2007年08月06日

性善説と性悪説4

9fae4b23.JPG わたしの初任者時代だった。

 今となっては、どうしてその呑み会に、わたしが同席させてもらったのか、分からない。

 わたしは、当時、もちろん20代。

 そんなわたしが、・・・、わたしの勤務する学校の校長と、もう一人は、たぶんその校長とお友達だったと思うのだが、ある警察署長さんとの呑み会に、同席させていただいた。つごう、三人の呑み会だった。


 署長さんは言う。

「人間は、きちんと教育しないと、何をするか分からない。みんな、生まれつき欲望の固まりだ。自分さえよければいいと思っている。だからこそ、理性とか自制心とか、しっかり学校で教えてもらわなければならない。教育の重要さも、そこにあるのではないか。」

 それに対し、我が校長は、
「いいや。人間は、生まれつき自ら伸びようとする力をもっている。赤ちゃんの成長など、その典型だ。親の愛によって、どんどん自分の力で伸びていくではないか。教育はその自ら伸びようとする気持ちを支えてやればいい。そこにこそ、指導の意味がある。」

「そんな甘いことを言っているから、社会不安になる。」(署長)
「そんな人間を信じられないような見方をするから、社会不安になる。」(校長)

 
 わたしは、もちろん、黙って聞いていた。


 後日、校長はわたしに言った。
「いやあ。先日はおもしろかったなあ。長年、同一の職業についていると、人間観まで影響を与えるのだということが、よく分かったよ。」
「はい。人間とはどういうものか、校長先生と署長さんとでは、おっしゃることがまったく違うので、驚きましたが、でも、わたしは、どちらも人間の一側面をおっしゃっていて、どちらも正しいのではないかと思いました。人間はどうしても、善悪、両面ありますよね。」


 校長の手前そう言ったが、当時のわたしは、どちらかと言えば、署長さんに共感する部分の方が大きかった。

 
 授業をしていて感じたのは、・・・、

 こちらが引っ張ろうとしないと、ほとんどの子どもは自らやろうとはしない。
(いや。誤解のないように言うが、生活面では、けっこう子どもの思いを大切にしていたから、それなりに、子どもの自主性は育っていたと思う。でも、授業では、多分に、子どもを、受身の姿勢に追い込んでいた。申し訳なかったと思っている。)

 それに、保護者だって、『先生。宿題をいっぱい出してください。そうでないと、うちの子は、まったく勉強しようとしないのです。』そういう声は多かった。

 校長が、『自ら伸びようとする存在』と言ったって、赤ん坊のころはともかくとして、もう小学生くらいになれば、『楽をしたい。』『やらないですむものならやりたくない。』そんな思いが強いように思えたのだ。



 当時のわたしの授業観。子ども観と言ってもいいかもしれない。

 わたしは、『授業を受けることなど、楽しいわけがない。いやいや仕方なしに受けるものだ。』そう思っていた。


 今思うに、いかに教え込み、つめこみ授業の時代だったかが分かる。

 自分は、子ども時代、少なくとも、小学校では、充実した授業を受けていたから、できるだけ考える授業をおし進めたいとは思ったが、いかんせん、まだまだ、未熟だった。

 だから、『少しでも、子どもの気分を浮き立たせてやりたい。学校って楽しいと思ってもらえるようにしたい。そのためには、休み時間や放課後、子どもと遊ぶことだ。』そう思っていた。
 事実、休み時間はもちろんだが、土曜日の午後と言えば、だいたい子どもと遊んでいた。中学を受験する子の多い学校だったが、いつも3分の2以上の子は、遊びに来ていた。


 その後、30代の修行時代を経て、『授業をいかに充実したものにするか。子どもが学習せずにはいられないと思うような授業にするか。』
 そういうことを考え、努力、研究するにつれ、『子どもは自ら学習する存在。』ということが信じられるようになった。

 そうだ。指導する側が、『授業なんて楽しいわけがない。』『宿題を出さなければ学習しない。』そう思っていれば、そういう実践しかしないから、あるいは、できないから、その通りの子どもになっていく。それに対し、指導する側が自己改革すれば、自ら学ぶ子どもになっていくのだ。

 ちょっとストレートに言い過ぎた。まあ、現実は、それほど簡単に言い切れるものでないことは確かだ。そして、だからこそ、修行時代の苦しみもあったのだが、基本的にはそういうことだ。

 つまり、教育者が性悪説を信奉している限り、教え込もうとするし、強制しようとするし、枠にはめようとする。それでは、『自ら学ぶ子ども』になっていくのには、あまりにも制約が多くなってしまう。

 性善説を信頼できるということ。そして、そこに立脚した実践に励むことができるということ。それは、教員の側の、愛、情熱、信頼、研究意欲に裏打ちされた実践なのだが、そうであれば、自立した、また、自律できる人間が育っていく。そう思えるようになった。


 その後、また、思いが変わる。人間というか、生物の進化についていろいろ考えた結果、性善悪共有説とも言うべき思いをもつようになった。

 しかし、それによって、教員の側の、愛、情熱、信頼、研究意欲には、いささかの変化もなかったことは、特に申し上げたい。


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 最後に、当たり前のことですが、お断りを。

 わたしは、警察勤務の方は、みんな、性悪説とは思っていませんから、念のため。 事実、わたしも校長時代、警察の方とのお付き合いはありましたが、そうでない事例はいくらも経験しました。

 また、性善説を信奉する教育観の具体例としては、『子どもの見方が変わるかな』シリーズをご参照ください。

 なお、生物、人間の進化から、何を考えたかは、近いうち記事にさせていただきます。

 それでは、今日も、1クリックをどうぞ、よろしく。

rve83253 at 14:15│Comments(22)TrackBack(0)教育観 | 児童観

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この記事へのコメント

1. Posted by くるみ   2007年08月06日 22:57
両面あるんだ、というtoshi先生のご意見に納得しています。

そして、よい面を引き出すのも、悪い面を律し、乗り越え、コントロールできるようにサポートするのは、大人次第だなあと思うのです。

toshi先生のように、子どものせいにしない、でも、毅然とした優しさをもった大人になるには、やはり、善も悪も受け入れ、包める大きな心が必要だなあと思います。

日々修行です^^;
生物、人間の進化からのご考察続を楽しみにしています。
2. Posted by ベア   2007年08月07日 00:28
両面あるというご意見、私も非常に納得します。

我が家の2歳児は、まだまだ本能のままに行動していますが、自分の思うようにならないと身体全体で主張して自己中心的になる時もあれば、全く正反対に兄弟やお友達に思いやりや譲る気持ちで接している時もあります。
でもどちらも本能のままの姿のように思います。
親としては、優しい気持ちを育ててあげたいなと思っているのですが、なかなか全ての局面で優しくできるというのは難しい気もします。

たまに動物と似ているなと思うこともあります。
これから段々と人間らしい理性が備わっていくのでしょうね。
3. Posted by kei   2007年08月07日 07:36
 toshi先生が、初任者の時代にそのような子ども観を持つ管理職の先生と出会え、ベースが作られたのですね。
 両面あるという意見に同感です。私の師である先生から、「人は生まれながらにして、善か悪かなどということは分かりませんが、どの子どもも(というより人は)よくなりたい。伸びたいと願っていることは自明のことです。悪くなろうと思っている人はいないのです。」と語られたときに、迷いがすとんと落ちました。
 ベースになる子ども観が定まると、授業のあり方も変わってきました。
 
 
4. Posted by にゃんこ   2007年08月07日 12:27
toshi先生、はじめまして。
私は昨年度大学を卒業したばかりの一愛読者です。
善も悪も両面ある、その考えに私も賛成です。
ですが私は、性悪説の考えでもって子どもたちと接することもあります。
もともとが悪なのであれば、子どもが失敗をおかしても、「できなくて当たり前、大丈夫」「仕方ない」と思えるからです。
逆に子どもが善の行動をとったときは、それは当たり前のことではなく「すばらしいこと」と思うことができます。
ただtoshi先生のおっしゃるように、性悪説でもって子どもを見るということは、子どもを信頼していない、期待していないということですから、その点はよくないことですよね。

色々考えさせられ、勉強になりました。
ありがとうございました。
これからも記事を楽しみにしています。
5. Posted by toshi   2007年08月07日 18:57
くるみさん
 《善も悪も受け入れ、包める大きな心が必要だなあと思います。》
 わたし、若いときの性悪説の信奉者のときは、悪の部分について、『こうあるべき』と大人が考える姿をおしつけようとしていたと思います。ですから、お説教をよくしていました。
 でも、今の、善悪共有と思っているときの悪の見方は、くるみさんがおっしゃるように、それを受け入れ、包み込むような見方をすることができるようになりました。
 このこと自体は、人間観、児童観、指導観など、いろいろなことにかかわる変化だったと思います。
 進化からの考察などと生意気なことを書きましたが、あくまで、わたし個人の勝手な思いですので、よろしくお願いします。
6. Posted by toshi   2007年08月07日 19:15
ベアさん
 今、子育て真っ只中なのですね。貴重なご体験の中からのコメント、ありがとうございます。
 次回、本能のままであっても、善悪双方の言動を示すというあたりを、進化の面から述べてみたいと思っています。
 とは言っても、素人の考察ですので、どうぞ、ご意見をまた、お寄せください。
 よろしくお願いします。
7. Posted by toshi   2007年08月07日 19:19
keiさん
 『悪くなろうとする人はいない。』ほんとうにそう思います。まわりの大人のかかわり方のまずさによって、そう見えることがあるだけですよね。
 共有説を思うようになってから、悪の側面の見方が変わったように思います。一口で言って、共感的に、受容的に見られるようになりました。
 次回、このあたり、くわしく述べてみたいと思っています。どうぞ、よろしく。
8. Posted by toshi   2007年08月07日 19:25
にゃんこさん
 にゃんこさんは、新卒2年目なのですね。
 すごいなあ。わたしが、30代も半ばにして、理解したことを、もう、今、完璧に理解していらっしゃる。
 問題行動に対しては、受容的、共感的に、すばらしい行動は、賞賛をもって、子どもに接すると言うこと、わたしが、共有説で言いたかったことなのです。
 わたしが若いときに思っていた性悪説についても、にゃんこさんがおっしゃる通りです。
 今、初任者指導でも、このあたりを大切にして話しています。
9. Posted by ダイ   2007年08月08日 03:24
削除されてしまうかもしれませんが
私は過去にブログで性悪説派であると申したので
少しその点について書かせたいただこうかと。


さて「性悪説」に関してですが
もちろん人間は生まれながらにして
100%悪であるとは思っていません。
しかし子どもは基本的に未熟であることから
指導者が正していくことは必要な場面が多々あります。

もちろん極端な性悪説に偏ってしまえば
それはロンブローゾの「生来的犯罪人説」と同じになってしまうでしょう。
しかしながら自分がどちらの立場をとるかは
あくまでも自分がよって立つスタンスの問題と言えます。

だからといって、そのよって立つ立場の考えしか
認めることができないと思われるのであれば
それは相手を見くびっているのではないかと思います。
10. Posted by ダイ   2007年08月08日 03:35
ですから、「性善説」「性悪説」において
どちらの立場が正しいであるとか語ること自体が
非常にナンセンスな話ではないでしょうか?

TOSHIさんのおっしゃるように
人間の心理は複雑でさまざまな要素が誘因となり
行動を引き起こすことでしょう。
そういう意味では「両面を併せ持つ」という意見は
非常に正論であり正しいことです。


ただ、私自身の考えとしましては
「性悪説」も「性善説」もあくまでもそれぞれの考え方の問題であり
特にどちらの立場を取られても自由であると考えます。
「どちらを重視しているから問題である」と考えること自体が
TOSHIさんが記事でおっしゃっている「枠にはめる行為」なのです。

11. Posted by ダイ   2007年08月08日 03:36
最も大切なことは
「どちらが正しいか」ではなく
「その人の行動」です。

考え方に焦点を当てるのではなく
行動に焦点を当てたときに初めて
考え方に辿り着くのです。

そのとき初めて相手の人に
「性善説」について語る必要が生まれ
「性悪説」についても語る必要が生まれるのでしょう。
もちろん「性善悪共有説」も同じです。


光が当たれば影が出来ます。
必ず物事にはプラスとマイナスの両面が存在します。
私たちは人間ですから、ある意味全員が心の専門家です。
そのようなことなど多くの人は理解していることでしょう。
12. Posted by ダイ   2007年08月08日 03:42
つまり「性悪説者」が「性悪説」しか
「性善説者」が「性善説」しか考えることができないと思うことについて
非常に疑問に思うのです。

人間は双方を併せ持つもので善悪共有するものだと思う以上
性悪説者も単一の思考ではなく複雑なものだと思うべきですし
性善説者もそれと同じでしょう。


どちらの立場を取るかについては自由です。
問題があったとときに初めて思考に焦点を当てるべきであり
思考から入るのは不適切だと思います。
13. Posted by toshi   2007年08月08日 07:15
ダイさん
 あなたは、いつも、誤解に満ちたコメントを入れますね。
 いつだったか、Hidekiさんがおっしゃっていたように、相手の記事を正しく読んでくれないと、これは、コミュニケーション以前の問題でしょう。
 誤解は、いっぱいあるのですが、すべて反論するのも馬鹿らしいから、一つだけ例示しますね。
《「性悪説者」が「性悪説」しか「性善説者」が「性善説」しか考えることができないと思うことについて非常に疑問に思うのです。》
 どこで、そんなことを言っていますか。言っていないでしょう。
 いつもこんな具合ですから、申し訳ありませんが、もうコメントを入れないでください。
14. Posted by ダイ   2007年08月09日 21:16
嫌です。
自分が記事として過去にあげたことを
あなたが記事で取り上げる以上
私は意見を言わせていただきます。

「性善説」「性悪説」がベースにあったとしても
そのせいで人間としてのバランスが崩れることなどありません。
それはあくまでもその人それぞれのカラーであり
多くの考え方があっても構わないと考えます。

ですから、共有説だろうが性悪説だろうが
どれが好ましいかなどと語る行為自体が非常にナンセンスなのです。

性悪説だから枠にはめると言うことこそ
枠にはめる行為であることを自覚すべきです。
15. Posted by ダイ   2007年08月09日 21:24
優秀な心理臨床家も
自分のベースとなる学派に属しています。
しかしその一方で
それだけにとらわれない柔軟さも併せ持っています。

これは1つの思考に偏り過ぎないということと同時に
自分のベースをしっかり確立させることの重要性を意味します。

性善説・性悪説も同じです。
あくまでもどちらにベースを置くかであり
その思考そのものはまったく問題ないのです。
あくまでも程度の問題です。
16. Posted by ダイ   2007年08月10日 01:47
>つまり、教育者が性悪説を信奉している限り、教え込もうとするし、強制しようとするし、枠にはめようとする。それでは、『自ら学ぶ子ども』になっていくのには、あまりにも制約が多くなってしまう。

この文章を拝見させていただく限り
性悪説の本質について明らかに誤解されているようです。
17. Posted by いるか   2007年08月14日 02:11
この記事、コメントを読んで・・・
自分の意見を押しつけ通すようなコメントは
はたしてコメントと呼べるでしょうか?
ある人物の、言い切りコメント
管理者がこのページにそぐわないコメントなので
もうコメントを控て欲しいとまでいっているのに・・・
その後も「嫌です!」と言うのもどうかと思いますね
私には、そのコメントを書込んでる人の意図が判らないし、自分一人のサイトを持ってそこで投稿して、
自分のサイトで、ここにコメントを書きこする方達以外の方とコミュニケーションをとられた方がよろしいのでは?
彼方だけの世界で・・・


18. Posted by toshi   2007年08月14日 12:33
いるかさん 
 おっしゃる通りと思います。その方のコメントは、一回削除しています。それでも、入れてきたので、これはそのままにしています。
 あまりいろいろ書いても、また、物議をかもすと思われますので、ここまでにしておきますね。
 とにかく、ありがとうございました。感謝しています。
19. Posted by 舜   2007年08月26日 00:11
はじめまして、こんばんは。
このブログ、前からよく見ていました^^
さっき、またひどいコメントが入ってましたね;
削除されて良かったー。

このブログを見ている人はみんな、ここの管理人さんは普段は異論・反論にも丁寧に答える方だって分かっていると思いますよ。
これからも頑張って勉強になる記事を書いてください!!
応援してますv
20. Posted by toshi   2007年08月26日 09:05
舜さん
 はじめまして。
 ありがとうございます。
《ここの管理人さんは普段は異論・反論にも丁寧に答える方だって分かっていると思いますよ。》
 これからも、この精神でやっていきます。末永くよろしくお願いします。


21. Posted by ベア   2007年08月26日 22:39
私も舜さんと同じ意見です。
こちらのブログに寄せられるコメントには、賛成意見ばかりでなく色々な意見があって、それはtoshi先生が異論・反論でも受け止めて下さる方だからだと思います。
そのtoshi先生が削除されるというのはよっぽどのことだと思いますし、あまりにも誤解で決めつけられたり荒れる原因になるコメントを削除するのは当然だと思います。
これからも頑張って下さい。応援しています。
22. Posted by toshi   2007年08月27日 05:46
ベアさん
 ありがとうございます。
 大変うれしいコメントをいただきました。今後も、異論・反論大歓迎ですから、どうぞ、よろしくお願いします。
 わたしが削除するのはどういうものか、皆さん、よく分かってくださっていますので、それがうれしさのもとになっています。

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