私は、かねてより肉体的快楽より精神的快感に重きをおき、M男性が自らの欲望のままにプレイを推し進める「希望調教」とは一線を画した、 あくまで女王様主導による「奴隷育成」に情熱を注いで参りました。
そして後述するように自ら奴隷候補を捕獲、調教の結果「畜奴」へと堕としめた経験を基に本格的奴隷調教スクールの設立を企画し鋭意、準備を進めて参りました。
これより「ノーブルシャトー」開設に至りました経緯並びに私のSMとの出会い及びSM観につき、披瀝したいと思います。
私は、東北地方で建設関連の事業を手広く展開している父と専業主婦の母の元に生まれました。
ひとり娘で祖父母にとっても初孫だったので周囲から溺愛されました。
いわゆる世間で言うところの「社長令嬢」的な華やかな生活こそありませんでしたが、かと言って経済的に困窮したことはなく人並み以上の暮らしぶりでした。
そもそも平凡な生活を送っていた私がSM的なるものに目覚めたのは小学生の頃でした。
教室でクラスメートが見つめる中、先生に叱られたり親に遊園地、動物園デパートなど人が多く集まるいわゆる大衆の面前で怒られたとき羞恥心とは明らかに違う妙な興奮を自覚しました。
他方、普段“ガキ大将”的存在だった大柄の男の子を学校の裏山に呼び出し完膚無きまでに痛め付けました。大きな体を丸めて泣きながら許しを請う姿に堪らない快感を覚え以後暴力に訴えて力任せに相手を抑圧する同様の行為を繰り返すようになりました。
やがて中学、高校へ進学
その間、異性との交際もそれなりにありましたが私を気に入り取り入ろうと言い寄る男性にはイケメンだろうとまるで興味が湧かず逆に好意を持っていた人でもいざ交際が始まるとそれまでの熱意は何処へやら急速に冷めてしまう現象が繰り返されるようになり、いつしか普通の恋愛にはまるで興味が無くなってしまいました。
こうして何とも煮え切らない悶々とした日々を過ごす内いつしか、独りの男性を徹底的に専有、人格を奪い、髪型や体型は無論のこと思考や性格に至るまで全てを支配するとともに私の喜びを自らの喜びとして一切を束縛され金、物、全てを没収、最早私の存在なしでは生きていけない本物の「奴隷」を所有したいと真剣に切望するようになりました。
高校卒業後、上京ようやく両親の庇護から離れ独立したのを機に長年抱いてきた願望を成就させるべく強度のマゾ願望を持った男性との出会いを求めSMクラブに入店しました。
ところが実態は、入店当初抱いていたSMクラブのイメージ(同じ趣味、趣向を持つ同好の士が集まり運営されている)とは程遠いものでした。
控え室での会話も稼げた稼げなかった延長が取れた取れなかっただとかファッションの自慢話や芸能関係の話題、果ては私的な交友関係などおおよそSMとは全く関係がないことが話題の中心になっていました。
そればかりか経営者サイドも趣味趣向とはまるで方向性の違うトップレスSMや女王様ご奉仕コースなどを特設、大々的にPRするなどとして心底からSMの奥義を探求したいと願っている純真なマニアの方々の気持ちを踏みにじり、ひたすらSMに名を借りた形ばかりの「商業SM」の世界をひた走っていました。
経営者側が掲げた「商業SM」路線なかでも最大の屈辱を感じたのがいわゆる「オプション設定」で特に聖水や黄金といった生理現象を売り物にすることに強い抵抗感を覚えました。
おしっこ一杯幾ら、うんこ一盛り幾らのようなまるで“牛の乳しぼり”的な商業行為に私の威厳は大きく傷つきました。
そして次第にSM業界の現状を憂いつつ、このままでは単なる金銭目当てのSM風俗嬢に成り下がってしまう私が子供の頃から大切に温めてきた本来の目的であるところの奴隷の飼育など夢物語に終わってしまうと強い焦燥感に駆られるようになりました
何とかして理想を現実のものに出来ないか日々思い悩んでいる内「こうなったらSMクラブではなく、もっと他の場所で理想の奴隷を探そう」と方向性を変更ネット上やSMバーなどで探してみましたが結果はかんばしくありませんでした。
そんなある日、行きつけのSMバーのママが 「そもそも真性サディストとはSMの趣味を持たないノーマルな男性を無理やりに拉致・監禁、本人の希望や事情を一切無視して自分好みの奴隷に仕立て上げる事がSの醍醐味だと思うわ。」と何気なく話していた言葉に触発され身近にターゲットがいないか見渡してみることにしました。
すると勤務先のSMクラブの会長が独身で両親、兄弟とも死別。
身寄りがないことがわかり、その上ワンマン故に、店を長期休んで旅行に出かけたり 結構好き放題に行動しているので周りからも煙たがられ例え拉致 監禁しても騒ぎになることもないと確信したので狙いを定めることにしました。
彼は、30年以上にわたりSM業界に深く関わり札幌、東京、大阪、福岡と全国にまたがる一大SMクラブチェーンを築き上げ打ち出した企画が続々にヒットTVや週刊誌スポーツ誌などマスコミを総ナメ。
“時代の寵児”と持て囃されたこともあるやり手実業家でした
その後、新風営法施行に伴いSMクラブを閉店した後も西武新宿駅前に業界髄一 といわれる大規模なSMパブをオープン。
内装の豪華さでは、日本一の歓楽街、歌舞伎町のなかでも五指に入るといわれた店内で会長として君臨していました。
私は、“その日”に備えて自宅マンション内に鉄筋を用いた頑丈な監禁用の檻を特注、安易に逃走できないような3キロと5キロの鉄の鎖を購入、鋼鉄製の手枷、足枷に連結した上、重さ60kgのダンベルに接続。
更に南京錠で施錠するなど監禁に向け周到に準備を整えました。
また私専用の人間便器用のトイレや畜奴としての身分を自覚させる為、犬用の餌入れを用意、畜奴排泄用の蓋付きバケツ洗浄用のシャワーもベランダに取り揃えました。
監禁調教の整備を終えたある日プライベート旅行に彼を誘い車で一泊二日の行程で岐阜県高山温泉に出掛けました。
片道300キロ約7時間、往復14時間を越える強行日程。
その上2日目は19時には別用があるからと殆ど休憩なく運転させた結果タフで鳴らしたさすがの彼もギブアップ。
マンションまで送ってもらった後、部屋に招き入れ 睡眠薬入りのお茶を勧めたところ疲れが一気に出たのか爆睡してしまいました。
私は小説ばりの光景に興奮しながら彼を全裸にして手、足を拘束 首輪をはめるとともに髪、眉、腋、脚、陰毛など全ての毛を剃り落としました。
剃毛している最中「ここまでした以上もう後戻りは出来ない行く所まで行くだけ」 と、と後悔の念を封殺、自らを鼓舞しました。
やがて夜が明け檻の中で目を覚ました彼は口にはめた箱口具の奥から声にならない声を上げて、うごめいていました。
私は苦しむ様を暫時、眺めた後そのまま放置して部屋を出ました。
5日後、戻ってみると室内には異臭が漂い彼は汚物に塗れ衰弱した様子で横たわっていました。
私は鎖を外し全裸の彼をベランダに追い立てシャワーの栓をひねり身体を洗うように命じました。
彼はボディーシャンプーを一本使いきってしまう勢いで夢中で洗っていました。
その後、檻に戻し室内を清潔にするように命じました。全裸姿で自らの汚物を片付ける「会長」の姿は「惨め」の一言に尽きました。
掃除が終わると私は素早く彼の手足に拘束具を装着しました。
彼は空腹と疲労の為か殆ど抵抗なくなすがままになっていました。
それから3ヶ月にわたり監禁。
店を休んで徹底的な調教を施しました。
最初の内、私の命令を拒もうと抵抗しましたが、その都度「また汚物に塗れたいの」 と強い口調で言い聞かせると余程辛かったのか次第に従順になっていきました。 私は彼に奴隷の立場を自覚させ二度と引き返すことの出来ない「奴隷道」に 引きずり込むべく連日、渾身の調教を行いました。
また彼の奴隷名を人間以下の家畜、家畜以下の最低の奴隷、豚にもなれない未熟な畜奴という意味で「子豚(以下こぶた)」と命名しました。
やがて「こぶた」を捕獲、調教を開始してから90日余りが経ちました 「こぶた」は、精神的にも肉体的にも大分「奴隷」らしくなっていきました。
特に乳首は連日ピンチで挟み重りを付けておいたせいか次第に肥大していきました。
またアナルも極太バイブが入る程、拡張しました。
さらに人間便器として聖水や黄金も食せるようになり、 また店で開催される「おすぶた」ショーに出演させる為アナルを使ってのバナナ切りや卵の出産ショーも出来るよう仕込みました。
その上ご夫婦やカップルにご奉仕させるべく男根奉仕や聖液拝受もできるようにしま した。
ある日、調教の仕上げとして檻から出してベッドに固定。
股間に「眞由美」と入れ墨を入れました。
私は調教の成果である、「こぶた」の股間に彫りこんだ 一生消えない奴隷の証を眺めながら自らの手で奴隷に堕としめた満足感、 達成感に浸りました。
一方で調教が予想以上に順調に進行する過程で私自身真剣に悩んでいることがありました。
それはどうしたら単なる遊戯ではなく男を一生飼えるか、ということです。
この課題にはクリアしなければならない問題が数多く横たわっていました。
1,法的
2,病気になった場合
3,死亡時
など様々な状況を想定しました。
種々考査するなかでSM業界でいうところの“専属奴隷”程度では、とても抱えられないことがわかりました。
そこで究極の選択として「結婚」という道を選ぶことにしました。
「ご主人様と奴隷の結婚」一見奇異に見られるかもしれませんが法的な問題を含め正にこの方法こそが男性を奴隷として生涯縛りぬく。
最良の道と悟ったのです。
例えば運営しているSMクラブなどに何らかの問題が生じ司直の手が入る事態になった場合、夫である「こぶた」を名目上の経営者にしておけば彼が逮捕されることで私の身の保全がはかれるし逆に「こぶた」は前科者となり果て身寄りもなく行き場がなくなった「こぶた」は身許引受人である妻の私の許へ戻ってこざるを得ず。
再び奴隷の身に堕としてこき使うこともできます。
更に「こぶた」が死亡した場合「こぶた」は身よりがないので「こぶた」の遺産を継承するのは妻である私になります。
また病気に冒され病院に担ぎ込まれたとしても親しくしている看護士が勤務している病院があり内部の事情に通じているので「こぶた」の身体についた痣や折檻の跡も怪しまれることなくもみ消せる・・・など様々な角度から検証した結果やはり「こぶた」を「奴隷」として一生飼うには結婚が一番いいということが明白になったので婚姻届を得り寄せました。
何故ならこの婚姻届に署名することは、これから生ある限り私の許から離れることができない人権を蹂躙、自由を一切剥奪され私の「奴隷」として生きていくことになるからです。
言い換えれば「婚姻届」は「生涯奴隷契約書」に等しい存在なのです。
私は首を縦に振ろうとしない「こぶた」に対し熾烈な責めを加えました。
口に箝口具、手に指が全く使えないミトンを被せ乳首には今までの3倍はある錘を吊り下げました。
足枷の鎖もこれまでの3kgから倍の6kgに変えました。
さらに剣山を「こぶた」の尻の下に置きました。
この他、考えられる限りの凄惨な拷問を加えました。 途中、少し休憩、その間、唯一外してやったのは、手に被せてあるミトンだけでした。
何故なら「こぶた」には喋る事も、身体を燻らすことも必要なく、唯、サインができるよう指だけ自由にしてやれば充分だったからです。
そして、甘えた声で耳許で囁きました。
「こぶた、お前は誰の物、誰の喜びの為に生きているの、お前の飼い主は誰、お前の全てを捧げて私に尽くしなさい解っているわよね、こぶた。」 と何度も繰り返しました。
「こぶた」は箝口具を嵌められた口から絞り上げるような声を上げて何かをしきりに訴えていました。
私は 「何が言いたいのか、さっぱり解らないわ。そもそも、奴隷に意志がある訳ないでしょ特にお前は奴隷以下の家畜、家畜にもなれない畜奴なんだから尚更でしょう。畜奴は唯飼い主の言うことに100%従っていればいいのよ。お前が死んだって誰も悲しむ人はいないのよ生かすも殺すも私次第そのことをよく肝に銘じておきなさい。」
それから数時間に及ぶ調教の末、遂に「こぶた」は陥落しました。
最も顔は鼻フックでブタ鼻に吊り上げられ口は箝口具、太い首輪、乳首を錘が何個もつけられたピンチで挟まれ腰をベルトで固定ペニスに貞操帯アナルに空気圧式極太バルーン足首に鋼鉄製の足枷その先にダンベルが付けられ手はすっぽりと赤いラバー製のミトンが被せられた状態の上に鞭打ちやローソク他、様々な拷問が加わるのですから勝敗の行方は最初からついていたも同然でした。
「こぶた」はわずかに自由になる手を使って婚姻届に震えながら署名しました。
同時に永久主夫奴隷の証として「奴隷契約書」にも同様に署名させました。
「字が躍っているわよ、ははははは!」 と私は笑いながら「こぶた」に言いました。
「こぶた」の目は真っ赤になっていました。
この瞬間私たちは正式に結ばれ同時に「こぶた」は生涯私の所有物「永久主夫奴隷」が誕生したのです。
私は子供の時からの夢、私の意のままに動く奴隷どんなに肉体改造しても誰にも文句を言われない万一の時の警察対策用として生涯使役できる専属主夫奴隷を所有できたことに対し感激に浸りお祝いに高級ワインの栓を抜きました。
そして檻に近づき「主従の誓い 全ては私の為に」と書いたメッセージをこぶたに付き付けると共にワイングラスを片手に思い切り喚びました。
「うれしいわ。あ・な・た。」 その後、結婚したことを公にすることにしました。
「この事で、私自身も失うものもあるかもしれないが、ひるまず、この道を歩んでいこう」 と決意を新たにしました。
その方が相変わらず言い寄ってくる男どもを駆逐できるとともにSM関係の皆様のご理解の許、心おきなく堂々と「こぶた」を調教できるからです。
私達は「結婚」しましたが、今後とも「こぶた」には夫婦関係は無論のこと、私の身体には指一本触れさせません。
万一の性欲処理は、素敵なイケメン男性を連れてきて、その場面を「こぶた」に見せつけ屈辱の性交処理をさせようと思います。
その時の「こぶた」が流す涙をみて私の性欲は満たされるでしょう。
今や「こぶた」の存在は私にとって必要不可欠な物となりました。
久しぶりに現れた変わり果てた「会長」の姿に多くのスタッフは驚愕の表情を浮かべると共に冷笑を浴びせていました。
私は「こぶた」にスタッフひとりひとりに土下座して、 これまでの高慢な態度を侘びさせました。
やがて、かつての従業員やS趣味をお持ちの女性やご夫婦カップルの前で屈辱に満ちた「SM調教ショー」が開催されました。
ショーを終え檻に戻された「こぶた」の目から大粒の涙が零れ落ちていました。
それから半年以上にわたりS趣味をお持ちの女性やカップルのご自宅ホテルなどに「こぶた」を派遣、慰み者として奉仕させると共にショー奴隷としてショーにも連日出演。
自宅に帰れば私の専属主夫奴隷として休む間もなく使役させました。 ところが、あまりの激務がたたったのか昨年末「こぶた」が過労で倒れ入院する事となりました。
店も「こぶた」見たさのお客様で大いに賑わっていただけに、やむを得ず、一時休店する事態となりました。
以上、積年の夢、「生涯奴隷」獲得の経緯を私生活の一面を交え縷々述べさせて頂きました。
決して安直な思いつきでない私の奴隷育成にかける熱情をご理解頂けましたら望外の幸せです。






