January 07, 2005

Where we come from -Emily Jacir

「国際的な舞台では、パレスチナ人が物語ろうとするたびに──パレスチナの物語の中断と、そのイスラエルの物語との関係を劇的に描き出そうとするたびに、組織的な攻撃を受けるのです」(E・サイード)

パレスチナ人の視点に立った芸術表現の欧米での公開には妨害がつきもの。公開の阻止には至らなくとも、ヒステリックな糾弾や物騒な示威行動によって、すでにアートを鑑賞するという雰囲気はぶちこわされてしまいます。2003年に日本に招聘された「シャヒード、100の命」展でも、「シャヒード」という言葉が「テロを支持する」ものだとして攻撃されましたが、そのような理不尽な中傷に公に反論して筋を通せば展覧会そのものが損なわれたでしょう。そういう条件のなかで育ってきた表現活動であることも認識する必要があると思います。

つい先月も、米カンサス州のウィチタ州立大学でパレスチナ出身の美術家の展覧会が不当な圧力を受けてだいなしになりかけたという事件がありました。作品自体もとても優れたものなので、紹介しておきます。






Emily Jacir



ベツレヘム出身で現在はアメリカの市民権を持つエミリー・ジャーシルは、国際的に高い評価を受けている新進気鋭のコンセプチュアル・アーティストです。「Where We Come From」という写真展は、在外と在郷のパレスチナ人に対して「あなたの代わりにわたしがパレスチナでなにかしてあげられることがあるとすれば、それはなんでしょう」と問い、彼らのリクエストを忠実に実行しした結果(実行不能なものもあった)を、32枚の写真と関連文書、一本のヴィデオによって淡々とつづったものです。「ハイファで最初に会ったパレスチナ人の子供とサッカーをする」、「両親の住んでいた村に行って、そこの水を飲む」など、リクエストはさまざま。

「米国パスポートを持つエミリーはイスラエルでも占領地でも自由に行き来することができます。でも故郷を自由に訪れる権利を奪われている多くのパレスチナ人にとって、それは「特権」です。この理不尽な特権を逆手にとって、パレスチナ人の置かれた状況の悲哀をきわだたせようとする意図が伝わってきます。


エルサレムにある母の墓を彼女の誕生日に訪問して花を添えて欲しい」──このリクエストをした男は占領地のベツレヘムに住んでおり、エルサレムを訪問するにはイスラエル当局の許可が必要です。前回の母親の命日には許可がおりませんでした。エミリーが彼に代わってエルサレムの墓地を訪れると、その隣にオスカー・シンドラーの墓があり、観光客がたむろしていたそうです。この英雄の隣に埋められた女には、ほんの数キロ先に住む息子が墓参りを拒まれていることには気づかずに。

今回のプロジェクトの背景には、ここ何年かのあいだにどんどん増殖していったチェックポイントと地区境界線がパレスチナの領土を細切れに分断し、それぞれの狭い領域に住民を押し込めていく状況を、ニューヨークとラマッラーを行き来して暮らすこの作家が身をもって体験してきたという事実があります。サウジアラビアで育ち、高校はイタリア、大学テキサス、その後もパリ、コロラド、ニューヨーク、パレスチナを転々とし、移動を常態とする暮らし方をしてきたエミリーにとって、旅すること、一つの領域から他の領域へ移動するプロセスと越境の意味をつきつめることが、つねに創造行為の中心テーマでした。ときには挑発的なメッセージを込めた作品には、悲しみと哀愁が漂っています。



この作品はこの春にウィチタ州立大学(WSU)のウルリヒ美術館で展示されることが一年前から決まっていました。ところが直前になって地元のユダヤ人団体から、パレスチナの状況について一方の立場からのみ説明の機会を与えることに異議を唱え、自分たちの側からのアピールを載せたパンフレットを展示会場に置いてバランスをとるべきだという要求があり、大学側が一旦それを受け入れてしまったのです。


「バランスをとる」という常套句のもとに、アーティストの表現の場に政治的に反対の立場から横やりを入れ、干渉することが許されるのであれば、芸術表現はなりたちません。美術展は表現の場であって、政治論争をする場ではないはずです。さいわい今回は、アーティスト本人と美術館長の抗議を受けて大学側が上記の措置を撤回したため、逆にそのような干渉の不当性が確認されるという結果になりました。この問題についての一般的な認識は少しずつ着実に向上しているようです。


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