July 07, 2012

不滅の恋人、そして夜の女王

ベートーヴェンの死後、秘密の引き出しから見つかった宛先不明のラブレター
「不滅の恋人」への手紙が書かれて200年ですか・・・・・・


感慨深いですね。


青木やよひさんが生きてらしたらねえ・・・と思わずにはいられません。


「不滅の恋人」についてはもう何度も書いてきたので
今は書きたいことが思い浮かばないのですが、
「不滅の恋人」と別れた後のドロドロが
いつまでも書けないでいることに自分で困っています。

書こうとすると、なんか気が滅入るんですよね。

うーん、そうですねー、
怨霊伝説を持つ崇徳院よりもむしろ、
ベートーヴェンの方が心の闇は深い気がする。


「不滅の恋人」への手紙は美しい。

「遥かな恋人へ」も後期ピアノソナタも美しい。


だから心惹かれるのだけど、


甥や「夜の女王」の存在なしに彼の晩年はないわけで。

「不滅の恋人」事件以降、精神的に荒廃した彼に
「夜の女王」が対峙しなかったら、
また音楽も変わっていただろうなあ・・・

と思うんですが、

私は対峙できないでいる。 orz


昨日も今日も書こうとはしたんだけど、うーん、
なんか気が滅入るんですよねえ。とほほ。  

Posted by ruhmvollerkaempfer at 22:07TrackBack(0)

June 13, 2012

ふしぎなであい

崇徳院やその周辺について書くためのブログを立ち上げました→そらなるこころ

約2年前も「香川の怪談なんぞを」で書いたように、
元々、崇徳院は好きだったのです。

大河ドラマ「平清盛」に崇徳天皇が出ると知って、
楽しみにしていたのに、第1話を見逃してしまい、
しかもその第1話から崇徳帝(子役)が出ていたと後で知った時は、
あまりの落胆に、

もう見るのをやめよう・・・ orz

と思いました。

でもやっぱり気になり始め、
海賊王辺りから見始めて(つまり第5話の登場も見逃した)
第8話でようやく崇徳帝と西行を見れたーっと思ったら、

まさかの崇徳帝ぼっち設定&男色っぽい演出で、


ヽ(#`Д´)ノ 暴れる


怒って再放送も録画しないでおったのですが、
twitter上では「崇徳帝が西行にキスしていた」等の怪情報が飛び交い
そんなバカな・・・と思いつつ、仕方ないので
NHKオンデマンドで購入して確認し(キスなんかしてないし!)
で、まあ、
せっかくお金払ったんだしー、と、
当該シーンのBGMだった吉松隆さんの

アイノラ抒情曲集~左手のための 作品95 <舘野泉に捧げる> 1.ロマンス

があまりに美しかったので、録音だけ残して繰り返し聴いていました。


吉松さんは著作でいつもベートーヴェンをプッシュしてくださってるので、
一度じっくり作品を聴きたいものだと思っていたのですが、
まさかこういう出会い方をするとは・・・と思いつつ、
聴いていてふと気づいたのです。

崇徳帝役の俳優さんとその近臣(藤原教長)役の俳優さん、
台詞まわし上手いなあ

音楽と相まっていい朗読劇を聴いているみたい

西行さんの台詞まわしだけ浮いて聞こえるほどに・・・ ( ・ д ・ )

それから、崇徳帝役の井浦新(ARATA)さんの過去作品を拝見して、
ああ、この人なら、
この振り幅が恐ろしく大きい崇徳上皇役も余裕でこなせるだろうと感嘆し、
NHK高松局のインタビューに感心し、

まあそんな感じで、ずるずる煩悩の深みへ陥っています。。。


今年は「不滅の恋人への手紙」200周年メモリアルイヤーなのに・・・ orz
しかも手紙が書かれた7/6〜7が、崇徳院新暦誕生日7/7とかぶってる


井浦さんは国芳展で見た浮世絵から崇徳院に興味をもち
携帯の待ち受け画面を崇徳院にしている時に、
崇徳院役のオファーが来て驚いたそうです。


私と崇徳院のつながりらしきものって・・・・・・

ある日、母が、
「占い師に『娘さんは神様に愛されているね』って言われたよー」
と言いながら帰ってきたことがありました。

まさかのアマデウス発言にちょっと動揺して、
「どんな神様?」と訊ねると、母はにこにこして言いました。



「うん、天狗 だって」




節子、それ神様やない・・・ 妖怪や・・・・・・ (゜д゜||)




そんなぐらいですね。 (・ ・A 崇徳院は天狗になったという伝説があります



でも不思議な縁を感じる出来事がありました。

平清盛ナイトというイベントが東京で開催され、
井浦さんが来られるというので飛んで行きました。

その時twitterのフォロワーのRENさんから、
「私も行くよー」とリプをいただきました。

Pixivでは別のお名前で、崇徳帝の絵をアップされていて、
愛が伝わってくる絵がとても大好きだったので、
是非お会いして伝えたいなあと思ったら、

快諾してくださり、


私もベートーヴェンと崇徳院が好きだから


と、言われ



え??? (゜д゜)


そんなこんなで平清盛ナイトは無事終わり、


RENさんにお会いして、

RENさんがドレミ出版の「バッハ」「モーツァルト」「ショパン」を描かれた

岸田恋さんだとわかり、私興奮。


きゃー♪ (つ>▽<)つ (((^□^;  暴れる



岸田さん、実はベートーヴェンが大好きなんだそうです。


飼っている小鳥に「リース」という名前をつけてらしたほどには




そして、

私が、20年前、

崇徳院好きになるきっかけとなった「雨月物語」の漫画も

岸田さんが描いたものだったと後でわかり、私、号泣――



岸田さんが描かれた為朝&崇徳上皇&藤原頼長





あの時録音しなかったら、

井浦さんのことを好きにならなかったかもしれない、

そうしたら平清盛ナイトには行かなかったかもしれない、

そうしたら岸田さんにお会いすることもなかったかもしれない


なんか考えると、
出会いってものすごい偶然の上にあるのだなあと思います。



今日は、故・青木やよひさんの誕生日ですね^^
あとシントラーも・・・


繁忙期のど真ん中でも平清盛ナイトに飛んでいったのは、
青木さんが亡くなったとき、どうしてもっと早く会いに行かなかったのだろうと
後悔したのも大きいんですよね。

その時、その出会いを逃したらもう駄目なんですよね・・・・・・
  
Posted by ruhmvollerkaempfer at 07:47TrackBack(0)

February 26, 2012

歌曲「マーモット(モルモット)」

そういや昨年の秋、twitterのフォロワーであるめっ子さんの
発表を聴きに行って泊めていただきました。

その時に話題に上ったのが、
1805年に出版された「8つの歌曲」(作品52)の第7曲「Marmotte」。


モルモットの歌なのに、

暗い…暗すぎる…!!

と。


確かにドイツ・リート界の重鎮ペーター・シュライアーが歌うと、



↑ この暗さです。

とても、かわいらしい動物を歌った歌には聴こえませんよね^^



「モルモット」は誤訳

"かわいらしい動物"と書きましたが、このMarmotteは、

Guinea 1.jpg モルモットではなく、
[guinea pig(英);Cavia porcellus(仏);Hausmeerschweinchen(独)]
ネズミ目テンジクネズミ科テンジクネズミ属


11


ましてや、

ダイハツ
のるもっと店長 でもなく、




Marmot-edit1.jpg マーモットという生き物です。
[Marmotte(仏);Marmot(英);Murmeltiere(独)]
ネズミ目リス科マーモット属



しかし、マーモットが日本人に馴染がないため、
この歌曲は「モルモット」と誤訳されがちです。


なにしろ、天下のベートーヴェン研究者が集結し編纂した
「ベートーヴェン事典」(1999年)や「ベートーヴェン大事典」(1997年)でも
「モルモット」と訳されていますからね。^^A


別に年代が古いせいではなく、私が持っている本でも、
1971年初版,1997年第2版の川村英司編「ベートーヴェン歌曲集 中声用[改訂版]」では、
ちゃんと「マーモット」と訳されています。


ま、かく言う私も、

この歌は「マーモット」・「サヴォワ地方の少年の歌」だ、

と、日本エスエルシー蝓‥鎮耆男さんが
「モルモットのはなし」第2話 第3話(第1話不明…)に
詳しく書かれているのを読むまで、モルモットの歌だと思っていましたけどね。




「サヴォワのマーモット使い」が歌う歌

『ベートーヴェン事典』の藤本一子さんの解説によると、
この詩は1789年発刊『ゲーテ著作集 第8巻』
「がらくた村の歳の市」(Das Jahrmarktsfest Zu Plundersweilern)に含まれる詩で、
先述の田中さんによると、
その劇中でサヴォワのマーモット使いの少年・若人が歌う詩なのだそうです。


サヴォワ地方のマーモット使いについては、
田中さんの記述をお読みいただくと詳しく知ることができます。

また、アントワーヌ・ヴァトーの「サヴォワのマーモット使い」や、
Francesco Maggiottoの「サヴォワ人と幻灯機(Savoiardi colla Lanterna Magica)
といった絵画でもマーモット使いの様子を伺い知ることができます。
(後者は右側が幻灯機使いで、左側がマーモット使いです。こちらでその他の大道芸の様子も見れます)


さて、マーモット使いの少年が歌うのはこのような詩です。


Ich komme schon durch manche Land, ぼくはいくつかの国を巡ってきた
Avec que la marmotte,           マーモットとともに
Und immer was zu essen fand,      そしていつも食べ物を見つけた
Avec que la marmotte.                     マーモットとともに

Avec que si, avec que la,                    シとともに、ラとともに
Avec que la marmotte.                     マーモットとともに


茶色・斜めになっているのはフランス語です。(サヴォワはフランス南東部)

歌曲に使われているのはこの部分だけですが、

原詩には続きがあります。
原曲に忠実に歌うのが正統なら、続きまで歌うのは邪道なのでしょうが、

続きも歌われることが多いので紹介します。

ただ、詩はネットで検索してもバラバラなため、
検索したものと先述の歌曲集に載っていたものを適当に組み合わせています。
また、ウムラウト等ドイツ語特有の文字はどんなに入力しても自動で消えてしまうため、
aウムラウト→ae、oウムラウト→oe、エスツェット→ssに変えています。
訳は私による「なんちゃって訳」ですのでご注意ください。


Ich hab' geseh'n gar manchen Herrn, ぼくはいろんなお偉方に会ってきた
Avec que la marmotte,          マーモットとともに
der haett' die Jungfern gar zu gern,  女好きなお偉方にね
Avec que la marmotte.          マーモットとともに
Avec que si, avec que la,         シとともに ラとともに
Avec que la marmotte.          マーモットとともに


Hab' auch geseh'n die Jungfer schoen, 美しい乙女にも出会ってきた
Avec que la marmotte,           マーモットとともに
die taete nach mir Kleinem sehn,     ちょっと僕の方を見てくれたらなあ
Avec que la marmotte.           マーモットとともに
Avec que si, avec que la,          シとともに ラとともに
Avec que la marmotte.           マーモットとともに


Nun lasst mich nicht so geh'n, ihr Herrn, ねえ構ってくださいよ、お偉いさん
Avec que la marmotte,            マーモットとともに
die Burschen essen und trinken gern,  少年は飲み食いが好きなもの
Avec que la marmotte.           マーモットとともに
Avec que si, avec que la,          シとともに ラとともに
Avec que la marmotte.           マーモットとともに


飲み食いさせろと要求するあたり、
庶民のしぶとさのようなものも感じますが、
乙女に相手にされず、お偉方に気を遣ってもらえないあたり、
少し軽んじられている
感じがして、
音楽がちょっともの悲しいのはそのせいもあるのかなと思います。


ちなみに、うろ覚えなので間違っている可能性も高いのですが、
ベートーヴェンが生きていた頃のお祭りの宣伝文句に、
「マーモット使いやヴィルトゥオーゾが来るよー」とあって、
ヴィルトゥオーゾ(ピアニスト)もマーモット使いも同等だった、
と聞いたことがあります。




マーモット使いを描く伴奏

田中さんが引用されている渡辺護氏(天下の東大教授)の訳では、

Avec que si, avec que la,  こっちでも、あっちでも ですが、
私は Avec que si, avec que la, を
シとともに ラとともに」と訳しました。


このマーモット使いはマーモットといっしょに旅してるのと同時に
音楽とともに旅してると歌っているんじゃないかな、と。

だからこそ、この詩が若き音楽家ベートーヴェンの心を捉えたんじゃないかな、と。


ま、憶測ですけどね。  ↑ヘ( ・_・)  ( ・_・)_ シュッ ‥… →  やりなげ なげやり

ボン時代の作曲なので、「今度劇場で上演するから曲をつけて」、と誰かに頼まれて作曲しただけかも知れません。



「Marmotte」は、前半の伴奏ピアノが

ミラ ミラ ミ♯ソ ミラ」

ラを持続させているのが特徴です。


なんとなく、異国情緒というか、泥臭さというか、ノスタルジックな印象を受けるこの伴奏、
『ベートーヴェン事典』の藤本一子さんは、


  伴奏左手の分散和音は,歌の前半部分では低音(イ音)を持続して
  ハーディガーディのバス音に似せ,旅芸人の風景を伝える


と解説しています。(p.536)

つまり、こういう ↓ 風景ですよね。



かなりMarmotteに似た演奏を厳選してみました。^^


ちなみに、↑の動画でハーディガーディを演奏しているのは、

 「不滅の恋」の病床のベートーヴェンです… φ(. . )ξー"ーメξ 違うぞばかたれ

Jiri Wehleという方だそうです。


田中さんがマーモット使いがマーモットに芸をさせるのに使ったと書かれている

楽器「ビィエル(手回し琴)」もハーディガーディのことです。
(ハーディガーディのフランスでの呼び名がvielle)

つまり、ベートーヴェンは漠然と異国情緒のようなものを出そうとしたのではなく、
実際にマーモット使いが奏でそうな音楽を描写しているのだということがわかります。



「Marmotte」で踊る人々

そこで、ふと興味がわいたのが、


「Marmotte」をハーディガーディで弾いたらどうなるんだろう? φ(. . )?


YouTubeで探してみたら、見つかりました!




↑ 2008年フランスのお祭りの様子です。
編曲されているので少々わかりづらいのですが、

最初の方のメロディーを弾いているのがハーディガーディです。



それと、「Marmotte」で踊っているのが驚きですよね。

ブルターニュ地方の踊りのCDに「La Marmotte」があったのですが、
これはどうも別の曲のようです。

「Marmotte」で踊るのはフランスだけではなく、



↑ 2009年ウクライナの"Країна Мрій(夢の国)"という
国際的な民族音楽祭でも踊られていました。
ウクライナのWikipediaによると、2004年に始まり、
6月下旬〜7月上旬の祝日に首都キエフで開催されているお祭りらしいです。


動画にはТарас Компаніченко(
Taras Kompanichenko)が演奏する
「Байбак(マーモット)」に合わせて人々が踊る様子が映っているだけで、
演奏の様子はわかりませんが、なんとなくハーディ・ガーディっぽい音もしますね。


あと、もう1つ「Marmotte」で踊っていたのが、




↑ 1997年大晦日のロシアのテレビ番組における
Валерия(Valeriya), Лада Дэнс(Lada Dance) とАлёна Свиридова(Alain Sviridov)
という3人の女性歌手によるパフォーマンス

ただ、同じお祭り騒ぎの踊りでも、
こちらはちょっと退廃的というか、芸能人のお遊び、というか。^^A




ストリートミュージシャンによる「Marmotte」


あと、現代のマーモット使いに通ずるところで
ストリートミュージック的な演奏をピックアップしてみました。



ドイツのお祭りでの演奏



ドイツの「Irrlichter」による演奏


アントワープのストリートミュージシャン



    こういう演奏いいよねー ♪φ(. . ) ゛\ξー"ーメξ 勝手に編曲しおってからに!



日本の「Marmotte」

ヨーロッパ各国の「Marmotte」のついでに、
日本でのマーモットはどうかなというところで・・・



↑ もっとも現代日本的な演奏を選んでみました^^

「マーモット(モルモット)」は、かつては、
日本の音楽の教科書に唱歌として載っていました。

長谷川由美子「日本におけるベートーヴェンの楽譜出版―ベートーヴェン受容史の一側面―」
(『国立音楽大学音楽研究所年報 第18集』 2004 p.191-219)には、

明治23 年には作品52 の7:Marmotte『モルモット』が『海路の歌』と『あすの日和』という2 種類の歌詞によって印刷された。歌詞は両方とも大和田建樹で作曲者名は記載されていない。この曲は「嵌め込み唱歌」の見本のように、元歌とまったく関係のない歌詞によって繰り返し種々の唱歌集に掲載された。『海路の歌』と『あすの日和』以外の題名を列挙してみよう。『水鳥』『流水の曲』『秋の庵』『To-day and To-morrow』『花売』『橘姫』『霜夜』『千鳥』。

と記されています。

これらのうち、「うたごえサークルおけら」(by bunbun)さんのホームページで、
花賣」と「あすの日和」の歌詞を見ることができます。(音量注意)

そちらによると、「花賣」は戦後すぐ(昭和22年)の
「6年生の音楽」に初めて掲載されたようです。

歌人・水町京子による詞をあえて訳すなら

打ち水で清めた朝の巷で
白露輝く紅花や黄花を並べる 涼しい瞳の花盛りの乙女
乙女が売る花に人々はいつも笑顔になる

人々が行き交い賑わう夕方の辻で
秋の野のように香る花屋で花売る乙女
その優しい心を思い人々はみな足を止める


といった感じでしょうか。

池田小百合なっとく童謡・唱歌」さんによると、
「マーモット」は「女学生に人気があった」のだそうです。

     大和撫子のハートを盗んでしまった… ξー"ーξ むふふ   (・ ・;)



まとめ

脱線しましたが、そんなこんなで、
この歌はモルモットを歌う歌ではなく、マーモット使いが自分の遍歴を歌うもので、
彼等がハーディガーディでマーモットを操る様子を描写しているのだと知っていれば、
自然と、





↑ こういう(正統なドイツ・リートらしくない?)庶民的・大衆的な歌い方になって、
そんなに暗くならない、と思うのですが、どうでしょうか?
  
Posted by ruhmvollerkaempfer at 23:59TrackBack(0)

January 23, 2012

ジャスティン・ビーバー vs ベートーヴェン



NicePeterとLloyd Ahlquistが作成している
EPIC RAP BATTLES OF HISTORYの1stシーズンの第6弾が
ジャスティン・ビーバー対ベートーヴェンだったのでお届けします。

ベートーヴェンを演じているのがNice Peter
バッハを演じているのがLloyd Ahlquist
ジャスティン・ビーバーを演じているのがAlex Farnham


ジャスティン・ビーバー(1994-)は若干17歳ながら
10代の女の子に圧倒的な人気があるカナダのR&Bシンガーで、
twitterの検索数は1位、フォロワー数はなんと、
あのレディ・ガガに次いで2番だそうです。

知らんけど。(;´Д`)

記録更新ずくめの順風満帆な音楽活動の裏で、
舞台裏でキスをしてる映像が出たり、http://www.youtube.com/watch?v=A0mkjatkSH0
女の子を殴ったという噂が流れたりもしているみたい。
http://www.allvoices.com/contributed-news/6379364-justin-bieber-punches-a-girl-why


以上、Wikipediaなどのネットサーフィン情報でした。 私がこんなん知ってるわけないやん

以下、ラップに出てくる人達・物達の情報もWikipedia・オンライン辞書より。

ベティ・ホワイト(1922- )
エミー賞を7回受賞しているアメリカの女優ですが、
「ベティ・ホワイトのような臭いがする」というのは、
「古臭い」という意味なのか「加齢臭がする」ということなのか…

スミス&ウェッソン
アメリカ最大規模の銃器メーカー、また同社製の銃。

cock
銃の撃鉄と男性のアレの意味がある(;´Д`)

major third degree murder
長3度(major third)と、
第三級殺人(third degree murder)のダジャレ?
第三級殺人は計画性のない殺人。 (;´Д`) 腹立ってつい殺してしまいました…みたいな

OG
original gangster(本物のギャング)の略。
ベテランの、最高位のギャング。

キム・カーダシアン(1980-)
ビーバーの彼女ではないが、twitterで仲良くしすぎて
熱狂的なビーバーのファンから殺害予告されたらしい。
知らんけど。(;´Д`)

アッシャー(1978-)
"New King of Pop"と称される黒人の人気R&B歌手。

ビーバーがいろんなアーティストのカバーをYouTubeに投稿していたのが
関係者の目に留まり、ビーバーをアッシャーに引き合わせたそう。
で、ビーバーのカバーに感銘を受けたアッシャーが、
レコード会社のオーディションを受けるようにビーバーに勧めたのが
ビーバーのデビューのきっかけなのだそうで、
ビーバーのドキュメンタリー「Never Say Never」にアッシャーも出演しているそうです。

また、アッシャー(usher)という姓には
「門衛」「(劇場の)案内係」という意味があります。


 ↓ 英語苦手だけど訳してみた。


最高の歴史ラップ対決

Justin Bieber 2011.jpgジャスティン・ビーバー




ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンBeethoven.jpg



開始!


(ジャスティン・ビーバー)

見ろよ、みすぼらしいのが
甦ったのを
チューバッカ似で←気の毒なチューバッカさん

自分の髪でケツ拭いてそうな野郎が

俺は次々代のマイケルジャクソンファイル:Michael Jackson 1984.jpg
あんたからはベティ・ホワイト臭ファイル:Betty White 2010.jpg

アスピリンをやるよ
今夜ビーバー熱が出るだろ

なぜなら俺の声はすごい
あんたの音楽はひどい

誰がクラシックなんて聞く?
エリーゼですら俺とやりたい

今あんたが隣に来て
俺にはわかる気がするよ、なぜみんなが映画で

あんたをに演じさせるのか
File:Beethoven'1992.jpg



(ベートーヴェン)

座れ、ガキ
音楽のお勉強をさせてやる

バッハに聞いてみろ、
私のcockはスミス&ウェッソン以上だって


Never Say Never? (絶対違うなんて言える?)



どうせ忘れられまい you'll never be forgetting

私が数々の傑作を作ってきたことを
時代を超越してる作品をね

お前の音楽は尻軽女に受ける
フェイスブックのページでな

私は言葉で
第"長3"級殺人を犯そうとしてる


私の名前はベートーヴェンだ くそったれ

たぶんお前は私の名を聞いたことがあるはずだ
セントバーナード犬の方じゃなく File:Beethoven'1992.jpg

私は最高位のベテランだ

私と競いたいって? 

お前なんて思春期にもならないお子様だよ



(ジャスティン・ビーバー)

俺はキム・カーダシアンをモノにした
舞台裏のベットでね
ファイル:Kim Kardashian 2011.jpg

あんた最近いつ音楽で 
誰かをモノにしたっていうのさ?

俺5時からコンサートだから
時間ないんだ

何か他に言うことあったかな?
あんたの音楽があんたの耳をダメにしたんだ



(ベートーヴェン)

お前のケツをペンペンしてやろうか

でもドイツで私達は
女の子を叩いたことなんてないよ

それに私は耳が聞こえなくて嬉しいね
クソを聞かずにすむから

「My World」っていう名のね 


幾百万もの人々が
私の交響曲を聴こうと待ってる

お前は白人の小型アッシャーファイル:Usher Ring.jpg(案内係)になるのかい
? 

じゃあ席に案内してもらおうか




どちらの勝ち?




音楽対決って言うより下ネタ対決のような気が・・・ ^o^A



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++


 ↑ 画像はすべて日英Wikipediaから

☆メイキング


☆メイクのメイキング

こらこら、表情がおかしいww ☆ξ・_・ξ こんなにぷりちーなのに
さりげなくゲイリーが参考にされてたのね。

☆ベートーヴェン役後日談

二度とやらんー><みたいな感じでしょうがまたやってねーv

  
Posted by ruhmvollerkaempfer at 20:22TrackBack(0)

January 15, 2012

先週の話ですが

1/8にインテックス大阪にCOMPOSER本を出されたフォロワーのあけみさんと、
ツイートに応えてくれたベトベンスキーさん(仮名)を家にお招きしました。

とりあえず、ピアノやびよらを弾いていただき、
(ベトベンスキーさん、ピアノめっちゃ上手でした!)
昔のVTRでも見てもらおうかとビデオをゴソゴソしていたら、

「あの・・・『不滅の恋』を見たいんです」

と言われ、

 え、そんな最近のでいいの? (・_・) DVDよ?

と見ていただきました。


久しぶりに見たら良かった、不滅の恋。


「ソラさんはベートーベンウィルスを好きすぎるんです!!!」
とベトベンスキー(仮)さんに怒られました。
それ、twitterで他のベトベンスキーさんからも言われました・・・(^^A


「不滅の恋」が公開された時、ものすっごい期待してたから、

 なんで普通に不滅の恋人を描かないんやーい o(><o)(o><)o

 なんでベートーヴェンにそんなわしゃわしゃピアノ弾かせるんやーい o(><o)(o><)o

 あの横たわるベトベンの前の液体はなんやねーん o(><o)(o><)o

とか色んな不満もものすっごいあったのですね。

でも、10数年も経つと、さすがにそんな期待も不満も枯れてしまっていて、
素直に楽しめたのでした。  (・ ・) まいっかー

その後お2人にリクエストして
「シューベルトに優しいベートーヴェン」と「リースと泡泡のベートーヴェン」
を描いていただきました。家宝にいたしまする。 m(_ _)m

実は私、体調が最悪で(肩こりと頭痛と腹痛で、脳みそほぼ死んでて、
お2人のためにーと用意していたあれこれを出し忘れた)、
しゃべる気力もあんまりなかったのですが、
お2人が仲良く会話してくれていて、うんうんてうなずくだけでよかったので、
2人来てくれてよかった・・・と思いました。

ただ、私の声に張りがなかったのか、しゃべりかけても
お2人の反応がないことが幾度とあったので、
「ひとりごとが多い人・・・」と思われたかも。 orz


1/9(月・祝)は、「普通に大阪観光したい」
「お好み焼き・たこ焼きのおいしいところに行きたい」というお2人の意向に沿って、
梅田のかっぱ横丁(古書街)と難波の道頓堀周辺をご案内しました。

【情報】市営地下鉄の一日乗車券がエンジョイエコカードというのに変わって、
     土日祝日は600円で地下鉄が1日乗り放題です。


より大きな地図で なんば を表示


道頓堀商店街は、たこ・グリコ(戎橋)・かに道楽・おかしのカール・づぼらやetc.の
巨大な看板が立ち並ぶ、大阪城・通天閣と並ぶ大阪のランドマークですよね。

千日前商店街の「お好み焼き 美津の」は行列ができていたので
道頓堀商店街の千房へ行きました。
私が頼んだねぎ焼きは普通だったのですが、
2人が頼んだ道頓堀焼はチーズや牛すじが入ってやたら濃くて、
弱っていた私は数切れで胃をやられましたw


今や道頓堀と言えば大阪の中心ですが、昔は道頓堀が大坂の南端の境界線で、
道頓堀の南側の千日前=大坂の南の町外れ には刑場や墓地がありました。

処刑というのは一種の娯楽でしたから、処刑の見物客向けに
浪花五座と呼ばれる劇場や食べ物屋や難波新地が広がっていました。

劇場でよく見かける「回り舞台」は浪花五座の1つ・角座から生まれたものですが、
その角座の2階からは刑場の晒し首がよく見えたそうです。(^o^A
板橋で斬られた近藤勇の首がさらされたのも、この千日前刑場です。

Amzaというカプセルホテルになっている辺りが刑場で、
その向かいのビックカメラ辺りは墓地でした。
ビックカメラの前の前に建っていたのは史上最悪のビル火災で知られる
千日デパートビルで、千日前の歴史もあり、ちょっと前は
幽霊さん達が出るーという噂もありました。(^o^A

大阪駅(梅田)辺りだって元・墓地ですから、これがほんとの

        墓地墓地でんなー φ(. .  )☆\ξー"ーξ 寒いわっ!

さすがにそんな寒いことは言わなかったですけど、
(考える余力もなかったし^^A)、
ま、そんなことを話しながら歩き回りました。
その他詳しくは ↑ Googleマップを拡大してご覧ください。


おいしいたこ焼きが食べたいというリクエストに、
絶対食べさせたい!と思った(自分も食べたかった)のが、
COMPOSERの公演終了時にシューベルト役の佐藤重幸(現:戸次重幸)さんが
絶賛コメントしていた「塩で食べる大阪のたこ焼き」。

TEAM NACSはCOMPOSERの公演で各地を巡る毎に、
ご当地グルメを賭けてゲームをしていたのですが、
残念な彼が唯一口にできたご当地グルメが大阪公演時のそれだったのです。

で、その様子が収められている
特典DVDでたこ焼き屋の店名を確かめようとしたのですが、

なんということでしょう!

DVDが見当たらないのです。

いや、前から見あたらないなあと思ってたんですけどね・・・ orz そのうち見つかるかなーと思ってた

ただ、大阪でも北の方にあるたこ焼き屋だったということは覚えていましたから、
ネットサーフィンをしてみたところ、
シゲが食べたのがそれかどうかはわからないけど、
とりあえず塩味がおすすめの「十八番」という人気のお店が西中島南方にある
ということがわかり、そこに行くつもりだったのですが、

なんということでしょう!

道頓堀商店街に、十八番の支店があったのです!

やったー、わざわざ西中島南方まで行かなくてもここでいいやー

と、胃が少し空いた頃を見計らって、6個入りを3人で2個ずつ食しました。


もはやシゲが食べたのはこれでなくてもいい。    (T T  ξー"ーξ ぇ


今まで食べたたこ焼きの中で一番旨かったっす。


余韻に浸りすぎて、あけみさんのバスの時間を忘れてしまい、
最後は慌てふためきましたが
なんとか無事にお2人をお見送りできました。

これに懲りずまた来てくださいねー (^o^)ノシ

  
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December 24, 2011

Joyful Joyful

私がもっとも好きなクリスマスキャロルは昨年紹介したとおり

←「O come All ye Faithful」ですが、


メンデルスゾーンのグーテンベルク・カンタータ第2番が元になった讃美歌も
イギリスでは4大讃美歌の1つに数えられるほど、メジャーなクリスマスキャロルです。

(この曲の詳細はWikipediaをご参照ください)



他にもクラシックが元になっている讃美歌はたくさんあります。

ただし、クリスマスキャロルではなく
主に普段の礼拝で歌われるものが多いですけどね。

"クラシックな"讃美歌の中でも、約20年前の母校で人気があったのは、

ヘンデルの「マカベウスのユダ」『見よ勇者が還る』
が元の「よろこべやたたえよや」(Tochter Zion)  一瞬、ジオン軍の娘かと… φ(. .;)

ハイドンの「皇帝」第2楽章・皇帝讃歌(ドイツ国歌)
が元の「栄えに満ちたる」「輝く姿は」(Glorious Things of Thee are Spoken, Austrian Hymn)

ウェーバー「魔弾の射手」序曲
が元の「主よ御手もて」(Thy way, not mine, O Lord)


そして、

ベートーヴェンの第九が元になった
「Ode to Joy」(歓喜の頌歌)ならぬ「Hymn to Joy」(歓喜の聖歌)ですね。

歌い出しの「Joyful Joyful」の方が馴染があるでしょうか。


作詞はヘンリー・J・ヴァン・ダイク(Henry J. van Dyke)。


  第九に作詞したダイク…( ´艸`) ξー"ー;ξ別にダジャレじゃないから



ヴァン・ダイクは1907年、マサチューセッツ州ウィリアムズ大学の
ハリーA.ガーフィールド宅に滞在中に、この詞を書きあげ、
1911年、まずは長老派の聖歌集、次いで自身の詩集に掲載・出版しています。



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1.
Joyful, joyful, we adore Thee, God of glory, Lord of love;
喜ばしきかな 御身を崇めます 栄光の神 愛の主よ

Hearts unfold like flowers before Thee, opening to the sun above.
心は 御身の前で 花のように蕾を開き 天上の太陽に向かって咲く

Melt the clouds of sin and sadness; drive the dark of doubt away;
罪と悲しみの雲を溶かし給え 疑念の暗闇を追い払い給え

Giver of immortal gladness, fill us with the light of day!
不滅の喜びの贈り主よ 我等を陽の光で満たし給え


2.
All Thy works with joy surround Thee, earth and heaven reflect Thy rays,
全ての喜びの御業が御身を取り囲む 天地は御身の光を照り返し

Stars and angels sing around Thee, center of unbroken praise.
星と天使は御身の周りで歌う 御身は途切れることのない賛美の中心

Field and forest, vale and mountain, flowery meadow, flashing sea,
野辺 森林 渓谷 山岳 花咲く草原 きらめく海 

Singing bird and flowing fountain call us to rejoice in Thee.
歌う鳥 湧き出る泉が 御身の存在を喜べと我等に呼びかける


3.
Thou art giving and forgiving, ever blessing, ever blessed,
御身は芸術を授け 罪を赦し 永遠に人を祝福し 永遠に祝福を受ける方

Wellspring of the joy of living, ocean depth of happy rest!
生きる喜びの源 海程の深い幸福な休息をもたらす方!

Thou our Father, Christ our Brother, all who live in love are Thine;
御身は我等が父 キリストは我等が兄弟 愛に生きる者は全て御身の者

Teach us how to love each other, lift us to the joy divine.
我等に互いに愛する術を教え給え 我等を神の喜びに高め給え


4.
Mortals, join the happy chorus, which the morning stars began;
人々よ 幸福の合唱に加われ 宵の明星を輝かせる合唱に

Father love is reigning o’er us, brother love binds man to man.
父の愛が我等の上に君臨し 兄弟の愛が人と人を結びつける

Ever singing, march we onward, victors in the midst of strife,
永遠に歌いながら我等は前進する 争いの只中 勝利者として

Joyful music leads us Sunward in the triumph song of life.
喜びの音楽が我等を陽に導く 人生の勝利の歌の中に


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直訳するとこんな感じでしょうか?
訳が硬いのは、讃美歌=文語というイメージがあるのと、
実際、TheeとかThouといった文語が使われているので。

動画では3番で終わってしまっていますが、
4番が一番第九の歌詞に近い感じがしますね。

  ダイクが第九にリスペクト… ( ´艸`)プッ ξー"ー;ξ しつこいわ!

ただ、言うまでもないですが、第九と違い、
「Joyful Joyful」3・4番の「兄弟」はイエスを指します。

…こういう感覚だから、少なくとも英語圏の人は、
"理想の父は貴族や「神」で、イエスも愛憎半ばする「兄弟」"
というM.ソロモンの考え方もそれ程奇異には映らないんでしょうね。


なお、NetHimnalの「JOYFUL, JOYFUL, WE ADORE THEE」(音量注意)によると、
ダイクはこの詞のことを、「信頼と喜びと希望の讃美歌」と述べているそうです。

科学的事実が宗教を破壊しようとも、
地上の革命が天上の王国を転覆させようとも

恐れない現代の普通のキリスト者の素朴な気持ちを表した詞・・・

という文に1900年代前半の時代を感じました。


さて、「Joyful Joyful」は映画「天使にラブソングを 2」でアレンジされてから、
かなりスタンダードなゴスペルになっていますね。


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喜ばしきかな 喜ばしきかな
主よ 御身を崇めます
栄光の神 愛の主よ
花のように御身の前で心を開き
天の太陽のように御身を讃える
罪と悲しみの雲を溶かし給え
疑念の暗闇を追い払い給え
不滅の喜びの贈り主よ
我等を光で満たし給え
我等を光で満たし給え
Oh 我等を陽の光で満たし給え......

喜ばしきかな 喜ばしきかな
主よ 御身を崇めます
栄光の神 愛の主よ
花のように御身の前で心を開き
天の太陽のように御身を讃える
罪の雲を溶かし給え
罪と悲しみを
疑念の暗闇を追い払い給え
追い払い給え
不滅の喜びの贈り主よ
満たし給え
我等を陽の光で満たし給え
陽の光で!

(韻をチェック)
喜ばしきかな 喜ばしきかな
主よ 御身を崇めます
んで 俺は人生で
御身を何より大切にしてるんだぜ
お前ら 俺は子どもの頃から知ってた
貴方だけが進むべき唯一の道だってね

そして俺は成長して自分が王を愛してると気づいた
だから今俺はお前らに要求する
誰を愛しているのか言ってくれ
なあお前ら 俺は ネ申 を愛してる
お前らは ネ申 を愛してるか?
(愛してるよ 知ってるだろ)
お前らは ネ申 を愛してるか?
(愛してるよ 知ってるだろ)
お前らは ネ申 を愛してるか?
(愛してるよ 知ってるだろ)
誰が ネ申 を愛してるって?
(みんなさ)

来て加わりなよ コーラスに
ヤバイ ヤバイ コーラスに
コーラスが宵の星たちを輝かせる
父なる愛の神が君臨する

ところで

最近 彼のために何かやり遂げたかい?
Ooh, ooh, ooh yeah
最近 彼のために何か成し遂げたかい?

彼は全て(everything)を見守ってる
だから私等は歌う(sing)のさ

喜ばしきかな 喜ばしきかな
主よ 御身を崇めます
栄光の神 愛の主よ
花のように御身の前で心を開き
天の太陽のように御身を讃える
罪の雲を溶かし給え
罪と悲しみを
疑念の暗闇を追い払い給え
追い払い給え
不滅の喜びの贈り主よ(そうですよね)
満たし給え (我等を陽の光で満たし給え 主よ 我等を満たし給え)
満たし給え (oh 我等は貴方が必要です ええそうです 満たし給え)
満たし給え
満たし給え(陽の光で 主よ)
満たし給え
満たし給え(陽の光で 主よ)

 (我等は貴方が必要です すぐに来てください
  我等は貴方が必要です 今日貴方が必要です
  我等は貴方が必要です 言うためにここに居ます
  満たし給え 満たし給え 満たし給え 満たし給え と...)

満たし給え
陽の光で満たし給え(oh, yeah)
陽の光で!

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ゴスペルの「Joyful Joyful 」はダイクの詞の1番(少し4番)に
オリジナルの歌詞が足されたものですね。


讃美歌「Joyful Joyful」の編曲版は他にも、

  Casting Crowns


  Michael W Smith

などがあるようですので聞いてみてください。


それでは・・・みなさまよいお年を^^

  
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October 22, 2011

ベートーヴェン家は絶えて久しくなりぬれど(1)



BlogPaint今日はかわいい孫弟子のリストちゃん生誕200年
ということで、
「ベートーヴェンの直系」とか「ドイツ正統派」
などと言われるピアニスト等の系譜を
まとめよう!と思い立ちました。

みんなお弟子さん多いので、これでも一部抜粋です。
入門順とか重要度は無視して、年齢順に並べています。

あと、ウムラウトとかは入力しても飛んじゃうみたい…(;_;)


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ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven 独 1770-1826) +41歳 \ξ ・△・ ξ/1811年10月は40歳だー!!




弟子
 ・エルトマン (Dorothea von Ertmann 墺 1781-1849) +30歳

 ・リース (Ferdinand Ries 独 1784-1838)       +27歳

 ・ルドルフ大公 (Rudolph 墺 1788-1831)       +23歳

 ・チェルニー
(Carl Czerny  墺 1791-1857)     +20歳
     クレメンティ・フンメル・サリエリにも師事




孫弟子 (チェルニーの弟子)
 ○ Anna Caroline Oury (独 1808-1880)                          +3歳

 リスト (Franz Liszt ハンガリー 1811-1886)                  0歳【生誕200年】

 タールベルク (Sigismond Thalberg スイス 1812-1871)            -1歳
     フンメル・カルクブレンナーにも師事。

 ○ へラー (Stephen Heller  ハンガリー 1813-1888)               -2歳
     アントン・ハレムの門弟。リスト・ショパンの友人。

 ○ Theodor Dohler (独 1814-1856)                        -3歳

 クーラック (Theodor Kullak  独 1818-1882)               -7歳
     ジークフリート・デーンにも師事。

 ダックス(Josef Dachs 墺 1825-1896)                 -14歳
     ジーモン・ゼヒターにも師事。ヴィーン音楽院教授。   

 レシェティツキー (Theodor Leschetizky  ポーランド 1830-1915)    -19歳
     ペテルブルク国立音楽院教授。ヴィーンに私塾を創設。

 ○ Alfred Jaell (墺 1832-1882)                     -21歳
     弟子にBenjamin Johnson LangやSamuel Sanford。




曾孫弟子

リスト()門下

 0 アントン・ルビンシテイン (Anton Grigorevich Rubinstein 露 1824-1829)    -13歳
     10歳の時にリストに師事。サンクトペテルブルク音楽院を設立。
     弟ニコライ(後出)と共にチャイコフスキーの親友。デーンにも師事。

 ○ メーソン (William Mason 米 1829-1908)                       -18歳

 1 ビューロー (Hans Guido Freiherr von Bulow 独 1830-1894)                    -19歳
     指揮者を職業化。リストの娘コジマと結婚したが…。

 ○ クリントヴォルト (Karl Klindworth 独 1830-1916)                   -19歳
     ワグネリアン。

 ○ ブロンザルト (Hans Bronsart von Schellendorff  独 1830-1913)            -19歳
     クーラック()、デーンにも師事。全ドイツ音楽協会会長。

 ○ ロイプケ (Julius Reubke 独 1834-1858)                                 -23歳
     新ドイツ派の作曲家として有望視されながら早世。

 ○ Alexander Winterberger (独 1834-1914)                                    -23歳

 ○ Dionys Pruckner (独 1834–1896)                              -23歳

 2 リテール (Theodore Ritter 仏 1840-1886)                       -29歳

 3 タウジヒ (Carl Tausig ポーランド 1841-1871)                       -30歳
     父はタールベルク()の弟子。技量はリストを凌ぐと言われた。
     ベルリンで高等ピアノ学校を開き教育に励むも早世。
     
     ↑ シューベルト「軍隊行進曲」タウジヒ編曲版(連弾用の原曲を1人用に)

 4 メンター (Sophie Menter 独 1846-1918)                                 -35歳
     ビューロー(1)、タウジヒ(3)にも師事。
     
     ↑ メンター作曲「クラウディオ・アラウのためのワルツ」をアラウが演奏

 ○ Max Erdmannsdorfer (独 1848-1905)                     -37歳

 ○ Eduard Reuss (独 1851-1911)                                 -40歳

 5 クラウゼ (Martin Krause 独 1853-1918)                                         -42歳
     
     ↑ Vn=タシュナー Pf=クラウゼによるブラームス「雨の歌」第3楽章

 ○ ザレンプスキ (Juliusz Zarębski ポーランド 1854-1885)                 -43歳
     
     ↑ ザレンプスキ作曲 ピアノ五重奏曲第3楽章(スケルツォ)

 6 モシュコフスキ (Moritz Moszkowski ポーランド 1854-1924)               -43歳
     
     ↑ モシュコフスキ作曲 「花火」(Pf=ホロヴィッツ)

 ○ Vera Viktorovna Timanova (露 1855-1942)                       -44歳

 7 フリードハイム (Arthur Friedheim 露 1859-1932)                             -47歳
     アントン・ルビンシテイン(0)にも師事。
     
     ↑ フリードハイムによるリスト「エステ荘の噴水」

 8 ザウアー (Emil von Sauer 独 1862-1942)                                    -51歳
     ニコライ・ルビンシテイン(後出)にも師事。
     ヴィーン音楽院教授。
     
     ↑ ザウアーによるリスト「マゼッパ」

 ○ デ・グレーフ (Arthur De Greef ベルギー 1862-1940)                    -51歳

 9 イシュトバーン (Istvan Thoman ハンガリー 1862–1940)                  -51歳

 10 シュターフェンハーゲン (Bernhard Stavenhagen 独 1862-1914)           -51歳
     
     ↑ シュターフェンハーゲンによるリスト「ハンガリー狂詩曲第12番」

 11 ローゼンタール (Moriz Rosenthal ポーランド墺米 1862-1946)             -51歳
     ミクリ(ショパンの弟子・校訂者)、ヨセフィにも師事。
         
     ↑ ローゼンタールによるショパン「ワルツ第7番嬰ハ短調」

 12 ジロティ (Alexander Il'ich Ziloti 露米 1863-1945)                      -52歳
     ニコライ・ルビンシテイン(後出)、チャイコフスキー等にも師事。
     モスクワ音楽院教授。ラフマニノフの従兄。
     
     ↑ ジロティによるリスト「孤独の中の神の祝福」

 13 ワインガルトナー (Edler Felix Paul Weingartner von Munzberg 墺 1863-1942)   -52歳
     ウィーン・フィルの指揮者として著名。

 14 ダルベール (Eugen Francis Charles d'Albert 英仏 1864-1932)                -53歳
     
     ↑ ダルベールによるベートーヴェン「ワルトシュタイン」第3楽章

 15 ヴィアナ・ダ・モッタ (Jose Vianna da Motta ポルトガル 1868-1948)        -57歳
     ビューロー(1)にも師事。
     
     ↑ ヴィアナ・ダ・モッタによるリスト「死の舞踏」

 ○ ラモンド (Fredericck Lamond 英 1869-1884)                     -58歳
     ビューロ(1)にも師事。ベートーヴェンの後期ピアノソナタを注解。



クーラック()門下

 ○ ロイプケ (Julius Reubke 独 1834-1858)                                   -23歳
     前出(リスト門下)。

 ○ ニコライ・ルビンシテイン (Nikolai Grigoryevich Rubinstein 露 1835-1881)    -24歳
     アントン・ルビンシテイン(0)の弟。デーンにも師事。モスクワ音楽院設立。
     チャイコフスキーにピアノ協奏曲第1番を書き直すよう勧めたことで有名。

 ○ H.K.J.ホフマン (Heinrich Karl Johann Hofmann 独 1842-1902)            -31歳

 ○ Silas Gamaliel Pratt (米 1846-1916)                            -35歳

 ○ シャルベンカ (Franz Xaver Scharwenka 独 1850-1924)              -39歳  
     
     ↑ シャルベンカによる自作(ポーランド舞曲)の演奏

 ○ グリュンフェルト (Alfred Grunfeld ボヘミア墺 1852-1924)               -41歳

 ○ Hans Bischoff (独 1852-1889)                         -41歳
 
 ○ モシュコフスキ (Moritz Moszkowski ポーランド 1854-1925)            -43歳
     前出(リスト門下6)。

 ○ イリインスキー (Alexander Alexandrovich Ilyinsky 露 1859-1920)            -48歳




ダックス()門下
 ○アントン・ルビンシテイン (Anton Grigorevich Rubinstein 露 1824-1829)    -13歳
     既出(リスト門下0)

 ○パハマン (Vladimir von Pachmann 露独 1848-1933)             -37歳       
     演奏中に話す奇行で有名。あだ名が「ショパンジー」(チンパンジー似のショパン弾き)
     
     ↑ パハマンによるショパン「葬送行進曲」

 ○ ザレンプスキ (Juliusz Zarębski ポーランド 1854-1885)                 -43歳
     既出(リスト門下)

 ○ヤナーチェク (Leoš Janaček チェコ 1854-1928)               -43歳
     モラヴィア(チェコ東部)国民主義を代表する作曲家。

 ○ヴォルフ (Hugo Wolf 墺 1860-1903)                     -49歳
     作曲家・音楽評論家。ワグネリアン。

 ○レーヴェ (Ferdinand Lowe 墺 1865-1925)                                              -54歳
     ブルックナー門下。指揮者。カイム管弦楽団(現:ミュンヘン・フィル)音楽監督。

 16  ヴェンゲローヴァ (Isabelle Vengerova 露米1877-1956)                      -66歳
     レシェティツキー()にも師事



レシェティツキー()門下

 17 エシポヴァ (Anna Yesipova 露 1851-1914)                        -40歳
     レシェティツキと結婚するが離婚。ペテルブルク音楽院教授。

 18 サフォーノフ (Vasily Ilyich Safonov 露 1852-1918)           -41歳
     モスクワ音楽院院長。

 19 パデレフスキー (Ignacy  Jan Paderewski ポーランド 1860-1941)     -48歳
     後にポーランド首相。
     
     ↑ パデレフスキーによるベートーヴェン「月光」

 ○ ヴェンゲローヴァ (Isabelle Vengerova 露米1877-1956)                 -66歳
     前出(ダックス門下16)

 ○ ガブリロヴィチ (Ossip Gabrilowitsch 露 1878-1936)          -67歳
     アントン・ルビンシテイン(0)の門弟でもある。
     
     ↑ガブリロヴィチによるメンデルスゾーン「紡ぎ歌」

 ○ ハンバーグ (Mark Hambourg 露 1879-1960)             -68歳
     おいしそう… φ(. . )☆\ξー"ーξ 喰うな
     ハンブルクという表記もありました…
     
     ↑ ハンバーグによるグルック/ズガンバーティ「メロディ」

 ○ シュナーベル (Artur Schnabel 独米 1882-1951)             -71歳
     史上初めてベートーヴェンのピアノソナタ・ピアノ協奏曲全曲の
     レコーディングを行ったこと、楽譜校訂で有名。
     
     ↑ シュナーベルによるベートーヴェン「テンペスト」第3楽章

 ○ ナイ (Elly  Ney 独 1882-1968)                        -71歳
     ザウアー(8)にも師事。

 ○ フリードマン (Ignaz Frieman ポーランド 1882-1948)                 -71歳
     ショパン・メンデルスゾーン弾き
     
     ↑ フリードマンによるショパンのエチュード

 ○ ホルショフスキ (Mieczysław Horszowski ポーランド 1892-1993)           -81歳
     母はショパンの孫弟子。
     
     ↑ ホルショフスキによるショパン「ノクターン第2番」「エチュードヘ短調」

 ○ ブライロフスキー (Alexander Brailowsky 露 1896-1976)             -85歳
     ショパン弾き。ブゾーニにも師事。
     
     ↑ ブライロフスキーによる「軍隊ポロネーズ」

                             ―つづく―

  
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September 29, 2011

I'll box your ears

ベートーヴェンの父ちゃんの

「(即興演奏をやめないと)ビンタを喰らわすぞ

という有名な台詞って、英訳すると、

"I'll box your ears"

なんですね。(O.G.T. Sonneck p.4)

"box one's ears" で「横っ面を殴る」「張り倒す」「ビンタする」の意味になって。




英語圏で、


「ベートーヴェンの耳が聞こえなくなったのは、父親の暴力のせい」


とまことしやかに言われる・描かれる一因(あくまで一因)は
それなのかなーと思ったり。

  
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September 27, 2011

おまけ――ベートーヴェン殺鶏事件

Oscar George Theodore Sonneck著
『Beethoven: impressions by his contemporaries』
(Courier Dover Publications, 1967)p.7-8に、
ベートーヴェンが鶏を殺したエピソードが載っていました。

さすがにこれは少々残酷なエピソードのせいか、
こんな詳しい描写は初めて読みました。

一応訳しておきますが、卵窃盗事件に比べると自信ないので、
原典を読まれることをおススメします。

ある夏の早朝、1羽の雄鶏が他の庭から飛んできて、
ルートヴィヒの父親と母親の寝ている、通りに面した、
フィッシャーハウスの裏の建物の屋根に降り立った。

(ベートーヴェン家の)3人の少年は庭に面した脇の部屋に寝ていて、
ルートヴィヒがすぐに雄鶏を見つけた。

フィッシャー家の少年達も庭に向かって寝ていて鶏を見つけていた。
それで、彼らはその楽しみの結末を静かに見届けることになった。

ルートヴィヒは言った。
「あの雄鶏、太った若い騎手のように僕の方を見てる。あいつまだ蹴爪を持ってないよ。
見ろよ、見ろよ、あの鶏はなんてうやうやしく僕らに魅力を伝えてくるのだろう。
あいつを捕まえることができれば、僕はすぐにでも手拍子で迎え入れるよ!」

ルートヴィヒとカスパールは、こっそり部屋から出て庭に忍び入り、
捕獲するまで雄鶏をパンで誘い、誘導した。
2人は雄鶏が悲鳴を上げないようその喉を絞り、
彼らの屋根裏部屋に駆け上がって笑った。

2人はおそらく、パパとママが出かけた時に雄鶏を準備するよう使用人と計画したのだろう。
次の日、家主の息子ヨハン・フィッシャーがルートヴィヒに言った。
「雄鶏は音楽家になったに違いないね、だってあの雄鶏がアルトのパートを歌うのを聞いたもの」

2人は笑い、ルートヴィヒが言った。
「あのアルトパートには、あいつがこんがり焼きあがった時に僕もうんざりさせられた。
でも絶対にこのことは一言もパパやママに言わないでね。
さもないと僕たち3人とも家から追い出されるから」

もう1人が言った。
「ああ、雄鶏が何だって言うんだい?
雄鶏が自分の庭にとどまっていればよかっただけじゃないか」

ルートヴィヒは言った。かつては朝早く庭に飛んできたものは何であれ、
それを見つけた者が保持するのが合法だったのだと。
「その方が正しいよね、家畜が大いなる損害を被る可能性があれば、
みんな家畜をよりしっかり管理するはずだもの」


特に自信がないのが、ルートヴィヒの、

"That cock looks me like a fat young rider; he has no spurs yet. Just see, just see how respectfully the cock is commending himself to us! If I could catch him, I'd soon beat the time for him!"


という台詞です。(;_;)
たぶん「見ろよ、あの雄鶏、『俺を喰え喰え』ってアピールしてるぜwww」的なノリなんだろうなー
と思いつつ、別の意味なのかもしれないし・・・

うーん、よくわからないままも晒しておきます。



とりあえずわかるのは、

アルトパートというのは、雄鶏さんの断末魔なんだろうなーということ・・・



  
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September 26, 2011

つづきのつづきのつづき

beethoven006
お前もそいつらと同じ、
ずるい狐の一味なんでしょ。

お前は将来一体、
どんな風になってしまうのやら







うーん
将来のことはわかりませんが、今はさしずめ、


BlogPaint

  フィッシャーさんに追い詰められた

  音符が大好きな狐



というところでしょうか



BlogPaint












BlogPaint


卵が大好きな狐
でしょ?


教えなーーーい











後年、ベートーヴェンは娘のチェチェーリア・フィッシャーに
在りし日の悪戯を白状した、とのことである。




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

つづきのつづきぐらいまで、
山根銀二さんの『ベートーヴェン研究(上)』を参考にして描いていたのですが、
どうも台詞のニュアンスがよくわからなかったので、(>_<。)
Oscar George Theodore Sonneck著『Beethoven: impressions by his contemporaries』
(Courier Dover Publications, 1967)p.6-7
を自分で訳してみました。 ↓


ルートヴィヒもカスパールも大胆で冒険好きだった。
お茶目ないたずらがうまくいくと、2人は大喜びして、
心の底から―ルートヴィヒは癖で猫のように背中を丸めて―笑うのだった。

当時良き妻フィッシャーは鶏を飼っていたが、
鶏が産む卵の数が非常に少ないのを長い間不思議に思っていた。
彼女は気をつけて見るようにしていたが、誰も捕まえることはなかった。
何の気なしに庭に行って、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが
鶏小屋の柵に忍び寄るのを見つけるまでは――

フィッシャー夫人は言った、
「はは、ルートヴィヒ、お前そこで何をたくらんでいるの?」

彼は言った、
「弟のカスパールがここに私のハンカチを投げ入れたので、それを取りに来たんです」

フィッシャー夫人は言った、
「はい、はい、私の卵が少なくなるようなことをやらかすんでしょ」

ルートヴィヒは言った、
「ああ、フィッシャー夫人、鶏はよく卵を隠すものですよ。
その後偶然、それを見つけ出せれば、より一層嬉しいものじゃないですか。
それに、みんなが言うように、この辺には狐もいて、そいつらも卵を盗むんです」

フィッシャー夫人は言った、
「お前もそいつらと同じ、ずるい狐の一味なんでしょ。
お前は将来一体どうなってしまうのかしら」

ルートヴィヒは言った、
「あー、それは神のみぞ知る!ですね。
あなたの言葉を借りるなら、
最新の私は『音符の狐』のようですが!」

フィッシャー夫人は言った、
「そうよ、それに『卵の狐』ね!」

それを聞いて、2人の少年は悪党のように笑いながら走り去った。

フィッシャー夫人は2人と共に笑うしかなかった。
いたずらをした2人をとっちめる気にはなれなかったから――



山根さんはセイヤーの伝記を訳されたようなのですが、
こちらの(↑)文献の方が、台詞や状況がより具体的で、
フィッシャー稿本に近いんじゃないかしら?

…より詳しい部分が、単に、ゾンネックさんの空想だったらどうしよう…(((( ;゚д゚)))


『音符の狐』と訳したNotenfuchsは、山根さんによると、
『Noteの狐』と『Notな狐』、つまり、
音符の狐』と『(フィッシャーさんに)追い詰められた狐
のダジャレ、もとい、掛詞になっているそうです。

なお、"Notenfuchs"を英語に直訳すると"Note Fox"でしょうけど、
 ↑ の文献では、遊び心からか、
"Foxy player"(『狡猾な演奏家』または『セクシーな演奏家』の意)
と意訳されていました。
…『音符の狐』と訳しちゃいましたけど。

鶏が卵を産むのは朝だと思っていたので、
勝手に朝設定にしたのですが、昼でも産むみたいですね。

ちなみに、絵が拙いので伝わらないかもしれませんが、最後は、
朝日に照らされたライン河の土手を走るベトベンとフィッシャーさんになっております。
小さな×は、河のきらめきであって、
画像をスキャンした後に処理し忘れたゴミではありません(泣)。

……山根さんの伝記では、走り出す2人がルイと夫人、になっていたんです。
確かに弟はどこにいたんだって感じですけれども。


これが、高校時代、駿台の授業をサボって図書館で見つけた
子ども向けのベートーヴェンの伝記で1回だけ読んで、
それ以来ずっと原典を探し求めていたエピソードです。

晩年の性格が複雑骨折気味のベトベンも好きですが、
子どもの頃の茶目っ気があって明るいベトベンもかわいいですよねー o(>▽<o)

晩年は狐は狐でも、なんとなく、
「ごんぎつね」っぽい感じになっちゃうから…
  
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September 23, 2011

つづきのつづき

めんどりのつもり(ベートーベン)

鶏がヘンなところに産んだ卵を

見つけられると

うれしいもんですよねー




ベートーベンのつもり


 あ、それにキツネかもしれませんよ

 みんなが言うようにね

 キツネは卵を盗むんです






  
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September 22, 2011

つづき

ベートーベンのつもり



弟が僕のハンカチをここに

投げ入れたものですから






フィッシャー夫人のつもり


・・・・・・卵がこんなに少ししかとれない理由が
やっと今わかったわ





ベートーベンのつもり

えええええ

フィッシャーさん

鶏はときどき卵をとんでもない所に産むもんですよ







  
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September 21, 2011

G.フィッシャーによる回想録で一番好きなエピソード


フィッシャー夫人(ゴットロープの母)は、ずいぶん前から

彼女の鶏が産む卵の数が減ってゆくのを不思議に思っていた。


ある日、卵を取りに行ったフィッシャー夫人は、


鶏小屋でなぜか、



ベトベンのつもり





    ベートーベンを拾った――





  
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September 20, 2011

ベートーヴェンの父の髪形がアレな件

フィッシャー・ハウスの家主の子ども、ゴットフリート・フィッシャー(1780-1864)は、
ベートーヴェンの死後に回想録を出しています。

彼はベートーヴェンよりも10歳年下なので、おそらく
姉ツェツェーリア(1762-1845)の記憶に頼るところが大きかっただろうと
推測されていますが、ベートーヴェンの幼少期を窺い知ることのできる
貴重なネタ集、もとい資料ですよね。


ベートーヴェン家の人々の外見等についても詳細に述べられていて、

祖父ルートヴィヒについては、

大柄の美男で、面長、広い額、丸い鼻、大きく見開いた目、赤みを帯びた膨らんだ頬、極めて真面目そうな顔立ちをしていた。彼は周囲からいたく尊敬され、心根の良い人物だった。 (p.159)

母マリア=マグダレーナについては、

比較的背が高く、面長、色白、ちょっとカギ形の鼻、細身、落ち着いた眼差し。(p.161)

等と描かれています。


驚かされるのが、父ヨハンについての記述で……

中背、面長、広い額、丸い鼻、肩幅は大きく、威厳のある目、少し神経質そうな顔、
髪形は細い 弁髪 であった。 (p.161)




弁髪って・・・父ちゃん・・・・・・ 



           /オマエ、ピアノ弾くアルヨーー\




ベトベン涙目すぎるアル・・・ orz



Wikipediaでは、日本語の"弁髪"=ドイツの"Zopf"となっていて、
ドイツWikipediaでの"Zopf"="弁髪"の画像はこんな感じ。 ↓ 






。oO(今日は何を弾かそうかな)










父ちゃん、お下げは色々、無理だからーー orz





ノルウェーWikipediaで"弁髪"に対応していた"Harpisk" の記述が
最もわかりやすかったので訳しておきます。


Fil:Friedrich Zweite Feldherr.jpgHarpiskとは長くて細い三つ編み、または、
鞭状の頭髪を首の後ろに垂らすものである。

Harpiskerは1700年代ヨーロッパの男性の
一般的なファッションであった。
元々はプロイセン兵の風習であったものが、
特に鞭状のカツラや髪粉をつけたカツラの
頸部の細い三つ編みの形で、市民に広まったものである。
18世紀末にカツラが廃れても、
多くの男性は地毛でHarpiskを続けた。

部分的に剃るHarpiskは、1644〜1912年の清王朝の
全男性に強制された。

↑ プロイセン・フリードリヒ大王の肖像画


言われて見れば、
幼少期のベートーヴェンのシルエットにも
"弁髪"がありますね。。。


ドイツ語の辞書によると、
Zopfには「お下げ髪」「(男性の)弁髪」「時代遅れな物」
「(生地を編んで焼いた)ねじりパン」等々の意味があるようです。
(清王朝の弁髪はChinesische Zopfとも)


ただ、やっぱり、
ヨーロッパのファッションを"弁髪"と訳すのはどうかなと思いますね。


「ベートーヴェンは"弁髪"でした」


て書いたら、絶対、みんな、






こんな感じ?? ↑ だと思うんじゃないかな。
 


++++++++++++++++++++++++++++++
引用文献
『ベートーヴェン全集 第1巻 ボンからヴィーンへ1770-1795年』(1998年 講談社)
高橋浩子編・訳/解題「少年ベートーヴェンへの追憶」p.158-167


最後の画像はわざとカンマエに似たのを選んでみました。

  
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September 19, 2011

ドボン

2011/09/18 13:30:07
ま〜たシューマン君がメソメソしてたカラ『バッハの胸に飛び込んできなサイ!』って言ったら横からアーベルが、『シューマンさんを小川に飛び込ませるのはヤバいっすよwww』ですッテ。・・・・・・・・・ウマイこと言ってんじゃないデスヨッ!!


いやいやいや、
シューマンが自殺未遂をしたボンのライン河は
とてもバッハ(小川)とは呼べないデカさですから!!


と心でツッコミを入れて思い出したボンのライン河。


ボンと言うとベートーヴェン・ハウス(生家)が真っ先に思い浮かぶんですが、
ベートーヴェンが生家に住んでいたのは実は短くて、
1774年(3歳)頃?にはAm Dreieck(2軒目)に引越し、
1775年(4歳)頃?ライン川傍のフィッシャー・ハウス(3軒目)に移っています。




ベートーヴェンの幼少期


googleマップでベートーヴェン幼少期 のお引越しマップを作ったのですが、
保存すると何故か目印が消えてしまい肝心の家の場所がわかりづらいので、
マップ作成時の↑ Print Screen画像も貼っておきます



手塚治虫の「ルードウィヒB」にパン屋さんが家主である借家が出てきますよね?
あれがフィッシャー・ハウスです。
(パン屋さんがフィッシャーさん)

フィッシャー・ハウスの跡地には現在、ホテル・ベートーヴェンが建っています。
(↑ googleマップのストリートビューで見られます)


1776年(5歳)、フィッシャー家の一時移転に伴い、
ベートーヴェン家もNeugasse(4軒目)に移りますが、
1777年2月(6歳)の選帝侯宮殿の大火でそこNeugasseが危険になり、
慌ててフィッシャー・ハウス(のべ5軒目)に戻っています。


フィッシャー・ハウスに戻ったベートーヴェン家の子ども達は、

ここにもどれてよかったー
らいんがわには かじをけす
おみずが いっぱいあるからー
 oξ>▽<oξ

といって喜んだそうです。

「子ども達」といっても、当時は
6歳のルートヴィッヒと2歳のカールと0歳のヨハンしかいませんから、
 ルーイ「よかったあ」
   カール「よかったでちゅー」
     ヨハン「ばぶー」
みたいな感じだったでせう。




そして――



1784年(13歳)、ライン川氾濫――――   38018340.gif



先週、和歌山県古座川町の水害ボランティアに行ってきたのですが、
津波ほどではないにせよ、洪水もやはり
家や家具に与えるダメージが半端ないですね。

ベートーヴェン家はフィッシャー・ハウスの3階を間借りしていたので、
さすがにそこまでは水が来なかったかもしれませんが、
屋根伝いに逃げたということは、かなりの洪水だったことが窺い知れます。

これに懲りたのか、
1785年(14歳)には生家近くのWenzelgasse(のべ6軒目)に移り、
一時フィッシャー・ハウス(のべ7軒目)に戻ったものの、
1786年再びWenzelgasse(のべ8軒目)に戻り、
1792年11月にヴィーンへ旅立つまでそこで暮らしていました。




+++++++++++++++++++++++++++++++++

参考文献
○『ベートーヴェン全集 第1巻 ボンからヴィーンへ1770-1795年』(1998年 講談社)
   ・高橋浩子編・訳/解題「少年ベートーヴェンへの追憶」p.158-167
   ・藤本一子「ベートーヴェンの住まいをたどる 1」p.182-185
M.ソロモン『ベートーヴェン 上』岩波書店

  
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September 16, 2011

「ベートーベン・ウィルス」について

知恵袋に答えてみました。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1171277256

ただ、,麓遡笋琉嫂泙よくわからなかったので、
回答がずれてしまっているかもしれない。  
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September 14, 2011

兄弟の争い

別にベートーヴェン以外のことを徒に書いてきたわけでも、
ベートーヴェンを忘れたわけでもないんですよ?




動画の1:18までの部分に出てくる伊達家の内紛が、私の中では、
「独眼竜政宗」でも最もショッキングだったエピソードなのですが、

「ベートーベン・ウィルス」と共通項があると言えなくもないなあ、と思って。

もちろんベバには殺人事件や殺人未遂事件は出てきませんけども。


動画の3人は、
  伊達政宗=「兄」  
  義姫(お東の方)=「母」
  伊達小次郎=「弟」
です。

「ベートーベン・ウィルス」でも、カン・ゴヌがカン・マエを「兄」、兄さん









トゥ・ルミを「母」と呼び、3人は「母」と「兄弟」になっています。
母ちゃん2








そしてカン・マエは、「弟」「母」に怒り、愛し、攻撃し、
仲を裂き、傷つけ、助けようとします。

そこにはもちろん、
『アマデウス』のサリエリの「"天才"に対する嫉妬」
も作用しているのですが、
上記の伊達政宗の中に明らかに見受けられるような、
そして、
M.ソロモンがベートーヴェンの中に見出した、

自分を見捨てた"母"に対する恨み」
より愛された"兄弟"に対する嫉妬」

が作用している(という設定になっている)と思っています。

ただ、伊達政宗と違って、
ベートーヴェンやカン・マエは、江戸の敵を長崎で討つ、というか、
攻撃の矛先を向けるのが実の母や弟ではないので、
読者や視聴者には伝わりにくいんですよね。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

☆動画について

歌の内容は多少の修辞と罵詈雑言で描かれる痴話喧嘩、なんですけどね、
この動画はうまく詞の端々をストーリーに使ってますよねえ。

図柄はBASARAですが、内容や3人の設定は
(大河ドラマ「独眼竜政宗」の原作である)
山岡荘八「伊達政宗」に近いかな?

天然痘にかかって右目を失明した上、
眼球が醜く飛び出ていて(ひー)、
その醜さから母に疎まれた、という俗説に沿った設定ですね。
(ただ、眼球は片倉小十郎が早くに取り除いたはずです)

「独眼竜政宗」ではそんな「醜い→嫌い」みたいな単純な嫌悪ではなく、
深く細やかに描かれていて、私はこの母子関係を視聴するのを一番楽しみにしていました。

動画の1:30からの部分は、粟ノ須の変という、新選組で喩えるなら、
山南切腹かそれ以上の悲劇的な事件です。

もっとも、わざと殺(や)ったんじゃないか説もありますが・・・
政宗は日頃から色々黒いことをやらかしてますからねえ。( ̄▽ ̄;)(●"ー#)策略と言え!

後半に出てくる女の子は農民一揆の首謀者である・いつきという
BASARAのオリジナルキャラです。(一揆だから「いつき」?)

・・・政宗は敵国の一揆を扇動するのが大好きですからねえ。そしてそれが、
敵国にバレてピンチに陥るというのがお約束という…orz

☆興味のある方は・・・
「猛将妄想録」 粟の須の変 一揆を扇動 とても上手い漫画ですよねえ
「独眼竜政宗」 粟ノ須の変   演技がホントいいよねえ(・■・)  
Posted by ruhmvollerkaempfer at 23:59TrackBack(0)

September 10, 2011

新旧伊達の殿さん

twitterで、

ゲーム『戦国無双』の伊達政宗は英語をしゃべりません

と聞いた時、正直、


政宗は、奥州欧州に使節団を派遣してるけど、

英語話したことあったっけ?


と思いました。


なにしろ、こちとら、

date


古い「独眼竜政宗」世代なもので。
(当時小6)






「政宗=英語?」の謎はこの動画を見て ↓ 




解けましたけどね。

アニメ「戦国BASARA」の伊達政宗の口癖が、
「レッツ パーリィ」と言った英語や口笛なんでしょうね。

ゲーム「戦国BASARA」が女子に人気があって、
キャラを使った土産物も出る程、とか、噂には聞いておりましたが、
私はそのゲームをしたこともアニメを見たこともないので・・・


政宗役の声優・中井和哉さんは
『ONE PIECE』ゾロ役、『銀魂』土方十四郎役
などもこなされている方だそうですね。

・・・どっちも見たことないんですが ( ̄▽ ̄A)

↓ 中井さんそっくりさんによる「あいさつの魔法。」 


("(奥州)筆頭"というのは「戦国BASARA」での伊達政宗の自称みたい)



ゲームやアニメの伊達政宗のテンションが高めなのは、
「独眼竜政宗」の影響なのかなあ。

もっとも、史実の伊達政宗さんもこんな・・・



↑ みんなの予想の斜め上を行くじいちゃんですけど。

食道がんで、ご飯が飲み込めなくなった時は、
鉄砲隊を呼んで一斉射撃させた(びびったら飲み込めた)とか、
やること成すことユニークで伊達だし、
すぐキレるかと思ったらはしゃいだり、叫んだり、  <ここは誰かを思い起こさせる>
凹んだり、悪夢にうなされたり・・・もっとも、

かっこいいから全てOK で、    <これは違う・・・ orz>

暴走しては大ピンチに陥ってばっかりだけど、



↑ パロディ動画「一人な筆頭」(暴走しすぎの政宗)


知恵とユーモアと(きん)でクリアしてしまうし・・・

優秀な家臣、片倉小十郎景綱・伊達成美・鬼庭綱元達もいるしね!



↑「ギャグマンガ日和」煬帝vs.聖徳太子小野妹子の音声に、
「戦国BASARA」織田信長vs.伊達政宗片倉小十郎の画像を合わせたパロディ動画


ベトベン周囲のおっさん達でもこんなパロディないかなあ> ξ・□・ξ ヨモギ?!


+++++++++++++++++++++++++++++



↑ は「独眼竜政宗」を御覧になる予定の方はネタバレ注意ですが、
そうでない方は是非とも御覧くださいまし。

政宗が初めて秀吉に会った時のシーンというか、
渡辺謙さんが故・勝新太郎に初めて会ったシーンというか……

大物俳優にぶっつけ本番でアドリブかまされて、びびる謙さんに注目です。
(渡辺謙さんがバラエティでよく話している伝説のシーンです)  
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September 07, 2011

むすび丸

むすび丸宮城で虜になったたもの。 (・_・)

その1 仙台味噌の焼きおにぎり
(ローソン)
あまりのおいしさに翌日は同じおにぎりを
2個買いました。(他はたくさんあったけど
これは2個しか残っていなかった)

その2 温泉
ホテル観洋の気仙沼温泉(気仙沼市)
長沼温泉「ヴィーナスの湯」(登米市)

ボランティアの拠点にはお風呂が無く、
車に分乗して入りに行ってました。
土木作業の後でも
まったく疲れが出なかったのは
たぶん温泉のおかげです。 

その3 むすび丸(左写真)
ホテル観洋の土産物コーナーで出逢った
宮城県のゆるキャラ。


仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会事務局の
宮城県観光PR係長らしいです。

・・・牛じゃないですよ;
宮城名産「ひとめぼれ」のおむすびであり、
人と人とを「むすびまる」っていうダジャレ。

携帯ストラップで、梅干が液晶クリーナーになっています。
伊達政宗の兜を模したたくあん?は、むすび丸アニメでは取り外し可能みたいです。




  
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August 09, 2011

震災ボランティア

忘れそうなので書いておきます。

7/1(金)早朝に大阪を出発、夕方に宮城に到着し、
7/2(土)は漁業支援(土嚢作り)
7/3(日)はお寺の大量の食器洗い、
7/4(月)は家の泥出し・分別、ホタル祭りの手伝いをして帰路につきました。
(帰阪したのは7/5(火)の朝10時頃)

もっと、多くの人がいけばいいのになと思う。絶対人生の糧になるのに。
6月時点で震災ボランティアが阪神の1/3ってどやさと思う。
阪神の時は当時の大学生(今の30代後半)が中心だったと思いますが・・・w


私が頼ったボランティア団体は、活動できる日が1日でも受け入れてくれるし、
(ただし、前日の18時には着いておいた方がいい)
装備も借りられるものが多いので、おススメです。

ちなみに、団体のブログ記事「ホタル祭り」に掲載されている写真のどこかに私が写っていますv

また秋に行けたらなあ。  
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