2017年06月28日

問題解決学習のtoshi的考察(4)

IMAG2868 本シリーズは(3)をもって終えるつもりでいた。しかし、小6の母さんやHidekiさんからいただいたコメントが、《ああ。まだ書けるな。》と思わせてくださり、本記事となった。

 わたしはこれまで、問題解決学習というと、子どもたちが白熱した話し合いを展開する、そんな躍動的な授業を中心に紹介させていただいたように思う。想いが対立するなかで多様な想い、考えが出て、その後、資料などによって解決していくといった感じだ。

 そのなかで、自己の想いの修正を余儀なくされたり、解決するそばから新たな学習問題が生まれたりする姿も紹介させていただいた。

 そんな授業での指導者の役割は、意欲的な発言を支えたり、流れを分かりやすくしたりして、できる限り子ども自身の力で問題解決するように仕向けていく。さらにはどんな調べ方をしたらいいか、何を問題として取り上げたらいいか、そんな学び方にかかわることも子どもから出てくるように工夫を凝らすことだ。

 そして、真理を愛する子ども。さらに、それが獲得できたときの充実感、喜びを味わわせることのできる授業を目指した。

 ところで、それを味わわせるには、いつも話し合いが白熱していないとダメというわけではないだろう。学習内容によっては、深く静かに・・・、ときには沈思黙考を余儀なくされることもある。

 たとえば、公害病。戦争。地球温暖化などがテーマのときだね。そんなとき、沈痛な表情を浮かべ、苦悩に満ちた発言となることも多い。

 また、そんな深刻でなくても・・・実は本記事ではそうした授業を取り上げるのだが・・・、しっとりとした味わいのある授業もある。

 そんな視点から、これまでとはちょっと違った趣の授業に迫ってみたい。

 と申しても、その授業はすでに紹介させていただいた。早いもので、もう一年前になる。オバマ米前大統領が広島を訪問されたときの記事だ。もっとも授業そのものは、20年近くも前のものだけれどね。

 校長時代、わたしは卒業式が近づくと、卒業を記念しての道徳の授業を行うのを恒例とした。ある年とり上げた教材文は・・・、そう。原爆が投下された広島を舞台とした話だった。

本リンク先記事は、オバマ演説から書き出し、教材文も全文、掲載させていただいているので、かなり長くなるがよろしくお願いしたい。
なお、一応リンク先記事を開かなくても、意は通じるように書き進めたいと思うが、どうだろうか。もし無理なようだったらごめんなさい。開いてください。

また、最後は授業から離れ、小6の母さんやHidekiさんからいただいたコメントにもふれてみたい。

 それでは、どうぞ。

  オバマ演説から、かつての道徳の授業を思う(再改訂版) 〜母さんの歌全文掲載〜

 繰り返しとなるが、この授業は、子どもが対立したり、反論や賛成意見が渦巻いたりして白熱する授業とはかなり趣を異にする。しかし、子どもが想いを出し合い、それによって想いを深め、感じ取り・・・、学級の友達みんなと話し合うことによって・・・、そう、おうちでは一人で考え、感じ、味わうことになるが・・・、せっかく学級のみんなが一つになり学んでいるのだ。それなら、想い、考えを交流することによって、一人では到底到達しえないところまで学びを深めたいものだ。

 ところで、このリンク先の授業記録では、わたしの言葉は書いていないのだが、もとより何も言わなかったわけではない。

 何を言ったか。ふつうあるような発問はしていない。わたしの投げかけは、最初に、
「さあ。これから配るお話を読んで、みんながどのような感想をもつか。それを自由に言ってください。楽しみにしています。」
そのようなことを言ったに過ぎない。

 そして後は、記事にも書かせていただいたが、不明に思う子どもの発言内容を問いただしたり、一人の発言を別な子の発言に関係づけたり、深めるきっかけになった発言を賞賛したり・・・、そんな言葉かけをしたに過ぎない。

 開かれた授業。子どもにとっては自由に感じたまま発言できる授業。
 
 また最後も・・・、

 子どもたちの発言がすばらしかったから、教訓じみた言葉は不要だった。ただ、
「皆さんの発言のすばらしさに心打たれました。最後の方の発言にあったように、中学校へ行っても、《お母さんの心》をもち続けてくれるものと、大いに期待しています。」
などと言ったに過ぎない。

 そのくらい子どもたちは、よく読み、感じ、道徳的な心情を養ってくれた。

 それでは、授業の流れとその考察に入らせていただきます。

 初めは、原爆投下で悲惨な目にあいながらも、避難し続ける人々とその人々を守ろうとするくすのきに思いを寄せての発言が続く。悲しい、つらい、忘れられないなどといったたぐいの発言が続く。

 途中、くすのきがうれしかったという表現があり、それが少し子どもたちの心を波立たせるが、《くすのきは、体をふるわせていました。》なる文章に着目、その瞬間だけの母子の姿にうれしさは感じても、大変な悲劇の中で、いや、悲劇の中だったからこそ感じることのできたうれしさというとらえで元に戻る。

 その瞬間だけの母子とは・・・、

 幼い坊やも原爆にあい、焼けただれたまま肉親ともはぐれ、『お母さん、お母さん』と泣き叫んでいる。その姿を見た、これも避難してきた女学生が、見知らぬ幼児のお母さんになってあげる。そして幼児を抱いたまま二人とも亡くなっていくという・・・、

くすのきのちょっとしたうれしさというのは、お母さんの心になった女学生のやさしさにふれたからだった。

 そして、子どもたちは続ける。

 女学生のやさしさが、くすのきだってやさしいという思いにつながり・・・、

 さらには、女学生も坊やのお母さんになってあげたことで、独りぼっちではなくなった。死んでいくにもかかわらず、少しは幸せ感もあったのではないかという発言へとつながっていく。

 そして、教材文に書かれている《お母さんの心》なる言葉に、女学生やくすのきの心が収れんされていく。

 ああ。先ほど、《一人で考え、感じ、味わうことも大事だが・・・》と書かせていただいた。

 そう。繰り返しになるが、

一人で読んでも思考をめぐらせ、感性を育むことはできる。でも、みんなで考え合い、感じ合い・・・、それであればさらに、一人では到底到達しえなかったところまで、思考をめぐらせたり感じ合ったりすることができる。

 そして、それはさらに・・・、

時として、一人の指導者の想いをも超えてしまうのだ。本授業で言えば、《女学生も坊やのお母さんになってあげたことで、独りぼっちではなくなった。死んでいくにもかかわらず、少しは幸せ感もあったのではないか。》
などという想い。これはもう、指導者たるわたしの想いを超えていたとしか言いようがない。それほどすばらしかった。

 今、わたしは実感している。指導者が発問を繰り返していたら、子どももそのはんちゅうでしか気づくことができず、またとらえられず・・・、指導者を超えるなどということはまずないのではないかと。
 
 そして、本授業の最後・・・、この授業は6年生の卒業を前にしての授業なのだが・・・、中学校へ進学するにあたっての自分たちの想いへと話を進めていく。そうか。想いというよりも、自分自身のこれからの生き方にひびくような発言だね。

 こうした授業の流れを振り返ると、どの発言も、それより前の友達の発言を聴き、それをよりどころとして思い浮かんだことを発言しているのに気づく。想いはあくまで一人一人だけれど、互いに刺激し合い、影響を受け合って、その想いを深めていくのだ。

 ここにこそ、学級の存在意義がある。友達のおかげで共同思考が成立している。そして、共に学び、思いを交流させてこそ深め得たのだという喜び、満足感、充実感をももつことができる。

 そう。本授業の最後の子どもの発言。
「このお話を小学校生活の最後にみんなと一緒に学んだことは忘れないようにしたい。」
なる発言が端的にそれを示している。
 
 さらにもう一つ。これは逆に、卒業期に至ってもなお、子どもたちにとっての問題解決学習は発達途上であることを示す事例だが・・・、

 授業終了後、わたしのところにやってきたEさんだ。

 Eさんは友達の発言を聞いているうちに、友達の想いに納得し、共感し、共有できるようになった。しかし、共有できたら・・・、《さっきまで発言しようと思っていたことは、どうでもいいこと。それよりもっともっと大事なことがあるのだな。》という想いをもつに至り、それで発言できなくなってしまったのだね。

 でも、Eさんには、言わずにはいられない思いはあった。だからこそ、わたしのところへ来たのだろうが、

わたしの《今、わたしに言ったように、その言葉をそのまま発言してくれればよかったな。》の言葉で、目が開かれたと思われる。《そうかといったように、ハッとした表情を見せて、ちょっと笑みをもらしてくれた。》のだからね。

そう。変容自体、すばらしいのだ。だから、《友達のおかげで、このように思いが変わった、深まった。》という趣旨の発言をすればよかったのだ。

 以後そうした発言もできるようになったのではないかな。 

 一時間、一時間の授業。それは子どもの成長のためにある。そして、このEさんの変容、深まり。これも一つの成長と言える。その成長を自身で感じ取る力。これも大事な、大事な学力だ。


 それでは、小6の母さん、 Hidekiさんからいただいたコメントにふれさせていただこう。

 小6の母さんからいただいたコメントには、《集団は、思考に必要な集中力のパワーを高めるのではないか》とあった。

 まったくその通りだと思う。ここまで述べてきたとおりだ。

 そして、これは担任の日々の努力があってこそだろう。一日にしてこんな話し合い、深め合いができるようになるなどとは思えない。時には激しく議論し、ときには沈黙の中で自分の想いをふくらませる。そうした子どもを養う日々の営みがあってこそだ。

 まだある。やはりより多くの子が発言できる雰囲気。これも担任の日々の努力の結果だろう。より多くの子が発言してこそ、学びはみんなのものになる。いろいろな力の子がいるのだ。一部の力のある子だけで話し合いが進めば、どうしても話し合いはむずかしくなってしまう。それではついていけない子もでてきてしまうだろう。

 こうした担任の努力によって、集中力のパワーが高まるのだ。

 わたしたち、問題解決学習を標榜するものは、よく、《問題解決なき問題解決学習も可》という。

 子どもから多様な考え、想いが出る。それらはどれも尊いものだ。価値あるものだ。だから、無理して一つにまとめる必要はない。

 そして、友達の想い、考えを理解し、《ああ。自分とは違うが、そんな考えもあるなあ。》と感じる力も大切だ。また、それを自己の想い、考えに取り込むこともあっていい。それによって、見方、感じ方の幅が広がる。

 ああ。これはHidekiさんと思いを共有することになるが、今の日本の大人社会はどうだろう。

 日本は言論の自由が保障されているのに、ほんとうに自由かな。内なる意識で不自由にしてしまっていることはないかな。自己規制、自己抑制。それが行き過ぎて、自分自身がそれに気づかない。自己を発揮するのは悪かのように思ってしまっている。あるいは、思わせてしまっている。

 これは、幼少期からの自己表現、自己実現になれていないからではないか。経験が乏しいからではないか。場合によっては、自分を出すことは悪かのように思わせられてしまっていることもありそうだ。だから、幼いうちから他に合わせることしか眼中にない。

 そう。小6の母さんがおっしゃる多数決。これも同じだね。気づかないまま長いものに巻かれてしまっている。

 そこに学校教育の責任はないだろうか。授業はどうだろう。子どもの自己表現を大事にしているだろうか。

 小6の母さんがふれてくださっている。

 《どの授業も先生が必要な場面で意見を沢山出して、先生が正解に近い意見をまとめたり、拾い上げたり、こんなに沢山出ましたね、で進んでいきます。
 1つの問題を深く意見交換していく場面は、見た事がありません。》

 ああ。小学校学習指導要領には、「主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。」とあるのだけれどね。

 

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 今、アクティブラーニングがいろいろとりざたされています。日本語では能動的な学習と言われているようですね。受け身の学びではなく、子ども自らが積極的、意欲的に学ぶということでしょう。その意味では問題解決学習と軌を一にすると言っていいかもしれません。

 しかし、現状言われているところを見ると、似て非なる部分もありそうです。それは、どうも単なる指導法の問題ととらえているからではないかと思います。

・ほんとうに子どもが自ら解決したいという思いを尊重しているか。養っているか。
・毎時間は無理としても、子どもが生み出す学習問題を大事にしているか。
・知識・技能も大事だが、学び方、生き方にかかわる学習内容も大事にしているか。


rve83253 at 17:14|PermalinkComments(4)問題解決学習 | 教育観

2017年06月03日

昨日、横浜は開港記念日、市民の愛唱歌、横浜市歌

iriumi 初めにお詫びをしなければなりません。《問題解決学習のtoshi的考察》は、その4を予定していますが、大変手間取っており、そろそろ記事にさせていただく予定ですが、もうしばらくお待ちください。

 ところで、昨日6月2日は横浜市のお祝いの日。横浜開港を祝う日である。市内公立小中学校は休日となる。

 もしかしたら、他地域の方は『港を祝うなんて。』といぶかしく思われるかもしれないね。しかし、横浜にとっては・・・、

 約160年前まで一寒村に過ぎなかった横浜だ。地名としての横浜は古くからあったが、それまでは横浜村と・・・、そう。村だったのだ。

 冒頭の入海の絵図を参照していただくと・・・、左下から砂州が延びているのが分かる。その付け根あたり、今の元町、駅で言えば石川町駅あたりが横浜と言われたに過ぎない。

 なぜ横浜と言われるようになったか。それは、絵図をご覧いただければ、ご想像いただけるだろう。京都府に天橋立なる有名な観光地があるが、それに似た砂州があったのだ。

 余談だが、わたしは子どもに話したことがある。
「この入海は釣り鐘型と言われた。それでこのころは、北を上にするという常識はなかったから、釣り鐘に見合う形に絵図がかかれた。だから、砂州は横に伸びているね。
 でも、当時から北が上という常識があれば、砂州は下から上に伸びることになる。そうすると、よこはまではないね。」
「ほんとうだ。たてはまじゃん。」
「いやだあ。たてはまなんて。よこはまの方がいい。」
みんな大笑いだった。

 この入海の大半は、四代将軍家綱のときに、江戸の材木商吉田勘兵衛の財力と周りの村々の村人たちの手によって埋め立てられ、吉田新田となった。これが幕末の横浜開港に大きく貢献したといっていい。

 もし入海のままだったら、この砂州の部分だけでは、とうてい外国とお付き合い目的の港など開くことはできなかっただろう。

 横浜開港に直接的に寄与したのは、幕末の大老、井伊直弼である。諸外国との間に修好通商条約を締結し、貿易を開始した。

 これも余談だが、横浜開港の恩人ということで、港が見える掃部山(かもんやま)公園に井伊直弼の銅像がある。
・太平洋戦争の折、金属供出ということで、この直弼像もなくなった時期があった。
・かつては港が一望できたが、今は、ランドマークタワーはじめ、高層ビルが立ち並び、まったく港は見えなくなってしまった。
・わたしのかつての勤務校では、6年歴史の単元に《井伊直弼と横浜開港》なる単元を組み、横浜開港を通して幕末・明治維新へとつなげる指導計画を作成・実践した。

 横浜浮世絵なるものがある。検索をかけていただければ、あれよ、あれよ。いっぱい出てくるだろう。当時の港、町のにぎわい、外国人の生活、文明開化の様子など、社会科の資料としては、たまらないほど魅力がある。

 これは、歌川広重の子どもだったかな。それも含め多くの浮世絵師が、魅力的な横浜にやってきては競って描き上げた。極めて短期間にすすめられた異様な(?)街づくりは好奇の的となり、格好の題材となった。

 さて、ここで話を大きくかえさせていただく。

 横浜には、市民に親しまれた横浜市歌なる歌がある。開港記念日にあたり、各校は開港記念にかかわる学校行事を行うが、そこではこの市歌を歌うのが恒例となっている。

 今回この記事を書くにあたり、ネットで市町村歌について調べてみたが、けっこう多くの市町村に歌はあるようだ。しかし、横浜市歌には際立った特徴が2つある。

・1909年(明治42年)の開港50周年記念の折、市民に披露されたとのこと。作詞はなんと森鴎外氏である(作詞者名は本名の森林太郎)。もう百年を優に経過した。現存し、市民に親しまれている歌としては、一番古いとのこと。

・文語調で一見とっつきにくいと思われる歌詞だが、ネットでも市民の評判はいいようだ。「なつかしい。」が多かったが、「今も歌えるのでびっくりした。」「歌っていたら涙が出てきた。」などという声もあった。

 娘も今は横浜市民ではないが、《完璧に歌えますよ。》と自信たっぷりのメールが届いた。

 わたしが歌えるのは当たり前だけれどね。子どものとき、多くの小学校にはまだ校歌がなかったから、儀式というと必ず市歌を歌っていた。また、教員になってからも折々に歌う学校が多かった。

 何年前だろう。市教委から卒業式などの儀式では必ず歌うようにという通達があった。

 さて、その歌詞だが、冒頭は直接的には横浜でなく、日本のお国柄、特に貿易立国であることを歌い、続けて、かつて一寒村に過ぎなかったころと、現在(明治末期から現在に至るまで)の港の繁栄ぶりとを対比した形となっている。軍国調でないことも長持ちしている理由・・・かな。

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 冒頭の絵図の入海はかなり大きくて、今の横浜市営地下鉄では、吉野町、阪東橋、伊勢佐木長者町、関内、桜木町の5つの駅が入ります。また2つの川に囲まれていますので、航空写真や地図でも、釣り鐘型を確かめることができます。

 砂州の部分は、桜木町から石川町まで、どこから海へ向かっても、緩やかな登りとなりますので、歩いていて分かります。

 拙ブログでは、かつて本記事、特に横浜にかかわる記事を2つほど書かせていただいたことがあります。今、それにリンクしますね。よろしかったらご覧ください。

 旧東海道を歩く。(2)
 諸外国と結んだ修好通商条約には、開港場として、横浜でなく、神奈川と書かれていました。その間のごたごたに少しふれています。

 あけましておめでとうございます。
 横浜の歴史、はまっこ気質など、横浜の紹介といっていいような記事です。

rve83253 at 14:13|PermalinkComments(15)TrackBack(0)エッセイ | むかし

2017年04月02日

問題解決学習のtoshi的考察(3)

tako2 拙ブログでは近年、恒例になっていることがある。右サイドバーに《人気記事(過去15日分)ベスト20》を掲載しているが、年度末になると必ず《卒業式の式辞》が1位となるのだ。さらに今年は、なんと読者数が一時期2,000を超えたことがある。ありがたく感謝している。

 この記事、もうずいぶんむかしになってしまった。掲載してから早10年。式辞のときからでも20年を超えた。ああ。光陰矢の如し・・・か。

 今、あらためて読み返す。特に印象に残っているのは・・・、

 わたしは卒業式が近づくと、6年生の教室で卒業記念の授業を行わせてもらった。この年は道徳だったが、特に印象に残る子どもの発言があった。わたしの、
「中学生になろうとしている今、もっとも大切にしているものは何ですか。また、その理由は何ですか。」
という問いかけに対して、
「友達の個性です。」
と言った子がいたのだ。

 友達の個性を大切にするというのは、
・友達のあるがままを受け入れ、尊重する。
・自分とは違うタイプの友達の言動であっても、なぜそう言うのか、なぜそう行動するのかなど、人間探求の心で接する。
ということではなかったか。

 この年、卒業生の多くはそんな姿をふんだんに見せていた。何より自閉症の同級生をも包み込み、ダメなことはダメとしながらも、豊かに心通わすやさしさをもっていた。

 もう一つ、別な記事も紹介させていただきたい。《差別に気づき、差別と向き合い、差別を許さない授業の実践》である。

 これは、わたしが他校で見せていただいたのだが、学級づくりと社会科の学習とを《差別》をテーマに一体化させた実践だった。

 学級内にボス的なふるまいの子がいた。リンク先記事ではEさんだ。そのEさんが差別の学習で、差別する人の心情、される人の心情を学ぶなかで、それが学級で自分がやっていることに重なり合っていることに気づく。
 自分も学級内で友達を差別しているのではないか。『友達に一方的に命令したり言うことを聞かせようとしたりするのはいけない。』と思うようになった。

 それにつれ、学級内にも変化が生まれる。それまでEさんの発言に対してはおとなしかった子どもたちが、徐々にEさんの主張に言葉をさしはさむようになった。さらに、反対意見も言うようになった。Eさんの変容と学級の変容は相互に作用した。同時進行だった。
 
 このように問題解決学習は、一人一人の内面に好ましい変容をもたらし、生き方にひびいていく学習である。単なる指導法の一つととらえる向きもあるが、そんな単純ではない。授業が、学級内の好ましい人間関係構築と一体化しているのだ。

 自分を大切にする。それが友達を大切にすることにつながる。友達を大切にすることが学びの価値を深め合うことにつながる。相互に作用し合い、一体となって子どもを育んでいくのである。

 双方ともくわしくは過去記事をお読みいただきたいが・・・、

○Aさんの変容

 まずは本シリーズ(1)の事例をとり上げてみよう。

 ここに登場するAさんはおとなしい子だ。とてもこんな、物議をかもしそうなことを言う子とは思えなかった。だって開発単元の導入なのに、その開発に真っ向から反対するのだもの。かなり大きな声で、言わずにはいられないといった感じだった。おとなしい子だけに、勇気ある発言だった・・・かな。

 案の定みんなから反論された。『ええっ。なんでえ。Aさんは開発しなくていいって思うの。』というわけだ。

 さあ、この反論、対立についてだが・・・、こういうとき、どうだろう。ともすると、指導者は避けさせる傾向がありはしないか。批判される子がかわいそうだと思う。勢いきれいごとに終始してしまう。《他に》《つけたし》ばかりで意見の羅列になりがちだ。これだと、学習が平板になってしまう。

 Aさんのクラスの場合意見の対立があり、孤立無援にみえるときがあっても、《かわいそう》という雰囲気にはならない。互いの思いをぶつけ合いながらも、そこには温かさを感じさせるものがある。担任のBさんには、《意見が対立して議論し合っても、それによって友達理解が進むので、かえって仲良しになる。》といった考えがある。

 また、上記、《友達の個性を大切に》にもつながる。この場合は、友達の発言を大切にとなるか。反対意見を言ったり、友達の考えを批判したりしたとしても、相手の思いはあくまで尊重する。

 わたしも、それを側面から支援する。記事にも書いたが、再掲させていただくと、
「(みんなは、Aさんの考えに反対のようだけれど、)誰か、Aさんの気持ちになってAさんがなぜそう思ったか、そのわけを想像できる子はいるかな。」
と投げかけるのだ。

 そう。自分とは違っても、友達の心の内を想像する。これは洞察力を養うことにつながる。冒頭述べた人間探求の心にも通じる。また、多様性の理解(間違いは正さなければいけないが、違いは尊重しなければいけない。)でもある。

・自分と違った考え方だが、Aさんはなぜそのように考えるのだろう。友達の考えを知ることはとても興味深い。いろいろ考えがあるのだと想像することはおもしろいし、楽しい。そして、自身の成長を感じる。
・どの考えが正解でどの考えが間違いというものではないね。いろいろな考えがあっていいのだ。
・どの考えも尊重しなければいけない。自分とは違う友達の考えであっても大切にする。だから、友達もわたしの考えを大切にしてくれる。

 こうしたことは、社会科のねらいに迫るうえで大事だが、それだけではない。授業を離れ学級生活全般においても、《友達の個性を大切に》することになる。
 
○思考力の育みと知識の習得は同時進行で、

 『まずは知識の習得だ。知識が乏しいところで思考は成り立たない。』そういう大人は多い。教育に携わる者でもそうだ。しかし、それは違うのではないか。

 江戸時代の開発の学習だが、上記、Aさんは、現代の環境問題をベースに考えている。江戸時代をまだ知らないのだから、思考は現代の常識でしかはたらかない。当然未熟だし、間違った基盤で思考しているともいえる。

 それでは、その思考はダメなのか。正しい知識がないまま考えても意味ないのか。

 そんなことはないはずだ。今、まさに発展途上にある子どもだもの。友達と意見を戦わせ、反論されたり、支持されたりしながら、思考を鍛え知識を身につけていく。

 Aさんは聞く一方になることが多かったが、自分が開発不要論をぶったこともあり、友達の話を真剣に聞いていた。そして、まったくの寒村であった横浜、すべて手作業による工事など、江戸時代の開発の様相をとらえるにつれ、当時の開発についてだんだん的を射た思考をはたらかせるようになっていった。

 そう。だから、思考と知識の習得は車の両輪。同時進行で養っていくのだ。一体となったり相互に作用し合ったりしながら、当初の思考を修正、深化されていく。Aさんも、本単元の終末時においては、江戸時代の開発容認へと考えを変えていくことになる。

○学習意欲の喚起へ

 こうした学びは学習意欲を喚起する。お仕着せでなく自分自身で考えているからだろう。子どもたちが生み出した学習問題。それを解決すべく多様な考えでもみ合う。それが、学びに切実感をもたせ、自分の考えの根拠づけを求める。そして、ストンと胸に落ちる理解へとつながる。

 これは問題解決学習の醍醐味といえるのではないか。指導者による一方的な教え込みでは、こんなダイナミックに思考が展開することはないだろう。大部分の子は、受け身の学びゆえ、覚えることばかりで、思考の展開など望むべくもない。

 自ら学ぼうとする意志があって、初めて思考をはたらかせるのだ。そのために、子どもが抱く、《ええっ。どうして。》《おかしいよ。変だよ。》の思いを大切にしていく。これは学習の起爆剤だ。

 指導者は、間違っても《何変なこと言っているの。》といった態度をとったり、無視したりしてはならない。そんなことをしたら、子どもの意欲は萎えてしまい、発言もしなくなるだろう。

○学びの態度、質の向上

 先にもふれたが、こうして学ぶ子は、簡単に納得しない。それは、本シリーズ(2)に表れているだろう。工場がはき出すばい煙や廃液を市民が誇りとしていることについて、指導書では高度経済成長の象徴といった趣旨の説明が載っているが、子どもは、《そんなのおかしい。死者まで出ているのに、なんで誇りなんだ。》と怒りにも似た気持ちをもつに至る。

 それでわたしに授業の依頼があったわけだが、わたしの授業で納得したかどうかは分からない。そのくらい深く追求しようとする子どもたちだ。《ええっ。なんでえ。》《おかしいよ。変だよ。》という心情には旺盛なものがある。
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 ちょっと離れてしまうが・・・、わたしには楽しい記憶がある。まだ30代そこそこのころだった。わたしは修行中だったといっていい。Cさんという子がいた。
「toshi先生は、ぼくたちに〜って言ってほしいみたいなんだけど、ぼくはそう思わないのであって、〜。」
そう前置きして意見を言い始めたのだ。これは研究授業で、後ろには大学教授なども見ていらしたが、その方が実に楽しそうに笑みを浮かべていた。あとで、
「toshiさんはすごい子どもを育てているではないか。教師の胸の内までちゃんとお見通しだ。」

 そう。まだまだ修行が足りなかった時期だ。子どもの反応のいちいちに、《おっ。いいぞ。》《うわあ。こまったなあ。》など、顔に出していたのだろう。これだと、指導者の顔色を見て発言する子を育ててしまいがちだが、このCさんの場合は、そんなことを超越し、しっかり生きる力を育んでいるし、自立していたともいえそうだ。

 子どもの育ちはまだある。よく、《問題解決学習ははい回る。子どもたちはどうでもいいことに熱中して時間をとってしまい、そのため、大事なねらいがぼやけてしまうことが多い。》などと言われるが、我がクラスのDさんは、途中まで言いかけて言いよどみ、
「うん。今、問題になっていることについて、ぼくはEさんに賛成で、〜と思っていたの。それでその意見を言おうと思っていたのだけれどね。
 でもね。今のFさんの発言を聞いていたら、そんなことはどうでもいいと思うようになって、やっぱりFさんが言うことのほうが大事だからね。
 みんなはFさんは場違いで話題に合わないことを言っていると思ったようだけど、ぼくは、話をFさんの言う方に変えたほうがいいと思う。だって、〜。」

 うん。もう、40年近くもむかしのことだ。はい回る話し合いを子ども自らがただし、価値ある学習へと流れを変えてくれた。何の話し合いをしていたかは忘れたが、こうした子どもの育ちにかかわることは、特に印象深く覚えている。

 こうした学力は、大人になって仕事をするうえでも、特に大事になると言っていいだろう。大人になっても生きてはたらく学力を養っていることになる。

 40年近く前の話をまだまだ続ける。

 子どもたちが意欲的に学ぶようになると、当然発言も多くなる。35人以上もいる学級で、ほとんどの子が発言するようになると、一人はせいぜい2回までだろう。そうなると、だんだん自分の出場(でば)をわきまえるようになっていく。
「今はまだ単なる資料の読み取りだ。手を上げても、先生は指してくれないだろう。」
「おっ。やっと互いの思いを出し合うようになった。今なら指してくれるのではないか。言いたい。」
「今はまだ資料の読み取りだから簡単。今のうちに手を挙げて言っておかないと、後ではもうぼくの出番はない。よし。手を上げよう。」
など。

 発言以外でも、それぞれが自分の得意分野を自覚し、学級の中で自然に役割が決まっていく。なんでも得意な子もいるが、多くはそうではない。

・街へ出て資料収集するのが好きで得意な子。しかし、集めた資料はほったらかし。
・自分は街へ出るのはおっくうで嫌だが、友達が集めた資料を整理、グラフ化するなどということは好きで得意。
・友達が作った資料を基に、いろいろ考察するのが好きだ。

など、それぞれが得意分野で活躍していく。そして、協力体制が充実してくるにつれ、得意分野はだんだん広がり、なんでもやり遂げるようになる子もふえる。

 また、次のようなこともある。

 我が強く言い張る子、かたくなで自説を変えない子がいると、問題解決学習は暗礁に乗り上げる。当面困った存在となる。勢い、指導者は強権発動となりがちだ。わたしにもそうした苦い経験はある。

 資料などにより、《ああ。そうか。なるほど。分かったよ。》というように、多くは納得しているのに、こういうタイプの子は特別な場合を持ち出し、自説を変えない。まわりの子たちも、《あきれた。もうやめたら。》といった顔をしている。

 こういう子には、お説教をしてもかたくなさは消えないだろう。それどころか、ますます意固地になる場合も多い。

 こういうのって、友達の力が大きいのだよね。友達の受容的な姿勢。学級の雰囲気の盛り上がり。それが力を発揮する。前述の事例、ボス的にふるまっていたEさんの事例など、《差別》という学習内容の理解と友達の力によって、見事に変容していった例と言えよう。

 問題解決学習により育った学級の雰囲気。その一例だが、

 友達の意見に、資料に、心から納得できれば、素直に自分の思い、意見を修正していく。《ああ。そうか。》《なるほど。》《よく分かったよ。》そんな言葉が教室に飛び交う。拍手が起きることもある。ストンと胸に落ちる理解を与えてくれた友達には、《ありがとう。》などと感謝の言葉が聞かれることもある。

○まとめはいらない。

 初任者に限らずだろう。
「授業の最後のまとめはいらないよ。」
そう言うとびっくりする。
「まとめなんかしなくても、しっかり定着するような授業を心がけなさい。」
そう。意欲的に学習していれば、まとめなどしなくても大丈夫だ。

 それよりもっと大事なことは、授業と授業の合間を大切にした終わり方をすることだ。
 授業の最後は次の学習問題が生まれている。すると、多くの子は次時の授業で活躍すべく、放課後、家庭やまち、図書館などで、様々な活動を展開するようになる。
 特に議論沸騰して授業を終えた場合などは、なおさらだ。

 まとめをしたくなる心理は、本時の学習内容が身についたか不安になるからだろう。それは指導者の心理であって、子どもは別にそんなことを必要とはしていないはずだ。だから、まとめはいらない。

 ただし、授業を進めていて、《ああ、既習内容が定着していないな。》と思うときはあるだろう。そのときこそ、振り返りのチャンスだ。
 いや、変な言い方だね。定着していないと感じたら、これは反省しなければいけないよね。でも、そんなときこそ、子どもも振り返りの必要性を感じるはずで、やればいい。

○体験を通してこそ

 これについては、先の記事にHidekiさんよりコメントを賜った。ほんとうに、体験を通すからこそ、より実感的な、体を通しての思い、考えとなる。

 もっこによる土運びの体験では、
「肩が痛くなった。登りになったらもっと重くなった。」
「かついでいたら、土の入ったかごがゆらゆら揺れたから運びにくくなって、かごのひもをもって揺れないようにしたけれど、むかしの絵を見たらちゃんとひもをもって運んでいたから、ああ、これでいいんだと思った。」
など、これも実感的な分かり方をしていることがよく分かった。

 体験を通すからこそ、むかしの仕事にはコツや慣れ、つまり経験が必要なことをとらえることができる。

 なお、先に紹介させていただいたHidekiさんのコメントの一部を転載させていただきたい。

 広く社会で仕事をしている大人のことをおっしゃっているのだと思うが、

《机上でものを考えるのではなく、かならず現場で自分の目で耳で肌で感じて考えることが大事だという、一番の考えることの原点を学ぶことにつながるからです。机上の考えで現場と遊離して大失敗した例は、それこそいっぱいありますからね。》

 先の、《放課後、家庭やまち、図書館などで、様々な活動をするはずだ。》にも言えることだが、《机上の考えで現場と遊離して大失敗》しない学習を子どものうちから経験してこそ、学校で学んだことは社会に出てからは通用しないといった学力観を排除することができる。

○偶然も必然に

 Hidekiさんの同コメントでは、タコの体験について、《たまたまかもしれないけれど》とある。確かに、本記事の写真にある《タコ》は、担任のご家族の方のやさしさから生まれたハプニングだったが、問題解決学習により、子どもが意欲的に学ぶようになると、ハプニングはつきものとなる。とにかく授業の合間に指導者の意図を離れたところで活躍するようになるのだから、予測不可能なこともふえる。

 このハプニングをいかにこちらの指導計画に取り込むか、そこにも、指導力の真価が問われることになる。

 一つ一つは偶然の所産だが、そうしたことが必ず起こるという意味では必然である。

○補足
 
 自立、自分らしさ、自己実現。その裏返しが、他人に合わせろ、空気を読めということになろうか。

 現状、日本においては、むずかしい課題だよね。そんな日本だからこそ、子どものときからの自己表現を大切にした教育が求められるのではないか。問題解決学習が現代的な意味で、ますます重要になっていくと思われる。

○発達障害と問題解決学習と

 最後にふれたいことがある。

 わたしは発達障害について専門的に学んだことはなかった。しかし、本記事とは別に、わたしも自閉症傾向のある子どもを担任したことはあり、その児童への対応については、試行錯誤の連続だった。

 その試行錯誤は、退職後拙ブログを始めさせていただいてから、さらに深まった。発達障害について専門的な知見をお持ちの方のブログを拝読するにつれて、それまですっきりしていた問題解決学習について、あれでよかったかという思いが生じてしまったのである。

 ここではもうだいぶ長くなってしまったのでふれないで、リンク先記事にゆだねよう。お時間のある折、ご覧いただけたら幸いである。

 わたしの問題解決学習への思いはさらに深まったといえよう。

    発達障害児と問題解決学習と、(3)

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 《学びが意欲的になる。》ということ。今年度の我が実践から楽しいエピソードを紹介させていただきましょう。

・県内の伝統的な技術を生かした工業の学習を終えた時です。お父さんに、誕生日のお祝いに何がいいと聞かれたGさん。《寄木細工の秘密箱がほしい。》と言ったそうです。お父さんは、ネット通販で購入してくれました。また、寄木細工の故郷である箱根畑宿を訪ねた家庭も複数ありました。

・吉田新田の学習を終えるころ、Hさんはご両親におねだりし、一緒に吉田新田の周り(約7劼らいか。)を一周し、埋め立ての規模を実感的にとらえました。

・また時宜を得たテレビ放送もありました。ブラタモリの横浜編です。《はまの秘密はハマにあり》。今年の正月、再放送がありました。

 関内駅の地下に江戸時代に築かれた石垣があるとのこと。わたしはまったく知りませんでした。テレビでは、幕末の横浜開港のときの街づくりのときに造られたと言っていましたが、わたしは、もっと前の吉田新田埋め立てのときの汐除堤ではないかと思いました。それで横浜市歴史博物館に問い合わせましたが、くわしくはよく分からないとのことでした。

 分からないということは、可能性としては・・・

 歴史って楽しいですね。

rve83253 at 09:55|PermalinkComments(5)TrackBack(0)問題解決学習