長谷部恭男 『憲法と平和を問い直す』

 

本書の目的:立憲主義という考えに基づいて、憲法九条、自衛隊の位置づけについて考える。

 

序章 憲法を通じて国家権力に制限を掛ける立憲主義は、民主主義と衝突しうる。それを認識したうえで、なぜ立憲主義は正当化されるかを考える。

 

Ⅰなぜ民主主義か?

集団的意思決定を多数決で行う理由、4つ。①自己決定の最大化、②功利主義、③、すべての人を公平に扱う手続きであること、④コンドルセの定理。このうちのどれか一つが正解、というわけではない。

(必ずしも多数決と同じではない)民主主義であるべき理由、3つ。①それにより、「正しい答え」が出せるから。②それが正当な決定手続きであるから。③民主主義という政治的プロセスに参加すること自体が善いことだから。①と②は有効な考え方でありうるが、③の見解は否定される。

民主主義による決定が制限されるのはなぜか?理由①、民主主義による決定は一定の条件の成立を前提するが、それが成立していない場合があるから。民主主義は、p40.「社会の根幹にかかわるような問題を解決できない。」理由②、民主主義的に決めるべきでない問題があるから。民主主義で決めるべき問題とそうでない問題の境界線を引くのが立憲主義。

 

Ⅱなぜ立憲主義か?

「正義の状況」において正義に適った分配を成し遂げ、どちらが善いか、正しいかを決めることができないような価値観、比較不可能な価値観に関して対立する人々が共存する社会を作る。

必要なこと:「公」と「私」の区分。共存のために必要な意思決定に関わる「公」の領域と、宗教的価値観などの「私」の領域を区別して、民主主義決定を前者に限る。 p62.「民主主義的な手続きを通じてさえ侵すことのできない権利を硬性の憲法典で規定し、それを保証する任務を、民主政治のプロセスから独立した地位を持つ裁判所に委ねるという制度(違憲審査制)は、民主的な手続きに過重な負担をかけて社会生活の枠組み自体を壊してしまわないようにするための工夫でもある。」公と私がどのように区分されるかは人為的で、アプリオリな線が引かれているわけではない。だからこそ、いったん引いた線を保持することが重要。

 

「公共財としての権利」という考え。公共財とは、市場による調整によっては適切に供給量が調節できない財のこと。自由な表現の空間などの公共財は、その時々の多数派によって、供給量が決定されるべきものではない。社会の長期的利益を配慮して、裁判所が適切に供給されているかを判断する。そしてこの空間が公共財なら、表現する権利も公共財であることになる。自由な表現の空間を確保して、議論の場を保持することは、民主主義政体にとっても重要である。

 

「自然権」というフィクションの成立過程。市民革命を通じた、国家権力と平等な個人の創出。歴史的・人為的に成立したものであるので、変則事例が残っている。たとえば天皇、皇族、外国人。国境もまた人為的なものであり、分権や人道的介入の可能性もここから生じる。

 

Ⅲ平和主義は可能か?

 ホッブズの社会契約論。万人の万人に対する戦いの状態である自然状態を抜け出すために、社会契約を結び、一人の主権者に権利を譲渡する。それにより法が成立する。

ルソーの批判。社会契約によって成立した国家間の関係は自然状態にとどまっている。また社会契約という人為によるものであるため、国家は自己保存のために自己を拡張しようとする。そのため、国家成立以前よりもはるかにひどい戦争が起きることになる。提案される解決策は三つ。①国家が常備軍を持たない。侵略された場合、武装した市民が自発的に抵抗する。②世界政府、あるいは同盟関係による。③国家そのものの解消。

 

なぜ個人は国家に権威を認め、従うのか。と囚人のディレンマ状況の解消のため、というホッブズの解答。それに対するゴーティエの批判はおかしい。

戦争が「際限のない地獄」だとすると、国家間の関係はチキン・ゲームとなる。すると、戦争するくらいなら、抵抗せず降伏した方が合理的な選択となる。そうすると、逆にそれに付け込んで勢力拡張を目指す国が出てきてしまう。そこで「チキン」にならないように、国が市民に強制する必要がある。

武力を備えた国家間の連合という集団安全保障の枠組みの、二つの問題。①実際的な困難。防衛問題に関しては、民主的な過程で合理的な決定を下すのは難しい。国家が非民主的に決定せざるを得ない現状がある。そこで、憲法を通じて国家に制約をかける必要がある。「合理的自己拘束」としての憲法。②原理的な困難。国内で平和を保つ方策を、国際関係に拡張して適用することはできない。国家は人為的なものであり、個人が自己保存のために契約して成立したもの。したがって、国家間の平和を保つために戦争に行けと、国家が強制しようとしても、個人に対してそれを正当化することは難しい。

立憲主義に従うなら、志願兵と傭兵は認めることができるが、徴兵制は認められない。

 

穏健な平和主義:チキンゲーム状況を解消するために、各国は個別的自衛権を持ち、それを行使する用意がある、と考える必要がある。そしてそれは各国国民の自己保存に寄与するので、憲法9条と立憲主義の下でも正当化可能。しかし集団的自衛権はそうではない。集団的自衛権の放棄は合理的自己拘束として十分ありうる。

非暴力不服従をすれば、自衛のための装置も必要ではないという見解の批判。もしそこまで人類が理性的で良識的ならば、そもそも戦争と平和について考える必要もないはず。また、「善き生としての絶対平和主義」を個々人に強制することは、立憲主義の立場からは肯定できない。

世界警察、帝国による戦争の防止という発想は、比較不可能な価値観の共存という、議論の出発点になっていた現状認識に反する。

 

穏健な平和主義は、憲法9条と整合的である。原理と準則の区別をする必要がある。

 

終章 比較不能な価値観の持ち主が共存するために必要な仕組み、それが憲法、立憲主義。それは決して「自然」なもの、人間本性に基づくものではない。しかし、不断の努力によって維持し続けるべきもの。