2007年10月16日

人権教育(14)交流教育 わたし自身の反省と決意2

3fc7fb54.JPG 今日の記事は、わたし自身の反省と決意を述べさせていただくため、いつもと文体を変えて、書かせていただきます。

 まず、申し訳ありませんが、すでに入稿済みの、2つの記事をお読みいただければと思います。何を反省するのか、どういう決意をもっているのか、ご理解いただくためには、まことに恐縮ですが、お願いします。


 まず、一つ目。

 これは、前記事の続きですので、前記事をまだお読みでない方のみ、そちらからお願いできればと思います。

 人権教育(13)交流教育 共生を考える。



 次は、
 
 前記事の末尾に書かせていただいた、わたしにとっての反省を書き表わした記事です。

 まことに面目ないのですが、でも、それをお読みいただかないと、今日の記事は始まらないのです。すみません。

 それでは、よろしくお願いします。前半の記事、カブトムシの絵の前までです。

 小学校初任者のホームページ コラム集 にがい思い出   平成17年9月9日 

 

 何が言いたいか、お分かりいただけたのではないかと思います。双方の事例はきわめて似ている一方、好対照でもあります。


 そう。一方は、4年生の消防署見学。もう一方は、5年生の自動車工場見学。どちらも社会科見学でのできごとですね。

 そして、消防署の方は、教頭であるわたしが、『個別支援級の児童を社会科見学につれていかないことを了承した事例』であるのに対し、
 もう一方は、5年生の児童が、『養護学校の児童と社会科見学へ一緒に行こうと提案した事例』となっています。



 これが意味するところは、どういうことでしょう。

 自分自身が当事者だけに、論評を加えるのも気が引けるのですが、自責の念、強い反省の念、これからの自分自身への決意をこめて、論評したいと思います。


その1
 
 『共生』の思いを、いかに自分事としてとらえるかということに関しては、大人も子どももないということです。教える側、教わる側の違いもありません。同じ人間として、『思い』をもった方が、人間的にすばらしいとしか言いようがないですね。

 子どもだって、こんなにすばらしい『思い』を発揮するのです。しかも自然体で。


その2

 わたしは、日ごろ、教職員に、『一人ひとりの思いを大切に、』とか、『個に応じた指導』をとか、口にしていたのです。
 それなのに、どうして、あんな態度をとってしまったのでしょう。それは、社会科指導のはんちゅうでしかとらえていなかったからだと思います。別な言い方をすれば、ふつう学級の児童のはんちゅうでしかとらえていなかったのです。

 それに対し、子どもは、・・・、柔軟ですね。Dちゃんが喜ぶこと、できることといった視点で、全人格的に物事をとらえていると言えると思います。

 わたしも、『個に応じた指導』を言うなら、自分の学校の個別支援級児童、あるいは、交流している養護学校児童の、それぞれのめあてとか、願いなどを、しっかり把握していなければなりません。


 その3

 わたしたち教員は、よく、『子どもから学ぶ。』と言います。

 それは、おもに、『へえ。子どもってそんなものの考え方をするのか。』とか、『わたしたちは、子どもの思考の筋道というものを考えなければいけないよ。』とか、『原点を知る。』と言ったように、おもに、教育者の立場から、その専門性を高めるために、言っていることが多いと思います。

 しかし、ここでは、人間として、子どもの方がよほど純粋であるとか、正しい考え方をしているとか、そういった意味で、『子どもから学ぶ』という言葉をとらえたいと思います。


 その4

 そうは言っても、やはり、こういう子どもを育てたのは、B小学校の教職員ですから、その方々に、敬意を表さざるを得ません。


 わたし自身、以上のことを肝に銘じ、これからも、すべての人の幸せとは何かを見つめていきたいと思います。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 次回についてですが、こんなわたしが差別について論じるのも、いささか気が引けるのですが、自分自身の生き方への決意も含め、論じていきたいと思います。

 それでは、今回はちょっとお願いしづらいのすが、よろしければ、1クリックを、よろしくお願いします。

『交流教育』関連の記事の次に続く。


rve83253 at 00:31│Comments(3)TrackBack(0)人権教育 | 交流教育

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by うすむらさき   2007年10月17日 08:49
はじめまして

息子がいわゆる特別支援学級で学んでいる母親です。記事、とても興味深く読ませていただいています。

個別支援級のお子さんが消防署へ一緒に行くことができた事例ですが
主任の先生の、話を聞くことが大変だろうから、、という視点も、もっともなことだと思いますし
相談されたtoshi先生が了承されたことも
主任の先生からそう言われれば、そう
不自然なことでもないように感じました。

そして、校長先生が一緒に参加、と考えてくださったことは、同じ支援級に子どもを通わせている保護者として、心の芯がほかほかしてくるほど、とてもありがたいことだと思いました。

2. Posted by うすむらさき   2007年10月17日 08:50
続きです

個別支援級の子どもの学習内容や学習体験は、
周囲のその子への理解や考え方によって
教育の可能性は無限大にもなり
一方で、その機会を失いやすくもなる
そんな学級だと、個人的に感じています。

toshi先生のように考えてくださっている先生がいてくださる

そのことを
こうしてブログを通じて知ることができることで
これから、のことを前向きな視点を失うことなく考えるきっかけをいただいている気がしています。ありがとうございます。

これからの記事も、楽しみにしています。


3. Posted by toshi   2007年10月17日 20:51
うすむらさきさん
 大変ありがたいコメントをいただきました。感謝申し上げます。
 この校長先生からは、ほんとうに多くのことを学ばせていただきました。個別支援学級(当地域では、こう呼んでいます。)担任歴のある校長先生でした。
 言われてみて、『ああ。そうだった。よく知っているはずのことなのに。』と思うと、ほんとうにいたたまれないような、なさけないような、後悔の念が沸き起こったのです。
 専門馬鹿という言葉がありますが、そんな思いもしました。
 《個別支援級の子どもの学習内容や学習体験は、
周囲のその子への理解や考え方によって教育の可能性は無限大にもなり、一方で、その機会を失いやすくもなるそんな学級だと、個人的に感じています。》
 ああ。これも、肝に銘じておきたいお言葉だと思いました。おっしゃる通りです。指導する側の大きなテーマですね。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字