2007年09月05日

えこひいきではないですよ。4

23e4362f.JPG 今回、国語の授業としてではなく、学校生活のなかでの『話す・聞く』の指導を記事にしたところ、とてもありがたいコメントをいただいた。

 Jupiterさんからは、『一人一人の個人差に対応して、的確に評価をしていくということはあらゆる教育活動に通じる教師の姿勢だと思いました。』

 また、ベアさんからは、日本の英語教育の問題点を、『話す・聞く』の指導と関連付けてご指摘いただいた。

 

 ほんとうにその通りで、納得しながら読ませていただいたが、なお、補足したいことが思い浮かんだので、今日からしばらくは、上記両コメントをとり上げての記事とさせていただきたい。



 まず、今日は、前者について、

 ほんとうにおっしゃる通りで、一人ひとりの個人差に対応する指導は、何も、『話す・聞く』だけではなく、全教育活動を通して大事にしていかなければならないと思う。


 たとえば、

 宿題をやってきただけでほめていい子もいれば、宿題などではほめる必要はなく、意欲的に取り組んだ自由学習の質でほめる子もいる。



 だけれど、これには、重大な留意点がある。

 これは、あることに気を配らないと、子どもから『えこひいき』と言われかねない側面を持つ。

 だって、前述のように、『ある子には、宿題をやってきただけでほめるけれど、ほとんどの子に対しては、そのくらいのことでほめる必要はない。』と考えるわけだもの。

 低学年だと、多くの子がほめられたいと思っているから、
「ええっ。ぼく(わたし)だって、宿題やったよう。先生、ほめてくれないの。ひいきしてらあ。」
などということも起きる。

 

 この、子どもから、『えこひいき』と言われてしまうのは、教員にとって、かなりこわいことではないか。家へ帰れば、親に報告されてしまうおそれもある。
 子どもからそう言われないように、いつも気をつける教員もいそうだ。



 何をかくそう。実は、このわたしが、若いときそうだった。

 子どもからえこひいきと言われないよう、ものすごく気を遣っていた。ある子に、あることで叱れば、それと同じことをした子には、同じように叱らなければいけないと思っていた。

 これは、『ほめる質、叱る質をそろえよう。』としていたと言えよう。



 しかし、この努力は大変むなしい努力であることが、だんだん分かってきた。

 担任が質をそろえようとすればするほど、担任の思いを感じ取った子どもたちは、そのことにシビアになっていく。
 そして、ちょっとした『不公平』に対しても、それをついてくるようになる。


 もう一つ、あった。

 それは、ほめたり叱ったりする質をそろえようとすると、ほめることばかりの子、逆に、叱ることばかりの子ができてしまう。


 
 だいぶ長いあいだ、わたしは、そのジレンマに悩んだ。このことだけが要因とは言わないが、子どもから反抗されるようにもなってしまった。



 そして、修行時代を迎えることになる。先輩の教員のご指導もいただきながら、だんだん自分を変えていく努力をするようになった。



 心豊かな子どもを育む学級経営ができるようになると、それは実に簡単なことだった。

『これまで、なんでこんな簡単なことで悩んでいたのだろう。』
と、おかしくなってしまうくらいのことだった。


 ようするに、『公平』の観点を変えたのだ。



 ほめる質をそろえるのではなくて、ほめる量をそろえるように努力するようになった。

 量をそろえようとすると、当然一人ひとりほめる観点を変えなければならない。

 それこそ、宿題をやってきたくらいのことでもほめないと、他にほめることがないから、ほめる。(実際はそれほど極端ではありませんよ。ここでは、話を分かりやすくするために、あえてこう書かせていただきました。)

 
 この努力は楽しかった。

○一人ひとりの実態をしっかり把握しよう。
○一人ひとりに寄り添っていこう。
○その子の成長を促す方向でほめていこう。

 そういう意識が自然に芽生えた。


 また、子どもの側にすれば、どの子も、『先生は、ぼくを(わたしを)認めてくれている。受け止めてくれる。伸ばしてくれる。』

 そういう思いが生まれたようだ。したがって、『えこひいき』などという言葉は、ついぞ、聞かれなくなった。


 その結果、どの子も伸びることが実感できるようになった。明るく、ほほえましい思いになることがふえた。子どもたちには、『安心感』が生まれたようだった。

 
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 まあ、そうは言っても、ほんとうに量をそろえることはできません。わたしの勘では、3:1くらいの開きはあったと言っていいでしょう。
 でも、そのくらいの開きはあっても、問題が発生することはありませんでした。

 ただし、他のことでは、問題点もあったのですよ。次回は、『ほめる量をそろえようとする努力』の中で発生した問題点と、それをどう克服したかについて、述べてみたいと思います。

 ベアさん。もうちょっと待ってくださいね。申し訳ありません。
 
 それでは、今日も、1クリックをよろしくお願いします。

『認めてもらいたい欲求』につづく。


rve83253 at 01:22│Comments(5)TrackBack(0)児童観 | 児童指導

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この記事へのコメント

1. Posted by Jupiter   2007年09月05日 20:02
 コメントを引用いただくなんて、大変光栄、というより恐縮です。
 ご推察の通り、中学校勤務です。中学生ともなると、「ほめ方」は本当に難しい。思春期特有のテレと強烈な承認欲求が同居している人格に対して、どのような賞賛を送るのが効果的か、いつも考えます。生半可な「ほめ言葉」なら、「バカにしてる」と思われるのがおちだからです。
 「楽しい努力」というのは、本当に勉強になる言葉です。一人一人の子どもをしっかり理解しようとする気構えや技術、そして自信がないと言えない言葉ですね。ぜひそんな境地に少しでも近づきたいものだと思います。
2. Posted by toshi   2007年09月06日 06:15
Jupiterさん
《思春期特有のテレと強烈な承認欲求が同居している人格に対して、〜》
 わたしは小学校の経験しかないので、中学生のことはよく分からない点もありますが、ほめ方一つとっても難しそうということは、容易に想像がつきます。
 小学校でも年々むずかしくなっているのですから。ほんとうに大変だと思います。
 ですから、比較的まだ楽に対応できると思われる小学校低学年の時期が大切なのだと思います。
 その実践例は、『鉄は熱いうちに打て』シリーズに書かせていただきました。

鉄は熱いうちに打て(2) 
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2006-11.html#20061107
 

 
3. Posted by toshi   2007年09月06日 06:57
 想像で言って申し訳ないのですが、中学校では、
・真剣に、
・具体的に、
・何をほめているのかが分かるよう、『価値』が伝わるようにして、
・ときには名前をあげないようにして、
対応することが大切でしょうか。
 そのようなことを感じました。

 またまた、自分の実践の引用で申し訳ありませんが、高学年での事例を紹介させてください。

 意味づけ・価値づけ(2)学級経営から
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2007-01.html#20070120
 これなど、比較的、中学校でも通用する事例かなと思いました。もうお読みでしたら、ごめんなさいね。
4. Posted by なおみ   2008年06月28日 21:29
読ませていただくと、大変参考になる記事で、報告があとになって申し訳ないのですが、記事にリンクさせていただきました。よろしくお願いします。
5. Posted by toshi   2008年06月29日 15:16
なおみさん
 リンクありがとうございます。なおみさんのおかげで、拙ブログを読んでくださる方がふえています。ほんとうにありがとうございます。
 なお、拙ブログに、貴ブログをリンクさせていただきました。末永くよろしくお願いします。

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