2017年04月02日

問題解決学習のtoshi的考察(3)

tako2 拙ブログでは近年、恒例になっていることがある。右サイドバーに《人気記事(過去15日分)ベスト20》を掲載しているが、年度末になると必ず《卒業式の式辞》が1位となるのだ。さらに今年は、なんと読者数が一時期2,000を超えたことがある。ありがたく感謝している。

 この記事、もうずいぶんむかしになってしまった。掲載してから早10年。式辞のときからでも20年を超えた。ああ。光陰矢の如し・・・か。

 今、あらためて読み返す。特に印象に残っているのは・・・、

 わたしは卒業式が近づくと、6年生の教室で卒業記念の授業を行わせてもらった。この年は道徳だったが、特に印象に残る子どもの発言があった。わたしの、
「中学生になろうとしている今、もっとも大切にしているものは何ですか。また、その理由は何ですか。」
という問いかけに対して、
「友達の個性です。」
と言った子がいたのだ。

 友達の個性を大切にするというのは、
・友達のあるがままを受け入れ、尊重する。
・自分とは違うタイプの友達の言動であっても、なぜそう言うのか、なぜそう行動するのかなど、人間探求の心で接する。
ということではなかったか。

 この年、卒業生の多くはそんな姿をふんだんに見せていた。何より自閉症の同級生をも包み込み、ダメなことはダメとしながらも、豊かに心通わすやさしさをもっていた。

 もう一つ、別な記事も紹介させていただきたい。《差別に気づき、差別と向き合い、差別を許さない授業の実践》である。

 これは、わたしが他校で見せていただいたのだが、学級づくりと社会科の学習とを《差別》をテーマに一体化させた実践だった。

 学級内にボス的なふるまいの子がいた。リンク先記事ではEさんだ。そのEさんが差別の学習で、差別する人の心情、される人の心情を学ぶなかで、それが学級で自分がやっていることに重なり合っていることに気づく。
 自分も学級内で友達を差別しているのではないか。『友達に一方的に命令したり言うことを聞かせようとしたりするのはいけない。』と思うようになった。

 それにつれ、学級内にも変化が生まれる。それまでEさんの発言に対してはおとなしかった子どもたちが、徐々にEさんの主張に言葉をさしはさむようになった。さらに、反対意見も言うようになった。Eさんの変容と学級の変容は相互に作用した。同時進行だった。
 
 このように問題解決学習は、一人一人の内面に好ましい変容をもたらし、生き方にひびいていく学習である。単なる指導法の一つととらえる向きもあるが、そんな単純ではない。授業が、学級内の好ましい人間関係構築と一体化しているのだ。

 自分を大切にする。それが友達を大切にすることにつながる。友達を大切にすることが学びの価値を深め合うことにつながる。相互に作用し合い、一体となって子どもを育んでいくのである。

 双方ともくわしくは過去記事をお読みいただきたいが・・・、

○Aさんの変容

 まずは本シリーズ(1)の事例をとり上げてみよう。

 ここに登場するAさんはおとなしい子だ。とてもこんな、物議をかもしそうなことを言う子とは思えなかった。だって開発単元の導入なのに、その開発に真っ向から反対するのだもの。かなり大きな声で、言わずにはいられないといった感じだった。おとなしい子だけに、勇気ある発言だった・・・かな。

 案の定みんなから反論された。『ええっ。なんでえ。Aさんは開発しなくていいって思うの。』というわけだ。

 さあ、この反論、対立についてだが・・・、こういうとき、どうだろう。ともすると、指導者は避けさせる傾向がありはしないか。批判される子がかわいそうだと思う。勢いきれいごとに終始してしまう。《他に》《つけたし》ばかりで意見の羅列になりがちだ。これだと、学習が平板になってしまう。

 Aさんのクラスの場合意見の対立があり、孤立無援にみえるときがあっても、《かわいそう》という雰囲気にはならない。互いの思いをぶつけ合いながらも、そこには温かさを感じさせるものがある。担任のBさんには、《意見が対立して議論し合っても、それによって友達理解が進むので、かえって仲良しになる。》といった考えがある。

 また、上記、《友達の個性を大切に》にもつながる。この場合は、友達の発言を大切にとなるか。反対意見を言ったり、友達の考えを批判したりしたとしても、相手の思いはあくまで尊重する。

 わたしも、それを側面から支援する。記事にも書いたが、再掲させていただくと、
「(みんなは、Aさんの考えに反対のようだけれど、)誰か、Aさんの気持ちになってAさんがなぜそう思ったか、そのわけを想像できる子はいるかな。」
と投げかけるのだ。

 そう。自分とは違っても、友達の心の内を想像する。これは洞察力を養うことにつながる。冒頭述べた人間探求の心にも通じる。また、多様性の理解(間違いは正さなければいけないが、違いは尊重しなければいけない。)でもある。

・自分と違った考え方だが、Aさんはなぜそのように考えるのだろう。友達の考えを知ることはとても興味深い。いろいろ考えがあるのだと想像することはおもしろいし、楽しい。そして、自身の成長を感じる。
・どの考えが正解でどの考えが間違いというものではないね。いろいろな考えがあっていいのだ。
・どの考えも尊重しなければいけない。自分とは違う友達の考えであっても大切にする。だから、友達もわたしの考えを大切にしてくれる。

 こうしたことは、社会科のねらいに迫るうえで大事だが、それだけではない。授業を離れ学級生活全般においても、《友達の個性を大切に》することになる。
 
○思考力の育みと知識の習得は同時進行で、

 『まずは知識の習得だ。知識が乏しいところで思考は成り立たない。』そういう大人は多い。教育に携わる者でもそうだ。しかし、それは違うのではないか。

 江戸時代の開発の学習だが、上記、Aさんは、現代の環境問題をベースに考えている。江戸時代をまだ知らないのだから、思考は現代の常識でしかはたらかない。当然未熟だし、間違った基盤で思考しているともいえる。

 それでは、その思考はダメなのか。正しい知識がないまま考えても意味ないのか。

 そんなことはないはずだ。今、まさに発展途上にある子どもだもの。友達と意見を戦わせ、反論されたり、支持されたりしながら、思考を鍛え知識を身につけていく。

 Aさんは聞く一方になることが多かったが、自分が開発不要論をぶったこともあり、友達の話を真剣に聞いていた。そして、まったくの寒村であった横浜、すべて手作業による工事など、江戸時代の開発の様相をとらえるにつれ、当時の開発についてだんだん的を射た思考をはたらかせるようになっていった。

 そう。だから、思考と知識の習得は車の両輪。同時進行で養っていくのだ。一体となったり相互に作用し合ったりしながら、当初の思考を修正、深化されていく。Aさんも、本単元の終末時においては、江戸時代の開発容認へと考えを変えていくことになる。

○学習意欲の喚起へ

 こうした学びは学習意欲を喚起する。お仕着せでなく自分自身で考えているからだろう。子どもたちが生み出した学習問題。それを解決すべく多様な考えでもみ合う。それが、学びに切実感をもたせ、自分の考えの根拠づけを求める。そして、ストンと胸に落ちる理解へとつながる。

 これは問題解決学習の醍醐味といえるのではないか。指導者による一方的な教え込みでは、こんなダイナミックに思考が展開することはないだろう。大部分の子は、受け身の学びゆえ、覚えることばかりで、思考の展開など望むべくもない。

 自ら学ぼうとする意志があって、初めて思考をはたらかせるのだ。そのために、子どもが抱く、《ええっ。どうして。》《おかしいよ。変だよ。》の思いを大切にしていく。これは学習の起爆剤だ。

 指導者は、間違っても《何変なこと言っているの。》といった態度をとったり、無視したりしてはならない。そんなことをしたら、子どもの意欲は萎えてしまい、発言もしなくなるだろう。

○学びの態度、質の向上

 先にもふれたが、こうして学ぶ子は、簡単に納得しない。それは、本シリーズ(2)に表れているだろう。工場がはき出すばい煙や廃液を市民が誇りとしていることについて、指導書では高度経済成長の象徴といった趣旨の説明が載っているが、子どもは、《そんなのおかしい。死者まで出ているのに、なんで誇りなんだ。》と怒りにも似た気持ちをもつに至る。

 それでわたしに授業の依頼があったわけだが、わたしの授業で納得したかどうかは分からない。そのくらい深く追求しようとする子どもたちだ。《ええっ。なんでえ。》《おかしいよ。変だよ。》という心情には旺盛なものがある。
tako1 
 ちょっと離れてしまうが・・・、わたしには楽しい記憶がある。まだ30代そこそこのころだった。わたしは修行中だったといっていい。Cさんという子がいた。
「toshi先生は、ぼくたちに〜って言ってほしいみたいなんだけど、ぼくはそう思わないのであって、〜。」
そう前置きして意見を言い始めたのだ。これは研究授業で、後ろには大学教授なども見ていらしたが、その方が実に楽しそうに笑みを浮かべていた。あとで、
「toshiさんはすごい子どもを育てているではないか。教師の胸の内までちゃんとお見通しだ。」

 そう。まだまだ修行が足りなかった時期だ。子どもの反応のいちいちに、《おっ。いいぞ。》《うわあ。こまったなあ。》など、顔に出していたのだろう。これだと、指導者の顔色を見て発言する子を育ててしまいがちだが、このCさんの場合は、そんなことを超越し、しっかり生きる力を育んでいるし、自立していたともいえそうだ。

 子どもの育ちはまだある。よく、《問題解決学習ははい回る。子どもたちはどうでもいいことに熱中して時間をとってしまい、そのため、大事なねらいがぼやけてしまうことが多い。》などと言われるが、我がクラスのDさんは、途中まで言いかけて言いよどみ、
「うん。今、問題になっていることについて、ぼくはEさんに賛成で、〜と思っていたの。それでその意見を言おうと思っていたのだけれどね。
 でもね。今のFさんの発言を聞いていたら、そんなことはどうでもいいと思うようになって、やっぱりFさんが言うことのほうが大事だからね。
 みんなはFさんは場違いで話題に合わないことを言っていると思ったようだけど、ぼくは、話をFさんの言う方に変えたほうがいいと思う。だって、〜。」

 うん。もう、40年近くもむかしのことだ。はい回る話し合いを子ども自らがただし、価値ある学習へと流れを変えてくれた。何の話し合いをしていたかは忘れたが、こうした子どもの育ちにかかわることは、特に印象深く覚えている。

 こうした学力は、大人になって仕事をするうえでも、特に大事になると言っていいだろう。大人になっても生きてはたらく学力を養っていることになる。

 40年近く前の話をまだまだ続ける。

 子どもたちが意欲的に学ぶようになると、当然発言も多くなる。35人以上もいる学級で、ほとんどの子が発言するようになると、一人はせいぜい2回までだろう。そうなると、だんだん自分の出場(でば)をわきまえるようになっていく。
「今はまだ単なる資料の読み取りだ。手を上げても、先生は指してくれないだろう。」
「おっ。やっと互いの思いを出し合うようになった。今なら指してくれるのではないか。言いたい。」
「今はまだ資料の読み取りだから簡単。今のうちに手を挙げて言っておかないと、後ではもうぼくの出番はない。よし。手を上げよう。」
など。

 発言以外でも、それぞれが自分の得意分野を自覚し、学級の中で自然に役割が決まっていく。なんでも得意な子もいるが、多くはそうではない。

・街へ出て資料収集するのが好きで得意な子。しかし、集めた資料はほったらかし。
・自分は街へ出るのはおっくうで嫌だが、友達が集めた資料を整理、グラフ化するなどということは好きで得意。
・友達が作った資料を基に、いろいろ考察するのが好きだ。

など、それぞれが得意分野で活躍していく。そして、協力体制が充実してくるにつれ、得意分野はだんだん広がり、なんでもやり遂げるようになる子もふえる。

 また、次のようなこともある。

 我が強く言い張る子、かたくなで自説を変えない子がいると、問題解決学習は暗礁に乗り上げる。当面困った存在となる。勢い、指導者は強権発動となりがちだ。わたしにもそうした苦い経験はある。

 資料などにより、《ああ。そうか。なるほど。分かったよ。》というように、多くは納得しているのに、こういうタイプの子は特別な場合を持ち出し、自説を変えない。まわりの子たちも、《あきれた。もうやめたら。》といった顔をしている。

 こういう子には、お説教をしてもかたくなさは消えないだろう。それどころか、ますます意固地になる場合も多い。

 こういうのって、友達の力が大きいのだよね。友達の受容的な姿勢。学級の雰囲気の盛り上がり。それが力を発揮する。前述の事例、ボス的にふるまっていたEさんの事例など、《差別》という学習内容の理解と友達の力によって、見事に変容していった例と言えよう。

 問題解決学習により育った学級の雰囲気。その一例だが、

 友達の意見に、資料に、心から納得できれば、素直に自分の思い、意見を修正していく。《ああ。そうか。》《なるほど。》《よく分かったよ。》そんな言葉が教室に飛び交う。拍手が起きることもある。ストンと胸に落ちる理解を与えてくれた友達には、《ありがとう。》などと感謝の言葉が聞かれることもある。

○まとめはいらない。

 初任者に限らずだろう。
「授業の最後のまとめはいらないよ。」
そう言うとびっくりする。
「まとめなんかしなくても、しっかり定着するような授業を心がけなさい。」
そう。意欲的に学習していれば、まとめなどしなくても大丈夫だ。

 それよりもっと大事なことは、授業と授業の合間を大切にした終わり方をすることだ。
 授業の最後は次の学習問題が生まれている。すると、多くの子は次時の授業で活躍すべく、放課後、家庭やまち、図書館などで、様々な活動を展開するようになる。
 特に議論沸騰して授業を終えた場合などは、なおさらだ。

 まとめをしたくなる心理は、本時の学習内容が身についたか不安になるからだろう。それは指導者の心理であって、子どもは別にそんなことを必要とはしていないはずだ。だから、まとめはいらない。

 ただし、授業を進めていて、《ああ、既習内容が定着していないな。》と思うときはあるだろう。そのときこそ、振り返りのチャンスだ。
 いや、変な言い方だね。定着していないと感じたら、これは反省しなければいけないよね。でも、そんなときこそ、子どもも振り返りの必要性を感じるはずで、やればいい。

○体験を通してこそ

 これについては、先の記事にHidekiさんよりコメントを賜った。ほんとうに、体験を通すからこそ、より実感的な、体を通しての思い、考えとなる。

 もっこによる土運びの体験では、
「肩が痛くなった。登りになったらもっと重くなった。」
「かついでいたら、土の入ったかごがゆらゆら揺れたから運びにくくなって、かごのひもをもって揺れないようにしたけれど、むかしの絵を見たらちゃんとひもをもって運んでいたから、ああ、これでいいんだと思った。」
など、これも実感的な分かり方をしていることがよく分かった。

 体験を通すからこそ、むかしの仕事にはコツや慣れ、つまり経験が必要なことをとらえることができる。

 なお、先に紹介させていただいたHidekiさんのコメントの一部を転載させていただきたい。

 広く社会で仕事をしている大人のことをおっしゃっているのだと思うが、

《机上でものを考えるのではなく、かならず現場で自分の目で耳で肌で感じて考えることが大事だという、一番の考えることの原点を学ぶことにつながるからです。机上の考えで現場と遊離して大失敗した例は、それこそいっぱいありますからね。》

 先の、《放課後、家庭やまち、図書館などで、様々な活動をするはずだ。》にも言えることだが、《机上の考えで現場と遊離して大失敗》しない学習を子どものうちから経験してこそ、学校で学んだことは社会に出てからは通用しないといった学力観を排除することができる。

○偶然も必然に

 Hidekiさんの同コメントでは、タコの体験について、《たまたまかもしれないけれど》とある。確かに、本記事の写真にある《タコ》は、担任のご家族の方のやさしさから生まれたハプニングだったが、問題解決学習により、子どもが意欲的に学ぶようになると、ハプニングはつきものとなる。とにかく授業の合間に指導者の意図を離れたところで活躍するようになるのだから、予測不可能なこともふえる。

 このハプニングをいかにこちらの指導計画に取り込むか、そこにも、指導力の真価が問われることになる。

 一つ一つは偶然の所産だが、そうしたことが必ず起こるという意味では必然である。

○補足
 
 自立、自分らしさ、自己実現。その裏返しが、他人に合わせろ、空気を読めということになろうか。

 現状、日本においては、むずかしい課題だよね。そんな日本だからこそ、子どものときからの自己表現を大切にした教育が求められるのではないか。問題解決学習が現代的な意味で、ますます重要になっていくと思われる。

○発達障害と問題解決学習と

 最後にふれたいことがある。

 わたしは発達障害について専門的に学んだことはなかった。しかし、本記事とは別に、わたしも自閉症傾向のある子どもを担任したことはあり、その児童への対応については、試行錯誤の連続だった。

 その試行錯誤は、退職後拙ブログを始めさせていただいてから、さらに深まった。発達障害について専門的な知見をお持ちの方のブログを拝読するにつれて、それまですっきりしていた問題解決学習について、あれでよかったかという思いが生じてしまったのである。

 ここではもうだいぶ長くなってしまったのでふれないで、リンク先記事にゆだねよう。お時間のある折、ご覧いただけたら幸いである。

 わたしの問題解決学習への思いはさらに深まったといえよう。

    発達障害児と問題解決学習と、(3)

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 《学びが意欲的になる。》ということ。今年度の我が実践から楽しいエピソードを紹介させていただきましょう。

・県内の伝統的な技術を生かした工業の学習を終えた時です。お父さんに、誕生日のお祝いに何がいいと聞かれたGさん。《寄木細工の秘密箱がほしい。》と言ったそうです。お父さんは、ネット通販で購入してくれました。また、寄木細工の故郷である箱根畑宿を訪ねた家庭も複数ありました。

・吉田新田の学習を終えるころ、Hさんはご両親におねだりし、一緒に吉田新田の周り(約7劼らいか。)を一周し、埋め立ての規模を実感的にとらえました。

・また時宜を得たテレビ放送もありました。ブラタモリの横浜編です。《はまの秘密はハマにあり》。今年の正月、再放送がありました。

 関内駅の地下に江戸時代に築かれた石垣があるとのこと。わたしはまったく知りませんでした。テレビでは、幕末の横浜開港のときの街づくりのときに造られたと言っていましたが、わたしは、もっと前の吉田新田埋め立てのときの汐除堤ではないかと思いました。それで横浜市歴史博物館に問い合わせましたが、くわしくはよく分からないとのことでした。

 分からないということは、可能性としては・・・

 歴史って楽しいですね。

rve83253 at 09:55|PermalinkComments(5)TrackBack(0)問題解決学習 

2017年02月05日

問題解決学習のtoshi的考察(2)

IMAG6835 前記事で、学習問題について、ある先輩の言葉を掲載させていただいた。

『学習問題はつくるものではないでしょう。子どもたちの切実な思いによって、にじみ出るように自然に生まれるものではないですか。』
 そして、《退職した今になってこの言葉の重みを感じることがふえている。》とも述べた。

 そう。子どもの手によって自然に生まれるという、この考えと実践がないなら、それは問題解決学習とは言えないであろう。


 ある日、5年生の担任から、突然、要請を受けた。

「toshi先生。よろしかったら1時間、5年生の授業をお願いできないですか。
「ああ。いいですよ。でも、突然、何ですか。」

 5年生と聞いて、とてもなつかしくなった。一昨年度は前期に3年生、昨年度は後期に4年生といった案配で、実質1年間にわたり社会科でかかわってきた子どもたちだ。久しぶりだし、ぜひやってみたいと思った。

 だけれど、矛盾する2つの思いも抱いた。担任の話をうかがうと・・・、

 子どもたちには根性がある。簡単には納得しない。深く追求しよう、追求せずにはいられないといった心情が育っている。これはもう、うれしい限りだ。

 しかし、それと同時に、《うわあ、これは大変だ。とても1時間で済みそうな内容ではない。》


 さあ、それではその話の中身だが、こうだった。公害の学習である。

 教科書には、昭和35年(1960年)ごろのA市の空と海の写真が掲載されている。オレンジ色の煙と海といっていいだろう。ばい煙、汚水の写真だ。そして、隣のページには現在の同市の青空の写真も・・・、これは大きく掲載されている。

 そして、A市民の話として、
・小さかったころは、自然もあったが、まもなく海面にあわがたち、いやなにおいがひどくなった。
・空はけむりだらけで青空は見えなくなってしまった。
・それでも当時は、市歌で工場が出すけむりのことをほこらしげに歌っていた。
というのが載っていた。

 この、《煙を誇らしげに歌う》というのが、子どもたちにはショックだったようだ。
「公害をまき散らす煙、それが何で誇りなんだ。」
「海だって毒の廃水を流されて、B病が起きたじゃないか。」
というわけだ。

 教科書会社の指導書には、《高度経済成長期の象徴としての廃液とばい煙》という趣旨の説明が載っているが・・・、そして、担任はそういう趣旨の授業をやったが、子どもたちは納得しなかったという。それどころか、
「おかしい。体に毒なんだよ。死者まで大勢出たのだよ。それが誇りだなんて。」
というわけで、さらに怒りにも似た思いになった子もいたようだ。

 これは、担任も同じ思いだったようだ。若さを強調して、
「昭和35年ではまだわたしも生まれていないです。ずっと前です。toshi先生なら、このころのことがお分かりになるのではないかと思ったのです。」
「そうね。この年、わたしは15歳。まだ子どもだったよね。中3から高1だもの。でも、このころの大人の人たちの思い、時代の気運といったものは、少しは分かる気がするよ。」


 さあ、何を学習内容とするかについてだが、わたしには3つの思いがあった。

〇戦後15年。当時の大人はみんな太平洋戦争を経験している。猛烈な空襲下、軍需産業のみならず、工場はすべて操業不能におちいったといっていいだろう。そのため終戦の日は、見事なばかりの青空だったという。

 敗戦の象徴としての青空ときれいな海。何かの本で読んだことがあったなあ。そうか。それなら、貧しさの象徴でもあったわけだ。

 となると、15年後、復興した工場が出すばい煙や廃水は・・・それとは逆に、指導書通り、高度経済成長の象徴ということになる。

〇当時、ばい煙や廃水について、くさいとかきたないとか、そんな思いはあっても、それが有毒という意識にまではなっていなかった。多くの国民は知らなかったのだ。

 それにはわけがある・・・と、わたしは思う。

 このころ、我が市の河川もきたなかった。上流に捺染工場がある川では、毎日川の色が変わった。川の色で何色の捺染がなされているか分かった。また、それとは別に、橋を渡るときは鼻をつまみながら渡った。そのくらいくさかった。

 それでも、有毒と思わなかったのは、みんな悪臭には慣れていたからではないか。ボットントイレ、畑、肥だめ、さらには、町のあちらこちらにあるごみ箱(上蓋を開けてむき出しのごみを入れる物)などなど。川にごみを投げ捨てる人もいたっけ。そうしたふつうのごみと混在していた。したがって、格別不審に思うことはなかった・・・のではないか。

〇もう一つ、当時、地球は限りなく大きかった。《あこがれのハワイ航路》という流行歌が流行ったのは昭和20年代。あこがれというくらい、当時ハワイでも行ける人はほとんどなく(連合国占領下では日本人の海外渡航は厳しく制限された。)、また、それも船便だったわけだ。いったい何日かかったことだろう。外国へ行くなどということは、もう二度と日本へは帰れないという悲壮な覚悟を要した・・・。そんな人もいた。

 ショッキングだったのは昭和38年。人工衛星を使った初の宇宙中継が予定されていた。わたしは早起きして見たが、それがなんと臨時ニュースで、ケネディ大統領暗殺の悲報だった。アメリカで起きたことが瞬時に日本に伝わるという、そのことも驚きだったが、その最初が暗殺とは・・・。驚きは何倍にもなった。

 今ならリオオリンピックで興奮したように、地球の裏側のことも瞬時に伝わるのにね。《宇宙中継》しているが、それがあまりにも当たり前になったため、この言葉は死語になってしまった。隔世の感がある。

 と、まあ、そんなわけで、当時の人々の意識は、限りなく広大な地球。だから、悪臭も汚水も拡散し続けて薄まり、やがては消えてなくなる・・・といったものではなかったか。

 さあ。それではそれを、現代に生きる子どもたちにどう教えるか。それも1時間で。

 内容精選はせざるを得ないが、それでも、問題解決学習は無理だろう。しかし・・・、子どもたちの思いは切実だ。

 それで、いろいろ考えたが、冒頭は子どもの思いを大事にし、それに応える意味でも、問題解決的に進めることにした。

 まず空襲を受けた大都会の焼け野原の写真を見せた。
「みんなが問題にした教科書の昭和35年の写真から何年前の姿だろう。」
「戦争が終わったのは昭和20年だから、15年前だ。」
「そう。そうだよね。15年前のこの写真の時、空や川はどんな様子だったかな。」
「家はほとんど燃えてしまったから、すごい煙だっただろう。」
「川もがれきなんかがいっぱい流れてよごれていたのではないか。」

 これには参った。工場などはみんな操業できないから、青空で川もきれいだというだろうと思ったら、まったく逆の反応になってしまった。

 問題解決学習ではよくあることだ。わたしはこまりながらも、何か子どもたちの表情を見ていて、なつかしさを覚えた。

 それで、焼け落ちた工場の写真も使うことにした。
「特に飛行機や船など、戦争に役立つものを作っていた工場はもちろん、どの工場もこうして空襲にあってしまったから、生産活動は途絶えてしまった。」
わたしの方からそう投げかけた。
「そうか。工場は物を作れなくなってしまったから、煙突から煙は出ないし、だから、空気はきれいだったんだ。」
「賛成。空襲にあったときは家や工場は全部燃えるから、すごい煙だったろうけど、焼け野原になってしまってからは、空気はきれい。」
「川も同じ。がれきはずっとは流れないから、すぐ川はきれいになっただろう。」
「それに、家や工場が燃えた残骸ががれきで、がれきに毒はないからね、そういう意味ではきれい。」
 ああ。ちょっとほっとした。

 学習は進み、むかしと今と、同じ澄んだ青空ときれいな川と言っても、

〇戦争直後は、工場は壊滅的な破壊を受けて、操業できていない。人々の多くは働く場所がない。だから、お金になるものを持って田舎へ行き、食べ物と交換してもらった。みんな貧しくて飢えていた。

〇でも、同じ青空であっても現在は、技術開発が進み公害を克服したので、工場はフル操業しているが有毒なガスは出ない。人々は健康で豊かさを享受している。
 
 そのような大きな違いがあることをとらえた。そう。そう。子どもから、今は平和だという意見も出た。

 また、
・リオオリンピックのように、地球の裏側の出来事も瞬時に映像付きで報道されること。
・かつて空気や水が汚かったころは公害病が多くの地域で発生し、多くの人が苦しみ、死者も出たこと。それらの人は地域の人からなかなか理解してもらえず、差別に苦しんだこと、
もとらえた。

 正直に言わせていただこう。後半はもう、わたしからの一方的な教え込みに近くなってしまった。でも、子どもたちはよく食いついてきてくれた。主体的に学ぶという姿勢はもち続けてくれた。それはそれでうれしかった。

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 公害は我が地域にもありました。Cぜんそくが有名でしたね。隣接する小学校に勤務したことがありますが、その学校には、全教室巨大な空気清浄機がありました。

 もうそのとき公害は克服されていましたが、かつて空気が汚染されていたころを忘れないという意味で、保存されていました。

 さあ、それでは次回ですが・・・、本記事でも若干の考察は加えていますが、問題解決学習についてのtoshi的考察を述べてみたいと思います。
 


rve83253 at 04:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)社会科指導 | 問題解決学習

2017年01月14日

問題解決学習のtoshi的考察(1)

CIMG1099 あけましておめでとうございます・・・というには、ずいぶん日がたちすぎましたね。すみません。でも、本年もどうぞよろしくお願いします。

 光陰矢の如し。ほんとうにその通りで、退職して12年目の新春を迎えました。拙ブログも同年数を数えます。長くお付き合いいただいている方、最近の方、すべての方に、あらためて厚くお礼申し上げます。

 さて、新春第一回目の記事は・・・、問題解決学習についてのtoshi的考察である。

 我が横浜においては、教育委員会はじめ、各教科領域の研究会、小学校の学校現場に至るまで・・・、それは実践力はさまざまであるにしても、問題解決学習を標榜しているという意味ではまとまっている。表だってこれを批判する声はほとんどない。

 ところが全国に目を転じると、案外批判の声は多い。曰く。
・子どもに流される
・一部の発言力のある子どもしか活躍せず、あとはお客様的存在になっている
・はい回ることが多く時間がかかる
など、など。

 しかし子細にそうした声に耳を傾けてみると、彼らが問題解決学習としているものは、わたしたちが《問題解決学習もどき》と称するものであって・・・、要するに、形だけマネをして、真に子ども主体の学習になっていないことに気づく。それでは、本シリーズで最終的に述べることになる《子ども像》に及ぶべくもない。

 今、わたしは学級担任でなくなり、いくつもの学級で社会科を担当するようになった。そこから分かることは、一人一人個性があるのと同様、学級にも学級の個性というか、持ち味があるということである。当然問題解決学習も学級ごとに特徴を持つ。

・発言する子が多いクラス
・友達の発言に対し、共感したり反論したりし、活気あるクラス
・よく調べ学習をする子が多いクラス
など。など。

 そこでは、学習の流れも多様に展開する。こうしたことは、現職のとき経験しなかったことで、それが問題解決学習の幅を広げることにつながるようだ。そこで幅が広くなった(?)我が実践を中心に、真の問題解決学習について考察してみたいと思う。

 その時キーワードとなるのは、ある大先輩の言葉であるように思う。

 それは、『学習問題はつくるものではないでしょう。子どもたちの切実な思いによって、にじみ出るように自然に生まれるものではないですか。』

 なるほどなあと思う。そして、皮肉なことに、退職した今になってこの言葉の重みを感じることがふえている。本シリーズでは、2回に分けそれぞれ一つずつその事例をとり上げてみたい。そして、3回目は2つの事例の考察としたい。

 最初は、4年生の《郷土の開発等、先人のはたらき》の単元である。

 この単元。横浜においては、吉田新田をとり上げる学校が多い。これは、横浜港の近くで、かつて流行歌にもなった伊勢佐木町を含む。いわば横浜の中心部である。

 しかし、江戸時代初期までは大きな入り海であった。吉田勘兵衛という江戸の材木商の私財と横浜、石川、蒔田、太田、野毛村などの村人たちの協力によって埋め立てられた。新田の名の通り、田にする目的である。以後、約200年にわたり米作が続いた。

 幕末、幕府と諸外国との通商条約によって鎖国の夢は破れることとなる。横浜開港をきっかけに、この新田は急速に市街地化していった。

 さて、説明はそのくらいにして、この単元の導入時である。

 現代人が入り海のころを想像し描いた、まるで写真のような絵や埋め立て前後の絵地図など、視覚に訴える資料を中心に、埋め立て工事の概要をつかんだ後、感想や疑問を出し合った。

 そのとき、Aさんが言う。
「どうして埋め立てなんかするのだろう。入り海のままにしておけばいいのに。」

 一瞬、奇異に思ったわたし。子どもたちの多くも同じだったようだ。口々に、
「ええっ。Aさんは田んぼにしなくていいって言うの。」
「豊かにならなくていいの。このころの人は米作りにあこがれていたんじゃん。」
「そうだよ。横浜村など入り海のまわりの村人たちは、魚をとるとか塩をつくるとかしかできなかったから、貧しかったんだよ。」
「・・・・・・。」

 頃合いを見て、わたしはAさんに聞く。
「Aさんは、みんなと違って、埋め立てなんかしなくていいと思ったのだね。どうしてそう思ったか、そのわけは言えるかな。」
 Aさん。微笑をたたえながらも、首をかしげ言えなさそう。

 そこでわたしは、クラスの子に向かって言う。
「そうか。言えないか。どうだろう。Aさん以外に埋め立てなくていいと思う子はいないの。ああ。いないようだね。
 でもどうだろう。誰か、Aさんの気持ちになってAさんがなぜそう思ったか、そのわけを想像できる子はいないかな。」

 しばらく考えた上で数人が挙手。
「入り海で魚がとれなくなるから。」
「自然が豊かなのだから、自然をへらすことはない。自然のままでいい。そう思ったのではないか。」
「・・・・・・。」

 わたし、Aさんにそれでいいのか聞く。Aさん、今度は納得の笑顔。友達に分かってもらえたからだろう。うれしそうだった。

 しかし、ここは導入で、これから埋め立ての中身に入っていこうとしているのだから、深追いはしない。
「Aさんの思いは、この単元の最後で、またとり上げたいと思うから、それまでとっておくね。」
そう言って、早々に切り上げた。

 その後の学習のあらましを述べると、

)笋疥ての目的や使った道具、さらには埋め立ての工程などの学習を通し、勘兵衛は村人に工事の協力を求めたこと、村人も協力したこと。当時機械はないから全部手作業だったこと、工事には失敗もあったがそれを乗り越えて完成させたこと
開港後の横浜のまちづくりとしての開発
3年生で学習した、近年のわたしたちのまちの再開発を ↓△犯羈咾垢覦嫐で再びとり上げ・・・、

 終末段階を迎えた。

 3つの開発を工事方法、目的などで比較してその共通点、相違点などを確認した後だ。

 わたしの方から、冒頭のAさんの思いを提起した。
「〜。というわけで、どうだろう。今も、埋め立てはしない方がよかったと思うかな。」
 子どもたちの意見は分かれた。と言っても、吉田新田そのものを不要とする考えは、Aさんも含め、なかった。Aさんもこの時代の開発はやっていいと思うようになった・・・ようだ。

 分かれたというのは、開発賛成論者と抑制論者だった。そのやり取りの一部。
「吉田新田のころはね。自然だらけだったでしょう。横浜にまちなんかまったくなかったからね。それに村人たちは貧しかったから進んで協力したでしょう。だから、開発していい。
 でも、今は、森は減っちゃったからね。開発はしないほうがいい。」
「そんなのは無理。開発しないなんて考えられない。森は今よりさらに減っていくに決まっている。だって、〜町では森だったところが今マンションの工事中だよ。」
「そう。どんどんまちは広がっていく。」
「でもさ、マンションを建てても、そこには必ず公園もできているよ。マンションを建てて確かに自然は減るけれど、でも、必ず公園には木を植えている。だからそのようにすれば無理じゃない。」

 その後、『木を植えたって減ったことは減っているじゃん。』と、『減るけれど、大事にはしている。』との対立の後、Bさんが折衷案的なことを言った。

「自然を大事にすることと開発とのバランスをとることが大事なのだと思う。今の横浜では木をまったく切らないで自然をとっておくことはできないけれど、開発する中で自然を少しでも残す工夫はしていると思う。だからCさんが言うように、マンションを建てても庭や公園で緑を大事にすればいい。Dさんが言うような無理ということにはならないと思う。」
 言われたDさん、ここでは首をかしげながらも無言だった。

 さらに、子どもたちは、
・これからも開発は進んでいく。
・吉田新田のときは、横浜は村ばかりだったし、自然がいっぱいというか、自然だらけだったのだから、自然を守るなどということを考える人はいなかったし、また、考えなくてもよかった。
・今、都会では自然がものすごく減っている。でも、その時代、時代に合ったやり方、考え方で自然を大切にして、バランスを考えた開発を進めていくことが大事なのではないか。
という方向に収束していった。
 しかし、少数ながら最後まで、「開発は抑えるべき、今はやりすぎ。」「いや、それは無理だ。開発はこれからも進む。」「わたしたちの生活を豊かで便利にするためにはやはり開発は必要。」の対立は続いた。

 このときのわたしの思いは、《バランスのとり方》についてだ。

 Bさんが言うように、マンション建設にあたっては公園など、緑も大切にした空間を設ける。これももちろんあるが、もう一つあるな。

 それで、わたしの方から提起した。

 それは3年のとき学習した、わたしたちのまちの概観にかかわる。

「Bさんが言って多くの子が賛成したバランスをとるという考え方だけど、マンションの庭、公園以外にも、バランスをとっている例があると思うけれど、分かるかな。実は、3年生の時学習しているのだよ。」

 《ああっ。》という声が上がった。Eさんだ。

 実は、高台にあるF交差点を境に、そこまでは市街地化がどんどん進んでいるが、その先は、森、田畑など、緑が大切に残され農業も盛んなのだ。隣接していながら、双方はまったくの別世界のようだ。3年生のとき、それを地域ごとの違い、特徴として学んだ。

 実はこれ、市の施策にかかわる。市は数か所、農業専用地区を指定し、緑や自然を守る取組を行っている。まさにF交差点の向こうはそれなのであった。

 バランスをとる。

 市もその考えを大事にしていることをとらえ、この学習を終えた。

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 ninki


 この学習でおもしろいことがありました。江戸時代の工事に使われた、土を固める道具。名前はタコと言いますが、G先生。

「これ、我が家にあるのです。むかし、使っていましたから。」

 そうしたら、なんと、ご家族の方が、子ども用に、わざわざ2分の1の重さになるように作ってくださいました。おかげさまでもっことともに土固めの体験学習を進めることができました。

「重たいねえ。」
「体全体を使わないとうまくいかないな。」
「2人でちゃんと協力し、力を合わせないとケガするよ。」
など、体を使っての工事の大変さに気づいていきました。

 また、それよりも早い時期に、吉田新田の規模を知るため、社会科見学も行いました。土を取ったところは今もものすごい崖になっています。その規模も知ることができました。

「あんな高いところからも土を取っているのだね。すごい。」
「ほんとうだ。どうやって運んだのだろう。」
「空中かな・・・えへへ。それは無理だよね。」

 子どもたちのやり取りを聞いていたらおかしかったです。

 また、横浜開港の学習のときは、Hさんが、授業終了後、わたしのところへ来て、

「toshi先生。もしAさんがいうように、吉田新田の埋め立てをしなかったら、入り海のままでしょう。そうしたら、砂州の部分しか陸地はないからね。横浜のまちは広がらなかったでしょう。こまったのではないかな。」

 このHさんの言葉も次の授業のとき、全体に伝えました。みんな同感のようでした。

「そうだね。そうしたら横浜開港はなかったかもしれない。そうすると、今の横浜のまちもないことになるな。」



rve83253 at 17:50|PermalinkComments(2)TrackBack(0)問題解決学習 | 学級経営