2007年03月20日

初任者の成長(1)4

0bd1d3c6.JPG 今年度も終わりに近づいた。初任者の皆さんは、『やっと』という思いかな。それとも、『もう』かな。

 1年が経過したのだね。『初任者』の文字が取れるのももうすぐだ。

 わたしは、今週が、初任者の教室への最後の訪問である。


 昨年の今ごろ、皆さんは、未知の世界に、夢と希望を抱いていたことだろう。一年たった今、その夢と希望は、ますます確固たるものになっただろうか。それとも、悩みが多くなってしまっただろうか。


 わたしは、今、初任者一人ひとりに対して、今年度一年間の成果と、来年度へ向けての課題を話しているところだ。

 ここでは、そのやりとりを記録してみたいと思う。

 その前に、全国の初任者の皆さん、一年間、ほんとうにご苦労さまでした。


A初任者

 「子どもの思い、行動に共感し、寄り添うとともに、ほめることの大切さを、常にご指導いただいたと思います。それは、教育活動のすべてに言えることでした。」

「そうですね。子どもとの信頼関係の構築という意味での基本は、そこですね。そのことに関しては、子どもの生活、授業と区別はないと思います。最低限、子どもへの愛情がなければなりません。
『子どもへの愛情のない先生はいない。』とよく言いますね。確かにそうなのですが、教員の愛情が子どもに伝わっていなければなりません。もう、『後ろ姿を見て育つ時代』ではないのです。ですから、教員は、子どもの表情、言動等に、敏感であってほしいですね。」

「それらの大切さは、すべて頭では分かっているのですが、初めは、実行することがむずかしかったです。ほめるにしても、どう言ってほめたらいいか、何をほめたらいいか、思い浮かびませんでした。」

「そうでしたね。初めのころは、『子どもをほめなさい。』と言っても、なかなかほめている場面にでっくわさなくて、『なぜほめないのだ。子どもはいいことをしているのに。』と思ったものです。
 でも、ある時点から吹っ切れたように、ほめることができるようになりましたね。
今、分かったのですけれど、あのころは、『どう言ったらいいか、何をほめたらいいか、分からなかった。』ということなのですね。それは悪いことをしました。分からないままにしておいて、『問題行動の多い子ほど、ほめなさい。一日、10回はほめるつもりで。』などと言っていたのですね。ごめんなさいね。」

「いいえ。とんでもないです。初めは子どものよくない行動ばかりが目に映っていました。そして、行動や言葉の裏にかくされた子どもの思いを見とることができませんでした。『なぜ、そんなことをするの。』と思い、たいして考えもせず子どもを叱っていました。今思うと、子どもとの距離がけっこうあったような気がします。
 それが、日々、toshi先生のご指導をいただいているうちに、「〜だからかもしれない。」「〜なら、(子どもが)怒るのも無理はない。」などと思い、子どもに共感できるようになりました。
 ほめることについても、「〜のような子には、〜なふうに言ってほめて上げるといいよ。」などと具体的に指導していただきました。問題行動の多い子こそ、ほめることが大切なこと。『こんな些細なことで、』と思うようなことでも、ほめる材料になるのだなと気づくと、だんだんほめることも簡単にできるようになりました。すると、子どもとの距離も縮まったような気がしてきました。」

「そうですか。それはよかったです。・・・。そう言えば、今日など、先生は、Aちゃんに、『今、立っているなんておかしいよ。すわろうね。』と、声をかけたでしょう。それで、めずらしくAちゃんは素直に、すわりましたよね。いつもなら、だいたい、素直じゃないからすぐはすわらないですよね。・・・。そうしたら、今度は先生、その素直さをほめたでしょう。『うわあ。えらい。先生の言うことがすぐきけたね。』それを聞いていて、先生のすばらしさ、変容を感じましたよ。」

「叱ってばかりいたときは、子どもの問題行動は変わりませんでした。でも、わたしが、ほめるようになると、子どもたちはみるみる変わっていきました。」
「そうでしたね。あるとき、学級の雰囲気は一変しましたよ。わたしは、一週間に一日だけ、先生方の教室にはいるでしょう。その変化のすごさ、早さ、すばらしさに驚いたものです。」

「ほめるにはタイミングも大切ですね。たとえば、『あっ。これは、黙って教室から出すと、廊下を走りそうだな。』と思うようなとき、先手を打って、『さっき、〜のときは、廊下を走らないで、とてもえらかったね。』と言うと、ほんとうに、ゆっくり歩くのです。だんだん子どもをほめることが楽しくなり、気持ちよく過ごせるようになりました。すると、子どもも実に楽しそうに学級生活を送るようになりました。toshi先生にもおっしゃっていただきましたが、子どもの表情が日々明るくなっていくのが、わたしにも分かりました。」

「それは、先生が変容したからですよ。いや。変容と言うより、成長と言った方がいいかな。それが子どもを変える力になったのです。今思うと、初めのころは、先生にけっこうきびしいことも言っていましたね。『子どもへの話し方が一本調子だ。それに無表情なのはよくない。もっと、子どもの前で喜怒哀楽をはっきり顔に出した方がいい。』などと言いました。はっきり言い過ぎたかなと後悔したものです。先生のその後の成長を考えると、やはり、あそこまで言う必要はなかったと、申し訳なく思います。」

「いえ。そんなことはないです。toshi先生にきびしく言っていただいたからこそ、今があるのだと思います。
いえ。きびしくなんかなかったですよ。いつもやさしく、それこそ、初任者の我々にも愛情を持ってご指導いただいたと思っています。何をどう話したらいいのかとまどっている自分があったとき、いつも具体的にこう言えばいいとおっしゃってくださったので、ほんとうに感謝しています。」

「そのように言ってもらえると、ほんとうにうれしく思います。・・・。そう。何でも話は具体的でないとね。
 それは子どもに対しても言えることですね。そう言えば、先生は、初めのころ、よく子どもから『何言っているの。意味が分からない。』などと言われていましたね。秋ぐらいからかなあ。言われなくなったのは。やはり、具体的に話せるようになったのでしょうね。子どもに分かる言葉で。
 あと、教材研究と同じで、何をどう言えばいいかを、事前によく考えてから子どもに臨むようになったのではないですか。」

「はい。それはその通りです。教材研究の大切さも、身にしみて分かるようになりました。『こう言ったら、この子はこう答えるだろう。』などと考えることはとても楽しく、自分自身も、授業を楽しむことができるようになりました。逆に、考えてもいないことを子どもに言われ、とまどうことも多かったです。そういうときは、十分に教材研究ができていなかったのだなと反省しました。」

「いや。それはもう、永遠の課題です。わたしだって、40代になってからも、子どもの思いの読み違い、意表をつかれることなどはありました。どんなに子どもを把握していたとしても、それは、避けられないですね。
 ただ、教材研究をするごとに、読み違いや、意表をつかれる思いの質が変わっていきます。同じレベルでずっと読み間違いということではないのですね。」

「今、思うと、やはり、自分自身をいかに出せるか。本音でぶつかり合えるかということにかかっているのだと思います。ありのままの自分をさらけ出して子どもと接するなかで、言いたいことが自然に出てくるようになり、心を込めて話ができるようになったのだと思います。
 この一年間、指導していただいたことを今後も生かし、どんなことでもあきらめずに、よい方向に必ず変わるという望みを持って、子どもたちの前に立ちたいと思います。そして、ずっと学び続けるのだという姿勢を大切にしたいです。ほんとうに、一年間のご指導、ありがとうございました。」


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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2007年03月23日 22:53
「ほめるタイミング」重要ですね。

今日は、「あゆみ」の評価があがって笑顔の娘。小さな字でびっしり書かれた所見も読んで聞かせました。

さて、夜寝る時間というのにゲームに夢中の娘。いつもなら「早く寝なさい。何時だと思ってるの!」となるのですが、このブログを見た後だったので少し考えました。

そこで「あゆみに自分で考えて行動できるって書いてあったよね。凄いね。偉いね」と言ってみました。いつもなら「ちょっと待って」とずるずるやり続ける娘が、すぐにやめて布団に入ったのです。その効果にちょっとびっくり。
これは凄い!ただ、心の余裕がなければなかなか言えない言葉なので、親も日々反省、成長です。

toshi先生の意思を受け継いだ先生の一人立ち。おめでとうございます。そして先生お疲れ様でした。
2. Posted by toshi   2007年03月25日 01:30
yokoさん
 「あゆみ」の評価が上がったとのこと。よかったですね。今は絶対評価なので、お嬢さん、ほんとうに努力したのでしょう。
 ほめることの効用。すごかったですね。それほどの効用があったとは。
 これは単に効用というものではないですね。お嬢さんの人間性の形成にも絶対にかかわります。
 
 ほんとうに4月からは、一人立ち。でも、大丈夫だろうと思っています。

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