2016年08月16日

ある日の初任者指導

tetubo 初任者指導の日は、放課後に一日を振り返り、マンツーマンで初任者に話すのを通例としている。しかし、学校の予定により、その時間がとれないことも多い。

 そういうときわたしは、初任者宛にメールするのを常とした。

 今回はそうした中から、ある日の指導を振り返ってみたい。

 初任者A先生は3年生担任。体育を専門とする。

 秋ぐらい。教壇にたって半年ほどの時期である。


 A先生

 今日はほんとうに感動しました。すばらしかった。Aさんもうれしかったのではないかな。

 体育の授業って、子どもとの心のふれ合い、つながり、そうしたことが成否の大半を決定するのだね。それを痛感させられました。

 A先生は、以前、《toshi先生がいらっしゃる日は、子どもたちはちゃんとやる。》と言っていたけれど、もう今はそんなことないよね。わたしがいてもいなくても、関係なくちゃんとやっていることでしょう。

 以前、A先生に反抗的だったBさんは、もう今はA先生を好きになっているのではないかな。先生が話しているとき、先生の方をしっかり向いて話を聞くようになりました。今は一番しっかり話を聞いている子といってもいいくらいです。

 並んで外へ行くときもまったく気にならなくなりました。社会科見学に出たときも、列をはみ出すなどということはありませんでした。

 社会科見学といえば、地域の和菓子店を訪ねたとき、ちょっとハッとすることがありました。

 お店の前で並んで待っていたときです。BさんがCさんの隣に来て話していたとき、そこへ先生が来てBさんに《列へ戻りな》とばかり注意しそうになったのですね。少しわたしはあわててしまいました。それで、《いいんだ。大丈夫。》とばかり目でサインを送ったのです。

 あれは、CさんがBさんを呼んだのです。そして、Cさんがお店を指さしながら、真剣にお店のことでBさんに話しかけていたのでした。そして二人とも見学カードに何やら書き込みました。

 だから、わたしはほほえましく思い、まったく注意などする気がありませんでした。戻りなさいなどとは言わなかったのです。

 そんなとき、先生が注意しそうな雰囲気を感じたから、わたし、先生に上記いきさつを言ったのでしたね。

 あのあともBさんは、用件が終わると、自分からもとの場所に戻りました。以前のBさんからは考えられませんよね。だからとても感動しました。

 Bさんが問題行動の多かったときから始めた先生との連絡帳の交換。

 昨日、Bさんは突然、《もうやらない。》と言ったとのこと。先生から話を聞いて、わたしもちょっとびっくりしたのだけれど、昨日、今日の彼の生活を見ていて、もう心配ないなと思いましたよ。

 Bさんの気持ちは、《もうそんなことをしなくても、ぼくは大丈夫だよ。ちゃんとやっていけるよ。先生。》と言いたかったのではないかと思うようになりました。

 だから、これから当分先生は、

「Bさん。先生、すごいと思った。あれからもしっかりやっているね。連絡帳の交換なんかしなくてもちゃんとやれるんだね。先生、すごくうれしい。」
という意味のことを、その場その場に応じた言い方で言えばいい。

 ただし、言い続けることだよ。それも、みんなに聞こえるように言うことだ。そうすることが、《Bさんが変わったのなら、ぼくも、》とばかり、DさんやEさんなどの心にひびいていくことになる。
 
 上に書いたように、Cさんの心にはもうひびいているよね。Cさんだって、もう大丈夫と思える。

 もっとも先生は、この日、Bさんが何かをやろうとしたとき、
「その気持ちはうれしいけれど、〜だから、先生がやるよ。ありがとう。」
と言っているよね。すばらしい。うれしくてジーンとしてしまいました。

 1時間目 体育

 わたしが校庭に出ると、Bさんが一番に鉄棒のところへかけていきました。それも全速力でしたよ。それに続きみんなも同様に走っていきました。

 だからかな。先生も全速力だったね。それもにこにこしながら・・・。いいなあと思った。

 整列も見事だったね。

 「月が見えるよ。」

 体育にまったく関係ないこの言葉。これもいいなあと思った。心のゆとりを感じた。子どもの心を豊かにさせるよね。

 「鉄棒は、自分の背の高さに合ったところでやる。高すぎると〜、低すぎると〜、次、握り方。〜。」
 「見ているときの注意は、鉄棒に近づかないこと。〜。」

 話が的確で短い。ムダがない。ほんとうに必要なことだけを言っている。だから、テンポもいい。

 ごめんね。以前のことを言ってしまうが、4・5月ごろ、何を言うか考え考え言っていたころとくらべると、わずか半年で長足の進歩だ。自信にあふれていた。

 次は反省点だが、子どもが、『順手』と言っていた。先生はそれに気づかなかったか、そのつぶやきをとり上げることなく、順手、逆手の説明をしていた。でもここは、気づいてほしかった。
『すごい。よく知っているね。〇〇さんが言うように、順手と言います。』
などと言ってほしかった。

 子どもたち、これまでにないくらい生き生きと躍動的なのだが、先生はさらに上をねらっているようだ。すごい。

 準備体操。
「きびきび動く。時間がもったいない。」
 いいなあ。これも言葉短く端的だ。だから、子どもの心にぐんぐん食い込むように入っていく。ほんとうにきびきびした動きになっていました。Bさんも広がるときはちょっとふざけたこともあったが、そして、初めみんなとちがう動きを勝手にやっているときもあったが、すぐ真面目に真剣にやり出した。うれしかったです。

 先生がやってみせる。しかし低すぎて先生も苦笑い。隣のちょっと高い方へ行った。すると、子どもたちも7・8人。そちらへさっと動いた。先生の指示はないのに、全員がそちらへ行ったと思う。先生と子どもとの一体感を感じた。最初に動いた7・8人をほめてやるとよかったね。

 先生の鉄棒を見るとき、Fさんが列から離れ、ちょっと後方に下がった。しかし、先生をしっかり見ている。わたしFさんに言った。
「どうして一人列を離れたの。」
「こうした方がよく見えるから。」
「そうか。分かった。すばらしい。」
そう言った。

 さっきのさらに上をねらう言葉かけの第二、三弾。
「何してるの。そんな態度許さない。けがするから。」

 『許さない』には正直びっくりした。《すごい。ちょっと言いすぎではないの。》そう思った。でも、そんなことはなかった。子どもの動きを見て、ここでも先生と子どもとの一体感を感じだ。
「しゃべっていたら、舌をかむ。」
この注意もよかった。
「上手。」
こうした言葉かけもあった。ほめていた。よかった。

 Dさんがふざけニヤニヤやっていることがあった。今度はわたしが先生のまねをして、
「真剣にやらないとケガするよ。」と言った。Eさんもふざけてやっているときがあった。でも、2人とも、そんなに長時間ふざけていたわけではなかった。このあたり、学級全体のまじめで真剣な取り組みが2人の心にひびいていったと思います。

 わたし、この体育のすばらしさを、G先生やH先生に感動が伝わるように言いました。H先生も喜んでくださったよ。
 さらに、J先生はもうA級のすばらしさを知っていて、
「一体どうしたのでしょうね。すばらしいですね。」
J先生の方から話しかけてきました。

2時間目 学活

 ふり返りカードは、できるだけ、体育の授業の時間内にやらせたい。やがては校庭で書かせるようにしましょう。それでも、今の充実度を考えると運動量は減らないでしょう。

 朝の音楽集会での2年生の演奏についての2年生へのお手紙。

 わたしは、昨年度後期、臨時の学級担任になったとき、これがすごく嫌だった。

 1年から6年まで、自分の学年の演奏のときを除き、5回にわたって書かなければならないよね。5時間もとられてしまう。ただでさえ学級崩壊のクラスは授業がなかなか進まない。注意などに時間を取られてしまうからね。それなのに、さらにこうしたことによって時間を取られる。そう思うと、たまらなかったです。

 K小は、特活の充実した学校と言われます。でも、学級がまとまり、充実した生活が送れている場合はいい。さらに充実していくでしょう。人間関係も豊かになっていくでしょう。A学級はまさにそれが期待できます。
 しかし、学級崩壊のクラスにとっては、これは、あしかせになりかねない。そんなふうに思ったものでした。

 先生が、
「この前、2年生と交流遠足に行ったから、先生は、《2年生がんばれ》といった気持が強かったけれど、みんなはどうだった?」
と言った。これもすばらしい。よかった。だから、お手紙に、交流遠足にふれて書く子もいたのではないかと思ったけれど、どうだったかな。

「貼る紙を取ってきていい?」とたずねるような言い方をして教室を出たと思うが、これはよくない。子どもにたずねるような内容ではありません。
「貼る紙を取ってくるので、〜していなさい。」
がいい。
 
3・4時間目 和菓子屋さんの見学

 看板にあった創立の嘉永二年は、1849年です。あのお店の前の通りは、おさむらいさんの時代、東海道だったところ。だから、旅人やおさむらいさんなどがM屋の和菓子を買って食べたかもしれない。

 また、先に見学したL学級の子が、M屋という名前を付けたいわれをたずねたそうです。お店の方がわたしのところへ来てその子に伝えてほしいとおっしゃいました。ですから、L先生に伝えてほしい。
 
「嘉永二年にのれん分けしてここにお店を設けることになった。元々の名前がM屋だったので、その名前を引き継いだ。のれん分けする前のお店については、どういういわれがあってM屋という名前になったかは分からない。」
とのことでした。

 なお、上記嘉永二年にかかわる話は、のれん分けも含め、A学級の子にも話してやるといい。

 M屋までの往復のことだが、子どもは確かに2列に並び、それほど乱すこともなく歩いていました。だから、だいたいはいいのだが、気になることもありました。
 それは、適当に並び替え仲のいい子と並んでしまうことです。だから、Nさんなど、ほんとうの隣は誰なのか分かっていないようでした。これは一度、赤白でしっかり並び、隣りがだれか確認し、それを守って歩くように言い聞かせる必要があると思いました。


 まだ先はあるのだが、だいぶ長くなってしまった。本記事はここで終わりとしたい。