


もうずいぶん昔のこと、私の幼なじみが、初めてモンゴルを訪れたとき、
あ~、ここは私の故郷だ~
と思えて、涙が止まらなかったという話をしてくれたことがありました。
その幼なじみは、某大学の副学長で、日本と世界を行き来する学者なのですが、彼女が頻繁に
訪れているヨーロッパでもなく、アメリカでもない、彼女のイメージとはかけ離れたアジアの一国を、
故郷だと感じたという話をとても興味深く聞いたものでした。
私もこれまで何度かヨーロッパやアメリカには行ったことがあります。
中でも、ドイツやイタリアにはなぜだかわからない不思議なシンパシーを感じたこともありました。
でも、どの国も、ここが私の故郷という感じではなかったのです…。
それが…
な~んて、前置きが長いでしょ

そうなんです


私も初めて、ここだあ~という感じを持てちゃったのです

それは、彼女のように、涙で再会という感じではなく、じわ~っとした深~い底なし沼のような?
愛情で包み込まれる感じの優しさで…
息をしているのを忘れるような、(これは、当たり前か。でも、私にとってドイツやイタリアは、
ドキドキ息を弾ませながら観る場所で、息をしているのが、しっかりわかるって感じだから
)緑豊かな風景の中に身体ごと溶け込んで、自分がその一部になっているって感じ…
ホテルの窓の向こうに広がる光景も、
雨に煙るチェンマイの田園風景も、私という人間を包んで完結した一枚の絵なのでした。

で、思わず口をついて出た詩が、これ。
鳥は唄い、
木々はそよぐ。
猫は寝ころんで動かず、
庭師は終日草をむしって、倦まず。
時は満ちゆく、
ただ、黙して待てばよい…
チェンマイで感じたのは、“な~にもしない”という無制限の自由です。
ヨーロッパやアメリカで感じた、“やりたいことは何でもやれる”という自由と、
それは対極にあるように見えて、実は、表裏一体、無制限の自由。
な~んでもやれる
な~にもやらない…
ただただ、自由。
そこに在る、という自由。
瞑想するまでもなく、風景の一部となった私は、
ただ、そこに在るだけの至福の中にいたのでした。
あ~、しあわせ
