菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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2018年11月

8ハウス

 8ハウスは自分と他者が深く感情的に交わることで「死と再生」を経験する強烈な場所です。

 「死と再生」と言っても肉体が死ぬとは限りません。私たち人間は重大な経験をすると、古い自分が死に、新しい自分が生まれるということを、一生のうちに実は何度も通り抜けています。

 私たちひとりひとりは内側にいろんなものを抱えている。劣等感や孤独感や自己中心性や野心などです。こういったものが「心と心が触れ合う関係」になると表に出てきて「危機(crisis)」を起こします。

 特に恋愛関係や夫婦関係において、ありとあらゆる「感情問題」が現れてくるわけです。そして、相手を通して無意識の自分に直面します

 8ハウスは
「感情のやりとり」をする場所です。自分が「感じていること」と相手が「感じていること」がぶつかって、それが二人を根本的に変容させていきます。

 相手と深く交わることで、それぞれが自分の闇と対峙し、それを克服することで自分を高めていくのです。低い自分が死に、より高い自分がそこで生まれます。

 パートナーシップには本来そのような神聖な目的があるのです。

 危機を成長に繋げられない人は、親密さを避けるようになります。自分の闇と対峙できないので、あまり心が触れ合わない程度の表面的付き合いだけにするのです。 

 私は8ハウスに土星とカイロンを持っています。

 土星はブロックされていて努力なしには熟達できない領域を表しますが、他者と深い感情的交わりを通して成長するというプロセスは、若い頃から私を困惑させていました。少しずつその意味を理解し、どのように切り抜けたらいいのかを学んでいくにつれて、成長に繋げられるようになってきたのです。特に自分の闇と対峙する方法を学んだことが重要でした。

 カイロンは魂の傷を表すと同時に、ヒーラーとして他者の役に立てる場所も示します。他者との深い感情的交わりにおいて傷を負ってきた私が、自分を癒しながら、感情の癒しを必要としている人の力になれることは喜びです。

 8ハウスは、裏切られた苦しみ、虐待された苦しみ、見捨てられた苦しみなど、心の深い傷を癒す場所だと言えます。

 内面の闇に向き合うには勇気が必要です。このプロセスは "Hero's Journey"(英雄の旅)とも呼ばれるように、覚悟がないとできません。自分の闇を統合した者は、より高い意識を獲得します。宝を手にしたのです。

自己実現とは「社会性」と「内充性」を一致させること

 「社会性」とは社会に対して自分がどうあるかということで、「内充性」とは自分の内面が充たされることです。(「内充性」は私の造語です。)

 「社会的に」周りからよく見られる生活をしていても、「内充的に」虚しいということがあります。

 その生活が自分の必要性に合っていないということです。

 「社会性」と「内充性」が不一致な場合、その人は「個性を埋没させて生きている」と言えます。まだ自分らしい生き方というものが分かっていないのです。

 「外の形」と「内の心」が一致していないと、必ず不満になります。

 この不満に向き合って、自分にとって大事なことを理解していくと、その理解を反映させた新しい「社会性」がそこから生まれるのです。

 こうやって、だんだんと自分に合った社会貢献ができるようになります。

 「社会性」と「内充性」が一致してくるということが自己実現をするということなのです。

問題を解く際の「男性原理」と「女性原理」

 問題を解決しようとするとき「不動の軸」というものを持っていなくてはなりません。「動かないものは何か」を明確にして、それを中心として「動けるもの」を動かしていくのです。

 すべてが固定されて変われないとすれば、現状のまま膠着状態になります。また、定まったものがなく流されているものだけでも問題は解けません。

 変えられないものは変えられないものとしてしっかりと認識することで、意識の中に「確固たる軸」ができあがります。これが「男性原理」です。

 そして、手放してもいいもの、変更してもいいもの、受け入れてもいいものは、この「軸」に従うことで変化させていきます。これが「女性原理」です。

 例えば、夫婦問題には、協力して問題解決をしていけば改善していけるものもあれば、重大な不一致があるため別れる以外に方法がないものもあります。

 どちらなのかを見極めるのが「男性原理」です。

 夫婦ともに「問題を解決して関係を改善していく」という気持ちで一つになっているなら、これを「不動の軸」として「変えられるものを変えていく」という作業になります。

 必要な変化に対して従順になるのが「女性原理」です。

 何とか夫婦関係を修復しようとしている人の中には、心の底では相手を信頼できることはないと知っているけれど認めていないだけの人がいます。

 この人が「相手を信頼できるようになる可能性はゼロに近い」ということを認められれば、「男性原理」を打ち立てたことになるのです。「相手を信頼できるようにはならない」ということを認識した上で、どうしたいかを考えることになります。

 多くの人は不安を抱えているので、「変えられない」ことを「変えられる」と思い込むことで、つまり現実を否認して幻想にしがみつくことで心を守っています。

 変えられない現実を勇気をもって認める(男性原理)ことと、それに対して素直になること(女性原理)によって、必要な変化に向かっていけるのです。

 「ああ、この人とは別れるしかない」と悟る。この必要性を受け入れる。この柔軟性(女性原理)によって、崩壊した関係にしがみつくという行為をやめられます。

 このように、「不変要素」と「可変要素」を間違えると問題は解けないままです。

 問題を解くとは、「不変要素」を不変なものとして確立し、それを軸として「可変要素」を柔軟に変えていく作業だと言えます。

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 私は人の相談に乗るとき、その人の中の「揺らがないもの」は何なのか、また「変われるもの」は何なのかを見極めるようにしています。

 多くの人は「揺らがないもの」を一生懸命に変えよう変えようとして不必要な苦しみを生んだり、「変われるもの」を変えようと努力せずに頑なに守り続けていることで状況を悪化させているわけです。

 認識が逆さまになっているんです。道理で問題が解けないはずです。

 そうすると、私は「これはあなたの中で譲れないものでしょ?」「これは変えることはできないでしょ?」と指摘する。また「これは変えられるし、変えなければ苦しいままではないですか?」と問う。

 こうやって、その人の中で「大事にすべきもの」と「捨てるべきもの」をきちんと区分けできてくると、問題は自然と解決に向かいます

6ハウス

 占星術で用いる12のハウスについて1つずつ見ていきたいと思います。今回は6ハウスです。

 実は、私は6ハウスに太陽・月・水星・金星の4つを持っており、私にとって重要なハウスの1つだと言えます。

 6ハウスはあまり華のないハウスと言いますか、目立たない地味な感じがあるかもしれません。「弱いハウス」と考える人さえいます。

 12のハウスは angular, succedent, cadent という3種類が4回繰り返されるのですが、angular である1ハウス・4ハウス・7ハウス・10ハウスは「始発点」であることからエネルギーが活発に動くため、重視される傾向にあります。succedent である2ハウス・5ハウス・8ハウス・11ハウスは「固定」とか「維持」の側面があり、ある種の安定を求める。そして、cadent である3ハウス・6ハウス・9ハウス・12ハウスは「完結点」に向かって常に変化し続ける。つまり、終わりに向かって収束していくような感じがあるわけです。

 それから、1ハウスから6ハウスまでの前半は「個人的な発展」を、7ハウスから12ハウスは「集団の中での参加」を表していますが、6ハウスはこの「個人的な発展」の「最後の仕上げ」の場所であり、12ハウスは「集団の中での参加」の「最後の仕上げ」の場所なのです。

 6ハウスはふつう「奉仕」「日々の仕事」「健康」などを表す場所と考えられていますし、それはすべて当たっているのですが、より本質的な意味は「内面の統合」と「集団の必要性に応えられるホリスティックな器になること」にあります。

 6ハウスが強調されている人は、これまでの前世で多様な経験をしてきたけれど、それらがまだ一つにまとまっていないわけです。つまり内面が複雑で自分というものが分かりにくい。そして、いろんな自分が内側でぶつかって緊張状態を作り出します。無秩序で不安になりやすい。

 そうすると、6ハウスでは無秩序な内面を秩序化することが求められます。自分の中のいろんな面に向き合って認識を深めるとともに、全体として統一がとれるようにバランスをとっていかなくてはなりません。これはすべて自分の内面で行う仕事です。

 6ハウスが時には「修行」とか「自己改善」とか「浄化」と結びつけられるのは、すべて「内面の統合」という「完結点」に向かっているからなんです。

 もちろん、「内面の統合」は「集団の必要性に応える奉仕」に繋がっていきます。奉仕を通して内面を統合するという面もあれば、内面の統合が進むことで本当の奉仕ができるようになるという面もあるわけです。

 さて、先ほどもお話ししました通り、6ハウスは無秩序と緊張状態に陥りやすい。6ハウスと関連するおとめ座もそうです。

 自分の中にまとまりがないと不安と緊張状態が続きます。外の状況によって情緒不安定になりやすいんです。そうすると、無意識な人は自分の内面に無秩序があると分からず、外側の現実を秩序立てることで不安から逃れようとします。これが潔癖症他者への完璧主義的要求です。

 家の中の物が完璧に揃っていないと気が済まない。本やDVDや食器や家具やシャンプーの位置が100%自分の思い通りでなければ許せない。気が休まらない。

 あるいは、6時に夕食と決めたら、家族全員が6時ぴったりに揃わないと激怒する。ものすごく動揺する。家族に当たり散らす。

 これは6ハウスやおとめ座のプロセスにおける病理です。

 こういう人は、自分の内面にある無秩序に目を向けて、整理していく必要があります。自分を動揺させるものが内面にあるんです。

 6ハウスを意識的に生きられると、次第に自己統合に進み、心から望んでいる奉仕ができるようになります。反対に、無意識なままの人は、奉仕する立場に惹かれていきますが、自分がやりたくないことをやらなくてはならないという犠牲感覚が強いでしょう。6ハウスは「召使い」や「奴隷」のハウスとも呼ばれ、自己犠牲的奉仕というシャドーとして表れることもあるのです。

 このように、自己犠牲的奉仕に束縛される生活から自由になれない人は、内面がまだまだ秩序化されていません。内面が無秩序でまとまっていないから、やりたい奉仕に出会えていないのです。

 自己統合に進んで、心から望む奉仕ができるようになりたいなら、自分の内面に向き合って、自分のいろんな側面を知らなくてはなりません。自分の一部分はいまの仕事を望んでいるけれど、別の一部分は不満に感じているならば、その矛盾を放置してはいけないのです。この不満に感じている自分をよく知って、不満を解いてあげるにはどうすればいいのかを真剣に考える必要があります。

 統合するとは、自分の中のあらゆる部分がすべてハッピーになる生き方ができるということなんです。この部分は満たされて、あの部分は満たされないままで放っておくというのではありません。それだと部分的な生き方になってしまいます。統一された自分として生きるには、あらゆる自分の面をよく知り、それぞれが求めているものを理解して、まとめていく必要があるのです。

 内面の無秩序に対処できないと、肉体の症状として表れることもあります。逆に、自己統合に進むほど肉体が健康になります。心の調和が体の調和に繋がるわけです。

心理的統合
肉体の健康
自己一致した奉仕
それが6ハウスです

自分の子供をどうしても好きになれない時

 自分の子供にどうしても嫌悪感を持ってしまう。愛情を注ごうとしてもできない。好きになれない。

 こういう親御さんの悩みにストレートに答えてくれる医学書や心理書はほとんど存在しません。

 「親は子供に愛を感じるもの」でお終い。「親が子供に愛を感じられない」ということは想定されていないのです。

 「私は自分の子供にちっとも愛情を感じない。好きになれない」と告白できる場所がありません。

 世の中に「こういう問題」はないことになっています。つまり「タブー」なのです。

 「タブー」が困るのは、問題がちゃんと理解され対処されないからです。実際にはこういう方は少なからずいるのですから、きちんと話し合いましょう。

 まず「自分の子供が好きになれない」とおっしゃる方がいたら、産後の疲れではないかとか、他に深い悩みを抱えているからではないかとか、別の原因を探ってみる必要はあるでしょう。

 そういう別の事情ではなく、自分の子供に対してプラスの感情が湧かないということであれば、2つの原因が考えられます。

 1つ目は、前世のカルマが絡んでいる場合です。私たちにとってこの人生は初めてではありません。生まれてきた我が子も、これまで何度も人生を歩んできた魂なのです。親子になるほどの縁があるのですから、前世でも深い関係にあった魂である場合が少なくありません。

 子供は親を選んで生まれます。親も魂レベルでは子供がやってくることに同意しています。つまり、霊的には親子関係に入るという契約が成立した場合にのみ魂が自分の元にやってくるのです。子供が授かるということは偶然の出来事ではありません。お互いの癒しや進化のために有益であると判断されるから親子関係になるのです。

 大抵の親は子供が生まれると可愛いと感じるものですが、稀に我が子に嫌悪感や憎悪を感じることもあります。なぜかと言うと、前世で憎み合った者同士だからなのです。過去の憎悪を克服するために親子関係になることを選んだわけです。

 我が子を見たときの嫌悪感は、前世に解決しなかった当時の嫌悪感です。魂が思い出しているわけです。

 もし、あなたがこのケースであれば、この説明を読んだとき心に「納得感」があるでしょう。

 嫌悪感を受け入れ、理解してあげ、この子を育てることで過去の憎しみ合いを乗り越えられるように生活してください。

 自分が親としてダメなのではと心配する必要はありません。あなたはある意味で通常の親よりも「重たい課題」を選んだのです。ご自分の魂の志に対して誇りを持ってください。

 2つ目は、前世のカルマではなく、親の幼少期の感情を子供が刺激している場合です。親が子供の頃いろんなことを我慢して生きていたとしたら、子供のエネルギーがそれらの未解決の感情を刺激して表面化させます。子供時代に自分の気持ちを出せなかった親は、子供が我がままに自分の気持ちを表現すると「許せない」と思うものです。

 
子供は親の心にある癒されていないものを刺激し、気持ち悪くさせます。これは親が癒されるように助けているのですが、不快ですし、こういった理解が一般的になっていないので、子供に優しい気持ちになれない自分を責めたり、あるいは子供に怒りをぶつけてしまう親もいるのです。

 子供が嫌いというよりは、子供が自分の中の嫌な感情を刺激しているわけなので、その感情に向き合って自分自身に共感してあげられれば、心は晴れていきます。

 子供を育てるということは、親が自分自身の子供時代を情緒的に振り返る作業でもあるのです。子供が小学校に入ると、親は自分が小学校の時に感じていたことを思い出しやすくなります。その頃にあった辛い体験が癒えていなければ、それを思い出して癒してあげる良い機会なのです。

 親自身が小学生だった頃、欲しいものを1つも与えてもらえなかったとしましょう。今度は自分が親になって我が子におもちゃを買ってあげる。クッキーを焼いてあげる。誕生パーティーを開いてあげる。こうやって、自分が全然してもらえなかったことを我が子にしてあげていると、「自分はこういうことをしてもらえなかった」という辛い気持ちが噴出することがあります。

 笑顔で喜んであげられない自分を責める必要はありません。自分が辛かったという気持ちが癒されたがって出てきたのですから、優しく寄り添ってあげてください。心の中で、自分の「内なる子供」のためにおもちゃを買ってあげたり、クッキーを焼いてあげたり、誕生パーティーを開いてあげてください。自分が子供時代にして欲しかったことを、今からでも自分にしてあげるのです。

 自分がして欲しかったことを我が子にしてあげるのではなく、自分にしてあげてください。我が子にしてあげてもいいのですけれど、「自分に与える代わりに」してあげてはいけません。それは子供に自分の人生の肩代わりをさせることで、子供の重荷になります。親自身がハッピーになる方が子供はありがたいのです。

 子供に誕生パーティーをしてあげると同時に、自分のためにも何かしてあげるのです。必ず自分のためだと思って何かをしてあげてください。自分の中にいる「子供」がハッピーになるように愛してあげるのです。

 親の中にいる「子供」がハッピーになるにつれて、我が子への嫌悪感は薄れていくでしょう。

 自分はもう30歳なのだから、40歳なのだから、子供が望むようなことを自分にしてあげることに抵抗があるかもしれません。「もう自分の子供時代は過ぎたんだから遅い」と結論づける人が多いのですが、私たちの意識は肉体の年齢に関わらず、あらゆる年齢の自分としてまだ生きています。

 5歳の時に満たされなかったものがあったなら、その自分はまだ5歳のまま自分の中に住んでいるのです。だから、5歳の子供がやって欲しいことを自分の中の「その子」のためにやってあげると、40歳の現在の自分の心にも喜びと満足が実感できます。

 意識の世界では「遅すぎる」ということはないのです。過去に満たされなかったものがあれば、いま満たしてあげてください。
 

「頭」「心」「体」の統合

 私は1990年から2008年ごろまでピアノを教えていました。古代ギリシャでは音楽とくに器楽は全人格教育の一環として重視されていたのですが、それは、楽器を上手に弾けるようになるには「頭」「心」「体」を調和させる必要があったからです。

 つまり、楽器を習うということは、自分の「頭」と「心」と「体」のそれぞれに取り組みつつ、バランスよく統合させることになります。音楽演奏には知的側面もありますが、単に知的なだけではなく情的な側面もある。そして、それを肉体の制御を通して表現しますから、3つすべてが絶妙に協力し合っていないとできないことなわけです。

 「頭」と「心」のバランスで言えば、「心」に偏ると情感豊かな演奏ではあるけれども、あちこちにいい加減さが見えてしまいます。テンポの取り方や音の強弱のつけ方やフレージングが十分に考慮されていない。素人っぽさが抜けない。

 逆に「頭」に偏るとすべてが計算し尽くされていて完璧なんだけれども、心に響かない演奏になってしまいます。心で感じていないのでフィーリングとして伝わるものが少ないのです。

 このように、「頭」と「心」のバランスはその人の演奏に表れます。知的な面が強い人は知的な演奏をしますし、情的な面が強い人は情的な演奏をするわけです。そして、一級のアーティストというのは、「頭」も「心」も高度に発達しており、かつ絶妙に調和している人間だと言えます。

 さて、ここに「体」が入ってきます。内面で「こういう音楽を奏でたい」という完璧なイメージが出来上がっていたとしても、それを「体」で楽器に伝えられなければ演奏は成り立ちません。自分の意思を細かく楽器に伝えられるには、自分自身の「体」をコントロールできる必要があるわけです。

 よって、器楽の訓練の重要な部分は「体」のトレーニングになります。

 「体」に偏る人は、なんでも簡単に弾けてしまう。けれども「頭」と「心」という内面から滲み出るものが乏しい。テクニックは素晴らしいけれど精神性が少ないという人です。

 逆に、内に素晴らしい音楽性や精神性を秘めているけれど、「体」のコントロールが下手なので演奏技術に劣るという人もいます。

 そして、一級のアーティストとは、アスリート並みの「肉体的制御能力」を持ちながら、高い音楽性と精神性が内側から滲み出る人です。「頭」「心」「体」のすべてが高いレベルで表現されていて、かつ3つが美しくブレンドしています。

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 さて、ピアノ教師をやめて心理カウンセラーになった私ですが、今でも違った形で同じ仕事の延長をやっている感じがしています。

 つまり、現在の私はカウンセリングという媒体を通して、クライアントさんの「頭」「心」「体」の統合のお手伝いをしているわけです。

 多くのクライアントさんは「頭」にばかり意識が行って「心」で起きていることに自覚が十分ではありません。極めて頭脳的・知的に生きてしまっているんです。言い換えると、自分の「感情」というものがよく分からず、あらゆることを「理性」で片づけてしまう傾向があります。

 彼らの中で「頭」と「心」が調和していないんです。「頭」が「心」を上から押さえつけて言うことを聞かせようと支配している感じなわけです。「心」が悲鳴を上げているのですが、「頭」がそれを聞いてあげられていない。そういう人が多いです。

 それから、私は「肉体感覚」にクライアントの注意を向けることが多いのですが、なぜかと言いますと、肉体において「頭」と「心」が統合されるからなんです。

 多くの人はご存知ないのですが、「心」は「体」の感覚として表れることが少なくありません。自分がいま「どう感じているんだろう?」と「心」を確かめたいとき、肉体の感覚にフォーカスすると感じやすいんです。

 「頭」でばかり生きている人は、首から下の肉体感覚に意識をあまり向けません。首から上だけで「意識している」感じになっています。

 「首から上」と「首から下」がバラバラなんです。

 なので、私はクライアントにしばしば「この出来事が起きて、どんな風に感じていますか?」と質問をしますが、フィーリングで答えずに思考で答える人がとても多いです。

 「考えていること」と「感じていること」が違うということをはっきり理解できている人がそもそも少ない。なので、「思考」と「感情」を区別できるようにガイドすることも私の仕事です。

 「これはあなたの頭が言っていることです」「そしてこれはあなたの心が話していることです」と指摘したりします。「頭」と「心」はまったく異なる臓器のようなもので、機能も性質も違うんです。2つを調和させる前に、
違いを見極められるようにならなくてはなりません

 その人が自分の思考と感情をよく把握し「自己認識能力」を上げていくと、「体」がスッキリしてきます。というのは、自分が制御できていない思考や感情は肉体的な不快感としてそこにあるからです。

 言い換えますと、自分が取り組まなくてはならない「知的問題」や「情的問題」は、体が教えてくれるんです。

 内面の問題が解けずに混乱すると、胃腸に症状が出たり、頭痛や腰痛になったりします。あるいは胸を締め付ける緊張感として表れたりするのです。

 つまり、自分というものを統合していくには、
「体」という乗り物を通して「頭」と「心」の問題を解決していくことが求められると言えます。

 多くの人は「頭」と「心」と「体」が統合していない分裂状態にあるので、自分の中で様々な要素が対立して矛盾したまま生きています。この分裂状態だと、自分が何者であり、何の目的のために生きたらいいのかが明確に分かりません。この人の生活は、内面の不調和をそのまま映し出します。

 例えば、仕事や結婚に満足していないのだけれども、ではどうすれば良くなるのかが分からない。分裂したままでは答えが出ないのです。分裂した人の多くは、"コンパートメンタライズ" された生活をしています。つまり、こちらの人間関係でもあちらの人間関係でも矛盾を抱えているのだけれど、こっちの矛盾をあっちで晴らし、あっちの矛盾はこっちで晴らすというような都合のいいライフスタイルになっているということです。

 内面が統合していない人は、このようにあっちにもこっちにも部分的な顔しか見せられません。全体としての自分で付き合える人がいないのです。誰に接するときにも、その人そのままであるという人が高度に統合された人格だと言えます。

 内面が整理され調和している、かつ肉体とも調和している。そうすると、外の世界に対して自分はどうありたいかがハッキリしてきます。自分の存在意義というものが明確に認識され、自然とその役割を果たしたいという方向に動くんです。

 あらゆるものは、この統合に向かって動いています。そして、統合していないものは、現時点で何らかの不調和として生活に表れるわけです。今、目の前にある不調和が、まさに向き合うべき教材そのものだと言えます。その不調和は、自分の中の「頭」「心」「体」の不調和の一面を映し出してくれているわけです。

 3つすべてに意識を向けて、問題の本質を掴み、統合に向けて進んでください。

今すぐ解けない問題もある

 問題には、その人が成長しないと解けないものがあります。

 今の発達段階では解けないので、成長するまで保留しておくしかない。そういう問題です。

 例えば、人間関係のトラブルが起きた。とことん話し合って解決しようとする。けれども、お互いの認識能力と共感能力に限りがあり、スッキリする解決に至ることができない。ある程度の「不和」が残ったままでお終いにするしかない。

 このように、過去に解けなかった「不和」を、10年後とか20年後とかに思い出して、新たな視点や新たな気持ちで見つめ直すことがあります。

 様々な人生経験を通ったことで、当時よりも「不和」の原因を深く理解できる。相手や自分の未熟さや感情が分かる。そして「今だったら解けるだろうなあ」と感じる。

 外の現実では、もうその人はいないかもしれません。けれども、自分の内面において、当時の問題が解決され、スッキリしてくる。そういうことがあるのです。

 学習というものは、出来事が起きたその時に起こらなくても、長い時間が経過した後に完結するということがあります。

 あらゆる経験は、そこから学習し切るまで、自分の中に蓄積されているのです。そして、その「教材」は、いつでも参照することができます。何度も何度も心の中でその経験を訪れ、学べるものを学べるだけ抽出できるのです。

 このように、私たちの中に蓄積されているあらゆる過去の経験のうち、何かまだ引っかかっているものは、自分が納得いく解決に至っていないということを意味します。まだ学び切っていないのです。

 そして、それは今すぐに解いてしまわねばならないものではありません。ゆっくりと時間をかけて、納得いくまで何度も何度も訪れながら、あらゆる視点から考慮し、学習を完結させていくことができます。
 

明るくて元気な人が精神的に健康とは限らない

 おそらく多くの人は「元気で明るい人」は精神的にも健康で、「エネルギーが低くて暗い人」は精神的に病んでいると思うでしょう。

 ところが、これは必ずしも当たらないのです。

 人生において大きなチャレンジに遭遇したとき、自分の限界を試されます。そういうとき、落ち込んだり、疲労したり、人と交わりたくなくなったりするものです。順風満帆という状態ではもちろんありませんが、こういうチャレンジの時には余裕がなくなって当然であり、多少エネルギーが低くて暗くなったとしても健全なことだと言えます。病んでいるわけではありません。

 愛している人が亡くなったとか、数十年働いた職場から解雇されたとか、離婚の最中であるというとき、「元気で明るい」ほうが変です。

 エネルギーが低くて暗い気分のときに、そのままの自分でいられる空間があること、それが健康のためには大事だと考えます。それを偽って「元気で明るく振る舞う」ということを自分に強制したり、あるいは周囲から強制されるなら、それこそ病んでしまうかもしれません。

 低くて暗いときというのは、癒しや回復が必要です。そして、それは健康の一環として考えるとよいでしょう。

 癒しや回復が必要なくて自然に「元気で明るい」状態ならば問題ありませんが、中には「不健全な元気や明るさ」を感じさせる人がいます。

 何か「不愉快なエネルギッシュさ」を持っているのです。 

 例えば、とても我がままな人、自己中心的な人は、妙に明るく元気だったりします。人に迷惑をかけたり、支配したりしながら、自分の好き勝手に生きられているので、ものすごくエネルギッシュなんです。これは健康とは呼べません。

 他者からお金を巻き上げてリッチな生活をしている人と同じように、他者からエネルギーを奪い取りながら自分の元気に変えてしまっている人なんです。

 こういう人は、自信たっぷりです。自分は正しいし、すごいと思っている。だから元気です。けれども、この自己肯定感というものは、無知と非共感性によって支えられている「独りよがりのポジティブ自己イメージ」であり、困ったものなのです。

 明るくて元気な表面を離れて、その人の生活や人付き合いの全体を眺めてみると、いろいろと病的なことをやっていることが見えたりします。例えば、嘘をついて誤魔化していることがある。自分の都合のいいようにこっちにはこういう顔をし、あっちには別の顔をし、という風に無責任な行動をしている。

 つまり、未熟な甘えん坊が遮られることなく好き勝手にできるとき、ものすごく元気で明るいんです。

 そして、この明るさは、成熟した人の喜びとは質が異なります。

 何か、本当の優しさがない「イヤな興奮」なのです。

 ギラギラっとした脂っこい「活気」なのです。

 図々しい人は「明るくて元気」です。威張っている人は「明るくて元気」です。人の痛みに鈍感な人は「明るくて元気」です。他者を自分の欲望の道具にできてしまう人は「明るくて元気」です。

 そして、このように「明るくて元気」な人は、決して健康ではありません。

自己変容の3要素

 「心の問題」を解くということは、深いところで「自分が変容する」ということです。

 「イヤなこと」について「イヤだと言えない」という人が、「イヤだと言える」ようになる。これは「自己変容」だと言えます。

 あるいは、様々な「心の問題」をアディクションという形で解決しようとしていた人が、自分の深い感情を理解することでアディクションを必要としなくなる。これも「自己変容」です。

 私の仕事は「自己変容」をサポートすることですが、「自己変容」に繋がる「プロセス」が3つあります。

 1つ目は「共感的繋がり(empathic connection)」です。多くの人の無意識には、自分が接触していない「感情」や「信念」があり、苦悩を生み出しています。苦悩を解くためには、本人が自分の「感情」や「信念」と「共感的に繋がる」ことが必要です。

 別の言い方をしますと、多くの人の中には、「蓋をして感じないようにしているもの」があります。それと「断絶」することで心を守っているわけです。この「断絶」を解いて「埋れているもの」との「繋がりを回復する」ことで、「埋れているもの」を癒してあげなくてはなりません。

 このように、「断絶」していたものと「共感的に繋がる」ことで深い「自己変容」が起きます。

 2つ目は「気づき(awareness)」とそれに伴う「認識の変化(change
in perception)」
です。多くの人は自分の内面で起きていることについて十分な自覚や理解がありません。例えば、悲しんでいるのに「悲しんでいると認識できない」こともあるわけです。本当は相手が好きなのに、素直に出すと拒絶されるのが怖いので、わざと意地悪をすることで自分を守っているということがあります。そして、本人は自分がこういうことをやっていることに「気づいていない」。無意識でやっている。自覚がない。こういうとき、誰かに指摘されて、あるいは自分自身で気づくことで「拒絶されるのが怖いから意地悪をしているんだ」と自己認識できたなら、この「認識の変化」それ自体がその人に「自己変容」をもたらします。

 「気づく」とは「より深く理解する」ことと同じです。自分の内面に対する「気づき」が深まると、自分というものを深く理解できていくわけです。 

 このように、「認識できていなかったもの」が「認識できるようになる」ことで深い「自己変容」が起きます。

 3つ目は「解放(letting go, release)」です。私たちは時に無知から「自分を苦しめるものを掴む」ということをやっています。例えば、「自分には愛される価値がない」という信念はその人を苦しめますが、無知からこういった信念を掴んで放さないのです。こういう場合、この信念を持ち続けている限り苦しみが生まれることを理解し、「手放す」という決断ができれば、ものの2〜3分で楽になります。

 自分のハートに合わない規範もそうです。例えば、やりたくないことを「やらねばならない」と自分に強制して苦しんでいる人がたくさんいます。なぜ自分に強制しているかというと、その人の中で絶対的権威を持っている規範があるからです。例えば、「親の意向には従わねばならない」という規範を持っている人がいます。この規範がその人の中で絶対的なものであり続けるなら、親に逆らって自分の意思で生きることはできません。自分が採用したルールによって自分が縛られます。この人が、自分の意思で生きていきたいからこの規範を手放すのだと決断できれば、新しい自分に生まれ変わるのです。

 このように、
「自分を縛っている規範や解釈」を解放することで深い「自己変容」が起きます。

 ということで、「共感」「認識」「解放」という3要素が「自己変容」に繋がるというお話でした。

トラウマの4層構造

 すべての人間は「苦悩体験」を持っています。さらに、すべての人間は「苦悩体験」をした時にそれを解決できなかったという体験もしています。

 自分の苦悩を自分で解決できないとき、そこに「トラウマ」の反応が生じるわけです。

 戦うことも逃げることもできず、ただ苦しむしかなかった。それが「トラウマ体験」です。

 さて、未解決のトラウマは、それを解決するまでその人を苦しめ続けます。なので、きちんと解決してあげることが大事なわけです。ところが、多くの人はトラウマの癒し方を知りません。なので、癒せないものだと諦めたり、トラウマの反応と一体化して無意識に生活するだけに終わる人も多いのです。

 癒されていない過去のトラウマは、意識化して変容するまで、その人を支配します。そこから解放されたい人は、トラウマを意識的に処理しなくてはなりません。そのためには、まずトラウマが自分の中にあることを自覚する必要があります。次に、トラウマの反応のカラクリを理解して、根本的解決に必要な作業を1つずつこなしていかなくてはなりません

 今日は、トラウマが人間の中にどのような形で残っていて、解決するためにどのような作業が必要なのかをお話しいたします。

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 トラウマが起きた場合、少なくとも3つの層ができます。多くの人の場合、そこにもう1つの層が加わって4層になります。

 その人の最も内側から A層、B層、C層、D層と名づける事にしましょう。A層が最も深いところにあり、最初からこれを意識できる人はまずいません。表面に近ければ近いほど意識しやすいわけで、たいていの人は C層か D層の内容から話されます。

 まずは C層の話から始めましょう。

C層=「防衛反応」

 C層は「防衛反応」です。心理的問題に悩む人の多くは、「人の反応が怖くて自分を出せない」とか「頭ではダメだと分かっているのに恋人に依存してしまう」とか「やめようやめようと思うのに暴力を振るってしまう」などと話してくれます。

 自分の意思では「やめよう」「ダメだ」と思うのに、やめられなくて困っている感情反応は、ほぼ確実に「防衛反応」と考えてよいでしょう。

 この場合、「自己主張を控える」「恋人に依存する」「暴力を振るう」という行為とその背後にある情動が、自分ではコントロールできない「防衛反応」なのです。

 この他に、「嘘をついてしまう」「酒やギャンブルがやめられない」「ストーカー行為をしてしまう」などもそうです。

 「防衛反応」は、自分で対処できない「症状」のようなもので、多くの人はこれが自分の性格だと思っています

 なぜこれらが「防衛反応」なのかと言いますと、
このような反応をすることで自分を守っているからです。

 何から自分を守っているのかと言うと、
過去のトラウマが繰り返されることからです。

 つまり、これらの「防衛反応」を必要とするような苦悩が過去にあった。それが未解決なため、同じことがまた起きたら自分は対処できないと意識の奥では思っているのです。

 例えば、「自分を出さない」「人が怖い」という「防衛反応」をしている人は、過去に実際に人に傷つけられています傷つけられたから「人が怖い」のであり「自分を出したら危ない」と感じ続けているのです。

 要するに「防衛反応」は理由なく存在しているのではなく、必然性があってそこにあるわけです。

 どのような辛い経験をしたのかは、奥にある A層と B層に残っています。C層の硬いガードを通過できれば、最も深い2層に降りていくことができるわけです。

D層=「防衛反応」によって生じている苦悩

 最も表面にある D層は、C層という症状がなくならないことによって困っている気持ちです。「どうして私はいつまで経っても人を怖れて自分が出せないんでしょう。もう嫌になります。そういう自分が嫌いです」と話す人は、この D層から話されているわけです。

 恋人依存をやめられない自分に対する自己嫌悪や絶望感や怒り、暴力をやめられない自分に対する自責の念や罪悪感、ストーカー行為や飲酒などがやめられない自分に対する自己否定感、こういったものはすべて「防衛反応」をなんとかやめようと努力してもやめられないことに対する感情反応です。

 ここで1つのことに気づく必要があります。それは、「防衛反応」は意志の力でやめられるようなものではないということです。

 「人が怖い」という「防衛反応」が起きているときに、「怖くない・怖くない」と反対のことを自分に思わせようと思ってもダメです。「依存したい」という「防衛反応」が起きているときに、「依存してはダメ」と自分に叱るだけではダメです。

 これらの反応はすべて「防衛反応」に対する無理解を示しているに過ぎません。無理やりガードを崩そうとしても、ガードはますます固くなるだけなのです。

 C層をなんとか無くそうと努力しても叶わずに悩み続けてきた、これ自体も苦しいことです。D層はそういった苦しみを抱えていますので、その気持ちに共感して寄り添ってあげる必要があります。

B層=トラウマ時のマイナス思考とマイナス感情

 「防衛反応」を客観視して少し距離をとると、その奥に入っていくことができます。すると、過去のトラウマで感じた悲しみや怒りや絶望感などのマイナス感情や、「私は愛される価値がない」などのマイナス信念が当時のままフリーズしている場所に到達するわけです。

 これがトラウマ当時にできた「膿」の部分と言ってもいいでしょう。これが意識に上ってくると、しばらく苦しくなります。手術で言えば、「病巣」が露出している瞬間です。

 例えば、「怖くて人に自分を出せない」という C層を持った人の場合、B層に降りていくと、5歳の時に自分の気持ちを言ったら母親に無視されてものすごく傷ついて孤独を感じたなどという感情が、今ここで起きている出来事であるかのように生々しく感じられてきます。当時の感情が完全に蘇ってきて実感をもって体験されるのです。と同時に、当時の自分が出した結論、例えば「お母さんは私を愛していないんだ」とか「僕は存在してはいけないんだ」といったビリーフもはっきり認識できます

 B層のマイナス感情は共感によって癒され、マイナス思考はプラス思考に置き換えてあげることで癒されます。これが B層が必要とする「変容のワーク」です。

A層=阻止された衝動

 「変容のワーク」を進めていくと、この5歳の時の自分が「満たしたかったこと」「叶えたかったこと」の本質が見えてきます。この子の場合、「自分の気持ちを出したとき受け止めて欲しかった」ということです。「あるがままの気持ちを否定せずに心で繋がって欲しかった」という言い方もできます。

 「共感」や「心の繋がり」が「叶わないままフリーズしている衝動」です。

 過去に阻止され満たされないまま凍結していた本質に対して温かな共感が届くと、ハートの根っこからトラウマが癒されます。

 このようにして、A層と B層に共感が到達すると、フリーズしていたマイナス思考とマイナス感情から成る「トラウマ反応」が浄化され、C層の「防衛反応」は不要となり崩壊します。

 過去のトラウマが未解決のまま残留していたのですが、そこに意識の光と共感の愛が届くことで変容され、トラウマはしっかりと消滅するのです。

 この人は、以前より「人が怖い」「自分が出せない」という反応をしなくなっていることに気づくでしょう。

 ただ、「防衛反応」の元になっているトラウマが複数ある場合、1つのトラウマを癒すだけでは「防衛反応」は完全に消滅しません。その「防衛反応」の奥にある全てのトラウマを癒すまで、このワークを続ける必要があります。

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B層・C層・D層と同一化すると解決できない

 さて、トラウマを癒す「深層のワーク」をするには、各層と脱同一化して客観視できなくてはなりません。ところが、多くの人は B層・C層・D層のいずれかと同一化し、「それが自分だ」と思っているので、その層が固定化され、変容に向かうのを妨げてしまいます

 例えば、D層と同一化している人は、自分が如何に症状に悩まされているかという話を延々とします。自分が如何に対人恐怖によって悩んできたか、どんなことをやっても治らないか、それがどんなに辛いかという話が中心となるわけです。D層の気持ちに寄り添って共感してあげることはもちろん重要なのですが、ある程度の話を聞いたら「このレベルに留まっていたら『防衛反応』を解くことはできないので、もっと奥に入っていくワークをしましょう」と私は誘います。

 中には C層と同一化して、それが見えない人もいます。自分が暴力を振るうこと、恋人に依存すること、酒をやめられないことを正当化するのです。つまり「防衛反応」がそのまま「自分という感覚」になっています。そして、ここを変えなくてはこの人の苦悩はなくならないのだけれども、その自覚を持つことが難しい状況なわけです。

 こういう方は、自分の問題を客観視できず、自分の問題によって周囲の人が離れていったりして困った状況になっている。そのことで相談に来られます。自己認識の低い方です。

 自分が望んでいるように妻が応えてくれない。困っている。どうすればいいか。妻と話し合いをしようとしても妻が聞こうとしない。こういう風に相談を持って来られます。この人が妻に対して支配的であること、依存していることが客観視できていません。すると、私の仕事は、C層を本人ができるだけ自覚できるように関わることになります。

 B層のマイナス思考とマイナス感情は、現在の状況によって刺激されることがあります。例えば、幼少期に親に見捨てられたように感じた人は、それが癒されなければ、大人になって何度も何度も人に見捨てられたように感じるという体験を繰り返すわけです。

 幼少期と同じ感情を生き生きと感じている。C層によって防衛しているのではなく、もろに心の傷に触れるような体験を次々に繰り返している。「また私は見捨てられた」「やっぱり私は孤独だ」「やっぱり私は愛されないんだ」などと強い感情体験を何度も何度もしています。

 こういう場合には、自覚と共感が足りていません。このような感情体験に飲み込まれず、距離をとって眺める必要があります。これが気づきです。気づきをもって感情を理解する。そういう客観性が要ります。と同時に、この痛みに対して第三者になったかのように共感的愛を送ってあげなくてはなりません。「孤独だよね」「寂しいよね」「愛されたいんだよね」「心で繋がってくれる人が欲しいんだよね」と言ってあげる「聞き手の意識」が必要です。

 このように、B層・C層・D層の各層を気づきをもって客観視できることと、心で繋がって共感を送ることができることが求められます。

 「客観的な気づき」「共感的繋がり」の2つをもって4層に対処すれば、トラウマは適切に処理され、トラウマ反応は消滅させることができるのです。


D層=「防衛反応」に悩まされている部分
C層=「防衛反応」(対人恐怖・依存・暴力など)
B層=トラウマ感情&トラウマ思考←癒しが必要な「膿」
A層=叶わなかった衝動
 

「父性」は嫌われることを怖れない人だけが担える

 嫌われることが怖いという人は「父性」を担えません。

 なぜなら、「父性」は厳しいことを相手に言わねばならない責任を負うからです。

 例えば、相手は器以上のポジションを得たいとウキウキしているとしましょう。そのとき、「君にはその仕事はできないと思う」と伝えなくてはならない状況があり得ます。相手の甘い考えの芽をいま摘んでおかないと全体の迷惑になるような場合です。相手はガッカリするだろうし、場合によってはこちらに嫌悪感をぶつけてくるかもしれません。

 そのときに、厳しい現実を相手に伝える責任を負えるためには、相手の落胆を受け止められ、相手に嫌われたとしても言うべきことを言えなくてはなりません。それだけの勇気と責任感をもった人だけが「父性」を担えます。

 嫌われるのが怖いから、相手の機嫌を損ねるようなことは言えない。そういう人は勇気と責任感が不足しているので「父性」は担えないのです。

 健全な「父性」は殴ったり罵倒したりといった暴力性でもないし、偉そうに上から物を言う傲慢さでもありません。これらは病的な「父性」であり、未熟な男性性の表れなのです。

 健全で成熟した「父性」とは、不必要な厳しさで相手を傷つけることではなく、高い判断力と成熟した指針を示して、相手を適切な「思考」と「行動」に導き、全体の利益を守るためのものです。

 誰かの考えが甘すぎたり、無責任だったりすると、全体に害が及びます。全体の擁護者として「父性」を発揮するには、有害なものに対峙し対処しなくてはなりませんが、その強さを発揮できるのは相手に嫌われることをコストとして背負える人だけなのです。

 また、相手よりも判断力や指針が高いことが「父性」を担うための条件でもあります。相手よりも低ければ、「父性」によって導かれなくてはならないのは自分の方なのですから。

コミュニケーションには4つの次元がある

 人間は4つの次元から成り立っていると理解することは根本的な重要性を持っています。

 その4つとは、「からだ」「こころ」「あたま」「たましい」です。英語で言えば、body, heart, mind, soul となります。

 もう少し難しい言い方をすれば、物質的次元(physical dimension)、感情的次元(emotional dimension)、知的次元(mental dimension)、霊的次元(spiritual dimension)の4つです。

 あなたも私も、人間はすべて、この4つ全部が揃っています。

 私たちは肉体的(物質的)存在であり、かつ感情的存在であり、かつ知的存在であり、かつ霊的存在なんですね。4つがすべて自分であるわけです。

 「体と体」がコミュニケーションを取ろうと思ったら、「タッチ」「スキンシップ」という手段をとります。頭を撫でてあげる。手を握ってあげる。背中をさすってあげる。ギュッと抱きしめてあげる。

 腕相撲とするとか、レスリングをするとか、ほっぺたをつねるなんてこともしますね。

 
体が触れ合うことによるコミュニケーションというのが1つあります。

 次に「心と心」のコミュニケーションですが、感情(気持ち)を聞き合うという手段を用います。心でもって相手の気持ちを分かろうとして寄り添うわけですが、感情がどのようにして伝わるかと言うと、それは「共感」によってです。「相手の感じていることを感じようとすること」です。

 言葉を使って気持ちを聞き合うこともありますし、音楽や踊りや親切行為などの手段を通してのこともあります。

 
心が触れ合うことによるコミュニケーションが2つ目です。

 その次は「頭と頭」のコミュニケーション。これは意見や判断や分析などの概念やイメージを伝え合うわけですが、手段は「説明」「議論」「質問」などです。ここでは「どう考えているのか」が伝わります。

 ここでは言葉や図やグラフなどを使います。

 
頭が触れ合うことによるコミュニケーションが3つ目です。

 最後は
「魂と魂」のコミュニケーションですが、「直感」という手段を用います。静寂の中で「体」も「心」も「頭」も空っぽにして相手と共にいるときに、パッと浮かんでくる認識や、ビリビリと伝わってくるフィーリングで深いレベルのコミュニケーションができます。

 これが「霊能力」とか「第六感」と呼ばれるものですが、程度の差はあれ誰にでも備わっているものです。

 魂が触れ合うコミュニケーションが4つ目です。

 もちろん、これら4つはバラバラではなく、複数のコミュニケーションを同時にとっていることもあります。

今月から1年半かに座をトランジットするノースノード

 ノースノードとサウスノードのトランジットは、世界規模で浮上してくる人類のカルマの浄化プロセスを示してくれるので重要です。

 12のサインにはそれぞれ「高い表れ」と「低い表れ」があります。例えばおとめ座の「高い表れ」は卓越した職人技、きめ細かいサービス、時間通りに運行される飛行機や電車、絶え間ない自己研鑽などです。反対に乙女座の「低い表れ」は過度な自己批判や他者批判、神経質なほどの潔癖主義、自信を失うほどの完璧主義、自己犠牲的な奉仕(奴隷のように会社に尽くす)などです。

 サウスノード がトランジットするサインは、そのサインの「低い表れ」が浮上し過去の負のカルマに向き合わなくてはならなくなります。そして、ノースノードがトランジットするサインは、バランスをとるために必要な対極のものを教えてくれるわけです。こちらは「高い表れ」の方を見ます。

 今月7日、ノースノードはしし座からかに座に、サウスノードはみずがめ座からやぎ座に入りました。

 ということは、これからの18ヶ月の間、やぎ座の負のカルマが世界規模で浮上し、かに座の正の資質を培っていく必要があるということです。

 すでにやぎ座には冥王星と土星が入っているので、やぎ座の負のカルマは毎日のニュースで大々的に取り上げられています。そこにサウスノードも加わってくるので、さらに強調されていくでしょう。

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かに座とやぎ座の対立軸(the Cancer-Capricorn axis)

 この時期は、かに座とやぎ座という対立軸上のアンバランスを修正することが促されます。

 では、かに座とやぎ座とはどのような性質の対立なのでしょうか。

 ①母性(かに座)と父性(やぎ座)、②内面の主観的な生活(かに座)と外の客観的な生活(やぎ座)、③情緒的な親密さ(かに座)と社会的業績や評価(やぎ座) などです。

 この時期にはやぎ座のマイナス面が強く出てきて浄化を促します。そのマイナス面とは、主に権力構造の闇ですね。パワハラなどです。社会的権威を持つ個人や集団の不正が露呈します。

 そして、かに座のプラス面をどんどん統合していかなくてはなりません。世間体とか社会的評価ばかり気にするのではなく、本当の感情に寄り添って、内面が満ち足りて安らかな生活をしましょうということです。心と心が本当に通い合うような人間関係や仕事のあり方にシフトしていきましょうということでもあります。

 Divine Feminine(神聖なる女性性・女神のような性質)が個人にも集団にも取り入れられて、業績優先、男性優位、世間体重視ではなく、内面の充足や心の繋がりを重視する生活へと社会全体が変わっていく大きなチャンスなのです。

 強さよりも優しさを磨く時期だと言えます。

誰にも嫌われずに自分を通すことはできない

 「すべての人にいい顔をする」ということはできません。

 「自分をはっきりさせる」とか「自分が望んでいるものに向かっていく」とか「自分を主張する」という場合、それによってガッカリする人やこちらを嫌ってくる人が出ることもあります。

 それは「自分自身として生きる」というときに支払わなくてはならないコストなのです。

 誰にも嫌われないように、誰もガッカリさせないようにと思っていたら、何も決断はできません。

 「嫌われるのは仕方ない」と覚悟しなければ、自己決定はできないのです。 

 2018-11-09 テレフォン人生相談(←クリックすると内容が読めます)の相談者は71歳のバツ2男性。兄が亡くなってから義姉と付き合うようになって2年。身内ということもあり、婚活で別の相手を見つけ4ヶ月が経つ。二股はしたくないので義姉との関係を断ちたいが、どのように言えば恨まれずに別れられるかという相談です。

 これはもう、「別の女ができたから、あなたと別れたい」と義姉に伝えるしか方法はありません。要はそういうことなわけです。どんなに美しく飾って言おうが、理屈を述べて正当化しようが、そういうことなんです。

 義姉が悲しむか恨むか、それは分かりません。しかし、「自分は罪作りだ」と言いつつ恨まれない方法を探すのはやはり釈然としないのです。

 「別れたい」と伝える際に、相手から嫌われないことを考えるのではなく、嫌われるのを覚悟して真実を伝える以外に答えはありません

 あっちにもこっちにもいい顔をすることはできないのです。

社会的評価に執着する「教育ママ」は自己受容ができていない

 「母性愛」はあるがままを受容する愛、「父性愛」は社会的成熟へと導く愛です。

 母親が「母性愛」を、父親が「父性愛」を担当するのが通常のパターンですが、逆でも構いませんし、ひとりの親が両方を担っても構いません。

 ただ、父親も母親も「父性愛」だけで、誰も「母性愛」の担当者がいないと困ります。

 母性愛のない母親の典型が教育熱心な「教育ママ」です。
勉強させるとか、良い成績をとらせるとか、大学に行けと言うなどというのは、すべて「社会的成功」への促しですが、これは本来「父性愛」の仕事だと言えます。結果や業績を重視すれば、あるがままの受容はそこにありません。

 問題は、なぜ母親が子供の社会的成功にそれほどこだわるのかにあります。「教育ママ」の脅迫的要求(子供には絶対に社会的評価を受けさせたい)がどこから来るのかと言うと、母親があるがままの自分ではダメだという感覚を持っていることに原因があるのです。

 自己受容を知らない女性は母性愛を与えられません。あるがままの自分でいいと思えていないから、あるがままの我が子も無条件に受容するということが分からないのです。


 この母親が信じられるのは唯一「社会的評価」であり、これは本来、男性的価値なのです。つまり「教育ママ」は極めて男性化し社会化した母親であり、このような母親に育てられる子供には安らぎの場がありません

 男性的評価が自分の中で絶対的権威を持ってしまっている女性なのです。

 この「教育ママ」は、まず自分をあるがままで受け入れるという作業をしなくてはなりません。自分の気持ちと繋がって、素直に認めるところから出発です。この母親も、
自分に対して常に結果や業績を求め続けてきました男性的評価で見られてきた犠牲者でもあるのです。

 2018-11-12 テレフォン人生相談(←クリックすると内容が読めます)の相談者は49歳女性。中学3年生の娘が不登校になり悩んでいます。「学校に行かなくていい」とこの母親は口では言っていますが、無意識にはいろんな要求があり、それが娘にプレッシャーを与えているわけです。口には出さないけれども「家でちゃんと勉強してくれれば」と期待している。

 このように口で娘に伝えているメッセージと無意識から無言で伝えているメッセージにズレがあると指摘されています。

 私もこの相談を聴きながら、この母親の中にある「なんとか自分の望んでいる結果に持っていきたい」という支配欲を感じて気持ち悪くなったのですが、これは実は娘への愛情ではないわけです。

 自分の中の自己不一致の気持ち悪さを娘を通して解決しようとしているだけなのです。

 加藤氏は「あなたが自分を受け入れられないから、娘さんを受け入れられないんです」と言っています。娘をどうこうするという前に、自分自身に向き合うことが先だと本人も気づかれたようでした。

 このように、親が自分自身の心の問題に向き合っていないと、それが子供の問題として現われてくることが多いんです。最初は、子供の問題だと思って必死に子供を変えよう変えようとするけれども一向に改善しません。そしてある時、この問題を作っていたのは自分の意識ではないかと気づいていく。子供の問題だと思っていたものを通して、親が自分自身を知っていく。

 親が自分自身の問題に無自覚なとき、子供にそれが投影されますが、これはある意味で自分の問題の責任を子供に負わせることです。子供は苦しい。そのとき親が自分の問題だと気づけば、投影がストップします。子供はもう背負わなくてよくなるわけです。こうやって子供という鏡を通して親が自分自身に気づくことができれば、親は子供との関係を通して成長していけます。

攻撃的な人には聞き手に回ることで相手の圧力を弱める

注意が自分に集中しているか相手に集中しているか

 境界線を侵害してくる相手、例えばキツくて攻撃的な人、あるいは過度に甘えてくる依存的な人、こういう人たちとコミュニケーションをとるとき、自分と相手とのバランスが崩れがちです。

 話がこちら側(自分)に集中し、こちら側への非難や命令などになる。こういうとき、相手の意識がぐいっと自分の心の中まで食い込んでいる。土足で自分の領域まで入って来られているような「侵害されている感じ」がある。

 あるいは逆に、依存的な人はその人の辛さや悩みについて長々と話す。こちら側の意識が相手の内面に入っていき寄り添うことが期待されている。ふたりの意識エネルギーがどちらも相手の内面に引き込まれる。こちらが相手の領域にまで連れ込まれているような「立ち入りたくないところにまで立ち入らされている感じ」がある。

集中している領域の反対側が盲点になる

 コミュニケーションというのは必ず集中している領域と正反対のところが盲点になります。相手が自分についてあれこれ言ってくるとき、その相手は相手自身の内面が見えていません。また、相手が相手の内面のことばかり話しているとき、こちら側の事情は意識に上らないのです。

 もちろん、相手がこちら側(自分)について話したいとき、私も自分について考えたいというなら、お互いのベクトルが一致するので問題ありません。二人で私の話をすればいいのです。また、相手も私も相手の心の中のことにフォーカスしたいということで一致するならこれまた問題ありません。

 しかし、相手は自分のことをとやかく言ってくるけれども、私はこのように私のことを言われたくない。あるいは相手は相手のことばかり話してくるが私はその話を聞きたくないし、相手の内面に寄り添う気持ちはない。こういう場合には、自分と相手とのバランスを変えるための発話をする必要があります。

相手に偏っているとき自分に注意を戻す

 相手が相手のことばかり話していて自分が居心地悪いときは、相手の意識をこちら側に向けさせるコミュニケーションが必要です。「私は」で始まる意思表示をするのです。「私は用事があるのでいま聞いてあげられない」「私はそのことで力になってあげられる気がしない」「私はいま疲れていて集中できない」。このようにこちら側の事情を相手に分かってもらうための発話をし、相手の内面にこちらは意識を向けてあげられないのだということを伝えます。

 このように相手側に傾きすぎた二人の意識を、こちら側に戻すことでバランスを回復できるのです。

自分に偏っているとき相手に注意を戻す

 さて、この記事のメインは、こちら側のことに集中してくる相手のコミュニケーションをどうかわすかにあります。

 支配的な人、攻撃的な人、自己中心的な人の多くは、いろんな気持ちを外化した(外に投影した)コミュニケーションをとります。彼らは自分の内面に対して無自覚なのです。

 自分が「怒りを持っていること」「相手にして欲しいことがあること」「自分のことしか考えていないこと」は都合よく隠されています。敵意・要望・自己中心性から意識を逸らし、外側にいる私の話に集中するわけです。

 こういうコミュニケーションを受けたほうは、心理的に圧迫感を感じます。プレッシャーをかけられている感じです。高圧的に命令される、叱られる、非難される、バカにされるという状況がそうです。グイグイとこちら側に食い込んできています。

 「お前のこういうところが悪い。なぜこうしなかったんだ。どういうつもりだ」というような話し方をされたとき、相手に影響されて自分も自分のことに注意を向けてしまい、相手の土俵に乗ってしまう人が多いのですが、反対に相手の内面に意識を向けるコミュニケーションをこちらから始めることもできます。「あなたは」で始まる質問で返すのです。

 「お前のこういうところが悪い」と言ってきたら、「すいません」とか「ついついそうしてしまうんです」などと自分側の話で対応する代わりに、「私のこういうところが悪いと思っていらっしゃるんですね?」相手の思いを受け止めてただ返すんです。このとき、私は相手の内面に意識を向けています。

 「どういうつもりだ」と言ってきたら、「怒っているんですね」と返す。怒っている人の多くは、自分が怒っているという自覚がありません。そして「怒っているんですね」と言うと、一瞬ひるみます。ハッとするんです。その人は意識の全てをこちらに向けていて、内側への自覚が不在です。空っぽです。なので、こちらが相手の内面のことを言うと、その人の留守中にその人の部屋に入っていったかのようにびっくりします。そして、相手は相手の内面に一瞬意識を向けるのです。このことで、こちら側に集中していた相手の意識エネルギーの一部は相手自身に帰ります。こうしてプレッシャーが低くなるのです。

 「どのようにして欲しかったですか?」「どういう点が不都合でしたか?」と
相手の要望を明確にするような質問を投げかけていくのも効果があります。こういう質問をすると、相手は相手自身の気持ちに意識を向け、こちらへの攻撃や非難が和らぐかもしれません。

 相手はこちらに共感することが下手です。相手自身のことばかり言ってこちらへの配慮がありません。相手のことしか考えていないと同時に、話の中心はこちら側になります。そういうコミュケーションに対して、こちらも相手の言う通りに自分を責めて卑屈になるコミュニケーションをとったり、あるいは相手と同じように攻撃の仕返しをしたりすると、バランスが悪いまま応酬を続けることになってしまうのです。

 この悪循環を断つには、相手の盲点をこちら側が補う必要があります。相手に欠けている内面への共感をこちらがまず相手に提供するわけです。「あなたはこんな風に感じているんですね?」「あなたはこうして欲しいんですね?」という風に、相手の内面の鏡となって相手に返します

 とことん聞き手に回るということです。反論しない。反応しない。ただただ理解者として相手の言い分や気持ちや事情を受け止めて本人に返します。こちら側の話を一切しないんです。

 そうすると、相手は柔和になっていくか、内面に意識を向けられて気持ち悪くなって離れていくかになることが多いでしょう。

 こちらはあくまで「相手を理解したくて質問しています」という姿勢を貫きます。極端な例を出せば、私がラーメン屋をしていて客が「800円は高いじゃないか」と文句を言ってきたとしましょう。「そんなこと言われても困ります」とか「高くないですよ」などとこちら側を表現することで応戦するやり方をとる代わりに、「800円だと高すぎますか?」と寄り添う質問で返すわけです。そして相手がどう出てくるか待つんです。コツは「要らないことを一切言わない」ということにあります。喧嘩したい人は、反論すればするほどテンションが上がるわけです。だから完全に理解したい聞き手として徹すると、がっぷり四つにならず、相手は拍子抜けします。相手が密かに望んでいる対応をしないでおく。けれど表面的には相手を理解してとことん聞こうとしている人としてそこにいるわけです。

 「そうだよ、高すぎるんだよ」と来たら、「ではどうすればいいですか?」と尋ねてもいい。「700円ぐらいにしてくれよ」と来たら、「700円なら出せるんですね?」と返す。このとき、相手が本心を語っているのかどうかを見極めます。「どうすればいいですか?」と尋ねたとき、相手が答えられないことがあります。明確な依頼を心で決められていないわけです。あるいはそもそも依頼をしたいとは思っていない。文句を言いたいだけ。そうすると、こういう場合「どうしたらいいですか?」と尋ねると相手はバランスを崩します。答えられないからです。

 つまり、「どうすればいいですか?」(=どうして欲しいのですか?)という質問を相手に投げたときに、
相手が何かを実際にこちらに頼みたいわけではなく、ただ文句を言いたいだけとか、愚痴を言いたいだけとか、虐めているだけという場合、相手は答えに困るのです。

 「800円は高いよ」という発言は、よく思慮されて出てきた自己表現ではなく、この人の自己矛盾が反映されています。なので、その真意を理解したいんですけれどという態度をこちらがとると、この自己矛盾が露呈してくるわけです。

 「どうすればいいですか?」と尋ねると、こういう場合、相手は引いていきます。次が言えなくなるんです。これが戦わずして相手自身の弱さによってコミュニケーションを崩壊させる1つの技術だと言えます。

 とことん相手の内面を受け止める姿勢でコミュニケーションをとると、相手の内面は柔らかくなっていきます。私は相手に抵抗していませんから。すると相手は内面に気づかない状態で強いプレッシャーをこちらにかけ続けることが難しくなるのです。少し落ち着いたところで、こちらの主張を柔らかく、けれどもしっかりと伝えると相手に届く可能性が高まります。

相手に無自覚の怒りや要望や自己中心性があるとき
とことん聞き手に回って寄り添うことで
相手の内面を深く理解しようという態度を見せると
攻撃的コミュニケーションは崩壊する

相手の自分勝手で暴力的なエネルギーを
まともに受けて戦うのではなく
柔らかくなることで相手に返す

合気道や柔道と同じです
 

火のサイン:おひつじ座・しし座・いて座

 「水」の要素が強い人はウェットでしっとりしています。「風」の要素が強い人はサラッとしてクールです。「地」の要素が強い人はどっしりゆったりしています。そして、今回取り上げる「火」の要素が強い人はとにかく熱い。情熱の人です。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

 
「おひつじ座」「しし座」「いて座」は火のサインで "spiritual body"(霊体・スピリチュアルボディー)に関わるプロセスであることを意味します。人間の「霊的側面」です。

おひつじ座(Aries)

 おひつじ座のプロセスは、意志通りに生きるというものです。人間にとって自分が自分たる所以はまず「意志」を持っていることにあります。自分に意志がなく常に誰かの意志に従って生きるとしたら、それは自分とは言えません。

 つまり、「自分である」ためには「自分の意志を実現する」ことが中心命題になるわけです。"Going My Way" (我が道を行く)は「おひつじ座」のプロセスだと言えます。エベレストに登ろうと決めて実行するとか、世界一周するとか、司法試験を目指すとか、とにかく自分の思った通り行動するとき「おひつじ座」のプロセスを生きているのです。

 「おひつじ座」のプロセスには他者の存在がほとんど出てきません。あくまで自分がやりたいと思ったことをやる。それが基本です。他者が出てくるとすれば、自分のやりたいことを邪魔してくるヤツと戦うときです。道を遮るヤツは「敵」ですから、戦う。よって、自分を貫くために相手を倒すことも「おひつじ座」のプロセスに含まれます。

 格闘技やスポーツや戦争は「おひつじ座」のプロセスです。あらゆる勝負の世界が含まれます。強さと勇気と意志力が試される場です。

 ドッキリを仕掛けられた和田アキ子さんは太陽がおひつじ座にある「強い女性」。仕組んだ明石家さんまさんのほっぺたをバシ〜っと平手打ちしました。

しし座(Leo)

 しし座のプロセスは、個性を輝かせ賞賛を浴びるというものです。人前に出て何かをやりたい人、注目を集めたい人、舞台に立ってスポットライトを浴びたい人には「しし座」のプロセスが強く働いています。

 典型的なのは歌手や俳優やパフォーマーです。自分を表現して誰かに見てもらう、聞いてもらう。そして拍手喝采を浴びる。こうやって自分の個性を他者と分かち合うことで輝かせ、人に喜んでもらう。そしてみんなに感謝される。賞賛される。個人であることを最大限にお祝いする大事なプロセスだと言えましょう。

 職業として目立ったことをやらなくても、自分の誕生日にみんなに祝ってもらうようなとき「この日だけは私が主人公」だと思える。みんなの視線が自分に集まる。「今日は私が特別な存在」。そう感じられることが「しし座」のプロセスなんです。

 バレーの発表会で踊った。「すごく上手だったねえ」と来た人に言われる。「その日は自分がヒロイン」。彼氏とデートで見晴らしのいい素敵なレストランへ行った。夕焼けを見ながら美味しい料理を食べ、最後に彼氏からプレゼント。自分が世界の中心にいるような感覚。それが「しし座」のプロセスです。

 カリスマのある人は、自分が「特別な存在」だと知っている。所作が王様や女王様のよう。気品がある。みんなの視線に耐えられるだけの自信があって輝いている。そんな感じです。

いて座(Sagittarius)

 いて座のプロセスは、生きる意味を追求するというものです。人生の最も深い疑問への答えを得たい、そういう情熱が働いています。

 哲学を勉強する、宗教を実践する、大学・大学院で学問をする、海外へ出て視野を広げる。こういった深い探索の過程を指すのです。

 私のサウスノード(前世からの強い傾向)が「いて座」なのですが、宗教とか学問とか海外というのは、前世からやってきたことなのでしょう。私にとってとても馴染みが深いものだと感じます。宗教的修行の人生も、祖国を出て外国に移り住んだ人生も前世にあったでしょう。究極の真理を掴みたいという情熱は私の中に確かに働いています。

 中国からインドに渡って仏教を学び、中国に帰って教えを広めた三蔵法師は般若心経をインドの言葉から中国語に訳しましたが、それが日本に渡って今日でも読まれているわけです。すごいですね。バスも電車もなかった時代に陸路でインドまで行って帰ってきた、その情熱には感動します。「いて座」のプロセスを生きた方ですね。

 5回渡海に失敗し失明しても日本で仏教を広めるという使命を果たした鑑真和上。日本に帰化し奈良で亡くなっています。彼もまた「いて座」のパワフルな人生を全うされました。


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3つのサインのシャドー(影)

 「おひつじ座」のシャドーは暴力破壊的行為です。アグレッシブな衝動を積極的・生産的な方向に使えないと、いさかいやイジメや犯罪行為にもなり得ます。

 「しし座」のシャドーは
ナルシシズム(自己中心性)特権意識です。ちやほやされていると、みんな一人一人が特別な存在だということを忘れ、自分が他者より特別であり、特別扱いされて当然だという傲慢な態度をとったりします。自分が王様や女王様のつもりで、周囲が自分にかしずくことを期待するという態度です。

 「いて座」のシャドーは自分の信念を絶対化するということです。自分の宗教は絶対である。自分の悟りは絶対である。私は唯一正しい真理に到達した、と思う頑固さになってしまうことがあります。原理主義が典型です。「キリスト教はダメ、仏教じゃないと人は救われない」とか、逆に「仏教はダメ、イエス様を信じた者だけが救われる」というような考え方をするのが「いて座」の病理だと言えます。

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 「おひつじ座」ーー自分の意志を貫き、勇気ある行動をとるのはどんな時ですか。

   (例)武道、冒険、スポーツ、救助活動、暴力、いさかい

 「しし座」ーー個性を表現して賞賛されたり、スポットライトを浴びるのはどんな時ですか。

   (例)歌、芝居、踊り、モノマネ、エッセイ、作品展、誕生パーティー

 「いて座」ーー哲学的・宗教的な高み、究極の真理を掴むために何をしていますか。

   (例)瞑想、祈り、読書、セミナー参加、留学、パワースポット巡り

地のサイン:おうし座・おとめ座・やぎ座

 私の父は「風のサイン」に天体が1つもありません。反対に私は「風のサイン」に天体が5つもあるんです。ということで、私はとても言語的でおしゃべりが好きで、音楽とか語学とかコミュニケーションに関わることばかりやっているのに対して、父は口数が少なく、黙々と絵を描いたり、写真を写したり、植木の手入れをしたりします。

 そういう父のサウスノード (前世からの強い傾向)がおうし座で、地のサインなんですね。おうし座的な魂というのは、農民のように大地に根ざしてゆったりとした落ち着きがあります。とても現実的で身体的。私の父はまさにそんな感じです。私の幼少期の思い出は、冬に父とお風呂に入ると、霜焼けにならないようにと私の手足をお湯の中でマッサージしてくれたことです。

 明石家さんまさんは「地のサイン」に1つも天体がありません。私は大好きなんですが、彼は喋ってばっかり(風のサイン)で、落ち着き(地のサイン)がないですよね。

 ということで、今回は、地に足のついた、現実的で身体的な「地のサイン」を見てまいります。

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「おうし座」「おとめ座」「やぎ座」は地のサインで "physical body"(肉体・フィジカルボディー)に関わるプロセスであることを意味します。簡単に言えば人間の「身体的・現実的側面」です。

おうし座(Taurus)

 おうし座のプロセスは、身体的・現実的生活を豊かで安定したものにするというものです。例えば、美味しいものを食べる、立派な家に住む、心地よいベッドで寝る、温泉に入る、貯金をしておく、公務員と結婚する、パートに出て副収入を得る、宝石を買う、ショッピングモールに行くといった表れ方をします。

 冬の寒い夜に、お鍋料理を食べたくありませんか。体が芯から温まりますよね。新しいベッドリネンを買ったり、より快適なマンションに引っ越したり、家庭菜園でトマトやキュウリを植えたり、裏庭にハンモックを吊るして昼寝したり、こういう肉体的な快適さを充実させるのが「おうし座」なんです。

 「おうし座」には抽象的だったり理想主義的なところはありません。極めて現実的で実際的で地に足がついています。学者の机上の空論のようなことを嫌うのです。「美味しいご飯を食べなきゃやってられないわ」という感じ。「理想じゃ食べていかれないのよ」とも言うでしょう。

 とにかく、「おうし座」は肉体を持った現実の人間としてこの世で生き残っていくことを中心命題としているのです。

 スーパーやデパートの安売りには人をかき分けてでも多く商品を掴んでやろうとするオバ様たち、「おうし座」のプロセスをまさに生きています! 逞しい!

 それから、「おうし座」の強い人はとにかく我慢強い。毎年毎年、田植えや畑仕事をやって、天候の影響もなんのその、大自然と気長に付き合いながら、肉体労働をして私たちにお米や野菜や果物を提供してくださいます。

おとめ座(Virgo)

 おとめ座のプロセスとは、完璧を目指して自己修練し、人の役に立つというものです。あらゆる「修行」がここに入ります。例えば、ラーメン屋を開きたいと思って師匠に弟子入りする。厳しい修行の末、自分の店をオープンし、お客さんに美味しいラーメンを食べてもらう。こうやって世の中に奉仕するわけです。

 落語家になることを目指して師匠に弟子入りする。厳しい稽古に耐えて一人前の落語家になる。そして聴衆に笑ってもらう。これも奉仕です。

 航空会社のパイロットになるにも、医者になって患者さんを救うにも、英会話の講師になるにも、一流ホテルの接客をするにも、まずは自己修練を通過しなくてはなりません。自分を高めていく努力をし、その結果、一人前の仕事ができる。そうやって誰かの役に立てる。

 こういった「修行+奉仕」という形は世の中の隅々に存在します。

 日本は「おとめ座」の極めて強い文化を持っています。電車やバスなどが時刻通りに運行される。郵便や宅配がちゃんと荷物を期日までに届けてくれる。日本のサービスは「きっちり」していますよね。他の国だと、電車の時刻はアバウト。郵便物は郵便局員が中身を盗んでしまうなんてこともある。そういう「無責任でいい加減」な仕事を日本人は許しません。日本は極めて完璧主義な国だと言ってもいいでしょう。コーヒー一杯入れるのにも、お蕎麦一杯作るのにも、こだわりの職人技というものがあります。そういう「修行好き」なところが日本人にはあるんですね。

 日本やドイツやスイスが精密機械に強いのは、こういう「細かい職人技」を大事にしているからだろうと思います。アメリカの NASA にも日本の技術が使われている。これは日本の「おとめ座」的な強みに違いありません。

 「おとめ座」には「召使い(servant)」という側面もあります。ご主人様に無私の奉公をするわけです。貴族のご主人に仕える「執事(butler)」、社長に仕える「秘書」、お客さんに給仕する「ウェイター」など、自分のニーズを横へ置いておき、相手の要求に応えることを仕事にする人は、「おとめ座」のプロセスを生きています。

やぎ座(Capricorn)

 やぎ座のプロセスとは、成熟を通して社会のトップに立つというものです。具体的成果を上げ、実力を買われて社会的権威者となるわけで、「伝統の保持者」「権威の執行者」の道だと言えます。

 例えば、イギリスは「やぎ座」の強い国ですが、エリザベス女王二世は極めて「やぎ座」的です。チャラいところがない。堅実で威厳がある。新しいことに飛びつかず、伝統を大事にする。何より実力がある。

 出世欲の強い人には、「やぎ座」のプロセスが強く働いています。社会的成功の階段を登っていこうとするわけです。ステータスというものを意識する。相手になめられないように交渉の時には一流のホテルに泊まるとか、ベンツに乗るとか、高級フレンチを食べるとかします。

 ピアノを習うなら芸大の先生に習う、贈り物をするなら三越で買う、オフィスを構えるなら港区にするなど、社会的権威を意識して行動するわけです。

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3つのサインのシャドー(影)

 「おうし座」のシャドーは、物に執着することです。靴を100足所有したり、洋服やら帽子やら土地やら生命保険やらにばかり意識が行って、物に縛られることもあります。頑固で縄張り意識が強く、変化を嫌って成長できなくなるかもしれません。

 「おとめ座」のシャドーは、神経質で批判的なところです。完璧を目指すので、ちょっとしたミスや不足が許せません。99点とっても1点逃したことが許せないと感じる潔癖なところがあるんです。重箱の隅をつつくような批判をするのも「おとめ座」の強い人。どれだけ達成しても「自分はまだまだ」と卑下して自己否定感を強くもってしまう。相手のミスにも寛容になれず細かく叱りすぎる。こういうところがあります。

 友達が家に遊びに来たら、外の汚れたものが家の中に入ってくるのを嫌がって、玄関でソックスを新しいものに履き替えてもらうとか、まずシャワーを浴びてもらうとか、あるいは友達をそもそも家には入れないなどという人がいます。これも「おとめ座」の極端な表れ方ですね。

 潔癖の王、坂上忍さんは「おとめ座」に天王星と冥王星を持っていますが、強烈に「おとめ座」的性質を表しています。

 「やぎ座」のシャドーは、やはり権威主義ですね。支配的になりやすい。父権主義、男尊女卑、パワハラなどはすべて「やぎ座」の病理です。それから内面の充実より世間体を気にします。社会的評価が全てになってしまうんです。

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 「おうし座」ーー身体的・現実的生活を豊かで安定的にするために、何をしていますか。

   (例)衣食住の充実、貯蓄、農業、ガーデニング

 「おとめ座」ーー自己修練と奉仕(人の役に立つこと)のために、何をしていますか。


   (例)接客、学問、精神的修行、職人技、福祉、医療、教育

 「やぎ座」ーー社会的権威を持つために、何をしていますか。

   (例)資格試験、人脈作り、一流の人や物に触れる、哲学書を読む

風のサイン:ふたご座・てんびん座・みずがめ座

 前回「水のサイン」でお話ししたように、12のサインはすべての人間にとって必要な12のプロセスを表しています。そこに天体があればその人にとって特別に重要な意味を持ちますが、天体がないサインであってもそのプロセスを使っているのです。

 例えば、私は「かに座」に何の天体も持っていませんが、お笑い番組を見るなどしてほんわかしているわけです。

 では、今回は「風のサイン」を見てまいりましょう。

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「ふたご座」「てんびん座」「みずがめ座」は風のサインで "mental body"(知性体・メンタルボディー)に関わるプロセスであることを意味します。簡単に言えば人間の「知的側面」です。ここでは情緒的なものは関わりません。

ふたご座(Gemini)

 ふたご座のプロセスは、広く多様な情報を受け取っては伝達するというものです。まだ深く物事を考えるということは必要ありません。好奇心からいろんなデータを仕入れてきて蓄積し、それを他人に吐き出して楽しむのです。小学生同士のおしゃべりのような感じです。

 明石家さんまさんのサウスノード (前世からの強い傾向)がふたご座にありますが、とにかくあれこれペチャクチャとおしゃべりするのが好きですよね。しっとりするとか悲しくて泣くといった情緒性は「要らない」。ただ情報のやりとりをするのが楽しいんです。広く浅くが重要で、狭く深い話になると笑って避けます。

 「言葉」を通して身近な環境について認識するとか、ダジャレや言葉遊びを楽しんだりといった「知的戯れ」も含まれるわけです。

 小学校のとき、「子・丑・寅・卯・・・」などと干支を覚えたり、「子ブタ→タヌキ→キツネ→ネコ」などとしりとりをしたり、口の両脇を引っ張りながら「学級文庫」って言うと「学級ウンコ」になるよと言ってゲラゲラ笑っているのは、すべて一種の知的興奮だと言えます。

 言語を操ることができるという能力で遊ぶのが楽しいわけです。コミュニケーションの楽しさ。「47都道府県の名前ぜんぶ言えるよ」とか「山手線の駅名をぜんぶ言えるよ」とか「徳川将軍の名前をぜんぶ言えるよ」とかおしゃべりすることで社交が成り立ちますよね。

 大人になっても、どこのスーパーが安いとか、今年はどういう服が流行っているとか、そういう「あまり深刻でない言語的コミュニケーション」、つまり「おしゃべり」をするとき、私たちは「ふたご座」のプロセスを使います。

 深い叙情性は無関係です。

 私の木星はふたご座で、おしゃべりも言葉遊びも大好きです! 言語的コミュニケーション自体がとても好きですね。(笑)

 アナウンサーになりたい、ラジオ番組を持ちたい、イベントの司会者をやりたいという人は、この「ふたご座」のプロセスが強く働いています。

てんびん座(Libra)

 てんびん座のプロセスは、調和するというものです。「人間関係」と「芸術(美的センス)」において表れます。

 「人間関係」では、それぞれが自分を主張するだけではぶつかるので、ぶつからないように優しい言い方をするとか、相手の言い分も聞くとか、ときには自分が遠慮するとか、相手の気持ちが良くなることをするとか、どちらかと言うと「相手に合わせる」ことで波風を立てないようにすることが多いでしょうか。ひとことで言うと「協調性」ですね。

 てんびん座は強い自己主張をすることで相手との関係がギクシャクすることを嫌います。スムーズにしておきたいんです。外交辞令を大事にして本音を隠すこともあります。

 「芸術」も「人間関係」と同様に調和感覚が重要です。この色とあの色を合わせたら調和するとか、この音とあの音はぶつかるから一緒にしない方がいいとか、このテーマならこの会場が適当だとか、そういう判断は「バランス感覚(てんびん)」であり「美的センス」だと言えます。

 てんびん座が強い人は、例えば歩き方や話し方が美しくなるわけです。バランスを求めるエネルギーが強くその人の内面に働いているので、言葉遣いや服装やビジネスのやり方など、あらゆる面でその「美的感覚」が出てきます。

 私の知り合いに画家がいますが、彼女の月はてんびん座です。

 また公平さが重要な仲裁者裁判官にも求められます。

みずがめ座(Aquarius)

 みずがめ座のプロセスは、地域や文化を超えて個性的に生きるというものです。保守的な社会性を超越して、未来的ビジョンを実現しようとします。「型にはまらない変革者」になることが多いです。あくまでも「自由」と「変革」と「未来」を志向すると言えましょう。

 インターネットの普及などは、まさにみずがめ座のプロセスです。世界のどこにいても同じ情報が即座に得られ、スカイプなどを使えば地球の裏側にいる人とも無料でテレビ電話ができてしまう。

 国籍や人種や性的指向などによる差別も撤廃して、それぞれが「オンリーワン」なんだと認め合う。これもみずがめ座の人道主義ですね。みずがめ座の強い人は、コスモポリタン(世界市民)かもしれません。

 SMAP の「世界に一つだけの花」はみずがめ座的な歌だと言えます。「みんな違ったままで素晴らしい」という考え方です。

 みずがめ座は人類全体のことを考える普遍的知性の働きと言ってもいいでしょう。みずがめ座が強い人は、知的なクールさを持っています。感情のプロセスではないので、あまり情がなく冷たく感じることもあるかもしれませんが、思想として高い人類愛を実現させようとしています。

 私の好きな歌手の山本潤子さんは芸術性を表す金星がみずがめ座にあり、洗練された都会的で知的な歌声です。情念を込めて歌う演歌歌手と比べると、感情の起伏があまりなく物足りないと感じる人もいるかもしれません。音色がいつも同じと言いますか。でも、そこがいいんですよね。情にべっとりとならず「さらっとした」ところが。音色がピュアで美しい。クールなターコイズ色の声と言いますか。あれがみずがめ座的な声でしょう。

 バラク・オバマ前大統領はアセンダントがみずがめ座です。知的で世界人類のことを等しく慮っている感じが出ていますよね。

 また、あらゆるイノベーション(技術革新)もみずがめ座です。独創的な製品や働き方なども含まれます。

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3つのサインのシャドー(影)

 さて、すべてのサインは不健全で未熟な出方をすることがあります。「ふたご座」の場合には、広く浅くが裏目に出て、表面的になりやすい。深刻な問題に対処するときには「ふたご座」では足りないんです。ふたご座が強い人は、真剣な話をしているときに話を逸らしたり、あるいはあちらこちらに話が飛んで集中しない。ふざけて終わってしまう。そんな風になることがあります。

 嘘をつくとか誤魔化すといった「知的操作」をすることも得意です。「ふたご座」は言葉を操る能力ですから、言葉をうまく使って都合の悪いことがバレないようにする。あるいは嘘の印象を与える。こういった悪知恵を働かすことができるのも「ふたご座」なのです。

 本音と建前を上手に使い分けるという「二面性」は「ふたご座=二人」の特徴の1つだと言えます。

 「てんびん座」のシャドーは、相手との協調性を重んじるあまり、自分を抑えてしまう、自分を偽ってしまう、相手の機嫌をとってしまう、迎合してしまうということです。ノーと言えないというのもそうです。共依存も「てんびん座」の病理だと言えます。

 「みずがめ座」のシャドーは、反抗のための反抗に熱くなってしまうことです。「みずがめ座」は現状の社会的常識を打ち破って、もっと未来的な世界を作ろうと目指します。多くの保守的な人たちはついていけない。そうすると怒って過激なことをやってしまいがちです。典型は赤軍のような革命家です。ソ連や中国共産党による革命も多くの犠牲者を出していますね。「素晴らしい社会を作ろう」というビジョンはいいんですが、やり方が暴力的になったりするわけです。というのは「みずがめ座」は感情を切り離してものすごく冷徹になることができてしまうからなんです。人類に多大な貢献をした発明家や人権活動家にも「みずがめ座」が強く働いていますが、残忍な革命家にも「みずがめ座」が働いています。

 「みずがめ座」のもう1つのシャドーは、地域差をなくすため、世界どこへ行っても同じになってしまうということです。例えば、どの国に行ってもマクドナルドがあり、ショッピングモールがあり、ハリウッド映画を見るという風に均一化してしまい、地域の趣きが失われがちになるという問題があります。

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 ということで、皆さんは「ふたご座」「てんびん座」「みずがめ座」のプロセスをどのように使っていらっしゃいますか。

 「ふたご座」ーー身近な環境を認識したり、言葉を通して周囲の人と交流したいとき、何をしていますか。

   (例)おしゃべり、SNS、ものまね、ニュース、バラエティー番組

 「てんびん座」ーー人間関係の調和、芸術、生活の美化のために何をしていますか。


   (例)美術、ファッション、インテリア、マナー、外交、調停、迎合

 「みずがめ座」ーー個性的に生きるために、あらゆる人が住みやすい世界にするために、何をしていますか。

   (例)個性的な生き方、人権擁護活動、ホリスティック医療、自己表現

水のサイン:かに座・さそり座・うお座

 占星術を心理学の視点からいろいろと見て参りたいと思います。

 今回は「かに座」「さそり座」「うお座」を取り上げますが、太陽星座(生まれた時の太陽のサイン)に限定せず、すべての人に当てはまる内容です。

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 占星術では10の天体、12のサイン、12のハウスを使いますが、天体は「心理的機能」を、サインは「プロセス」を、ハウスは「領域」を表します。

 例えば、太陽はその人の「根本的動機」のようなものを指します。その「目的」に向かっているとき最も自分らしく感じる、そういうものなので、その人の「アイデンティティー」と言うこともあるわけです。すべての人は太陽を持っているわけですから、「根本的な動機」があるという点ではみんな共通しています。けれども、その「根本的な動機」が生活のどの領域で現れるのかは、太陽がどのハウスにあるかで分かるわけです。

 私の場合、太陽は6ハウスにあります。6ハウスは自己改善や癒しや奉仕や師弟関係などの領域ですが、実際に私はそれらのことに従事しているとき最も自分らしいと感じているわけです。

 そこにサインというプロセスが加わります。自己改善や奉仕に従事することで生き甲斐を感じる私は、どのようなプロセスを通してそれを推し進めていくのか。私の場合、みずがめ座なので「極めて個性的に、地域や文化を超えて、人道主義的に」となります。

 12のサインは、実はすべての人間にとって必要なプロセスであり、みんな12のプロセスの全てを使っているんです。個人によって、またその時々によって、活性化するプロセスは変わりますが、周囲を見渡せば、常に誰かがどこかで12のプロセスを行っています。

 ということで、サイン(星座)は単に人の性格を表すだけのものではありません。社会的現象にも当てはまるのです。占星術はある意味で、生命のプロセスを理解しようとする言語だと言えます。 

 ではいよいよ「かに座」「さそり座」「うお座」についてです。

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「かに座」「さそり座」「うお座」は水のサインで、"emotional body"(感情体・アストラルボディー)に関わるプロセスであることを意味します。簡単に言えば人間の「情緒的側面」です。知性ではなくフィーリングがここでは重要になってきます。

かに座(Cancer)

 かに座のプロセスは、基本的な情緒的安らぎを大事にするというものです。母親の膝の上に赤ちゃんが座って安心している。何の心配もなく、あるがままの自分で抱かれ、ホッとしている。優秀であろうとするとか、高い真理を探求するとか、そういうことはどうでもいいのです。

 とにかく心の根本的な居場所が確保されて、生きていることに対してホッと一息つける。そういう安らぎを得ることが大事なことなんです。

 日本人はホームドラマとか家族愛とか好きですよね。あれはかに座です。また、佐保涼氏が「ザ・有名人占星術」で書いていますが、お笑いの世界に太陽星座がかに座の人がとても多い。例えば、吉本の西川きよし、桂文枝、明石家さんま、岡村隆史、間寛平、清水圭、遠藤章造がみんなかに座。吉本以外でも久本雅美、内村光良、鈴木奈々、ワッキーなどもそう。

 見ていても気が張らない、癒される、そういう人たちですよね。

 お笑いの世界というのは、どんな聴衆でも優しく温かく受け入れてもらえ、ほんわかできる。学があるとか、そういう厳しいことを求めてこない。私たちの中の「幼子」の部分がホッとできる、そういうモード(あり方)だと言えます。

 お笑いの世界では、真面目な話になるとすぐお笑いに変えてしまいますが、それは根本的な情緒的安心を何より重視するからなんですね。大学の講義のようであっては困るんです。バカを演じる人がいることで、どんな自分でも許されている気持ちになる。その安心感が重要なわけです。

さそり座(Scorpio)

 さて、同じ情緒とは言え、ほんわかとした「かに座」と違って「さそり座」になると強烈なものが入ってきます。「かに座」は「このままでいいよ」って感じなんですが、「さそり座」は「変身していきたい」「変容していきたい」んです。

 簡単なところで言えば、皆さん映画とか小説とか恋愛に「没頭する」という経験がおありでしょう。ものすごく「感情移入」して周りが見えなくなるぐらい「没入する」。

 例えば、私の小学校高学年の時には「アルセーヌ・ルパン」の物語を片っ端から読みました。毎晩ベッドで次を読むのを楽しみにしていて、その世界に入り込んでいたんです。

 あるいは、中学の頃になるとショパンの音楽に没頭して毎日ピアノで弾いていたりとか。

 マンガにハマる人もいることでしょうし、アイドルや歌手のファンになるとか、野球チームに没頭するとか、とにかく
何らかの「対象」に感情移入して没頭し、その「対象」と自分があたかも「ひとつになる」かのような体験をするんです。

 恋愛であれば、いつもその相手のことを考えている。情緒が相手とひとつになることを切望している。この延長線上にセックスがあります。「相手と一体化する」という強烈な情緒体験なんです。

 「さそり座」のプロセスは何のためにあるかを考えてみますと、人間はやはり自己完結していたのでは発展がありません何か自分とは違うものを取り込んで、変容していくことでしか成長できないわけです。

 これまでの自分のままでいれば安全ですが、ある意味つまらないですよね。何か新しい体験がしたい、未知の人と出会いたい、外国へ行ってみたい、見たことのないものを見てみたい、食べたことのないものを食べてみたい。

 これはすべて自己変容を起こします

 異質なものと出会い、深く触れ合うことによって、私たちは根底から変わっていきます。これはちょっと怖いことかもしれません。ある意味で安全が脅かされますから。

 恋愛したりセックスしたり映画に没頭したりすると、情緒の根底から覆されるようなショックを受けます。一皮も二皮も剥けて「違った人間」に変身していくんです。

 こういうものすごく「ダイナミックなプロセス」がさそり座なんです。

 ということで、さそり座が強い人はセクシーでミステリアスだと思われたりします。ちょっと危ない感じです。飲み込まれそうな魅力を湛えている。強烈さがそこにある。

 「この人と付き合ったら、これまでの自分ではいられなくなる」という予感がある。 

 古い自分が死に、新しい自分が生まれるという「再生のプロセス」でもあります。

うお座(Pisces)

 さて、強烈な「さそり座」の後に、また優しい「うお座」がやってきます。優しいと言っても「かに座」の家庭的な身内感覚とは違って「うお座」は「あらゆる境界を超越して万物と融合する」という超越のプロセスです。

 個性とか国籍とか性別とか職業とか文化とか時代とか、そういう全ての区別が意味を持たない「ワンネス」の世界なんです。自分が人間であるということすら意味を持ちません。

 空海が「私は空と海とひとつであった」と言った悟りの世界です。

 うお座が強い人は、あらゆるものを受け入れる「海のような感じ」があります。区別をしない。これじゃなきゃダメという「こだわり」がない。なんでも無条件に受け入れてくれる感じです。

 形がカッチリと決まっている「現実の世界」から最も遠いのがうお座です。イマジネーションの世界やスピリチュアリティーの世界に通じています。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とかミヒャエル・エンデの「ネバーエンディングストーリー」などは幻想の世界ですが、とても「うお座的」です。

 ジブリの映画なんかもそうですね。

 私たち人間はこの物質世界の現実をちゃんと生きることも大事なんですが、時々はそれを超越した次元に行くことも必要です。ある人は芸術に勤しみ、またある人は宗教や神秘体験に向かいます。

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3つのサインのシャドー(影)

 果物を切るために作られたナイフでも、使い方を間違えると怪我をしてしまいます。同じように、人間にとって必要なプロセスとして存在する12のサインも、使い方を間違えると苦しみを生んでしまうのです。

 本来の目的とはズレた「誤った用い方」ということで「誤用・乱用」と言ってもいいですね。

 まず「かに座」のプロセスは、生きていく上で必要な基本的な情緒的安心を得ることが主旨でした。「居心地がいい」「安全だ」と感じられるためにあります。

 これがマイナスに作用すると、例えば、会社の中が親しく家族的な関係になり、お互いの不正を指摘できないため自浄作用が働かないんです。「かに座」は合理的判断を嫌うので、情緒的絆に反して「ここはこのままじゃダメだよ」「これは変える必要がある」となかなか言えない。ほんわかとした身内意識を保ちたいと思ってしまう。こういう「甘えの環境」をこしらえてしまいます

 日本人が大好きな「飲み会」とか「社員旅行」みたいなものも、家族的で情緒的な関係を維持するためで「かに座」のプロセスですね。気持ちをひとつにすると言えば聞こえはいいですが、別の角度からすれば、自立した人間同士の節度ある距離や客観性の欠けた、ベタベタしたどうしょうもない身内の狭い心理的環境になってしまうという危険を孕んでいるんです。

 最近も「この人もそろそろ大臣にしてあげなきゃ悪いかな」という温情的な配慮によって能力のない人を高い地位につけてしまう「甘さ」がありましたよね。これは「かに座」の病理でございます。

 日本人の集団というのは、とかくこの「かに座」的な病理を抱えています。どんな未熟なことをしても母親が温かく許してくれるといった母子的な結合が期待されているんですね。やんちゃで我がままな男たちが好き勝手に振る舞う雰囲気があります。

 さて、「さそり座」は何かと強烈に交わることで自己変容を起こそうということでした。これが正常に機能してこそ、私たちは次々と新しいステージの自分へと脱皮し続けることができるわけです。

 ところが、何かと「強烈に融合したい」というこの衝動は、その人を破滅的な方向にも向かわせます。例えば、次から次へと愛人関係を持つとか、支配服従関係(SMのドラマ)にどっぷりハマるとか、オカルト的なものに耽るとかです。パワフルなものに魅了されるわけです。そのパワーがポジティブで成長を促すようなものならいいんですが、闇の世界へと通じるパワーだったりすると色々と問題を起こします。

 自分に自信がなくて無力だと感じている人の多くは、絶対的自信を持っているかに見える占い師とか宗教家に陶酔して、無批判で信じ切ってしまいます。これも「さそり座」の危険性です。

 200万円も出して壺を買ってしまうとか、正しい信仰を世界に広めるためということで収入の1割・2割を献金するとか、占い師の言われた通りの場所に引っ越したり結婚相手を変えたりなどという人がいます。

 自分のパワーを相手に明け渡してしまって、相手の意思を飲み込んでしまうと、「自分」というものが健全に保てません。

 アイドルの追っかけも同じです。とにかく現実の自分から離れるために、強烈な刺激をくれる相手と一体化したいと願ってしまう。そして、ストーカーになったりします。コツコツと健全な自己改善の努力をしなくなるんです。

 それから、神父が信者の男の子とセックスをするとか、女子高生が部活動の顧問の先生に性的いたずらをされるといったことも「さそり座」の病理的な表れです。

 「さそり座」にはこういう危険なところがありますからご注意ください。

 次に「うお座」はあらゆる区別や判断や境界や形式や責任から解放され、すべての存在と一体になるという超越体験へと誘ってくれる、とても大切なプロセスです。けれども、現実を生きにくくしてしまうという欠点を認識していなくてはなりません。

 現実の痛み苦しみから逃げるために、お酒に溺れる、ドラッグをする、妄想ばかりして仕事をしない、別の人格になりすまして生きるなどといったことになりがちです。

 人生に絶望して自暴自棄になるとか自殺してしまうというのも「うお座」の病理です。生きる意味を見失って犯罪を犯し、獄中で失意の中で亡くなってしまうというのもそうです。

 生活の中に、責任ある仕事をしたり自己鍛錬をしたりして形の世界できちんと積極的に生き甲斐を感じていながら、その部分とバランスを取るために幻想的な芸術や神秘世界に耽る時間も持つというなら問題ありません。けれども、現実に生きることが疎かになるほどイマジネーションや超越次元ばかり求めると人間としての生が成り立たなくなってしまいます。

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 ということで、皆さんは「かに座」「さそり座」「うお座」のプロセスをどのように使っていらっしゃいますか。

 「かに座」ーーほんわかとした安心感や身内の親密さを感じたいとき、何をしていますか。

   (例)家族団欒、ホームドラマ、お笑い、おしゃべり、動物、マザコン

 「さそり座」ーー新しい自分へと変容していくために、何に感情移入していますか。

   (例)映画鑑賞、読書、演劇、バンド、恋愛、オカルト、セックス

 「うお座」ーーあらゆる形や制限を超えた「万物との一体感」を感じるために、何をしていますか。

   (例)創作、瞑想、大自然、神秘体験、妄想、自暴自棄、飲酒、破滅

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