2022年12月12日
専科としての問題解決学習は!?

さて今年度は、ある意味、特別な年となった。A小学校で6年生の社会科専科を仰せつかっていたが、年度途中でお休みを余儀なくされてしまった。後述するように、一部児童は盛り上がり強い興味関心をもつようになっていたから、大変残念だった。
振り返れば、年度当初、学校が決まった時から、おかしなことが多かった。これまで多くの学校で気持ちよく仕事をさせていただいたし、またそれだからこそ、退職して17年も続けてこれたのだが、今年はなんかぎくしゃくしていた。詳細は省略させていただくが、最後のところだけ、書かせていただこう。
指導主事が来校したらしい。わたしは気づかなかった。
わたしの授業を見て、
〇学習問題が板書されていない。
〇問題解決学習になっていない。教師主導である。
そう言って帰ったらしい。
前述のようにぎくしゃくしていたから、それだけで退職を余儀なくされた。もっとも一か月休養させていただいて、今は、B小学校でまったく別な仕事をしている。
わたしは前記指導主事の言葉に、苦笑を禁じえなかった。『自分のクラスだったらちゃんと問題解決学習をするよ。でも、今は週3時間、社会科専科として6年生2クラスに入っているだけだ。発言する子は多くても10人程度。大部分の子は聞いているだけである。(もっとも6年生で10人発言していたら、よく発言するクラスとされるかもしれない。)
話を戻して、そうしたクラスで、子どもの発言を中心とした授業を進めた場合、多くの発言しない子にとっては、友達が何を言っているのか分からない。むずかしい話になりがちだ。
分からないから聞かない。その結果、つまらなそうにしている子が増えてしまう。寝ている子だっているものね。
だから、わたしの場合、教師主導といっても、授業がむずかしくならないように配慮したり子どもの関心を引くように矛盾点を浮き彫りにしたりして、子どもが興味関心を持ち、発言しやすくなるように配慮するのであり、教え込みにはならないように努める。また、教科書は大事な資料として活用する。
その結果、発言する子が徐々に増えたり、授業が終わるとわたしのところへ来て、授業で感じたこと、疑問に思ったことを言ったりする子が出てきた。
そこで前述の指導主事の一点目にふれるが、子どもが投げかける疑問でないと、学習問題として基本的にはとり上げないのがわたしの考えである。指導者が一存で、あたかも子どもが設定したかのように板書したのでは、欺瞞と思うからである。
さて、上記、授業が終わってからわたしに疑問などを言う子が出てきた件だが、これはわたしとしては授業中に発言してほしいわけだ。でも、なぜか言わない。授業で言うことではないと思っているのか、多くの子が発言しないから臆してしまうのか、それは分からない。
そこで、「それ、とってもいい疑問だよ。今度の授業で発言してよ。みんなで考えたいな。」などと言うが、それでも言わない。そこで、子どもの了解をとったうえで、「この前、Cさんがいいことを言ってきたんだ。今日はそれを取り上げて授業を進めたいと思うがいいかな。」などと言ったこともあった。でも、それでは《みんなで練り上げる学習問題》とはならないよね。
そんなこんなで発言する子は少しずつ増えていた。初めて挙手する子がいると、「おっ。うれしいな。言うか。」とか、「何を言うか、楽しみだ。」などと言って、喜びを表した。その結果、多くの子とは言えないにしても、授業中の表情も生き生きしてきたのである。
以上、徐々に問題解決学習らしくなるように心がけていたが、残念ながらその途上でクビ(?)になってしまった。
なお、蛇足だが、発言することだけを大事にしているわけではない。たとえ発言しなくても、共感や納得の表情があれば、それも指摘しほめるようにする。話を聞く態度も養うのだ。
それでも・・・、これは高学年の特性だと思うが・・・、
学級担任だったときなら高学年らしく、友達の発言に刺激されての深める発言とか、異論・反論とか、子どもの発言だけで価値を追求する話し合いも活発だったが、専科ではそれも期待できず、かなりの子はだんまりを決め込む。また、自分が慣れ親しんだ学習法でないと受け付けないといった感じの子もいる。
たとえば、板書だが、わたしは子どもの発言中心の板書なので、あえて、「これはどうかな。」と思うものも書くことがあるのだ。授業を盛り上げるため注目してほしいからだが、そういう場合、あえて、「これはノートに書かなくていいよ。それより今のCさんの発言についてじっくり考えてほしい。」
案の定、否定したり反対したりの発言が続くが、Cさんが落胆しないように、「この発言のおかげで学習が深まったね。発言する子が増えたしね。だから、授業を盛り上げたという意味で、殊勲賞ものだ。」などと言って励ましてから、その板書を消すのだ。
こういうのが、上記、慣れ親しんだ学習法でないと受け付けないといったタイプの子にとっては、苦手なようである。「板書が分かりにくい。」「何をノートに書くのか分からない。」などと言うらしい。そのくせ、ノートを見ると、きちんときれいに書いている。
こういう点、中学年は柔軟だ。まだ学びたてだからだろうね。
そんなわけで、全体的には、いきいきと学ぶ子が増えていたが、なかにはそうでない子もいるといった感じだった。
まあ、抵抗がある子もいるが、問題解決学習は徐々に浸透しつつあったのである。指導主事は気に入らないようだったけれどね。
さて、その浸透にかかわるが、次のような工夫もした。
これは6年生の社会科における問題解決学習的配慮なのだが、多くの子が歴史事象に興味を持ち、いきいきと学べるように、地域の歴史事象を大切にした。
たとえば、本記事冒頭の写真だが、これは、相模国分寺(海老名市にある。)の七重塔の3分の1の規模の復元である。実際は高さ約65mと・・・、これは残された礎石の規模からの推測だと思うが、そのように言われている。
65mというと、どのくらいの高さかな。A小の校舎は4階建てだが約15mくらいだろう。
すごいよね。当時・・・奈良時代だが、多くの農民(人民と言ってもいい。ほとんどは農民なのだから)は縄文、弥生と同じ竪穴式住居で生活していたのである。
そんな時代に、このような規模の寺院が突然、ある田舎に出現した。当時の農民はどのような思いで、この七重塔を見上げたのかな。
その資料はない。ないが・・・推測はできるよね。
さて、かつての我がクラスなら、このように学習を進めたら海老名市を訪れる子も複数いただろう。家族も子どもの思いに応えて、少なからず協力してくれたからね。
そして、指導者が言わなくても、子どもから多様な知識、考えなどが示されただろう。さらに、これを見上げる農民の思いにも、子ども自ら迫っていこうとしただろう。
でも、今は望むべくもない。指導者から提示し、発問し、進めなけならない。
ああ。それでも、冒頭の指導主事は教師主導というのかな。
そうか。これが指導主事発言の二点目への回答になるね。
さて、現実の授業はどう進んだか。
まず海老名市の場所だが、これは大きな神奈川県地図を示し、ほぼ県の中央にあることをとらえる。ただし、海老名はほとんどの子が知っていた。これは、東名のサービスエリアがあるからだろう。相鉄線、小田急線、JR相模線の海老名駅を知っている子は少なかった。
冒頭の写真は、国分寺の跡地ではなく、駅のそばに建てられている。案の定、見たことがあるという子は皆無だった。そして、みな一様に驚いていた。ただし、三重塔でも五重塔でもなく、七重塔というのに驚いていた子もいて、この辺、おもしろかった。
聖武天皇が奈良に東大寺の大仏をたて、全国の国々に国分寺を建てたことは教科書、資料集に出ているから、これは知識として持っている子もいる。持っているが、冒頭のこの段階では、写真で見る海老名国分寺とつながらない子は少数ながらいた。彼らは、「ああ。そういうことか。」とばかり、納得顔になった。
そして、七重塔の写真を見て、驚きの表情。
「よくこんな大きなものをつくったね。」「渡来人だ。」「渡来人が七重塔をつくったのだ。」「でも、聖武天皇は全国にこれを作ったのだから、渡来人だけでは無理ではないか。」「渡来人が日本人に教えたのではないの。建てる技術を。」「教えたにしても立派過ぎる。よくこんな細かなところまで行き届いた作り方ができたと思う。」しばらく感嘆の声が続いた。
渡来人がすぐ子どもから出たのは、これは古墳の学習でとり上げていたからだろう。「当時飛行機は当然ない。だから、この写真のようにして空から古墳を見た人はいなかったはずだよね。よくこんなふうに左右対称に巨大なものを作ることができたよね。」
わたしからそう投げかけると、渡来人というのは、この時も子どもから出てきた。渡来人がもたらした測量の技術のすばらしさ、すごさを押さえることができた。
さて、奈良時代に話を戻して・・・、当時農民がどのような思いでこの七重塔を見たか、そこに学習を進めたいのだが、子どもからは出てこない。貧窮問答歌など、子どもが持つ資料集には出ているのだけれどね。
そこでわたしから、投げかけた。
「当時の海老名にも農民はいた。広い平野があるから、田んぼもあった。条里制のもと、規則正しく区切られた田んぼだった。その農民の目の前に、ある日突然と言っていいだろう。何が何だかは分からなかったのではないか。すごいものが現れたわけだ。彼らはどんな思いでこれを見上げたのだろうね。」
それでやっと考えが出続けるようになった。
「すごい技術に驚いたのではないか。」「よくこんな高い塔をつくったなって思っただろう。」「自分たちは高い税を払って苦しい生活をしているのに、こんな贅沢なものを作るなんてって頭に来ただろう。」
活発になったから、いいぞと思ったが、出た意見は一面的で、そこでまたまたわたしから出てしまう。
「そうだね。そう思った農民も多かっただろうね。でも、逆にすごいのができたなと感嘆の声を上げた農民もいたのではないかな。死んでからいける極楽をこの世に生きているうちに見ることができたと思うことはなかったかな。」
『あっ。』と声こそ出さなかったものの、そのような表情をし、考え込む子どもたち。今度はそのような観点での発言が見られるようになった。
「お寺に向かって豊作を祈る農民がいただろう。」
「おがめば幸せになれる。ありがたいと思ったのではないか。」
「すごく高いから、かなり遠くからでも見える。おがむ人がけっこういたかな。」
「近くまで見に行きたくなり、ありがたくおがんで天国に行った気分になったかもしれない。」
さて、かなりいきいきと問題解決的に学習に取り組む雰囲気はできてきたが、それでも、3分の2くらいの子のいきいきだったかな。それも、毎時間というわけにはいかない。
ぼおっとした表情もあるので、そこでは机間巡視を多用することにした。例えば、上記の例なら、地図帳を開けさせ奈良や海老名をさがさせる。分からない子にはわたしが指し示す。中には地図帳を開けない子もいるから、そういう場合は一緒に開ける。目を覚まさせる効果はあっただろう。
さて、読者の皆さんの中には、郷土を大切にするのはいいが、奈良時代の学習なら東大寺の大仏を中心にとり上げるのが普通ではないか。そう思う方もいるかもしれない。
もちろんとり上げないわけではないが、導入はあくまで地域の歴史事象とする。
それはね。《身近》と《手近》の違いなのだ。
本記事もだいぶ長くなってしまった。これについては、次回に譲らせていただこう。
2022年04月10日
思考力を養うことは大切ですよ。

さて、本日とり上げるのは、昨年末の算数。速さの単元である。この単元の授業を終えて感じるところがあったので、C先生に質問をした。
「この単元の教科書の記述で、不思議に思うことはなかったかい。」
toshi先生は何を言おうとしているのだろうとばかり、怪訝そうな表情を浮かべ、
「はい。特になかったですけれど。何か。」
とのこと。
「それは先生だけではない。多くの先生は疑問を感じないだろう。・・・。それはね。知識習得中心の授業をしているからなのだよ。思考力を養う授業を心がけるなら、引っ掛かる思いになっていいはずだ。」
以下、C先生に話した内容は・・・、
と、その前に、お断りしておかなければならないことがある。
近年多くの小学校が採り入れていると思うが、B小も教科担任制を導入している。そして算数は能力別学級編成だ。C先生は、学力の高いクラスを担当している。そこで、冒頭のような思いがあり、このクラスで授業をさせていただきたいと思った。
「Aクラスだからやりたいなと思う授業がある。もう速さの学習は終わってしまったけれど、この内容で一時間示範授業をさせてね。」
思考力を養う授業をということで快諾いただいたのだが、突然やれないことになってしまった。
それは、ご多聞にもれず、このB小もコロナにかかる子が増え数学級閉鎖される事態となり、教科担任制は一時断念、算数も普通級で行うようになったからである。
それで、どんな授業をやろうと思っていたか概略、C先生に話すことにした。それが冒頭の会話である。
さて、それではやろうとしていて、できなくなってしまった授業の概略だが、
この単元、教科書の最後の方で、
速さは、距離÷時間でも、時間÷距離でも出すことができる。そして、距離÷時間なら出た数値が大きくなるほど速い、時間÷距離なら出た数値が小さくなるほど速い、
と、そこまで記述してある。それなのに、最後のまとめと言っていいかな。そこでは、距離÷時間しか書かれていないのだ。
それを言うと、C先生。
「それはでも、距離÷時間には、時速とか分速とか速さを示す言い方がありますが、時間÷距離には、速さを示す言い方はないじゃないですか。」
確かにそうだね。一定の距離を進むのに何時間かかるかなどということを速さとして示す言い方は確かにないよね。
だけれど、ほんとうにそうだろうか。
時速、分速というなら、さしづめメートル速、キロメートル速となるかな。時速が一時間当たり進む距離を示すなら、キロメートル速は1キロメートルあたりかかる時間ということになろう。でも、そんな概念はない。
では次はどうだ。
100メートル速、200mメートル速、400メートル速・・・、まだけげんな表情のC先生。しかし、42.195キロ速。
「あっ。」と声を上げたC先生。「マラソンですね。確かにありますね。」
いや。『100メートル速』など。これらは知識として押さえるべき内容ではない。こうした授業をしたとして、その教室だけに通用する言い方だ。
さらに言えば、時速分速はあくまで瞬間、瞬間の速さを示しているのであって、実際に一時間、一分間進むわけではない。それに対し、『100メートル速、200メートル速』の方は、実際それだけ進むわけだよね。
一方が『速さ』を示しているのに対して、もう一方は『記録』と言っていいかな。つまりまとめとしては、
算数的にはどちらも速さを表すことができる。しかし実際の生活面では、表す概念が異なる。
そこまで子どもたちの主体的な学びのなかで獲得させたい。また獲得できるはずだ。教え込みではなくね。
最後に言わなければいけないのは・・・、こうした授業は、能力別編成のAクラスだからできるのか。普通級では無理なのか。
そんなことはないはずだ。次回はその辺のことを書いてみたい。
2020年07月20日
相手と通じ合おうとする努力・・・とは⁉

今回はそれに対し、お答えするつもりだが・・・・、一年半経過した今、お読みいただけるかなあ。
あおぞらキッズさん。大変申し訳ありませんでした。ごめんなさい。
それでは・・・そうか。お答えする前に、若干の注釈を加えさせていただきたい。
〇質問は2つある。
最初の質問は、数年前、相模原市で起きた障がい者殺傷事件をめぐり、殺人は論外としながらも、犯人の思いに共感する者が少なくないことから、そうした中で公教育がやれることは何だろうという問いかけである。
もう一つは、わたしが本ブログの一貫したテーマとしている問題解決学習について・・・、
それと対立する教育観と言っていいだろう。系統重視の学習という考え方があるが、双方の調和が大切ではないかとおっしゃる。
それについての所感を求められたので、それにもふれてみたい。
ただし、だいぶ長くなってしまいそうなので、2回の記事に分けさせていただく。本記事では、一つ目の質問について、お答えする。
〇最初の質問、《公教育がやれること》への答えについては、簡単に言ってしまえば、《他者理解》ということになるが、それについて、5つの過去記事にリンクさせていただきたい。ただしそれを開かなくても、本記事のみで論旨が通るようにはしたいと思っているので、よろしくお願いしたい。
リンクの一つ目は、あおぞらキッズさんが質問するにあたってわたしの過去記事にふれていらっしゃるので、その記事へのリンクである。
二つ目から五つ目については、お答えするにあたり、参考にさせていただきたい記事である。
それでは、最初の質問について。
あおぞらキッズさんは、《無知は偏見を生み、偏見は差別を生む。》記事をご覧になり、その中でわたしが、「(相模原市における障がい者殺傷事件の犯人は)意思の通じない人とも言っているようだ。数年施設で働いて、何という言葉だ。通じないのではない。通じる努力をしなかったのだ。」としていることに対し、賛意を表されながらも、
「相手と通じ合おうとする努力」を、わが国の教育現場で培うことができれば、すばらしいとも思います。(toshi)先生のお考えをうかがえればありがたいです。」
とされた。
さあ。それにお答えするわけだが・・・、わたしは、小学校に勤務する身なので、どうしても実践中心になってしまう。《考え》の部分が薄くなってしまったら、お許しいただきたい。
二つ目(参考にしていただく一つ目)は、《子どもの心が見えますか。》である。
我が地域では養護学校(現・特別支援学校)の児童・生徒とその子が居住する地域の小学校との交流をおし進めているが、その交流の中で・・・、
一人の小学校教員が、《ある養護学校児童が交流の中で明るい表情を見せるようになった。》と、交流の成果のように語るのに対し・・・、
養護学校の教員が、《そうではない。明るい表情を見せると小学校の友達が進んで寄ってきてかわいがってくれるということを学んでしまったため、心からではなく、無理して明るくふるまっているのだ。それが分かるから、悲しくなってしまう。》と応える。
それを通して、小学校の教員は、子どもに無理して笑顔を振りまかせる。そんな交流でいいわけはないと反省し、より良い交流の仕方を模索していくという、そういう話である。
《相手と通じ合おうとする努力》の一つ目は、見かけ上の明るさにごまかされず、その奥にある真情まで気づく心と言ったらいいかな。この事例の場合なら、一人ぼっちになったときのその子の表情に気付き、その、あまりのギャップに気付く心。
となるだろう。
次は、《人権教育(13)交流教育 共生を考える。》である。
重度重複障がいの子ども(寝たきりベッドで生活しているDさん)との交流の実践である。大変長い記事だが、《その3》を参考にしていただきたい。
これは、小学校の子どもたちが、Dさんとのよりよい交流の仕方について話し合う記事である。交流会の中で、
・Dさんは、大きな音や動くものがあると目で追うから、それを取り入れたゲームをしたい。
・ハンカチ落としは、Dさんが目で追いきれないだろう。爆弾ゲームなら大きな音がするから、その方がいい。
・さらにいいと思うのは、音楽会だ。
などと話し合いを進めていく。
この記事の最後。特筆すべきは、子どもたちが、《近く行われるA自動車工場への社会科見学は、Dさんと一緒に行きたい。》と提案し、それが実現したことだ。なにしろ、《大きな音》《動くもの》だものね。
社会科見学でも交流を考える。・・・。つくづく子どもって柔軟だなと思う。そうか。Dさんへ想いを寄せる。もっと言えば、Dさんへの愛情だね。
こういう点、大人の・・・教員の方がダメなのではないか。どうしても社会科のねらいが先行する。それがじゃまする。固定観念だね。《Dさんも一緒に。》など・・・、そんな発想すら起きないと思う。
子どもから学ぶ・・・わたしたちはよくそう言う。これこそまさに、その典型的事例だと思う。
次は、人権教育(12)交流教育 学校だよりへの想い(15) である。
障がい児との交流が、小学校の運動会の練習でも行われる。その際、養護学校に通うお友達がけがをしてしまう。先生方は、この種目まで一緒にやるのは無理かなと考えてしまう。
でも、あとで子どもたちが話しているのを耳にし、
無理だったのではない。子どもたちは障がいのあるお友達のことを思い、そのお友達がより楽しめるようにと考えた結果の…ケガであったことを知る。子どもたちはケガさせてしまったことを反省し、より良い交流の仕方を考える契機としたのではないか。
さて、ここで、わたしが言いたかったのは、この事例を学校だよりに掲載し、保護者、地域の方々に、学校が行う交流教育への理解を深めてもらえれば・・・、と考えたことである。
と言うのは・・・、本ブログへも、時折、《交流教育》の否定、批判コメントが寄せられるからだ。
でも、これは、無理解の結果とばかりは言い切れない。交流の現場で、《障がいのある児童のお世話係》といったような・・・、安易で、問題をはらむ事例もあるからだ。
交流を実のあるものにするには、やはり、地域、保護者の皆様のご理解も欠かせない。交流のねらい、実践の様子、成果や反省など・・・、ともに歩む姿勢も大切にしたい。そんな思いで掲載させていただいた学校だよりだった。
《他者理解》《相手と通じ合おうとする努力》。それはやはり、《心》だろう。学校は意図的、計画的な実践の場だが、それだけでは語れない。A自動車工場見学でみられるような、子どもの心に裏打ちされたハプニングにも柔軟に対応したい。
以上、まとめると、昔から言い古された言葉だが、《鉄は熱いうちに打て》。
幼少期からの自分とタイプの違う人との交流、ふれあい。特に、《相手を知ろうとする心》の育成が欠かせない。
そして、これは、何も障がい児との交流に限定されるものではない。
それにふれた過去記事。これが最後のリンクとなるが・・・、
人権教育(15)交流をテーマの総合的な学習の時間
これは、先ほどの《重度重複障がいのお友達Dさん》との交流のクラスで、よりよい交流について話し合う授業について書かせていただいた記事である。
この授業は、養護学校のDさんの担任のE先生も、Dさんのお父さんもご覧になっていた。
先ほどの、《何も障がい児との交流に限定されるものではない。》に関連して、E先生が最後にふれられている。今、その部分を再掲させていただこう。
リンク先記事をご覧になる方は、その最後の方に掲載しているので、よろしくお願いしたい。
では、E先生のお話の最後の部分です。
〜。
どんな交流をしていったらいいかなって、みんな真剣に考えてくれていたのだけれど、それを考えることもとっても大切なんですが、Dさんの気持ちを分かろうとする、それはDさんの表情を見るとか、手をさわってみるとか、そういうところを、みんな感じ取ろうとしてくれていると思う。
そこでね。Dさんのことを分かろうとするくらいの気持ちで、このクラスの他の友達のことも考えてみてください。そうすると、目や耳だけでは分からなかった友達のことが見えてくると思います。そんなふうにして他の友達や兄弟や家族のことを考えてみると、また違ったところが見えてくるかもしれません。頭の片隅にそんなこともおいてくれるとうれしいです。
そうなのだ。
交流。
それは何も障がい児との交流を言うにとどめるべきではないはずだ。
重度重複障がいのお友達を思う心。それは、言葉によるお話ができないだけに、目の動きを追ったり表情や体の動きに着目したりして、喜び、悲しみなど、意思の疎通を図る。その心だ。
それなら、その心でもって、同じクラスのお友達、兄弟、家族にも接することができるようになってほしい。
あおぞらキッズさんのご質問の範ちゅうを超えているようでいて、しかし、同氏にも異存はないだろう。

今回、リンクさせていただいたたくさんの過去記事。
それはすべて問題解決学習です。子どもたちが、実りある豊かな交流を考え、それを実行に移す。子どもたちの主体的な学びの姿がそこかしこに見られると思います。
また、表面的な事象にとらわれてはならない。その奥にある、目には見えない《心》にまで思いを寄せる努力。それは永遠に続く努力なのだと思います。