2007年10月18日

差別のない社会へ3

f9166cf2.JPG ここのところ、交流教育の実践をとり上げ、『共生』について考えている。重度重複障害児Dちゃんと5年生A学級の児童との交流である。

 そのなかで、Dちゃんのお父さんからいただいたメールを紹介させていただいた。

 そのメールに、以下のようなことを書かれている。前々記事と重なってしまうが、今日の記事にかかわる部分を、再度抜書きさせていただきたい。

 『〜。わたしたちは、なるべくDを連れて、地域のイベントにも出向くようにしています。夏祭りや盆踊りに行くと、Dを見かけて、B小学校の子どもたちが、
「元気でしたか。また、学校に来てくださいね。」
と、声をかけてくれるようになりました。これも、交流授業に参加しているおかげだと感謝しております。〜。』

 そう。ほんとうの意味の『共生』は、教室をとび出して、まちのなかで、いや、ありとあらゆる場で、実現しなければいけない。そういう意味で、その実現の可能性を感じさせていただいたメールだった。



 これとまったく反対の事例がある。


 Dちゃんの通うC養護学校の元校長が執筆された本のなかから、その部分を抜書きさせていただく。



 C養護学校での保護者会でのことだ。障害者への差別について話し合っていた。

 〜。Eさんのお母さんの話はみんなを驚かせた。

「春先のことだったけど、今でも、そのことを思い出すと、怒りがこみ上げてくるの。
 うちのEは訪問指導を受けているでしょう。身体が弱いからあまり外へ出ることがないの。でも、その日は体調もよく、すごく暖かな日だったので近くの公園にバギーに乗せて出かけたの。

 すると、Eのバギーに3,4歳くらいの男の子が近寄ってきて、Eの顔をじっと見ているの。鼻からチューブを入れているので、その子には不思議だったのでしょうね。
『こんにちは。ぼく、いくつなの?』
そうわたしが話しかけたら、その子のお母さんらしい人が髪を振り乱してかけてきて、
『その子のそばに寄るんじゃない!病気がうつったらどうするの!』
と言うなり、腕が抜けちゃうんじゃないかと思うほど、その子の腕を引っ張り連れ去ったの。
 わたし、その場でかたまってしまったわ。いくらなんでも、人にうつるような病気なら、外へ出しませんよ。」

 そういうお母さんの顔はひきつっていた。
「ひどい!」
「無神経な人ね。」
などというつぶやきがあちこちで聞かれた。

 Eさんの話をきっかけに、白い目で見られた経験が次々に出てきた。



 本の引用は以上だ。

 以上の件は、わたしの失敗を書かせていただいた、前記事と似ていないか。


 子どもは純真無垢だ。それが、まわりの大人のものの考え方、感情などによって、どのようにでも染まっていく。

 このお母さんにしても、悪気はないのだろう。そう信じたい。

 ただ、無知ということは感じる。


 ここで、上記、本の著作者の言葉を思い出す。

「無知は偏見を生み、偏見は差別を生む。」


 我々教員でも、最近はそうでもないかもしれないが、つい口にしてしまう言葉がある。『寝ている子を起こすな。』論である。


 これは間違いだ。

 『寝ている子』はずっと寝ているわけではない。何かきっかけがあれば、上記抜書きのように、『寝ていたか』のように見える差別意識が出てしまう。

 一方、心が柔軟な子どものうちからの交流によって、子どもの心はどんどん育つのである。

 そして、成長する。

 『共生』は、教室をとび出すのだ。


 では、大人になってしまったら、もう、遅いか。

 そんなことはない。しかし、自然体とはいかないかもしれないね。知的なレベルばかりを大切にするという傾向になるかもしれない。

 でも、とにかく、自分を磨くこと。それ以外にない。・・・。そう思う。わたし自身も心していきたい。



 A学級の子どもたちは近く、C養護学校の見学を行う。そこでの交流も見られることだろう。多くの成果を上げるものと期待している。


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 障害者を取り巻く環境は、むかしに比べたらよくなっていると思います。しかし、まだまだ発展途上。明るい未来のためにも、不断の努力を積み重ねていきたいと思います。

 A学級でも、子どもたちは、だんだん差別の問題に目を向けつつあるようです。どのような思いをもって成長していくか、また、折を見て記事にしていきたいと思います。

 上記に、『まだまだ発展途上』としました。かつて、それに関連した記事を載せたことがあります。

 よろしければご覧ください。

 平成18年5月3日  『障がい』の理解(2)共生
 平成18年4月14日 障がい者への差別

 それでは、今日も、1クリックをよろしくお願いします。


rve83253 at 00:49│Comments(4)TrackBack(0)人権教育 | 交流教育

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この記事へのコメント

1. Posted by tamasige   2007年10月18日 05:28
子どもの心は柔らかい。友人の子どもが出産時のアクシデントで脳出血を起こし、重度の障害を持ちました。小学校は、地元へ。子ども達は、平気でおばちゃんKちゃんはどうして歩けないの?話せないの?とそして、彼女がKちゃんの誕生について話す時間を持ちました。感想やKちゃんへの手紙がすごかった。中学校は、2校の小学校が一緒になるのですが、やはり小さいときから、一緒に過ごした仲間の方が自然で空気が固くないと感じました。
2. Posted by toshi   2007年10月18日 07:33
tamasigeさん
 交流の大切さをおっしゃってくださっていますね。ありがとうございます。
 自然で空気がかたくない子どもたちが、他校からの仲間にいろいろよい影響を与えてくれていることでしょう。
 そのようにして、交流の輪が広がっていきます。将来は、こうして育った子たちが、社会へ影響力をもってくれるといいですね。
3. Posted by 海ママ   2007年10月21日 15:46
初めてコメントさせていただきます。
私の息子はおそらくDちゃんよりも重い状態だとおもいます。食事は同じように鼻から経管栄養で、去年までは酸素の離せない状態でした。去年の夏に呼吸、心臓停止となり一命をとり止め、今は気管切開をして、元気に地域の中学校に通っています。とはいえ、首もすわらないし手足の自由もききませんが・・・。本当の共に生きるとは、一緒に育っていくことではないでしょうか。体調のこともあり、普通学級にこそ行けませんでしたが、小学校、中学校と特殊学級に籍を置き、みんなといっしょに過ごしてきました。初めは先生方も抵抗はあったことと思います。でも今では少しずつだけど、まわりが変わってきたな、と思っています。
4. Posted by toshi   2007年10月21日 22:17
海ママさん
 いやあ。それはすごいことだなと思いました。おっしゃるとおり、それこそが、『共生』なのですね。
 A先生が、思わず言っていた言葉があります。
「交流をしていて、ほんとうに驚くのですが、子どもたちはこわいくらいどんどんやさしくなっていくのです。」
 『こわいくらい』という言い方がおもしろいなあと思いました。
 きっと、海ママさんのお子さんの通われる中学校も、そういう子どもたちが育っているのでしょう。
 まだまだ反省点ばかりのわたしですが、『一緒に育っていく』という言葉の重みをかみしめています。
 ありがとうございました。

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