菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2015年07月

100%言い切れる事実を探す

 心理カウンセリングは刑事や探偵の仕事みたいだと思うことがあります。

 クライアントが悩んでいる問題を一緒に解決していくのは、事件を解決していくようなものです。

 案外知られていないことかもしれませんが、心理的問題を解決するときに結構大事なのは、「事実」と「非事実」を分けること。

 たとえば、クライアントが「事実」として話していることの多くは「推測」だったり「評価」だったりするので、カウンセラーとしてはそれを「事実」だと誤認しないことが大事です。

 「夫はいつも私を無視するんです」とクライアントが言ったからと言って、夫が本当にいつも彼女を無視しているかどうかは分からない。ただ、このクライアントは「そう捉えているのだ」という「事実」として聞きます。

 私たちの多くは、漠然と「イヤな思い」をしていますが、それが怒りなのか悲しみなのか怖れなのかよく分かってないこともあります。ですから、感情を絞り込んでいくという作業を私は大事にすることで、「この人が本当に欲しいものは何か」を探っていくわけです。

 「あなたはその時どう感じましたか?」と私が尋ねる。

 「なんで夫はこんな風に私を扱うんだろうと思いました」とクライアントが答える。

 「なんで・・・は感情ではない。思考だ。もう少し感情を表現できるように方向づけよう」と私は心の中で思います。

 「なんでこんな風に扱うんだろうと思ったとき、あなたが感じたのは悲しみでしょうか? 怒りでしょうか? それとも落胆でしょうか?」

 「ああ、そうねえ」と言って、クライアントは内面に深く触れる。

 「寂しかったですわ」と答える。

 「ああ、寂しかったんですね」と私は伝えて確認する。

 このとき、「このクライアントは寂しいと感じた」という「事実」が浮上し、クライアントと私はその理解を共有します。

 クライアントにこの「寂しさ」を十分に感じてもらう。そして、この「寂しさ」が何を求めているのかを探っていく。すると、「心の交わり」だと見えてくる。

 「ああ、あなたが欲しかったのは、夫との間の心の交わりだったんですね。それがなくて寂しかったんですね」と私が言うとき、この人はその寂しさにさらに深く触れて涙を流す。

 このとき、このクライアントは「自分は心の交わりが欲しかったのだ。そしてそれが得られずに寂しかったのだ」という心の内情に初めて意識的に気づき、この満たされない欲求に寄り添うことができます。

 自分が欲していたものに本当に触れ、それを認めた瞬間です。自分の「事実」にしっかりと遭遇したのです。

 こうやって、「事実」という確固とした心理的真実を1つ1つ押さえていくことで、心理ワークは前進します。

 「事実」というのは、「あるがまま」であり、幻想や妄想とは違って、実在しているものであるから、信頼できるんです。「こうかもしれない」とか「こうも言えるしああも言える」というような頼りないものではありません。「寂しい」という感情に触れているとき、「寂しさ」という実体がそこにあるんです。そして、それまで気づかなかった実体に気づいたとき、何か自分の中で整理されていきます。嘘や無知が剥がれていくことで、はっきりと見えるようになる。それが心理的解決にはとても大事な過程なのです。

 刑事や探偵の仕事みたいでしょ?
 

「なぜイヤな気持ちになるのか」を知る

 私も人間ですので、日々の生活の中で「イヤな気持ち」になることは少なくありません。

 内側に意識を向けることが習慣となっている私は、「イヤな気持ち」が生じると、だいたい次の瞬間には気づきます。「あ、イヤな気持ちになっているな」と。

 「イヤな気持ちになる」その瞬間には、「なぜイヤな気持ちになっているのか」は見えないことが多いです。

 「イヤな気持ちだ」ということは分かるけど、「なぜ」は必ずしも明白ではありません。

 そこで、私は自分の心と対話をして「何で不快になっているのか」を突き止めます。

 「なぜ不快なのか」を理解することは、「何を欲求しているか」を理解することとほぼ同じです。

 「軽くあしらわれたように感じて不快」なのなら、「尊重してほしい」という欲求という具合に、「イヤな気持ち」になるのは「欲しているもの」が得られないから。そして、その「欲しているもの」を特定するのが欲求を理解することです。

 欲求を理解してどうするのか?

 「自分は◯◯が欲しいのだ」「私にとって◯◯は大事なのだ」と気づくことは、実は自分を認めてあげることであり、とっても重要なことだと私は考えています。

 自分の欲求を知り、認め、肯定するということは、必ずしも皆できていることではないんです。

 たとえば、ある人と話していて「イヤな気持ち」がしたとしましょう。「なんとなくイヤな感じ」。でも正確に不快の原因までは分からない。何が満たされなかったのか突き止められない。

 そういうとき、心と対話していくと、「私の気持ちを否定しないで聞いて欲しかった」「私の気持ちに寄り添って欲しかった」ということが明瞭になる瞬間があるわけです。「共感(エンパシー)」を欲求していたと認識する瞬間です。

 「ああ、なんだ、私は共感を欲していて得られなかったからイヤだったんだ」と理解する。

 そうすると、その瞬間、自分の中で何かが変わります。

 「私は共感されることを大事に思っている存在なのだ」と宇宙に向かって宣言しているかのような出来事が起こっているんです。

 「共感」を賛美しているような・・・

 共感されなかった体験ではあったのだけれど、「私にとって共感って大事なんだよ」という思いを確固たるものにすることで、「共感の欲求」は自分の中で「市民権」を得ます。

 「あれ? そんなもの自分の中にあるのかな?」と言う人の中では「共感の欲求」は存在さえ知られていません。しかし、気づいた人の中では「確固たる存在」となります。

 気づいている人の中では「共感の欲求」は、自分の心を幸せにする1つの物差しとなるのです。そして、常にそれが満たされているのか満たされていないのかをチェックできる要素となります。

 このように、私たち人間は、自分の心が満たしたがっている欲求を1つ1つ発見し、自分というものを知っていくのです。

 赤ちゃんの頃、熱があって気持ち悪いのか、お腹が空いて気持ち悪いのか、室温が高過ぎて気持ち悪いのか自覚はできません。言葉にできません。泣くしかできません。

 それが、成長するに従って、私たちは自分の不満の種類を区別できるようになります。

 上から目線でしゃべられる「イヤな感じ」と、嫌われるのが怖くて本当のことを話してもらえない「イヤな感じ」と、妬みを隠してしゃべられる「イヤな感じ」と、微妙に嗅ぎ分けられるようになるのです。

 尊重が欠如しているコミュニケーション、誠実さが欠如しているコミュニケーション、自己責任が欠如しているコミュニケーションは、いずれも聞き手に「イヤな気持ち」を生じさせますが、それぞれ微妙に違います。

 自分の不満の原因を知る作業は、芸術品の品定めをするかのような、微妙なエネルギーの感じ分けを必要とするのです。
 

尾木ママ「過保護と過干渉は違う」

 7月12日(日)BS日テレ「久米書店」のゲスト、尾木直樹氏の言葉を紹介します。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

久米:過保護と過干渉は違います?

尾木:違います。過保護っていうのは、保護をね、とことんしてあげようという訳であって、「君がゴルファーになりたいんだったら、お父さんその会員権300万で買ってあげるよ」とか。これは、過保護です。だけど、過干渉っていうのは、どのゴルフ場がいい、コーチは誰がいいとか、いちいち言ってくる、干渉してくるのを過干渉って言うんです。

久米:全ての段取りに干渉してくる。

尾木: 干渉してくる。だけども、過保護は「金出すよ」とかいう、甘い「甘甘」の感じ。だけども、決定していくのは本人でしょ? だから、そんなに害はないんです。

久米:つまり、過干渉は本人に決定権を与えないんだ。

尾木:与えないんですよ、そう。だから、失敗したら「これ、母ちゃんのせいだ」となっちゃうし、成功しても母ちゃんを尊敬するだけでしょ? だけども、自己決定してれば、うまく行ったら「ああ、自分で決めて良かった」って自信もてるわけですよね? 失敗しても、自己責任なんですよ。だから、子供は成長するんです。大人でもそうですけど。だから、過干渉ほど悪いのはないんです。

過干渉ほど子供の成長を阻害するものはない
by 尾木 直樹 
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