菅波亮介のエナジー・カウンセリング(石川県金沢市)

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LGBT 同性愛など性的マイノリティー

私は自分の男性性と女性性にどう向き合ってきたか②

 さて、今回は私の「男性的なところ」と「女性的なところ」をどのように育ててきたかというお話をしたいと思います。それは、欠点に向き合い補強する道のりでもありました。

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 まず、私の「男性的なところ」と「女性的なところ」をいくつか挙げます。

「男性的なところ」
☆決断力がある
☆目標を決めて邁進できる
☆曲がったことが嫌い
☆弱い者を守りたいと思う
☆愛されるより尊敬されたい
☆恋愛では自分からアタックする

「女性的なところ」
☆競争せず譲りがち
☆感受性が強い
☆聞き手に回ることが多い
☆女の子より男の子の方が可愛いと感じる
☆方向感覚が悪く目印で道順を覚える
☆無理をして相手に合わせがち

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 次に、欠点を補うために何をしてきたかをお話しします。

もっと自分を出すように努力してきた

 私はもともと自分を出すのが苦手で、人の話を聞くなど受け手になることの方が多かったんです。自分の気持ちをちゃんと伝えるとか、意思を伝えるということは、自分というものを前に押し出す力がないとできません。これは男性力なんですね。

 不満があっても黙って何も言わない、というのは男性力が足りずに弱いままでいるということなわけです。これじゃダメだなあと思って、意識的に「勇気をもって言いたいことをちゃんと言う」という訓練を積み重ねてきました。

 おかげで今では大抵の状況では言うべきことであれば言えるようになったのです。

自分のマイナス感情に寄り添ってきた

 「自分を出す」のは男性力、「気持ちに寄り添う」のは女性力です。遠心力・発信力は男性性、求心力・受信力は女性性だと私は考えています。

 30代半ばまでは、自分の中に生じた怒りや不安や悲しみを受け止め切れませんでした。それを何年もかけて受け止める訓練を重ねたわけです。自分の心にある感情を受容して共感的に聞く。これをやると自分の心に耳を傾けて深く聞く能力が育まれます。またフィーリング次元で自分というものを受容していることでもあるわけです。

 このようにして自分の女性性を育ててきました。

 現在、多くの人の悩みに耳を傾けて、気持ちに寄り添えるのは、自分の様々な気持ちに耳を傾けることで女性性を育んできたからです。

自分の限界を超えた奉仕をしないことにした

 私は多くの女性と同じようにノーと言うことが以前はとても下手でした。求められたら嫌でも応じてしまったりしていたのです。例えば、聞きたくない長電話でも付き合ってあげたりしました。

 女性性は「断つ」「切る」「線を引く」ということが基本的にできません。それは男性性の仕事なんです。女性性には無条件に何でも受容してしまう柔らかいところがあります。すると相手の望みは自分の望みと思ってしまいがちなのです。

 無理な我慢をして後で愚痴が出る。そういうことを私もやっていました。これじゃいけないと思って、自分が相手にしてあげられることには限界を設けるという「枠組み」を作ったのです。

 これは自分の男性性によって女性性を守ってあげることだとも言えます。

 無制限に相手に与えようとしてしまう「私の中の女性性」に対して、「これ以上与えたら君が傷ついてしまう。この辺で線を引いた方がいいよ」と優しく守ってくれる「私の中の男性性」を育てたのです。

感受性を意識的に磨いた

 感受性が強いと芸術とか癒しなどの仕事にはいいですが、面の皮が厚くないとできない仕事は私には無理です。

 例えば、私にはエネルギーを敏感に感じとる能力がありますが、敏感だと平均的な人が耐えられることに耐えられないという弱みになりかねません。この資質をプラスに生かすためには、感受性が強いことで困らないような生活の枠組みをきちんと自分で設ける(男性性の構築力)とともに、感受性をむしろ磨いて
(女性性の洗練)プロフェッショナルとして生かしていけるようにも努力してきました。

 具体的には、同じようにエネルギーの感受性をもったメンター(師匠)について、直感力を磨いたわけです。おかげで、感受性が強みとして人のために生かせるようになりました。 

不満を伝え合うコミュニケーションに取り組み続けている

 私が小さい頃から苦手だったのは、相手と自分との間に利害衝突が起きたとき、明瞭で非暴力的な方法で利害調整するコミュニケーションをとることでした。

 うまく自分が表現できず不満に終わるか、怒りという形で爆発して気まずくなるか、ということが多かったわけです。

 問題を解決するために心を伝え合うコミュニケーションが取れるためには、男性性と女性性がバランスよく協力できなくてはなりません。

 相手の気持ちや事情を相手の身になって共感的に受け止められるには、成熟した女性性が必要です。豊かな女性性がなければ、聞いたり受け止めたりできません。自分のことを主張するばかりになります。

 反対に、自分の言い分を非暴力的にはっきり伝えるには、成熟した男性性が必要です。怖くて自分が出せないとか、攻撃的な言い方しかできないというのは、男性性の問題だと言えます。

 ということで、男性性と女性性の発達度が最もはっきりと表れやすいのが、利害調整のコミュニケーションなのです。
 

私は自分の男性性と女性性にどう向き合ってきたか①

 私はこれまで男性性と女性性について多くの記事を書いてきました。すでにご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私は極めて中性的で、男か女かという風に完全に分けられないと感じている人間です。

 性的にも男に惹かれたり女に惹かれたりするバイセクシュアルだと2013年に当ブログで公表しています。

 そういう私が男性性と女性性を明確に区別することになぜこだわっているのか。なぜ男とか女とか区別しないで「人間」でいいじゃないかで済ませようとしないのか。

 それは、私がひとりの人間として本当に幸せになるためには、自分の中にある男性性と女性性を同じように扱ってしまうのではなくて、それぞれが必要としている発達過程をちゃんと理解して、別々に育てていかないといけないと思っているからなのです。

 そう、男性性と女性性を同じものとして扱うことが平等なんかではありません。この2つは全く違った性質のものなのです。そして、その違いをちゃんと理解した上で育んでいかないと、どちらも発達し損なってしまう危険があります。

 私は男性性が男性性として成熟して力を発揮するために必要な栄養と、女性性が女性性として成熟して力をはっきりするために必要な栄養は違うと考えています。つまり「男らしさ」と「女らしさ」というものは明らかに違うのであり、補い合う性質であることは間違いありません。

 ただ、私の考えが伝統的な男女観と異なるのは、肉体が男である者には「男らしさ」を求め、肉体が女である者には「女らしさ」を求めればいいとは思っていない点です。

 私はあらゆる人間が「男らしさ」と「女らしさ」を異なる割合で兼ね備えていると捉えています。男性性が女性性より優位な人は、全体的に見て「男らしい」と他人の目には映るでしょうが、そういう人の中にも若干の「女らしさ」もあるのです。

 大部分の人間は、自分の肉体と一致している方の性質と同一化し、反対の性質に対して注意を払っていません。つまり男性の多くは、自分の中の女性性を育もうなどとは思っていないのです。同様に、女性の多くは、自分の中の男性性を育もうという発想をしていません。

 けれども、私のように、男性性と女性性の両方が自分の中にあることをはっきり自覚し「それが自分だ」と認識している人も世の中にはいます。

 何をもって男性性とするのか、何をもって女性性とするのか。社会的に構築された恣意的な区別を超越した、普遍的な区別が可能なのでしょうか。私は可能だと考えています。

 男性性と女性性を対極のエネルギーと捉え、補完的なものとして位置づけると理論として成立するだけでなく、現実にも応用が無理なくできますので、私はこれでいいと感じています。私たちは二元的世界に住んでいますので、あらゆるものが陰と陽に分かれます。例えば、話すと聞く。押すと引く。導くと導かれる。このうちの1つを男性性、もう1つを女性性と考えればいいのです。

 「導く」「リードする」と「導かれる」「従う」という対極を考えたとき、ほとんどの人は直感的に前者を男性的だと感じ後者を女性的だと感じるでしょう。これを逆に捉える人はほとんどいないのではないかと思います。これは社会的に条件づけられているからではなく、実際の男性たちが実際の女性たちと比べて「導くことが好き」「リードすることが好き」という性質を持っているからです。そして「導かれるのが好き」「従うのが好き」と感じるのは女性の方が多いからなのです。

 これは「常に男性が女性をリードすべきだ」とか「女性は男性の言うことを聞いていればいい」と主張することと同じではありません。女性がリードしてもいいし、男性が従っても問題はないのです。ただ、女性がリードするときに使っているエネルギーは男性性で、男性がリードされるときに使っているエネルギーは女性性だと認識することに重要な意味があると私は考えています。

 どんな人でも「男らしい部分」と「女らしい部分」を併せ持っていてもいいし、「男性性を発揮する瞬間」と「女性性を発揮する瞬間」の両方があってもいい。ただし、自分が男性的である瞬間や女性的である瞬間を自覚し、それらの補完的性質と意識的な関係を築いていこうと申し上げているわけです。

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 ②では、私のどういうところが男性的でどういうところが女性的かという話をいたします。
 

トランスジェンダーの女性がバーモント州知事候補に

 8月16日放送の NEWS ZERO からの引用です。

 アメリカ東部バーモント州で14日、11月の中間選挙に向けた予備選挙が行われ、民主党の州知事候補に、心と体の性が一致しないトランスジェンダー が選ばれました。

 バーモント州知事選の民主党候補に選ばれたのは、エネルギー関係の元会社経営、クリスティーン・ハルクイスト*さんです。ハルクイストさんは男性として生まれましたが、男性から女性への性別適合手術を受けたトランスジェンダー だと公表しています。

 ハルクイストさん(62):大変光栄に思っている。今夜私たちは歴史をつくった!

 アメリカで心と体の性が一致しないトランスジェンダー が主要政党の知事候補に選ばれるのは初めてで、11月の知事選で共和党の現職に挑みます。
 *注:「ハルクイスト」は誤りで、正しくは「ホールクイスト」です。

 歴史の時計がまた動いた感があります。

 ホールクイスト氏の受諾演説を聞き、嬉し涙が出ました。

黒柳徹子LGBTについて語る(アメリカ大使館でのインタビュー)

 徹子さんのアメリカ人の友達にはゲイの人がとても多いのだそうです。

 差別する心がなければ、いろんな人に対して好奇心をもって接することができる。

 人間は誰でも変わったところをもっているので、LGBT の人だけが変わった人間だと思ったことがないのだそうです。

 みんな一緒に生きていくんだという気持ちと、自分が知らないことに対して面白いと感じる関心があれば、問題は起こらない。

 海外経験も含めたいろんなお話をされています。(動画10分32秒)



お茶ノ水女子大、トランスジェンダーの学生受け入れへ

 7月2日、お茶の水女子大(室伏きみ子学長)は、戸籍上では男性でも性自認が女性のトランスジェンダーの学生を、2020年度から受け入れることを発表しました。

 なお、日本女子大や津田塾大など複数の女子大でも同様の検討を始めているとのことです。

 アメリカの女子大では、2014年のミルズ大学(カリフォルニア州)を皮切りに、ウェルズリー大学、マウント・ホリヨーク大学、スミス大学(いずれもマサチューセッツ州)やバーナード・カレッジ(ニューヨーク州)などがトランスジェンダーの学生を受け入れています。

 日本の国立大学であるお茶の水女子大が、性的少数者の受け入れを公式に決めてくれたことは、とても大きいですね。これをきっかけとして、人権の認識がこの社会のさまざまな構造に広がっていくことを祈っています。

ヨルダンの女性権利向上に進展

 8月2日放送のNHK国際報道2017から引用します。

 中東ヨルダンの女性にとって、画期的な判断が下されました。
 中東や南アジアなどの国々では、未婚の女性が男性と関係を持った場合などに、一家の名誉が汚されたとして、父親や親戚が女性を殺害する「名誉殺人」と呼ばれる因習があります。
 またヨルダンには、刑法308条に「性的暴行犯は被害者の女性と結婚すれば罪に問われない」とあり、暴行犯はこれを利用して罪を逃れ、被害者も一家の名誉を守るためにこうした結婚を受け入れてきました。
 しかし、この法律が1日、議会で廃止されたのです。
 長年、女性運動家や人権団体が廃止を求めてきたこの法律。撤廃されたことで、女性の権利が守られると期待されています。

 結婚前にいかなる理由があっても性的関係をもった娘は一家の恥だから殺してもよいという道徳観念は本当にむごいと思います。

 カチコチの父性ですね。もうちょっと柔らかさが欲しい。優しさが欲しい。

 今回の進展は本当に嬉しいです。ヨルダンの女性たちとともに喜びたいと思います。

バイセクシュアルの私から見たジェンダーの問題

 私は2013年1月に自分がバイセクシュアル(両性愛者)であることをこのブログでカミングアウトしました。(→記事『私はバイセクシュアルです』)

 私は自分のことをおよそ6割女性、4割男性だと現時点で認知しています。 

 保守的な男女観にはフィットしない自分ですので、「男とはこういうもの」「女とはこういうもの」という固定観念には抵抗があるものの、男女差がもともと社会的に作られただけのものという極端な「ジェンダーフリー」の考え方にも違和感を感じています。

 ジェンダーへのアプローチには3つの発達段階があると私は考えています。

①伝統的段階(the traditional stage)
②脱構築的段階(the deconstructionist stage)
③統合的段階(the integral stage)

 周囲を見渡してみると、3つの意識世界が混在していると私は感じます。

 まず①の伝統的世界では、基本的に世の中には男と女という2種類しかおらず、性質が異なるため、それぞれに合った役割分担をするのが当然だと考えられています。

 「男らしさ」「女らしさ」というものを固定的なものとして自然に受け入れており、疑いません。

 ②の脱構築的世界では、この固定的な性差を撤廃して、すべての人を「同じ人間」として扱おうとします。男だからと言って看護師や保育士になれないのはおかしい。女だからと言って自衛隊員や宗教指導者になれないのはおかしいと考え、あらゆる役割を性差なく開かれたものにしようとします。

 従来「男らしさ」「女らしさ」とされてきたものは、社会的に構築されただけ、つまりそういう観念によって育てるからそうなるに過ぎないと考えます。よって、男の子も女の子も区別せず同じように育てるのが最も人間的なんだと理解するわけです。

 ②の意識は、①に存在した差別から人間を解放するために大きな役割を果たしました。人権の意識がものすごく高いんです。おかげで、従来は社会の中心から離れたところに追いやられていた LGBT の人たちも「同じ人間」として扱われるようになってきました。

 多様なジェンダーのあり方があっていいという、極めて柔軟で優しい人間観なわけです。

 ところが、こういった「ジェンダーフリー」の考えには問題もあることが分かってきました。

 差別をなくすのはいいことだし、多様な性のありかたを認めるのもいいのだけれど、男性性と女性性という性質の違いはやはりあるのであり、それを無視して平坦にしようとすると、男性的な人に女性的であることを、女性的な人に男性的であることを強いるような阻害的影響が出てくるんです。

 そこで、①よりは柔軟な形で、つまり多様な性のありかたを十分に考慮した上で、性差を認めるような統合的な世界にしようという新たな意識へとシフトしていきます。これが③の統合的世界です。 

 これは正に現在進行形で出現している真っ只中の意識で、ここでは私個人の世界観をあくまで参考として扱います。

 まず、男性性と女性性を社会的に構築された人工のものとしてではなく、対極のエネルギーとして定義します。そして、肉体の性に関わらず、すべての人間が異なる割合で両方のエネルギーを持っているものと考えます。

 たとえば、私の場合、肉体は男ですが、エネルギーは6割が女性、4割が男性のエネルギーと捉えます。

 肉体が男で、エネルギーも8割が男性、2割が女性という人は、男性性の特徴を強く顕します。肉体が女で、エネルギーも8割が女性、2割が男性という人は、女性性の特徴を強く顕します。このふたりの人間のエネルギーの差は、社会的に作られたものだとは言えません。生まれながらに持っていたエネルギーの差が大きい。社会生活によって男女エネルギーの割合が変化することは考えられるけれども、生まれたときに差がないと考えるのは間違っています。

 世の中には、肉体が男で、エネルギーは女性のほうが多い人もいれば、肉体が女で、エネルギーは男性のほうが多い人もいます。そして、そういう人も他のすべての人と同様に、自分の中の男女比の求めるものに従って自己実現をしていくのが最も幸せだと考えるのです。 

 つまり、①のいいところと②のいいところを統合し、それぞれの問題点を解消するには、多様性を認めると同時に、歴然とあるエネルギーの差としての男性性・女性性というものを新たに認め直すという作業が重要なのです。

 ②の意識が見落としがちなのが、本来が女性的な人が男性と同じようになろうとすることで、自分らしさを活かすどころか、不必要に自分を苦しめてしまうという点です。女性的な人は女性的な自己実現を目指せばいいし、男性的な人は男性的な自己実現を目指せばいい。そして、女性性と男性性と併せ持つ人は、両方の性質をうまく併せ持つ形での自己実現を目指せばいい。自分の特性を理解して、それに合った自己実現ができる社会にしていくことが重要だと思うのです。

 最近の脳科学では、男性脳と女性脳が明らかに異なる性質を持っていることが分かってきています。成長の仕方も違うことが判明しています。ですから、同じように扱うことは「悪平等」になってしまう。ただ、肉体が男だから男性脳だと自動的に決めつけないだけの柔軟性が必要です。個性はひとりひとり違うということに対して優しい配慮をした上で、男性性と女性性の差は大事にするわけです。

 内科医・心理学者のレナード・サックスは、欧米の学校で軒並み男子生徒が落ちこぼれてきている現象に警鐘を鳴らしています。彼の分析によると、「ジェンダーフリー」にし過ぎたため、意図せずして、学校システムが「女の子」がよくできるような世界観で管理されるようになってきてしまった。男の子の必要性と女の子の必要性は異なっており、その違いを考慮せずに安易に性差をなくしてしまったため、深刻な弊害が出ていると指摘しているのです。

 私のように男性性と女性性の割合が近い「中性」の人間もいることを忘れてほしくはないのですが、やはり世の中の大部分の人間は、男性性が優位な男と女性性が優位な女なのだろうと推測した上で言えば、男性脳と女性脳では見え方、聞こえ方、学び方に差があるという最新の脳科学研究を踏まえた上で、教育のありかたも両方のニーズに応えるものにしなくてはならないと思います。


参考図書


日本の LGBT 映画がベルリン映画祭でテディー賞受賞

 脚本・監督 荻上直子
 出演 生田斗真、桐谷健太ほか

 映画『彼らが本気で編むときは、』

 今週末、2月25日公開

 生田斗真さんが、トランスジェンダー(MtoF)の人物を演じています。

 今回、荻上監督が受賞したテディー賞は、30年前よりベルリン国際映画祭で LGBT の映画を表彰する目的で設けられました。

 公式サイト http://kareamu.com



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2017年3月6日追記

 本日、映画館で見ました。心の芯まで優しくなる、女性監督ならではの映画でした。見ている間に泣けてくる映画は多いけれど、これは見終わって30分ほどしてじんわりと涙が出てくる感じでした。余韻がものすごい。

 荻上監督は「かもめ食堂」も作っていらっしゃるんですね。あれも私、大好きでDVD持っています。

 性的少数者としては、こういう映画が日本に生まれたことはとても嬉しいです。言葉やロジックで説得するよりも、人の心を動かしてくれますね。

 何度も何度も使われていたマクダウウェルの音楽、実は大好きでよく昔ピアノで弾いていた曲でした。

 生田斗真さんの演技は「圧巻」のひと言!
 

「世界を幸せにする広告展」〜 "Love Has No Labels"

 6月8日に NEWS ZERO で紹介された素敵な広告をご紹介します。

 これはアメリカで差別や偏見をなくすキャンペーンに使われた動画で、
世界三大広告祭の1つ ONE SHOW で金賞を受賞しています。 

 "Love Has No Labels" (「愛にレッテルは貼れない」)と題されたこの広告には、人種や性別、宗教、障害の有無などを超えて愛し合う人たちが登場します。面白いのは、全員がまずはレントゲン画像として登場するところです。あらゆる違いは表面的なもので、奥ではみんな同じというメッセージなんですね。

 Love Has No Gender 〜 愛に性別は関係ない

 Love Has No Disability 〜 愛に障害は関係ない

 Love Has No Age 〜 愛に年齢は関係ない

 Love Has No Race 〜 愛に人種は関係ない

 Love Has No Religion 〜 愛に宗教は関係ない

 再生回数は現時点で5700万回を超えています!

 BGM に使われている音楽は、Macklemore & Ryan Lewisの "Same Love" で、同性愛への偏見をなくしたいと制作され、2014年にグラミー賞を受賞しています。

 よかったらご覧ください。(長さは3分19秒です。)

 

イギリス国会議員の35人が LGBT(性的少数者)

 イギリスの国会議員650人のうち、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)を公表している人が現在35人おり、性的少数者の国会議員の数ではイギリスが圧倒的に世界一となっています。

 国会議員に占める LGBT の割合が5%強で、これは一般人口比にかなり近いです。

 国政を担うリーダーとして LGBT の人材を選挙で選んでいるイギリス国民の間では、LGBT に対する偏見がかなり低いのでしょう。普通の存在として受け入れている人が多いのだろうと思います。かなり進んでいますね。

 イギリスの国会では2013年に同性婚が法制化されましたが、それに至る国会での議論を YouTube で見たとき、意見を言っている国会議員の中に、ゲイやレズビアンとしてカミングアウトしている人たちがたくさんいたことにびっくりしました。いや、進んでますね。

 海外から日本にやってくる観光客がこれから増え続けることはほぼ確実ですが、それとともに同性婚が認められている西洋諸国から、多くの同性カップルが日本にやってくることは間違いありません。それとともに、日本人が間近に同性カップルの現実を見る機会が増え、日本での意識変化も加速化していくだろうと思います。

 性的少数者への偏見が最も強い老年層がこれから減少し、偏見の弱い若年層が日本社会の中心的存在になっていくわけですから、性的少数者の人権向上は日本においても時間の問題だと私は楽観視しています。

参考サイト

International Business Times:
UK has highest number of LGBT politicians in the world
February 22, 2016

http://www.ibtimes.co.uk/uk-has-highest-number-lgbt-politicians-world-full-list-westminsters-gay-mps-1545270 

同性カップルの新しい家族形態

 来る6月9日(月)午後8時よりEテレで「ハートネットTV ブレイクスルー File8 ふたりが選んだ、家族のカタチ」と題して、東小雪(ひがし・こゆき)さん(29)と増原裕子(ますはら・ひろこ)さん(36)が出演します。

 お二人はレズビアンカップルとして東京ディスニーランドで初めて結婚式を挙げ、話題になりました。東さんはここ金沢市の出身で、LGBT団体「レインボー金沢」の創立メンバー・初代代表でもあります。 

 月曜の放送が楽しみです。

 http://www.nhk.or.jp/heart-net/

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6月9日(月)追記

 放送を見ました。お二人がとてもナチュラルで力みがなく、明るい(と言っても表面的な明るさではなく、力強く希望を抱いて前進している姿とか、ユーモアとか)のがとても魅力的でした。

 増原裕子さんのご両親の娘さんに対する気持ちの変遷もとてもリアルで、現在では心底お二人を応援しているのが伝わってきて、心温まりました。

 全体的な感想は、なんか日本もこれから同性婚が当たり前という方向に行くんだろうなあ、それが自然な流れなんだろうなあと、割とすんなりとイメージできたということです。

 セクシュアルマイノリティーのこれからの道のりはまだまだありますが、確実に日本での事情は改善に向かうだろうと確信できました。

6月は LGBT プライド月間

 今月は LGBT プライド月間です。

 1969年6月28日、ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」に警察の踏み込み捜査が入ったとき、同性愛者が抵抗して暴動となりました。この「ストーンウォールの反乱」は、同性愛者への迫害に反対する大きな市民運動へと発展していくきっかけとなりました。

 2000年6月2日に当時のビル・クリントン大統領が、「ストーンウォールの反乱」を記念して、6月を LGBT プライド月間に定めると発表しました。その後、バラク・オバマ大統領も就任後この精神を引き継ぎ、毎年6月に LGBT プライド月間を宣言しています。

 在日アメリカ大使館の HP では、大統領宣言とクリントン国務長官の演説が日本語訳でご覧になれます。また、昨年6月に黒柳徹子さん、佐藤かよさん、尾辻かな子さんをゲストに招いて開催された、アメリカ大使館主催の LGBT プライド月間レセプションのビデオが YouTube でご覧いただけます。

 オバマ大統領の宣言(2012年6月1日)
 http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20120612a.html 

 クリントン国務長官の演説(2011年6月27日)
 http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20110929a.html

 アメリカ大使館主催「LGBT プライド月間レセプション」(2013年6月7日)
 https://www.youtube.com/watch?v=26rbJBPoTgA
 (ジョン・ルース大使の英語のスピーチの後は、すべて日本語です。)
 

 日本を含め、世界中で、性的少数者への差別と偏見がなくなり、人権が尊重されるようになることを願っています。 

マイノリティーとして生きる

「左利き」「障害者」「スピリチュアル」——世の中のいろんな「少数派」

 私の父は左利きなのですが、子どものころ右利きに矯正された経験をもっています。

 当時は、左利きは「異常なこと」「間違い」として見られていたので、「正しいやり方」に変更させられたのです。

 現在ではこのような偏見がなくなり、「左利きのままでよい」という考えが定着した世の中になっています。

 右利きの人が多数派の世の中に、左利きとして生活するというのは、「マイノリティー」(少数派)として生きるということです。 

 この他にも、私はたくさんの「マイノリティー」に出会ってきました。白人が多数派の社会でアジア人や黒人であること。キリスト教徒が多数派の社会でユダヤ人であること。日本人が多数派の日本で在日コリアンであること。「健常者」が多数派の社会で「障害者」であること。

 このように見てみると、いろんな「マイノリティー」があることが分かります。そして、何らかの「マイノリティー体験」を持っている人を集めると、実は多数派になるのではないか、とさえ思えてきます。

 皆さんは、自分が「マイノリティーだなあ」と感じたことはありませんか。それは、どんな領域でしょうか。 

 私は自分が「マイノリティーだ」と自覚したことが結構あります。まず、スピリチュアルなことが大事だとおおっぴらに発言していること自体、「マイノリティー」です。それから、私は11年間アメリカという白人多数派社会にアジア人として生活しました。

 でも、これらの「マイノリティー体験」よりも、もっと根本的に私自身が「多数派でないことを痛感する」体験を私はもっています。

 それは、私が「バイセクシュアル」という「性的少数者」であることです。(記事「私はバイセクシュアルです」で1月にカミングアウトしました。)

「男女」というカテゴリーに入らない「性的少数者」

  人をカテゴライズする時に、国籍や宗教や信条などよりも、真っ先に意識するのが「男か女か」ではないでしょうか。

 大部分の人間は、自分が男だとか女だとかいう自己認識が安定していて、気にもしないのだろうと思います。

 自分がもてる男かどうか、魅力ある女かどうか、などと悩むことはどこでもよくあることでしょうが、自分が果たして男なのか女なのか、という基本的なところで悩む人は、やはり少数派だろうと思います。

 そして私はこの少数派として生きてきたのです。 

 最近はオネエキャラがテレビを賑わしているので、「ゲイ」や「性同一性障害」についての認識が以前より高まってきてはいると思いますが、まだまだ大部分の「性的少数者」は正直に出て来られないのが現在の日本の姿です。

 人口の 5.2 % が「性的少数者」だというデータがあります。日本の人口を1億2000万人とすると、約600万人が「性的少数者」です。

 約20人に1人ですから、日本中の学校の教室に1人か2人は必ずいる計算になります。しかし、そういった「性的少数者」がいるという前提のもとに家庭生活や学校教育や社会活動が行われるという習慣は、この日本ではまだまだ足りていません。私たちが存在しないかのように、授業が行われ、会話が進むことが多いのです。

 たとえば、日本では出会ったばかりの女の人に向かって「彼氏いるの?」などと質問する人がたくさんいますが、アメリカなど「性的少数者」の認知が進んでいる地域では、恋愛対象が男であるとは限らないという理解があるため、特定の性を想定したこのような質問はほとんど聞きません。「パートナーはいますか?」など、あらゆる性的指向に対応できることばが多く使われます。

「からだの性」×「心の性」×「惹かれる性」=多様な「性」のあり方

 「からだは男、心は男、惹かれるのは女」という人は、「男の異性愛者」。

 「からだは男、心は男、惹かれるのは男」という人は、「男の同性愛者」。

 「からだは男、心は女、惹かれるのは男」という人は、「MTF のトランスジェンダーで異性愛者」。

 「からだは男、心は男、惹かれるのは男女」という人は、「男の両性愛者」。 

 こんな風に、3つの要素の掛け算によって、多様な「性」があるのです。

 私は「からだの性が男」「惹かれる性は男女」なのですが、「心の性」はこれまで仮定してきた「男」ではない気が今しています。私はおそらく心でも「男女両性」がしっくりくるなあと最近自覚し始めました。

 私はトランスジェンダーの人のように、男のからだでいるのがイヤだとか、女のからだになりたいと思ったことはありません。男のからだで満足しています。男に好かれたいときに、女のからだの方がよかったかなと考えたことはありますが、そこまで強い気持ちではありません。

 これまで私は「からだの性」と「惹かれる性」の2本立てで自分を捉えてきたのですが、「心の性は?」と問われると、自分の中に確かに存在する「女性性」というものに意識を向けざるを得ません。これまで私は「女性性ももった男性」だと自分のことを捉えてきました。しかし、よく考えてみると、「男性」を基軸にしているのは、「男性のからだ」をもっているからであって、からだを無視して、純粋に、自分の心の性を問うてみると、「6割女、4割男」という性自認の方が、「女性性ももった男性」というより当たっている気がします。

 つまり、私はやはり心においても、惹かれる性と同じように、「両性」なのだと思うようになってきました。

 私は「からだは男」「心は男女」「惹かれるのは男女」の「バイセクシュアル」というのが、現時点での認識です。 

 世の中で多数派である「異性愛者」の方達に理解して頂きたいのは、「異性愛者」以外の私たち「性的少数者」には、様々なタイプがあって、みんな同じではないということです。

 私は男を好きになりますが、「ゲイ」ではないのです。というのは、私は「女」も好きになるからです。 

 すべての「ゲイ」の男性は女装するわけでもないし、手術をして女のからだになりたいわけでもありません。

 「性同一性障害」と呼ばれる「トランスジェンダー」の人の中にも、性転換手術を希望する人もいれば、希望しない人もいます。

 彼らの中には、同性愛者も異性愛者も両性愛者もいます。

 たとえば、女のからだに生まれたけど、性自認(心の性)は男である。そして、女を好きになるなら、この人は心の性から言えば「異性愛者」なのです。つまり、生まれもったからだを除けば、「男性の異性愛者」と中身は同じなのです。

 けれど、女のからだに生まれ、性自認は男で、男を好きになる人もいるのです。すると、心の性から言えば、「同性愛者」ということです。

 このように、5.2 % の「セクシュアル・マイノリティー(性的少数者)」は、多種多様なのです。

 それから、テレビに出ている「セクシュアル・マイノリティー」の人たちは、だいたいが目立ちたがりですが、私が出会った大部分の人たちは、極めて普通の地味な人間で、目立つことを嫌う人もとても多いのです。

 ですから、「セクシュアル・マイノリティー」がみんな一定の服装や化粧をする性格ではありません。多数派の「異性愛者」にいろんな性格の人がいるのと全く同じように、「性的少数者」にもいろんな性格の人がいるのです。

 たとえば、私は目立つことが好きではありませんので、女装することも、化粧することも、パレードで派手な衣装を着ることも嫌いです。そして、欧米でカミングアウトしている多くの「性的少数者」に出会うと、彼らの多くも決して目立ちたがりではない、平凡な人間であることがわかります。

「男の世界」と「女の世界」の両方に親しみと違和感をもつ「中性の私」

 さて、私は「心の性」が男女両性だと言いました。ひとことで「中性だ」と言ってもいいかもしれません。そう、私は「中性的」だと思います。 

 この「中性的な存在」として生きるということは、大変でもあり、悩んできたことでもありますが、実はある意味、面白い体験でもあるのです。

 というのは、私は男とも女とも、「同性」として関わることができます。と同時に、どちらとも完全に同じではないので、どちらも「異性」と感じることがあるのです。

 たとえば、私はほとんどの女性に対しては、「同性」と関わっているような心地よさがあります。私の内面は6割が女なので、女の人と会話をしていても、差がそれほどないのです。

 ですから、「女の心はわからん」という男の気持ちが、私には「わからん」のです。

 ただ、私は100%女ではないので、極めて女っぽい人とは、やはり自分は違うと感じます。そして、極めて男っぽい人とも、距離を感じます。そう、私は男性性を多少持ち合わせた女性や、女性性を多少持ち合わせた男性、つまり中性的なものをもっている人と、もっとも近くて話しやすいと感じるのです。

  私は今では自分のセクシュアリティーを受け入れて、面白いと思えるほどの余裕が出てきましたが、20代30代のころは、まだまだ自己否定が強くて、苦しかったですね。とても人に言える状態ではありませんでした。

 同性愛者もこのような苦しみを味わうことが少なくないと思うのですが、私の場合、自分が同性愛だけでなく異性愛も感じるということが、どういうことなのか、理解できずに長年悩みました。

 つまり、「性的少数者」の中でも、私はさらに「少数者」だったので、理解しにくかったのです。

 私はアメリカで「ゲイ」のサポートグループに行ったことがあります。しかし、私は「ゲイ」たちのグループにいて、心地よくなかったのです。私はなぜか「ゲイ」たちに惹かれなかったのです。そして、これは自分の中の「ゲイ嫌い」なのかと自問しました。

 しかし今考えてみると、私は「ゲイ」でもないし、「ゲイ」を性的対象とも感じていないからだと見えるのです。

 私はどうやら「男の異性愛者」「女の異性愛者」「男の両性愛者」「女の両性愛者」に惹かれるタイプのようです。

 自分でもややこしいと思います。(笑)

 周りに自分と同じような人が少ないので、自分で自分を発見していくしかないんです。「私はこのことにはこう反応するなあ」「では私はこういう人間なのだなあ」と気づいていく旅をしてきたのです。そして、今もこの旅は続いています。

 ひとりひとりは個性をもったユニークな存在だと思いますが、私も皆さんと同じくユニークなんですね。だから、私が私を生きる中で、体験的に自分を発見するしかないんだと思うんです。

 以前は辛かったこの旅ですが、楽しめるようになってありがたいと感じています。私と違ういろいろな人の体験を聞くことも、とても楽しいのです。

 今年になって初めてお会いした人の中には、「アセクシュアル」(asexual=無性愛者)という方もいました。恋愛感情や性的欲求がまったくない人のことです。

 恋愛感情や性的欲求のない人生を体験している人が、この世にいる。「わあ、それは可哀想」なんて簡単に片付けられないのではないかと思うんです。彼らには、彼らにしか見えない、感じられない体験というものがあるのだと思います。そして、そこに何らかの価値があるかもしれないのですから。

「マイノリティーとして生きる」ことの課題と使命(スピリチュアルな視点)

 私は若いころ、自分が男であることに何の疑いも揺らぎもなく、女を追いかけている「普通の男」を羨ましく思いました。自分がどうしてそんな風に生まれなかったのかと運命を恨みました。

 外国人と日本人のハーフとして生まれた子が、自分は日本人の中にいても完全に日本人として受け入れられない、そしてもう1つの祖国でも外人扱いされる、自分はいったい何者なのか、と悩むことが多いように、私も自分が男の世界に完全に入れず、女の世界にも完全に入れず、ハーフの子のように境界で生きてきたんですね。

 そして、それは決して平坦な道ではなかったんです。けれども、ここまで歩んで来て、今言えるのは、このお陰で私は自分が何者であるのか、深く深く自問しなくてはならなかった。だからこそ、私は意識の深みを発見できたんだと思うのです。

 そして、私は男女を超えたものを、自分の中に発見できたわけです。

 私の魂は、男に生まれ、女に生まれ、実に様々な人生をいくつも体験してきたことが分かるのです。

 そして、意識の深い次元においては、すべての形ある生命は、ひとつだということも分かったんです。私たちはあらゆるカテゴリーを超えてつながっているのです。

 そのワンネスの自覚から、この時代にこの国に「マイノリティー」として生まれることを選択した私の魂というのは、この生き様を通して、「無条件の愛」を広げていきたいという情熱をもっているのです。

 「マイノリティー」として生まれたすべての人は、無条件の愛をまず自分に与え、人に与えられるようになることで、大きく全体の進化に寄与したいと思って、そのような運命を自主的に選んで生まれてきたと私は考えています。

 自分が受ける「被差別体験」によって、社会の歪みを自分の痛みとしてまずは受け止め、自分を癒し、それを愛として返していく。このことによって、この世は愛と智慧によって、輝きを増していくのです。そう、あなたが生まれてくれたことによって、あなたがあなたでいてくれることによってです。 

「私はどこか変だ」?

(これは半分フィクションです。)

 私たちの多くは、「自分はどこか変だ」「おかしい」「欠陥人間だ」と信じ込んで、自分を苦しませてしまいます。

 「自分は変だ」と思う根拠を、マインドはいとも簡単に見つけ出します。そうなのです。「自分は変だ」と思いたいなら、理由を見つけるのにまったく苦労はありません。いとも簡単に見つかります。

 「あごが突き出ている」「ほくろがある」などの見かけに始まり、「マイペースで行ってしまう」「マイペースがとれない」「本心を言ってしまう」「本心を言えない」「人に優し過ぎる」「優しさが足りない」など性格的なこと、そして「経済的自立ができていない」「結婚できない」「昇進ができない」「離婚を繰り返す」など能力の評価に至るまで、何でも理由になり得ます。

 さて、あなたは「自分が変だ」「おかしい」と思って苦しんでいますか。もしそうなら、ここでご紹介する対話に、自分の「ストーリー」を当てはめて考えてみてください。

 ここで登場するのは、「ゲイ」であることに悩む男性ですが、「ゲイ」の部分を「結婚できない」でも「自立できない」でも「あごが突き出ている」でも結構です、自分の問題に置き換えてやってみてください。

 では、前回に引き続き、バイロン・ケイティ(K)の登場です。ゲイの男性(A)とのやりとりです。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

K:あなたの悩みは何ですか?

A:僕はゲイなんですが、自分は不自然だと感じています。

K:では、真実をいっしょに吟味していきましょう。「ザ・ワーク」はやったことがありますか?

A:はい。

K:では、やり方は知っているわね?


A:はい。

K:では1番の質問です。「僕は不自然だ」、これは本当ですか?


A:・・・んんん、そう感じるんですが・・・

K:マインドは信じている世界に住んでいるわ。マインドに聞くのではないのよ。マインドが信じていることと真理とを比べるの。真理かどうかは、質問を自分の奥深くに投げかけて、答えが返って来るのを待つのよ。好きだと思っていたことが、ある日実は好きではなかったんだと気づいたりすることないかしら?頭では自分はそれが好きだと信じてそれとつき合っていたの。でも、ある日、本心では違うことを感じていたと気づく瞬間があるの。その気づきは思い込みより深いところからやってくるわよね?その場所に尋ねるの。さあ、もう一度やってみましょう。「僕は不自然だ」、これは真実かしら?

A:いいえ。

K:では、こう信じたら、どんな反応が生じるのかしら?

A:自分が嫌いです。ゲイであることを隠さなくちゃと思います。

K:そうね。そして世間はどんな風に見えて来るかしら?

A:全員が僕のことを拒絶しているように感じます。怖いです。

K:そうね。では、この考えがなかったら、同じ現実をどのように体験するかしら?目を閉じて、心の中で見回してみて。

A:僕はもっと自由です。太陽の光が入ってきます。紅葉がきれいだと感じます。僕は好きなことに集中できています。人は楽しそうに笑っています。

K:はい。では、置き換えは作れるかしら?

A:「僕は自然だ」。

K:はい。あなたは今、自分のセクシュアリティーを問題にしているから、セクシュアリティーに限定して考慮してみましょう。あなたは、自分のセクシュアリティーにおいて「自然だ」と感じることはありませんか?

A:僕が男の人を好きになることは、自分にとって自然なんだと思います。

K:そうね。あなたが女の人を好きになったとしたらどう?

A:うわあ。イヤです。気持ち悪いです!

K:そうよね。それこそ不自然じゃない?(会場から爆笑)

A:僕はお父さんにずっと「男らしくしろ」って言われ続けてきました。タフな父親なので。それで、好きでもないフットボールを学生時代にはやっていました。

K:あらそうなの。それはどうだった?

A:不自然!(会場から爆笑)僕の家族は敬虔なクリスチャンで、日曜日は毎週教会に通っていました。教会では、同性愛は罪だと教わりました。だから・・・(涙)

K:そして、それをあなたは信じたのね?

A:はい。

K:今も信じているの?

A:いいえ。

K:それは良かったわ。

A:でも、なぜかゲイでいることは、悪いことのように感じてしまうんです。

K:多くのゲイの人たちは、ホモフォビア(同性愛嫌い)よ。

A:あああ〜!オーマイゴッド!

K:自分がゲイ嫌いでなければ、自分が他人のホモフォビアに傷つくことはないのよ。だから、あなたの自由のためには、自分の思い込みをこのように吟味することは重要よ。

A:だんだん見えてきました。僕がゲイであることは、自然なんですよね?

K:わからないわ、あなた自身の意見は何?

A:罪だとは思っていないけれど、何かやっぱり同性愛は悪いものという気持ちがゼロにはなりません。

K:何があなたにそう思わせているのかしら?

A:だって、社会の人は悪いものだと思っているでしょ?

K:悪いものだと信じている人は確かにいるわ。でもそんな風に思っていない人も世の中にいるわ。あなたは他人の反応を根拠に、自分の意見を決めるのかしら?他人が悪いと言えば、悪いことになるのかしら?悪いという人と悪くないという人がいたら、あなたにとっての真実は何なのかしら?

A:今聞いていて、僕は拒絶されるのが怖いんだなと気づきました。

K:そうね。世間に受け入れてほしいのね。あるがままのあなたを。でもね。あなたが幸せで平安になるためには、世間の人があなたを受け入れるのを待つ必要はないのよ。あなたが待っているのは、あなた自身の愛なのよ。あなたが、あなた自身をそのままでいいと思えるかどうか、そのままの自分を理解し受け入れ愛することができたら、世間の意見には影響されなくなるわ。

A:ありがとう、ケイティ。僕はこのままでいいんだと気づきました。(会場から大拍手)

K:この会場にいる人たちを見てご覧なさい。あなたは愛されているわ。そう思わない?

A:はい。(笑顔)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 私たちは、自分自身を拒絶し、見捨て、嫌うことによって、傷つき孤独になる。そして、相手に承認してもらうことを強迫的に求めてしまう。

 しかし、私たちが本当に待っていたのは、相手からの愛や承認ではない。自分が自分を捨てることをやめ、自分に寄り添い、自分に戻って来ることである。

 自分を取り戻した自分は、決してひとりではない。決して愛に欠乏することはない。決して無価値感に苦しむこともない。 

NHK は性的少数者を応援しています

 NHK は多くの番組を通して、LGBT(性的少数者)への理解が深まるように、また偏見や差別が減るように、働きかけをしてくれています。

 日本の公共放送を担っている NHK が、LGBT に対して明確なスタンスを取ってくれていることは、とても大きな推進力になっていると思います。LGBT 当事者としてとても有り難く、また力強く思います。

 NHK のホームページでは、LGBT のテーマに絞ったページも設けられていて、いろいろな情報発信や、多くの方からのコメントも載せています。

 現在、民主党、公明党、みんなの党、日本共産党、社会民主党の5政党が LGBT に関する公約を掲げており、LGBT の差別撤廃と人権擁護の取り組みは国政レベルで展開しています。

 LGBT の自殺率が非 LGBT より著しく高いこともあり、社会全体の意識改革と制度改革が強く求められます。

 → NHK のホームページ (LGBT)

いろいろな差別撤廃の歴史

 私はよく今自分の置かれた環境がいかに恵まれたものであり、それが先人たちの血と汗によって獲得されたものであるかということについて思いを巡らせます。

 特に人権と差別撤廃の歴史について考えるのです。

 長い人類の歴史を考える時、「奴隷制度」があったのは、つい最近までです。

 「身分制度」があったのもつい最近までです。全ての国民が選挙で同じ一票をもつなどということは、明治時代より前には考えられなかったことです。誰でも職業を自由に選べるということも。

 「女は教育を受けなくても良い」という考えは、私の祖父母の世代にも色濃くありました。21世紀の日本でも、女は男を立てて従っていればいいという人は少なくないので、女性差別は完全になくなっていませんが、それでも過去100年の向上には目を見張るものがあります。

 人種差別もまだ完全になくなってはいませんが、私の生涯においても南アフリカのアパルトヘイト(人種差別政策)が撤廃されるという歴史的出来事が起きましたし、黒人がアメリカの大統領になりました。

 私の子供の頃には、誰でも写真が簡単にとれるカメラを「馬鹿チョンカメラ」と言っていましたが、これは「馬鹿でもチョン(朝鮮人)でもとれる簡単なカメラ」という意味で侮蔑語だったので、「こういう言葉は人を傷つけるからやめましょう」という動きがありました。(馬鹿チョンのチョンの語源には諸説ありますが、チョンと言われて差別を受けてきた朝鮮人が多いという事実があるため、侮蔑語と考えて差し支えないでしょう。)

 在日コリアンへの差別意識は完全になくなっていないと思いますが、ハングル名を名乗る方も増えてきて、私はとても喜んでいます。日本人として、非日本人が安心して住める慈愛に溢れた社会であってほしいと願うからです。

 身体障害者に対する意識も向上してきて、パラリンピックのように、いろいろな可能性にチャレンジできる世界になりつつあることは、喜ばしいことですね。

 私はどんな人であれ、いかなる理由であれ差別されたり、偏見で見られたり、いじめられることのない世界に少しずつなっていくのではないか、またそうあってほしいと思っています。

 世界にはいろいろな差別を撤廃して、あらゆる人間の心を解放し、それぞれの人が自分の天分を最大限に生かして生活できるような環境に進化していくエネルギーが働いているということを、ひしひしと感じています。

 そういった中で、性的少数者の人権の問題は、私が当事者であるということもあって、大変関心があります。

 アメリカの知人と話しましたところ、この1年でアメリカでもこの領域でとても大きな変化があったそうです。とても保守的なグループでさえ、性的少数者への抵抗を緩めてきていて、理解を示し始めているということです。とてもいい兆しですね。

 人類の歴史が動いている最前線(フロンティア)を感じるとワクワクします。世界は確かに成長しています。 

同性愛と異性愛のブレンドいろいろ

 バイセクシュアルというのは、同性愛と異性愛を両方もっているんです。私の場合、同性愛が強くなったり異性愛が強くなったり波があって、自分のことながら「何だこれは!面白いなあ!」と思います。

 例えば私の場合、10代の頃は同性愛が強かったんです。ところが、だんだんと異性愛が出てきて、女性と付き合っていて満足している時には同性愛の感情はほとんど出てきません。

 40歳を過ぎて、ほとんど異性愛だけになった時期には、「あれ?異性愛者に変わってしまったかな?」なんて思ったこともありましたが、やがてまた同性愛が戻ってきました。

 結局は自分の中に両方あるんです。

 キンゼイという人がセクシュアリティーについて研究していますが、その中でとても興味深いことを言っています。それは、100%同性愛の人や100%異性愛の人もいるけれども、多くの人はその中間のグレイゾーンだということです。

 彼はキンゼイスケールというスペクトルでセクシュアリティーを表現しました。

 0・・・異性にしか惹かれない
 1・・・異性に主に惹かれるが、まれに同性にも惹かれる
 2・・・異性に主に惹かれるが、時々同性にも惹かれる
 3・・・同性と異性に惹かれる割合が同じぐらい
 4・・・同性に主に惹かれるが、時々異性にも惹かれる
 5・・・同性に主に惹かれるが、まれに異性にも惹かれる
 6・・・同性にしか惹かれない

 厳密に言うと、完全な異性愛者は「0」だけ、完全な同性愛者は「6」だけで、あとは両性愛者ということになりますが、「1」の人でも「自分は異性愛者だよ」と言っている可能性は高いです。

 美輪明宏さんは女性に惹かれたことはないとおっしゃっているので、「6」ですね。私は同性に惹かれる気持ちと異性に惹かれる気持ちが、だいたい6:4ぐらいなので、「4」ぐらいだと思います。

 両性愛者だと判明している有名人・歴史上の人物はこちらです→ウィキペディア:両性愛の人物

 日本史では3代将軍徳川家光、織田信長、武田信玄、そしてここ加賀藩の前田利家など。

 もう少し近いところでは三島由紀夫、三善英史、真島茂樹、池畑慎之介(ピーター)、壇蜜など。

 世界で見るとハンス・クリスチャン・アンデルセン、アンネ・フランク、ジョン・メイナード・ケインズ、レナード・バーンスタイン、ジェームス・ディーン、キャサリン・ヘップバーン、マドンナ、レディーガガなどです。

 結婚している人の中にもバイセクシュアルは結構いて、私の知り合いの女性は結婚して子供もいますが、本当は男性より女性の方により惹かれると言っていました。

 とにかく、あなたがどんなブレンドであろうが、「これはおかしいだろうか?」と悩む必要はありません。どんな割合でも自然なのですよ!^^ 

私はバイセクシュアルです

 私は今日、自分がバイセクシュアルであることを両親に伝えました。

 今とても温かく平穏な気持ちです。

 今日このようにカミングアウトする予定は全くありませんでした。

 いろいろな気持ちに向き合っているうちに、「あ、今日これからカミングアウトするんだ」と気づいたんです。

 機が熟したんですね。

 私は両親を悲しませたくなかったので、一生しないかもしれないと思っていました。

 でも、ハートの奥から深い平安とともに、「あ、今ならできる」という気持ちが誘ってくれました。

 だから、びくびく伝えたというよりも、ずっと隠していた宝物を見せるようなワクワク感とともに伝えることができました。驚くほど自分の感情は平静でした。

 そして両親とも平静に受け取ってくれました。母の目には少し涙が見えましたが、拒絶している風ではありませんでした。

 私がこのようにブログでもカミングアウトしているのには、理由があります。

 それは、私にはこの日本を性的少数者が住みやすい社会にしたいという強い思いがあるからです。

 ですから、私はこれから学校で講演をしたり、いろいろなところで発言をし、私の体験を語ることで、性的少数者のことを知ってもらい、また、性的少数者の子供たちが自分を嫌いにならず、自分のままでOKなのだと感じてもらえたら、嬉しいと思います。

 私は幸いなことに、性的少数者への人権運動が日本より進んでいる西洋で11年を過ごしました。とても勇気をもらいました。オバマ大統領も2期目の就任演説で同性愛者の人権向上について言及しています。

 日本でももっともっと意識改革と制度改革が必要です。

 皆さんのサポートが必要です。応援してください。 

☆ ☆  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

「カミングアウトについて」(2013年2月27日追記)

 カミングアウトというのは、「しなければならないもの」ではないと思います。

 私がLGBTの方たちに言いたいのは、「カミングアウトしたくなるまで、隠れていて全然OKですよ」ということです。

 人にはそれぞれ違った事情があり、人生で望むものも違いますから、一概に「皆カミングアウトすべきだ」とか「カミングアウトするのはおかしい」と論じられるものではないと思います。

 カミングアウトすることが、今の自分にとって幸せだと感じられたらすればいい、ただそれだけだと思います。続きを読む

同性愛をきちんと理解し受容する社会づくりを その2

 私が同性愛者と判明している人にはじめて出会ったのは、東京での大学時代とマサチューセッツでの留学時代です。特にアメリカで通った大学では同性愛者である教授の授業を受けましたし、夕食パーティーなどに参加すると、同性愛のカップルがゲストとして来ていたりしたので、アメリカは進んでいるなあと思ったものです。大学のスタッフや、後に私が就職した音楽学校でも同性愛者を公言している人たちが働いていて、職場の人から認められ、平等に尊重されていました。ここでいう同性愛者には男性も女性も含まれます。

 ただ、私が住んでいた地方は極めて民主党支持の強い進歩的な土地柄であったことも事実で、アメリカ全土で同性愛が受け入れられている訳ではありません。より伝統的・保守的な土地では、特に原理主義的クリスチャンの多い地域では、「同性愛は罪である」と信じている人も多く、同性愛を認めていません。アメリカでは黒人奴隷を解放するしないで国が真っ二つに割れた時代もありました。黒人と白人を隔離する政策が取られ、黒人は白人と同じバスに乗る事も、白人用のトイレに入ることも許されなかった時代がありました。差別意識がゼロになった訳ではありませんが、黒人の社会的地位は確実に上がってきました。黒人の大統領が出る時代になりました。これまでの道のりを思うと感慨深いものがあります。同じように、同性愛者への社会的理解と受容は、まだまだこれからの道のりです。

 同性愛が「精神疾患ではない」と発表されたのは、1980年代とつい最近の話です。つまり、精神科医が同性愛を病気扱いしなくなって、まだ30年ほどしか経っていない訳です。(尾辻かな子さんの講義によれば、日本で同性愛を病気扱いしなくなったのは1995年になってからということで、わずか16年前のことです。)科学的に同性愛が異常ではなく、いろいろな性的指向の1つの形態であると判断されたのは、私たちの時代になってのことなのです。ですから、ある意味では同性愛に対する抵抗感や無知、偏見がまだ多く存在するのは仕方がなく、少しずつ取り組んでいくしかありません。

 日本は国として、性的指向に基づく差別を撤廃し人権を擁護する立場を明確にしています。例えば2008年に出された同趣旨の国連声明に賛成しています。また同性愛者の権利擁護団体が東京都の施設を利用しようとして拒否されたことを受けた1994年の東京地方裁判所の判決では、東京都が敗訴し、「一般国民はともかくとして、都教育委員会を含む行政当局としては、その職務を行うについて、少数者である同性愛者をも視野に入れた、肌理の細かな配慮が必要であり、同性愛者の権利、利益を十分に擁護することが要請されているものというべきであって、無関心だったり知識がないということは公権力の行使に当たる者として許されないことである。」という判断が示されています。

 同性愛に関してはいろいろな誤解がありますが、その最たるものが「同性愛は習癖だ」というものでしょう。「習癖」というのは、自分で意図的にそういう「趣味」を「選んだ」ということです。同性愛者と付き合えばよく分かりますが、同性愛は自分で意識的に選んだものではありません。科学的にも同性愛が無意識なものであることが分かっています。つまり、異性愛者が異性に惹かれることを選んだ訳ではないのと同じように、同性愛者は同性に惹かれることを選んだのではないのです。同性愛者になるならないを自分で選べるのであれば、悩んで自殺する若者は出ないでしょう。誰も好きで被差別民になろうとはしないでしょうから。

同性愛をきちんと理解し受容する社会づくりを その1

LGBTとは、Lesbian 女性の同性愛者、Gay 男性の同性愛者、Bisexual 両性愛者、Transgender トランスジェンダー を指し、この4つのグループを「性的少数者」または「性的マイノリティー」と呼んでいます。)

 私はカウンセラーとして同性愛について相談を受けることがあります。世の中にはまだまだ同性愛を含めて性的少数者に対する偏見や差別があり、十分に理解され受け入れられているとは言えない状況です。こういった現実の中で、苦しんでいる方が大勢いらっしゃることを、私たちは忘れてはならないと思います。

 世界保健機構(WHO)も国際医学会も日本精神神経医学会も、同性愛は「異常」でも「病気」でもないという見解を発表していますが、こういう認識に至ったのは20世紀後半になってからで、社会がこの認識を感情レベルで共有するには、まだまだ人の意識に変革が必要だと思います。

 世界には同性愛が違法であり、死刑になる国もまだ存在します。それらの国々はアラブ世界とアフリカに集中しています。インドでも最近まで違法であり、終身刑にまでなり得る「犯罪」だったのですが、国連からの働きかけもあり、2009年に同性愛は違法でなくなりました。欧米の先進国の多くでは、同性愛への理解と寛容が社会の多数派の精神となっており、同性婚が法律として認められている国や地域は増えています。

 先月ニューヨーク州で同性婚が合法化されたばかりですが、アメリカでは同性婚を認める州と認めない州があり、同性愛者の人権はまさに今進展中の社会問題です。

 私は金沢市で養護教員をされた Y 先生と30年以上親しくお付き合いさせて頂いていますが、先生がリタイアなさる前に一度お聞きしたことがあります。「教員生活の中で、同性愛だと言って悩みを打ち明けてきた中学生がいましたか?」と。先生は「一度もない」とお答えになりました。当時アメリカに住んでいた私は、大変驚きましたが、同時に「やっぱり」という思いもありました。同性愛の感情をもつ子供は、抑圧的な日本、そして金沢では安心して相談することができず、ほぼ全員が「押入れに閉じこもっている」、つまり隠れている状態なのに違いありません。こういう社会のままでいいのでしょうか。

 金沢に同性愛の子供がゼロということはあり得ません。統計的にどの民族にも数%の同性愛者がいます。そして同性愛は自分で意識的に選択できるものではないため、無理解と社会的拒絶を恐れて隠れているというのが現実な訳です。

 私は性的少数者の人権だけでなく、少数民族の人権にも関心を寄せています。同じ人間として、在日コリアンやアイヌの人たちが差別されずに幸せで暮らして欲しいと願います。コリアンの人たちが日本で日本名を使った時にはちゃんと扱ってもらえるが、コリアン名を出したら態度が変わったという話を直に聞いたことがあります。これは人間として恥ずかしいことだと思います。例えば姜尚中(カン・サンジュン)さんのような優秀で素晴らしい方が、コリアン名で活躍されているのを見ると、民族を超えて人間として良かったなあと思います。自分のことのように嬉しく思います。

 同じように、同性愛の人たちがそれぞれ伸び伸びと個性を発揮して社会のために尽くしているのを見ると、同じ人間として良かったなあと思います。同性愛の人たちは、病気ではないのです。性のさまざまな形の1つとして、太古より人類にあったものなのです。恐れるべきものではないのです。そして、チャイコフスキーやバーンスタインのように音楽の分野で私たちの人生を豊かにしてくれた同性愛者(バーンスタインは両性愛者でした)がいたことをきちんと認め感謝できる人間として生きていきたいと思うのです。美輪明宏さんのような歌手・俳優も日本を豊かにしてくれたのではないのでしょうか。

 日本でも最近は政治家で同性愛を公表する方が現れるようになりました。大変勇気のいるパイオニアとして頑張っていらっしゃいます。アメリカでもヨーロッパでも同性愛者が堂々と国政に代表者として選ばれています。日本でも性的指向などが問題にならず、それぞれの人間が自分の良さを生かして社会に貢献できるようになるといいなあと思います。そして、それは時間の問題なのだろうと思います。

 最近地元の新聞で読んだのですが、金沢市の街頭アンケートで「同性婚をどう思うか」と尋ねたところ、「いいのではないか」と答えた人が7割いたそうです。これは本音なのか建前なのかよく分からない部分もありますが、この地域の意識も少しは変わってきたのかなあと思った出来事でした。

 私たちの社会がここ数百年でどのように進化してきたかということを歴史的に振り返ってみると、様々な差別が撤廃され、人権という面で大きな進歩を遂げてきたことが分かります。身分制度があった江戸時代では自由に職業を選択できませんでしたし、身分の上下によって差別がありました。今では民主社会になり誰でもどんな職業にもつけるようになりました。また以前は家長制度があって父親の言うことは絶対でしたが、今は女性が男性と同じ権利を持つようになりました。政治やビジネス、学界などで活躍する女性が増えました。

 しかし、この進化の過程は完成した訳ではありません。現在の社会を見てみますと、200年後にはなくなっているか減少しているであろう様々な差別や偏見がまだ存在することに気づかされます。その1つが性的マイノリティーではないかと思います。つまり、これは私たちの世代が取り組むべき問題であるということです。私たちの子供や孫で同性愛の者がいることは確実であります。その子孫が苦しまなくてよいような新しい世界観と社会づくりをできないものでしょうか。他人事としてではなく、私たちの世代の課題として向き合っていきたいと思っています。

 私は幸いなことに、欧米での生活経験が11年ありますし、同性愛者に対して優しい社会において、彼らがどのように生活しているかということを見てきています。そして同性愛者の大学教授に習ったり、同性愛者の同僚と仕事をしたり、同性愛者の友達と授業を受けるという日常生活を送ってきています。そういった体験をお話することで、未来の日本に対するビジョンを少しでも共有できれば有難いことだと思います。

 ということで、次回は私がアメリカで出会った同性愛者たちのお話をしたいと思います。

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