2007年10月12日

人権教育(12)交流教育  学校だよりへの想い(15)4

4ef0ee0b.JPG 10年くらい前だっただろうか。それは、我が地域の教育委員会主導で始まった。

 ある日、いきなり、教育委員会から、学区に居住し養護学校に通う児童との交流を呼びかける文書が届いた。何の前ぶれもなく唐突だったから、いささか驚きの念を隠し切れなかったが、ばくぜんと、いい試みだなという思いはあった。

 しばらくして、我が学区に住み、養護学校に通う児童の紹介が、文書であった。今、Aちゃんとさせていただこう。2年生だった。
 それまで、わたしは、自分の学校の学区域に、養護学校に通う児童がいるのかどうか、まったく知らなかった。


 両校の間で連絡を取り合うとともに、Aちゃんの保護者に対しては、養護学校の方から連絡を取ってもらうことになった。保護者も、交流を大変喜んでくださっているとのことだった。


 だいぶ後になってから分かったことだが、お母さんは、こんなことをおっしゃったことがある。

「toshi校長先生の学校だよりの文を読むのが、交流以前からとても楽しみだったです。わたしは、校長先生にお会いする前から、校長先生のファンだったのですよ。」
「まあ。それは、どうも。・・・。町内会の回覧板に、はさんでもらっていますものね。・・・。ああ。読んでくださっていたのですか。それは、それは、・・・、どうも、ありがとうございました。」
「とっても子どもたちがはつらつとしていて、いい学校だなと思っていたものですから、B養護学校から、交流の話をうかがったときは、とてもうれしかったのです。幼稚園で一緒だった、お友達もいましたしね。」

 そうなのだ。学校は把握できていなくても、子どもたちのなかには、なつかしがる子もいたのだった。


 交流の初年度は、年度途中だったこともあり、数ヶ月に一度、給食を一緒に食べるとか、運動会などの行事に招待するとかいった程度だった。

 二年目から本格的な交流が始まった。

 それでは、その様子の一端を、当時の学校だよりからご紹介しよう。




 運動会での交流を通して


 〜。

 今年の運動会には、本校学区にお住まいで、B養護学校に通う児童が一人(Aちゃん)、一日中参加しました。昨年は運動会当日だけだったのですが、今年は、練習のときから一緒でした。
 その姿を見ていて、わたしは交流のすばらしさを強く感じました。Aちゃんも本校の児童も、心に張りをもったり、ともに生きる姿勢を大事にしたりすることができるようになりました。

 Cという種目の練習のときのことです。
 これは棒を持って4人グループで走ります。グルッとまわるところもあります。

 1回目は無事済んだのですが、2回目は早く走り過ぎた?友達の勢いにおされ、Aちゃんは転倒しひざをけがしてしまいました。先生方は誰もが、『この種目を一緒にやるのは無理だね。』の思いで一致しました。
 しかし、後で子どもの話を聞いてみると、そうではないことが分かりました。

 最初はゆっくり走ったのですが、Aちゃんは大丈夫なようなので、だんだん速く走るようにしました。すると速く走るにつれて、Aちゃんはにこにこ楽しそうに走るようになりました。
「うわあ。Aちゃん、とっても喜んでいるよ。」
「ほんとう。あんなにうれしそうな顔を見るのは初めてだね。」
「それなら、もっと速く走れば、もっとうれしそうな顔をするに違いないよ。」

 そう考えた本校児童は、練習の2回目、さらにスピードを上げたのでした。残念ながらけがをしてしまったけれど、それは相手のことを思い、相手の気持ちになって行動した結果なのでした。

 運動会当日も、Aちゃんの笑顔はたえませんでした。何より友達との心の交流がうれしいようでした。こうした心が彼のよりいっそうの成長を促しているに違いありません。
 本校の児童にしても、自分と違ったタイプの個性をもつ人ともなかよく過ごす力を養っているといえそうです。


「Aちゃん。今度の1・2年生の遠足は雨が降っても行くのだからね。絶対来てね。」
「一緒に行こうね。」

 お別れのとき、本校児童はそう声をかけました。
 Aちゃんは、おうちへ帰ってから、何回も何回もそのお友達の言葉をまねして言っていたそうです。『よほどうれしかったのでしょう。』と、これはお母さんの言葉でした。

 そう言えば、練習でけがしてしまったときも、ほんとうはかなり痛いのでしょうに、まったく痛くはないかのように、友達を見ながらにこにこしっぱなしだったのを思い出しました。



 学校だよりは、以上だが、・・・、

 学校だよりの役目として、学校の教育活動を地域・保護者にPRすることがあるとは、すでに述べた。

 しかし、本号を出した意図は、ただ単にPRだけではなかった。



 『無知は偏見を生み、偏見は差別を生む。』

 これは、拙ブログサイドバーで、島本恭介氏の本を紹介させていただいているが、同氏の言葉である。


 そう。交流というと、養護学校に通う児童のメリットばかりが印象づけられるということはないか。

 それもあるが、養護学校側だけではない。小学校の子どもたちにとっても、はかり知れないほどの心の育みをもたらす。

 それを強調したかった。

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 子どもの心は柔軟です。大人の心の方が、堅いのではないでしょうか。

 しかし、子どもの学習の様子を紹介することによって、大人の心も柔軟になっていくと思います。それは、初心にかえる姿と共通する部分があるのではないでしょうか。

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   『交流教育』の記事の次に続く。 

rve83253 at 00:17│Comments(2)TrackBack(0)学校だより | 交流教育

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この記事へのコメント

1. Posted by KG   2007年10月12日 10:46
>『無知は偏見を生み、偏見は差別を生む。』

全くその通りだと思います。
子供は小さいうちは非常に柔軟です。統合保育をやっているうちの幼稚園を見ていても、本当にそう思います。
子供たちのそういう姿を見ると、周りの大人たちも柔らかくなっていくんですよね。
恥ずかしながら、私も子供がその幼稚園に入園するまでは何となく偏見がありました。
息子が健常、障碍関係なく友人を作っていくのを見て、そしてその子たちに触れる事によって偏見は薄くなっていきました。(全くなくなったとは今でも断言できません)
小さいうちに一緒に生活する方が、理屈抜きの教育になるんでしょうね。
2. Posted by toshi   2007年10月14日 05:11
KGさん
 偏見、差別の意識のない人間はいないと言われます。だからこそ、それを克服するための努力が必要になってきます。
 これ、KGさんの場合は、お子さんを通して知識を得たというか、強く感じられたというか、まずそこのところが大切なのだなと思いました。そう言えば、わたし自身もそのような部分が大きいです。
 自分自身のたどった道についても、今後ふれさせていただきたいと思っています。

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