2007年08月26日

さてさて、るいままです。

昨日、石あかり月あかりライブの片付けが終わったのが11時。
それから、るいまま組のものたちとスーパー銭湯にいって、疲れをとったつもりが、なにやら、ワタクシ持病の不眠症がでてしまいまして、一睡もできぬまま朝が。

ほんとは、この日、漫遊帖の市民ツアープロデューサー研修をうけた、玉井ちゃんが宇多津町のみなさんと一緒に、いよいよ「まちあるき」を実施っていうので、それを目指して、午前中は山本町の「SIRAKAWA」(るいまま組の小つるの落語のお稽古会に通う、愛すべきヘンテコリンうどん屋の大将)にうどんを食べにいき、あとは詫間あたりを歩こうと考えていたんですが

体がついていかず、午前中の予定は「るいまま組」、ぽんた・みっけ・かしぽんで遂行。

私は、宇多津のまちあるきのみにいたしました。

3人は、なにやらナチュラルハイ状態(疲れすぎるとなるのよね ふっ)で、山本町から善通寺いくは、坂出八十場いくは、丸亀いくはの 大車輪だったようです。

 

■高松駅

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少々遅れまして、2:58pm発のサンポート号にのって、私も宇多津へ。

エアコンききすぎ・・・寒いよ。

■宇多津コミュニティ会館

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この日、宇多津は「鵜足津夏まつり」でして、「おもいであれこれ?町あるき」は、その中のお楽しみのひとつ。

催行予定人数は10人なのに、るいまま組だけで4人、坂出のまちあるきからも3人、漫遊帖の宗家後藤盆の孝子ちゃんやみっふぃ、ほかにも三豊地区の方たちも参加して、えらい大所帯となりました。

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玉井ちゃんは、涼しげな紺の着物でガイドをつとめます。

慣れない下駄の鼻緒に絆創膏を貼っているあたりが、なんかかわいいですねぇ。

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この日は、「うたづまちナビ」のデモンストレーションもございまして、携帯電話が貸し出され、このシステムを使ってみてくださいと説明が。

渡されたパンフのQRコードをバーコードリーダーで読みとると、観光名所の説明がでるというシステム。

一人歩きの観光のときは、心強いかもしれません。

 

 

■宇多津というまち

古代 宇多津は、「都」に「調」を運ぶための港でした。

讃岐の国というのは、朝廷とのつながりが深くあった国なんだなと、思います。港町(志度・香西・多度津)にいけば、必ず、古代奈良との繋がりや 朝廷との繋がりがお話としてでてきます。


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最初に行きましたのは、「高松藩米蔵跡」の碑

中讃「宇多津」は、丸亀のほうに近い町だと、高松のひとたちはおもっていますが、実は、高松藩の一番西が、こちらだったそうで、ここから西が「京極さん」。

な〜んだ。高松だったんじゃん!と、妙な親近感が(笑)

■地図

9267bdd4.jpg渡された地図がとても整理されていて、もし、このあと一人で宇多津を訪れても、この地図があると便利だし、海がどのあたりまであったのかもよくわかり、町の変遷が理解しやすくなっています。

さすが、宇多津を愛し続け、小学校から「宇多津のまちづくり」を考えていた玉井ちゃんの まちあるきです。

 



c1c9a0a2.jpgガイドの資料もわかりやすい

■水門

524e14da.jpgこちら、まちの片隅に、ちょこんと建つ「水門」跡

干拓水門というそうで、その向こうは国道33号線。この付近まで海だったってことですね。

 

 

 

 

4b4383e5.jpgこちらの水門は、塩田の水門。マンションの1階に保存されていました。
 
当時使われていたと思われる石が、あちらこちらに。
 
久米通賢によって開拓された この地区の塩田は、明治期には生産量が山口をぬいて、日本一になったようです。
 
その説明に、明石じゃなく山口が、それまで一位だったんだと認識不足が発覚  ああぁ

 
■たべあるき

f0d25a00.jpgこのまちあるきは、食べ歩きでもありまして、最初に500円を払うとバザー券が渡されます。
 
黒米和夢レットは、宇多津特産「黒米」をつかった蒸し菓子。
 
このあと、串だんご、おせんべい、コロッケと盛りだくさん。
 
 
ただし、あまりに人数がふくれてしまったので、ゆっくりお店の人たちとお話ができず、お店のそとに人があふれだしていまして、催行人数って大事よねと。
 
むりやり参加しちゃった、わたしたちのせいでもありますね。ごめんね。
 
 
■宇夫階神社

7862d538.jpg日本の信仰というのは、もともと自然崇拝なので、仏像などはなく、岩 山 自然などを信仰していました。
dfd1f3aa.jpg1200年前、ここで祭祀をしたという「巨石」
 

11285a15.jpg宮司さんは、いい感じの方で、玉井ちゃんのお話を、あれやこれやとバックアップ。
 
この金比羅の絵図をみると、地元の人たちは、現在とほぼ一緒の町並みなんだなとわかるそうです。

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宇夫階神社のたてものは、天地神明造りでして、伊勢神宮と同じ作りです。
 
昭和49年伊勢神宮の20年に一度の建て替えの際にいただいたもの。
 
登録有形文化財です。
 
そっくりそのままいただくというのは、めずらしいことのようですね。
 
当時は茅葺きでしたが、今は銅板のやね。
 
■まちなみ
b697586b.jpgこのあたりが、有名な「宇多津のひなまつり」の町並みのようです。

b3fd9a21.jpg古い町並みが残り

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道路の整備も進み始めています。
 
銀色の煉瓦が舗道になっています。瓦の色と合わせているようですね。
6638095b.jpgしかし、どんな素敵なまちなみでも、暑いモノは暑い!
 
宇多津のワンちゃんも、ヘロヘロです。
 
 
 
 
 
 
 
 


■お寺・港・たてもの

宇多津が寺町であり、寺が、単に宗教施設だけではなく、時には要塞になり、時には出城のかわりにもなったというのは、今までの「まちあるき」で学んだことです。
 
また、ここに大きな港があり人々の交流がさかんな町であったことも、町の歴史を知るうえでは大きなこと。
 
古代、大量にものや人が早く遠く移動できる手段は「海上」であったはずで、瀬戸内沿岸の港をもつ町、海を制したひとたちが作った町こそが栄えたまちでしょうから、宇多津という町の深さを想像すると、わくわくです。


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ec92a980.jpg聖徳太子の2歳立像のある聖徳院。

 
6479efa3.jpg西光寺の船屋形茶室は、普段木の板で覆われていますので写真で中身を確認。朱塗りの綺麗なござ船です。
 
多度津藩が財政窮乏時に売りに出して、西光寺が買い取ったと。
 


cd632619.jpg三角邸。
 
倉のある、りっぱな日本家屋と、ステンドグラスのある洋館が同じ敷地内に建つ 三角邸。昭和初期のものです。
当時、肥料問屋を営んでいた「堺さん」というかたのお宅。
 
多度津をあるいたときに、多度津の七福人のおひとりのお屋敷も、和洋折衷でしたね。
 
高松・扇町にも、和洋折衷を思わせるお宅が焼け残っていました。

当時としては(今も)、超モダン。贅をつくしたおうちなんでしょうね。
 
中にはいりたい はいりたいと 騒いでおりますと、ここま宇多津町が管理しておりまして、カルチャーセンターとして貸し出しもしているとか。
 
宇多津のまちあるきの人たちの会議も、ここで行われることもあるとか(うらやましいやん!)
 
早速、香川の西側に「落語」で賑わいを取り戻そうとがんばっている「白鷺亭楽笑」に写真送付。
 
でも、ここ高松藩やけどね(笑)  って、取り合ってどうするよ。
 
 
■ヒト
 
まちあるきも終わり、るいまま組一同 「鵜足津夏まつり」をぶらり。
 
レトロな純情商店街もいいし、
あちこちの駐車場や 路上にくまれたちっちゃいステージで、演歌歌ってるおじいちゃんがいたり、
フォークソンググラフティがなつかしい歌うたってたり、
子どもたちが輪投げの店だしていたり、
 
大きな規制もなく、それぞれがそれぞれで「まつり」を楽しんでいて、ほっとします。
 
宇多津 おじいちゃん
そこで出会った、ジルバを踊るおじいちゃん。
 
それは軽やかなステップで、どんな曲も踊ってしまいます。
 
ちなみにこの写真のときは、ガロの「学生街の喫茶店」が流れておりました(笑)
 
あとで、メールで玉井ちゃんに 「なにものかしらん?」と聞きますと
 
「踊っていたおじいちゃんは、88歳の三浦さんかもしれません。
宇夫階神社に掛かっていた「こがらす」の絵もかいている方です。
最近インターネットを覚えたいというパワフルなおじいちゃんです。」
 
とのお返事。
 
インターネットしてたんなら、みんなでアドレスきいて お友達になったらよかったねぇ。
 
 
なにはともあれ、ほっとする 宇多津のまちの まちあるき
 
楽しゅうございました。
 
 
これから、どう継続するか。
どういうコンセプトで続けるのか。
落としどころは? etc
 
まわりからの期待が大きいだけに、あれやこれやとせめこまれると思いますが、玉井ちゃんの、動じない 焦らない ほんわかした雰囲気で、たのしみながら「まちづくり」続けてくださいまし。
 
 
 
 
ええ、ええ ごたぶんにもれず、そのあと緋色天幕いきましたよ。るいまま組ですから(笑)

 
 


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