マリアと3人の子供たち

戦国時代の日本はイエズス会の宣教師によって、日本人

の女性たちがローマに奴隷として、売り渡されているので

す。キリシタン大名たちは、鉄砲は真似して作れても、

火薬の硝石がなかったために、硝石と引き換えに人身売買

を行っていたのです。

徳富蘇峰さんは、この人身売買について、

大村由己さんの「九州動座記」には、「宣教師から硝石樽を

入手せんため、大名、小名はいうにおそばず、豪族の徒輩

までが、己のしもべや郎党はおろか、自分の妻まで、南蛮船

で運ぶ。それは、獣のごとくしばって船内に押し込ゆえ、

泣き叫び、喚くさまは地獄のごとし」これは、大村由己さん

が豊臣秀吉のお供で、九州に行ったときに見聞録なので

すが、徳富蘇峰さんがそれを『近世日本国民史』に取り入

れたところ、二版から憲兵の命令で削りとられてしまいまし

た。イエズス会士は、真の布教よりも、諸大名に取り入って

硝石契約が主のようでした。

信長のところには、ルイス・フロイスが招かれて、京に住まい

をもらい、堺港からマカオへの航路を開いたのも天下統一を

ねらっての信長が、火薬の硝石を入手するためと考えられます。

天正少年使節として、宣教師ワリニャーノと共に、大友、大村、

有馬の少年がローマに向かいます。

ところがこの少年たちが寄港先で見たのが、膨大な日本人

奴隷であったのです。

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そのことは少年たちにとって、どれほどの驚きであったこと

でしょう。有馬のオランダ教科書にその文が使用されていま

すがミゲルを名乗った有馬晴信の甥の清左、マンショを名乗った

大友宗麟の甥の祐益らは、「行く先々で同じ日本人が、数多く

奴隷にされ、鉄の足枷をはめられ、ムチうたれるのは、家畜

なみで見るに忍びない」と言い、「わずかな価で、同国人をかか

る遠い地に売り払う徒輩への憤りはもっともなれど、白人も

文明人でありながら、なぜ同じ人間を奴隷にいたす」

すると大村純忠のさしむけた少年マルテーは「われらと同じ

日本人がどこへ行ってもたくさん目につく。また子まで首を

縄で繋がれて我々を見て、哀れみを訴える眼差しは辛くて

ならぬ・・・。肌の白いみめよき日本の娘らが、秘所をまる

だしに繋がれ、弄ばれているのは、奴隷らの国にまで、日本

の女が転売されて行くのを正視できるものではない。

我々の見た範囲で、ヨーロッパ各地で50万と言うことは

なかろう。ポルトガル人の教会や師父が硝石と交換し、

証文をつけて、インドやアフリカにまで売っている。いかがな

ものだろう。」これら人売のことでは、ポルトガル王のジョアン

三世から、ローマ法王庁に、「ジバングは火薬一樽と交換

に、50人の奴隷を差し出すのだから、神の御名において

領有することができたら、献金額も増すことができるでしょう。」

という進言があり、イエズス会からの戦闘教団が1541年

4月7日八年をかけて喜望峰周りで日本についたのだと

言われています。

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明治のからゆき渡海前、すでに戦国期から男女のからゆき

売仔がまず自分らの意思と関係ないところで、奴隷棄民という

形の航海の軌跡が弱い貧者に敷かれてあったのです。」

山田盟子著(ウサギたちが渡った断魂橋より。)

日本に布教に来たイエズス会の宣教師たちは、日本人を

奴隷として、ローマに連れて行っていたことは、フロイスの

「日本史」には書かれていません。奴隷というのは、他国の

ことであり、まさか日本で行われていたとは、信じられない

ことです。イエズス会の宣教師たちは、一般の人たちよりも

大名に洗礼を授けて、日本侵略に熱心であったようです。

私は、日本のキリスト教布教に貢献したのは、鹿児島出身

の里見ヤジローであると思っています。

神さまは、殺人の罪を犯して逃亡していたヤジローの霊魂

を救うために悔い改めへと導いてくださいました。

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硝石と交換に人身売買をして、キリシタン大名になった人

たちは、貿易の利益がなくなると信仰も棄ててしまった人たち

もいますが、強い信仰をもって、最後まで神さまを大切にした

キリシタン大名の人たちもおられました。

マリアさまは、人間とイエスさまの仲介者として、日本人に聖霊

の恵みを与え、人びとを悔い改めへと導いてくださったのです。

人びとは、マリアさまにロザリオの祈りを唱え、神さまを大切に

し、この世の儚い生命よりも、天国の生命に希望をもって生き

たのです。