2007年07月27日

初任者の成長(3) 中学校の事例 光が見えてきた3

0cc558f4.JPG 今さら言うまでもないが、わたしは、小学校の初任者指導に携わっている。でも、本日とり上げるのは、中学校初任者(『A先生』としよう。)の事例である。だから、わたしが直接指導したわけではない。

 たまたま、A先生ら(経験3年目。だからもう今は、初任者ではない。)と話す機会があったに過ぎない。



 しかし、感動的だった。すごい話だった。


 今は夏休み。多くの初任者は、ホッと一息ついていることだろう。そのなかには、不安をかかえ、とまどい、さて、9月からどうしたものかと思い、悩んでいる方がいるかもしれない。そういう方には、一つのヒントを与えてくれるのではないかと思う。

 また、広く市民、保護者の皆様には、若き教員の思いに寄り添っていただけたら幸いと思う。



 ただし、まず、お断り。

 わたしにとっては、中学校の状況について不明な点も多々ある。

 そして、中学校と小学校では、初任者のおかれた状況に、かなり異なる点があるだろうとは想像がつく。本記事でとり上げる部活などは、その典型例だ。

 しかし、そこに示される悩み、葛藤など、また、改善へ向けての努力は、けっこう共通点もあるのではないか。そして、『その際、大切なものは何か。』という点でも、同じことが言えるのではないか。
 だから、小学校初任者の皆さんも、ぜひ、参考にしてほしい。


 今、初任者のときに退職してしまう教員が、少なくないという。もし、そういう思いの初任者がいたら、この事例がきっかけとなり、『9月からがんばろう。』と決意を固めてくれたら、望外の喜びである。

 
 それでは、A先生の話をまとめてみる。



 
 A先生は、数学の教員として、B中学校に着任した。

 しかし、着任早々、ショッキングなことが起こった。部活のことだが、まったく専門外の合唱部所属となったのである。いざ活動が始まってみると、思っていたこととのあまりのギャップに、愕然とさせられた。

 『これは、すごい。わたしには到底指導などできない。』そういう思いでかたまってしまった。

 とは言っても、採用が決まり、校長面接に臨んだとき、『合唱部かパソコン部のどちらがよいか。』とは聞かれたのだった。

 パソコンは教えられるほどくわしくないと思ったので、断った。合唱は、かつて子どもだったころ、経験がなかったわけでもなかったので、そのように話したのだった。


 しかし、趣味程度で歌っていたのと、部活の指導とはまったく違っていた。

 先輩の先生が子どもたちと心豊かにふれ合い、きびしい練習をこなしていくなかで、A先生は、とまどいが強まっていった。

 子どもとかかわろうとする気持ちは強くあったものの、とまどいやかたまりの結果、どうかかわっていいのか、どうかかわれるのかがまったく分からず、みんなの後ろで腕を組み、ただ練習風景を見ているだけになってしまった。

 それがよくなかった。数日たつと、一部生徒の表情、A先生に対する態度が、明らかに変化していった。

 はじめは、数人の3年生だった。
「何さ。あの先生。ただ突っ立って見ているだけじゃない。」
「何しに来ているのよ。」
「じゃまだから、どいてよ。」
「やめたら。」

 そんな子どもの態度に、新たなるとまどいとかたまりが生じてしまった。思わぬ反抗に、心底驚き、打ちのめされてしまい、子どもがこわくなってしまった。

 今振り返ってみると、あのころは、ほんのささいなこと、冗談のたぐいまで真に受けて、さらにおかしくしてしまったと感じる。恐怖とショックが大き過ぎて、冷静さを欠いてしまっていた。

 『あのとき、パソコン部を希望しておけばよかった。そうすれば、この苦しみから逃れることができたのに。』と、何度も悔やんだ。苦しみから逃げ出したい思いでいっぱいになった。

 一度、こじれると、そこから脱することは、なかなかできない。そして、月日がたてばたつほど、その思いは倍化される。

 だんだん反抗的な態度の子どもがふえていく。


 そして、そうした反抗的態度が、授業にまで影響するようになってしまった。

 授業が、別にまずかったわけではない。指導教員の先生も、『はじめは順調だったのよ。』とおっしゃってくださった。

 授業は1年生しかやっていなかったから、別に子どもが変化したわけではない。しかし、部活で打ちのめされてしまうと、すべてにおいて卑屈になってしまい、満足に授業もできなくなってしまった。そのうち、学校へ行くことさえいやになってしまった。


 学級の方も、一年目は副担任という立場。

 この立場も微妙だった。どの程度、子どもとかかわればいいのかという思いが常にあった。

 つい数ヶ月前、教員としての夢や抱負など、晴れやかな気持ちで着任したはずだったのに、そうしたことを思い出すと、涙ぐんでしまう自分がいた。

 それに立ち向かっていかなければと思いながらも、とても克服できる状態ではなかった。『それには時間が必要か。』とも思った。



 こうした状態で夏休みをむかえた。悶々と過ごす日々だったが、でも、いろいろ考える時間も与えてくれた。

 常々、先輩の先生には、相談していた。また、初任者研修でも、指導教員の先生にも、指導を仰いだ。いろいろ助言もいただいたし、一緒に悩んでもくれた。

 その結果、以下のように決意を固めた。

 『つらいけれど、いやだけれど、とにかく子どもと一緒にいることだ。そうでないと何事も始まらない。
 9月からは、学級において、また、部活において、学活、道徳、合唱指導など、どっぷり子どもと一緒にいるようにしよう。』

 そう、自分に誓った。

 また、これは、やはり、自分自身が変わるしかない。たとえ、指導できないと思っても、『合唱』のなかにとびこんでいくしかないと決意した。



 9月になった。

 趣味にしか過ぎなかった歌も、子どもと一緒に歌うようにした。とにかく、後ろで突っ立っているのではなく、できる範囲で、いろいろとかかわりを求めた。先輩の先生の助言も、努めていただくようにした。

 子どもから逃げない。挑戦的な気持ちで立ち向かう。

 そうこうしているうちに、子どもの表情に変化が見られるようになった。
『あら。A先生。なかなか、やるじゃない。』
 そんなふうに思ってくれているのではないか。

 かたくなに見えた子どもの心が少しずつ解き放たれていった。それは子どもの言動に現れるようになる。

「A先生。ここのところ、リズムがとりにくいのだけれど、とってくれますか。」


 ホッとする場面もあった。

 部活によく着ていくTシャツがあったのだが、それに対し、
「A先生。それ、お気に入りなのですね。」
などと、明るく声をかけてくれるようになった。
『ああ。関心をもってもらえるようになったな。』そう思った。

 体育祭、文化祭なども、ずっと子どもとともに過ごし、活動した。

 一気に改善とはいかなかったが、紆余曲折はあったが、少しずつ明るさをましていく自分を感じることができた。


 A先生の話は以上である。




 わたしは言った。

 「A先生のすごいところは、この苦しみ、悩みを、人のせいにしなかったことだ。子どものせいにしなかったことだ。

 いや。初めは子どものせいにしたかもしれない。
『えっ。何でそんなに反抗するの。部活はいっぱいあるのに、不慣れな部活に入れられたのだから、仕方ないじゃない。』
そう思っていたかもしれない。
『悪いのは子どもよ。』
そう言いたかったかもしれない。

 しかし、A先生が事態をまわりのせいにしている限り、改善は望めなかっただろう。

 A先生は、その原因を自分の内(うち)に求めた。『自分が変わります。』自分の心のなかで、そう宣言したに違いない。」

 話は以上だが、わたしが、A先生の話をうかがって感激したのも、まさにその点だったのである。



 今回、当ブログに掲載許可をいただくにあたり、A先生から、さらに、うれしい話を聞いた。


 「初任1年目は、自分との闘いでした。でも子どもにしたら、どこかからか突然来た教師に、最初からなじめるわけがないのですよね。洗礼だったと今では思っています。

 私は、数ヶ月間、自分の受けたショックにとらわれていたのです。
 どの部活になるにしても、結局は子どもとのかかわりですね。時間をかけて、関係を創っていくしかない。私はそれを学びました。

 おかげで、今は、子どもへの恐怖心がなくなりました。2年目からは念願の担任ができ、子どもとのやりとりを楽しめるようになりました。

 わたしは、このようにして、自分自身へのとらわれから解き放たれたのですけれど、toshi先生がおっしゃるように、このことって、人によってはむずかしいかもしれません。
 自我にとらわれないということ。自我を解き放つということ。それに気づかない人、また、それがどういうことだか分からない人だっていると思うのですよ。」



 いやあ。ほんとうにそうだ。

 よかった。ほんとうによかった。わたしは、我がことのようにうれしかった。



 最後に、A先生の話をもう一つ。

 「今は、また、別なことで悩んでいます。」

 わたしは、その悩みが何なのかは聞かなかった。だって、A先生はとっても明るかったのだもの。門外漢のわたしが聞く必要はないよね。


 そうなのだ。一件落着して、万々歳というようにはならない。一つ問題が解決すれば、そこからまた、新たな問題が発生する。永遠に完璧はありえない。

 しかし、これだけは言える。問題の質が違ってくる。だんだん心の通い合うなかでの悩みとなっていく。


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 A先生に言いました。

「先生はすごいよ。わたしも似たような経験があるけれど、わたしの場合は、30代もなかばだった。」

 そう。わたしにもこうしたことはあり、くわしくはふれていませんが、すでに記事にしたことがあります。よろしければご覧ください。

    平成18年1月2日 教員生活35年

 また、わたしが、修行時代の前後で、子どもへの接し方がどう変わったかについては、

      平成17年10月16日  わたしも若いときは 小学校初任者のホームページ

 今日は、A先生の苦闘と喜びを書かせていただきました。
 ところで、わたし自身にふれないのも変ですね。今後は、少しずつ、我が修行時代にもふれていきましょう。

 それでは、今日も、上記バナーに、1クリックをお願いできるでしょうか。



rve83253 at 11:54│Comments(22)TrackBack(0)児童指導 | 初任者指導

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この記事へのコメント

1. Posted by yoko   2007年07月28日 01:13
A先生、自分の足でしっかり立ち直れて良かったですね。きっと日毎に素敵な先生になっていくことでしょうね。
『一つ問題が解決すれば、そこからまた、新たな問題が発生する。永遠に完璧はありえない。』toshi先生の言葉だからこそとても重みがありますね。本当にそうですね。退職されても尚、謙虚に自分を見つめ向上心を忘れないお姿に尊敬の気持ちでいっぱいです。『我が修行時代にもふれていきましょう。』楽しみにしていますね(*^_^*)
2. Posted by toshi   2007年07月28日 05:29
yokoさん
 明日は参院選ですが、国の政治だって、なかんづく教育問題だって、また、総合的な学習の時間に学習するものとして国が例示している、国際理解、情報、環境、福祉・健康だって、何一つ、『これで、一件落着、万々歳、もう何も問題はない。』ということはありえないわけですね。考えてみれば、人間がやることはみんなそうですね。
 だから、親の子育て、教員の学級経営も同様です。ああ。まだありました。初任者指導もですね。
 記事に書いたように、問題の質が充実してくれば、よいのではないか。そう思うのです。
 A先生が言った、『自我にとらわれない。自我を解き放つ。それに気づかない人、また、それがどういうことだか分からない人だっていると思うのですよ。』は、意味深長ですね。
3. Posted by くるみ   2007年07月28日 11:02
胸熱くなる想いで読ませてもらいました。
お若い先生が息子の担任が3年続いて、親としてもその先生方と共に歩んできた想いがあるからです。

逃げないA先生の姿勢、ぜひとも見習いたいと思いました。

問題の質が充実してくると、そのことは課題へと変わってくるように思います。質の充実は、「問い」という戸惑いが少しずつ消えてくるからです。

課題に取り組む仲間が増えています。
この2年ほど問題に向き合っていました。
そのとき、ブログを通してtoshi先生のあたたかい励ましがあったからこそ、今課題と捉えることができるようになったと思います。

今日もありがとうございました。
4. Posted by toshi   2007年07月29日 06:20
くるみさん
 なるほど。『問題が充実してくると、課題へと変化する。』よく分かります。自分への問いということから、自分へ課すということへの変化なのですね。わたし自身は、どちらも問題としてしか捉えていなかったのです。
 言われてみれば、納得です。A先生にしても、その変化を感じ取っているのではないかなと想像できました。
 こちらこそ、ありがとうございました。
5. Posted by Jupiter   2007年07月30日 09:51
 数年前まで教育センターで初任者研修に関わる業務をしていました。初任者をめぐる課題は多種多様ですが、結局最初の赴任校の環境で大きく変わると思います。辞職した人、2年で転勤せざるを得なかった人(普通は3年)、自ら命を絶った人…様々です。でも勇気付けられたのはある初任者の授業参観に訪問したときのこと。折りしも当日朝8時に奥さんがご出産、一睡もせず出産に立ち会ったとのこと。すぐ学校に駆けつけ、算数の授業を公開しました。荒削りだが、個々の児童に細やかな机間指導をしていました。先輩・同僚の対応も見事。出産の裏話を全て知りながら、全く手加減せず暖かくも手厳しい指摘をしていました。職場に囲まれて過ごせる初任者は、たとえ苦難が待っていても幸せなんだろうなあ、と思っています。
6. Posted by toshi   2007年07月30日 17:12
Jupiterさん
《結局最初の赴任校の環境で大きく変わると思います。》
 おっしゃる通りと思います。わたしも、初任者指導3年目で、5校経験しましたが、5校はいずれもよくまとまり、初任者も充実した思いで仕事ができたなと思います。しかし、聞く話のなかには、ドキッとするようなものもありました。保護者から、苦情、不満の声が上がっても、誰も助けてやらないなどという話も聞きました。孤独を感じるなどということもあるようです。
 ほんとうに、温かな気配り、心配りがある職場なら、けっこう困難な点があっても、心のはりと充実感でやっていけるものですね。
7. Posted by Aya   2008年03月16日 23:26
先日初任研が終了したばかりの、新採用です。
私も未経験の部活の顧問、学級担任を任され、とても辛くて、学校に行くことが嫌で逃げたくて仕方ありませんでした。『こんな思いをしたくて教師になったのではない』と何度思ったかわかりません。学級担任や教科指導はとてもやりがいを感じていますが、今でも部活については楽しさを感じるところまで気持ちが追いつきません。
できるだけ一緒に過ごし、取り組む姿勢で臨んではいます。自信を持って技術指導できないことが部活における生徒指導にも影響を与えているように思います。
学校の中に相談できる人がいません…
同期と話してみても、やはりそういう先生が多いです。部活について積極的な気持ちを持てず、悩んでいる先生が…。
『今の若者は…』と批判されることが多い現代、このような悩みを打ち明けても『体当たりでぶつかっていかなければ駄目だ!』と指導されて終わってしまう状況があります。
8. Posted by toshi   2008年03月17日 21:16
Ayaさん
 きびしい環境のようですね。
 でも、『学級担任や教科指導はとてもやりがいがあります。』とか、『できるだけ、(子どもたちと)一緒に過ごし、取り組む姿勢で臨んでいます。』という言葉のなかに、Aya先生の意欲を感じ取ることができました。
 せつないこと、むなしいこと、悩んでしまうことなどあるでしょうが、上記2つの気持ちがあれば、大丈夫。子どもたちと、心が通い合うよう、祈念しています。
 身近に、相談できる方がいないとか。
 どうぞ、メールでけっこうですから、気軽にお寄せいただければと思います。
 また、同期の方がいらっしゃるのなら、頻繁に交流されたらどうでしょう。教員を続ける限り、30年以上にわたり、お付き合いすることになるわけですから、大切にしましょう。お互いに力になれると思いますよ。
9. Posted by きくちR   2008年03月18日 12:17
Aya先生
私は中学生の子を持つ母親です。
Aya先生の勤務される中学校の様子が分からないので、見当はずれな提案かもしれませんが、技術指導はぼちぼち勉強したり、子ども達から教えてもらったりしながら、応援と安全面や精神面のサポートに徹するというのではいけないのでしょうか?子どもの通う中学でも部活によっては、就学前や小学校低学年から始めた子ども達の方が技術はもちろん練習方法も長年の体験を通して子ども達の方が先生よりも、はるかによく分かっていそうです。
Aya先生が中学生だった頃や当時信頼のおけた先生のことを思い出しながら、学級担任や教科指導を素直に真面目にやっているだけで十分だと思います。
10. Posted by toshi   2008年03月19日 05:20
きくちRさん
 ありがとうございます。保護者の方からのコメントは、初任者を力強く励ましてくれるのではないかと思います。
 確かに、専門としない部活に配属されたときは、子どもの方が技術的に上ということは、ものすごくあるのでしょうね。
 わたしも、《子ども達から教えてもらったりしながら、応援と安全面や精神面のサポートに徹する。》でいいと思うのですが、こういうことは、地域それぞれの実情があるので、何とも言えません。
本記事が、力強く励ますものとなっていればいいのですが・・・、
 とにかく、励ましのコメント、ありがとうございました。わたしからもお礼申し上げます。
11. Posted by YK   2008年03月19日 14:16
 私のような空気の読めないロクデナシからすると、学級担任や教科指導にやりがいを感じているだけでもう十分ではないかと思ってしまう。『体当たりでぶつからないと駄目だ』って、ダメとは思わないですね。やりがいを感じることを優先的にやったらいいと思う。そうして部活が最後に来るのなら、部活を最後にしたらいいわけで。
12. Posted by YK   2008年03月19日 14:17
 そうすれば技術指導なんかできなくても、卓球部の顧問なら『ちっこいボールを追ってるなあ。世界はこんなに広いのに。』とか無常観の世界に浸れるかもしれない。バレーボール部なら、『バレーボールって、他に使い途ないなあ。そう言えば、世の中って無駄だらけだ』とか悟って、子どものことよりも、地球環境問題について考えて楽しむ時間にできるかもしれない。そうやって時間を有効に使えば、つまらない部活も満更でもないんじゃないでしょうか。数年したら、考え事に飽きて、部活やろうかなという気持ちになるかもしれないじゃないですか。子どもたちが大人になったところで、ほとんどよりは、あなたのほうが希少価値のある人間だから、耐え忍んででも自分を大事にしてください。
13. Posted by toshi   2008年03月20日 06:39
YKさん
 わたしも、YKさんと同じ思いです。ともすれば、学力低下論が横行する今、『中学校の教員を部活から解放してあげなくては、何もかも始まらないではないか。』そういう思いです。
 むしろ、部活が本務であるかのような教員もいると聞くと、『何かが間違っている。』そう思わないわけにはいきません。
 わたしの、『学校改革案』にも、このことは盛り込みました。
 しかし、初任者には、そのようなことを言っても始まらないので、コメントの8番のようになりました。
 なお、わたしの学校改革案については、『PISA調査2006結果報告』の記事のバナーの下にあります。本コメントのHNをクリックしていただければ出るようにしましたので、よろしければご覧ください。
14. Posted by YK   2008年03月21日 00:37
お返事ありがとうございます。『PISA調査2006結果報告、拝読しました。私も同記事の学校改革案に同意するところが多いです。意欲の問題については、少しコメントをさせていただきました。Aya様のコメントを読み、何か制度面での違和感を感じていました。根本的に教員への負担が多すぎるということについて、アイデアを出していたのですね。このくらいドラスティックな提案もいいな、と思いました。私も部活にばかり気合を入れている先生より、自分の教える教科に誇りを持っている先生のほうがいいなあ・・。『今の若者は・・』なんてのは私も言われるけど、今の30代から50代で、例えば小林秀雄などを熟読している人が少ないから、深い教育論議をするのが難しいというのも、一方の現状じゃないですかね。
15. Posted by Aya   2008年03月29日 13:16
toshi先生、きくちRさん、YKさん、ありがとうございます。
春休みになり、年度末ではありますが、若干落ち着いた毎日を過ごしています。
現状として、技術指導を期待している保護者が多く、《子ども達から教えてもらったりしながら、応援と安全面や精神面のサポートに徹する。》ではやはり厳しいと思われます。
私の思いとしては、専門である教科指導に最も力を注ぎたいと考えています。ベテランの先生でも、1年目でも、同じだけの教育を保障しなくては子どもたちがかわいそうだと思うのです。どんなことがあっても彼らが被害者になってはいけないと思います。(部活もそうかもしれませんが…)
まずはできることから始めていきたいと思います。
今年は点滴&CTのお世話にならないように…(笑)
16. Posted by toshi   2008年03月29日 15:32
Ayaさん
 長期休業に入り、ちょっと英気を養っているところでしょうか。二年目に入るわけですね。

《現状として、技術指導を期待している保護者が多く、《子ども達から教えてもらったりしながら、応援と安全面や精神面のサポートに徹する。》ではやはり厳しいと思われます。》
 コメントの10番に書かせていただきましたが、地域それぞれの実情がありますから、困難ということであれば、致し方ないですね。でも、教員みんながそれぞれの部活のエキスパートとも思えないのですがね。
 わたしは常々、中学校教員の部活からの解放を訴えています。また、学力低下論者は率先してこれを訴えてほしいと思っています。
 何とも頼りないコメントでごめんなさい。
17. Posted by toshi   2008年03月29日 15:32
《まずはできることから始めていきたいと思います。》
 この通りにやってくださいね。どうも文面からすると、Ayaさんはまじめで、それ以上にやろうとしているのではないかと、ちょっと気になっています。『できることしかできない。』と思うことも大切ではないかと思います。
18. Posted by YK   2008年03月31日 23:42
今、スポーツを売りにしたい私立大学を見ると、そこまで有名でない大学でも、日本記録クラスの講師がいたりするんですよね。そういう人と比べたら、どんなに力を入れてるとしても、中学校の先生の指導力なんて子供レベルだし、本格的な技術指導を与えろっていう保護者の要望も無理があるような気がするんです。しかし、中学校の教科指導というのは、残念ながら、大学教授でも代替できないものなんですよね。それは優劣の問題ではなくて、職業としての質がかなり違いますから。それだったら、Aya先生の教科指導の方法を確立するほうが専決問題だし、後々まで役に立つんじゃないかなあ、、と私などは思うのですがどうなのでしょうね。
19. Posted by きくちR   2008年04月03日 15:42
私もtoshi先生の<<『できることしかできない。』と思うことも大切ではないかと思います。>>と同様に思います。先生という職業に限ったことではなく、我が子を誰よりも大切に思う母親だって、できることしかできません。簡単にできるお弁当すら、いそがしいと理由をつけて、手を抜いて冷凍食品で埋める日もあります。
私もその一人ですが親は、「子どものために」と言いつつ、実は自分のためを考えて行動していることがあるように感じます。自分自身ではなく、人(子どもや先生)が努力することだから、要求や期待をするのは簡単なことです。

20. Posted by きくちR   2008年04月03日 15:45
中学生にもなれば子どもは自分自身のことをよく分かっています。そして、子ども達は信頼しているがゆえに憎まれ口を叩くこともあるかもしれませんが、Aya先生が一所懸命に努力されていることも分かっています。今、Aya先生にできる子ども達にとっての最善のことを実行する、それだけで子ども達はAya先生からかけがえのないものを得ていると思います。
21. Posted by きくちR   2008年04月03日 15:46
ですから、安心して『できることしかできない。』を受け入れてください。
数年後のAya先生、どんなになっておられるか分かりませんが今とは違ったAya先生になっておられるはずです(困っている後輩に『体当たりでぶつかっていかなければ駄目だ!』なんて決して助言することのない先輩先生になっていて欲しいです)。焦らず、意識して休息をいれながら、どうぞ子ども達に目を向け続けてください。
22. Posted by toshi   2008年04月04日 10:43
きくちRさんのコメントを拝見しながら、わたしは、先の自分のコメントに補足したくなりました。
 子どもって、中学生だってそういう側面はあると思うのですが、
『口では、部活での技術指導を求めるようなことを言いながら、実は、心のなかでは、担当者とのふれ合い、温かな交流を求めているのだ。』
そういうこともありうることです。Ayaさんの例が、それかどうかは分かりませんが、『どれだけ自分たちのことを考えてくれているか。』その部分で努力することが、ひょっとしたらあるのかもしれません。
 これも分からないながら言っており、失礼であれば、お詫びしますね。

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