思い出

2005年09月27日

かかわり(創部60年の記念に)3

 練習が大嫌いでした。特にランパスが。苦しくて、しんどくて、暑くて。
 いつでもやめたんねんと思いながら、結局4年間ラグビー部にいました。
 大学4回生、送迎会(追い出しコンパ)の時、「今後、何らかの形でラグビーに関わっていく。」との主旨で挨拶。しかし内心はうらはら。中学校の先生になるんだから、ラグビー部のあるトコなんてまず少ない。自分は行くはずがない。指導する方に回るなんて大笑い。出来るはずもない。本気でそう思っていました。
 ところが、赴任先は茨田中学校。ラグビーの名門です。前任者は1年前に横堤中学校に転勤された、辻本氏(大教大の大先輩S36年卒)です。部活を指導するなら、むしろ、自分が自信を持っている(中学校や高校で主将をしていた)柔道部、そう思っていましたが、茨田中学校はラグビー部があり、柔道部はない。とんでもない状況になってきました。
 さて、赴任校で、新任紹介の時のことです。教頭先生が、
「湯前先生は、柔道2段で、大学ではラグビーをしていた、スポーツに堪能な 先生です。」
と紹介してくださいました。自分のことを「スポーツに堪能」とは、生まれて最初で最後です。今、46歳ですが、本当に今まで聞いたことのない言葉です。
 また、中学校体育連盟の集まりで、辻本先生に紹介して頂いたときも、
「湯前先生も、ラグビーの虫ですから、いつでも練習試合を組んでほしいとゆうてます。どんどんやったってや。」
といわれました。ラグビー大嫌いな自分が、「虫」とは。運命のような流れ、錯覚のような自分、混乱しながらも、内心は満更でもない。そこで理想の自分に近づく為に、ラグビーの勉強が、ささやかなながらも始まりました。

 その後、茨田中学に新卒から4年、和泉市にある府立伯太高校に5年、現在茨田高校に15年目です。この数年は偉大なる若手(現在27歳です)教員山口優先生に全てをお任せして、茨田高校のラグビー部指導はほとんどしていませんけれども、一応は顧問です。高校教員になってからは、全国高校大会のお手伝いにも毎年行っています。こんなに長くラグビーとの関わりを持つとは思いもよりませんでしたが、比較的強いチーム、元神戸製鋼の弘津選手などの素材の良い選手達(直接的な関わりとは言えないかも知れませんが、現役1回生の武林選手も合同チームでの主力メンバー。彼らのおかげで初めて花園ラグビー場の「チーム関係者席」に座れました。平成14年10人制決勝戦。)、理解ある教員仲間、熱い想いで子どものの教育を託してくださる保護者の皆さん、そして同期の吉江はじめ大教大OBの皆さん、大阪市教員チームの人々、そういった本当にいい仲間、楽しい仲間に恵まれたからであると理解しています。

 卒業後のラグビーとの関わりが長く、ココで自分の教師の方向性と素養が育てられたのもさることながら、現役の4年間があればこそです。シーズンにレギュラーで出ることは本当に数えるほどで、選手としていい目はあまりしていません。しかし、横の繋がり、縦の繋がり、他での経験では得られない大きなものを得た事を、この年になってひしひしと思います。結局、それをベースにココまでやってきたわけです。

 たぶん、ラグビーはぶつかり合うプレーが多いからでしょう。ぶつかり合いながら、一つのことを皆でする、そんなスポーツは他にはありません。一人でも多くの学生が、4年間のラグビー生活を最後までやり遂げて欲しいと願います。教育という世界で生活していくならなおさらです。大阪教育大学60周年万歳。

                       (昭和56年度卒 湯前 トビー 登 )



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