くという男性エネルギーも発して行かなくてはならないので、私の仕事はなかなか大変です!

 きちんと理性的判断ができて、境界線をきちんと守ることができ、割り切りがよく、という成熟した男性エネルギーを持っているけれども、受容的な成熟した女性エネルギーが育っていない、あるいは欠けているという人であれば、成熟した女性エネルギーを私が模範として体現すればいい。

 反対に、心の繋がり、無条件の共感などはすでにできている、という成熟した女性エネルギーを持っているけれども、決断的・指揮的な成熟した男性エネルギーが育っていない、あるいは欠けているという人であれば、成熟した男性エネルギーを私が模範として体現すればいい。

 ところが、両方とも未熟な人には、私はこの2つとも担わなくてはならないので、なかなか苦労いたします。(笑)

 皆さんの中にある男女エネルギーを自覚するのに役立てたとすれば嬉しい限りです。

パトリシア・アレン博士「尊敬されたいか愛されたいかを選ぶ」

(これは2014年6月に投稿した記事の復刻版です。)

 パトリシア・アレン博士は、3回離婚して、4回目の結婚にして幸せを手にしました。自身の男女関係の「失敗体験」に加え、心理学を修めた彼女は、今やアメリカでも有数の恋愛専門家として人気があります。


 アレン博士は主に女性に向けて恋愛のこつを教えています。特に仕事と結婚を両立させたいという現代女性に斬新なアドバイスを行っています。

 ここではアレン博士の考え方をご紹介しますが、100%正しいのかどうか私には確信がもてません。すべての人に応用できるのかも分かりません。しかし、多くの女性に支持されている様子から、何がしかの真実がここにあるような気がするのです。そこで、問題提起という形でご紹介しようと思います。

男性エネルギーと女性エネルギーについて

 アレン博士は、「女性解放運動は平等をもたらしたが、愛をもたらさなかった」と言います。男性と同じように職業で優秀性を発揮する権利を得た女性は、考え方や決断において職場で人をリードしなくてはなりません。これは、女性が職場においては、男性エネルギーを発揮するということです。

 そして、そのこと自体はまったく問題がないけれども、ボーイフレンドや夫が男性エネルギーの人である場合、彼との関係においても男性エネルギーのままでいると、関係はうまくいかないと指摘します。彼が男性エネルギーの人である場合、彼の前では女性エネルギーでいることが大事だと言うのです。

 男性エネルギーは、行動する、先導する、決める、守る、大事にする性質をもっていて、尊敬されることを求めます。それに対して女性エネルギーは、感じる、受けとる、従う、尊敬する性質をもっていて、愛されることを求めます。

 なんか、これだけ読むと、伝統的な男女感のような気がしてきます。「女は三歩下がって男の後をついていく」とか「男を立てる」という類いです。

 私は結構、男女平等の価値観が強いので、こういう男女感に触れると、男尊女卑のような気がしてしまうのですが、アレン博士は女が常に男に服従するべき存在だとは捉えていません。男性エネルギーと女性エネルギーが違うものであると明確に認識して、それぞれを活かすためには、公平なエネルギーの交換をしなくてはならないと言うのです。

 男性エネルギーと女性エネルギーは性質が違うので、平等ではなく公平さが大事だと言います。

 男尊女卑でない証拠がもう1つあります。それは、人によっては女性が男性エネルギーを担当し、男性が女性エネルギーを担当するほうがうまくいくカップルもいると言っていることです。

尊敬されたい人と愛されたい人をひとりずつ決めること

 男性エネルギー担当の人は、尊敬されたい人です。この人は、行動や決断においてリードし、相手を大事にし、幸せにすることを喜びとします。相手が不満なときは、気持ちを伝えてくれれば、自分の能力の限り相手を幸せにしたいと思います。しかし、相手にリードされたくはありません。

 女性エネルギー担当の人は、愛されたい人です。この人は、行動や決断において相手にリードしてもらい、自分を大事にしてくれることを喜びとします。与えるより与えられることを求め、感謝から一部を与え返します。相手の考え方や行動を批判せず、自分の不満を気持ちによって表現することで、愛してもらうことを求めます。引っ張っていくより、可愛がられる方を求める人です。 

 アレン博士によると、多くの現代人は、尊敬されることも愛されることも相手に求め、男性エネルギーと女性エネルギーの間を行ったり来たりし過ぎることで、関係を壊しているとのことです。二人とも男性エネルギーだと、両方がリーダーになりたがっていてうまくいかないし、二人とも女性エネルギーだと、両方が受け身で愛されたがっていてうまくいかないと言います。

 だから、自分はこの関係において、男性エネルギーとしてリードしていく存在でありたいのか、女性エネルギーとして可愛がられたい存在でありたいのかを選ぶ必要があるというのが、アレン博士の考え方です。

男性的男性を求めるなら、リードせず待つこと

 アレン博士によると、多くの女性的女性が、相手の男性に不満なときに、自分から声をかけたり、リードしたりしてしまうという失敗を犯すとのことです。自分から声をかけるとか、行動するというのは、男性エネルギーなので、男性的な男性はこれを嫌います。

 男性的男性は、自分が相手を手に入れるとか奪うということを喜びと感じますので、女性からしかけられるとさめてしまいます。だから、男性的男性を手に入れたいなら、じっと待つか、寂しいとか不安だという気持ちを伝えて行動してもらうよう促すのがいいと言います。自分から電話番号を渡したり、メールを出したり、せがんだりすることは絶対に避けつつ、気があるという仕草を見せることは大事です。

 男性的男性は自分の考えや行動にプライドをもっていますから、女性が困っているとか不満である場合には、考えや行動を直接批判するのではなく、「考えや行動を決める権利はあなたにある」と言って尊重をしておいて、でも自分はこのように困っているという不都合を訴えて分かってもらうようコミュニケーションをとることを勧めています。男性的男性であれば、自分の女が困っているとわかれば、何とか満たしてあげたい、大事にしてあげたいという感情が動いて、変わってくれるので、そこに働きかけるというわけです。日本で昔から言う「男を立てる」というのに近いですね!

 多くのキャリアウーマンは、職場で男性エネルギーを発揮して、バリバリと仕事をしています。そして、その乗りで男性的男性を射止めようとすると間違うということのようです。

 ということで、あなたが女性的女性として男性的男性を相手にしたいなら、彼に対しては先導することは避け、彼から動いてもらうように受け身でいること、不満があるときには困っていることを訴えてリードしてもらうよう促すことです。

女性的男性を求めるなら、リードすること

 世の中には女性的男性もいます。女性の方にリードしてほしいというタイプです。あなたが男性的女性で、女性的男性を相手にしたいなら、自分が先頭に立って男性に名刺や電話番号を渡して行動に移す。そして、それを喜ぶ相手かどうかを見極めればいいのです。女性エネルギーの男性であれば、リードしてくれる女性を喜びます。この場合、女性が尊敬される側を選べばいいということです。そして、あなたが男性を可愛がるわけです。

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