2007年08月15日

歴史を見る目を養う。3

1b43f41f.JPG 先月だったかな。閣僚の、『原爆投下はしょうがない。』発言があり、驚かされた。

 そこで、終戦記念日の今日、これまであまり語られていなかった側面から、この発言を心にとめて、原爆投下を考えてみたいと思う。

 そのまえに、わたしは、原爆投下について、すでに記事にしたことがある。もし、お読みでなかったら、それをご覧いただきたいと思う。今日の記事では、広島、長崎の凄惨なすがたには、特にふれていないので、よけいご覧いただきたいのである。

 平成18年8月7日 平和を祈る



 それでは、歴史を見る目はどうあったらよいかについて、最初にふれたいのは、当時を生きた人々の思いになって、歴史を学びたいということである。


 元寇は二度あった。歴史を学んだわたしたちは、皆、それを知っている。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵も二度あった。歴史を学んだわたしたちは、皆、それを知っている。

 そして、原爆投下も・・・。

 これらは皆、確固たる事実だ。


 しかし、当時を生きた人々にとっては、そんな簡単に、すっきりするものではない。三度目への恐怖だ。それは、ものすごいものがあっただろう。



 原爆投下について言えば、新潟市がまさにそれだった。

 大変な言論統制化ではあったが、一つの新型爆弾によって、一都市が壊滅するという惨状は、またたく間に伝播していった。そして、これは、どうして分かったのか不思議なのだが、アメリカの原爆投下候補地に、新潟市が含まれていたことも、一部上層部には分かっていたようだ。そこで、新潟では、急きょ市民に疎開を呼びかける。

 信じられないことだが国は、この疎開に、反対したとするブログがある。

  くりおね あくえりあむ 1945年8月11日、新潟では「原爆疎開」があった

 今、信じられないと書いたが、沖縄での事例などを考慮すると、あながち荒唐無稽ではないような気がする。当時は、一億玉砕などと言っていたのだからね。

 ある俳優が子どものころ、この事態に遭遇。あわただしい疎開だったために、知り合いの農家の馬小屋に寝泊りする羽目になったという。ほとんどの市民は、『わけは分からない。ただ、たった一つの爆弾で、一都市が壊滅した。』ことは知らされただろう。とぼしい情報で緊急疎開したのだから、その恐怖はものすごかったと思われる。

 とても、『しょうがない。』で済まされる話ではない。



 次は、多面的な見方が大切ということにふれたい。

 アメリカでは、今も、「原爆投下によって、日本の降伏が早まり、そのために多くのアメリカ人、日本人の命が守られた。」という声が大多数のようだ。前期『しょうがない。』発言は、『戦後、日本がドイツのように分断されなかったことをよかった。』とし、それは、原爆投下があったためとしている。

 しかし、それは正しいか。当時のアメリカは、ほんとうに上記のように考えて、原爆を投下したのか。

 まあ、百歩譲って、そのように考えたとしよう。

 しかし、その渦中においては、それは、あくまで、一つの可能性に賭けたに過ぎない。日本が降伏するのが確実と思える根拠はなかった。
 日本軍(政府)は、前述のように、一億玉砕を声高に叫んでいたし、本土決戦に備えての竹やり作戦も叫んでいた。原爆投下にもかかわらず、日本が徹底抗戦する可能性の方が強かったとわたしは思う。現に、8月15日未明には、それを叫んでクーデターを起こす動きもあった。

 だから、そんな不確定要因の強い理由で、あんな悲惨な原爆を投下されたのではかなわない。

 原爆。人道上もあんなに非難されるべき兵器はない。


 当時のアメリカの考え方としては、次のような論調もある。

 「当初、原爆の製造は、ヒットラーのドイツの方が熱心だった。ドイツに先に開発されたのではかなわないとばかり、アメリカはその開発を急いだ。しかし、アメリカが開発に成功したころ、すでにドイツは降伏してしまっていた。残るは日本のみ。せっかく開発したものをまったく使用せず、日本を降伏させたのでは、その効果のほどが分からない。そこで、急いで使用することにした。」

 そういう論調があるのも事実だ。だから、そうしたなかで、『しょうがない。』と発言するのは、決して許されるものではないだろう。



 もう一つ。これはまったく別な視点で、言いたいことがある。

 原爆の悲惨さを訴え、核廃絶を主張するのはいい。当然だ。
 しかし、それを主張するとき、日本が、中国・朝鮮にしたことのお詫びと反省も、同時に展開しないといけないだろう。日本は被爆国ではあるが、決してそれだけではない。



 最後に、今、小学校でも、歴史学習は行っている。その際、留意したいことがある。

 現代の目で、過去を見ても、『何でこんなことをしたのだろう。』『信じられない。』という反応で終わってしまう。歴史を突き放した感じで見てしまうのだ。

 そういう学習をしたのではダメだ。

 たとえ小学校であっても、当時の時代相にできるだけ入り込み、今とは違う生活のなかにあったこと、今とは違うものの考え方をしていたことなど、できるだけとらえられるようにし、実感的な分かり方を目指したいものである。

 本日あげた事例は、ちょっと小学校段階では無理と思われるものもあるが、当時の学童疎開の様子、国民学校の授業風景、時間割、教科書の内容など、小学生にも追求可能と思われる資料、具体的資料はいくらでもある。そういう資料を使って、できるだけ、歴史を自分ごととしてとらえられるようにしたい。

 それこそが、二度と同じ過ちをしない人間を育むために、不可欠である。


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 今夏、全米のテレビで、ドキュメンタリー『ヒロシマ・ナガサキ』が、放映されたとのこと。これまで、その種のことには、強い反対があったことを考えると、大きな進歩ではないでしょうか。
 
 こういう論調があります。『これまで、アメリカ人にとっての原爆は、むかしのこと、正当化したいことだった。しかし、9・11以後、自分たちも被爆者になりうることを、本気で心配せざるをえなくなった。』

 歴史を学ぶことの意味と共通していますね。

 でも、大きな惨禍を経ないと気づかないというのは、ちょっと残念な気もします。やはり、歴史の学び方というのは重要ですね。わたしたち、教員の責務は重大なのではないでしょうか。

 それでは、今日も、1クリックを、よろしくお願いします。

rve83253 at 15:36│Comments(5)TrackBack(0)平和教育 | 社会科指導

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この記事へのコメント

1. Posted by POOHママ   2007年08月18日 09:34
お久しぶりです。

あんなに平和教育に熱心だった私が、
今年はなぜか遠のいています。

新潟の原爆疎開、
知りませんでした。
勉強になりました。
ありがとうございました。
2. Posted by toshi   2007年08月18日 20:47
POOHママさん
 ごめんなさいね。たぶん、見当はずれのコメントになると思いますが、お許しください。
 わたし、以前、『戦争のことを取り上げなければ平和教育ではないというとらえは、違うのではないか。戦争をとり上げて、平和の大切さをとらえさせるのも大事だが、それだけではなくて、学級経営のなかで、学級集団の和を図ったり、広い心で許し合う雰囲気をつくるのも、立派に平和教育だ。』という記事をまとめたことがあります。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2007-07.html#20070705
 大上段に構えなくても、そんな気持ちでいいのではないかと思いました。
 ごめんなさい。いろんな地域がありますから、そういう考えが通じないところもありますよね。
3. Posted by POOHママ   2007年08月20日 19:21
>戦争のことを取り上げなければ平和教育ではないというとらえは、違うのではないか。

そう思います。
低学年なら、「みんななかよく」だけでも充分とも思います。

学年にもよるのでしょうし、
逆に「戦争」を扱ったからといって、「平和教育をやっている
」とも言い切れないと思います。

今年は、「戦争」といった集団的なとらえ方でなく、
もっと個人的なもの・・・
自殺とか、いじめとか、虐待とか
そんなものが気になって・・・・・
なんだか、戦争だとか平和だとか以前の問題のような・・・
心が凍るような寂しさを覚えます。

4. Posted by 消耗品   2011年07月31日 07:46
[DUTY]ボブグリーン著

{私はヒロシマ・ナガサキに原爆を投下した}チャールズスウィニー著

この二冊、当時、そして現代のアメリカ側の原爆に対する見方がよくわかります。
子供たちには難しいですが、教員の方は一度目を通されることをおすすめします。
5. Posted by toshi   2011年07月31日 12:47
Aさん
 本のご紹介、ありがとうございました。すぐにはちょっと読めないのですが、心に留めておきましょう。

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