2007年08月17日

姪から届いたメール(2)4

9a779985.JPG 今日掲載するのは、姪からの第二信である。

 英語教育、また、考える学習について、欧米の実態がよく分かると思うので、その部分を掲載した。欧米の実態がよく分かれば、それを比較材料とすることによって、日本のこともよく分かると思う。


 なお、姪のAちゃんに対しては、ちょっと申し訳ない。

 いくら掲載許可をいただいているとは言っても、『ここまで載せるのは、ちょっと失礼かな。』とも思ったが、

 いや。『日本の英語教育によって、英語に苦手意識をもったとしても、外国に住んでしまえば、それは関係ないのだ。』と思ってもらえたら、それもまた、多くの方に自信と勇気をもってもらえるのではないかと思い、掲載させていただくことにした。

 だから、Aちゃん。ごめんね。

 それでは、どうぞ。




 先日の内容につけたしをさせていただけるなら、中学・高校と、わたしは英語が苦手(嫌い)で、実は高校進学をしたころは、主語の後に動詞がくるという、基本の基本すら分かっていませんでした。それで、テストや入試をクリヤーしたのですから、いかに(日本の)英語教育があいまいであったかが、分かるような気がしませんか。

 ま、要するに、英語においてわたしは落ちこぼれだったと言えると思います。ですから、22歳で勉強し直し始めたとき、わたしにとって一番重要なことは、いかに嫌いにならずに、苦手な英語学習を継続できるかということでした。それでたどり着いたのが、「無理をしないこと」です。


 イギリスに行って、数ヶ月受けた英語の授業は、すべて英語による英語の授業でした。

 初めにクラス分けテストで入れられたクラスは中級のクラスで、正直、クラス分けテストの結果を聞いたときはすごくうれしかったのですが、実際授業が始まってみると、内容が分からず、教室に自分の居場所がないと感じ、自信をなくしました。

 このまま、このクラスにいても、自分は絶対に伸びないと判断し、講師に一つ下のクラスへ移ることをお願いしました。そのクラスは、正直、少し簡単すぎるところもありましたが、自分が余裕をもって授業に臨め、結果的によい方向に向かったと思っています。
 現在は、フランス語学習の真っ最中ですが、このときの経験がすごく役に立っています。(※1)



 ここから先は、英語学習についでではないのですが、ついでにおじさんにお話したいことがあります。
 
 海外生活をするようになって数年、よく感じるのは、

 わたしはいろいろなことを(日本の)学校で覚えさせられたけれど、考える力を養うことは、あまり要求されなかったなあということです。
 何かについて、自分はどう考え、それを他人と意見交換する。違っていれば、お互いの意見をぶつけ合い議論する。そういうことをする機会があまりなかったということです。特に、高校では、大学受験のための授業という感じで、深く物事について考えることを要求されなかったと思います。

 こちらの大学で、グループ(3〜4人)で、一つの課題に取り組むことがあったとき、イギリス人の級友達がすごくさかんに自分の意見(特に反論することを恐れない姿勢)で言い合って話がすすんでいくことに、新鮮さを感じたのを覚えています。(※2)

 今の学校は、わたしのころとだいぶ変わっているのでしょうから、もっと、生徒同士が意見を交換する場があるのでしょうが。

 メールは以上です。



 それに対するわたしの返信です。

(※1)Aちゃんからのメールで感じたことは、やはり、『話す・聞く』の学習が大事ということかなと思いました。テストは、『読む・書く』でしょう。そちらでは、中級の力がありながら、『話す・聞く』では、その下の力しかなかったという意味と受け取りました。

 『無理をしない。』ということの意味がよく分かりました。どうも、日本人というのは、恥ずかしいとか、バカにされるとか、嫌われるとか、よけいなことが気になって、無理しがちだものね。それでは、真の力はつかないよね。


(※2)Aちゃん、ご指摘の点については、今も何も変わってはいません。・・・。いえ。今の日本は、もっとひどいことになっていると言えるでしょう。学力低下論が蔓延していて、Aちゃんのとき以上に、覚える学習ばかりになっていると思います。

 わたしのブログでは、考える力を養うことが大切と一貫して言っているのだが、ときどきむなしさを感じてしまいます。
 Aちゃんご指摘のように、日本の高校は、受験能力育成に偏ってしまっているのだと思います。必修教科未履修問題とか、大学合格者水増し問題とか起きているのだよ。
 最近は、なんと、小学校でも、学力テストの不正な採点の事件が発生した。
 大事な人格形成の時期に、人格の何たるかも学ばずに、大人になってしまうのだから、日本社会がおかしくなってしまうのも当然か、今、そういう思いです。

 だから、Aちゃんがイギリスで感じたことは、わたしがいつも気にしていることなのです。


 わたしは、このブログに、昭和24年の、Bおじいちゃんの実践を載せたことがあるのだけれど、それは、もちろん、読んでくれただろうね。

 あの時代は、日本が戦争に負けて、民主主義の時代になったばかり。

 それで、おじいちゃんたちは、燃えたのだ。

 子どもの生活に根ざし、考える力を養うことを重視した新教育こそ、これからの日本の民主主義を支えていくものだ。暗記中心の学習は、子どもを受身にし、子どもの人格形成をないがしろにするもので、これは戦前の皇国史観教育と、指導法においてはまったく同一である。そう考えた。
 そして、数多くの実践を残したのだけれど、その後の、学力低下論に押され、指導法に関しては、戦前の姿に戻ってしまった。暗記中心ということだね。

 おじいちゃんたちの落胆振りは、かなりのものだったと思う。このことを、おじいちゃんに聞いたことはあったのだけれど、あまり、多くは語ってくれなかったなあ。

 だから、あの昭和24年の新教育、民主主義教育がそのまま持続、発展していたら、今頃の日本は、かなり、Aちゃんがイギリスで体験したとおりの日本になっていたこと、疑いなしと思うのだ。かえすがえす残念だね。

 わたしも、昭和45年、教員になってから、その一翼を担わせてもらった。
 そのように、ずっと考える力の大切さを訴え、実践してきた教員、学校もたくさんあるのだよ。日本全体の中では少数派だけれどね。
 わたしも、自分のそうした実践をこの姉妹編であるホームページに載せたことがあるから、よかったら見てね。


 以上で、返信は終わり。



 でも、このブログでは、特に言いたい。

 かねてから申し上げているように、日本の大多数の教育は、大学受験に毒されている。受験用の学力のみ大切にされ、真に人格形成に大切な学習がおろそかにされている。

 世間もそれをよしとしている。見よ。このブログの広告の数々を。ほとんどが、受験がらみではないか。

 こんなことをしていると、日本は大変なことになりますよ。



 最近、その象徴ではないかと思われる事件が起きた。

 領収書大臣、ばんそうこう大臣である。

 初め、わたしは、何か政治的意図があって、あのような、煮え切らない、同じ言葉の繰り返しをしているのかと思った。しかし、だんだん、そのような政治的判断はないと感じ取れるようになってきた。ただただ、本人の力量のなさだったようだ。

 この場合の力量とは、ユーモアでさらっとかわす力、その場の雰囲気への対応力、もっと一般化した言い方なら、人間関係調整力と言ったらいいだろうか。そういう力がまるで育っていないということを思い知らされた。

 一方彼は、最高学府を出ている。高校もエリート校のようで、つまり受験能力養成のなかで育った方なのだ。

 これは、たまたまの例に過ぎないのだろうか。わたしはそうは思わない。


 首相は初の戦後生まれという。上記大臣はもっと若い。わたしは、受験能力中心で育った人間の、一つの典型を見る思いがしている。
 とすれば、今後、こうした政治家はますますふえるだろう。いや。政治家だけではないね。どの分野であれ、成功組のなかには、かなりいるはずだ。

 ああ。日本はおかしくなっていくなあ。外国と、ごしてやっていけるのだろうか。

 早く、受験能力養成の弊害に、気づいてほしいものだ。


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 わたしは今回、受験教育とは書きませんでした。あれは、教育ではないのではないか。そんな思いになっています。近いうち、そうした記事も書きたいと思います。

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rve83253 at 15:36│Comments(3)TrackBack(0)教育観 | 英語の指導

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この記事へのコメント

1. Posted by ベア   2007年08月17日 22:32
今回のお話を読んで、一つ思い出したことがあります。
私は学生時代、大手進学塾で事務のアルバイトをしていたのですが、そこで非常勤講師として働いている一流大学の学生達と接した時に感じたのは、話をする時にあまり目を合わせてくれない人が多いということでした。
そしてその学生の一人が、上司から指示された「電話をかけること」という、たったそれだけのことが全くできなくて、一言も発さずにオロオロしている姿を見て、「ああ、この人はきっとこれまで勉強さえしていれば他には何もしなくていいと言われて育ってきたんだろうなあ」と思ったことを覚えています。

2. Posted by ベア   2007年08月17日 22:33
進学塾は自分にとってはある種異様な世界で、将来自分に子供ができたらどういう子育てをするかなど、色々なことを考える良い経験になりました。
今、実際に子供ができて思うのは、子供が自分ですることや自分で考えること、それがどんなにまどろっこしくても私は口を出さず見守ろうということです。
失敗することが分かっていても、子供が一生懸命やっていることにはなるべく手を出さない。
それが大きくなってからの自立心や向上心につながると思いますし、自分の子供の頃を振り返ってみると、自分の親にもそうやって育ててもらったような気がします。
子供に自分の考えを押し付けたり、レールを敷いてしまうようなことだけはしないようにしたいと思っています。
3. Posted by toshi   2007年08月18日 12:11
ベアさん
 そうですか。『目を合わせてくれない。』というのは、対人関係を必要とするとき、緊張状態になってしまうことも考えられますね。
 電話の件は、ただただ驚きです。
 でも、それを通して、子育ての要諦を学べたことはよかったですね。
《子供が自分ですることや自分で考えること、それがどんなにまどろっこしくても私は口を出さず見守ろうということです。失敗することが分かっていても、子供が一生懸命やっていることにはなるべく手を出さない。それが大きくなってからの自立心や向上心につながる〜》
 これ、わたしの妹の子育てのことを記事にしたことがありますが、それと同じだなあと思いました。危険がないか見守るとか、賞賛の言葉をかけるようにするとか、見守り方は大事だと思いますが、基本的には、わたしもそれに賛成です。

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