菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2016年07月

相手のことを背負わないから優しくなれる

 多くの人は勘違いをしています。相手のことを背負ってあげるのが親切であり思いやりだと思っている。相手のことについて自分が責任を感じて尽してあげるのが優しさだと思っている。

 しかし、相手のことを背負おうとすると愚痴が出たり相手を支配したくなってしまう。思うように変わらない相手にイライラして、「これだけやってあげたんだから変われよ」と言いたい気分になったりする。

 なので、相手のことは相手の責任だと心の中でしっかり線を引いた上で、できることはしてあげよう、できないことはする義務はないと明確な境界線を守るほうが、すっきりした気持ちで相手に貢献できる。そして、相手を背負わないからこそ、相手の問題にあっぷあっぷすることもない。なので、相手のことを背負おうとしているときよりも、遥かに相手に優しくなれるのです。

 たとえば考えてみてください。私が先生であなたが生徒だとしましょう。私は一生懸命あなたを教えて、特定の結果を出したいと思っている。あなたが成績を上げてくれると私は嬉しい。それは私の教師としての評価が上がるからでもあり、私がやり甲斐を感じられるからでもある。

 すると、私はあなたが勉強するかしないか、宿題をちゃんとやってくるかこないかが気になってくる。なぜなら、あなたのパフォーマンスが私の評価になるからなのです。

 このように先生の評価を上げるために、生徒であるあなたを一生懸命教えようとした場合、あなたは重たい気持ちになることでしょう。自分への思いやりから教えてもらっているのではない。先生が自分の栄光を感じたいから教えていることが伝わってきます。

 それに対して、もし私が生徒であるあなたが学ぶか学ばないかはあなたの責任であると明確に意識している先生だったらどうでしょう。私はあなたが勉強したい、学びたいという自然な気持ちがある程度に応じて、あなたの自己実現をサポートしたいという気持ちで教える。宿題をしなくても、自分の評価が下がるなどとは心配しない。「宿題をしたくないのかな」と優しく受け止めている。生徒が成長するために必要だと思えば、「もう少し君なら頑張れるんじゃないか」と励ましたりするかもしれない。けれど、やるかやらないかは先生にもコントロールなどできないと弁えている。そして、生徒の意志を尊重する。学びたい気持ちに素直に沿っているときには、思い切り寄り添ってサポートする。そしたら、あなたは嬉しくないでしょうか。

 先生は、自分のために生徒を勉強させようとするのではなく、生徒の幸せをまず願っていれば、生徒をコントロールしようとなどはしません。生徒の成長課題は先生が背負えないと分かっている。生徒の人生を代わりに生きてやることなどできないと分かっている。生徒が必要とすればその支援を喜んでするけれど、先生の考えで生徒の人生を支配したりはしない。そうすると、生徒が望んだだけ喜んで教え導いてあげられます。思い通りにならない生徒への憤りはないから、支配しようとなどしていないから、生徒の問題を勝手に背負ってなどいないから、気持ちに余裕がある。なので、生徒に優しくあれるんです。 

 同じように、子供が結婚するかしないかを親が背負わないほうが、親は子供に優しくあれる。子供がフリーターをしようがやめようが、支配しない親のほうが子供に優しくあれる。

 相手の問題を背負うのは親切ではない。過干渉であり、干渉することで自分が吸いたい蜜があるのです。自己満足のために背負うのです。なので、相手が唯一無二の個性であることを尊重できない。放っておけない。放っておけないとは、相手に本当に優しくあることができないということです。自分の思うようにコントロールしなければ気が済まない関係になってしまいます。

相手に優しくあるには
相手の問題を背負わないこと

相手の問題を背負わないとは
相手を信頼し尊重すること
自分の延長などと思う傲慢さを離れること

自分には見えていないものが必ずあることを知る

 人間のマインドには基本的に無知があります。

 私たちは全てのことを理解することができません。相手について全てを知ったり理解することはできないのです。つまり、理解できないこと、見えていないことが常にある。それを知ることが智慧の始まりです。

 スーパーのレジで従業員がブスッとした顔をして対応してきた。「何だよ」と腹が立つかもしれない。でも、この従業員の妻は末期ガンの宣告を昨日受けたばかり。彼の上司はキツい人で、彼の仕事を今日も強く批判してきた。彼の心は疲弊しきっている。

 もし、この事実を知ったなら、あなたはこの人に怒りを向ける気にはならないのではないでしょうか。

 彼に悲しみや慈しみさえ感じるかもしれない。

 このように、すべての状況において、私たちは相手のすべてを見えているわけではない。自分が見えている範囲で、自分の感情は反応する。

 なので、感情反応を絶対化しないことが大事です。かといって、自分の感情を無視してないがしろにしろというのではもちろんありません。自分の感情は自分がきちんとケアしてあげる必要はある。自分の心の平安は自分で保つんです。

 そして、必要に応じて相手とコミュニケーションをとります。そのときに、こちらが全てを分かったつもりで話さないことが大事です。必ず相手の中の何がしかのことには自分は無知であることを前提として、相手の話を聞くというオープンさがないと、人間関係はうまくいかない。

 また、相手も自分のことを分からなくて当然だというところから出発する。自分のことは見えない。だから、伝えたいことは伝える努力をこちらがするのです。話さなくても分かってくれて当然などと思うのは傲慢だし不条理です。

 お互いに見えないことだらけなのだと知って人間付き合いをする。それが人間として生きる仲間への慈しみなのだと思います。

自分には見えていないものが常にある
相手にも見えていないものが常にある
そう思えると心は優しい

子供が自己中心的だというのは本当か

 発達心理学によると、子供から大人になるにつれて、自己中心性を少しずつ脱却して、相手を含めた複数の視点から物を捉えることができるようになる。幼い子供は自分の視点からしか物が見えず、相手も自分と同じ物を見ていると思ってしまう。

 これは確かにそうなのです。

 しかし、これは認知能力の発達についての話であって、心情的に子供が「自分さえよければいい」と思っているのではないと私は考えています。

 幼い子供であっても、他の人間の苦しみに慈愛を感じたり、相手の喜びを喜んだりする共感能力というものがあるのではないか。心情的には人間は根本的に決して一方的な存在ではないのではないかと私は考えています。 

 私は発達心理学の視点や手法が、極めて男性性に偏ったものであり、それが故にマインド面、認知面に焦点が当てられてきた。それは最も形に現れやすいからであり、捉えやすいからです。

 そして、認知面では確かに複雑な視点を持ちにくいのが幼児です。しかし、幼い子供であっても、相手が苦しんでいたり悲しんでいたりするのが認知できる範囲では、深い慈愛を示すことは決して珍しくありません。ですから、認知力が限られているからといって、愛する能力、共感する能力においても自己中心的であると結論づけるのは間違っていると私は考えるのです。

 子供は大人の事情を理解できない。なので、なぜおもちゃを買ってもらえないのか。なぜ両親が離婚しなくてはならないのかを理解できないかもしれません。なので、自分の苦しみを訴えることしかできない。けれど、それは両親の気持ちや利益はどうでもいいと心で思っているからではなく、あくまで事情を理解できるだけの認知力が育っていないからだと思うのです。

 大人のニーズや事情を、その子が認識できるように話してあげることがもしできたなら、その子は両親に対しても「幸せであってほしい」「苦しまないでほしい」という感情が自然に湧いてくるのではないでしょうか。

 人間の発達をマインドの発達とイコールにして見てしまうのは、極めて物質的人間観であり、男性性過多の人間観であると私は思います。

 ハートや感情という、知性よりも曖昧で捉えづらいもの、そして男性にとってより苦手であるものにおいて、人間というものの発達は別の側面をもっているのではないか、と私は強く思います。

 もっと我々が、幼い子供たちに、彼らの認知能力に沿った説明をしてあげ、彼らを自己中心的存在として扱うのではなく、彼らのレベルに即して共感してあげれば、私は彼らに自然に備わった共感的愛というものがもっと自然に発揮されていくものと思います。

 大人になって自己中心的である人というのは、共感的愛によって、彼らに備わった情的能力を育まれなかった人ではないか。共感的愛が豊かに注がれていたならば、自然と相手へも自分へも愛を注げるような存在に育っていくのが人間ではないか、そう思います。 

 男性的でマインド中心の人は、幼い子供に対して「コミュニケーションがまだできない」というような見方をします。しかし、女性的でハート中心の人なら、幼い子供と「コミュニケーションはもちろんとれる」という感覚をもっています。

 フィーリングを中心として人間との繋がりを感じているタイプの人間は、マインドでどう捉えるという認知面を中心に人間を見ていません。奥で言葉にならない心、感じているもの、欲しているものなどを感じようとして相手と関わっています。こういう人は、動物ともコミュニケーションできることを当然のことと感じています。

 私は女性性をたくさんもったフィーリングベースの人間で、後者の部類に入ります。赤ちゃんとコミュニケーションがとれないなどと思ったことはありません。

 こういうタイプの人は、幼い子供の心にもたっぷりと愛が流れていることを体験として知っています。子供は自己中心的だなどという結論をマインドで出すことはためらわれます。

 学問はしばしば男性性に偏っているので困ります。(笑)まあ、長らく男性が牛耳ってきたのですから無理はありませんが、もう少し人間の理解には女性性の智慧を統合していかないといけないと思います。


自分の目の鱗は見えにくいもの

 バイロン・ケイティは、『「夫がワークをすべきだ」「娘がワークをすべきだ」と思ったら、あなたがワークをしなさい』と言っています。

 私は同じように、『「夫にカウンセリングを受けてもらいたい」「娘にカウンセリングを受けてもらいたい」と思ったら、あなたがカウンセリングを受けてください』と言います。

 私たちはしばしば周囲の人間が問題であり、彼らが彼ら自身の問題を解いてくれさえすれば自分は安らかなのだ、と思い込んでしまう。決して自分が問題なのだとは思わない。

 相手の目の鱗を取ろう取ろうとして、自分の目の鱗が見えていないのです。

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 今日ご紹介する動画では、アメリカ人スピリチュアル・ティーチャーのガンガジが、犠牲者的精神に縛られて苦しむクライアントの惨状を嘆く女性と対話し、この女性自身が犠牲者的精神に縛られて苦しんでいることを教え諭しています。そして、ガンガジの導きによって女性が自由になっていく様子が伺える貴重な資料です。

 動画の後に、英文と和訳を載せてあります。 

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被害者意識の強いクライアントにイライラする(0'00"~1'37")

Woman:  Most of my clients, they are in victim role and they are
very self-destructive.

Gangaji:  (To the audience) Is that familiar?  (The audience laughs.)
Just take a moment.  That is a mental health problem, isn't it?

W:  Yeah.  And that makes me sad.

G:  Yes.

W:  If I see people destroy their opportunities, it makes me sad.

G:  So you become victimized by their victim story.  (The audience
laughs.)

W:  That's correct.

G:  (laughs)

W:  I want them to do good for themselves!

G:  Yes!  You want them so they'll stop bothering you with their
victim story.  (laughs)  I know what you mean.  "I wish you'd wake
up so I could take a walk!"  (laughs)

W:  I want them to be happy!

G:  Yes!  "Be happy, damn it!"  (The audience laughs.)  "You're
bringing me down again!"  (laughs and takes the woman by the
hand)  I can relate to your story.  I can relate to it.  It's an edge,
isn't it?  It's an edge to work with people who are suffering greatly.

W:  They want to suffer!  It's like, they hold on to it!  I don't get it.

女性:私のクライアントの大部分が犠牲者になり切っていて自己破壊的なんです。

ガンガジ:(聴衆に向かって)皆さんもそういう人知っているわよね? (聴衆が笑う) 少し立ち止まりましょう。これはメンタルヘルスの問題ですよね?

女性:ええ。見ていると残念な気持ちになるんです。

ガンガジ:はい。

女性:自分のチャンスを潰している人たちを見ると、悲しくなります。

ガンガジ:彼らの「被害者ストーリー」を聞いて、あなたがその「被害者」になるのね? (聴衆が笑う)

女性:その通りです。

ガンガジ:(笑)

女性:私は彼らにうまく生きていって欲しいだけです!

ガンガジ:そうよね! 幸福になってくれれば「被害者ストーリー」でイライラさせられることもなくなるものね。(笑)よく分かるわ。「あなたが悟ってくれさえすれば、私は散歩を楽しめるのに!」という気持ちね。(笑)

女性:私は彼らに幸せになって欲しいだけよ!

ガンガジ:そう! 「おい、さっさと幸せになれよ、こんちくしょう!」(聴衆が笑う)「またあんたらのせいで私の気持ちが暗くなっちゃうよ!」(笑って女性の手を握る)あなたのストーリーはよく分かるわ。自分のことのようにね。イライラするのよね? 深く苦しんでいる人たちと取り組むとイライラしてくるのね?

女性:彼らは苦しみたいのよ! 苦しむことにしがみついていて止めないの! 理解できないわ。

 この女性はまだ自分に問題があると思っていません。苦しむことを選んでいるように見えるクライアントに残念な気持ちがすることを正当化し続け、ガンガジの言おうとしていることがピンと来ていません。

クライアントのことで自分が苦しくなる本当の理由を探る(1'37"~5'50")

G:  They want to suffer, and you don't want to suffer, and yet...  So 
how is it you are suffering?

W:  Why do they do that to themselves?

G:  I'm pointing to how they do it.

W:  Why do they do that?

G:  Exactly the same reason you do it to yourself.

W:  I mean, I'm usually trying to be happy.

G:  But right now.  Oh, same thing, they are trying to be happy.  
They are trying to be happy, very desperately.  So how is it, 
though...I'm quite serious in this...How is it their suffering makes
you unhappy?  What is it you have to do with their suffering to
make 
yourself unhappy with it?

W:  Hmm.  Well, it's their suffering, I suppose.

G:  That's true.  That's fine.  But there is something that happens 
that makes it your suffering.  And I just want to know what that is.  
Because then you will have a real clue as to what their dynamic...
that they try to be happy and can't be happy, how that operates.

W:  Maybe letting go of the sense to be responsible for their 
happiness.

G:  No, no, now you're looking for a solution.  I'm asking you to look and see what is the mechanism, what is the mechanism in your 
thought process, what is the moment where their suffering makes you unhappy.  I'm not saying it's a bad thing.  I don't think it is a
bad 
thing.  So I'm not saying it's something you should correct.  I
think 
it's actually quite useful.  Then you get to experience
unhappiness 
and that actually...your heart can break even wider.  
So I'm not 
saying, "Correct this."  But your question to me was,
"Why is it they do this?  How is it they do this?"  And the answer to that is found in how and why you do this.

W:  Hmm.  OK.  (laughs)

ガンガジ:彼らは苦しみたがっていて、あなたは苦しみたくはない。でも・・・ではどのようにしてあなたが苦しくなってしまうのかしら?

女性:彼らはなぜ自分たちを苦しめてしまうの?

ガンガジ:彼らがどのように苦しむことになるのか私は今指し示そうとしています。

女性:まったく、なんであんなことをしてしまうのかしら?

ガンガジ:あなたが苦しくなる理由と全く同じよ。

女性:私はたいていはハッピーであろうとしているわ。

ガンガジ:でも今この瞬間はどう? あ、彼らだってハッピーであろうとしているわ。それも必死にね。では、どのようにして・・・これは真面目な質問よ・・・彼らの苦しみがどうやってあなたの不満に姿を変えるのかしら? 彼らの苦しみとあなたの間にどのような関係があって、あなたの不満となっているのかしら?

女性:ええっと、彼らが苦しんでいるからだと思います。

ガンガジ:それはその通りね。それはそれでいいの。でも、何かが起こって、それがあなたの苦しみになってしまっているのよ。私はただそれが何なのかを知りたいと思っているの。それが分かると、彼らが幸せになりたいと思っているのに幸せになれないメカニズムを解明する手がかりになるわ。

女性:彼らの幸福への責任感を手放せばいいということかもしれません。

ガンガジ:いえいえ、今あなたはどうやってこの問題を解決したらいいかを考えているのね。私が尋ねているのは、彼らの苦しみがあなたの不満になるメカニズムがどうなっているかということなの。あなたの思考プロセスで何が起こっているのか。どの瞬間に彼らの苦しみがあなたの不満になるのかということ。あなたのやっていることが悪い事だと言っているのではないの。悪い事だとは思わないわ。これを治しなさいと言っているわけではないの。とても有益なことだとさえ思うわ。自分の不満を体験することで、ハートはもっと大きく開くことになるから。だから、「これを矯正しなさい」と言っているのではないの。でもあなたの質問は「なぜ彼らはこんなことをするのだろう? どうやったらこんなことになるのだろう?」だったでしょう? そして、その答えは、なぜあなたが苦しむのか、どのようにあなたが苦しんでいるのか、ということの中にあるんです。

女性:ああ。OK。(笑)

 この女性はようやくクライアントの苦しみについて自分自身が苦しんでしまっていることを認め、さらに深い探究のプロセスに入る用意ができました。


G:  So are you aware of some story that you tell yourself about...?
Take a particular client in your mind that after you have been with, 
you're sad because they won't get off it or they won't stop 
suffering.  What do you tell yourself?

W:  Well, I tell myself, "This is an intelligent person.  And this is a...
tries to be spiritual.  Reads literature.  So they ought to know their God and live as if they were."

G:  That's right.

W:  "And why...how come they can't translate what they know into 
their actions?"

G:  And so now we're speaking of the paradox.  This has brought 
exactly the point of our meeting today.

W:  Uh-huh.

G:  This is an intelligent being who's had experiences of God, 
spiritual experiences, and yet they still continue to be unhappy, to 
suffer.  They can see what they do.  They can see the 
consequences of what they do.  So we're not speaking of
someone who can't see that.

W:  No, I'm talking about intelligent people.

G:  Yes, good.  I'm happy you are because that's where the
paradox is.

W:  Yes.

G:  So if you don't fix this paradox in yourself or in them, just for a moment...I love that your work is to fix it, but just for this moment, 
you don't fix it with philosophy, and you don't fix it with religion.  
You don't fix it with what they should be doing.  You don't fix it with what they are doing.  You just meet the paradox.  Here is
intelligence and gross ignorance.  Because you're speaking of
ignorance.

W:  Yeah.

G:  How is it that the two coexist?

W:  Yeah.  I don't know.

G:  That's the beginning.

ガンガジ:自分に言い聞かせているストーリーは何かあるかしら? 誰か特定のクライアントを思ってみて。その人は自分の習慣を止めることができない、そして苦しむのをやめないの。そして、あなたはその人と一緒にいたら、その後で悲しくなるの。あなたは自分に何と語っているかしら?

女性: 「この人は知性豊かな賢い人。精神的であろうとしている。そういう本も読んでいる。だからもう神様のことは理解しているはずだし、そのように生きるべきなのに。」

ガンガジ:そうね。

女性:「なぜ頭で理解できていることを、行動に移せないのかしら?」

ガンガジ:今私たちはパラドックス(矛盾)について話しています。これが私たちが今日出会った意味です。

女性:ええ。

ガンガジ:この人は賢くて頭のいい人。神様を経験している。スピリチュアルな経験をしたことがある。なのにまだ不幸せでい続けている。苦しみ続けている。自分のやっていることはちゃんと見えている。自分の行動の結果だって理解できる。そういうことが理解できない人の話をしているのではない。

女性:頭のいい賢い人なのよ。

ガンガジ:ええ、分かったわ。賢い人が例でよかった。なぜなら、そこにこそパラドックス(矛盾)があるのだから。

女性:はい。

ガンガジ:では、このパラドックスのありかがあなたの中であれ彼らの中であれ、解決しようとするのを一瞬止めて・・・解決したいという気持ちはいいのよ・・・でもこの一瞬だけ解決しようとしない。哲学で解決しようとしない。宗教で解決しようとしない。彼らはこうすべきだとかああすべきだとか言って解決しようとしない。彼らの行動を描写することで解決しようとしない。その代わり、このパラドックスとまっすぐ出会うの。ここには知性と無知の両方があるわね。そう、あなたが話をしているのは、無知についてです。

女性:はい。

ガンガジ:知性と無知の2つがどうやって共存しているのか?

女性:ええ。分からないわ。

ガンガジ:それがスタート地点です。 

 「賢い人が苦しむべきではない」と結論づけるのではなく、「なぜ賢い人が苦しむのか分からない」と素直に自分の無知を認めました。

 あらゆる探究は「分からない」「知らない」ことを認めるところから出発です。

 次にガンガジは、この女性をもっと深くに横たわる感情へと導きます。

無意識にある感情を直接体験する(5'50"~11'58")

G:  And in that saying "I don't know," is there an energy that you
feel, or en emotion?

W:  Yeah.  (embarrassed) I don't want to say sadness.

G:  But there is.  There is sadness there.  I can see it.  Yes.  There
is nothing wrong with that.  What's wrong with sadness?  You see,
in our simplistic view of spirituality, we keep sadness out.  But what if you invite the sadness that is there, in closer?  What if you meet
the sadness with your full being, with your full intelligence?  Not
with spiritual or psychological or philosophical shields, but just
directly?

W:  I get like a slide downward.  A slide.

G:  So let's go down.  We'll go together.

W:  Oh, OK.  (laughs)

G:  It's a drop in even deeper than sadness.

W:  Ah, I don't want to.

G:  I know.  I understand that.  But just for the purposes of
investigation, for discovering a why and a how that has not been
discovered, let's go together where you don't want to go.

W:  (goes inward)

G:  What are you experiencing?

W:  Like...like hopelessness.

G:  Yes.  That's right.  Deeper even than sadness.  So let us go into hopelessness, just as you went into sadness.  Not keeping it out
because it's not spiritual, it's not intelligent, it's not psychologically
hip.  But just to meet it.  Not indulging it with some story, but
meeting it with your intelligence.

W:  It feels like dissolving of everything.  Everything is dissolving.  
It is no more form.

G:  Yes.  Let it go.  Just for our purposes, let it all go.  In this
experience of dissolution, it's different from a theory of
dissolution.  In the direct experience.

W:  Actually, for me that's OK.

G:  It feels all right, doesn't it?

W:  For me, it does.

G:  For everyone.

W:  (laughs)  It's like...who cares, really?  (The audience laughs.)

G:  Really, but not a casual "Who cares?" but it's a beautiful
experience.

W:  Yeah!  Absolutely!

G:  It's an experience of joy.

W:  Yeah.  Yeah.  It's the opposite of control.

G:  Yes.  (laughs)

W:  (laughs)

G:  So clearly you have experienced that in other realms...

W:  Yeah.

G:  ...but in this realm of, like, being with your clients, or being with
aspects of yourself, without the shield of either substance or
practice or mantra or amulet or ritual, without the shield of that...
and there's nothing wrong with any of that...it all has its place, it's
all beautiful, it all serves...but in a moment of just nakedly meeting what hasn't been met, then there's another opportunity for
dissolution.

W:  Yeah.  It's not bad.

G:  At the very least, it's not bad.  And in the beginning of not
wanting to go there, there's a sense of "It's bad."  Yes, that's right.  That's right.  "I don't want to go there."  That's right.  So we go
together.  In a moment while you resisted even without knowing it
or resisted in others, as you were speaking, in your clients their
suffering, their sadness.  If there's resistance to it, it doesn't
matter if it's in them or if it's in you.  It's really all the same.  
There's a possibility to meet it in a deeper, conscious, naked way
that has nothing as the cause of dissolution other than the
meeting.

ガンガジ:「分からない」と言うとき、何かエネルギーとか感情を感じるかしら?

女性:ええ。(恥ずかしそうに)「悲しみ」とは言いたくないけど・・・

ガンガジ:けれど悲しみがあるわよね。見えるわ。悲しみは悪いものではないわ。悲しみの何がダメなの? 私たちは精神的であるということを単純に考えて、「悲しみ」を感じちゃダメだと思い込むの。でも、そこに確かに存在する悲しみにもっと近づいたらどうなるかしら? 全身全霊で悲しみと対峙したらどうなるかしら? すべての知性とともに出会ったとしたら? スピリチュアルな、心理的な、あるいは哲学的な盾を使って遮らないで、直接出会ったらどうなるかしら?

女性:何か下の方にすべり台のように落ちていくわ。

ガンガジ:降りて行ってみましょう。私も一緒にいくわ。

 女性:あ、はい。(笑)

ガンガジ:悲しみのさらに奥に行ってみましょう。

女性:行きたくありません。

ガンガジ: そうね、分かるわ。でも、探究のために、まだ発見されていない WHY(原因)と HOW(メカニズム)を発見するために、「行きたくない」と感じる「そこ」に一緒に行ってみましょうよ。

女性:(内側に深く入っていく)

ガンガジ:何を体験していますか?

女性:絶望感のような感じ。

ガンガジ:そうですね。悲しみのさらに奥ね。では先ほど悲しみの中に入っていったように、絶望感の中に入っていきましょう。絶望感はスピリチュアルじゃないからとか、賢くないからとか、心理的にクールじゃないからと言って閉め出さないで、ただただ出会うの。ストーリーで誇張するでもなく、自分の知性とともに出会うのです。

女性:何もかも溶解していくように感じます。すべてが溶解していっています。形がありません。

ガンガジ:手放してください。この目的のためには、すべてを手放してください。この溶解の体験は、理論的に分かるのとは違います。直接体験をしているんです。

女性:私、大丈夫だわ。

ガンガジ:悪い感じはしないでしょう?

女性:私は大丈夫です。

ガンガジ:誰が経験しても同じようになります。

女性:(笑)もう、どうでもいいって感じ。(聴衆が笑う)

ガンガジ:でも、軽い「どうでもいい」じゃなくて、美しい体験よね。

女性:はい、もちろん!

ガンガジ:これは歓喜の体験です。

女性:ええ、ええ。相手をコントロールしようとすることの正反対ね。

ガンガジ:そう。(笑)

女性:(笑)

ガンガジ:明らかに、あなたはこの歓喜を他の次元では経験したことがあると思うけれど。

女性:はい。

ガンガジ:でも、クライアントと一緒にいるような場合、あるいは自分のパーソナリティーの様々な側面とともいるような場合、物や修練法やマントラや腕輪や儀式などの盾を使わずに・・・もちろんこれらのものには何も問題はないし、時と場合によって役に立つ美しいものよ・・・でも、まだ出会っていないものにただ裸で出会う中に、またもう1つ溶解する体験があるのです。

女性:ええ。悪くないわ。

ガンガジ:控え目に言ったとしても悪くないわね。初めは行きたくない気持ちがあった。何か「悪いもの」のように感じた。そうよね。「行きたくない」。その通りよ。そして一緒に進んだ。知らないうちに抵抗していたり、他人の中にあるものを抵抗していたりする。あなたが話していたように、クライアントの中にある苦しみや悲しみに抵抗を感じる。抵抗があるとき、それが自分の中にあるものに対してであろうが、他人の中にあるものに対してであろうが同じこと。そういうとき、もっと深く、もっと意識的に、もっと裸で出会う方法がある。そして、この出会うということだけで、溶解が起こるんです。

 この女性は、自分の奥にあった「悲しみ」と「絶望感」に出会い、それらを直接体験したことで、そこを突き抜けて、さらに奥にある歓喜へと到達しました。

 出会っていなかった自身の「悲しみ」と「絶望感」に出会うことで、それらから解放されたのです。

 クライアントに対するイライラの原因は、自分の中に刺激されていた「悲しみ」と「絶望感」でした。そして、クライアントを変えようとすることによってではなく、無意識の感情を直接体験することで、自らの苦悩を根絶したのです。
 

なぜ相手にここまで振り回されるのかを考える

 多くの相談者の話には「困った人」が登場します。それは夫であったり娘であったり上司であったりします。

 そして、話を聞いてみると、確かに「困った人」の行動には問題があることが多い。

 「困った人」は自己中心的であったり、暴力的であったり、共感能力が低かったり、非協力的であったりする。

 しかし、相談者が「困った人」を何とか変えようとしている間、問題は解けないことが多いのです。

 ここで「課題の分離」というものをしっかりする必要があります。 

 相手と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけです。

 つまり、この「困った人」と接している自分がなぜ「困らされなくてはならないのか」を追求しなくては問題は解けません。

 「なぜ自分はこの相手に振り回されるのか」をしっかりと考えることです。 そして、それが自分自身の課題を解くことに繋がります。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 たとえば、世の中には人を騙して甘い汁を吸う人がいます。振り込め詐欺とか、金を借りて返さない人がいる。相手を搾取しようとして近づいてくる人というものが存在します。

 だからと言って、皆が皆そういう人間に悩まされている訳ではありません。

 騙す人に振り回されずに生きている人は、世の中にそういう人がいることをまず知っている。そして、そういう人を見抜ける。そして、関わらないし相手にしない。あるいは、搾取されないように自分を守って返答することを弁えている。だから、問題にはなりません。

 つまり、騙す人に悩まされる人というのは、騙す人との関係を誤っている。騙す人に振り回されるだけの要因が自分にあることに気づかなくては、問題は解けないのです。それを「騙す人が悪い」という論理で話を続けてもしょうがない。騙す人が正直で全うな人にならないと自分の心が平安ではないと文句を言ってもしょうがないのです。

 騙す人が人生の課題を学ぶか学ばないかは相談者の関わることではない。それは相談者の学びではないのです。騙す本人の課題なのです。

 しかし、騙す人に振り回される相談者には、自分自身の成長のために解くべき問題がある。そちらに目を向けなくてはなりません。 

 「なぜ自分は騙す人のカモになってしまうのか」を発見しなくてはなりません。「どうすればカモにならなくて済むのか」を見つけなくてはなりません。それが成長課題です。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 自分を振り回す相手が「騙す人」である場合を例にとって説明をしました。

 実際には、「困った人」は「自分を理解してくれない人」「自分を認めてくれない人」「自分の心と繋がってくれない人」「自分を差別する人」「自分をバカにする人」「自分をいじめる人」など様々な形をとります。

 自分が振り回される相手にはパターンがないか、よくよく考えてみる。

 なぜそのような相手に振り回されるのか、自分の中の要因を探してみるのです。

 「困った人」とは、別の言い方をすれば、「自分が折り合いをつけられない相手」です。「多大に影響を受けてしまう相手」と言ってもいい。

 たとえば、「自分を認めてくれない人」に多大な影響を受けてしまうという場合、「なぜ私は相手に認められる認められないということに動揺してしまうのか」と考えてみる。 

 そうすると、自分自身が自分の価値を信じられず、相手から承認されたい、評価されたいという大きな要求を抱えている実態が見えてきます。これが変わらなければ、相手に対する「認めてくれ」という強迫的要求は止まないので、「認めてくれない相手」に大きく動揺し続けます。問題は解決されません。

 こういう場合、親に認められなかった心の傷を癒し、自分で自分を肯定できる方向に成長することで、問題は解けていきます。それが自分自身の課題に向き合うことです。

 自分が振り回されてしまう相手というのは、自分の傷のありかを、そして自分が自分自身に対してできるようになっていないこと(自分を認めるとか守るというようなこと)を示してくれています。

 なので、「相手の悪さ」に意識の焦点が当たっているうちは解けない。その相手が示してくれている自分の課題を認めなくては前進しません。

 自分が今振り回されている問題というのは、それを乗り越えた人にとってはもはや問題ではありません。その同じ人間に振り回されない人は世の中にたくさんいることに気づきましょう。同じ人間に困らされていない人は、何を知っているのか、何ができているのか。それを探究するのです。そして、自分も彼らのようになろうと決める。

 それが心理的に自由になる道です。相手のせいにしている間、人は自由になれません。その相手に束縛され続けます。 

 多くの場合、「困った人」に密かに求めているものがあります。要求しているものがあります。その相手に「欲しい欲しい」と求めているものがある。だから多大な影響を受けるのです。それが何なのか、突き止めてください。

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 私たちは自分の価値を肯定できない相手に肯定されようとして苦しむ。肯定できる能力のある人に求めるのではなく、肯定できない相手に肯定されようとしてしまう。

 自分を肯定できない人は、自分を肯定してくれない人に惹かれていく。そして、自分を肯定できるはずのない人に肯定を求める。自分を肯定できない人に一生懸命働きかけて肯定してもらおうとする。しかし、変わらなくてはならないのは、自分が自分を否定していることです。

 自分が自分を肯定できるようになれば、自分を肯定できない人は脅威とはならない。そして、自分を肯定してくれる人が世の中にたくさんいることを実感することさえできる。

 なのに、なぜ自分を否定する人ばかり目立つのか。それは自分が自分を否定しているからに他なりません。

 なので、働きかけるべきは決して否定してくる相手ではない。その相手を見て、自分の自己否定に気づき、それを解くのが王道です。

 私たちは自分を守ってくれない人に守られようとして苦しむ。守ってくれる能力のある人に求めるのではなく、守ることなどできない相手に守られようとしてしまう。

 自分を守れない人は、自分を守ってくれない人に惹かれていく。そして、守ることのできない相手に一生懸命働きかけて守ってもらおうとする。しかし、変わらなくてはならないのは、自分が自分を守っていないことです。

 自分が自分を守れるようになれば、自分を守ってくれない人は脅威とはならない。そして、自分を大事に守ってくれる人が世の中にたくさんいることを実感することさえできる。

 なのに、なぜ自分を危険にさらす人ばかり目立つのか。それは自分が自分をないがしろにしているからに他なりません。

 なので、働きかけるべきは決して守ってくれない相手ではない。その相手を見て、自分が自分を粗末に扱っていることに気づき、それを解くのが王道なのです。 

 私たちは心で繋がってくれない人と繋がろうとして苦しむ。心で繋がる能力のある人に求めるのではなく、繋がることなどできない相手にそれを求めてしまう。

 自分の感情と繋がっていない人は、心で繋がれない人に惹かれていく。そして、心で繋がれない人に一生懸命働きかけて繋がろうとする。しかし、変わらなくてはならないのは、自分が自分と繋がっていないことです。

 自分が自分と繋がっていれば、自分と繋がれない人は脅威にはならない。そして、自分と繋がれる人は世の中にたくさんいることを実感することさえできる。

 なのに、なぜ自分と繋がれない人ばかり目立つのか。それは、自分が自分の本当の気持ちを抑えて断絶してきたからです。

 なので、働きかけるべきは自分と繋がってくれない相手ではない。その相手を見て、自分が自分の本心と断絶していることに気づき、それを解くのが王道です。

 自分自身の問題を解いたとき、「困った人」はもはや問題ではなくなっています。「困った人」は教師としての役割を演じ終えたのです。
 
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