家族のこと

2013年06月27日

母親と私

こんなに更新しなかったのは初めてかもしれないけど、私は元気です。
今日は私の愚痴を聞いてください。
主に母の悪口なので、自分のお母さんが大好きな人は不快になるだけなので読まないほうがいいでしょう。
※本当にただの愚痴なので、読み飛ばしていただいて結構です。以前書いたことと重複している点もあります。


私が実家に帰ってきてもう4年にもなるのだが、今でも母とは言い合いのケンカはしょっちゅう。
この家を出たいなんてことは、100回は思ったことがあるわけで。
シングルママになって、いざ実家に帰っても母親とうまくいかなくて、結局実家を出た、という人も世間には多いことだろう。
私にも「もう限界だ」と思う時があって、そのたびに家を出て、娘と二人で暮らしたいと思うのだった。

正直言って、私は数年前に娘を連れて地元に戻ってくるまで、母の性格をよく知らなかった。
私が小さい頃は、怒られたり、ネチネチと嫌味を言われたりという記憶しかない。
幼稚園の頃はさすがに幼稚園に迎えに来てはくれていたが、それ以降はひたすら放置されていたというか、何かを母と一緒にしたとか、一緒に出掛けた記憶などもほとんどない。
中学生のときも、顔を見ればひたすら文句を言われていたし、まともな話をしても無理だと思ったこともある。
そして高校生のときは無視されていた。
そもそも母は私が大人になるまでは、子供の話など聞く耳を持たない人だったので、ちゃんと向き合って会話をしたことがない。
私が大人になってやっと、話を聞いてくれるようになった。
今でも姉が一緒だと、姉優先なので私は無視されるんだけどね

それがなぜか高校3年生の時に、進路として私が県外就職を希望した時に、母に何週間にわたって反対され、毎晩泣きながらケンカしてた。
それまでさんざん無視されてたのに、いざ居なくなろうとすると必死で止めるとは、わけが分からなかった

それからずっと、私は県外で暮らしていたが、3カ月〜半年くらい連絡を取らないのはざらだった。
そんなわけで、母とじっくり話す機会など数年前までなかったので、母という人間を理解していなかったのだ。
でも別に母の本当の性格を知るまでは、私は母が嫌いとかそういうのはなくて、むしろ逆だったし、母は優しいとまで思っていた。

母が文句の多く、八つ当たりの多い人だとは知っていたが、私が実家に帰った当時の母はそれはもうすさまじく尖っていた
家族はもちろん、世の中のすべてが憎らしく、敵のように思っているかのようだった
今まで父に隠れていて見えなかったし、表立って主張してくるようなこともなかったが、父が亡くなってタガが外れたのか、あまりにも悪い意味で自由すぎてたのだった。
そして母の本性を知ったのは、私にとっては衝撃だった
その本性を引き出したのは、元兄嫁の暴挙だっただろう。元兄嫁に関する一連の事件が、母の悪いものをフルに表に出してしまったとも言える。
本当にとんでもないことをしてくれたものだ

今はいろいろあって、私との幾度に渡る言い合いの末なのか、私がキレるのを恐れてか、憑き物が落ちたというか、その頃に比べたらぐっとやわらかくなった
ちょっとだけだけどね。


しかし、今でも母の言動には理解しかねることがたくさんある
はっきり言ってうんざりして、本当に嫌になることだって何度もあった。
他人から見たらさぞバカバカしいことばかりだと思うが、いくつか書き出してみたい。

母は食事中、よく食べ物でむせて咳をするのだが、口を手で覆わないため、兄と私がいつもそれを注意する。
でも母は自分の非は絶対に認めない。
『そんなもの風邪の咳でないから大丈夫だ。それよりワシが苦しんでいるのに、お前たちはなんてひどいんだ』と言う。
母の辞書にはマナーという文字はない。
そしてこちらの言い分を主張すると、『そうやってワシのことを見捨てるんだろう。きっと誰にも看てもらえないんだ』などと、すねては介護が必要になった時の話をされる

同じく食事中、母が他の人の味噌汁やお茶を倒してこぼしたくせに、『そんなところに置くからじゃないか』とか『早く飲まないからだろう』という。
まずは「ごめん」というのが、普通だろうよ。なんで人のせいにするのか、意味が分からない

この間なんて、首と肩の筋を痛めて、仕事帰りに整骨院に通おうとしている私に『誰が夕飯の準備をするんだ』と言って、通院を反対された。
母だって整骨院に通ってるくせに、私は昼間に行くことができないと分かってるくせに、なんで
反論すると、『ワシはさんざん我慢してから通ってるんだ』と言われた。
だからお前も我慢すればいいだろうと。
私だって毎朝、痛みで目が覚めてるのに〜〜
義母とかならまだ分かるが、なんかもう実の母の言葉とは思えない。

母のすごいところは、すべてにおいて、まず自分を中心にして物事を考えているとこ。
子供のためとか孫のためと言う発想がないところ。
子供は親のために生きるものという考え。昔、はっきりそう言われたこともある。
そういうところが私には本当に不思議で、理解できない。


母の考え方も理解不能だが、その八つ当たりぶりもすごい。
特に一番弱者であるはずの私の娘に対して。
さすがに娘も理不尽に感じてか、おばあちゃんに対して反抗的なのだが、そうするといつも、母親である私のしつけが悪いという。
「娘とおばあちゃん」という関係は個人同士が直接的に関わってることで、いわば自分自身が築いたものであるので、全部私のせいにされてもそんなもん知るか〜〜って思うわけで。

とにかく母は普通じゃないと思うことは多い。
自分の苦労を分かってもらうために、家族に八つ当たり。家族になら許されると思ってるようだ。
ガチャガチャと大きな音を立て、物に八つ当たりし、ため息をついては忙しさをアピール。
母と同じようなため息をついてる人がいたら、思わずイラッとしてしまうくらい。
テレビを観ては文句。政治家やグルメ番組に出る芸能人、スポーツ選手をひがんではけなす。
こんな母を見てると、この人なにが楽しくて生きているのかしらと思ってしまったことは一度ではない。
自分は悪くない、人は楽をしている。
自分の気持ちを分かって欲しい。そんな気持ちを母は隠すことができない。

よくもまあ自分の母親の悪口をここまでいえるもんだと、我ながら思うが、なんか積年のうっぷんがすごくて
こうして書き出してみると、この人が自分の母で、同じ家に暮らしているのが本当にしんどい時がある


だけど。
よく考えてみれば、母と娘が仲が悪いなんて、すごくよくあることなのだと思う。

同じ職場の若い女の子も『うちの母は普通じゃないんです』と言ってたし、同じ職場の先輩も『母とは決していい関係ではない。でも母より姉の方とはもっと仲が悪いから』と、母親ばかりでなく、姉妹でも仲が悪かったり。
私の友達は、『私は絶対自分の母親の介護とかしない。今まで好き勝手されてさんざん迷惑をかけられてきたから、年を取ったら施設行くなり何でも好きにすればいい。』とまで言っていた。
私はまだ母の世話をする気があるので、その辺りは母に対する気持ちがずっとマシなのかもしれない。
私の実被害が精神的なものだけというのもある。
こうして見渡してみれば、母親と仲良くうまくやってるという娘というのは、私の周りでは少数派だなあ。
むしろ、うちよりももっと最悪だったりして


世間では『母親がしんどい、重い』、という内容の本がよく売れているようだが、母娘がうまくいかない原因で多いのは、過干渉か無関心な母親かの両極端じゃないかと思う。
うちはどっちとも違うけど、扱いづらいという点では同じだ。
そして、私くらいの年になって、または自分が子供の親になって、やっと親に自分の本心を言えた人だっているだろう。

まあでも、聞いてみればそういう家庭でも、父親の方は普通だったりすることが多いんだよね。
でもうちの場合は、この母がマシな方だという事実


だけど、こんな母でも一緒に暮らしていけるのは、母が悪人ではないからだ。
母にもいいところがあるから。

以前母に『もっと世間のおばあさんのように、習い事をして仲間と楽しくしたり、趣味を楽しんだりすればいいのに』というと、母は『別に今更やりたいこともないし、老眼で本も読めないし、ワシは農業しかできない』と言われたことがあった。
近所ではおばあさんたちで集って、お茶を飲みながら延々と近所の人のうわさ話をしていたりするのだが、母はそういう誘いをつっぱねて、『人の悪口を言うだけのお茶会なんて、時間の無駄だ』と言う。
亡き父は公務員だったこともあり、『それなりに年金をもらってるくせに、なんであんなに働くのか』というつまらないひがみを母は言われてたりもするらしい
膝も痛そうだし、農業をやめる事をすすめたとしても、それでも母はやめない。
近所のおばあさん連中が道端でくっちゃべってても、母は一人で黙々と農作業を続けている。

農業は作り始めたら途中でやめることができない。草は伸びるし、雨が降らなかったり、雨が降りすぎたりしても、日が出てから沈むまでやることはたくさんある。
母が何もしない怠け者で、ゴロゴロとテレビを観て文句を言ってるならどうしようもないが、うちの母がものすごく働き者で、真面目なのは間違いない事実。

そして、人を見分けて、いい人とちゃんとした人づきあいができている。
そういうところは尊敬できる。
それに母は自分が恩着せがましい分、人に世話になるとすごく謙虚になれる人でもある。

それに母自身も年を取ったら、家族の世話が必要と理解してきてるのだと思う。
今は自分で車を運転して病院に行ったりもできるけど(これは本当に助かってる)、そうでなければ子供の手助けが必要になってくるから。
実際、職場の先輩は仲が悪い母親だけど、病院に頻繁に連れて行ってたりするから。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
これはごく最近読んだもので、ものすごく共感したとか、感動したとかというわけではなかったが、考えさせられた小説ではある。
母性
母性 [単行本]

自分が母親に愛されたがゆえに、我が子にゆがんだ愛情を与えていることに気付かない母親。
それに気付きながらも、愛されたいと願う娘。
元は他人である義母との関わり。
追い求めても追いつかない母と娘。
『母性とは何か?』その答えは私が感じていたものと同じだった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


とにかく、母と娘というのは少しかみ合わなくなると、かなり難しい関係になってしまう
そして娘というのは、どうしても母親に対する目が厳しくなってしまう。
私と娘もそうなっちゃうのかしら。
すでに、そういう兆候らしきものが見える時がある。なんとなくだけど。
私の欠点を、娘は許してくれないかもしれない。

子育てのやり方なんて、学校では習わないので、見本になるのは自分の親のやり方だ。
でも母が良い母だった記憶はほとんどない。
思えば、末っ子である私は、食事の用意を除いたら、ほぼ育児というものを放棄されていたのではないだろうか。
怒られたことはあっても、なにかしつけられた記憶も、教わった記憶もない

だから自分がやって欲しかったことを娘にしている。
絵本を読む、誕生日を祝う、手作りの服や小物を与える、季節の行事を楽しむ、外に遊びに連れて行く、などなどあげてみればきりがない。
私が育った環境は、すごくいいものではなかったとは思うが、でも、いい親に育てられていたら、気付かないことを、気付くことができるんじゃないかとも思う。


母とのことは根本的には解決しないだろう。
人ってそう簡単には変われないから。
でも、互いに許したり許されたりしながらも、やっていくしかない。
実際のところ、家族だからここまで腹も立つわけだし。
母の機嫌を取るコツも、結構分かってきていることだし

まあ、そんなこんなで、母と険悪になると必ずといっていいほど、『家を出る』ということを思いつく私。
この次は、住まいについての私の悩み(?)を聞いてください。
というわけで続きます。

※間にひとつ別の記事を挟むと思います。

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ruhruhlilia at 06:55|PermalinkComments(34)

2012年08月10日

両親に思うこと

両親にはいまだに、いろんなことを思う。
いや、親になった今だからこそ、余計に思うことや考えることがあると言った方がいいだろう

世の中にはひどい親はたくさんいるだろう。
残酷な環境で育ち、大人になった今でも、心の傷を抱えたままでいる人もいるであろう
幼少時に、親からひどい虐待を受けていた知人が「小さい頃は、息をすることも許されないと思っていた」と語ったことがあった。
そういう人から見たら、きっと私の環境はまだ幸せで、たいしてひどい親ではないのだろう。
それでも私の中には、親に対して消したくても消えない思いがある。
親というのは自分の人生の一部で、家族によって幼少の幸せは決まると言ってもいいくらいかもしれない。


まずは母のこと

ここにも書いてきたとおりだが、私の娘はおばあちゃんとは犬猿の仲だ。
普段はわりとおっとりとした口調で、腰も低いような娘なのだが、「おばあちゃん意地悪だから、やだ」とはっきり言う事も多く、おばあちゃんにはきっちり仕返しのいたずらをするような時期もあった。

そういう点は私とは全然違うなあと思うけど、それは母子ではなく、祖母と孫の関係だからだろうか?
母は母で、私に「あんたは口答えなんてしなかった。」と言っていたこともあった。
だから今になって口答えしたくなるのかしら
母は私のようなおとなしい子はきっと都合が良かったのだろうな。
ところが、孫である私の娘は、口答えをして、不満を母にぶつけるので、母にとっては自分の言う事をきかない、思い通りにならない対象であろう。
そういったことが、そばで見ていても感じられるので、70過ぎの高齢者が4歳の小さな子供を許せないとは、なんと大人気ないのかとイラッとしてしまう。

娘は私が少々叱りすぎたときも、理不尽だと感じれば、その気持ちを分かるように表す。
おばあちゃんに対しては意地悪な人間を排除するかのようで、今のところその善悪の判断はあまり間違っていない。
というのも、明らかに私の母が悪いときが多いから。
娘はすでに、すべてが自分の思い通りには行くわけではないということを、なんとなく感じているのではないだろうか。

仕返しのいたずらはもちろんいいことではないが、ため込まずに発散しようとしているので、まだいいだろう。
我慢して溜め込んでいると、私みたいな大人になってしまうので、上手に発散して、すっきりした大人になって欲しい。


私の母は、私がこの家に帰ってきた当初は、本当にひどくて、わがままで自己中で、やたらと八つ当たりしては、人を嫌な気持ちにさせるのをなんとも思っていなかった。
感情を我慢することなく当り散らすことができるなんて、ひどく社会性がない人だ思っていた。
それがあまりにひどかったので、『私や兄は外で働いてて、いろいろ嫌なことや疲れることだってあるけど、それを人に当たったりしないでしょ。みんな我慢してるんだよだけどお母ちゃんはそういう感情をかまわず垂れ流してるじゃないの」と叫んだこともある。
今は母の性格も随分緩和されて、すごくマシになったが、あの頃の母は、本当に少しおかしかった気がする

姉は母のことを『子育てに失敗した人』と言っていた。
父や祖父が生きていた頃は、母もいろいろと家でつらかったかもしれないが、かといって子供を可愛がるとか、子供を生きがいにしていたということはなかった。
母には、理不尽で信じられないような思い出もある
子供が支えでなかったら一体、母を支えていたのはなんだったのだろう
・・・と私が思ってるだけで、母はそれなりに少しは支えにしていたかもしれない。
なぜなら、母の姉への愛情は感じる。
母の、姉に対する待遇は私や兄とは昔から違う。それは態度でも、金銭面でもだ。
最初の子供に対する思いはそれなりにあったかもしれないが、それが二人目、三人目とだんだん薄れていったのだろう。母はそういうタイプの人だったのだ。

母を見てると、人を愛さない人間は、本当には人から愛されないのかもしれない、と思うことがある。
母とケンカをすると、生きる意味がとたんに分からなくなったときがあった
久しくこんな気持ちにならなかったのだが、昔、こんなふうに毎日思っていた私の、思考的な癖なのかもしれない。

こうしてこの家で兄や母と暮らしていると、家族だからこそ超えられないものがあることを感じさせられ、いつかふとしたきっかけで、あってはならないことを私が起こしてしまわないかと思うことさえある。
娘がいるのに、どうしてこんな気持ちになるのだろうかと、自分の心の過ちを恥じたり悔いてみたところで、一瞬でもわいたその気持ちは、間違いなく私自身が思ったことで、幻のようには消えない。

母にとって子供って何なのだろう、と思う。
与えられなかった愛情を、孫である私の娘に注ごうという気持ちはないようだ
でも最近は、私がいることや、孫がいることをいいことと思えるようになってきたのではないだろうかと感じるようになった。

近所の人に『やっぱり娘さんがいると旅行や食事に連れて行ってもらえていいねえ。息子しかいないとそういうの全然なくてねえ』と言われるようになったからだ。
これは本当にそうかもしれない。現にうちの兄には、母を旅行や食事に連れて行ってあげようという発想がない。
そういう意味でも母は、私がこの家に帰ってきたのは、いいことの方が多いはずだと思っているようだ。
実際、兄と二人暮らしよりは、私や娘がいたほうがいいだろう。

母には時々、我慢がならないときもあるけど、でも私はやはりここが好きで、嫌なときもあるけど、心地よいときの方が多いから、こうしてここで暮らしていけるのだと思う

それに、母とはまだやり直しができる。
生きている限りは、これからも家族として続いていく。


でも父とはそうではない。
父はもうこの世の人ではないから、なにかを修復することもできない。
ブログではこうして言っているが、実際に父の事を人に詳しく話したことはほとんどない。

私は今でも父との確執的な何かを思い出した拍子に、もう亡くなっているのに殺意を感じたことがあった。
首を絞めてしまいたいと思っていた。
子供の親のくせに、そんなことを自分の親に対して思うなんてと、このブログでも何回か言われたことはあるが、その気持ちはやはり私にしか分からないもの。
いくら人間性を疑われようが、私がそう思っていた事実は消えることはない。
それが私の本心だったのだから。

だけど、18歳までは父のお金で生活し、父の作った野菜や米を食べて大きくなったのも事実で、そのことを親だから当たり前だとは思ってはいない。
一般的な生活を送れたのは、やはり父のいたおかげであるという、その気持ちも嘘ではない。

父の死の際に、たくさんのことを考えて、そのときの私の気持ちが穏やかだったことや、父の死をさみしく思った感情や涙も嘘ではない。
以前、「あの人に優しくしてもらったことなんて一度もない」と父の事を語っていた母の、父を火葬をする前の別れの場面には、夫婦の強い絆を感じた。

でも今も時々、思い出す。
許せないと感じている自分の気持ちがそこにある。

今はもう父のように自分を傷つける人は他に誰もいないし、自分も誰かに憎悪の気持ちを抱くことはない。
親子という血のつながりがあるから余計にそう思うのだろうし、他人にこんなふうに思ったりできない。
私の人生が急に平和になったのは、娘が生まれたことより先に、父の死があってこそのものといってもいい。
ようやく穏やかな気持ちで暮らせるようになって、ホッとしているのも本心だ。
私か父のいずれかの死によってしか、終わることはなかったろう。
生きていたら、きっと私の娘も深く傷つけていただろう
そうなれば私は、自分を抑えられなかったであろう。

父に対する殺意や憎悪を、自分でも異常だと認識していた。
親を本気で殺してしまいたいと思うなんて、私はおかしいと思っていた。

でも本当におかしいのは、私ではないのではないだろうか。
人を傷つけることを何とも思っていない人間。
相手をさげすみ、暴言を吐き、苦しませ、相手に死にたいとまで思わせる、そんな人間こそが心に悪意と闇を抱えた、治療が必要な人間なんじゃないだろうか。

そんな人間は正常とは思えないし、信用できない。

そんな父を憎む以上に、成敗したかった。
私が親殺しという重い業を背負わなかったのは、ただの偶然なのかもしれない。
その前に父が死んでしまったから。

こんなことを考える私に、父は一体何を与えてくれたというのか。
いないほうが良かったのではという想像は、あまり現実的ではないし、とても難しいものだが、こんな苦しみを与えた人間が、自分にとってよかったとは思えない
父がいなければ生まれてこなかったのは分かっているが、生んでおいて「頼むから早く死ね」と呪いのように繰り返し言われたことは、あまりに理不尽でならない。

父の存在は、確実に私の中の大事なものを削り取り、悪いものを増幅させていったことは間違いない。
単に言葉の暴力とはいえ、今までどれほど父の言葉に傷つけられてきたことか。
私は自分の生きる価値もよく分からない人間だったし、そのため、全くの他人さえも自分を蔑んでいるという妄想のような気持ちに取り付かれていた。
父は私の自信も価値も奪い、恐ろしい憎しみを増幅させ、自らを蔑み、惨めな気持ちにさせ、幸せな気持ちから遠くに追いやった人だ。
一度しかない、大事な私の人生だったのに。

まっとうに生きたいと願う私に、唯一、大きなゆがみがあるとしたら、父に対するこんな気持ちだろう。
私はいまだに吐き出しきることができない。
父本人に訴えていたら、少しはマシだったのだろうか。
でもそれももうすることができない

今は憎しみというものより、ただひどい人だったという、印象だけが強く残る。
私が父を殺さなくても、父は死んでしまったという事実。
もう恐れなくていい、私を狂わせる元はいなくなったんだ。


そんな父を持っていた私が、子供にとって父親がなんたるかなんて、分かるわけがない。
娘に父親について語ることができるはずもない。
娘にとっての父親をどんなふうに考えればいいのか、本当は分からない

父に対する気持ちで、小さな救いといえば、ほんの少しずつだが、記憶が薄れていくこと。
これらを過去の出来事として、娘との楽しく幸せな思い出を増やし、人生を上書きしていけること。
きっとあと10年経てば、父とのことなんて、もっとどうでもいいことに変わるだろう。
長い時間をかけて、私は自分の心のゆがみを消したい。

娘がいてくれるから、ようやく私は大事なことをやり直せる気持ちでいる。
でも、私が娘に与えられるものはなんなのだろう。
ごく一般的な考えで、娘には父親の存在を与えてあげたいと思っているが、それは娘にとって、はたしていいものなのだろうか。


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※娘の誕生日の諸々の準備をしたいと思いますので、更新を当日までお休みします。
子パパの話の続きは、誕生日が終わってからしたいと思います。すいません


ruhruhlilia at 06:45|PermalinkTrackBack(0)

2011年05月25日

母を連れて沖縄旅行・後編

前回の続きで、母を連れての沖縄旅行のお話

(沖縄3日目)
昨夜は早く寝たから元気天気もそう悪くないみたい。
この日もホテルの朝食バイキングをがっつりいただいた。

高速で那覇まで戻り、この日は本島の南部を観光する予定。

またまた私が個人的に見てみたかった場所、斎場御獄に向かった
ここは世界遺産パワースポットでもある。
斎場御獄の読み方は『せーふぁうたき』。難しい読み方なのね
御獄とは神が宿るとされる神聖な場所のこと
琉球の国造り神話では国始めに作った七御獄のひとつがここで、御獄の中でもっとも格式が高いとされている場所らしい。

沖縄



こんな道を進んでいく。


今日はサンダルではなくて、ちゃんと靴を履いてきた。
娘は手をつないでないと、滑ってしまう






斎場御獄




斎場御獄のシンボルでもある、三庫理(サングーイ)。




巨石が二つ寄り添ってできた三角の空間を抜けると、拝所がある。
そこから見える海には、神聖な島とされている久高島が見える。








そして次の目的地へ。
首里城観光の予定を明日に回し、急きょおきなわワールドに行ってみようってことになった。
ここには鍾乳洞や古民家を移築した琉球王国城下町ハブ博物公園などあって、見所がたくさんのテーマパーク。

まずエイサー広場という会場で若者の沖縄の踊りを見た。
踊る若者たちを見て、カッコいいなあ、こういう仕事はやりがいがあるだろうなあなんて思って見ていた。
娘は獅子舞の舞を怖がってた。でもなぜか怖いくせに見たがる

その後はハブ博物公園へ。
私は大のヘビ嫌いだが、自分から進んで見るのは大丈夫
急にしげみから現れるのが怖いだけ。

そういえばハブVSマングースのショーは今はやってないんだって。動物愛護協会からストップがかかったようだ
その代わりウミヘビVSマングースの水泳対決をしていた。
どっちが勝ったかはナイショ
それよりショーのお兄さんの冗談が面白かったな

ショーの後はニシキヘビを肩にかけて記念写真(無料)が撮れるというので、母に、「古希(70歳)の記念にニシキヘビを肩にかけてみたら?」というと、やだって言われた
娘も断固拒否
私もちょっと無理だなあ(夢に出そうだし・・・)ってことで次に行くことに。
ちなみにおきなわワールドにはハブ酒もたくさん売ってて(高い!)、なんだか一生分くらいのたくさんのヘビを見たような気がするな。

今度は玉泉洞という鍾乳洞へ。

鍾乳洞



「これどこまで続くの」ってくらい長かった




娘は暗いのが怖いようで、私の手を引いてどんどん歩いて行こうとしてた





そろそろ時間がなくなってきた!ってことで昼食は軽食にし、ケバブを食べた。
なぜにトルコ料理がって感じだけど、美味しかった

なぜ時間がないかというと、おきなわワールドの向かいにある、ガンガラーの谷ツアーを申し込んでいるから。
このツアーは事前に申し込みが必要。私たち家族以外にも、たくさんの人が申し込んでたみたい。
洞窟の中にあるカフェ、ケイブカフェに集合。
太古の森と出会えるこのツアーは、2008年の夏から一般公開されるようになったようだ。

ツアーは1時間20分で一人2000円。(小学生以下は無料)
ジャングルのような道をガイドに付いて歩く。

娘はなぜか大はしゃぎ
うちの娘は内弁慶のくせに、公衆の面前で大声で変な歌を歌ったりや変な踊りをしたりするんだよねえ。
でもガイドのお姉さんに「いくつ?」と聞かれると、無言無表情でかろうじて指3本立てるだけ。(しかも見えないような位置に

ツアーで訪れるのはどれも見たことのないような、不思議な世界。
巨大な竹の竹林。
50万年前の洞窟鍾乳洞跡。
洞窟はランタンを持って進んでいくので探検みたい
不思議な形の岩、岩のトンネル、木の上のテラス。緑色のカタツムリ(タニシ)も見れた。
古代人の居住跡では今も発掘が続いている。

ツアー








そして、一番の見所は巨大な大主(ウフシュ)ガジュマル。








ツアーその2








このツアーはすごく良くて、写真ではなく、ほとんどビデオカメラで撮っちゃった。





ツアーに参加してみてよかった
母も姉もとても面白かったと言っていた。
うちの娘は終始ハイテンションだったので、3歳くらいの子供なら問題なく歩けるみたいね。

このツアーは最終的には、おきなわワールドの敷地内に出てくる。ちょっとびっくり
再入場ができるということだったので、再びおきなわワールドで買い物することに。

母はお土産を買って家に送るというので、土産屋に行った。
おきなわワールドの土産屋は試食がたくさんできてイイ
姉は「母の買い物は長くて付き合いきれない」と言うので、私と一緒に琉球王国城下町にある写真館へ。
姉も誘って、娘と3人で民族衣装を着て写真を撮った。(一人500円で着れる)

BlogPaint


獅子舞シーサーと娘。





沖縄旅行最後の夜は首里城近くのホテルに宿泊
この日も疲れたので、夕食はホテル内のディナーバイキングにして、お酒を飲みながら、沖縄料理やたくさんのデザートを食べた。
娘も鬼のように食べて、妊娠線ができそうなくらいなお腹になってた
娘の食欲にはいつも驚かされるな

お風呂で娘はなぜか、その日見たものの話を延々としゃべり続けていた。
あまりにも休みなくしゃべるので、ノイローゼになりそうなくらいだった
しゃべらないときは返事もしないくらいなのにね。

そして、就寝
娘はベッドから落ちて床で寝てた



(沖縄4日目)
沖縄旅行の最終日
この日もすごく涼しくて、半袖ではいられないくらいだった。

午前中に少し時間があるので、早めにチェックアウトして、首里城へ。

首里



首里城正殿

約500年にわたり、琉球王国の城として栄華を誇った首里城は、1992年に復元された。世界遺産。






首里城中



正殿内の国王の椅子。







一時間くらい首里城を見てから、土産屋でTシャツなど自分のお土産を買って、ブルーシールアイスを食べた。
ストロベリーチーズケーキ味、マジうまい
あっという間に娘に食べられてしまった。

それからレンタカー屋まで行って車を返した。
ナビには悩まされたけど、そうでなくても意外と分かりにくい道路標示も多かったような
でもやはり沖縄はレンタカーが便利だね
旅行中は晴天ではなかったけど、梅雨のわりに雨に降られたのは初日だけで、台風もどこかに消えてしまってたし、まあラッキーな方かな。

レンタカー屋のバスで空港
あまり時間がなくて、ほぼギリギリな感じだったけど、いくつかお土産を買ったり、お昼のパンやオニギリも買った。
そこでまた母がグズグズと何か言っていたので、姉がピシャリと叱っていた。

後で、「ねえ、私たちってお母ちゃんに怒りすぎじゃないかしら」と言うと、「だってねえ・・・」と、姉も苦笑いだった。
ついつい母にはいろいろ注意したくなる。
自分で何も決められないくせに、人に決めてもらうと後でネチネチと文句言ったりするんだもんなあ

楽しかった沖縄旅行もこれでおしまい。次の日から仕事だなんて信じられない
数年後にまた娘と沖縄に来てみよう。
そのときは娘ももっと大きくなってるから、ジャングルカヌーとかシュノーケリング、工房でシーサー作り体験なんかをして遊びたいな
娘はこの旅行で、水牛に乗ったことと、おきなわワールドで見た獅子舞の踊りがすごく印象に残ったみたい。


おまけ・母と私が沖縄で買ったお土産いろいろ

パインカステラ

『まるごとパインカステラ』

試食してすんごく美味しくて買った。




タルト 

『紅いもタルト』

モンドセレクション金賞納得の美味しさ。
スイートポテトのような味。




泡盛


『泡盛 琉球王朝』 

これは兄の土産に姉が買ったもの。これも金賞




ちんすこう

『雪塩ちんすこう』 

間違いのない美味しさ。これまた金賞


ちんすこうは名物なのでたくさん売っているが、いろんな味のちんすこうセット、チョコがけのちんすこう、萌えキャラのちんすこう、下ネタ系っぽいちんすこうなどなど多彩なバリエーションがある。

雪塩シリーズにはラスクなどもあるが、私が気に入ったのはコレ。
ふわわ

『雪塩ふわわ』

ふわっと口の中で溶ける、甘みを抑えたココナッツ風味。




もずくうどん

おきなわワールドで試食した『もずくうどん』(もずくが練りこんである)、




そーきそば

忘れちゃいけない『ソーキそば』



おかずですよ

紳介の番組でやってる『夢来人のおかずですよ』


普通の土産屋では見かけなかったが、空港にはたくさん売っていた。
味は「食べるラー油の味の牛肉」という感じ。うーん。


さて、無事に関空まで帰ってきて、そこで姉とはお別れ。
お世話になりました

さて、また大阪市内に戻り、高速バスで地元まで戻るという、なかなかハードなスケジュール。
だって、次の日仕事だし
母は、姉がいなくなったとたん、ワガママと文句ばかりで最悪だった。
「帰りが遅くなるので、バスの車内で食べる夕食用になんか買っておく?」と聞くと、母が「弁当がいい」と言うので、高速バスの待ち時間の間、コンビニを探すことに。
でもそこの売店にはいいのがなくて、少し歩いてあったコンビニには弁当は売り切れ、また探してやっと弁当が見つかったら、母は「これなら最初の売店にあったのと変わらないだろ。あー、荷物が重い」と、腕を大げさにさすりながら、嫌味と疲労による八つ当たり。
あまりの態度に「人がせっかく・・・!」って言ってしまった。
恩を着せるつもりはなかったけど、あまりの態度に腹が立ってキレてしまった。(文章にするとたいしたことでないように思えるかも
なんでこんなに姉のときと態度が違うの私には本性丸出しじゃん!
それから情けなくなって涙が出そうになった
私はバスの中でいろんなことを考えた。

母とこれから先もずっと一緒に暮らしていけるのだろうか?
やはり難しい。
母ともめると私もすごく難しい人間になってしまうのだった。
母がイライラしてると私も過剰に反応してイライラしてしまう。
逆に母が穏やかにしていると兄も私も(娘も)、穏やかにしていられるのだ。
家族のことがなければ、私はいつも平和で非常に穏やかな人間でいられるのに、と思うことがたびたびあった。

不機嫌なことが多い母だが、旅行にでも連れて行けば、数ヶ月は機嫌がいいのじゃないだろうかという甘い考えもあった。(本当に甘かったけど)
でも母がそれで喜んでくれるのなら、私は嬉しいのだ。
姉だってそうだろう。だからこの旅行が実現した。
仲の悪かった父を旅行に連れて行ってあげようと思っていたのも、父に喜んでもらって自分の事を認めて欲しかったからだと思う。
子供って、愛されてないと感じたら、追い求めていきたくなるものだ。

姉も私も、母に対してはいろいろと思うところがある。
私や姉は必ず過去を振り返る。母には今でも不満がたくさんあって、姉妹で母の悪口を言ったりもするのだが、それでも許し、または許され、そこに思いやりを残すことができる。
悪いときもあるが、いいときもあるからどうにかバランスをとって一緒にいられる。
だって親なのだから。家族なのだから。
仕方がない。
私もいつか娘にそんなふうに『仕方ない』なんて、思われる日が来るのかな



家に着いたのは夜遅くで、ぐったり
熱いお風呂に入ったら、やっぱり家は落ち着くなあって思った
猫ちゃんたちもとっても元気そうだった

になって、この前植えた苗野菜を見たら、ぐんと大きくなっててびっくり
母も、こんな小さな出来事でも、自分の幸せと感じられる人になってくれればいいのになあって思った。


結局のところ、母は旅行に行ったくらいで機嫌が良くなるようなことはなく、疲れたり腹が立てば、物に八つ当たりしては自分勝手に怒りをぶつけてくる。
それでこちらも辛抱ができないときはあるし、母は普通じゃないって思うこともある。
どうやっても母に気持ちが伝わらないと、追いかけても永遠に届かないようで、つらくなる。
母には笑っていて欲しい、人生を楽しんで欲しいと、心から思っているのに。

でも私はバカだからね。
いつかサイパンにでも連れて行けたらいいのになあって思ったりもしてるし。
本当にこりないよね
もっとも、母は外国は怖いからやだって言うだろうけどね。


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ruhruhlilia at 19:30|PermalinkTrackBack(0)

2011年02月25日

母への疑問

私は昔から母に対して疑問がたくさんある。

母は朝早くからテレビを観ては、スポーツ選手の悪口を言ったりする。
スポーツ選手がどれだけ練習をして努力しているのかも知らないで、楽してお金ばかりもうけてるように思っている。
ひがみと貧乏根性で、テレビを観ては悪口ばかり言っている。
もちろん政治家の悪口も毎度のこと。
私はそんな母を見ながら、毎日一緒に朝食を食べている。
母を見ていると、母の幸せって一体なんだろうって思う。


娘が2歳だった当時、娘のかんしゃくは本当にすさまじいものだったので、その頃の私はそれはもうイライラしてて、今思えば反省点は非常に多いのだが、それも3歳半になった今ではすっかり見られなくなって、イライラすることもぐっと減った
でも母は娘が落ち着いた今でも、娘が少しでもワガママを言い出したら、じーっと娘を見てはどうにかあらをさがして文句を付けようと、視線をはずさないまま立て続けに叱りつける。
そのときの母の目は、まるで憎しみをぶつける相手をにらみつけているようなのだ。
私はそのたびに、「もう見ないでいいからじっと見てるからこの子にむかつくんでしょ」とたしなめるのだった。

みんなのブログを見ていると、やさしいおばあちゃんでいいなあってうらやましくなるときがある
普通、自分の孫ならもっと可愛がるはずじゃないの
娘もたびたび「おばあちゃんきらい」と口にするようになった。

母は叱りすぎても反省する人ではないし、小さい子をいたわるという気持ちというものも欠けている。
母はしょっちゅう、娘からわざと物を取り上げたり、隠したりする。
当の本人はからかってるだけのようだが、娘もそんなことをされると当然イヤなのでムキになってしまい、余計に母に意地悪をされる。
私はそのたびに「この子が真似して保育園でお友達に意地悪をするようになったらどうするの」と母に怒るのだが、母は相変わらず自分が悪いとは認めない。

ある時、娘がまた母に何かを取り上げられたとき、娘はあまりにストレスがたまっていたのか、ひたすら何かにとりつかれたように、母を叩き、引っ掻き始めた
止めてもずっと娘は無言の無表情で母に襲い掛かっていき、くやしさを思いのままにぶつけているという感じだった
私はそのとき、このままではいけないと強く思った。


私はどうにか母と距離を置く方法がないか、考えるようになった。
母はいろいろと家事全般の世話は焼いてくれてるとは思うし、優しいときもあるけど、私は自分の娘をそんなふうに扱われることが許せなかった。
第一になぜ母がそんなことをするのか、全く理解ができなかった

そのうちに本当に嫌気がさし、家にいるのがイヤで、休みもなるべく娘を連れて外にいて時間をつぶそうとしてしまっていた。
冬場は母も家の中にいることが多いのだ。
嫌気がピークだった頃には、仕事が終わって娘を保育園に迎えに行ってから、やっぱり家に帰りたくなくて、娘とわざと寄り道して時間をつぶして帰ったりしていた時期があった。
まるで家出願望のある不良娘みたいだ

意地の悪い母に、何かあるたびにちょこちょこと注意はしていたんだけど、あるとき我慢がならず、言ってしまった言葉がある。
「自分の育児の失敗を、孫でやり直そうとは思わないの

ひどい言葉だとは分かってる。言いすぎだったかもしれない。
でも母にこそやり直して欲しい。
育児を楽しいと思えなかったのなら、今、孫で楽しんで欲しい。
成長を喜ぶこと、必要とされる喜び、ただ一緒にいられることに幸せを感じること。
他の何にも代えがたい、かけがえのないもののはずだ。

絵本を読んであげたり、服を作ってあげたり、一緒にどこかに遊びに行ったり、一緒にお菓子を作ること、娘には毎日でも『大好き』って伝えること。
自分が母親にして欲しかったこと、憧れていたことを娘にしてあげたいと思っている。
そうすることで自分も子供時代をやり直しているように感じる。
私は娘にまっとうで楽しい子供時代を過ごさせてやりたいと思っているのに、それを母にめちゃくちゃにされていくような気持ちになる
もし私が死んだら、娘のことは絶対に姉にお願いしたい。
母に任せたら、同じことの繰り返しで、私みたいになってしまう

母に何か趣味でもあればストレスを発散できるのだろうが、母にはそういう楽しみのようなものがないから、こちらに八つ当たりするしか方法がないのだ。
一時期は近所の人たちと毎日のように集まって、お茶を飲みながらおしゃべりをしていたようなこともあったが、人の噂話や悪口ばかりでイヤになって、参加しなくなったらしい。
そういうところは母のいいところというか、まともな部分だとは思っているけれどね。
でも孫に八つ当たりしてストレスを発散するくらいなら、どうでもいい噂話でもしててくれたほうがまだマシだわ


なんでも親のせいにするのは間違いだし、人生の選択をしてきたのは自分自身であるのだけれど、私という人間の心の基礎を作ってきたのはなんじゃないかと思う。
そう、私の考えの根底のようなもの。

今までの人生を振り返ってみても、私は自分を大切にしてはこれなかったように思う
自分の事を大切に思ってくれる人の存在を感じられなかった人間は、自分の事も大切にできないんじゃないかな。
与えられてないものは、身についていかないのだ。
そもそも「こんなことをしたら親に怒られる」という気持ちはあっても、「こんなことをしたら親が悲しむ」という概念が私にはない。
もう自分の価値を問いては悩むような年齢ではないが、人から見た価値ではなく、なによりも私自身が私を大切に思っていないのだ
あと20年は意地でも生きたいと思うけど、それも自分のためではなく、娘のためだし。

話は昔のさかのぼるのだが、母はだいたいにおいて、感情をぶつけてひどく叱る人だったけど、褒められたことは一度もない。
叱るのでなく、聞こえるように悪口をいうことも何度もあった。
そして、いつからか分からないけど、私が母を呼んでも全く返事をせず、聞こえてないかのように無視をされていた時期があった。
私が高校生くらいの頃、長い間ずっとそうだった。私は何度も何度も母を呼ばなくてはならなかった
でも自分が用があるときや、叱ったり文句を言いたいときだけ、私の存在を認めた。
正確に言うと、母は私がまだ子供だから相手にしないで、人間扱いしなくていいと思っていたんではないだろうか。
当時、すでに県外に就職して、たまに帰省していた姉の話には普通に答えるのに、私の言葉はそこにいないかのように無視した。
でも、もしかしたら私にだけそうだったのかもしれない。姉にはそんなことしなかったのかもしれない。
母は、私が大人になってようやく、対等に話を聞いてくれるようになったのだ。

小さい頃は母は優しい人だと思い込んでいたが、大きくなるにつれ、母が冷酷な人間に思えるようになっていた
もっとも、父はもっとひどい人だったので、母はずっとマシだったわけだが
その頃の私はなぜか親がすることや言うことにじっと我慢していた。何も反論しなかった。
その頃我慢したから、今になって我慢がきかないのだ。
だって、あまりにも理不尽で

私がもっとどうしようもないことをしたのなら分かるけど、全く思い当たらないのだ
私は家で全然勉強しないような子だったけど、そこまでのことをされる理由にはならない。
ただ、私がそこにいるだけでむかついてるようだった。
いや、意味はあったのかもしれない。そうやって母のストレスが発散できていたのならば。

『あの頃はすごく毎日がつらくて、疲れていて、子供のことなんて考える余裕がなかった』
などと、何かしら納得できるような理由を言ってくれればいいのに、それならばまだ理解ができるかもしれないのに、母に聞いても何も覚えてないし、そんなことは言ってないししてないと、いつも言う

死んだ父にも聞いてみたいことはたくさんある。
なぜ、どうして。
我が子をさげすみ、傷つけることになんの意味があるのか。
一体それが何の罰なのか、私には今でも分からないことだらけだ。
私は自分が親になった今でも分からない。
親になったからこそ、もっと疑問に思う。
私は娘にそんなことをしないだろうから。
自分がされて嫌なことを、人にしてはいけないということくらい、子供だって分かることだから。


田舎に帰って暮らして、私はこの町や環境が好きになったけど、この家に母と暮らしていると、その疑問は一生ついてまわるような気がするのだ。
それよりもなによりも、ここにいるとよくないような気がする。
嫌なことを考える人間でいてしまうのだ
だからいつまでここで暮らせるんだろうって思うときがある。
いつかまた私はここを飛び出すのかな。

私は自分の家が欲しいと思うようになった。
大きな素敵な家に住みたいとか、そんな願望はないから、こじんまりとした住みやすい家が欲しい。
そこで娘と二人で暮らしたい
今回は母のことについてだが、兄ともいつでも仲がいいわけではなく、ささいなことでもケンカするし、将来、いろんなことでもめることが予想できる。
そうならないために、いつかは兄と生活を完全に分けたほうがいい。特に金銭的な面でそうしたほうがいいと思う。
でも家族の縁まで切るわけじゃないから、兄から安くうちの土地を買って、田んぼか畑を整地して、家を建ててもいい。土地があるなら家本体は数百万で建てられるし。

ただの物置である倉をリフォームすればはなれとつながっているし、そこにキッチンや風呂トイレを付ければ、同じ敷地内でも母屋とはなれで完全に生活を分けてできる
もしくは近場の中古の家を買ってもいい。田舎だからこれまた数百万でなんとかなる。
そんなことを考えるようになっていた。

でもやはり今すぐというのは無理な話だ。
娘だって家族みんなで暮らすほうが楽しいだろうし。
じゃあどうしたらいいんだろう。
前向きに考えて我慢していくしかない
後ろを振り返ってばかりいても仕方ないのだから。


そうして、私が娘をかばい続け、こつこつと抗議をしてきた結果、母も意味のない意地悪はあまりしなくなってきた。
母への疑問はつきないけど、それは今、母に日々世話になることで、母を許そう。
母には恨みというよりもあきれているといったほうが近い気持ちだしね。
娘を可愛がってくれてるときもあるし、優しいときだってあるのだから

それに私は母とは違う
私は母を無視したりしないし、気長に母の性格を修正しながら、なんとかやり過ごしていこう。それが母のためだ。

娘だって、私の頃とは違う。
親に叱られたり無視されたりした私を助けてくれる人間はいなかったけど、娘には私がいる
だから私のようにはならないはずだ。

実家に暮らす限り、家族への悩みはつきない。
私は今日も娘と二人で暮らしたいなあって思いながら、でもやっぱりお金を貯めるまではここで我慢しなきゃって思うし、我慢できるくらいなら当分は大丈夫なんじゃないかってのも思ったりもするのだった


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ruhruhlilia at 06:38|PermalinkComments(30)TrackBack(0)

2010年05月18日

家族の課題

前回の続き

そしてそれから数日後
GWが終わり、姉一家はとっくに大阪に帰っていた。
きっかけを書くと実にどうでもいいことなのだが、夕飯が終わって、私と娘が風呂にすぐ入らなかったから、機嫌を悪くした母にえらい剣幕で文句を言われた
正確に言うと、私が娘の耳かきをしてたから。(娘の要望に答えただけ)
私が風呂に入らないと、自分の入浴の時間が遅れるから、いつも急かされる
でもこの日はあまりの剣幕だったし、嫌味タラタラで、ゆっくり入る気持ちが全くなくなってしまった私は、温まることもしないでカラスの行水みたいな入浴になった。
「さあ、あがったからさっさと入ってよ!おかげでこの子もゆっくり浸かれなかったし、髪も洗えなかったわ」と私は娘を連れてはなれに行った
もう腹が立つのでさっさと寝ようと思ったのだ。

はなれで娘と布団に入ったら、母が階段を上がってきて、すごい形相で部屋に入ってきた
さっき私が言った事を母はひどく怒っていて、気が収まらずはなれに文句を言いに来たのだった。
でもこっちだって怒ってるのだ
いつもいつも機嫌悪い母に八つ当たりされて、一時期直ったと思ったのにまたこれだ
「もういい加減にしてよ!お姉ちゃんに言われてまだ分からないの
に言われたことは相当こたえたはずなのに、母はその部分を直す気ゼロ
姉に言われたらシュンとする母も、私には食って掛かって来る。
母は私が憎らしいから文句を言う(本人もそう言っていた)し、こちらは文句を言われて腹が立って文句を言う。そしてさらに母に文句を言われる。
どうしようもなく悪循環

私は兄の携帯に電話して「今すぐはなれにきて」と言った。
は私や姉のように子供の頃にどう思ってたとか、そういう話は全然しないし、あまり何も感じてなかったのかもしれないけれど、普段からの母の八つ当たりに対してはずーっと我慢して辛抱していたのだった。

しぶしぶと兄もやってきた。
「私は八つ当たりなんてしてない、風呂に早く入れと言っただけ。何が悪いのか分からない。お姉ちゃんが怒ったのも何でなのか分からない」と母は言った。
「お母ちゃん、3人の子供がみんな同じことを非難してるんだよ。なんで認めないの?」
すると母はこう言った。
「おまえたち3人で私をひどい目に合わせようとして!」

これにはびっくり。
こんなに子供たちが言ってるのに全然分かろうとせず、自分が被害者みたいに言ってるし
しかも罪のない姉のことまで悪く言うなんて
それから、(こういう場面では初めて見たのだが)母は泣き出してしまった
普通、母親が泣いていたら少しはやさしい気持ちになるものなのだろうが、この時はそうは思わなかった。
そしてさらに言い争いは続いた。

姉が今まで何を我慢して、何に傷ついてきたのか。
私たち兄妹が何を思っているのか。そういうことを母に言ったけれど、どうやら無駄だったようだ
「このうちに嫁に来てからいいことなんて一度もない!」と母は言った。

母は、結婚して3人も子供を授かったことを、人生の喜びとは思ってくれていないのだろうか。
孤独死する老人が少なくない世の中で、こうして共に住む家族がいて、孫までなついてくれていることを、幸せだとは思ってくれないのだろうか
そして私たち子供だけがこの家の人間であるかのように言う。
自分はそっち側の人間ではないと言わんばかりに。

元兄嫁の件があって以来、母は昔よりももっとやさぐれた人間になってしまったように思う
兄は離婚をしてから、穏やかで思いやりのある人になったというのに。

そして、母の怒りもおさまらず、はなれからいつまでたっても去ろうとしない。
娘は眠そうにしているのに、寝ることもできず、母は兄が「もう行こう」と言うのも全く聞かないで、怒ったかと思ったら泣いてをくり返した。
なんか今日の母は普通じゃないし、こっちもあまり冷静でなくなってきた

私はもう本当にイヤになってしまい、こっちも泣き出した。
醜い言い争いもイヤだったし、娘がいつまでも寝られないで可哀想だったし、他におさまる方法が思いつかなかったから。

私の大泣きで、びっくりしたのか娘まで大泣きして、親子でワーワー泣いていたら、さすがに母はひるんで、急に「分かった、もう行くから。でもこれからも仲良くしような」と言って、兄に連れられて母屋に帰っていった。

ああ、娘まで泣かせて本当に本当にバカみたい。
いい大人がこんなケンカばかりして、どうしてなんだろう。
いつまでこんなこと続くんだろう


そうして私と娘はやっと眠りについた


姉にこのときの騒動をメールで伝えると、姉の反応は思った以上に厳しかった。
『母はいつも悲劇のヒロインみたいで後ろ向き。疲れて人に当たるくらいなら農業をやめればいいのに。子育てを誤った結果も自分の間違いだと受け止めていない。』という返事が返ってきた。
姉は今まで母についてここまで具体的に言わなかったけど、かなり長い間我慢していたようだ。
だけど、姉が母を嫌っていると、なぜか私は何とも言えない複雑な気持ちになる。
母は姉が好きなのに、その気持ちがいつも一方通行なことが気の毒に思い、少し悲しくなる

私も姉も昔のことを引っ張り出して怒るのは、きっと小さい頃にうまくダダをこねられないまま大人になってしまったのかもしれない。
子供の頃に我慢してきた気持ちを、大人になって爆発させているのだ。
父に言われて傷ついたことを、父が亡くなっていなくなってから、母にぶつけてしまってるんだと思う
きっとどこかで、(理解は別として)母ならそういうのを吐き出すことを受け入れてくれると思ってるのかもしれない。
つくづく親とは、母とは、強くなければいけないんだなあと思った

このままケンカをくり返していたら母が死んだときに私たちはみんな、後悔する。
母にひどいことを言ったこと、ケンカばかりしたことを。
それでも母を想う気持ちがあるからこそ、あきらめずにぶつかっていこうとしてるのに。
本当にどうでもよかったら誰も何も言わないで無視するだろう。
姉が本当は母を大切に思ってるなんてことは、当たり前のことのように分かってる。母だって本当は分かってるはずだ。
でも、こんなふうに大きなケンカをくり返していき、この先ずっとうまく行くのだろうか?


次の日は別に母は普通だったし、私も何事もなかったかのように接した。
そして数日後。
娘とトイレに入ってるときに、ふいに娘に聞かれた。
「ねえ、怒ってる?」
「え?怒ってないよ」
おかしいな、なんでこんなこと聞くんだろう??今日ははたいして叱ったりもしてないのに
「お母さん、泣いてたでしょ」
・・・娘は、私と母が言い合いをした末に泣いてしまったあのケンカのことを言っているのだ。
「ママはなんで泣いちゃったっけ?」と娘に聞いてみると「ババが怒ったから」と娘は答えた。
ぎょっとした
あれから3日は経つというのに、この子の記憶にはしっかり残っているのだ
娘がこのことを笑って言ってるのは、そのあとすぐに私たちが仲直りしたから。
(幸い、1週間後にまた聞いたら、ママが泣いたことは覚えてたけど、何で泣いてたかは忘れちゃったみたい

私の友達は旦那とも自分の親ともよくケンカをしていたせいで、子供が(それがたとえケンカでなくても)大きな声を聞くだけで萎縮してしまうようになったという。
そして自分の意見を言えない自信のない子になってしまったんだって

子供の前でケンカをするなんて、やっぱりいけないことだ
私も小さい頃見た、母とM子おばさんのケンカが忘れられず、今でも鮮明に記憶に残っている。
子供の目の前で互いが罵声を浴びせるような激しいケンカをして、子供の心にどんな影響があるのか。
そんなことはよく考えたら分かること。絶対にいいわけがない

そうは言っても、普段は何事もないほのぼのした家庭なんだけどね。
ちゃんと会話もあるし、母も兄も私も仲がいい。
でも時々こうして不満が爆発してしまう。この『時々』というときが本当に最悪な事態になってしまってるわけで
だけど母が普通にしてくれたら何も起きないんだけどねえ

とにかく、不満をコップいっぱいにためないこと。
我慢ばかりするとどんどんたまっていき、いずれあふれ出す。これは夫婦間でも同じだろう。
そうならないために今後どうするのか。
これから私たち家族の課題になるだろう。


それから、私たちは母が八つ当たりしないためにはどうするか考え、夕飯はみんなで用意し、後片付けは私と兄でして、母は先に風呂に入ってもらう、ということにした。たしかに今まで母の分担が多すぎた
娘を風呂に入れるのが遅くなってしまうが、母に風呂を急かされなくなって、こちらも気が楽になった
娘にかまう時間が減ってしまったが、でもケンカを見せるよりはいいし、今のところこれでうまくいっているので、いいことにする


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ruhruhlilia at 06:03|PermalinkComments(10)TrackBack(0)

2010年05月17日

母と姉のケンカ

話は少しさかのぼって、GWも終盤にさしかかってきたある日のこと。
法事は終わったが、大阪からきた姉一家は休暇の終わるギリギリまで実家に滞在していた。

友達と出かけていた私が家に帰ると、同じく家族で出かけていた姉一家も帰ってきてた。
姉と甥っ子たちは疲れて寝ていた
そして夕方になって、が農作業から帰ってきた。

そこから何がどういうきっかけなのかは見てなかったのだが、どうやら母が夕飯の支度をしながらまた大きな音を立てて機嫌の悪そうにして、物に八つ当たりをしていたようだった。
そしてそれを寝起きで手伝っていた姉が怒って母にこう言った。

「長居したからってそんな態度されるなら、昨日にでも(大阪に)帰ってたらよかったわ
『そんな態度』というのはいつもの八つ当たりのこと。
姉は日中を家族で遊んでたことを、一日中農作業をしていた母にとがめられていると感じたようだ。
まあこんなのいつもの母なんだけど、姉は私や兄のように見慣れていない。
母は「何でそんなこと言うんだ私は何もしてないのに」と慌てた。
「八つ当たりしてたでしょ!じゃあもう、五月には二度と来ないから。こんな田植えで忙しい時期に来た私たちがいけないんだわ」

いつも温厚な姉が、母の八つ当たりに対して怒っているので、私はびっくりした。
しかも怒り方が私と一緒。
顔は笑ってはいても、爆発させるようにどんどんと言葉が出てくる。
身内だから手加減して穏やかに言ってるつもりだけど、でも内容はかなり相手を傷つける言葉のオンパレード
姉がここまで怒ってるのは珍しい
普段穏やかな姉が、本気で文句を言っている。私でも言わないようなひどいことも言ってるよ
やはりうちの血筋は口が悪い・・・

母は姉の言葉にショックを受けて、「そんなつもりじゃないのに、もう二度と(五月には)来ないだなんて」と何度もくり返す。
私は「そんなことないよ、それは言葉のあやだし、また来てくれるよ」と母に言った。
でもそもそも今回は法事があるから来ただけで、通常は盆と正月しか来ないけど
母はこういうとき、周りが見えなくなって自分の気持ちしか考えないのだ。

「お母ちゃんもなんで八つ当たりなんてするのお姉ちゃんは普段は疲れすぎて玄関で倒れるように寝てしまうくらい毎日ヘトヘトになるまで働いているんだよ休暇中くらいゆっくり遊ばせたり、休ませたりしてあげたらいいじゃないの」
姉の家に泊まりに行ったときに、姉が玄関で倒れていたので(ただ寝てるだけ)びっくりしたことがあったっけ
「そんなことわかってるし、八つ当たりなんてしてない。疲れててそう見えただけだ」と母は反論。

母には私も日常的に嫌味を言われている。
「あんたはいいね、土日は休みがあって。農業なんて休みなんてないのに」
「じゃあ自分で何曜日は休むって決めて休んだらいいじゃん」と私はいつも言うのだが。
まるで家事と育児には休みがないのよと家庭で文句を言われている旦那さん状態だ

母の八つ当たりは春になって日が長くなって、本格的に農作業が始まってから、またひどくなっていたのだ。
でも母はいつものように、自分がしたことは全く気がつかないので、謝ることも認めることもせずに、ただ悲しんでいた。
すると姉の抗議はさらに内容が拡大し、核心をついてきた。
「私はこの家にいたら結婚できないと思ってた。だからここで暮らさずに、都会に出たのに」
うわっ、言っちゃったよ、お姉ちゃん

これは主に、父の姉で、私の大切なM子おばさんに対する家庭内いじめについてのことだが、姉はもう大人だったから、もっと冷静にいろいろなことを見ていたんだと思う。
確かにあの頃のうちの家は異様だった。
それ以外にもさまざまなこと。姉は人生のいろいろな場面で親に対して怒りや悲しみを感じていたということを、私は知っていた。

やはり姉妹だね親に対して怒ってる部分が全く同じところだし。怒り方も似てるわ
私も姉も、しまいには昔のことを引っ張り出して怒りたくなるのだ。
でも過去のことを言うと、母は「そんな昔のこというな」と言う。
母にとって言われたくないことは、私たちにとって忘れることのできない記憶や感情なのだ。

私は姉にこう言ってなだめた。
「お母ちゃんは普段からこうだし、今日の八つ当たりなんて全然マシ。ちょっと前まではもっとひどくて、これでも大分直ったんだから
本当に、今日の八つ当たりなんて、母のMAX時に比べたらそよ風みたいなもんだ。
私は気がつかなかったくらいだわ

そんな感じで、なぜか私は母と姉の両方をなだめていた。
だって、母は大好きな姉に責め立てられたりしたら、泣いてしまうじゃないか。
大好きな姉に反論されて嫌われるのは、母にとってもっとも辛いことなのだから。
母が姉に責められているのを見るのは、なんだか胸が痛むなあ


しかし姉も気持ちがおさまらないようで、なんだか話が長引きそうだったので、私は娘を連れてその場を離れた。
それから30分くらいして、また台所に戻ってみると母と姉は談笑してた。
ケンカして文句を言ってすっきりするのがB型。ケンカのあとはケロッとしてる。
姉も私もそう。
でもきっと母はそうではないよねえ(母はBではない)

姉の苦しんできたことや傷ついてきたことは、私と同じだ。
この世で唯一、その気持ちを共感できるのは同じ親を持つ姉だけ。(兄は口には出さない)
基本的に母は私や姉とは考え方が違う。
母は、『子供は親のためにいるものだ』という考えが強い。
でも私たちは全く逆。
そんな考え方の違いもあるから、いつまでたっても意見が一致しない

姉は自分の子供を、実にいい子に育ててる。
普通は二十歳前後の男の子が、親と一緒にタケノコ掘りなんて、行かないと思う。
しかも男兄弟が3人そろって参加するんだから。
だからといって子供たちがマザコンというわけでも全然ない。
ひとりひとりが家族との時間を大事にしようとしているのだ。
これが、母を反面教師とした姉の育児のあり方だったんだと思う。いい親や環境ではなかったから、自分で理想的な家庭を作ったんだ。
姉はすごいと思う

私は姉がうらやましい。ちゃんとそうやって実家以外に自分の家族がいるんだから。
私はこの家にしかない。ここにいる人たちが家族。
これからもずっとそうなのかと思うと、とてもイヤになることがある
ひどいことだけど、娘と二人だったらいいのにって思ったこともあった。
だから結婚して、実家とは別に家庭を作りたいという気持ちが私にはあるんだと思う

※長くなるので次回に続きます。


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2010年03月18日

母とのケンカ

かなり前の話になってしまったが、とは一度、大きくぶつかり合ったことがある

私が田舎に帰ってきてから、とんとん拍子に新生活が始まって、平和な生活が訪れたようにも見えたが、どうしても母に我慢ができなくなったときがあった。


うちの母は、普段はとても働き者で穏やかな人だが、実は非常に気が短くて、文句が多く、ものすごくわがままだ。
とにかく全部自分の思ったとおりに人が動かないとすぐに機嫌が悪くなり、物に当たる。
戸をバタンと閉めて台所に入り、ガシャガシャと大きな音を立てて食事の支度をはじめ、いかにも機嫌が悪いことをアピールする
これが本当に癇に障るそれをほぼ毎日するのだ。
私はこんな人を他に見たことがない。

が生きているときは、この夫婦はよくまあ飽きないなってくらいケンカをしていたものだ。
あれは父が一方的に威圧的になっているだけだと思っていたが、もしかしたら母の方が悪かったのかも、と思うようになった。
毎日この状態で腹が立たない人間はいない

母は、私が田舎に帰ってきてからというもの、ものすごくどうでもいいようなことまで干渉してはすべてに文句をつけ、それが自分の思い通りにできないとすぐ機嫌を悪くして当り散らしていた
子供っぽいというか、ちょっと病的だ。
娘が自分の食事が終わってから、私の食事まで欲しがるときも『お前が早く食べないからだ!』などと何度キレられたことか。
そして、なぜそんなことでここまで言われないといけないのだろうというようなことにまで、いつもいつも文句を言わないと気がすまない母だった。

私が遠出して娘と遊びに行こうとしたときも、最初は車の運転を心配して『行くのをやめたほうがいいんじゃないか』と言っていたが、私が言うことを聞かないので、そのうちに『なんでそんなとこ行かないといけないんだ家でじっとしてればいいものをとすごい剣幕で怒鳴り始めた。
心配を通り越して、ただ怒ってるだけになっている。
とにかく自分思い通りにいかないと気がすまないのだ

私が県外にいたときは全くかまわず放任主義だったのに、帰ってきたとたんありえないくらい干渉する。過干渉ってやつだ
だから私も、誰と会うとかどこへ行くとか、何時に戻るとか全部報告しないといけない。
これでは私は一生彼氏もできないに違いない。この母がいる限りは絶対無理だわ

休日に兄と娘と外出したりして、夕方までかかってしまったときは『遅くなったから母に怒られると慌てて帰ったりする
母がご飯の支度をしてて、その時間までに帰ってこなければ、それはそれはもうひどく機嫌を悪くするから。
全く、我々がいくつってこともない。36歳と40過ぎのいい大人が、日が暮れたら慌てて家に帰らないといけないような状態だ
(あらかじめ遅くなると伝えてある場合はもちろんだが、あまりしない方がいいかな

そんなわけで私たち兄妹は、常に母の顔色を伺って生活していた。
『今までよく一人で耐えてたね』と兄に言うと、『お前が帰ってきてくれて本当に良かったよ』と言われた。
兄はいつも機嫌の悪くなる母に気を使い、そしてずっと何も言わず我慢していたんだと
でも兄なんて私に比べたら全然干渉されてないけどね

そう、母が文句言うのはいつも私だけ。
は一度もぐれたことはないけど、反抗期には気性が荒かったわけで、すぐ怒鳴ったりしていた。
正確に言うと、離婚するまではそんな感じだったかな。
キレると怖いって母の脳内にインプットされているみたいだ。(兄も今は穏やかなんだけどなあ
だから母は兄には直接怒らない。

そしてにも怒らない。姉に対しては接し方も全然違う。
母は姉が大好きだからね。
それがあからさま過ぎて、私は面白くなかったものだが、子供のいる今ならなんとなく分かる。
きっと母にとって最初の子供だから特別だったのだろう。
私は三番目だもんね。
それに姉は私みたいに文句を言い返してこないし、私だって姉は好きだし
だからそれがあからさまなひいきだったとしても、別にどうでもよかった。

でもそれは母の片思いなのだ。
姉だって、母にされたり言われたりして傷ついた嫌な思い出はいっぱいある。
母は自分の気持ちばかり大事にしていて、姉のためにと思って言った言葉がどれだけ姉を傷つけたとか、考えもしてないだろう。
そうでなければ姉は遠く離れた県外に住んだりしなかったろうに。
姉は姉で私たち兄妹と同じように『お母ちゃんが機嫌が悪くなるから』と帰省のたびに気を使ってるし、母から電話がかかってきたらいつも長くなるので、それがイヤでちょこちょこ母に近況を知らせるメールを打ったりしてる。

子供全員からそんなふうに疎ましく思われている母が哀れで。
このままでいることが、母のためになると思えない


母の八つ当たりに、最初は兄と同じようにただ我慢していた私も、次第に我慢ができなくなり、母の機嫌が悪くなり、物に当たり始めたら、私も母と同じことをした。
そうされるのがどれだけイヤなのかを母に理解してもらうために。
すると、母も人に同じことをされると気に障るらしく、『何を怒ってるんだ』と言ってくる。
そのうちに、母が台所で乱暴にガチャガチャやってると、こちらも即ギレしてしまうようになった。
この音を聞くと、すごく嫌な気持ちになるんだもの
本当に、これさえなければ腹の立つことなんてなくなるのに。怒る必要なんてなくなるのに

最初はちょこちょここちらも文句を言っていたが、母は一向に直す気配がなかった。
もう長年すっかりこれが身について、母の性格化してしまっているのだ。
『こんなんじゃ、もし兄がまた嫁をもらえたとしても、お母ちゃんとうまくやっていけるわけがないよ。私たちは身内だから我慢できたとしても、お嫁さんには無理だと思う
でも母は『嫁にはそんなことしない』という。
そんなに急に人って変われるもんか
年を取ったら、もっと穏やかに生きればいいのに。
どうしてこんなに人に嫌われるようなことをして、家族に疎ましく思われようできるのか分からない。全然理解できない

『こんなに毎日いろいろしてあげて、子供のこともあんたのことも手伝ってあげているのに、それでも文句言われるのか
母は悲しそうに寂しそうにそう言ってうつむいた。

そう、私の今の生活は母なしではとうていできないということは分かっている。
母は家事全般、そして農業をして作ってくれたものを食べさせてくれ、私や娘のために日々いろいろしてくれている。
私が母に甘えてしまっているのも分かっている。まさにおんぶに抱っこな状態なのだ。
それは分かってる、感謝している。
だけど、こんなの耐えられない

家を出たい
ずっとこの状態ではいつか爆発して、家族の関係もダメになってしまう
どこかに安いアパートでも借りるしかないのか。
でも今の給料では生活ができない。
結婚して家を出れたらいいけど、今すぐにどうこうできる話でもない。
私はストレスとモヤモヤをためていった

私は母とケンカをしても長引かせるつもりはないので、どんな言い合いをした後も、ケロっとして話しかける。
それでも日を追うごとに険悪にはなっていっていた。
母は物に当たるだけではなく、私の娘にまで当たり、意地悪することがあるので、それもイヤだった


そしてある時、またしても母が、私と娘について文句を言ったときに、ついに火ぶたは切られた。

『お母ちゃんは私の娘をわがままだって言うけど、娘の性格はお母ちゃんそっくりだよ!隔世遺伝してるんだわ』
これを言ったらすごく怒られると思ったが、本当にそう思ったのでつい言ってしまった。
でも本当はそうじゃなくて、母の性格があまりにも子供っぽいからそう思うんだと後から気がついたんだけど、このときは本当にそう感じたのだ。
だって、母のしてることってあまりに子供っぽいんだもの

そしたら母はすごい形相で怒り出した。(強く反論したくなるくらい、うちの娘がわがままってことなんだけどね
『なんでもズバズバいう性分のあんたはおじいさんにそっくりだよ
本当にそう。それは自分でも思ってる。死んだ祖父とは趣味も性格も似てるし、特に異論はない。
舅にさんざんこき使われて文句を言われた母は、余計に私に腹が立つのだろう。
そして母は言った。
『あんたがあんまりズケズケと物を言うから、腹が立つんだ
私にむかついてるとはっきりそう言ったのだ。

『なんで?なんでいつも私にばかり文句言うの?私は毎日、ちゃんと仕事にも行ってるし、お兄よりもお母ちゃんを手伝っているのに。お姉ちゃんやお兄には文句言わないのに、なんで全部私なのお母ちゃんは、私が帰ってこないほうがよかったと思ってるの?
『そういうわけじゃない』と母は言った。

私は全部吐き出すことにした。
『腹が立つからって物に当たるのやめてよ。あれでどれだけ人を不快にさせてるか分かってる

『遠出して娘と遊びに行った時だって、私は娘を喜ばせようと思って遊びに連れて行ったんだよ。なのになんであんなに言われないといけないの私だって娘のためにいろいろしてあげようとしているのに
私は、このとき本当に悔しくて悲しかったのだ
他のことならとにかく、なぜ娘のためにしようとしたことを、こんなに怒られないといけないのか全然納得がいかなかったから。

『お母ちゃんは忙しくて、子供の頃にちゃんとかまってくれなかったでしょ。だからこそ、私は自分の子供をちゃんと可愛がろうとしてるのに。なんでそれを文句言うの
そういうと、母は押し黙ってしまった。
こんなふうに言われたのに、子供をちゃんと可愛がれなかったことを、母はなぜ否定しないんだ。
『本当は大事に思ってた』って言えばいいだろうに

父が生きていたとき、兄も姉も父としゃべらなかったから、ほとんどの攻撃は私に向いていた。
でも母も同じ。一緒になってひどいことを言ったことを、私も姉も忘れられない。
母は私たち子供と一緒に遊んだりしたことも一度もないし、可愛がってもらった記憶だってない。母は忙しかったから。
怒られたり、嫌なことを言われた記憶ばかりが残ってる
だから私たちは田舎を出て、県外に出たんだ。

『お母ちゃんは私たちがなんで県外に出たのか分かってないでしょ。この家にいたくなかったからだよ。でもこうして帰ってきても、私ばかり文句言われたんじゃまたイヤになるに決まってるでしょ』
すると母はこう言った。
『今までずっと舅や小姑に散々うるさく言われ続けてきて、お前のお父さんも亡くなって私はやっとこの家で威張れるようになったんだ。ちょっとぐらいいいじゃないか

母は私の祖父、父ばかりではなく、祖父の妹たち、父の妹たちにも家に来るたびに、嫌味や文句を言われ続けたのだ。
今はもうその人たちは誰もいない。みんな死んでしまった。
母は解放され、そしてやりたい放題の母の天下状態になったのだ。
なんじゃそりゃ

『だからってなんで私に当たるの。私の気にもなってよ!』私はあきれて、少し気が抜けた。
確かに、母の世代はすごくだとは思う。
上からは散々うるさく言われたのに、今は嫁がきたら気を使わないといけないような時代になってしまったから。
『お母ちゃんの時代は戦後すぐで大変だったとは思うよ。・・・でも親に愛されてたでしょ?
そう、母は以前、自分の父親が優しかったことを私に自慢したことががあるのだ。(すごい腹が立ったけど
そして母のお母さんはもう亡くなってしまったが、それはそれはもう優しくて穏やかだった。まさに理想的な両親だったのだ。
母の家系の人は全員穏やかでいい人たちなのだ。

『お母ちゃんは親に愛されて育ったから分からないでしょ。親に言われた言葉で傷ついて、自殺したいと思ったことなんてないでしょ私とお姉ちゃんはあるよ

『何を言ってるんだ!』母はそれを否定するかのように叫んだ。

母は私たちが何を考えて何に苦しんできたかなんて、ありえないような信じられないものだと思って、それを受け入れることは決してしない。
母に私たちの気持ちなんて分かるわけがない。
私たちはお互いを理解したりはできない。
だから、ぶつかりあうことを押さえられないのだ。

『やっぱりお金をためとこう。年を取ったら老人ホームに入るしかない』
と母は悲しそうに言った。
子供に見捨てられると思っているのだ。
『そうなりたくないなら、もう文句言うのやめてよ』と私も言ったが、子供にこんなふうに言われる母も、親にこんなふうに言われる私も、本当に悲しかった


こうしてこのケンカは終わった。
最悪のケンカだったけど、言いたいことを言って、お互い少しすっきりしたようなところがあった。
どんなにケンカをしても、家族だから余程の例外を除いては、仲直りができる。
だからケンカもできるのかもしれない。
仲が悪くたって血のつながりまではどうあっても消せないのだ。

私たちはきっと、思いやりが足りない。
何かをしてもらうことや、相手がそこにいつまでもいてくれることも当たり前のことではない。
だけど、近くにいたらうまくいかない。
やっぱり、私は帰ってこないほうが良かったのかな。遠く離れてたほうが良かったのかな
でも今はここにいることしかできない。


おかしなもので、こんなことがあったのに、私にとって母というのはやっぱり特別なのだ。
父には殺意まで抱くくらいだったけど、母へはそれとは全然違う、もっと温かい気持ちがある。
なんだかんだ言っても、父から守ってくれたのはやっぱり母であったのだろうし。
もし母が亡くなったりしたら、きっと私は悲しみに打ちひしがれて、どうしようもなくなってしまうだろう。
これから先の人生で、避けようもない、最も大きなものを失うときがくるとしたら、それは母の死なのだろうし。

母との思い出は、いいことは何も思い出せない。
だけど・・・
私が小さい頃ははなれで父と母と3人で寝ていた。
はなれに行くまでに、母は時々おんぶして連れて行ってくれた。
その背中の温かみを覚えている。
きっと私の体はいろんなことを覚えている。
だからしみついて取れないような気持ちがあるのだ。

私が娘を想うように、子も母を想うのだ。
何があっても母は母。愛しているのだ。


そして今、私は毎日、娘におんぶをねだられている。


それから、徐々にではあるが、なぜか母は物に当たるようなことはほとんどなくなり、(当たると私が本気で怒るから)、そうなると私も怒る理由がないので、母も私も本来の穏やかさを取り戻した。
母は、きっと何かいろいろなことを諦めたり、考え直したりしたのかもしれない。

長くなってしまったが、母とのことをずっとまとめられずにいたので、書けてすっきり
次は『男と女』のあのシリーズです


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ruhruhlilia at 06:03|PermalinkTrackBack(0)

2008年11月04日

兄の離婚

10月に兄は借りていたアパートの契約が切れたので、実家に戻ってきた。

その後、嫁が嫁父と一緒にこちらが要求していた結納金の返金を受け入れ、現金100万円を持って家に来たのだった。
それに嫁が勝手に持っていった兄の私物も返してくれたそうだ。
思ったよりも早くお金を用意してきたのには驚いた

そして兄は離婚届に判を押し、嫁と離婚した。

兄はバツイチになったのだ。


嫁の浮気相手の男性のことで、母は司法書士さんに相談したらしいのだが、その男性に関して分かったことがあり、そのことで司法書士にも親戚のおばさんにも、『その男には何もしない方がいい』と言われたらしかった。
この理由については(差別的な発言になってしまうため)ここでもはっきり触れることはできないが、とにかく大人の事情で慰謝料の請求などはしない方が賢明ということになった。
これについてはなんだかすっきりしないし、腑に落ちない

それに加えて、興信所から受け取った写真を見た姉(最近、用事で帰省した)や母や兄は、その男のチンピラ風な容貌にただならぬものを感じたらしいのだった。
(私はプリクラの小さな写真しか見ていないが)私にはただのちょっと悪ぶった若者にしか見えないし、非は向こうにあるのだから何も怖いことなんてないのだが、兄や母が怖がって諦めてしまったのだから、この件はもう仕方がないと思った
それならそれで、もう元嫁ともその男とも関るべきではない。
兄から事情を知らせるメールを受け取ったが、最後に『泣き寝入りだよ』と書いてあって、悲しそうだった。

ちなみに元嫁父は『その男との結婚は断じて許さない』と言っているらしい。
まあそうは言っても、同棲はできるし。というか、すでにしているだろうし。
元嫁のその後については、これ以上私が知る由もない。

私が元嫁と会うことはもうないだろう。


去年、兄との結婚式の後で、嫁と一緒に写真を撮ったときに、『こんな結婚式が出来たのも、にーなさんが○○さん(兄)を紹介してくれたおかげです、ありがとうございます』と幸せそうに言ってくれた事もあったな。

父が亡くなった後、うちの親戚たちにかこまれながらもあくせくと働いてくれたときも『にーなさんが早く帰ってきてくれて良かったです。私一人だったらどうしていたか』と言ってくれたっけ。
父の死を泣きながら電話で伝えてくれたのも元嫁だったな。

私が見たのはすべて嫁の表向きの顔だったわけだが、少しでも心が通い合った瞬間があったことは、嘘じゃなかったと信じていたい。

どんなきっかけであれ、人と人との関係が終わってしまうことは寂しいことだ
仲良くなれるって思ったことだってあったのだから。
だから兄の離婚は寂しく感じた。

一体何だったんだろうな。

兄の結婚は、兄の人生において必要なことだったのかはよく分からない。
でも、嫁とのことは過ぎたこととして、少しでも前を向いて、休日には大好きな野球をしたりして、楽しく健康的に過ごしてくれることを願っている


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なんだか中途半端な完結ではありますが、とりあえず兄夫婦の出来事に関しては、これで終わります。
兄夫婦のことを書くと、なぜか訪問者数がすごく多くなるのが不思議でしたが・・・
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ruhruhlilia at 00:13|PermalinkComments(10)TrackBack(0)

2008年10月09日

兄・離婚までの苦悩

かなり時間が経ってしまったが、兄と母は、嫁と嫁父との話し合いをうちの家でおこなった。
なぜうちの家だったのかというと、テレビの大きな画面に嫁とその彼氏がやり取りしたメール内容を映し出すため
いよいよ証拠を嫁の目の前に出す時が来たのだ

その前に、母が嫁に対して暴言を吐かないかを姉と私は心配していた
今回の話し合いは結納金の返還請求が目的なのだから、相手を怒らせることにはあまり意味がないのだ。
いつものあの勢いで母が延々と悪口を言い続けたら、話がこじれるといけないので、私も姉も母に電話してなだめていた。
「どうしても顔を見て文句を言わないと気がすまない」と、母はもうイケイケ状態だった
「面と向かって文句を言いたい気持ちは分かるけど、この場合は泣き落としを使うくらいの方がまだ効果的だと思うよ」
そう言うと、母は納得したらしく、当日は多少はひかえめにものを言ったそうな。
でもまあ多少ってことなので、途中、あまりの言われように嫁がちょっと逆ギレしそうな場面もあったという
母は泣き落としというか、嫁に話しているうちに悲しくなって涙が本当に出てきたんだそうだ。

そして証拠公開。テレビ画面に映し出される嫁と彼氏のメールの数々。
これには嫁も嫁父も青くなっていたらしい。そりゃそうだ
その後は嫁は畳に頭をつけて謝ったそうだ。というか、嫁父がそうさせたのかな。
とにかく嫁は彼氏がいることを認めて、謝罪してくれたのだ

それから結納金(100万円)の返還を求める話をした。
前回は125万と書いたが、嫁の車の頭金はこの結納金から出されていたらしい。
この件に関しては、考えさせて欲しいと嫁父が言うので、保留となった。
この人たちは不貞行為をした側なのに、慰謝料を請求されるなんてことは夢にも思ってなかったようだった。
まあこれは慰謝料ではないけど。
兄はこれを返してもらってから離婚届に判を押すと言った。

という話を母から電話で聞いた。
結局、興信所が撮った証拠写真や報告書は出さなかったそうだ。
もったいない、30万もかかってるのに・・・
だから嫁は未だに興信所がついてたことを知らないのだ。

それから数日して、その後の経過が気になった私は兄にメールをした。
すると珍しく、兄から電話がかかってきた。

兄の話によると、嫁父からは『結納返しを10万払ったんだから、90万にして欲しい』というような話をされたという。
嫁たちには慰謝料という概念はないのかここで負けてって言う
たいしたもんだわ
「そんなアホな話は飲まなくていいから。100万きっちり返してもらいなよ」
と私が言っても、兄は『嫁父だって被害者みたいなもんなのに』と同情気味だった。
そうだろうな、金を払うのは実際は嫁父なんだろうし。
兄は甘いな。・・・でも気の優しいやつなんだなあ
「嫁が謝ったから、もう気がすんじゃったの?」
兄はただ、嫁が非を認めて謝ってくれれば、それで少し気がすむんではないかと私は思っていた。
しかし兄の答えは違った。
「気なんてすむわけないよ。なにをしてももう、この1年は戻らないもん」兄の声は落胆していた。
「そんな・・・この世の終わりじゃあるまいし
兄は今まで平気そうにさくさくと物事を進めていたが、実のところは相当なダメージを受けていたのだった。当然か。
「俺はすべてをなくしてしまった。くやしいよ」

これが兄の本心なのか・・・
嫁にはさんざん裏切られ、コケにされてきた。こんな目にあえば、誰だってそう思うのだろう
確かに失ったものが多かった。

兄は結婚のために長年努めた会社を辞めて転職した。前の会社はいい職場だったらしい。
貯金も使い果たした。
も売って、今は亡くなった父の小さな車に乗っている。
前の会社を辞めたことが、とにかく悔やまれてならないようだ。私もそう思う。
母や亡くなった父にも謝罪の言葉ばかりだ。私や姉にさえも。
離婚って、すごくお金を損したように思うんだろうしなあ。
私は兄を心から気の毒に思った

今まで私に対しては横暴なことも多かった兄だが、なんだかんだで心の内を私にはちゃんと話してくれるんだよなあ。
兄があまりにも落ち込んでいるので、じゃあお金だけでも取り戻せばいいんじゃないかと思った。

「相手の男に内容証明を送りつけたら?」私はそう提案した。
「ああ、リサーチ会社(興信所)もそんなこと言ってたな」
弁護士をつけたりすると大変だが、内容証明での慰謝料請求なら安いし簡単だ
数ヶ月前に旦那の不倫が原因で離婚したJちゃんが、『相手を懲らしめるためにはお金を取ること』だと言っていた。
Jちゃんは旦那からは慰謝料をもらったが、浮気相手の女性には何もしなかったので、そのことは未だにすっきりしないと言っていた。
だからずっと悔しいままだと。
でもあまりもめると旦那と子供の取り合いに発展する可能性があったので、Jちゃんは諦めてしまったが、兄たちには子供がいないからリスクも少ない。

「お父ちゃんの相続の件でお世話になった司法書士さんに頼むのがいいんじゃない?」
その話をすると、兄は乗り気になってきたようだった。
当初、兄は嫁の彼氏の両親に話しに行くと言っていたが、こっちの提案の方が法的にも正当だ。
本当にお金が取れるかは別としても、かなりのダメージを与えることは出来る。
だってこの彼氏は何の罰も受けていない。
この男は人妻と知って不貞行為を続けていたのだ。男なんだから、それなりのことはしてもらおう。幸い、証拠もあるし。
嫁でさえそれなりの罰は受け、謝罪しているんだから

そうすることで兄がすっきりして、少しでも前向きに生きられるならば、それもありじゃないかと。
兄が心の傷を癒して、元気になれるのなら、もう少し頑張ってやるだけのことはやってみればいいんじゃないかと思ったのだった。

※前回までのことはカテゴリ『家族のこと』に記載されています。


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2008年09月23日

兄夫婦のその後

お盆休暇中に兄と母と私が嫁の実家に行って、嫁に彼氏がいることを嫁父に暴いた、その後の話

私たちが来た日その夜に、嫁は嫁父から実家に呼び出されたらしく、どうも相当に怒られたようで、嫁はそれ以来すっかりおとなしくなってしまったそうだ。
(でも3人で実家に告げ口に行ったことに関してはとても怒っているようだ)
嫁は夜もたまにしか外出しなくなった。(って、たまにかい
しかも意外な事に、嫁は彼氏がいることについて、メールで兄に謝ってきたという

プリクラを証拠として認めたことにまず驚いた。嫁ならなんだかんだ言い訳するのだと思っていた。
しかし『プリクラにあった以上の関係ではない』と言っているそうな。つまりキス以上はないと。
やっぱりこの人は最後までをつくんだなあ
こちらは二人のメールの内容から、えっちしてるのは分かってるのに
どんな内容かはあまりに卑猥なので書けないけど。
でもこうまでしても認めないってなんでなんだ理解の範疇を超えている。
まあとりあえずは、兄が刺される心配はなくなったようだな。

それからすぐに嫁を交えた話し合いに行くのかと思えば、なかなか都合が合わず、嫁は実家に帰ることもしないで、そのままずっと兄と同じ部屋で暮らしていた。
家庭内別居状態で口も利かないとはいえ、こんなことがあってもまだ一緒に暮らすことが出来るっておかしな話だなあ
しかしそれも先日までの話。

そのアパートは9月いっぱいまでの契約にしたそうだ。兄も10月からは実家で暮らす。
つい先日、やっと嫁が出て行って、自分で新しいアパートを借りたそうな。その彼氏と暮らすのかは分からない。
ところがその時に、家のものは全部自分のものと言わんばかりに、家財をごっそりと持っていってしまったのだ
これはさすがにあきれた。本当にずうずうしい
疲れて仕事から帰ったら、家の中のものがごっそりなくなってがらーんとしていた、というのはどうにもこうにも情けないやら侘しいやらで、兄はどこまでもひどい目にあうんだなあと思った

なんだかんだで兄夫婦の結婚から1年経ってしまったな。

そして近々、やっと嫁もそろっての話し合いをする段取りができたそうな。
どうあっても真実を認めない嫁。
証拠のすべてを突き出そうとしている兄と母。
母は嫁に面と向かって文句を言いたくて仕方ないようだ

だが、これはただの話し合いではなくて、お金の話になる。
慰謝料などは嫁の復讐が怖いので請求しない方向だが、結婚前から浮気していたので、結納金の返還は求めるようだ。
それと結婚前に嫁が車を買い替えると言い出したので、そのときの頭金の25万。都合よく兄に出させた金なので。
合計125万の返還を要求することにしたそうだ。

うーん、回収できるか怪しいな
なんせ嫁は普通じゃないからなあ。
証拠を出して、さあ払えというのだから、まるで恐喝みたいだけど、他のいい手段がない。
うちの家としては、父が払った結納金だけはせめて返してほしいのだ。父が亡くなった無念さから余計にそれは思う
嫁が持っていってしまった家財のほとんどは結納金で買っているわけだから、こうなったら意地でも返してもらわないといけない
そしたら嫁が家財を買い取ったことになるので、これに関しては腹が立たなくなる。

嫁の彼氏については特に何も請求しない。
こういうときの慰謝料の相場は200万円くらいなはずだが、それもたとえおどしに使えても本当に請求するんでなく、兄は男の親に抗議(というか告げ口かな?)したいらしい
なんで本人じゃなくて親に言うのか分からないし、それには賛成できないが、どうやら兄は男本人には会いたくないようだ。(怖いから?)
それに向こうの親に嫁のしていたことを話せば、この人を嫁として迎えることについていい顔はまずしないだろう。
結婚してすぐ浮気するような嫁はいやだろうなあ〜
つまり兄はお金より精神的ダメージを与えたい?のかな。
嫁とその彼氏の今後の結婚を困難なものにしようとしている。
を要求したほうがまださわやかじゃないかと思うが、兄がされた仕打ちも半端じゃないので、それは兄のしたいようにしたらいいだろう。

嫁の彼氏の素性は金はかかるが、興信所がその男の車のナンバーから(おそらく陸運局などで)住所も割り出している。
これが追加で5万円ほど費用がかかったようだ。
興信所って怖いとこだなあ

でも一生一緒にいることを考えれば、たとえば慰謝料が200万円くらいだとしても、それはそんなに高い金額じゃないと思うのだが。
二人で頑張ったら時間はかかっても決して払えない額じゃないし、ちゃんとして堂々と一緒になればいいんじゃないかと思う。
本当にこの二人が愛し合っているなら、長い時間をかけて自分の親を説得するのでもいいし、(いい事とは言えないが)駆け落ちするとことだって出来るだろう。
しかしまあ、嫁父もしょせんは自分の娘が可愛いと思うので、最終的にはこの男との結婚を許すんじゃないかな
ずっと嫁にいかないよりは、どこでもいいから嫁に出したいのが親の心理だろう。


ところで、私は実はもう嫁のことは怒っていない。
最初は本当に腹が立ったが、母が電話で延々と悪口を言い続けるので、姉も私もうんざりで、疲れてしまった。
自分の親がこんなに人の悪口を言ってるのは嫌なもんなんだけどな〜
こんなことになるまでは、母は「嫁が、嫁が」と私や姉に嫁自慢ばかりしていたというのに、一転して、『あんな者は不幸になってしまったらいい』とか、もっとひどいことも言っていたので、気持ちは分かるけど、正直なところ、結構引いていた
別れた後のことはもうどうでもいいじゃないのって思うし。
とにかく、いくら自分の母でもこれはちょっとなあ〜って思う発言ばかりだった。
浮気は別としても、兄に全く非がないというのもあまり賛同できないし。
でも母親ってこんなもんなんかな。母がこんなに息子想いとは知らなかった。

そんなわけで、ものすごく嫁のことを怒って嫌悪していた私も、なんかとても冷静になってしまった。
嫁のしていた本当のことが分かって、とてもすっきりしたというのもある。
それに最近、ここまですごい人は久々に見たので、ちょっと感心もしている

嫁もあんなに優しかった義母であるうちの母に、目の前で延々と悪口を言われたら、さすがに相当こたえるんじゃないかと思う。
今まで築いてきた、素晴らしい自慢の嫁という姿がガラガラと音を立てて崩れていくのだから。
だけど嫁はそこまでの恋愛をしたんだ。その情熱は単純にうらやましいのかもしれない。
しかし男の浮気は世間ではよく聞くけど、最近女の浮気も非常に多いような気がするなあ

お金の話がそうスムーズにいくとは思わないので、すぐには片付かない問題になるかもしれないが、遠くから兄を応援することにしよう


訪問ありがとうございます!
先日、めまいがひどいので耳鼻科に行ったら、(めまいは三半規管の異常である事が多いので耳鼻科です)冷え性が原因と言われたにーなです。血流をよくする漢方薬を処方してもらったけど、飲むと体がほてって仕方ない更年期の症状ってこんなんかな。
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ruhruhlilia at 11:27|PermalinkComments(14)TrackBack(0)