2018年05月23日

すみません。前記事の補足、訂正です。

S_7873434156201 すみません。前記事の《授業の終わりのまとめはいらない。》について、補足、修正をさせていただきます。

 それは、前記事にお寄せいただいた、Hidekiさんからのコメントへの返信でもあります。その内容をかいつまんで書かせていただくと、

 まずは我が記事について、《すばらしい。》とおっしゃっていただきましたが・・・、

 わたしが《まとめはいらない。》とした点については、まとめの重要性とその意義を書いてくださいました。

 それは共感できるものであり、ありがたく拝読しました。また、かつては自分もHidekiさんがおっしゃるような意味でのまとめをしていたこともあって、何よりむかしの我が実践を思い出させていただき、その点、恥ずかしくなりました。

 その上、初任者Aさんにも、何回かまとめはいらないと話してきましたので、これはもう、補足、訂正させていただかなければと思いました。

 ああ。さらに、その上・・・、前記事ではサブタイトルとして、《問題解決学習とは》としています。

 問題解決学習に、一時間の授業のまとめは不要・・・。そんなことはないはず。

 これはもう、本記事を読まれる若い教員のためにも、改訂版を書かないわけにはいかないな。そう思いました。申し訳ありませんでした。


 ここで、その部分に関するHidekiさんのコメントを引用させていただく。

 《「まとめ」を先生がすることは正解主義≒教え込みにつながるかもとは思うのですが、生徒自身がまとめをすることは重要なのではと思うのです。
 漠然と感じた、感覚そのものは大切にする必要はあると思いますが、いっぽうでそれを言葉に落とし込むと感じたことの正体がくっきりとすることで考えや思いが深まると私は思っています。》


 わたしがまとめはいらないとした最大の理由は、Hidekiさんのお言葉をお借りすれば、《「まとめ」を先生がすることは正解主義≒教え込みにつながる》という点にあった。

 このまとめ方だと、子どもは受け身で、何よりまとめることの必要性、切実性がない。よく理解できないまま、ただ黒板を写すことにもなりかねない。すなおな子、力のある子は、「ああ。これが大事な学習内容なのだな。」と思うかもしれないが、多くの子にとっては意味なくただ写しているに過ぎない。

 そして、言うまでもないが、全員同じまとめとなる。ノートはきれいかもしれないが、でも、それだけのことだ。

 その一方で、《言葉に落とし込むと感じたことの正体がくっきりとする》については、まったく異存がない。子どもが主体的にふり返り、自分の言葉でまとめるのならね。

 まあ、負け惜しみではないが、わたしの前記事での思いは・・・、言葉に落とし込まなくても、《話し合い学習のなかで、学んだことの価値、概念がくっきりと明確になるような・・・、そういう授業を目指しなさいよ》と、Aさんに言いたかったのだが・・・、

 でも、でも・・・、《そういう授業をすれば、言葉に落とし込む必要はない。》と言ったら・・・、やっぱりそれは言い過ぎだろう。

 話し合い学習でのそれは、躍動、活発、ひらめき・・・、そうしたなかでの獲得であるのに対し、書く活動でのそれは、沈思黙考、落ち着き、静的な中での獲得ということになろうか。

 やはりどちらもあっていいし、大切。

 ああ。したがって、前記事で、ふり返ることはないというのは、やはり言い過ぎだった。

 
 さて、それでは、まとめ方はどのようになるだろうか。

 たとえば、

「先生。今日、Aさんが言ったこと、すごくよかったよね。みんなも賛成したし、ぼくも確かにその通りだと思った。忘れたくないから、ノートに書いておくんだ。」
 
 そんな発言があれば最高。いや。なくてもそんな気分でまとめるようになればすばらしい。

 そして、それぞれの子どもが自分の思い、一番心に残ったことを中心に、自分の言葉で書き留めるのだ。S_7873437944641

 一番心に残ったこと、それはいろいろあるだろう。

・友達と議論し合ったなかで、心に残ったこととか、
・議論した結果、自分の思いが変わったとか、深まったとか、
・逆にみんなが自分の思いに賛意を表してくれてうれしかった。その中身は、など・・・、いろいろあっていい。
・また、発言でなくても、《あの資料で寄木細工に携わる人のわざは〜で、すごいと思った》など、心を大きく揺り動かされた資料などを中心にまとめたっていい。

 何を書くかは子どもの思いで自由だ。それでこそ、個性的で生きてはたらく知識を獲得できる。

 そして、折々にノートを集めチェックする。ねらいに迫っているか、枝葉の部分にとどまっているか、関心はどの方向に向かっているか、分かったこと中心か、次の授業につながるような疑問、問題などにふれているか・・・など、など。
 
 まだこうしたまとめ方になれていない段階なら、指導者が、いいなと思うノートを全体に紹介するのもいいだろう。本人の了解をもらってだけどね。

 さらに・・・、《この授業の殊勲賞は誰だろう。》

 そう言って、一番活躍した子をみんなで認め合うようなこともやったらどうだろう。

 その基準はいろいろだ。たとえば、

・ふだんあまり発言しない子がしたら、内容に関係なく認めるとか、
・学習内容を深める発言をしたのは誰かとか、
・授業を盛り上げたのは誰かとか・・・、

 ああ。でも、これは、Hidekiさんがおっしゃるまとめとはちょっと違うね。授業を活性化するための一手法と言ったらいいかな。

 でも、でも、そんなにあれもこれも、やる時間がない。次の授業の学習問題も意識させたいしね。ただでさえ、時間を押してしまうことも多いのだから・・・。

 だから、そうする必要はないだろう。授業ごとに、その授業の終わり方によって、いろいろあっていいのではないか。

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 ninki


 我が後輩の話で思い出すことがあります。この方は、現校長でもあります。聞いたのは数年前ですが、担任時代のことを話してくれました。

「先日、教え子の同窓会がありましてね。子どもたちが言うのです。社会科のノートは今も大事にとってある。とても捨てられるものではないって。

 そのとき、そのときの自分たちの思いがつまっていますし、なつかしく授業を思い出すのだそうです。」

「それはすごい。わたしはとてもそんなところまではやれなかった。

 思い出すというのは、ただ思い出すだけではないと思いますよ。今も、彼らの生き方にひびいているのではないでしょうか。

 問題解決に悩んだり、困難な事態に遭遇したりしたとき、また逆に、乗り越えたときなど、ノートをそっとふり返って見るなどという子もいそうですね。」

 わたしはそんなことを言いました。

 ああ。前記事にお寄せいただいたHidekiさんからのコメント2つ。まだお読みでなかったら読んでいただければ幸いです。

 もう一つ。《ああ。》

 前記事を書いたとき、このエピソードを完全に忘れていたことが悔やまれます。

  

rve83253 at 04:49|PermalinkComments(0) 問題解決学習 | 指導観

2018年04月23日

Aさんへの最後の初任者指導 (問題解決学習とは!?)

sotugyo 昨年度の最終日は、修了式に続いて離任式が行われた。初任者指導のB小では、今年度初任者の着任がないということで、わたしは自動的に離任となった。

 そうは言っても、実は1月から3月までの3か月間、4年生3クラスで社会科専科となっていた。

 それは、

・前記事に書いたように、初任者Aさんの学級経営力がすばらしいこと
・わたしは前年度まで、お隣のC小で社会科専科を仰せつかっていたが、そのことをB小の先生方も知っていて、うちの学校でも是非ということになったこと

などがあったからだろう。

 わたしにとってもこれはうれしい話で、校長先生のご了解をいただき、やらせてもらうことにした。

 あるとき、Aさんと話した。
「社会科専科を仰せつかってから、初任者指導はたまにしかやらなくなってしまったな。」
「いいえ。そんなことないです。確かに直接ご指導いただくことはへりましたが、その分毎回、わたしのクラスで社会科の授業を見せてもらっていますから、それが研修になりますし、ありがたく思っています。」

 さらに続けて言うには・・・、

 子どもたち、次の日、社会科があると分かると、『ばんざあい。』『やったあ。』などと言うらしい。すごく喜ぶのだそうだ。

 これはある意味、意外だった。なぜかと言うと・・・、それまでこのクラスの子たちは、わたしに対してよそよそしい態度がないわけでもなかったからだ。

 ふだん、笑顔を向けてくれたり挨拶してくれたりはするものの、気軽に話しかけてくる子は少ない印象だった。

 これはやはり、Aさんと子どもたちとの関係がすばらしいからだろう。わたしは空気のような存在だった。

 でもこれは喜ばしいことだ。Aさんのクラスなのに、子どもがわたしの方にばかり寄ってくるとしたら、その方が問題だろう。

 そんな思いもあり、示範授業と称するわたしの授業は、極力減らしてきた。

 そんな折りの社会科専科だったわけだ。
 
 さて、それでは、前述のように、年度末、Aさんと話す機会はめっきり減ってしまったので、このブログを通し、この3か月間のわたしの授業をとり上げながら、最後の初任者指導をさせていただこう。

なお、本記事は、問題解決学習がテーマとなる。

1,前記事で、冒頭の導入でのふり返りと終末のまとめはいらないと書いた。

 わたしの授業がまさにそうだった。基本的に本時の学習問題は、前時の最後ににじみ出るように生まれている。それは子どもの思いによるが、子どもの思いをより明確にしたり際立たせたりするために、わたしが口を差しはさむこともある。

 そうすると、子どもたちは、家で調べたり親に聞いたりして次の授業に臨むようになったり、どの資料が役立ちそうかと心に留めたりするように・・・、そういう子がふえてくる。

 彼らは発言したい思いでいっぱいだ。朝、廊下で出っくわすと、うれしそうに、
「toshi先生。今日は、〜をやるんだよね。ぼく、調べてきたよ。」
「toshi先生が昨日見せてくれた資料はおもしろかった。それでね。ぼく、その資料で発表したいことがあるんだ。だから最初に指してね。」
などと報告に来たり、お願いをされたりする。

 また、担任から、
「toshi先生。うちのクラスのDさんが、いい資料をもってきたんですよ。後で見てやってください。」
などと言われることもある。そんなときは授業の冒頭、
「Dさん。どんな資料なの。楽しみだな。見せてくれる。」
と、今度はわたしがお願いをして、その資料が導入の役割を果たすこともある。

 ぞんなわけで授業はいきなり核心から入ることになる。また、繰り返しにになるが、終末のまとめもいらない。授業の終末は次時の学習問題が生まれるように努めたい。ふり返るのではなく、先を見つめるのだね。

2、授業と授業の合間を大切にしたい。

 くわしく見てみよう。

 B小の1月以降の単元は、
〇郷土の開発では、江戸時代の、入海をうめたててできた吉田新田(現在は横浜の中心部)
〇地域の伝統工芸では箱根寄木細工
〇地域の産業では三浦市のダイコンづくりと三崎漁港のマグロはえ縄漁をとり上げた。(神奈川県の概観はすでに担任が指導している。)
となっている。

 さっそく両親にせっついて、現地を訪れる子が現れた。吉田新田の外周(約5km)を一周したり、寄木造りのふるさと、箱根畑宿を訪ね、見学したり体験教室で学んだりした。

 多忙な中、我が子の思いにこたえ、一緒に行ってくれたご両親には感謝している。

 これは、ホットな学習問題に対して、解決せずにはいられない心情が生まれているからだろう。

 だいたい、解決のための資料は指導者が用意すること、当然であるが、このように子どもが動くようになると、徐々に子どもの手によって解決する場面が増えていく。

 ただ、その成果が、必ずしも授業の流れに合うとは限らない。ホットな学習問題とは、ずれることも多いのだ。その場合は、
「すごくいいことを学んで(調べて)きたね。でも、それをとり上げる授業は何時間後になるかな。そのとき絶対やるから、待っててね。」
などと言う。

 そう。子どもたちが主体的に学んだことは、できるだけ授業にとり込むようにしたい。そして、
「この学習は、Eさんのおかげでできたのだね。」
と言って感謝するようにする。

3、テレビに例えると、授業には、大河ドラマ型と水戸黄門型とがある。
 大河ドラマ型は、今日の続きはまた次時へというわけで、終わると次の展開が楽しみとなる。その2で述べたとおりだ。ここでは、F組の箱根寄木細工における、子どもの思考の流れの一端を追ってみよう。

 単元の導入では、わたしや子どもたちが持ち寄った寄木細工の工芸品を見た。そして、感想を中心に思ったことや疑問などを発表し合った。

 2つのクラスでは、《どうやって作っているのだろう』という疑問から工程を追っていくことになったが・・・、F組は違った。

 印刷したものが箱に貼ってあるのだろうと思った子が何人もいて、物議をかもした。そこで、製作の様子を示した写真を教室の大きなテレビに映した。その結果、印刷などではなく、木を切ったり貼ったりけずったりして作っていることをつかむ。

 すると、Gさんが、 
「でも、ふしぎだ。寄木細工の模様には、木の色じゃないのもあるよ。黒い木や赤い木なんかもあるじゃん。」
「そうだ。そうだよ。そんな色の木、ないよ。」
と何人もの子が言う。そこで、この疑問を次時の学習問題とする。

 次の授業では畑宿の寄木会館で撮影した原木の写真を示す。そこには、赤や黒はもちろん、他にもいろんな色の木があることが分かり・・・、

 そう。一件落着する。そして、落着すると、そこから新たな疑問が生まれる。

 今度は、各、原木に添付された表示を見て、その多くが国内各地、さらには外国から輸入した木まであることが分かり、驚く。《どうして箱根の木を使わないの》というわけだ。

 特に寄木細工の歴史を調べている子は、箱根で寄木細工が盛んになったわけとして、《箱根にはいろんな種類の木が豊富にあったから》というのを知っているから、余計ふしぎがる。

 この議論は沸騰した。

・赤や黒の木の産地が分かったことにより、箱根だけでは、色の種類が限られてしまうのではないかと考えた子、でも変だ。箱根の木はまったくないよ。箱根の木は使わないみたいと反論する子。
・箱根がはげ山になってはいけないからと考えた子。しかし、これには、あんな小さな模様なのだから、いくらたくさん作ったとしても、はげ山になるほど切ることはないと反論する子。

 そして、最終的には、わたしが示した資料により・・・、

 国立公園は観光客が大勢来るから、自然を守らなければいけない。そのために木を切ることが禁止されていることをとらえる。

 ・・・授業の流れを追うのはこのくらいにしておこう。ただ、工芸品と原木とを見たことから、その間の製造工程に関心が向かい、他の2クラス同様の流れとなった。

 なお、この単元では、
・手作業による製造工程理解の他、伝統工芸士の修行、江戸時代からわざを伝えてきたこと、
・ズクという古い技法を大切に守る一方でムクという新たな技法も生み出したこと、
・畑宿には旧東海道の一里塚があり、旅人の休憩所になっていたことから、お土産として人気があったこと、
・国は伝統工芸として、全国各地の工芸品を指定していることなどをとらえる。

 さて、それでは、水戸黄門型の授業にも触れてみよう。「この印籠が見えないか。」ではないが、授業はいつも一件落着で終わる。そして、次の授業はまた別な学習内容となる。教師主導になりやすく、子どもの思考はつながらないのがふつうだ。次の授業への情熱もあまり期待できない。

4,子どもの思考によって展開する以上、できるだけ多くの子どもが授業で活躍できるように配慮したい。少なくとも《お客さん》をつくらないようにしたい。

 ・発言する子を増やすには、指導者が子どもの発言をよく聞くことだ。
 意味不明だから、あるいは変なことを言うからとばかりに切り捨てない。さらには、教師の期待した発言ではないからといって無視しない。
「Fさんが言いたいことは、〜ということかな。」
「Fさんの言っていることがよく分からない。ごめんね。もう一回言ってくれるかな。」
「Fさんの言っていること、分かるっていう子はいるかな。いたら、通訳して。」
「なるほど。それも言えるね。先生、思ってもいなかったよ。見方が広がったね。」

 三番目の《通訳》に関係して、おもしろいことがあった。

 単元の導入、寄木細工の工芸品を見て、その感想を中心に思ったことや疑問などを発表し合う学習のときだ。

 H組のJさんが、感想として、
「どの模様もきれい。同じ模様でつながっているところと、いろいろな模様のところがあっておもしろい。寄木細工って、新しい製品だと思う。」
と言った。

 前半は、「ああ。工芸品をよく見ているな。」と感心したが、「新しい」にはちょっとびっくり。でも、そのまま板書した。特に反論もないまま授業は進んだ。

 何人目かで、《むかしから伝わっている作り方だと思う。》という感想の発言があった。

 感想が一応出尽くしたかなと思ったタイミングで、わたしは、板書の「新しい」と「昔から伝わる」を線でつなげだ。

 Kさんが声を張り上げた。
「おもしろい。正反対じゃん。」
何人もの子が同感の表情だ。

「そう。おもしろいよね。でも、これ、工芸品を見た感想だから、感想は自由だよ。今日の学習では、どっちが正しくてどっちが間違いということはない。ただどちらの思いに近いかは言ってほしいな。」

 発言した子全員が、《むかしから伝わる作り方》に共感の念を示した。そんなときだ。Lさんが、Jさんの思いをおもんばかって発言。

「ねえ。みんな。Jさんは新しいって言ったんだけど、これは、これまで見たことがない模様とか、めずらしい模様とか、そういうことを言いたかったんじゃないの。」

 Jさん、うん、うんと言いたいばかりに、うれしそうにうなずく。他の子の中にも、《そうか。そういうことだったのか。》とばかり、納得している子が多い。

 《通訳》というのはそういうことだ。大人にとって意味不明の発言も、子ども同士なら共感し合ったり理解し合ったりすることができる。

 わたしは、Lさんの、友達の思いを大事にし、おもんばかる心を絶賛した。

 それにしても、少しは《新しい》に共感する子もいるのではないかと思ったが、まったくいなかったので、少し、Jさんにかわいそうなことをしたなと思ったわたし。わたしもLさんの発言で救われた。

 そこで、《新しい》の板書を消して、《見たことがない》《めずらしい》と書き換えた。

 ここで言いたいことは、

 子ども同士のやりとりに、対立場面でも、相手を理解しようとする心が感じられる。いや、対立するからこそ、自分と違う思いに興味関心をもち、見方を広げようとする心情が養われるのだ。

 わたしはそうした心を絶賛するだけでいい。

 問題解決学習は、子どもの心をも耕す。

5.お客さんをつくらない手立てとしては・・・、

 実は、以下、Aさんのまえではやっていないので、ここで述べるのは大変恐縮してしまうのだが、
もう一つ、ぜひ書いておきたいことがある。

 それは座席表指導案なるものだ。

 ここで言いたいことは、にじみ出て終わるのではなく、生まれたら、その学習問題への思いも書かせたいということだ。

 書かせたらそれを読んで、本時の授業に臨みたい。

・おもしろい。LさんとMさんの思いは正反対だな。よし。この対立を浮き立たせようとか、
・授業冒頭では、Nさんの思いをとり上げようとか、
・Pさんはいいことを書いている。ぜひ発言してほしいが、ふだんほとんど発言しない子だ。たぶん言わないだろう。よし。それなら、
「誰が書いたか忘れちゃったけれど、すごくいい感想を書いた子がいるよ。わたしが紹介するね。」
あるいは、
「Pさん。とってもいい意見だ。発言できたらしてごらん。できないなら、代わりにわたしが言ってもいいかな。」
など、どう投げかけるかを考えるとか、
・いろいろな思いがあるな。よし。それらをとり上げて、子どもたちにその多様性を気づかせようとか、
・Qさんの思いに収束しそうだ。それなら、この資料を用意しておこうとか、
・その他、いろいろ・・・

 このようにして授業の構想を練るのだ。

 しかし、なかなか現実は構想のとおりには流れない。そこに生きた子どもの姿がある。そこから、生きた授業というものを学んでほしいのだ。学び続けることによって、子どもの姿がよく見通せるようになっていく。子どもも躍動的になっていく。

 ああ。ごめんなさい。今回の、1月から3月までの授業では、そこまでAさんにお見せすることはできなかったね。

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〇1で、子どもの資料によって授業が始まると述べましたが、その資料はわたしも持っていることが多いです。でも、あえて、「Dさんのおかげで今日の授業が成立した。」というかたちをとるのです。

〇2にかかわりますが、学校も社会科見学は積極的に行っています。吉田新田の場合は、新田にあたる部分の半分を縦断したり、近くの丘から新田の全体を眺望したりしました。新田と言っても、今はビルばかりですがね。

〇3で述べた、問題は解決するそばから次の問題が生まれるということ。これは、単なる指導法の問題ではありません。社会事象はそういうものではないでしょうか。大は世界情勢から、小は家庭生活、学級生活に至るまで、一件落着のそばから、次なる問題が生まれているのだと思います。

 これで人生バラ色、世界もバラ色。何の問題もない、極楽極楽・・・、そんなことは永遠にあり得ませんものね。

〇4.の、対立するからこそ仲良しというのは、他者理解につながるからです。

 話は変わるのでしょうか。変わらないのでしょうか。

 このB小は、歌もすばらしいものがあります。どのクラスも、まるで合唱団のようです。これは、他のパートをしっかり聞いて、声が溶け合うように、響き合うように、意識して歌っているからではないでしょうか。

 合唱と話し合い学習と・・・、他者を大事にする。響き合う。何やら、通じるものがありそう。そんな思いも持ちました。

〇問題解決学習を進めるにあたっての、子どもへの究極の願いは何でしょう。

 上の学校に進んだとき、また、大人になった時、仕事でも、学校、家庭生活でも、様々な問題に遭遇するでしょう。そのときは・・・、よりよい選択をしなければなりません。行き当たりばったりでなく、問題を的確に把握し、より客観的に事態を見つめ、真に自分に合った人生の選択をするのです。つまり自己実現に資する。そういう学びなのです。


rve83253 at 05:20|PermalinkComments(3) 初任者指導 | 問題解決学習

2017年12月15日

久しぶりの初任者指導で、

gakkyu1 今年度、週2日、久しぶりに初任者指導に携わらせてもらっている。4年生担任のAさんだ。

 そのAさんが、先日、教員生活初めての研究授業に臨んだ。臨んだと思ったら、なんとたて続けに2回。国語と算数だった。

 一回目は朝から緊張気味のAさんで、わたしは、
「リラックス。リラックス。先生が緊張していると、それが子どもに伝わるからね。」
などと言ったが・・・、

 それよりも早く、学年主任のBさんもおっしゃったらしい。
「授業の前に、ゲームをやるといいわよ。先生も、子どもも緊張がほぐれるでしょう。」

そんなこともあって、心配は杞憂だった。

 また、日頃のA学級の様子から、子どもたちは張り切って授業に臨むに違いない。そんな確信もあった。

 5時間目。わたしが教室に入ったときは、まさにその・・・、ゲームの真っ最中。いつものように戸を閉めようとすると、最後部のCさんがにこにこしながら、
「toshi先生。今日は開けておいてね。」
「そうか。そうだね。大勢先生方がいらっしゃるものね。」

 Cさんやその周りの様子から、緊張などみじんもなく、むしろ研究授業を先生と一緒に楽しもうとする気分が感じられた。

 2回目はもう、最初からAさんもリラックスムード。子どもたちの張り切っている姿に、安心したと見える。早くも自信が感じられた。

 さあ。それでは、子どもたちの様子について、2回目参観の先生方の感想から見てみよう。

・子どもたちの温かな気持ちがよく伝わってきました。「うわあ。Dさんの解き方いいね。ぼく、全然気づかなかった。」など、子ども同士のやりとりに友達を認める言葉が多く、いいなあと思いました。
・A先生の言葉も温かく、子どもの発言に対して、「ああ。ほんとうだ。」「なるほどね。」など、気持ちが入っていて、すてきだなと思いました。
・練り上げでも、みんなが参加していて、「あっ。それってこれのことかあ。」といったように、友達同士で分かり合おうとする姿が見られました。
・一つひとつ確かめながら授業が進んでいたので、理解のむずかしい子も、よく分かったようでした。
・子どもたちがワクワクしている感じで、教室中、《わたしたち、何か新しいことが学べるみたい》といった期待感に満ちていました。
・ただなごやかなだけでなく、子どもたちの、「うわあ。楽しみだな。」「おもしろそうだね。」「やりたい。やりたい。」「先生。ふり返り、やりますか。」など、学びへの意欲に満ちていました。

 Aさん。よかったね。こんなにも、評価してもらって。

 でも、ふだんの授業も見ているわたしとしては、導入などむだな時間もあり、もっと練り上げに時間をかけてもらいたかったなど、課題はあった。

 最初、Aさんの、「初めに前回の振り返りをします。」という言葉から入った。でも、これはいらない。長方形や正方形の面積の出し方の確認をしたのだが、子どもには本時への期待感があるのだから、いきなり核心に入ったらよかった。

 もし・・・、万一、前時の押さえにあまさがあったと気づいたなら、自力解決の際に、理解のむずかしい子に、個別対応すればいい。また、そうした方が子どもにとっても学ぶことへの切実感を抱くことが期待できる。KIMG0486

 その後、問題を提示。右図のような複合図形の面積を出す。もう提示しただけで発問もないのに、子どもたちは口々に言い出した。
「長方形と正方形を合体させた形だ。」
「違う。どっちも長方形だよ。長方形同士を合体させた。」
「横に飛び出している。」
「だからいっぺんには解けない。」
「でも、欠けたところをうめれば、長方形になるよ。」
ふだんも意欲的だが、この日は参会する先生方が大勢いらっしゃるにもかかわらず・・・、いや、大勢いらしたからかな。すばらしかった。

 リラックスムードのなかで・・・、しかし、けじめはしっかりついていて・・・、《心の張りとゆとり》が感じられた。ああだ、こうだとばかり、ワーワーにぎやかなときもあるが、Aさんが話し始めるとすぐシーンとなり聞くことに集中するのだった。

 思い起こせば・・・、

 通例、初任者指導では、初めの数か月、児童対応、児童理解など、学級経営の基本にかかわる話が中心になる。そして、指導法の話はそれに付随する形になることが多い。しかし、Aさんの場合、前者にかかわることでわたしが話すようなことは、ほぼ初めからできていた。だから、ほめたり喜んだりする形で話すことが多かった。

 授業に戻る。先ほどの、
「欠けたところをうめれば、長方形になるよ。」
に対してAさんは、内心しめしめと思ったのではないか。一番押さえたい解法だからね。

 だけどここでは、直接はふれずに、
「この形、何て名前つけようか。」

 いろいろでたが、Eさんが命名した(?)名前を採用。《階段のような形の面積を求めよう。》と板書した。これも子どもの思いを大切にしているからこそといえそうだ。

 そして、自力解決に入る。机間巡視しながら、困難さがある子には方眼付きの用紙をわたしていた。なお、Aさんは、そういう子にややかかりっきりになったきらいがあり、あとの研究討議では、講師から、
「ここでは、あまり一人の子にかかりっきりになるのではなく、全体への目配りが大切でしょう。どんな解き方をしているか、迷っている子はいないか、いたら助言したりヒントカードをわたしたりするなどして、練り上げに入りたいものです。」
なる指導を受けた。

 それを聞きながらわたしが思ったのは・・・、

 このクラスの場合、前述のように温かな雰囲気があり、友達をバカにするようなことは考えられないから、すぐ解ける子は困難さを抱えている子のところに行って助言するような体制をとってもいいのではないかと感じた。

 と言いながら、ちょっと矛盾してしまってごめんなさいなのだが、一つ解いた子は、《他にないかな。》とばかり、いろいろな解き方に挑戦していた。このあたり、日頃の指導が定着していると感じ、うれしかった。

 矛盾点については、折々に双方を大切にしていったらいいのではないかな。

 わたしも机間巡視して、子どもたちの解いている様子を見て回った。実に多彩だった。全部で6通りくらいあったかな。

・方眼のヒントカードをもらった子
・もらわないが、自分で方眼を書いた子。
・長方形2つに分けた子。ただしこの分け方は2通りあるね。
・長方形3つに分けた子。
・Fさんのように、大きな長方形一つを想定した子。
・出た部分を半分に切り、引っ込んだ部分に当てはめて長方形にした子。
 
 そして、練り上げに入る。

 まず最初はGさんだ。Gさんは、上図の複合図形を縦に区切って2つの長方形にした。そして、方眼のマス目を1・2・3と数えたようだ。そうしたら、Aさんが、12+6と板書してしまったが・・・、この式くらいは、Gさんに言わせたらよかったのではないかな。

 次はHさん。同じように縦に区切ったが、方眼を一つひとつ数えてはいない。式で答えた。
4×3+2×3
だね。
 
 次のJさんは、縦に突き出た部分の半分に横線を入れ、方眼三つ分を隣の欠けた部分に付け足した。横長の長方形ができた。
そして、
3×6。

 さらにKさん。G,Hさん同様、2つの長方形に分けた。そしてはさみで切り取り、小さい長方形を大きな長方形の上に付け足した。今度は縦長の長方形ができた。
そして、6×3。

 すぐAさん、「6はどこから?」と問い返した。これ、よかった。習いたての( )を使った式が出てきた。
 (4+2)×3だ。
 このとき、聞いている子の中から、意表を突かれた思いがあったのだろう。「ああっ。」と感嘆の声が上がった。

 次に、冒頭でつぶやいたFさんの
「欠けているところをうめたら、長方形になるよ。」・・・
の考え方が出た。

 Aさん、その意見に沿う形で、点線で欠けたところを示した。すかさず、
「おお。やるね。」
の声。いいなあ。先ほどの感嘆の声といい、このつぶやきといい、みんなと共に学ぶといった雰囲気が随所に感じられる。

 Aさんが、《なるほど。》と、感心してやっているのもいいなあ。

 さらに、Aさん。
「どう。いろいろな解き方が出たけれど、似ているなというのはあるかな。」
と問いかける。
 ああ。すばらしい。個々バラバラに出ているものを関係づけようとしている。こうした力がまさに数学的思考力を養うことになるのだよね。

「二つに分けて考えている。」
「二つに分けて長方形にする。計算しやすくなるから。」
「そう。分けて足す。」
A「どんな形に分けているの。」
「長方形。」

 そうしたらLさんが不可解なことを言う。
「長方形でなくて、四角形だよ。」
何でだ。冒頭からみんな、長方形と言っていたではないか。
 
そうしたらLさんの補足発言で了解。
「だって長方形のときだけじゃないもん。正方形のときもあるでしょ。だから、四角形。」

 なるほど。いわんとするところは分かった。分かったが・・・、

 でも、これ、集合を学習しているのだから、長方形でいいのだよね。正方形は長方形の特別な形であり、長方形に含まれるのだから。そして、四角形の方が広がりすぎておかしいことになりそうだ。

Aさん。「この問題では?」と問い返し、「長方形」と言わせて一件落着。よかった。ここで集合の概念を持ち出し追及すると、ややこしくなるものね。学習がそれてしまう。

 ここで練り上げは一応終了。発展問題に入った。

 あとの研究討議でAさんは、
「(練り上げでは、)多様な子どもの考えをつなぎ切れなかった。」
と反省の弁を述べたが・・・、

やはりまずは時間が足りなくなってしまったことかな。後、発問の問題もありそうだ。つなぐことに目配りした発問を工夫すればよかった。

 たとえば、Aさんは似ているのはとだけ問うたが、併せて、似ていないものも問うとよかったのではないか。そうすれば、Fさんの解き方が浮き彫りになったと思う。足すのと反対で、引く発想だからね。

 そうして発展問題に入れば・・・、ここでも、引く発想が豊かに出たのではないか。

 練り上げから発展問題に入る際に、Aさんは、
「みんな、解く楽しさを味わうことができたね。いろいろなアイデアが出た。さあ、それでは、今から新しい問題を出すから、一緒に考えてみよう。」

 この、《いろいろ出た》がまさに本時の目標だった。そう。楽しく目標に達成することができた。よかった。KIMG0487

 新しい問題、それは左の図形だ。

 先ほどの問題同様、いろいろな解法が示された。おもしろかったのは、Mさんの、ちょうど真ん中で縦にはさみを入れるものだった。

 いやあ、これでは、長方形にならないなと思ったら、何と90度回転させ、上に乗せるのだった。何と柔軟な頭脳だろう。感心してしまった。

 でも、これ、先ほどのLさんだったら、
「それは特別な形だからできるけど、ふつうはそんなのは無理。できない。」
と言うだろう。ここではもう、何も言わなかったけれどね。

 式は・・・、そうか。この図形は長さが何センチかは示されなかったのだった。だから、
「長さが書いてないから、解けない。」
と言う子もいたが、
「どう考えるかだから、長さがなくてもいいんじゃない。」
の声に、分かり合えたようだった。

 これで授業は終わったが、最後、惜しかったのは、

本時、中心に扱った図形と最後の発展問題と、おそらく子どもたちは、別々な問題としてしかとらえていず、その関係性に気づかないまま終わってしまったのではないか。

 何が言いたいか。

冒頭Fさんが、《欠けているところ》とつぶやいたよね。その欠けているところに着目する。すると、この発展問題は、欠けているところが、上辺のはじから真ん中へ移動したととらえられないか。もしそうとらえることができたら、《なんだ。解き方はさっきと同じじゃん。》と気づくことができただろう。

 さらに言わせてもらえば、足す解き方は、今度は三つの長方形に分けて計算することになる。しかし、引く解き方は先ほど同様、一回引くだけでいい。

 それに気づくだろう。

 さらにこの空洞がど真ん中へ来たら、さらにその空洞が長方形のまま斜めになったら、

 そう考えると、引く解き方がおすすめの解き方となることに気づくのではないか。本時そこまでは無理だけれどね。でも、次時にかけて、思考は一貫した流れになるよね。

 実は、講師の先生のご指導にそれはあったのだった。

 でも、研究討議の雰囲気は、先生方一同、
《初任のAさんがすごい授業をやった。》
の思いだったようだ。

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 ninki

 
 ふつう初任者に言うことではないが、Aさんの学級がすばらしいことから、特に注文を付けていることがあります。

 それは、発言する子を増やそうということです。

 今も、Aさんの学級は、多くの子が発言していると思います。でも、思いや考えがあっても言わないという子もいそうです。そういう子は、言わないままで心は安定しています。

 それをどうつきくずすか。

 みんな聞く力はもっていますから、友達の発言ににこっとしたり、うなづいたり、逆に首を傾げたり・・・、そんなことはけっこうあると思います。そのようなときに、
「あっ。今、Mさん、何か言いたいことがあるのではないかな。いいよ。言えたら言ってごらん。言えたらうれしいなあ。」
 そんな言葉をかけたいもの。gakkyu2

 ただし、無理はいけません。言えない、言いたくないという思いは尊重しなければいけません。心の安定をつきくずす。波立たせる。それだけでもいいのです。

 そうしているうちにだんだん発言する子は増えていきます。

 また、それと表裏一体なのですが、Aさんがあまりしゃべりすぎないことも大切です。子どもの発言にAさんがつけたしたり、結論づけたりしてしまうのではなく、クラスのみんなに投げ返したいもの。
「今のNさんの言ったことはおもしろい。みんなはどう思ったかな。」

 今のA学級なら、議論沸騰も考えられます。

 発言する子を増やす。そのためには、授業の最後に、建設的だったり深めたりした発言はうんとほめ感心してやりたいものです。



rve83253 at 17:26|PermalinkComments(4) 初任者指導 | 算数科指導