2017年08月21日

通勤途上の教材研究!

kodomo01 わたしは在職中より、退職後の再任用、非常勤の方が、勤務校の数ははるかに多くなった。退職後は毎年のように学校が変わるし、週3日はA校、2日はB校というように同時に2校に勤務することもあったからだ。

 そのおかげで、いろいろな学校の学区の様子を知ることができた。同じ横浜だが、バラエティに富んだ姿を見てきた。社会科を専門としているから、それは実に興味深く探求心を誘うものがあった。

 特に車通勤をやめ電車に切り替えてからは、道すがら、《おもしろいなあ、子どもは不思議に思わないかなあ》と思うことがふえた。

 そこで本記事では、通勤の道すがら気づく、いろいろな地域の社会事象の一端にふれ、それをどのように授業に生かしたらいいか考えてみたいと思う。


 その1 C小学校は最寄駅から徒歩約10分のところにある。ただし、通勤に適した道は2通りある。おもしろいことに、それが好対照なのだ。

 一つ目の道は道幅がせまいのに車も人もたくさん通る。が、もう一方は道幅が広くバスも通っているのに、車や人の通行は少ない。

 なぜか。興味をひかれ調べてみた。分かったことは・・・、

 せまい道は遠くへつながっている。駅から10分くらいのところには高校、さらにその先には病院などの公共施設もある。もう一方は団地につながる道だ。そして、団地で行き止まりになる。

 よし。これは3年生の内容だが、通行量と道幅との矛盾を子どもが不思議がってくれれば、交通面の違いから土地利用に迫っていけそうだ。また、隣の町、さらにその向こうというように、次単元の、市の学習へもスムースにつながっていくだろう。


 その2 この交通量の多い細い道は、危険がいっぱいに思われる。ガードレールはあるが、あちらこちらで切れてつながっていない。気づいたことは、車がすれ違う時、歩行者は進めなくなり、車が通り過ぎるのを待っている。なるほど。これではガードレールをつなげてしまうと、車のすれ違いに支障をきたすだろう。おまけに横道から入ってくる車もある。

 交通安全への取組は4年生。その子たちにどうなげかけたら、子どもからそれを問題にする声が出てくるかな。

 いやあ。これは無理だな。このような道は通学路にしていないからね、それに保護者だって、《行っちゃだめ》って言っているだろう。

 ここはビデオなどに撮影して、危険な実態を見せる必要がありそうだ。

 一つ、手掛かりは、前述のガードレールかな。すれ違う車とそれが通り過ぎるのを待つ通行人の様子もビデオにとれればいいだろう。その上で、
 《通る人が危ないじゃないか。ずっとガードレールをつなげればいいのに。》
 そう子どもが言ってくれたらしめたものだ。

 それなら交通安全への配慮はまったくないか。いや、それはある。前述の、横道から入ってくる車のためのカーブミラーはけっこうあるのだ。

 よし。カーブミラーの数を数えてみよう。

 いやあ、ある。ある。わずか100メートルで6個を数えた。

 これはいい。ビデオ収録はもちろんだが、ミラーの位置を絵地図に位置付けて学習を進めると効果的だろう。

 以前も記事に書かせていただいたが、社会事象を取り上げるにあたっては、《見えるものから見えないものへ》が鉄則だ。言い方を変えれば、具体物から抽象的な概念へということだね。

 この場合、《見えるもの》とは、思うように歩けない歩行者の状況、カーブミラーなどだ。そして、《見えないもの》とは、交通安全への願いということになるだろう。


 その3 D小学校の通学路の一つは、コンビニの前を通る。ここにはコンビニの駐車場もある。

 おもしろいことに気づいた。登下校。ふつうなら歩道をまっすぐ通るはずなのに、ここでは、わざわざお店の方に向かい、駐車場とお店の間を通っていく。

 初め驚いた。《ええっ。あんな大勢でお店に入るのかい。登校中なのに。》でも、そうではなかった。

 なるほど。これなら、駐車場に入る車にぶつかることはない。安全に通学できる。それに車だって子どもたちが通り過ぎるのを待つ必要はないから、いいよね。

 驚いた後は、いたく感心してしまった。

 でも、でも・・・だ。感心した後は、新たな疑問がわいてくる。

 間違いなくここは私有地だろう。私有地が通学路か。お店はよく許可したな。

 学校で副校長に聞いた。
「そうなんですよ。ふつうは道沿いを歩くのでしょうが、それだと店に出入りする車とぶつかりますからね。危ないですよね。コンビニにお願いしたら、快く承知してくれました。」
「それはよかったですね。でも、一つ、気がかりなことがあるのですよ。今はすごく暑いでしょう。勝手にお店に入って涼んでいくような子はいませんか。」
「ああ。それはいないと思いますよ。見たことも聞いたことありません。」

 これはいい。交通安全への取組の観点からぜひ取り上げたい。ただし、子どもは入学のときからそのように通っているから不思議がらないだろう。だから、工夫が必要だね。どういう学習の流れにしたらいいかな。

 そして、取り上げた場合、ねらいとしては、この取組が、お店の方の好意と願い、また、子どもたちのマナーの良さとによって成り立っていることに気づかせたい。


 その4 E小学校は横浜ではめずらしいくらい緑に囲まれた学校だ。転勤当初は自然がいっぱいでいい環境だなあと思った。

 しかし、よく見ると何か違う。大きな樹木もあるが、自然という感じがあまりしない。どこも人間の手が色濃く加わっているようだ。

 低学年の先生から聞いた。
「そうなんですよ。この辺りは植木屋さんが多いんです。ですから、子どもが自由に入れるような自然ではないんです。学習には向かないですよね。」

 でも、通勤の道をちょっと変えてみたら、《あらっ。これはいいなあ。》と思うものを見つけた。

 ある一角に来ると、植木がおもしろいのだ。ミッキーマウスだったり、ゾウさんだったり・・・、あらあ、キリンさんまである。子どもが好みそうな形に刈り込まれている。これは、《わたしにはこういう技がありますよ。》とばかり、売り込んでいるのであろう。

 こういう技術をもった方は、たぶん子ども好きなのではないかな。少なくとも、取材させていただく価値はありそうだ。

 これは社会科ではないね。2年生の生活科には、子どもの周りにいて子どもと豊かにふれ合う地域の方との交流がある。そうしたつながりを通して、地域への愛着をもつことが期待できる。それには格好の教材となるのではないか。そう思って、低学年の先生に話させてもらった。


 その5 この話題は、横浜の特性をしめしている。

 わたしは、F小学校に勤務した2か月後、帰りの通勤経路を変えた。それは地形と深くかかわる。G駅とF小学校はどちらも高台にあるが、途中、急な登り降りが複数回ある。しかし、隣のH駅は低地にあるので、帰りなら降る一方となる。ちょっと遠くなるが体が楽なのだ。

 こういう事例は、子どもの生活にもあるのではないか。地形によって生活の仕方を変えるような・・・。放課後、自転車に乗る子は多いと思うが、どうだろう。

 ああ。おうちの人の買い物もそうだね。住宅地は高台、商店街は低地という例は多いだろう。そうなると、帰りは重い荷物をもって登っていくことになる。

 坂が多い横浜においては、子ども、家族、地域の皆さんの生活に様々な影響を与えているのではないか。

 車、電動アシスト自転車の利用などと関係づけながら、地形や土地利用、交通機関などを押さえていけばいい。


 その6 先ほど、《横浜の特性》と書かせていただいた。そう。わたしが勤務した学校は、現職、退職後、併せて19校となるが、それに限っても、

 学区がすべて平地 4校
 学校は平地にあるが、学区には高台もある 3校
 学校が高台にある 12校

となる。圧倒的に高台が多い。

 では、数は少ないものの、平地ばかりの学校ではどのような学習が考えられるか。

 一つの事例を紹介させていただこう。

 授業の流れの中で、Gさんが突然大声を上げた。3年生だ。
「ええっ。川って、海につながっているの。」
学区には大きな川が流れている。河口も近い。だから、この発言には驚いた。

 でもね。わたしが子どものつもりになって考えてみると、驚くのも無理はないなと思った。

・先ほど、大きな川が流れると書いたが、見た感じ、いつも流れているようには見えない。川の水はただたまっているだけに見える。
・河口は距離的には近いが、そこは工場地帯の真っただ中だ。だから、とても子どもが見に行けるところではない。

 この驚きは、少なからず子どもたちの共感を得た。それで、絵地図で確認はしたものの、せっかくだから、学校から工場に見学のお願いをしてもらった。これも快く許可してくださり、河口の見学をすることができた。海に注いでいるところを見ることができた。

 ただやっぱり、海も川もただたまっているようにしか見えなかったけれどね。《ここまでが川、向こうが海》と、説明しなければならなかった。

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 ninki


 多くの教科が、教科書をよりどころとして授業をしています。でも、社会科の場合、教科書は一つの参考事例に過ぎません。いや。そうなる学習が多いです。

 ですから、学習指導要領を頭に入れ、その目から地域を見つめ、何を学習内容とするかは、学校が決めなければなりません。
 そこが、少なからず、《社会科はむずかしい。》と言わせる要因となっているのでしょう。逆に言えば、比較的、発見力、創造力、構想力などを要求され、それだけやりがいがあるのです。

 もう一つ、地域に住む子どもの実態を把握しなければいけません。

 あらかじめ、家庭にアンケートを取り、協力をいただくこともありますが、それよりもっと大事なのは、子どもから偶然知りうる情報です。
 「先生。お父さんがね〜。お母さんがね〜。」などとさりげなく話す内容には、それだけ子どもに言いたい思いがあるわけで、多くの子どもたちに共感を呼んだり切実な思いを誘ったりする可能性も高いです。そうであれば、ぜひ導入に使ったり、学習内容にしたりしたいものです。

 ただし、たとえ子どもといえども、個人情報は大事にしないといけません。

 生活科には家庭生活の学習がありますし、社会科においても、家族の買い物日記など、個人情報にかかわる学習内容は少なからずあります。

 家庭と連携し、理解をいただきながら、進めていきたいものです。

rve83253 at 10:35|PermalinkComments(0)教育観 | 社会科指導

2017年06月28日

問題解決学習のtoshi的考察(4)

IMAG2868 本シリーズは(3)をもって終えるつもりでいた。しかし、小6の母さんやHidekiさんからいただいたコメントが、《ああ。まだ書けるな。》と思わせてくださり、本記事となった。

 わたしはこれまで、問題解決学習というと、子どもたちが白熱した話し合いを展開する、そんな躍動的な授業を中心に紹介させていただいたように思う。想いが対立するなかで多様な想い、考えが出て、その後、資料などによって解決していくといった感じだ。

 そのなかで、自己の想いの修正を余儀なくされたり、解決するそばから新たな学習問題が生まれたりする姿も紹介させていただいた。

 そんな授業での指導者の役割は、意欲的な発言を支えたり、流れを分かりやすくしたりして、できる限り子ども自身の力で問題解決するように仕向けていく。さらにはどんな調べ方をしたらいいか、何を問題として取り上げたらいいか、そんな学び方にかかわることも子どもから出てくるように工夫を凝らすことだ。

 そして、真理を愛する子ども。さらに、それが獲得できたときの充実感、喜びを味わわせることのできる授業を目指した。

 ところで、それを味わわせるには、いつも話し合いが白熱していないとダメというわけではないだろう。学習内容によっては、深く静かに・・・、ときには沈思黙考を余儀なくされることもある。

 たとえば、公害病。戦争。地球温暖化などがテーマのときだね。そんなとき、沈痛な表情を浮かべ、苦悩に満ちた発言となることも多い。

 また、そんな深刻でなくても・・・実は本記事ではそうした授業を取り上げるのだが・・・、しっとりとした味わいのある授業もある。

 そんな視点から、これまでとはちょっと違った趣の授業に迫ってみたい。

 と申しても、その授業はすでに紹介させていただいた。早いもので、もう一年前になる。オバマ米前大統領が広島を訪問されたときの記事だ。もっとも授業そのものは、20年近くも前のものだけれどね。

 校長時代、わたしは卒業式が近づくと、卒業を記念しての道徳の授業を行うのを恒例とした。ある年とり上げた教材文は・・・、そう。原爆が投下された広島を舞台とした話だった。

本リンク先記事は、オバマ演説から書き出し、教材文も全文、掲載させていただいているので、かなり長くなるがよろしくお願いしたい。
なお、一応リンク先記事を開かなくても、意は通じるように書き進めたいと思うが、どうだろうか。もし無理なようだったらごめんなさい。開いてください。

また、最後は授業から離れ、小6の母さんやHidekiさんからいただいたコメントにもふれてみたい。

 それでは、どうぞ。

  オバマ演説から、かつての道徳の授業を思う(再改訂版) 〜母さんの歌全文掲載〜

 繰り返しとなるが、この授業は、子どもが対立したり、反論や賛成意見が渦巻いたりして白熱する授業とはかなり趣を異にする。しかし、子どもが想いを出し合い、それによって想いを深め、感じ取り・・・、学級の友達みんなと話し合うことによって・・・、そう、おうちでは一人で考え、感じ、味わうことになるが・・・、せっかく学級のみんなが一つになり学んでいるのだ。それなら、想い、考えを交流することによって、一人では到底到達しえないところまで学びを深めたいものだ。

 ところで、このリンク先の授業記録では、わたしの言葉は書いていないのだが、もとより何も言わなかったわけではない。

 何を言ったか。ふつうあるような発問はしていない。わたしの投げかけは、最初に、
「さあ。これから配るお話を読んで、みんながどのような感想をもつか。それを自由に言ってください。楽しみにしています。」
そのようなことを言ったに過ぎない。

 そして後は、記事にも書かせていただいたが、不明に思う子どもの発言内容を問いただしたり、一人の発言を別な子の発言に関係づけたり、深めるきっかけになった発言を賞賛したり・・・、そんな言葉かけをしたに過ぎない。

 開かれた授業。子どもにとっては自由に感じたまま発言できる授業。
 
 また最後も・・・、

 子どもたちの発言がすばらしかったから、教訓じみた言葉は不要だった。ただ、
「皆さんの発言のすばらしさに心打たれました。最後の方の発言にあったように、中学校へ行っても、《お母さんの心》をもち続けてくれるものと、大いに期待しています。」
などと言ったに過ぎない。

 そのくらい子どもたちは、よく読み、感じ、道徳的な心情を養ってくれた。

 それでは、授業の流れとその考察に入らせていただきます。

 初めは、原爆投下で悲惨な目にあいながらも、避難し続ける人々とその人々を守ろうとするくすのきに思いを寄せての発言が続く。悲しい、つらい、忘れられないなどといったたぐいの発言が続く。

 途中、くすのきがうれしかったという表現があり、それが少し子どもたちの心を波立たせるが、《くすのきは、体をふるわせていました。》なる文章に着目、その瞬間だけの母子の姿にうれしさは感じても、大変な悲劇の中で、いや、悲劇の中だったからこそ感じることのできたうれしさというとらえで元に戻る。

 その瞬間だけの母子とは・・・、

 幼い坊やも原爆にあい、焼けただれたまま肉親ともはぐれ、『お母さん、お母さん』と泣き叫んでいる。その姿を見た、これも避難してきた女学生が、見知らぬ幼児のお母さんになってあげる。そして幼児を抱いたまま二人とも亡くなっていくという・・・、

くすのきのちょっとしたうれしさというのは、お母さんの心になった女学生のやさしさにふれたからだった。

 そして、子どもたちは続ける。

 女学生のやさしさが、くすのきだってやさしいという思いにつながり・・・、

 さらには、女学生も坊やのお母さんになってあげたことで、独りぼっちではなくなった。死んでいくにもかかわらず、少しは幸せ感もあったのではないかという発言へとつながっていく。

 そして、教材文に書かれている《お母さんの心》なる言葉に、女学生やくすのきの心が収れんされていく。

 ああ。先ほど、《一人で考え、感じ、味わうことも大事だが・・・》と書かせていただいた。

 そう。繰り返しになるが、

一人で読んでも思考をめぐらせ、感性を育むことはできる。でも、みんなで考え合い、感じ合い・・・、それであればさらに、一人では到底到達しえなかったところまで、思考をめぐらせたり感じ合ったりすることができる。

 そして、それはさらに・・・、

時として、一人の指導者の想いをも超えてしまうのだ。本授業で言えば、《女学生も坊やのお母さんになってあげたことで、独りぼっちではなくなった。死んでいくにもかかわらず、少しは幸せ感もあったのではないか。》
などという想い。これはもう、指導者たるわたしの想いを超えていたとしか言いようがない。それほどすばらしかった。

 今、わたしは実感している。指導者が発問を繰り返していたら、子どももそのはんちゅうでしか気づくことができず、またとらえられず・・・、指導者を超えるなどということはまずないのではないかと。
 
 そして、本授業の最後・・・、この授業は6年生の卒業を前にしての授業なのだが・・・、中学校へ進学するにあたっての自分たちの想いへと話を進めていく。そうか。想いというよりも、自分自身のこれからの生き方にひびくような発言だね。

 こうした授業の流れを振り返ると、どの発言も、それより前の友達の発言を聴き、それをよりどころとして思い浮かんだことを発言しているのに気づく。想いはあくまで一人一人だけれど、互いに刺激し合い、影響を受け合って、その想いを深めていくのだ。

 ここにこそ、学級の存在意義がある。友達のおかげで共同思考が成立している。そして、共に学び、思いを交流させてこそ深め得たのだという喜び、満足感、充実感をももつことができる。

 そう。本授業の最後の子どもの発言。
「このお話を小学校生活の最後にみんなと一緒に学んだことは忘れないようにしたい。」
なる発言が端的にそれを示している。
 
 さらにもう一つ。これは逆に、卒業期に至ってもなお、子どもたちにとっての問題解決学習は発達途上であることを示す事例だが・・・、

 授業終了後、わたしのところにやってきたEさんだ。

 Eさんは友達の発言を聞いているうちに、友達の想いに納得し、共感し、共有できるようになった。しかし、共有できたら・・・、《さっきまで発言しようと思っていたことは、どうでもいいこと。それよりもっともっと大事なことがあるのだな。》という想いをもつに至り、それで発言できなくなってしまったのだね。

 でも、Eさんには、言わずにはいられない思いはあった。だからこそ、わたしのところへ来たのだろうが、

わたしの《今、わたしに言ったように、その言葉をそのまま発言してくれればよかったな。》の言葉で、目が開かれたと思われる。《そうかといったように、ハッとした表情を見せて、ちょっと笑みをもらしてくれた。》のだからね。

そう。変容自体、すばらしいのだ。だから、《友達のおかげで、このように思いが変わった、深まった。》という趣旨の発言をすればよかったのだ。

 以後そうした発言もできるようになったのではないかな。 

 一時間、一時間の授業。それは子どもの成長のためにある。そして、このEさんの変容、深まり。これも一つの成長と言える。その成長を自身で感じ取る力。これも大事な、大事な学力だ。


 それでは、小6の母さん、 Hidekiさんからいただいたコメントにふれさせていただこう。

 小6の母さんからいただいたコメントには、《集団は、思考に必要な集中力のパワーを高めるのではないか》とあった。

 まったくその通りだと思う。ここまで述べてきたとおりだ。

 そして、これは担任の日々の努力があってこそだろう。一日にしてこんな話し合い、深め合いができるようになるなどとは思えない。時には激しく議論し、ときには沈黙の中で自分の想いをふくらませる。そうした子どもを養う日々の営みがあってこそだ。

 まだある。やはりより多くの子が発言できる雰囲気。これも担任の日々の努力の結果だろう。より多くの子が発言してこそ、学びはみんなのものになる。いろいろな力の子がいるのだ。一部の力のある子だけで話し合いが進めば、どうしても話し合いはむずかしくなってしまう。それではついていけない子もでてきてしまうだろう。

 こうした担任の努力によって、集中力のパワーが高まるのだ。

 わたしたち、問題解決学習を標榜するものは、よく、《問題解決なき問題解決学習も可》という。

 子どもから多様な考え、想いが出る。それらはどれも尊いものだ。価値あるものだ。だから、無理して一つにまとめる必要はない。

 そして、友達の想い、考えを理解し、《ああ。自分とは違うが、そんな考えもあるなあ。》と感じる力も大切だ。また、それを自己の想い、考えに取り込むこともあっていい。それによって、見方、感じ方の幅が広がる。

 ああ。これはHidekiさんと思いを共有することになるが、今の日本の大人社会はどうだろう。

 日本は言論の自由が保障されているのに、ほんとうに自由かな。内なる意識で不自由にしてしまっていることはないかな。自己規制、自己抑制。それが行き過ぎて、自分自身がそれに気づかない。自己を発揮するのは悪かのように思ってしまっている。あるいは、思わせてしまっている。

 これは、幼少期からの自己表現、自己実現になれていないからではないか。経験が乏しいからではないか。場合によっては、自分を出すことは悪かのように思わせられてしまっていることもありそうだ。だから、幼いうちから他に合わせることしか眼中にない。

 そう。小6の母さんがおっしゃる多数決。これも同じだね。気づかないまま長いものに巻かれてしまっている。

 そこに学校教育の責任はないだろうか。授業はどうだろう。子どもの自己表現を大事にしているだろうか。

 小6の母さんがふれてくださっている。

 《どの授業も先生が必要な場面で意見を沢山出して、先生が正解に近い意見をまとめたり、拾い上げたり、こんなに沢山出ましたね、で進んでいきます。
 1つの問題を深く意見交換していく場面は、見た事がありません。》

 ああ。小学校学習指導要領には、「主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」とあるのだけれどね。

 

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 今、アクティブラーニングがいろいろとりざたされています。日本語では能動的な学習と言われているようですね。受け身の学びではなく、子ども自らが積極的、意欲的に学ぶということでしょう。その意味では問題解決学習と軌を一にすると言っていいかもしれません。

 しかし、現状言われているところを見ると、似て非なる部分もありそうです。それは、どうも単なる指導法の問題ととらえているからではないかと思います。

・ほんとうに子どもが自ら解決したいという思いを尊重しているか。養っているか。
・毎時間は無理としても、子どもが生み出す学習問題を大事にしているか。
・知識・技能も大事だが、学び方、生き方にかかわる学習内容も大事にしているか。


rve83253 at 17:14|PermalinkComments(6)問題解決学習 | 教育観

2017年06月03日

昨日、横浜は開港記念日、市民の愛唱歌、横浜市歌

iriumi 初めにお詫びをしなければなりません。《問題解決学習のtoshi的考察》は、その4を予定していますが、大変手間取っており、そろそろ記事にさせていただく予定ですが、もうしばらくお待ちください。

 ところで、昨日6月2日は横浜市のお祝いの日。横浜開港を祝う日である。市内公立小中学校は休日となる。

 もしかしたら、他地域の方は『港を祝うなんて。』といぶかしく思われるかもしれないね。しかし、横浜にとっては・・・、

 約160年前まで一寒村に過ぎなかった横浜だ。地名としての横浜は古くからあったが、それまでは横浜村と・・・、そう。村だったのだ。

 冒頭の入海の絵図を参照していただくと・・・、左下から砂州が延びているのが分かる。その付け根あたり、今の元町、駅で言えば石川町駅あたりが横浜と言われたに過ぎない。

 なぜ横浜と言われるようになったか。それは、絵図をご覧いただければ、ご想像いただけるだろう。京都府に天橋立なる有名な観光地があるが、それに似た砂州があったのだ。

 余談だが、わたしは子どもに話したことがある。
「この入海は釣り鐘型と言われた。それでこのころは、北を上にするという常識はなかったから、釣り鐘に見合う形に絵図がかかれた。だから、砂州は横に伸びているね。
 でも、当時から北が上という常識があれば、砂州は下から上に伸びることになる。そうすると、よこはまではないね。」
「ほんとうだ。たてはまじゃん。」
「いやだあ。たてはまなんて。よこはまの方がいい。」
みんな大笑いだった。

 この入海の大半は、四代将軍家綱のときに、江戸の材木商吉田勘兵衛の財力と周りの村々の村人たちの手によって埋め立てられ、吉田新田となった。これが幕末の横浜開港に大きく貢献したといっていい。

 もし入海のままだったら、この砂州の部分だけでは、とうてい外国とお付き合い目的の港など開くことはできなかっただろう。

 横浜開港に直接的に寄与したのは、幕末の大老、井伊直弼である。諸外国との間に修好通商条約を締結し、貿易を開始した。

 これも余談だが、横浜開港の恩人ということで、港が見える掃部山(かもんやま)公園に井伊直弼の銅像がある。
・太平洋戦争の折、金属供出ということで、この直弼像もなくなった時期があった。
・かつては港が一望できたが、今は、ランドマークタワーはじめ、高層ビルが立ち並び、まったく港は見えなくなってしまった。
・わたしのかつての勤務校では、6年歴史の単元に《井伊直弼と横浜開港》なる単元を組み、横浜開港を通して幕末・明治維新へとつなげる指導計画を作成・実践した。

 横浜浮世絵なるものがある。検索をかけていただければ、あれよ、あれよ。いっぱい出てくるだろう。当時の港、町のにぎわい、外国人の生活、文明開化の様子など、社会科の資料としては、たまらないほど魅力がある。

 これは、歌川広重の子どもだったかな。それも含め多くの浮世絵師が、魅力的な横浜にやってきては競って描き上げた。極めて短期間にすすめられた異様な(?)街づくりは好奇の的となり、格好の題材となった。

 さて、ここで話を大きくかえさせていただく。

 横浜には、市民に親しまれた横浜市歌なる歌がある。開港記念日にあたり、各校は開港記念にかかわる学校行事を行うが、そこではこの市歌を歌うのが恒例となっている。

 今回この記事を書くにあたり、ネットで市町村歌について調べてみたが、けっこう多くの市町村に歌はあるようだ。しかし、横浜市歌には際立った特徴が2つある。

・1909年(明治42年)の開港50周年記念の折、市民に披露されたとのこと。作詞はなんと森鴎外氏である(作詞者名は本名の森林太郎)。もう百年を優に経過した。現存し、市民に親しまれている歌としては、一番古いとのこと。

・文語調で一見とっつきにくいと思われる歌詞だが、ネットでも市民の評判はいいようだ。「なつかしい。」が多かったが、「今も歌えるのでびっくりした。」「歌っていたら涙が出てきた。」などという声もあった。

 娘も今は横浜市民ではないが、《完璧に歌えますよ。》と自信たっぷりのメールが届いた。

 わたしが歌えるのは当たり前だけれどね。子どものとき、多くの小学校にはまだ校歌がなかったから、儀式というと必ず市歌を歌っていた。また、教員になってからも折々に歌う学校が多かった。

 何年前だろう。市教委から卒業式などの儀式では必ず歌うようにという通達があった。

 さて、その歌詞だが、冒頭は直接的には横浜でなく、日本のお国柄、特に貿易立国であることを歌い、続けて、かつて一寒村に過ぎなかったころと、現在(明治末期から現在に至るまで)の港の繁栄ぶりとを対比した形となっている。軍国調でないことも長持ちしている理由・・・かな。

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 冒頭の絵図の入海はかなり大きくて、今の横浜市営地下鉄では、吉野町、阪東橋、伊勢佐木長者町、関内、桜木町の5つの駅が入ります。また2つの川に囲まれていますので、航空写真や地図でも、釣り鐘型を確かめることができます。

 砂州の部分は、桜木町から石川町まで、どこから海へ向かっても、緩やかな登りとなりますので、歩いていて分かります。

 拙ブログでは、かつて本記事、特に横浜にかかわる記事を2つほど書かせていただいたことがあります。今、それにリンクしますね。よろしかったらご覧ください。

 旧東海道を歩く。(2)
 諸外国と結んだ修好通商条約には、開港場として、横浜でなく、神奈川と書かれていました。その間のごたごたに少しふれています。

 あけましておめでとうございます。
 横浜の歴史、はまっこ気質など、横浜の紹介といっていいような記事です。

rve83253 at 14:13|PermalinkComments(15)TrackBack(0)エッセイ | むかし