あの日から、あの男性のことをどうしても色々と考えてしまいます。
年齢はおそらく60歳前後でしょうか。少なくとも僕よりは年上だったと思います。
それだけ生きていたならば、これまで楽しかったことや嬉しかったこともたくさんあったでしょう。
幸せを感じたこともたくさんあったと思います。
もしかしたら、お子様が生まれて最上の幸せを感じた瞬間だってあったのかもしれません。
でも、どうしてあんな最期を。自殺をするにしたって、どうしてあんなに痛くて、辛くて苦しい方法を選んだのだろう。
あんなに寒くて、雨の中・・・どうして。どうして。
ずっとそういうことを考えてしまいます。
あの日を選んだのは「あえて」なのかなと思ってしまいます。あの日は雪予報でした。関東は朝から大雪のおそれがあると前日からニュース等で言われていました。
それを知って、あえてあの日、あの時間だったのでしょうか。誰にも見られないところで死に、そして雪に埋もれて見られないように死んでいきたい。そんな意図だったのでしょうか。
答えはわかりませんが、どうしてもあれこれと考えてしまいます。
今回の件、配慮してあえて具体的に書かなかった部分がいくつもあります。とりわけ昨日ブログで書いた警察官と男性との激しい押し問答の部分は、あえて克明には書きませんでした。
あまりに克明に書くと自分自身震えて、怖くなってしまうからというのもありますし、また誰かに別のトラウマを植え付けてしまうかもしれないという考えから、あまり克明には書きませんでした。
あれでもかなり抑えて書いています。彼の状態。彼が立ち上がって警察官に向かっているときの姿。声。
それはもはやこの世のものとは思えない異形のものでした。それを克明に書くことは避けました。
でも、確実に僕の心の中にそれは鮮明に、強く強く刻み込まれてしまっています。生涯消えることは無いかもしれません。
昨日はできるだけ前向きな形でブログを締めくくりました。
ですが、精神的ショックはとても大きいです。とりわけ「包丁」に対するトラウマは強烈なものとなってしまい、「包丁」が目に入ると身体が硬直して「うううううううう」とうめき声をあげてしまいます。
「包丁」だけではなく、最初に不意打ちのように目に入ってしまった彼が血を流している姿が頭に浮かぶと身体が硬直し、目を閉じて震えてしまいます。
また、感情があまり動かなくなりました。具体的にいうと、「喜怒哀楽」の「哀」だけは作動するのですが、それ以外の「喜怒楽」の感情があまり動かなくなりました。
より具体的にいうと、こう、楽しんだり喜んだりしてはいけないのではと思ってしまう・・・うーん、脳がそう指令をしているのか。そういう感じで、楽しんだり喜ぶことを脳がストップしている感じです。
ですので楽し気なものを見ようという気が全く起きないです。
自殺の第一発見者となってしまった人のブログや記事等を今はもっぱらよく読んでいます。PTSDとなって苦しんでいる人がたくさんいることを知りました。そうした人たちの症状と今の自分の症状は極めて似ており、おそらくしばらくはそういう状態と付き合っていかざるを得ないのではと思っています。
ただ、仕事や勉強等のやるべきことは普通にやれています。そこに「喜怒楽」があまりないからかもしれませんが。
ですので、仕事や勉強等をできるだけ頑張って、より「生」というものを感じながら頑張っていこうとは思っています。
ただ、マラソンを走ろうという気は起きないです。レースを走ろうという気は、全く起きないです。
ランニング自体は続けますが、少なくとも3月の大学院の試験が終わるまではレースには出ません。そして大学院の試験が終わった後も、レースについては一旦白紙にします。
本当は、大学院の試験が終わったら、区切りを付けるためのレース・・・フルマラソンを走ろうと思っていたのですが、今はフルマラソンを走ろうという気が全く起きないため、走らないことを前提に白紙にします。
ランニングについては、今は深いことを何も考えずにやっていきたいです。
すみません、軟弱者で。軟弱者ですみません。すみません、軟弱者で。すみません。すみません。