2007年09月16日

いわゆる受験教育をめぐって3

 あれこれ言う前に、まず、現状の高校学習指導要領総則をお読みいただきたい。
 いかに、すばらしいことが書かれているか。そして、今の日本における高校教育の現状といかに乖離しているか、一目瞭然と思われる。
 

1 各学校においては,〜,生徒の人間として調和のとれた育成を目指し,地域や学校の実態,〜,生徒の心身の発達段階及び特性等を十分考慮して,〜。生徒に生きる力をはぐくむことを目指し,創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で,自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに,基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。

2 〜道徳教育は,生徒が自己探求と自己実現に努め、国家・社会の一員としての自覚に基づき行為しうる発達段階にあることを考慮し人間としての在り方生き方に関する教育を〜。
道徳教育は,〜,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成する,〜。
〜道徳的実践力を高めるとともに,自律の精神や社会連帯の精神及び義務を果たし責任を重んずる態度や人権を尊重し差別のないよりよい社会を実現しようとする態度を養う〜。

3 〜体育・健康に関する指導は,〜。特に,体力の向上及び心身の健康の保持増進に関する指導については,「体育」及び「保健」の時間はもとより,特別活動などにおいてもそれぞれの特質に応じて適切に行うよう努めることとする。〜,家庭や地域社会との連携を図りながら,日常生活において適切な体育・健康に関する活動の実践を促し,生涯を通じて健康・安全で活力ある生活を送るための基礎が培われるよう配慮しなければならない。

4 〜,地域や学校の実態等に応じて,就業やボランティアにかかわる体験的な学習の指導を適切に行うようにし,勤労の尊さや創造することの喜びを体得させ,望ましい勤労観,職業観の育成や社会奉仕の精神の涵養に資するものとする。

と立派なことが書かれているのだ。


 なお、参考までに、高校学習指導要領の全文は、下記にリンクしました。

  高校学習指導要領


 どうだろう。

 未履修問題、大学合格者水増し問題など、現状の高校教育は病んでいる側面があるが、そこまでいかなくても、多くの高校における教育は、受験の現状に押し流され、上記学習指導要領の精神から逸脱していないだろうか。

 
 話は変わるが、わたしが参加させていただいている、『日本ブログ村』が、サブカテゴリー設置にあたり、広く意見を募っていたことがあった。

 そのとき、

 「『受験教育』は教育ではないのではないか。教育とは別なカテゴリーとして設置した方がいい。」
という意見があった。


 そうなのだ。

 これは、一種の技術で、上記、学習指導要領の総則から言っても、まったく教育とは無縁のものと言えよう。


 具体的に指摘しよう。

○現状で、『(各学校の)特色ある教育活動』が、どれだけできるというのか。『うちの学校は受験への取り組ませ方に、特色があります。』では、笑い話ではないか。

○『個性の尊重』が大切というが、受験教育体制下で、どれだけ可能か。受験体制は、学習内容の画一化をもたらしていると言えないか。

○『人間としての調和のとれた育成』を、受験体制が阻んでいるのではないか。

○『自己探求と自己実現に努め、』とあるが、空疎に響く。
 かつてわたしもそうだったが、『受験さえなければ、あれができる。これができる。』そのようなむなしさを覚えながら、仕方なく受験に取り組んだのだった。

○『道徳性の涵養』が、いかにむなしく響くか。これは、現在の日本社会をみれば、一目瞭然だ。

 
 まだ、『教育』をゆがめる側面がある。

 それは今、噴出している、『学力低下論』だ。

 学力とは何ぞや。

 上記学習指導要領に書かれたすべてが学力である。

 したがって、『調和のとれた人間性』『個性尊重の精神』『国家・社会の一員としての自覚』『人間としての在り方・生き方を身につけること』『自ら学び自ら考える力』『自己探求したり自己実現を図る力』『人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念』『平和的な国際社会に貢献し未来を拓く力』〜。

 ああ。もう、列挙するのはやめよう。まだまだ続くが、これらは皆学力なのだ。

 けっして、『基礎的・基本的な内容の確実な定着』だけを意味しているのではない。

 『学力低下論』が、真の学力を背景としてなされているのであれば、わたしは、真剣に耳を傾けなければならないと思う。

 しかし、今、言われている『学力低下論』は、受験に絡んで、多分に知識のみを追い求めてなされている。しかも、それが、今の日本社会に大きな影響力をもってなされていることに、強い憂慮の念を抱くものである。

 
 本来、小、中、高とも、それぞれ、その年代にしかできない教育があるはずだ。

 たとえば、

 高校ならば、高校生としての基礎・基本を大切に学ばせながらも、物語を読んだり、友達同士、意見交換をしたりしながら、人生を考えるとか、

 生活弱者の思いやその生活実態を学びながら、奉仕活動の大切さを感じ取り、自らそれを実践しようとする気概を養うとか、

 本来なら、そういう教育こそ大切にしていくべきなのではないか。


 学習指導要領の精神を生かす教育は、これ以外にも、多様にあるだろう。それでこそ、各校の特色ある教育活動が可能になる。



 受験教育を排除するためにはどうしたらいいか。

 簡単なことだ。

 現状の反対。つまり、入学をやさしくし、卒業を厳格にすればいい。

 それが、広い意味の学力保障につながる。

 一人ひとりが、『今』の学校生活を充実させることにつながる。


 最後に、わたしは、6年担任だったとき、ある中学校の入試問題に愕然としたことがある。

 公害問題が、社会問題として、深刻だったときだ。小学校でも、公害が学習内容に盛り込まれた。

 その入試問題は、公害病と、それが起きている地域名と、それがどこにあるかを示す日本地図とをあげて、それらを結びつける問題だった。たったそれだけ。

 これだけで、公害についての知識を問うているのだった。

 公害がなぜ起きるのか。
 どういう深刻な問題があるのか。
 どう克服しなければいけないのか。

 そうしたことこそが大切なのに、それらは不問に付されていた。

 教育にとって一番大切なことは何か。それを不問に付すのが受験問題か。こうしたなかで、どういう人間性が形成されていくのか。

 それを象徴的に示している受験問題のように思えた。


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 これは、公教育に携わるものとしてあってはならないことで、わたしも責任を感じ自戒の念を深めていますが、小学校においても、学力検査不正問題が発生ました。しかも、教育委員会主導のようです。愕然としました。

 
 これまでも、折々に、受験については、記事にしてきました。代表的なもの一つをリンクします。お時間があれば、ご覧いただければ幸いです。

 2月19日 教育再生会議の提言に思う。(4)教育の地方分権を
 後半の『4.について』の部分です。


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この記事へのコメント

1. Posted by ベア   2007年09月17日 04:01
本当の学力とはどういうものか、とても考えさせられました。
受験ではただ受験用の知識を詰め込むだけで、深く考えることは必要とされない。
それは自分の受験勉強の時もそうでした。
予備校の先生は「受験が終われば忘れていいから、とにかく覚えなさい。」と言っていました。それでいいのだろうかという疑問は持ちましたが、そんなことを考えているよりとにかく知識を詰めこまなければという感じでした。
現状でそれが小学生に行われているのは、ちょっと怖いですね。子供達はそれが勉強で本当の学力だと、何の疑問も持たずに思ってしまっているのではないかと思います。
今の若い人達を見ていると、確かに思考力の欠如や偏りを感じることが多いです。
それと同時に、自分さえ良ければいいという風潮もとても気になります。
それらが全て受験教育のせいとは言えないと思いますが、何かを変えていかなければならない時期なのかもしれないですね。
2. Posted by きゃる   2007年09月17日 22:46
受験勉強は
 ・問題が与えられている
 ・正解がある
という点で、「特殊」な勉強であるといえます。
だから、受験や入試を最終目標にしてはいけないし、
大学に入学したと同時に勉強をやめてしまう人間に
育ててはいけないと思っています。
何が常識かわからない悲しい現実ですが、
そうならざるを得ない事情があることも考慮しなければ、
日本の教育は変わりません。
3. Posted by toshi   2007年09月18日 11:08
ベアさん
 どうも、国は、本音と建前の二枚舌をつかっているような気がして仕方ありません。学習指導要領の通りの教育施策をとってくれれば、世の中は大きく変わると思うのです。
 しかし、受験への取組は、わたしが受験生のときから何にも変わっていませんし、むしろ深刻になっていると思います。
 その一方で、明るい見通しももっています。年功序列、終身雇用の時代はとっくのむかしに消え去りました。
 それにより、受験学力が世の中に出てからは、何も役立たない、むしろ弊害が大きいということが、国民レベルで理解されるようになれば、そのとき初めて解決するのかもしれません。
 まあ、その日が早く来るように、わたしも拙ブログでがんばりたいと思います。どうぞ、よろしく。
4. Posted by toshi   2007年09月18日 11:18
きゃるさん
 ほんとうですね。真の学習は、自ら問題意識をもち、自ら問題を設定し、解決するというところに値打ちがあるのですものね。それに、世の中のことは、これが正解と決まらない部分もたくさんあるわけで、そこが扱われないと、心に染み入る教育にはならないと考えます。
 受験がすべての諸悪の根源とは言いませんが、しかし、家庭教育、学校教育が問題をかかえているとすれば、そのかなりの部分は、受験がらみなのではないでしょうか。
 でも、教育再生会議はじめ、国の考え方は、まだまだそのことにはふれていないようです。

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