2007年10月06日

PTAと学校(4)4

e350d74d.JPG PTAと学校シリーズ。いただいたメールをもとにしての第4弾である。

 これまでとり上げてきたものは、

 (1)は、『校長先生にとってのPTAとは、どういう存在でしょう。』
 そして、(2)は、『校長の目が、子どもではなく、地域・PTAの方を向いてしまっているということはないか。』
 さらに、(3)は、『校長の権限強化と学校経営』


 今日は、引き続き、『学校は、行政の出先機関か。』という質問をとり上げたい。


 質問の要旨は、

「うちの子が通う学校の校長先生も、何かと、PTA活動に干渉してきます。そして、二言目には、『学校は行政の出先機関という側面をもつのだから、PTA活動も、その制約を受ける。何をやってもいいというものではない。』とおっしゃいます。これについて、toshi先生はどう思われますか。」

 この質問には驚かされた。

 と言うのは、わたし自身、『学校は行政の出先機関』などと思ったことは、一度もないからだ。


 出先機関と言ったら、○○出張所とか、○○支所とか、そういうものを思い浮かべる。住民の利便性、住民へのサービスを考え、本庁の仕事の一部を出先にゆだねるといった、そんな感じだ。


 学校もそうか。

 とんでもないと思う。

 学校は、『子どもの教育』という、大事な仕事にかかわっている。そちらの方で、頭はいっぱいだ。
 だから、『行政』などと思ったことは、・・・、まず、ない。

 そうか。学校も行政の一翼を担っているのか。退職した身で言うのもおかしいが、今になって初めて知った。

 そんな感覚である。


 ああ。ごめんなさい。このタイトルは、『PTAと学校』だったね。

 その方のメールでは、『だから、校長先生は、PTAが、校長の意向に沿わない活動をするのを、恐れているようです。』ともある。

 わたしは、意向に沿うも沿わないも、PTAが活動を計画、実行している段階で、意向を示したことはない。・・・。ないと思う。
 PTAには、自由に活動していただいた。その活動を見ながら、お礼や感謝の言葉を述べた。そこに、『校長としての思い』を示したことはある。

 だから、わたしには、『恐れる』という感覚が分からない。よそでの、『行政』って、一体何なのだろう。


 行政の要請を、学校が受け止めたり、場合によっては、PTAに伝えたりすることは、ふつうにあっていいだろう。それはそう思う。

 今、『行政の要請』と書いた。しかし、これは、法的な根拠をもっていれば、『指示・告知』となるだろう。それも同様でいい。

 わたしの現職時代にしても、行政からの、『要請・指示・告知』などは、何度もあった。たとえば、PTA活動では、『家庭教育学級』。地域の活動では、『土曜塾』。そうした要請はあった。そして、すすんで協力してきた。


 しかし、そうであるなら、学校とPTAが一体となり、行政に要望することも、ふつうにあっていいことだと思う。

 現に、このわたしは、スクールゾーン対策協議会の意向を受け、PTA会長とともに、行政に陳情に出向いたこともある。

 でも、よそで、『恐れる』というからには、こうしたことはありえないこと、あってはいけないことなのかな。でも、それでは、子どもを守れないこともあるのではないかな。


 いろいろ思うが、よそでは、教育委員会と学校の関係が、上意下達のみとなっているのかな。学校や、地域や、PTAが何かをいうということは、あってはいけないことなのかな。

 もしそうなら、これは、その地域の教育委員会の体質なのに違いない。

 教育委員会が、『学校は行政の出先』と言っているのではないか。もしそうなら、校長は、子ども、保護者、地域ではなく、行政の方へ顔を向けてしまうことにもなりかねない。

 ことによったら、今、教育現場で起きているさまざまな問題も、こうしたことに起因しているのかもしれない。

 だったら、分かる。分かるが、とても、賛成はできない。



 我が地域の教育委員会は、そのようなことは言わない。聞いたことがない。


 現職の校長に会う機会があったので、聞いてみた。

「そうですねえ。わたしにしても、出先などと思ったことは、ないですねえ。」
「わたしもそう思う。そんなこと、教育委員会も言わないよなあ。」
「ええ。・・・。そうですね。・・・、でも、他部局から教委にきた人のなかには、言う人もいますね。」
「ああ。そうか。他部局ね。」
「でも、そんなことを言う人に対しては、校長たちはしらけますよね。冷たい反応を示すでしょう。『何、言っているのだ。』ということで、雰囲気がとたんに悪くなります。」



 話は変わるが、教育再生会議は、教育委員会の改革を打ち出した。そのなかには、国の権限強化もうたわれていて、これは法制化された。

 しかし、わたしは思う。国までそんなことをしたら、ますます上意下達になるのではないか。そうすれば、校長はますます恐れるようになる。でも、それではいけないね。


 以前も記事に書いたが、再度書こう。

 教育委員会の制度、教育の地方分権に問題があるのではない。問題がある地域があるとすれば、その地域の教育委員会の体質にこそ、問題があるのだ。

 
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 すみません。『教育委員会の制度、教育の地方分権』に、問題はないと書きました。しかし、それは、今日書いた意味においてです。

 教育委員の公選制など、改革の必要性はかつて記事にしたことがありますし、教育の地方分権を確立する方向での改革の必要性は強く感じています。

 それでは、今日も、上記バナーの1クリックをよろしくお願いします。

  (5)へ続く。


rve83253 at 10:50│Comments(4)TrackBack(0)教育風土 | PTA

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この記事へのコメント

1. Posted by KG   2007年10月09日 10:32
教育の地方分権の流れには私も大賛成です。
地域の子供は地域が育てる。地域社会が失われつつある現在、学校が地域社会の核となって欲しい。そんな思いが私の根底にあります。
2. Posted by toshi   2007年10月10日 05:48
KGさん
《地域の子供は地域が育てる。地域社会が失われつつある現在、学校が地域社会の核となって欲しい。》
 ほんとうにそう思います。国が育てるという考え方は、戦前への回帰と、わたしなどはどうしても思ってしまいます。
 でも、国民のあいだで中央集権を求める声は、かなり強いと思います。大学受験などによって、子どもの学習内容も国が決めて当然という考えが強いようです。 
3. Posted by KG   2007年10月11日 09:27
本当は国が保証すべきは予算的措置だけであって、その他の事は地方に分権した方がいいと思っています。
今の流れは予算は地方、教育内容の細部は国が口を出す、という全く逆方向で進んでいるような気がしますね。財政破綻してしまった夕張市なんかはどうやって公教育を維持していくんでしょうか・・・。
4. Posted by toshi   2007年10月12日 05:51
KGさん
 KGさんのおっしゃる通りと思います。
 すでに記事にしたことはあるのですが、現状でも、教育課程は、子どもの実態、地域の実態を反映させるべく、各学校が作成することになっています。しかし、それはたぶんに形骸化してしまっていますね。
 保護者の方に、各学校が作成といっても、現状ではご理解いただけないと思います。
《国が保証すべきは予算的措置だけ》
 これも大賛成です。
 

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