2007年07月23日

地域の教育力にとけ込む4

f6851a88.JPG 前々回の記事の最後に、
『地域(の教育力)は、家庭や学校の補完と限定するのではなく、地域は、地域として生きるなかで、教育を完結させる。そうした考えも大切にしてほしい。』
と書いた。

 教育再生会議は、地域の教育力を、学校教育の補完としてしかとらえていないのではないかという、そうした点についても述べた。

 ここでは、教育再生会議がふれていない、地域の教育力に学校が協力するという、ちょっと常識とは逆立ちした視点で、書いてみたい。



 わたしが退職した学校の地域では、地域が行う教育活動が明確にあった。

 着任早々驚いたのだが、
 地域の消防団には少年部というのがあって、小学生が多数参加していた。地域が行う防災訓練では、大人たちに混ざって、子どもも消火訓練などを行っていた。
 夏のお祭りでは、盆踊りなどで、子どもたちも大人に混ざって、出店の販売活動、やぐらの上での踊りなど、一定の役割を果たしていた。
 地域の方が指導する鼓笛隊もあった。この鼓笛隊は、地域のさまざまな行事に参加していた。オープニングを飾るなど、とても晴れやかな舞台が用意されていた。

 まだあるが、例示はこのくらいにしておこう。


 また、これは、退職校ではないが、地域にむかしから伝わる伝統芸能に子役もあったことから、多数の子どもが出演させていただくというところもあった。

 『地域が地域として、教育を完結させる。』環境は整っていたのである。



 ここで、話を変える。

 学校は、日ごろ、地域の教育力に大変お世話になっている。地域の方々は、学校のため、子どもたちのために、骨身を惜しまず、協力してくれる。
 本の読み聞かせ教室、生活科などまち探検での付き添い、栽培物のお世話や指導、登下校の見守り、・・・、まだまだたくさんあるだろう。

 さて、学校は、このように、地域の皆様にお世話になるだけでいいのか。

 地域の教育力を大切にするなら、地域のさまざまな活動に学校が協力するという側面があってもいいはずだ。

 そこで、あるとき、自校教職員にお願いをした。

「〜。我が校の地域の方々は、子どもたちのための活動をたくさん行っています。そのおかげで、心豊かな子どもたちが育まれているといった側面も、まちがいなくあります。
 そうした、地域の活動に対し、学校も協力できるところは、協力していきたい。
 それではじめて、学校と地域がともに手を携え、子どもを育むという、そういう姿勢が明確になるのではないでしょうか。

 はじめは、子どもとともに参加し、交流し合うだけでもいいでしょう。まずは、そこから始めようではありませんか。

 地域の活動の多くは、休日に行われますね。ですから、勤務をお願いするものではありません。『行ってみようか。』と思われた教職員の方だけでけっこうです。いろいろ予定のある方もいるでしょう。家族のことでとても無理という方もいるでしょう。そういう方はけっこうですよ。決して無理はなさらないように。」

 最初は、わたしと教頭、それに、教務主任だけということもあった。しかし、だんだん若い先生を中心に参加する教員がふえていった。

 地域の方も、
「最近、先生方がよくいらしてくださいますね。みんな、喜んでいますよ。」
と言ってくれたし、教員も、
「ふだん見られない子どもの姿を新発見する場でもありますね。児童理解に役立ちます。」
などと言ってくれた。

 夏の盆踊りなどでは、子育て中の先生が、お子さんと一緒に来ている姿も見られた。先生のお子さんと、先生のクラスの子がふれ合う姿は、これまた、とても印象に残る、美しいものだった。
 ただ単に教育力という言葉ではすまないような、豊かなふれ合いが見られた。



 ここで、ちょっとわき道へそれるが、管理職としての留意点。

 『誰が来た、誰は来ない。』そのような考えをもってはダメだ。個々はそれぞれの事情があるのだから、それは理解してあげないといけない。

 来てくれる先生がふえるのは、『来ない先生も含めて、全教職員が盛り上がっているから。まとまっているから。』そういう認識をもとう。

 あくまで、それは全教職員の、『子どもを見よう。』『地域に感謝しよう。』『地域とともに盛り上がろう。』そういう姿勢の現れと理解しよう。
 
 そして、それを、日々、全教職員に語っていなければいけないし、態度で示していなければいけないし、さらには、地域の皆様にも伝えなければいけない。



 わたしが退職した学校では、毎年、ある土曜日、『A小フェスティバル』なるものを開催していた。
 午前中は学校の教育活動だが、午後は地域主催という、2本立ての行事だった。

 午後の部、教員はもちろん、自由参加だったが、
「わたしたちも何か、やれることはないかしら。」
みんなでアイデアを出し合っていた。

 当日は、地域の方々が出すお店に混ざって、古本の交換市をやった。
 なるほど。いかにも教員らしいお店だ。地域の方々も感心していた。しかし、どちらかといえば、閑散とした状態が多かった。


 わたしが退職した後、案内をいただき、おじゃました。
 教職員が、古本屋さん以外にも、地域の方と一体になって活動しているのを見て、『おお。これはすごいぞ。』
まさに、地域に溶け込んだ学校という姿だった。感無量なものがあった。


 本日の結論。2者の関係は、一方通行ではいけないだろう。本来、人間の自然な姿からいっても、双方向でなければならないと思う。

 それもまた、子どもの豊かな人間性を育むうえでの礎となる。

 
にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 考えてみれば、わたしの子ども時代、こういう姿は、よく見られたものです。

 そこに、品のよさはなかったかもしれないけれど、けんかもいじめもあったけれど、それこそ、それを叱ったり、たしなめたりする大人が、身近に大勢いました。


 笑ってしまうのですが、近所に、わたしの幼少時代をよく知っているおじいさんがいます。今もご健在です。

 わたしがコンビニで買い物を済ませ、家に向かっているときでした。
 いきなり叱りつけられましたよ。

「おい。toshi。そんな袋、そこいら辺に散らかすなよ。」
思わず、
「はい。」
と答えていました。

 ああ。このおじいさんにとってのわたしは、今でも、子どもなのですね。
 
 それでは、やや、子ども返りした感のあるわたしに、どうぞ、1クリックをお願いします。



rve83253 at 14:55│Comments(4)TrackBack(0)教育風土 | 学校経営

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by ai   2007年07月23日 16:06
学校の先生方は、ご自身の居住されている地域と勤務校の所在する地域とで、地域との関係を築かなければならないこと、負担に感じる方もあるかもしれませんね。

>『誰が来た、誰は来ない。』そのような考えをもってはダメだ。個々はそれぞれの事情があるのだから、それは理解してあげないといけない。

仰る通りだと思います。
保護者も、うちの担任は来なかったから熱心ではないなどと、来るか来ないかにとらわれてはいけませんね。
一地域住民として、参加してくださる先生がいらっしゃることに目を向けるべきだと気づかされました。
当たり前という雰囲気に慣れてしまわず、お互いに感謝の気持ちを持ち続けることが、よりよい関係作りにつながるのだと思いました。
2. Posted by kei   2007年07月24日 00:32
 子どもがちょっと大きくなって、ようやく地域の行事やPTAの行事にも参加できるようになりました。
 できる状況になったときに、できることでお手伝いをというのが大事なのだなと思います。 
 普段と違う子どもたちの様子も見れますし、保護者の方々も気さくに声をかけてくださいます。「参加しなくてはならない」ではなくて、「参加してよかったな。」という気持ちになるのです。

 toshi先生を叱るおじいさまのお話は、先生のお顔を思い浮かべながら、笑ってしまいました。
 
3. Posted by toshi   2007年07月24日 09:57
aiさん
 人間は、最初は感謝しても、なれてくると当たり前になってしまい、やがて、やってくれないと不満を言うようになるなどということがありますね。
 ですから、やりっぱなしではなく、いつも管理職が、その意義、意味、価値などを言っていなければなりません。それもマンネリにならないようにしてですね。
 よそとくらべる。以前とくらべる。
 地理的、歴史的見方は、相手に感謝するために、使いたいものだと思います。
4. Posted by toshi   2007年07月24日 10:12
keiさん
 そう。お子さんが成長すると、親は、自然に我が子を介してのつき合いが始まりますね。
 『無理なく自然に、』がいいのだと思います。
 仕事と違い、だいたいは、意図的、計画的活動ではないですものね。
 でも、そこから、無形の財産、宝物を得る思いがします。
 わたしたちの仕事は、その点が、とても特殊。
 子育てと学級経営に、けっこう、共通点を見い出したりすることもあるのではないですか。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字