2007年07月15日

町内会長として(2) 子ども会の創設

c8086c52.JPG  前記事に書いたように、わたしは、マンション入居3年目の年、3代目の町内会長だった。

 ところで、町内会長をお受けするにあたっては、ひとつ、心にひっかかることがあった。


 それは、次のような妻の言葉だった。

「『なぜうちのマンションには、子ども会がないのかしらねえ。』という声が、だんだん大きくなっているわ。でも、自分がつくろうという人は、いないのよねえ。」

 それを聞いていたので、町内会長を引き受けるにあたっては、『わたしのときに、子ども会をつくらなければいけないな。』という思いがあった。
 さらには、わたしの仕事が仕事だから、子ども会をつくらないままで、次期役員に引き継ぐことは申し訳ないという思いもあった。
 

 そこで、役員会での打診から始めた。初めは、皆さん、賛意は表してくれるものの、『やりましょう。』というような積極的な反応はなかった。

 仕方なく、恒久的な活動になると思われる子ども会は一時棚上げにし、まずは、一つの大きなイベントから始めることにした。

 夏休みの、マンション町内会主催のレクリエーションだ。

 これは皆さん、積極的に受け止め、すぐ、『やりましょう。』と言ってくれた。それぞれが、自分にできそうなことを提案してくれた。『職場にあるものを借りてきましょう。』とか、『どこどこへ行けば、そのようなものは安く買えますよ。』とか、思い思いに発言し、アイデアを出し合い、計画段階から盛り上がっていった。

 いろいろな仕事の人がいるし、趣味も多彩だったから、この話し合いは実に楽しく、また、お互いの気心もよく分かるようになっていった。
 

 イベントは、マンション内の広場で行った。

 すいかわり大会、もちつき大会、各種ゲーム大会、花火、それに、飲食物の販売など、・・・、役員の枠をとび越え、多くの方が計画、準備などに活動してくださるようになった。


 会の進行はかなりアバウトだった。

「町内会長さん、挨拶してくださいよ。そうしないと、なんか、だらだらしちゃって、さっと始められないみたいですよ。」

 そんな声もあり、予定外の挨拶をあわててすることになった。
 でも、これでいいと思った。職場ではないのだもの。そんなスムースに運ばなくったってかまわない。各人が各人の持ち場で張り切って、なかよく、楽しく、ことが運べば、それでいいと思った。

 わたしは全体がうまく動いているか、持ち場、持ち場ごとにまわって声をかけたり、子どもとふれ合ったり、大人向けの『ビールコーナー』もあったから、そこでは、見知らぬおやじさんたちとなかよく懇談したりした。

 みんな楽しそうにやっていた。まあ、なかには、自分のほしい飲食物だけ買うと、さっと自宅へ戻ってしまう方もいたが、苦情などはなく、一回目としては大成功だったと思う。懇親の実を上げることができた。


 そして、この会の後は、マンションの雰囲気もうちとけてきたし、大げさに言えば、風土といったものがうまれたような気がした。



 わたしにとっても、

 子どもとのふれあいは、とてもうれしいものだった。仕事をはなれてのふれあいには、職務といった感覚がない。だから、自分に寄ってくる子どもたちだけを相手にしても、特に問題はない。その自由さ、のんきさ、それは何とも新鮮だったのである。

 おもはゆさもあった。『toshi先生。』などという子は、もちろん皆無で、みんな、『Aちゃんのお父さん。』とか、『おじさん。』とか呼んでくれる。こういう経験も貴重だと思った。
 
 この会以後、子どもが悪さをしても、遠慮なく、叱ったり注意したりできるようになった。子どももよく言うことを聞いてくれた。

 また、まちで、マンション内で、見知らぬ奥様方から挨拶してくれることもふえた。

 「会長さんは、学校の先生なのですってねえ。」
 そのようなことも言われた。こわれて、教育相談を受けることもあった。

  


 さて、そんな雰囲気がうまれたことで、子ども会の創設は、奥様方を中心として、順調に進むようになった。

 お子さんのいる町内会役員は、必ず子ども会の世話役になるというルールもつくった。
 

 
 順調に船出したのだが、わたしには一つの思いがあった。子ども会の運営に当たっては、すべて、大人が面倒を見るのではなく、『高学年児童を中心に、子どもが計画・運営するかたちもとり入れたい。』
 妻にそのようなことも言った。

 しかし、それは無理があるようだった。

 見るともなく見るのだが、大人が楽しそうに張り切ってやっている。子どもたちの面倒をみてやりたくて仕方ないようだ。

 それなら、それでいいではないかと思った。学校ではないのだもの。皆さん、そういうかたちで子どもを育むことの専門家ではないのだから、一方的にお世話をする役でもかまわない。そう思うようになった。



 
 マンションというのは、とかくまとまりがないとか、地域住民としての意識が希薄だとか言われる。また、これは、マンションに限ったことではないが、近年、町内会に入らない世帯もふえていると聞く。

 それではさびしいのではないか。特にマンションは運命共同体でもあるのだから、こういう仕事はボランティア的ではあるが、重要だと思う。

 そう。そう。教育再生会議は、地域の教育力にもふれている。これについては、わたしは、大すじ、賛成だ。
 子どもを育む環境として、家庭・地域・学校と、その三つは並ぶのである。大人は心したいものだ。


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 このマンションの町内会の役員は、管理組合の理事と兼ねていました。

 おもしろかったのは、皆さん、管理組合の話題のときは、苦虫を噛み潰したような表情もあるのに、こと、町内会の話題に移ると、実に楽しそうな表情になっていました。

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rve83253 at 20:15│Comments(2)TrackBack(0)教育風土 | エッセイ

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この記事へのコメント

1. Posted by きゃる   2007年07月16日 15:36
>そして、この会の後は、マンションの雰囲気もうちとけてきたし、
>大げさに言えば、風土といったものがうまれたような気がした。

すばらしいですね。
風土なんて数値化できないので成果が見えにくいのですが、
そこを意識しておられること自体がさすがだと思いました。

>『高学年児童を中心に、子どもが計画・運営するかたちもとり入れたい。』
やはり、その発想は教育に携わるものならではでしょう。
こちらの方が、よっぽど大人の支援が大変になるのですが、
「子どもに全て任せたら、大人の出番がなくなる」という意識があるんだとおもいます。
2. Posted by toshi   2007年07月17日 19:59
きゃるさん
《風土なんて数値化できないので》
 ほんとう。その通りですよね。『学校評価』『外部評価』『学力検査』なんでも数値化です。
 数値化できる部分もあるし、できない部分もある。それをしっかり把握しないとダメですね。
 『実感と数値が、えらくかけはなれている。』などということは、それこそ、経験の中で、実感しています。
 この点、近いうち記事にさせていただこうと思っています。

《「子どもに全て任せたら、大人の出番がなくなる」という意識があるんだと思います。》
 ううん。そうでしょうね。逆を言えば、ここにこそ、教員としての専門性があるのかもしれません。

 でも、地域の教育力だって大切なのですよね。
 

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