August 23, 2004

パレスチナのオリーヴの樹 (8)

left: First Stolen Olive Tree, 1999. Ink on paper, 5.75 x 9.25 inches, (stolen1.jpg).
right: Second Stolen Olive Tree, 1999. Ink on paper, 5.75 x 8.25 inches, (stolen2.jpg).

オリーヴの樹の連作のなかに、これらの樹々を含めるのは重要なことでした。これらはナクバというパレスチナ人の悲劇を共有しているからです。引き抜かれたり、斬首されたり、盗まれたりしたオリーヴの樹は、イスラエルがわたしたちの土地をどのように盗んでいるかを示しています。わたしには、これらの倒れた木々が倒れた自由の戦士たちを思い出させます。パレスチナ人のほとんどすべての家族が自由の戦士を送り出しており、彼らのことが忘れられることはありません。

盗まれたオリーヴの樹をわたしが発見し、それを描くに至った経緯をお話しましょう。ある日、わたしはリアナがスイスのテレビ局の取材班のインタヴューを受けるのに付き合いました。わたしたちが最後に訪れた場所はエルサレムのヘブライ大学の校庭の一角にある丘の斜面でした。そこには昔、リアナの祖父母の家が建っていたのです。カマル・アブデル・ラヒーム・バドル(Kamal Abdel Raheem Badr)と妻のズレーハ・シャハビー(Zleekha Shahaby.)です。土地と古い石造りの家はイスラエルに没収されましたが、リアナはしばしばここに戻って家を眺め、祖父母のことを偲んできました。ちょうど今のわたしのように。

彼らの家は最近、イスラエルが建設する庭園の場所をつくるために取り壊されてしまいました。家のあった場所には、大きな溝が血の流れる傷口のように残っていました。パレスチナ人の職人が切り出した巨大なエルサレム産の石は、イスラエル人が再利用するために慎重に積み上げてありました。丘の斜面の家のすぐ下にはリアナの祖父母のオリーヴ園だったものの一部が残っています。家と庭の残骸を前にしてカメラに収まるリアナの苦痛はあきらかでした。その遠景にはオリーヴ園がのぞいていました。


Third Stolen Olive Tree, 1999. Pen on paper, 5.75 x 8.25 inches 
Fourth Stolen Olive Tree, 1999. Pen on paper, 5.75 x 8.25 inches


原文


次の週にリアナとわたしは、彼女の撮影班を連れてここに戻ってきました。リアナの家がよく見わたせるように、わたしたちはヘブライ大学の幾何学庭園に陣取りました。スイスのテレビ局が撮ったのと同じ場所です。彼らが撮影している間、わたしはスケッチしたい切り株をみつけました。撮影班のひとりが、なぜこの題材を選んだのかと尋ねました。

別のクルーは、今はGhazzeに住んでいる農家の出身で、即座にわたしたちに気づきました。こちらにやってくると、彼は傷ついた旧友をいたわるように切り株をやさしく撫でて、これが最近引き抜かれ大幅に刈り込まれたオリーヴの切り株であることを、細かい証拠を示しながら説明してくれました。彼が示すように、まわりの土は新しく掘り返されていました。

わたしは直感的にこのオリーヴの樹を見つけて描き始めたのですが、これこそ長い間わたしが探し求めていたものだったのです。撮影班のおかげで、わたしの直感は意識的なものに変りました。そこでわたしはもっと真剣に仕事をしはじめ、黒インクで4枚のドローイングを仕上げました。

これらはリアナの祖父母のオリーヴ園から盗まれた木々です。刈り込まれ、切断されて、ヘブライ大学のヨーロッパ式庭園に移植されたのです。2年もすれば、このパレスチナのオリーヴの古木は新しい枝葉を茂らせ、イスラエル人が自分たちの庭にずっと昔から植えていたもののように見えるようになるのでしょう。イスラエル人は、ここのわたしたちの土地にルーツを追い求めているのですが、かれらのルーツは盗んだものの上に成り立っているのです。

このヘブライ大学の丘の斜面はパレスチナをむさぼるイスラエルのイメージを、どんな言葉より雄弁に物語っています。古い家屋の残骸の下方には、まだたくさんのオリーヴの樹が残っており、乾燥した風土に段々畑が広がるパレスチナでは典型的な風景をつくっています。その上方の丘のてっぺん近くには、大学の建物の足元に灌漑された幾何学庭園があり、新しい遊歩道がつけられています。アメリカの資金と武器を大量につぎ込んで、かれらはわたしたちの木々や家をなぎ倒し、自分たちのものを建設している。パレスチナ人が喉を嗄らしているというのに、彼らの庭には贅沢に水が撒かれているのです。<br>
この庭園はTabachnick National and University Parkと呼ばれています。磨き上げられた大きな石に、この庭園はカナダのウインザー市に住むモリス・タバクニックとフリーダ・タバクニックによって創設されたと刻まれている。そうではない。これは、カマル・アブデル・ラヒーム・バドルと妻のズレーハ・シャハビーの土地と家だったのだ。プロパガンダは事実を変えることはできない。一時的にそれを覆い隠すだけだ。

    この丘そのものがイスラエルがパレスチナにしていることの視覚的なメタファーではあるものの、そこにはまだ一つの希望が残っている。十分に水を与えた温室育ちの花は、わたしたちの乾燥した機構ではやがては枯れ果てる。とりわけ渇きを鎮めるドルを庭番が使い果たしたときには。

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