菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2016年06月

「共依存」の意味は「共に依存すること」ではない

 「共依存(codepedency)」という言葉が日本でも大分と知られるようになり、あちこちで目にするようになりました。しかし、意味を間違えて捉えている場合が多いと感じます。

 「共依存」を字面だけで見ると「共に依存すること」を指すような印象を受けるかもしれませんが、「共依存」は2人の中の片方だけを指す言葉です。

 たとえば、アル中の夫と離れられない妻がいた場合、「共依存」をしているのはこの妻だけです。アル中の夫は「共依存」ではありません。

 「共依存」とは、相手を助けずにはいられない側だけを指す言葉です。

 英語のウィキペディアより「共依存」の説明を引用いたします。

Codependent relationships are a type of dysfunctional helping
relationship where one person supports or enables another
person's addiction, poor mental health, immaturity, irresponsibility, or under-achievement.  Among the core characteristics of
codependency, the most common theme is an excessive reliance on other people for approval and identity.


共依存関係は機能不全の援助関係の一種であり、1人の人がもう1人のアディクションや精神疾患、未成熟、無責任、または達成不全を支えたり許してしまったりするものである。共依存の主たる性質の中で最も一般的なテーマは、自分の価値やアイデンティティーを過剰に他者に依存することである。

 アル中や暴力や我がまま放題の人が一方でいる。そして、その人の尻拭いをして救護している人がもう一方でいる。この後者の人は、問題の相手を離れて「自分」というものを持つことができない。それは、幼少期に「自分」を持つことを許されず、いつも相手に仕えることで生き残って来たからです。

 この「無私の奉仕」を強迫的にしてしまうことを「共依存」と言います。つまり、「共依存」とは自分を犠牲にしなければならない人間関係から離れたくても離れられないことを指すのです。

参考記事

ナルシシストと共依存者の共通点
 

OPEN MIND & OPEN HEART

 英語でよく「オープン・マインド」とか「オープン・ハート」と言います。

 日本語でも「相手に心を開く」などと言いますが、「マインド」が開かれているのと「ハート」が開かれているのでは、どう違うのでしょうか。

 いちばん分かりやすいのは、マインドが開かれていてハートが閉じている例と、マインドが閉じていてハートだけが開かれている例を挙げることだと思います。

OPEN MIND & CLOSED HEART

 たとえばあなたが A さんという人と話しているとしましょう。あなたは自分の問題や考えを A さんに伝え、A さんはそれを否定せず聞いてくれる。そして A さんなりに考えを返してくれるので討論がしやすい。いっしょにブレインストーミングをしたり解決を探ったりできる。けれども、A さんがあなたのことをどう思っているのか、一緒にいることを喜んでくれているのか、それともビジネスライクで表面上の付き合いをしているだけなのか、よく分からない。気持ちの交換があるような気がしない。気持ちの面で心が触れ合うような実感はない。

 こういう場合、マインドは柔軟に触れ合っているのですが、ハートは触れ合っていません。相手のハートは閉じている可能性があります。それはあなたのことを怖れていたり嫌っていたりするのかもしれないし、あなたとは関係のない A さん自身の悩みや苦しみがあって、それに耐えながら人間関係を築いているだけなのかもしれません。

CLOSED MIND & OPEN HEART

 あなたは B さんという人と話しています。B さんはあなたの存在を受け入れていて何でも聞いてくれるし好いてくれている感じさえする。けれど、あなたの考え方や価値観を理解しているわけではない。あなたの考えを表明すると、「それは違う」と言って B さんなりの自己表現をしてくる。B さんに悪気はない。心優しく接してくれていはいるけれど、こちらの考え方を受け入れるだけの頭の柔軟性というものはない。

 こういう場合、心の触れ合いはあるので情的な付き合いやすさはあるのですが、理解し合えるかと言うと難しい。人生観や思想の上でずれがあって、こちらの考え方に対しては否定的な相手なわけです。

OPEN MIND & OPEN HEART

 自分とは違う考え方や新しい考え方に対して、「こんなのはダメだ」と即断せず、いちおうニュートラルの状態で考慮してみるだけのオープンさがあるとき、OPEN MIND があると言います。何でも「イエス」と言って同意するわけではなく、考慮してみるわけです。食べず嫌いじゃなく、いちおう吟味することに開かれているわけです。

 また、OPEN HEART というのは、自分とは違う相手の気持ちになってみようか、というオープンさですね。「相手の気持ちになんかなりたかない」「知りたかない」というのは心が閉じているわけです。「相手のことなんか知ったことか」というのは CLOSED HEART です。

 相手の心情を自分も少し味わってもいいと思えることがオープン・ハートなんです。

和して同ぜず

 「和する」とは相手に合わせることではありません。自分をしっかり持った上で、相手との違いを尊重し、互いにとって利益となる解決を探ることです。

 相手の意見や立場や価値観に心と頭を開いて受け止め、迎合することなく、「自分はこうだ」と言うことが「和する」ことです。

 やりたくないことを頼まれてノーと言えないのは「同ずる」ことです。イヤイヤ不本意ながら相手に折れて、内面では不満が溜まっていく。これは「和している」のではありません。「不調和」です。

 日本でよく言われる「協調性」は「不調和」を指すことがとても多いと感じます。「同ずる」のほうをもって「協調性」だと考えている人が少なくない。 

 「和すること」は、自己中心的な人を不機嫌にします。自己中心的な人が喜ぶような解決をすることは「不調和」です。不機嫌になるべき人が不機嫌になるのが「調和」であり、より多くの人の利益を代弁する人がその場合優位に立ちます。低いレベルの主張をする人は、「和」を通して不満になりますが、それはあるべき姿なのです。

 自己中心的解決を目指す人に迎合することは「同ずる」ことであり、全体にとって不利益です。

 そういう場合、お互いにとって、また全体にとって、より優れた解決を代表する人がきちんと自分を出すことによって、より高い「和」が実現できます。

 継続することで害が生じ続けるような人間関係は、断つことが「和」です。現状維持を目指すことは「不調和」です。

 付き合ってはならない人を遠ざけること、してはならない仕事を断ること、これらは「和」です。

 自分を偽ることは常に「不和」です。自分を裏切ることが「和」であることはありません。
 

「素直な人」と「取り繕う人」

 カウンセリングをしていて「素直な人」の相談には乗りやすいなあと思います。また「取り繕う人」の相談には乗りにくいなあと感じます。

 まっすぐ素直に感じていることを認められる人とはコミュニケーションがスムーズに行きます。そして、問題に向き合って解決法をいっしょに探る道のりにおいて二人三脚しやすい。

 けれども「取り繕う人」とはコミュニケーションがとにかくややこしくなります。話しているうちに、「いったいこの人は何を言いたいのだろう?」「何のためにカウンセリングを受けているのだろう?」「本心はどこにあるのだろう?」と霧の中を歩いているような気持ちになるし、心を通い合わせて二人三脚しているという感じになりにくい。 

 「取り繕う人」というのは、たとえば、本当に感じていることを認めず、自己防衛に走って、それにも気づかないし、気づこうともしていない人です。A と言ったかと思うと、次の瞬間には A ではないと平気で言ったりする。矛盾を私が突くと逃げる。何かを隠している。蓋をしたままでいたいことがあるが、それを認められない。

 私からの質問を受けて不安が刺激されたら、「その質問をされると不安になります」と正直に反応を言える人は「素直な人」です。不安だから質問をかわして別の話題を話し出す人は「取り繕う人」です。

 「素直な人」であれば、「その不安は何でしょうね?」と探求を深められます。でも「取り繕う人」であれば、不安を認めないまま解決だけを求めようとするんです。

 その人の無意識に問題があるなら、それを明らかにすることで心の問題は解決に向かいます。けれど、「取り繕う人」は無意識を暴かれまいと防衛してしまいます。

 病巣を医師に見せなければ治療はできないのに、病巣を隠して「治してくれ」と言っているようなものです。これでは医師は困ってしまうでしょう。

 コミュニケーションが素直に成立しない場合、何か見たくないもの、触れたくないもの、感じたくないものがあって、そこから逃げる癖がついている。本当のことを認められないということは、偽りを語るということです。心にないことを言って自分を守る。だから、本当のことが見えないまま。そして、問題は解けない。

 問題とは真実と向き合うことで解けるものなので、真実に対して素直になろうという意志が必須条件なんです。

 真実をごまかして問題を解くことはできません。

 なので、「素直であること」の価値は計り知れないほど高いのです。
 

「世界を幸せにする広告展」〜 "Love Has No Labels"

 6月8日に NEWS ZERO で紹介された素敵な広告をご紹介します。

 これはアメリカで差別や偏見をなくすキャンペーンに使われた動画で、
世界三大広告祭の1つ ONE SHOW で金賞を受賞しています。 

 "Love Has No Labels" (「愛にレッテルは貼れない」)と題されたこの広告には、人種や性別、宗教、障害の有無などを超えて愛し合う人たちが登場します。面白いのは、全員がまずはレントゲン画像として登場するところです。あらゆる違いは表面的なもので、奥ではみんな同じというメッセージなんですね。

 Love Has No Gender 〜 愛に性別は関係ない

 Love Has No Disability 〜 愛に障害は関係ない

 Love Has No Age 〜 愛に年齢は関係ない

 Love Has No Race 〜 愛に人種は関係ない

 Love Has No Religion 〜 愛に宗教は関係ない

 再生回数は現時点で5700万回を超えています!

 BGM に使われている音楽は、Macklemore & Ryan Lewisの "Same Love" で、同性愛への偏見をなくしたいと制作され、2014年にグラミー賞を受賞しています。

 よかったらご覧ください。(長さは3分19秒です。)

 

今よりちょっとだけプラス思考

 私は世の中であまり理解されていない「シャドー・ワーク」、つまり潜在意識の闇にメスを入れていくような作業について書くことが多いのですが、それは顕在意識を前向きにするような教えがすでに社会に溢れているからです。

 ということで、顕在意識の考え方をどうプラスに持っていくかというようなトピックは少ししか扱ってきませんでした。けれども、それはプラス思考が重要でないからでは決してありません。実は心理ワークの極めて大切な部分なのです。 

 プラス思考だけだと無意識の闇に引きずられて解決しないことがある。なのでシャドー・ワークは必須。けれど、シャドー・ワークだけやってプラス思考をやらないというのは、これまた困ってしまうんです。潜在意識の浄化と並行して、顕在意識のプラス化もやっていくのはとても重要だと考えます。

 顕在意識をしっかり持てないというのは、自我がはっきりしていないということと同じです。こういう場合、潜在意識からマイナスエネルギーが浮上してきたとき、うまく対処できません。不安や自己嫌悪や恨みに乗っ取られて従ってしまうのです。

 なので、潜在意識からのマイナスエネルギーに耐え、それを受け入れつつ新たにプラスの心理を求めていくという強い意志をもって自分を癒しと自己実現に導いていけるには、やはり健全で強い顕在意識を持っていることは不可欠なのです。 

 より具体的に言いますと、落ち込んだときなどに、自分を受け入れたり励ましたりできるような「プラス思考」を自分で探して採用し、自分を少しでも楽にできることが結構重要だということになります。 

 ただ、「プラス思考」と一口に言っても、使い方を誤ると役に立ちません。ということで、「プラス思考」を上手に使うコツをお伝えしましょう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「暗い気分」を1つの具体的な文にする

 まず、落ち込んでいたり、怒っていたり、絶望していたり、傷ついていたりするようなとき、大雑把に感情を認識していることが多いのではないかと思います。

 何となく大雑把に「落ち込んでいる」とか「絶望している」としか認識していなければ、その気分を変えられるだけの効力を発揮できません。

 気分をシフトするために有効なのは、その大雑把な「暗い気分」を1つの具体的な文にして明確に把握することです。 

 自分の心の中で起こっている「語り」(内語)を、目に見える形にまずするわけです。

 たとえば、「落ち込んでいる」というときには、それをセリフにします。

 「私は何をやってもダメだ」「また叱られてしまった」など、心の中で実際に思っているままを言葉にして表すのです。このように、「落ち込み」を1つの具体的な文として形にします。 

X「落ち込んでいる」という大雑把な認識
◯「私は何をやってもダメだ」という具体的思考の認識

本気で思える範囲でちょっとだけプラスの思考を探す

 「私は何をやってもダメだ」と思っている状態では、強い自己否定(自己嫌悪)の感情が湧いてきます。自己否定(自己嫌悪)というのは波動が極めて低いので、やる気が起きないし、生きていて楽しくないはずです。

 こういうときに、「私は何でもできる素晴らしい人間だ」などと超プラス思考をもってきても信じられません。この思考は波動が極めて高く、今思っていることとはギャップが大きすぎるので、すぐにそこまで信じるのは困難です。 

 「私は何でもできる」と何度唱えても、心底信じていなければ、意識の表面を偽っているだけで、本当の解決にはなりません。自己嫌悪感が消えるわけではないのです。一瞬、自己嫌悪感が消えて、自分が好きという幻想をもって楽になる可能性はあるので、無意味ではありません。しかし、永続はしにくいでしょう。

 ここが大事なところです。

 無理やり、今よりもず〜っとプラスの高い波動の思考をもってきても、剥がれてしまう。なので、そんなことはやめておきましょう。

 もっと効果の高い方法は、今よりちょっとだけプラス向きの思考を見つけることです。

 たとえば、「私は何もできない」の代わりに、「私にはできないことが全くないわけじゃない」と思うと、先ほどよりはちょびっとプラスの方向に進んだのです。

 マイナス10がマイナス9ぐらいにはなります。マイナス10からいきなりプラス10の言葉を唱えるのではなく、マイナス9ぐらいを見つける。また、それは自分が無理なく本当に信じて採用できる思考でなくてはなりません

 マイナス9になったら、マイナス8は見つけやすい。こうやって、少しずつプラス化していくのです。マイナス度が減るほどに、心は少しずつ解放感を味わいます。楽になるんです。

 「私にはできないことが全くないわけじゃない」と本気で思えれば、「私は何もできない」という状態よりは、感情がちょっとだけ楽なはずです。

 ぎゅ〜っと固く閉じて痛くなった心が、ちょっとだけ緩んで、抵抗や緊張を少し手放して、息が少しだけしやすくなれば、もう大成功なんです。

 「私はダメな人間」と思っていた人が、「私はダメなところもある人間」と思い直しただけで、ものすご〜く楽になって涙が出てきた人を私は知っています。 

 「私は結婚できないかもしれない」と思って苦しいなら、「結婚できないと決まったわけではない」と思えればそれだけで数秒で感情は楽になります。またさらに、「結婚できたら嬉しいなあ」「結婚できるようにできることをやろう」という思考にフォーカスできれば、もっと希望が湧いてきます。

 私たち人間は、この瞬間にどのような思考に意識をフォーカスするかによって、それに伴って湧いてくる感情を選ぶことができます

 すごく落ち込んでいるときというのは、すごく落ち込むような思考を採用しています。無意識で自動的にそう考えてしまうのです。それを意識的に訓練をすることで、もっとプラスの思考によって感じ方をプラスに選び直せるようになります。

 いきなり超プラス思考にならなくてもいいので、大事なのは苦しいときに今よりもちょびっとだけ楽になる思考を探して、そこに意識をフォーカスしてみようということです。そしたら、一瞬で感情がプラスに転じますので、威力を実感していただければと思います。

 マインドをどう使うかによって、自分の感情を自分でガイドしていけると知るのは、とても頼もしい感じがします。私たちは感情の奴隷や犠牲者ではないのです。
 

心を束縛するものに気づく

 心を束縛するものに「〜ねばならない」「〜してはならない」があります。

 あなたは次の A と B のうち、どちらがしっくり来ますか?

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

A 私は頑張らなくてもいい
B 私は頑張らなくてはならない

A 私は人に好かれなくてもいい
B 私は人に好かれなくてはならない

A 私は人に愛されなくてもいい
B 私は人に愛されなくてはならない

A 私は人に理解されなくてもいい
B 私は人に理解されなくてはならない

A 私は人に尊敬されなくてもいい
B 私は人に尊敬されなくてはならない

A 私は人にバカにされてもいい
B 私は人にバカにされてはならない

A 私は人に認められなくてもいい
B 私は人に認められなくてはならない

A 私は人に評価されなくてもいい
B 私は人に評価されなくてはならない

A 私は不満になってもいい
B 私は不満になってはいけない

A 私は怒ってもいい
B 私は怒ってはいけない

A 私は幸せでなくてもいい
B 私は幸せでなくてはならない

A 私は結婚できなくてもいい
B 私は結婚できなくてはならない

A 私は人と仲良くできなくてもいい
B 私は人と仲良くできなければならない

A 私は人を満足させなくてもいい
B 私は人を満足させなくてはならない 

A 私は人に頼ってもいい
B 私は人に頼ってはならない

A 私は失敗してもいい
B 私は失敗してはならない

A 私は勝たなくてもいい
B 私は勝たなくてはならない

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

A がしっくり来る部分では、あなたの心は自由です。

B がしっくり来る部分では、あなたの心は束縛されています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

B の信念を吟味する

 B の信念の存在に気づいただけで、「これ、手放しちゃおう」と思えることがあります。もしそうならば、心の底から「これを手放します」と数回唱えるだけで、意識は変わります。ほんの数秒で完了です。

 B の信念が自分の中にあると気づいたけど、手放す気になれない場合、「なぜこの信念を持ち続けたいのか?」を探求します。

 手放せないとき、別の信念と繋がっていることがほとんどです。

 その信念を持っていることで、何か大事なものが満たされると信じている場合、もちろん手放したくはなりません。また、その信念を捨ててしまったら、大変なことになると恐怖している場合にも、手放したくはなりません。

 なので、このプラスの動機とマイナスの動機を特定して論駁すれば、手放してもいいという状態に到達します。そうしたら、心の中で「手放します」と唱えるだけで執着がやみ、心は自由になります。

「〜してもいい」「〜しなくていい」とはどういうことか?

 「頑張らなくてはならない」と信じてきた人にとって、「頑張らなくてもいい」という考えに違和感を感じるかもしれません。

 念のために言っておきますが、「頑張らなくてもいい」と思っている人は努力をすべてやめて怠惰な生活を送るわけではありません。喜びから何かを一生懸命やるということはあるのです。ただ、「やらねば」と自分に鞭打って強制してやっているわけではないだけなんです。

 「頑張らなくてはならない」と信じる人にとって「頑張らない選択肢」はない。なので、強迫的に頑張ってしまう。休めばいいときにも無理に頑張る。だから苦しくなります。

 「頑張らなくてはならない」という信念がない人は、頑張ったり休んだり、どちらに対してもニュートラルでいられるので楽なんです。そして、自分に合った努力をしていくので、頑張らなくなるのではありません。

 同様に、「結婚できなくてもいい」と信じてしまったら結婚できなくなるのではないかと恐怖する人がいることでしょう。しかし、「結婚できなくてもいい」という気持ちになるとは、強迫的に結婚にしがみつかなくなるだけであって、喜びから結婚する可能性は十分にあります。結婚できない可能性への恐怖心や拒絶感から解放されるだけなのです。

ロバート・キーガン「免疫マップ」

 人間は時に「変わりたい自分」と「変わることを拒む自分」との戦闘状態になる。変わればもっと幸福になれるのに、変わるのは危険だから回避したいと同時に思ってしまう。そう、私たちは次なる幸福を手にしようとするとき、その前進を自分で阻んでしまうのです。

 このメカニズムについては、記事「自己防衛が自分の首を絞める」でお話ししました。発達心理学者のロバート・キーガンが同じことを語ってくれているのを昨日発見しましたので、ご紹介します。キーガン博士の概念体系のほうが理解しやすい人もきっといるでしょう。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「免疫マップ」とは

 キーガン博士は、"Immunity to Change"(邦題:「なぜ人と組織は変われないのか」)という本を書いています。

 この中で、人間は変わろうとするとき、そこに「免疫」(Immunity)が働いて、変化しようとする衝動を抑え込んでしまうと説明しています。そう、我々人間にとって、「変化」とは現状調和を壊す「ウィールス」のような異物なんですね。だから、安全であるためには、変化への衝動を叩く。そういう「免疫システム」が心に働くというわけなんです。

 なので、変わりたいと思いつつ変われない。

 こんなとき、自分の「免疫システム」を解明すれば進みたい方向に変化していける、というお話です。 

「免疫マップ」の4本柱

1.改善目標
2.阻害行動
3.裏の目標
4.固定観念

 1番の改善目標とは、「今できていないけど、できるようになりたいこと」です。たとえば、恥ずかしくて異性に話しかけられない人なら、「異性に話しかけられること」が改善目標になります。イヤなことを断りたいけどついついイエスと言ってしまう人なら、「イヤなことにはノーと言えるようになる」が改善目標になります。

 2番の阻害行動とは、1番の実現を阻止するような行動を自分が取ってしまう場合、それが何なのかということです。「異性に話しかけたい」けど、異性の前では「黙ってしまう」とか「避けてしまう」などが阻害行動になります。「イヤなことは断りたい」けど、頼まれると「いいですよと言ってしまう」というのが阻害行動です。1番で望んでいる方向とは逆の行動をしてしまう。それが阻害行動です。

 さて、多くの人は1番を目指したいのに2番の行動をとってしまう自分を責めて自己嫌悪してしまったりします。無理やり1番の行動を自分に取らせようとしてもダメです。というのは、2番の行動をとるにはそれなりの理由があるからなのです。

 その2番の行動の背後にある動機が「裏の目標」です。「イヤなことにイエスと言う」のは、「相手に好かれたい」「見捨てられたくない」「衝突を避けたい」「居場所を確保したい」などの隠れた目標があるからです。それを明確にします。

 そして、4番の固定観念というのは、2番と3番のパターンを永続させるのに一役買っている「思い込み」を発見することなんです。

 たとえば、「イヤなことにイエスと言う」ことで「見捨てられたくない」という「免疫システム」を持っている人には、「相手の期待に応えなかったら必ず嫌われる」「嫌われたら私は耐えられない」「期待に応えなかったら私は悪い人間ということだ」というような「思い込み」があって心を縛っています。そして、その固定観念がある限り、このような守り方をせざるを得ない仕組みになっているのです。なので、「固定観念」を意識化して論駁すれば、「免疫システム」を崩すことはより簡単になります。 

「変わりたくない自分」のメカニズム全体を理解する

 「変わりたくない自分」を否定して、責めて、無理やり自分を変化に追いやるのはうまくいきません。ですから、「変わりたくない自分」の心理を理解することで、「変わっても大丈夫だ」と思えるところまで自分を導いてあげるんです。

 とっても優しいやり方ですね。^^/


関連記事

自己防衛が自分の首を絞める
プロテクターたちに辞職してもらう


推薦図書

ティール・スワン「摂食障害の原因は自分であることを許されなかったこと」

 ティール・スワンが摂食障害について深いことを語っていますので、ご紹介いたします。

In the childhood of people who have eating disorders, what we
see is parents who have no consideration for what you want and
need and anything else.  This can be very covert, by the way.  
Meaning that the child says something like, "No, I don't want to
wear that.  I want to wear something else," and the parent
bulldozes their desire.  They won't acknowledge how the child
feels, what the child wants, what they like and don't like, because
the child is treated like an extension of the parent.  
So the parent basically does not see the child as a separate entity.  Instead
they spend their time imposing their will on the child.

摂食障害をもつ人の幼少期を見ると、親がその子の欲していることや必要としていることなどを思いやってあげていません。極めて微妙なやり方のこともあります。たとえば、子供が「その服は着たくない。別の服がいい」と言ったとき、親はその気持ちを無視してその服を着せるといったようなことです。親は子供の気持ち、子供が欲していること、子供の好き嫌いを認めず、まるで親の一部であるかのように扱うのです。つまり、子供を別の人格として見ておらず、親の意志を子供に押しつけているわけです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

So let's play Mom or Dad.  Ready?  "I don't care whether you like
horses.  You're going to play piano."  "No, no, you like broccoli."  
"You're going, whether you like it or not."  It creates a condition
internally where the child is screaming.  But what they have
learned is that if they try to rebel against that control, it makes
matters worse.  So all of that emotional energy that's coming out as a result of being controled, is pushed back on you.  Now
there's something wrong for you because you're doing these
things and saying these things and having differences.  So if you
can feel into your body right now, this is the beginning of this
addiction.  When the body wants to exude emotion or get rid of
toxicity, and someone pushes it back on you,
you essentially
experienced on an emotional level the same thing as me
feeding you your own vomit
.

では親役を演じてみますね。いいですか?「(ピアノはきらい、馬が好きという子に)馬なんかどうでもいい。ピアノを弾くんだよ」「(ブロッコリを食べたくない子に)あなたはブロッコリが好きなのよ」「(どこかへ行きたくないという子に)つべこべ言わないで行くんだよ」。こう言われると子供は内心泣き叫んでいます。でも親の支配に反抗すれば状況は悪化するということを学んでいく。そうすると、支配されることによって感じる感情はすべて子供自身に戻されてしまう。親とは違うことを言う自分が悪いということになってしまう。体の中を感じれば分かるでしょうが、これがアディクションの始まりです。体が感情を表現しようとする、あるいは毒気を排出しようとしたときに、誰かがそれをあなたに突き返すということは、感情レベルにおいては自分自身のゲロを食べさせられるのと同等の体験をしていることなのです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

So the first feeling you have is you need to purify yourself.  So
puking is a good way to accomplish that.  And then it becomes
about the fact that that's the only aspect of your life that you get
to control.  So because you are around such a controling
environment, you don't get to have those needs met any other
way.  So rehabilitation, it's about being able to openly express
your wants, and your needs, and your likes and your dislikes, and having people around you who are going to allow that.  That's the hardest part for people with that condition.  So I'm going to
challenge you.  The people in your life who are close to you, what I want you to do is involve them in this healing process.  What
you are going to say to them is "I have an impossible time trying to figure out what I want and an even harder time expressing it.  So I need to figure out my boundaries.  And I need your help to
do that."


なので、まず第一に自分を浄化したいという衝動があります。嘔吐するのはその目的に叶っていますね。また、それは自分が支配できる唯一のことなのです。極めて支配的な環境に身を置いているので、他に自分らしくいるための欲求を満たす方法がありません。ですから、リハビリのためには、自分が欲していることや必要としていること、そして好き嫌いをオープンに表現できるようになること、そしてそれを許してくれる人が周囲にいることが必要です。これが摂食障害の人にとっても最も困難な部分です。果敢に挑戦してください。周囲の親しい人に癒しのプロセスに関わってもらうのです。彼らにこう言ってください。「私は自分が欲していることをはっきりさせるのがとても苦手だ。そして、それを表現することはさらに難しい。だから、私は自分というものをはっきりさせることを学ばなくてはならない。それにはあなたの助けが必要なのだ」と。


 あなたがあなたでいることを喜んでくれる人はこの世に必ずいます。そういう人たちを見つけて付き合いましょう。

 ゆっくりとあせらず、自分らしさを発見していってください。ね。

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