2007年06月26日

宗教的情操を養う教育

7e9eacdf.JPG 教育再生会議は、特に、標記の件についてはふれていないようだ。

 しかし、わたしとしては、道徳教育をとり上げたこの際、それに関連させたかたちでふれてみたい。


 わたしは、宗教的情操を養う教育は、今という時代、特に大切にしていきたいと思う。


 しかし、本筋を書く前に、ちょっとふれておきたい点がある。

 教育基本法改定のときだった。テレビの報道番組で、政治家が次のようなことを言っていた。
「現代という時代、宗教教育は特に大切ではないか。
 欧米には、宗教という、生きていくうえでの規範になるものがあるが、日本にはそれがない。特に、日本の公立学校は、こうした教育をさけているようだ。
 それは、特定の宗教を教えるようなことはあってはならないが、人間の力を超えたところにあるものへの畏敬の念は、教えなければいけないと思う。」

 わたしは、この意見について、大筋において賛成なのだが、用語の使い方が間違っていると思った。

 ご承知のように、憲法20条では、3項において、『国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』と規定している。

 つまり、『宗教教育』は、特定の宗教を教えることと同義なのである。

 だから、上記のような意見を言う際は、『宗教的情操を養う教育』と言うべきではないかと思った。
 


 さて、それでは、『宗教的情操』とは、どのような内容をもつものであるか。

 わたしは、現代の道徳の学習指導要領のなかに、その文言は含まれていると思っている。だから、その文言を引用させていただきたい。

 道徳的価値としては、『敬けん』にあたる。

低学年 身近な自然に親しみ、美しいものにふれ、すがすがしい心をもつ。

中学年 自然のすばらしさや不思議さに感動する。美しいものや気高いものに感動する心をもつ。

高学年 自然の偉大さを知る。美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。

中学生 自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心をもち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める。人間には弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて、人間として生きることに喜びを見いだすように努める。

 ※
『美しいもの、気高いものには、自然だけでなく、人間の心も含まれる。』とは、確か、道徳研究会で学んだような気がする。


 
 かつて、わたしは、中学年担任だったとき、以下のような話をとり上げ、授業をしたことがある。今、その題名も副読本の名前も忘れてしまったので、うろ覚えの話であることはご承知願いたいが・・・、


 むかしの話である。

 最愛の娘を亡くされたお父さんは、嘆き悲しむ。

 生きる力もなくなる。

 月日がたち、『いつまで嘆き悲しんでも、娘はかえってこない。』と思うようになる。
 娘もそのような自分を見たら、悲しむに違いない。

 そう思ったお父さんは、お地蔵さんを作ることを思い立つ。

 作ったお地蔵さんは、娘と瓜二つの顔になる。

 そのお地蔵さんを大切にしているうちに、娘といつも共にいるという気持ちになり、父親は幸せな思いを取り戻す。



 そのような話だった。

 授業の様子もうろ覚えなのだが、確か子どもたちは、お地蔵さんが、亡くなった娘さんと瓜二つの顔になった不思議さを感じ、それと父親が娘を思う気持ちとを結びつけ、活発ではありながらも、しんみりとした感じで、話し合いを進めたのだったと思う。

 最後に、『父親は幸せな思いを取り戻す。』と書いたが、これは、文章には表記されていなくて、子どもたちが感じ取った内容だったと思うが、それも、今となってははっきりしない。



 ここでふれたいことは、二つ。

 一つは、『これは、特定の宗教教育ではないか。』という見方も成り立つかな・・・、ということ。

 わたしは、『道徳の副読本にあるのだから、特定の宗教教育ではない。』という消極的理由のほかに、
 この授業は、『(人間の行為の)美しいものや気高いものに感動する心をもつ。』をねらいとして行ったのであり、お地蔵さんは、そのねらいを達成するために、たまたま借用したに過ぎない。そう考えた。

 しかし、・・・、さあ、果たしてそれは万人に認めてもらえる考えであるか。

 宗教教育と宗教的情操を養う教育の境目はむずかしい。


 二つ目。

 そういうことを超えて、今という時代、ともすると、大人でも、自分さえよければいい。自分の利ばかり追い求める。そういう側面があるのは否めない時代、

 see21さんの言葉を借りれば、『拝金主義、物質優先主義、おもしろ至上主義、等々、欲望まみれの社会を肯定し、あるいは、容認してきた我々大人世代の責任は重く、子供達は、その被害者であると言えようかと思います。』という時代、

 『人間は万能ではない。』
 『真に価値あるものは何か。』
 『ほんとうの幸せは何か。』
 『謙虚に生きる。』

 それを追求する教育は、大切にしなければならない。


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 それにしても、教育再生会議が、徳育重視と言いながら、このことにふれなかったのは不思議な気がします。

 それでは、今日も、慈悲の心で、1クリック、お願いできるでしょうか。



rve83253 at 03:23│Comments(2)TrackBack(0)教育観 | 道徳指導

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この記事へのコメント

1. Posted by ai   2007年06月29日 09:04
宗教というのは大変デリケートな問題で、信仰の自由や人権の尊重などにも関わってきますので、様々な家庭がある公立の学校では考えさせられることも多いかと思います。
しかしお地蔵さんは、厳密に言えば特定の宗教にあたるのでしょうが、その土地の歴史を語るものも多くありますし、文化を大切にし古人の教えに触れるといった側面もあるかと思います。
また、クリスマスを祝った直後に初詣に行くようなわが国のお国柄ですから、宗教的なおおらかさが、わが国の特徴なのではないかと思いました。
2. Posted by toshi   2007年06月30日 06:56
aiさん
 修学旅行など、神社仏閣を訪れることが多いと思いますが、参拝しないことを要望されるお子さんには、入口で待つなどということも行われています。 宗教上の理由は大事にしないといけないと思いますが、貴重な文化財という側面もあるのですから、かわいそうだなと思うふしもあります。
 生活科など、『〜祭り』と称して、子どもたち手作りのおみこしをかつぐなどというのもありましたが、今も行われているのかな。
 これも、
「おみこしと言った時点で、『神輿』と書くくらいだから、うちの子には、かつがせないでくれ。」
という要望がありました。
 ほんとうに、境目はむずかしいと実感するケースです。

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