☆サクラとルーエの“きっと大丈夫!”

癒しと学び舎「Casa Ruhe(カーサルーエ)」のオーナー、ルーエの日記です。ブログ「癒しと学び」ものぞいてね☆

“大いなる魂”のお話

ただ、受け入れること

今日は久々に、尊敬する霊能者と電話で話しました。
彼女はいま、仕事のうち、講演や本、DVDの売上はすべて東日本大震災の義援金に
されているのだそうです。

彼女が言われるには、今は「祈り」しかない時だそうですね。
ただただ、心をこめて祈る…
そうなのです、ただただ虚心に祈ることだけ。
私も、“大いなる魂“に、すべてを委ねて、虚心に祈りたいと思います。

で、その会話で彼女に言われたことが、いまだに私の心の中でリフレインしています。
私の古い古い前世のことなのですが…

実は、彼女と会話しているときに、突然電話が聞き取れなくなりました。
(と、彼女が後で言っていたのですが)
私には、彼女の声はハッキリ、くっきり聞こえていたのにもかかわらず、
彼女は「何、これ?え~っ、何これ?」と叫びながら、息子を呼びに行っています。
その声も聞こえているの…
「ねえ、コレ聞いてよ~」
呼ばれた息子いわく、「え?なにこれ?え~っ?」なんて、驚かれるばかりで、
こちらには何もわからない。
その後、あまりにつながらないので、一度切ってからかけ直すと、
「どうしたの~?」
「どうかしました?」
「あなたの声は、宇宙語だったわ。こんな感じ。×××…きゃきゃきゃ(笑ってたらしい)×××
 翻訳しようとしたのに、上手く行かなかったの…」
「…」

混線してたわけでもない、電話のせいでもないと言われて、
そこから再び話しが始まって、彼女が私を霊視してくれたのですが、
思い当たること多々、多々…
前に霊視してもらった前世よりも、ず~っと古い前世が出てきたのでした。

だからどうってことはないのですが、
彼女の結論は、あなたは、あなたの勘通りに動けばいいのよ…でした

そうなんですよ、私は私の勘通りに生きている人で、それしかないのですが、
今日また、その確信を得たのでした。

昼間のお客さまは男性の方だったのですが、その方に向かって私は
「私だって実に現実的な人だったのですが、いつの間にか…」
なんて話しをしたばかりでしたが…

ほんと、人間、どこで自分の出自を思い出すかわかりませんからね~。
あなたも今夜かも知れないし、明日かも知れない。

でも、それがいかにスピリチュアルなお話でも驚いてはいけませんよ
知らないと、昔の私のように苦しみます。
人間はみなスピリチュアルな存在。
あなたが、霊的な前世を思い出したとしても、なんら不思議はないのですから



時には「忍耐」も必要です

このブログでも以前に書いたように、
自分を変えるのは、とても簡単なことです。
そして、なりたい自分になるのも簡単です。

だって、変えようと「思えば」「決意さえすれば」、そしてそのように「行動すれば」いいわけですからね。

だとして、さて、ここからが問題。

昨日、セッションを受けに来てくださったお客様から、
こんな質問を受けました。

自分を変えようと、自分なりに精一杯努力しています。
でも、日々の生活の中で、なかなかそれが通らないことがあるのが辛いのです。誰かのたったひと言で、以前の自分に舞い戻ってしまうような感じもあるし…

なるほど、そうですね
自分を変えるのは簡単だとしても、周りの人に、それを簡単にわかってもらえるわけじゃない。
まして、あなたがガラッと変わろうとしているのなら、なおさらのことですネ。

それは確かに道理です。
周りにいる人たちに、
変わった自分をすぐにも認めてほしいと思っても、
出来れば、周りの人にも変わってほしいと願っても、
それは、なかなかにムズカシイ。

でも、それは当たり前のことなんですよね。
なぜって、周りの人は、自分じゃない。
言ってみれば、立派な他人~
変わろうとしているあなたの思いや変化は、伝わっていないかも知れないし、
周りの人にとっては、わからない方がトクだから、わかりたくないかも知れないし。

そんな悩めるあなたに、贈りたい言葉があります。

「忍受せよ」…

これは、お釈迦様が、お弟子さんのアングリマーラに言われた言葉です。
「現状を肯定し認めて、今はこんな時だと耐え忍びなさい」
というような意味でしょうか。

アングリマーラは、ある事情から99人もの殺人を重ね怖れられていた盗賊ですが、100人目にしてお釈迦様に出会って改心し、弟子にしてもらったという人です。ある日、アングリマーラは市中に托鉢に出かけたのですが、かつての彼の極悪非道ぶりを忘れていない人たちに石を投げつけられたりして血だらけになって帰ります。
そのとき、お釈迦様は彼に「忍受せよ」と言葉をおかけになったのです。彼はその言葉に大いに感じ入り落涙とどめなく…そしてさらなる精進に邁進し、ついには「悟り」を得るのです。

私はこの話が大好きで、自分なりの解釈も加えて引き合いに出しています。

感情を無理に押し殺すような「忍耐」はよくありませんが、こんな「忍耐」はいいと思いませんか?
彼の場合ほど深刻ではないにしても、何かの「行き違い」を解決するためには、ときには「忍耐」も必要なのです。
このような、わかってもらうための「忍耐」は、後ろ向きの意味ではなく、積極的な心構えに通じるものがあります。
それは、わかってもらうために、「確信を持って時節を待つ」という意味なのですから。
(でね、ついでに言うと、この言葉には、起きることはすべて良きこと…という意味もあるの。そのときはイヤなことに思えることも、必ずや良いことにつながっているんだよ~必要なことなんだよ~というね

今は、お釈迦様の弟子といえど、かつては盗賊。
昔の罪をキレイさっぱり記憶から消し去ってくれ、変化をわかれと言われても、
犯した罪の事実は残っているわけですから、おいそれとはいきませんよね。

私たち自身が変わろうとすることは簡単です。
自分だけなら、簡単に変われます。
ただ、それを周りの人にも理解してもらい、新しい自分を貫き通すためには、
しばらくの間、「忍受」を必要とすることもあるのです。

確かアメリカの有名な実業家だったと思いますが、誰でしたかね?
「確信を持って、信念に基づいた行動を取るならば、
自分が考えているような人間になるのは簡単だ…」
と言ったのは?

変わりたいなら、「確信」を持って、変わりましょう。
そして、「信念」を持って行動しましょう。
それを貫くためには、ときには楽しく「忍耐」もしてみましょう。

そうすれば、3日、3か月、3年と大いに変わり、7年もたてば、あなたは光り輝く、“変わりたかったあなた”に変身していることでしょう。
そして、“自分が制限さえしなければ”、天と地ほど違う別人にさえなっていること、請け合いですよ

だからね、みなさん、
ガンバ、ですよ~!!!


手放す勇気

そんなふうに

何でもかんでも自分でやってしまっては、

誰にも、「ありがとう」が言えないよ

そんなふうに

何でもかんでも自分がやってあげても

誰かが、「ありがとう」を言ってもらえない


人はみんな、「ありがとう」の言葉が大好き

だから

「ありがとう」を、自分一人のものにしないで

みんなで分かち合えるといいね


それに、本当はね

「ありがとう」だって、人それぞれ。

あなたには、あなたにとって一番の

あの人には、あの人にとって一番の

「ありがとう」があるはずなんだよ


分かち合えば、みんな上手く行くようになっているんだよ


泣きたいときには、泣こうね

そして、怒りたいときは、素直に怒ろう

人間だもの、喜怒哀楽があって、当たり前。

もちろん、喜楽は、人間を成長させるものだけど、

怒りや悲しみだって、人を成長させるものなのだから

怒りや悲しみを、押さえ込んだりしないで、

怒ったり、泣きたくなった自分を認めてあげてね。

でも、むやみやたらに人にぶつけてしまった感情は、

勝手にどんどん育っちゃうから、

上手にはき出す方法も見つけてあげてね。

喜楽がでっかく育つのは歓迎だけど、

怒哀がやたらと育つと困るでしょ?

だから、上手にはき出したら、

「キャンセル、キャンセル」って、つぶやきながら、お見送りしてね

よくよく考えれてみれば、悲しいとか腹立たしいとかも、

単に人と自分の考え方の違い、とらえ方の違いってこともあるんだから。

人は、この世に“学び”に来たんだもの。

喜怒哀楽ぜんぶが、現世で生きる人間のための“学び”の教科書。

怒哀がわかってはじめて、本当の喜楽がわかるのだと思うから


さて、きょう、あなたは何教科、学びましたか?

私はしっかり4教科。 なかなか難しかったけど、楽しかったよ。


次も大吉

私の目の前で友人がおみくじを引いたところ、なんと大吉。
「スゴイ!良かったね~」と二人して喜んでいたのですが、
そのうち、友人が「でもさあ、大吉だと何となく今が頂点で、その後は下るしかないような…何となく複雑な気分になるのはなぜなんだろう?」と言い出しました。

確かに、私たちはコトが上手く行きすぎたり、幸運だったりしすぎると、
きっと、このままは行かないだろうと怖がったり、いやいや、浮かれていてはいけないぞと自分を戒めたりしてしまうところがありますね。

人はなぜ、幸福過ぎることをこわがってしまうのでしょうか。
良いことがあれば、次にはきっと悪いことがあるに違いない…
だから、“天狗になってはいけないよ”という戒めの言葉だって、いろいろあります。

楽あれば苦あり、とか、楽は苦の種、とかね。

こうした言葉は、「幸運に有頂天になりすぎると足下が疎かになり、いまここに生きることが不可能になるよ」という戒めなら解る気がしますが、
それが、いつの間にか「幸運が長続きするはずがない」「幸福過ぎるのはよくない」などという制限につながるようだと困ります。

思うにそれは、幸福の総量は一定であるという思い込みがあるからかも知れませんね。
自分の人生の幸福の量、世界の人々の幸福の総量は一定、
決まっている~という思いこみですね。

あなたはいかがですか?
ハッキリ言って、それは、勘違いですからね

なぜなら、幸福だという「意識」は、愛のエネルギーであり、愛のエネルギーは無尽蔵だからです。つまり、人は無制限に幸せになれるし、無制限の人が幸せになれるに決まっているからです。

多くのスピ本でも自明のこととしているように、この世のすべてのものはエネルギーから出来ていて、人間の本質もまた霊的なエネルギーです。
そして、私たちは自らの「意識」エネルギーで思い描いた通りの現実を創造しており、だからこそ、「意識」を変容させることで、どのような現実でも作り出すことができるのです。

だから、意識をシフトさせるだけでいいのです。
幸福には限りがない。みんなが一緒に幸福になれる。いくらでもなれる
要は、それを信じることが出来れば、そうなるのです。

万物の源である霊的エネルギーとつながることができれば、誰でもそれを実感できるようになり、この霊的エネルギーとつながればつながるほど無制限に幸せを感じることができるようになります。
しかし、たとえ、霊的エネルギーとつながっていることを実感できなくても「信じることができれば」誰でもそうなります。

霊的エネルギーは、いわば大宇宙のようなもの。私たち人間は小宇宙。
小宇宙は、大宇宙に抱かれてあることを感じながら、きっとそうなると信じること。
みんなが、いくらだって幸福になれるし、幸福になっていいし、みんなで一緒に幸福になれると信じること。
そして、「もう、そうなってる~」と信じること

そういうふうに、「意識」モードを設定すればいいんです

次も大吉に決まってる~、だから、今は思いっきり大吉を喜ぼう~というふうにね



記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ