Rurban Chiba Network

NPO法人ラーバン千葉ネットワーク(RCN)は、「RURBAN=田園と都市が互いに助け合い共生するまちづくり」という理念の実現を目的とするNPO法人です。

北総里山探訪シリーズ

北総里山探訪(草深編No.1)野馬土手

草深の森の中にある大日塚の傍に「草深・大日塚の由来」(平成10年3月印西市教育委員会)の説明板が立っています。そこには、”かって草深の地は、印西野といわれる広大な野原に続く原地と、印旛沼から入りこんだ谷地からなり、江戸時代初めには幕府の牧場として野馬が群れなす原生地でした”と書いてあります。そこで草深の森とその周辺に野馬堀とか野馬土手が存在していないかを調べることにしました。以下は、その調査内容と経緯です。

1,新井堀Ⅰ遺跡野馬土手について
 はじめに印西市内の牧跡を調べました。資料は、平成9年3月の千葉県埋蔵文化財分布図(東葛飾区・印旛地区改訂版)です。その分布図には泉新田野馬堀、割野野馬土手、天王脇野馬土手などの牧跡が記載されていました。また草深の森近くの牧跡の存在を知りました。本牧跡の調査資料は、平成14年12月「印西市新井堀Ⅰ遺跡野馬土手」(千葉県文化財センター)です。遺跡場所は下図の赤線部分です。師戸川が流れる谷津の南側で、現在は印西市道00ー26線道路です。その資料の第3章まとめ部分には、”通常の牧とは異なる点が幾つかあり、野馬土手の可能性は高いと思うが決め手に欠けている”、”屋敷囲いの土手をさしてそういっているのかもしれない”と書いてありました。尚、屋敷とは惣深新田の名主香取家の住居を指していると思われます。

2,草深の森の中の野馬土手らしき構築物
 草深の森の中に野馬土手らしき構築物があります。それらの場所を明治前期手書彩色実測図で示します。白丸印内が現在の草深の森とその周辺を図示しています。また靑線印が野馬土手らしき構築物のある場所です。一般に野馬土手には堀状の溝が伴う例が多いのですが、A・B・C地点の土手はいずれも一重土手で側溝がありません。そういう観点から牧場の区切り土手としての可能性を考えてみました。しかしながら地図を見てお分かりのように隣接している谷津とは無関係な位置に土手を敷設しているので、果たしてこの位置に仕切り土手が必要だったのかが気になります。

         明治前期手書彩色関東実測図「舟尾村近傍村落」の部分図
130916 草深の森(迅速測図)s 印あり
                              (出典:日本地図センター)

3,土手の形状(A・B・C地点の写真)
120325 A地点s     
                   (草深の森西側)     
120325 B地点s 
                 (草深の森中央部)
130301 C地点s
                   (草深の森北側)

A・B・C地点の写真を見てお分かりのように「野馬土手」として特定はできませんでした。新井堀Ⅰ遺跡野馬土手と同じく、屋敷囲いまたは土地の境界用堤の可能性という観点から検討する必要がありそうです。また印西市教育委員会に問い合わせしますと、”畑へ小動物が侵入するのを防ぐために造られた盛り土の可能性も考えられる”との助言を頂きました。

~備考~
野馬の里入りを防ぐ目的で野馬除土手や野馬堀が牧と村(耕地)との境界に作られました。また、野馬捕りを効率的に行うため、牧内には勢子土手も作られました。
(写真・文 S.S.)

北総里山探訪(結縁寺編No.3)阿弥陀堂 

 結縁寺の山門近くに立っている「結縁寺由来」には次のような記述があります。”晴天山結縁寺の開創は、奈良朝の神亀年間僧行基全国歴訪の砌、この里の小堂に留錫し、天晴るる時白蓮井戸(花井戸)の影現するを観て、仏法東漸瑞相の霊地となし、自ら弥陀三尊の像を謹刻し一宇を建立したと伝えられている。”  「弥陀三尊」とは仏教における仏像安置形式の一つで、阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式を云います。結縁寺といえば、毎年9月28日にご開帳される国指定重要文化財の銅造不動明王像が有名ですが、本尊は阿弥陀如来です。

1,本堂(阿弥陀堂)の場所

結縁寺の本堂(阿弥陀堂)は昭和二十年代後半まで存在していたのですが、痛みがひどく解体されてしまったそうです。その場所は、赤松宗旦著「利根川図志」巻四に描かれた結縁寺村の絵図(鳥瞰図)を見ますと熊野神社参道のすぐ近くです。現在青年集会所が建っているあたりと思われます。
130904 結縁寺村絵図(文字入り)
                             出典:埼玉県立浦和図書館
2,本堂(阿弥陀堂)の写真

印西市教育委員会に本堂がどのような建物だったのかを問い合わせたところ、本堂を撮った写真が「愛郷創刊号」(昭和28年7月5日発行)に掲載されていると教えて頂きました。撮影したのは元木下警察署署長の長島忠二氏だと分かりました。また本誌には松本實著「結縁寺行」という短文が掲載されており、その中に”本尊阿弥陀仏は行基僧正の作で傍らに金像の不動尊を安置す”と書いてありました。
130904 愛郷創刊号 結縁寺の阿弥陀堂s
                                   出典:印西市教育委員会

尚、本堂については、飯岡一義氏著「下総國結縁寺村 小居館跡地の調査(改訂版)」(平成21年11月18日発行)の中にも以下のような記述があります。”本堂南六間四面 昭和18年頃まで鐘撞き堂として使われていました。昭和25年頃解体、薪として売却されました。古くは阿弥陀堂といわれていたそうです”
~備考~
*留錫(リュウシャク)とは、僧が行脚中に一時、他の寺院に滞在する。また仏法東漸(ブッポウトウシン)とは、仏法がインドから中国、日本へと西から東へと伝わってきたことを意味し、瑞相(ズイソウ)とは吉兆と同義語です。

(文 S.S.)

北総里山探訪(結縁寺編No.2)天神様の社日塔  

結縁寺の天神様は東谷津に隣接した西側の小高い丘に祀られています。その登り口を上がった路傍に社日塔(神塔)があります。社日とは春分、秋分に最も近い戊(つちのえ)の日のことをいいます。もともと中国伝来のもので、その日を農事に関する神を祭る日としました。

1,社日塔と参道
130824社日塔(結縁寺)天神様 (1)
元々の参道は現在の場所ではなくて、社日塔前の南側傾斜地にあったそうです。その参道脇にあった本塔を現在の場所に移設したと地元の方から聞きしました。

2,社日塔の銘文
130824社日塔(結縁寺)天神様(旧参道途中)文字
この石造物の造立年代は不明でした。五角形神塔の各面には五つの神名が刻まれています。埴安媛命、倉稲魂命、天照皇太神社、大巳貴命、少名彦名命。それらは土、五穀、農業などの神です。

3,豊穣の秋
130824稲の実り(結縁寺)
結縁寺の谷津田は稔った稲が穂を垂れてまさに豊穣の秋でした。

参考文献:1)榎本正三著「結縁寺物語」(千葉日報社)2007年12月
            2)「印西町石造物第5集 船穂地区調査報告書」
         (印西町教育委員会)昭和62年3月
(写真・文 S.S.)

北総里山探訪(結縁寺編No.1)六坊  

8月22日付の本ブログに掲載している赤松宗旦が著した「利根川図志」の中に結縁寺村の鳥瞰図に六坊の所在地が示されています。その六坊を平成15年に現地調査した記録が榎本正三著「結縁寺物語」(千葉日報社)に記載されています。その調査で坊跡の案内を務めた戸村静夫氏にお願いして、8月24日会員有志による現地確認を行いました。

1,大仙坊 (大仙坊366番地) 
130824大仙坊(結縁寺)飯岡善三所有地 文字

2,梅本坊 (大仙坊352番地) 
130824梅本坊(結縁寺)板碑入り 文字
* 平成15年の調査では梅本坊跡から2基の板碑が出土しています。現在頼政塚の供養塔左右に納められています。板碑とは板石塔婆ともいわれ仏教の塔婆の一種で、板石を用材としたものです。                 

3,山中坊 (久保下115番地)
130824山中坊(結縁寺)久保下の飯岡雅行所有地   文字

4,滝本坊 (滝谷津612番地)
130824滝本坊(結縁寺)戸村富美男所有地 文字

5,住持坊 (坪作565番地)  
130824住持坊(結縁寺)戸村富美男所有地 文字
*「のんのさま」というのは神仏に仕える人を尊敬していう言葉です。                 
6,安養坊 (外出505ノ1番地) 
130824安養坊(結縁寺)中里光男所有地 文字
*  坊とは僧侶の住居と寺院が信者のために設けた宿泊所の二つの意味があり、結縁寺の六坊は天正18年(1590)の戦火で焼失しました。
 (写真・文 S.S.)               
                                                                                              
                                                

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