戸の前に立つイエス 今、「ぽるとがるぶみ」を読ん

でいます。

この本はポルトガルの修道院

にいた尼僧が軍人との失恋の

恋文です。

彼女は愛しい恋人に捨てられ

てその苦しみゆえに、自分がどれほど彼を愛しているかを

綴ったものです。五通の恋文です。

まだ途中までしか読んでいないのですが、失恋した女性の

哀しみが綴られています。愛するがゆえに、恋人を失った

苦しいみが痛ましいほどです。恋文読んだ男性は、きっと

女性のことを嫌いになるほどです。

いつの時にも恋愛には終わりがあるようです。

特に女性の場合は恋は盲目となってしまい多くの悲劇を

生んでしまいます。

それは、女性が愛する人にすべてを捧げ尽くすことに

あるのかもしれません。

失恋は、哀しいもので癒やすのに、時間が必要となり

ます。けれども、私たちの愛は相手を愛してるように

見えて本当は、自分自身を愛しているのではないでし

ょうか。相手のためといいながら本当は愛することが

喜びであるからです。ですから、喜びを与えてくれる

間は、愛することができるのですが、自分を裏切り

苦しくなると、愛は憎しみや嫉妬に変わるのではない

でしょうか。いつの時代も愛に悲劇が伴うのも自分の

この自己愛に原因があります。

愛にはゆるしが必要です。このゆるしは神さまの愛で

あり、お恵みです。

自己愛を超えた神さまの愛を聖寵と言います。

キリスト教の聖人や善人たちは、聖寵を恵みとして

心に所有していたのです。

聖母マリアさまは、聖寵満ちみてるお方で、霊魂は

神さまの愛で満ち溢れていたのです。

聖寵は人間を本当の幸福にするものです。

神さまとの相思相愛は決して、人間を哀しませること

はなく、裏切ることはありません。

もし、私が罪を犯して神さまを裏切ることがあっても

神さまは、私をゆるして下さり、再び相愛の仲に戻る

ことができるのです。そして、神さまには嫉妬もしま

せん。神さまの愛は、不安がなく安らぎがあります。

そして、霊魂は愛で満たされ孤独から癒やされるの

ですから、いいことづくめです。

私たちの霊魂は、創造主である神さまの愛に似せて

造られました。人を愛したい、人から愛されたいと

いう切実な願いがあるのは、そのためです。

けれども霊魂は、神さまの愛を失っているので、

いつも愛に飢え渇いているのです。

本当の幸福を求めて、神さまの愛を願いましょう。

    マリアの家  愛の泉にいらっしゃい