2007年10月20日

総合的な学習の時間を大切に4

7dba3a41.JPG 3つ前の記事に、今年5月のA学級の授業で、子どもが次のように発言したことを述べた。


 最後の方だったが、
「ぼくたち、わたしたちは、Dちゃんとの交流を通して、人を差別しないで、誰とでも仲良くする心をもつことができるのではないか。」

 でも、まだ、この段階では、『差別しない心』は、意見が突出し過ぎて、全体の意識にまで深まるようにはならなかった。

そのようにも書かせてもらった。



 ところが、おもしろい。

 担任のA先生は、今、この発言を覚えていないのだ。



 今月30日。B小学校は、研究発表会を行う。

 A学級では、Dちゃんとの交流をテーマとした授業を行う予定だ。
 そのための、事前の研究会をもったが、その会で、初任3年目のAさんと話していて、覚えていないことが分かった。


 『差別しない心』は、意見が突出し過ぎて、全体の意識にまで深まるようにはならなかった。

と書いたが、

『これは、担任の意識にもなっていなかったということだね。』と言ってからかってしまった。


 しかし、Aさんは、こうも言っていた。

「そう言えば、最近は、障害者への差別について発言する子が何人かいますね。『差別するのは許せない。』と言うのです。そういう子がふえています。」



 ここで、わたしは、一つ、『総合的な学習の時間の命』とも言うべきことを話すことになる。


 と言うのは、いまだ、この学級の本単元の指導計画、ねらいが、差別の問題に迫るようにはなっていないのだ。

「みんな、Dちゃんとなかよくなれたね。また、まちには、いろいろな人がいることが分かったね。これからは、どのような人ともなかよくなれるね。」

ということが最終的なねらいとなっている。

「これでは不十分ではないかな。〜。」

 そして、以下は、ある著名な教育学者の言葉を借りて、話すことになる。



 そのまえに、ふれておきたいが、

 総合的な学習の時間にとり上げる内容として、国が例示したのは、国際理解,情報,環境,福祉・健康の4つである。
 しかし、これは、あくまで例示であるから、各学校の計画により、他の内容に決めても、いっこうにかまわない。たとえば、拙ブログでもさんざん書かせていただいている人権であるとか、平和であるとか、それらをテーマに実践しても、いっこうにかまわない。



 さて、それでは、上記学者の方の話を、紹介しよう。


 

 総合というとね。多くの学校がハッピーエンドになっている。『仲良くなってよかったね。』とか、『いろいろなことが分かってよかったね。』とか、『分かったことを発表しよう。』などという感じだ。

 しかし、これでいいのだろうか。

 子どもが主体的で、真剣に学習に取り組んだら、どれも切実な問題であることに、気づくはずだ。とてもハッピーエンドとはいかない。


 だって、国が例示したものだけ見たって、どれをとっても、大人でも、解決困難な問題ばかりではないか。

 たとえば、国際理解。どうだろう。

 世界には紛争が絶えないではないか。とても理解し合っているとは言えない現状がある。

 たとえば、情報。どうだろう。

 確かに便利にはなったが、情報漏えいとか、プライバシーとか、困難な問題もかかえるようになった。

 環境。これこそ、大変な問題だね。

 地球温暖化は待ったなしなのに、いまだ、人類は切実性を欠いている。

 現に、すばらしい実践を遂げた学校において、子どもたちは、『大人はいい。でも、大人より先まで生きるはずのぼくたち、わたしたちが年とったころ、この地球はどうなってしまうのだろう。今から真剣に取り組まないと大変なことになる。』そういう危機感をもつに至った。

 福祉・健康。

 これも、『お年寄りと仲良くなってよかったね。お年寄りの生活の大変なことがいろいろ分かったね。それでは、お楽しみ会に、お年寄りを招待しましょう。』それで終わってしまう。きわめておざなりだ。

(これについては、学者の話をちょっと中断しよう。拙ブログで記事にしたことがある。下記にリンクした記事の後半である。

    平成19年9月  総合的な学習の時間とは、(1)

 これを見ると、確かに、学習の終末は、ハッピーエンドではないだろうと、想像がつく。解決困難な問題にまで学習が及んでいるだろう。)


 ね。子どもが真剣でないから、おざなりだから、

 いや。子どものせいにしてはいけないね。指導する側がおざなりなのだね。だから、ほんとうに大切なところに及ばないまま、『よかったね。』で終わってしまう。


 問題解決学習というのは、解決しなくったっていいのだよ。追求する過程が大切なのだ。
『解決がむずかしいのだな。大人の人でも解決できないでいる問題なのだな。』
それに気づいたら、学習はすばらしかったと言えるのではないか。解決はできていないけれど、深く追求した学びは、大人になってからの生き方に大きく影響していくはずだ。



 お話はここまで。



 さて、それをふまえて、A学級の学習を見てみよう。当初の指導者の計画では、ハッピーエンドになっていた。

 しかし、今、まさに、Dちゃんとの交流を通し、学んでいる子どもたちのなかには、ボツボツと、わたしたちの社会に、差別という大変な問題があることに気づきつつある。
 上記、学者の話によれば、これは真剣に学習に取り組んでいるあかしと言えよう。

 そうなのだ。こうなると、ハッピーエンドで終わる学習を、子どもが許さない。



 ここで、話題を変える。

 国は、今、この総合的な学習の時間を削減しようとしている。もう決定したのだっけ。

 確かに、上記、学者が言うような現場の実態はあるのだが、しかし、だから、減らすというのではなさけない。逆に、おおいに、総合的な学習の時間の意義をPRすべきだろう。新設して、まだ、10年ではないか。

 本末転倒になってはいけない。


 また、ここのところシリーズとして紹介している、Aさんの実践は、ゆとり教育の象徴、成果でもある。ゆとりの見直しなどとんでもないことだ。ゆとりがあるからこそ、こうした実践ができるのではないか。


 わたしは、国だけでなく、世論に対しても、強く訴えたい。

 学力低下論者は、本実践の成果も学力であるということを認めないであろう。テストのことばかりだものね。

 そんなことばかり言っていると、将来の日本は大変なことになりますよ。



 最後にこのことにふれた拙ブログの過去記事にリンクしたい。

  平成18年2月  『ゆとり教育』は正しい・・・はず

 わたしが、今という時代、強く訴えたいことを書いている。ですから、お時間があり、もしお読みでなかったら、

 ぜひ、ご覧ください。
 お願いします。


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 今月の30日に、B小学校の研究会があると申しました。その際の授業をまた、拙ブログで紹介させていただこうと思います。

 最後に、

 差別はしない、させない、許さない。

 わたし自身も、修養です。

 それでは、最後に、上記バナーのクリックをよろしくお願いします。


rve83253 at 11:22│Comments(15)TrackBack(1)教育観 | 総合的な学習の時間の指導

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1. ( 総合的な学習の時間 )についての最新のブログのリンク集  [ クチコミコミュニケーション ]   2007年11月14日 03:30
総合的な学習の時間に関する最新ブログ、ユーチューブなどネットからの口コミ情報をまとめてみると…

この記事へのコメント

1. Posted by うるとらまる   2007年10月20日 11:44
総合学習と聞いて、すぐ読ませて頂きました。

なんとなく、総合的な学習の時間といいながら
「問題解決」があったのかな?と
悩んでしまう実践をしているところもありますね。

子どもたちが自分で学習したいこと(課題)を見つけ、
子どもたちなりの方法で、
時には教師から指導を受けながら解決することで
子どもの「学びたい」というキモチは大いに
伸びるのですが。

この「学びたい」キモチこそ大事なものだと
ワタシは思うのです。
でも、テストでは計れないので、理解してくれない
方が多いこと多いこと。


それでも総合・生活科の実践をワタシなりにこれからも
積んでいきたいと思います。

では。
2. Posted by toshi   2007年10月20日 18:00
うるとらまるさん
 うわあ。早いコメントでしたね。ありがとうございます。
 子ども一人ひとりが課題を見つけてといった場合、『なぜ君は、それを課題にしようと思ったの。』というあたりが大切なように思います。そして、友達とかかわりをもつようにすることも大切ですね。
《でも、テストでは計れないので、理解してくれない方が多いこと多いこと。》
 これは、我が地域ではあまりないようです。
 ただ、教科書がありませんので、学級経営、教科指導力などにより、下学年の方が高度なことをやっているなどということは往々にして起こりそうです。そういう場合は、上学年の方で意見を言われるということはあります。これは、でも、当たり前ですよね。
 学校内での話し合い、連携が必要になりますね。
3. Posted by せきちゃん   2007年10月20日 20:47
このような総合的な学習を展開したいですね。理想と現実のギャップが私たちの学年の総合的な学習には,見えてしまいます。じっくりと取りかかる余裕がないのです。
4. Posted by toshi   2007年10月21日 04:40
せきちゃんさん
 『じっくりと取りかかる余裕がないのです。』
 そうですね。重い話ですね。
 わたしが現職のころから、それまでなかった仕事が急激にふえています。これも何とかしなければいけないことだと思います。
 でも、やはり、子ども第一でいきたいですね。そうでないと、総合はやがてなくなるのではないかと危惧してしまいます。
5. Posted by kei   2007年10月21日 09:59
問題解決学習というのは、解決しなくったっていいのだよ。追求する過程が大切なのだ。
『解決がむずかしいのだな。大人の人でも解決できないでいる問題なのだな。』
それに気づいたら、学習はすばらしかったと言えるのではないか。解決はできていないけれど、深く追求した学びは、大人になってからの生き方に大きく影響していくはずだ

の部分に共感しながら読ませていただきました。次回の指導要領改訂で総合は残り、年70時間がほぼ確定だそうです。(英語活動を除いてですから、実質増の学校も多いのではとのことでした。)
 B小学校の研究会は、多くの方に参観していただきたいですね。ちょうど日程が近いのですが、11月1日に都内の学校で、6年間にわたり学校ぐるみで、生活総合に取り組んできた学校の研究発表会があります。是非toshi先生にもおいでいただきたくご紹介いたします。再びお目にかかれますように。
 
6. Posted by toshi   2007年10月21日 11:16
keiさん
 いつもありがとうございます。
 総合が新設されてからできるようになった教育活動は、ほんとうに多彩ですね。
 ただ、英語教育はちょっとね。やり方はあるとは思いますが、国の言っている総合の精神と違うところはないかと、危惧しています。

 ところで、keiさんのブログからメールを送れるか見ましたが、分かりませんでした。
 恐れ入りますが、貴アドレスが分かりませんので、わたしのブログのサイドバー上部のメール受付欄をつかって、送信していただけませんか。
 よろしくお願いします。
 
7. Posted by KG   2007年10月22日 09:36
2年前、ある講演で総合学習導入の背景に触れた講演がありました。(メインテーマは幼児教育ですが)
http://www.incl.ne.jp/konohana/kono100top.html

(記念講演から入ってください)
ご参考までに。
8. Posted by toshi   2007年10月22日 16:30
KGさん
 多少論理の荒っぽいところは見受けられますが、いい講演ですね。ご紹介いただき、ありがとうございます。
 人間を育てるのに、どうあらねばならないか。そういう意味では、幼稚園も学校も、共通であることが、よく分かります。
 前回の指導要領改訂時の考察には、心打たれました。行き過ぎた自由については、わたしも、かつて、記事にしたことがあります。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/2006-09.html#20060906
 後半で、幼稚園のことにふれています。そして、当時のことについて、幼稚園の先生からもコメントをいただいています。
 よろしければ、ご覧ください。
9. Posted by KG   2007年10月23日 10:37
私が紹介した講演は指導要領を改定した側(全日本私立幼稚園連合会副会長として)、紹介頂いた記事ではまさしく現場側の声として、両者を照らし合わせると色々つながるものがありますね。
またこの講演では義務教育5才スタート論について少し触れられていますが、これについては今もずっと議論が続いているようです。教育の制度をめぐって色んな改革が進められようとしていますが、是非地に足をつけた改革をしてほしいものです。制度をどうこういじるよりもまず子供たちにとってどうなのか、そして子供たちと直接接する先生たちをどう支援するのか、そういう視点を是非持って頂きたいものですね。
10. Posted by KG   2007年10月23日 10:45
紹介頂いた記事でもToshi先生は「自由保育」の方がよいように思えるという趣旨のコメントを残されていました。真の意味での自由保育とは、総合学習と根っこは同じだと思います。
うちの幼稚園の元園長は学校の学び(教科的な学び)を「学びの構造化」と表現し、幼稚園の学びを「学びのチャンスの構造化」と表現しております。総合学習はまさに「学びのチャンスの構造化」ですよね。
更に個に応じた指導、というのはその子個人の特性に応じた学びのチャンスを教師が提供する事なのではないかと思います。
11. Posted by toshi   2007年10月23日 17:10
KGさん
 もう、おっしゃる通りです。わたしは、拙ブログにおいて、子どもの思いを大切にする学習、子ども主体の学習といっていますが、その元園長さんの思いと一緒だと思います。
 ほんとうは、小も、中も、高も、そうでなければいけないはずなのです。
 教育改革も、どうも、現状は、社会の要請からスタートした改革論のようで、改革論そのものが地に足をつけていないように思います。
 授業時数が今度増えますね。10年前は減らしたわけです。無定見、きわまれりですね。
12. Posted by KG   2007年10月23日 17:53
授業時数増については無定見ぶりの象徴のようです。
http://cala99.at.webry.info/200709/article_2.html

このブログで詳細に解説されていますが、授業時間増自体、数字のマジックのようです。
学力と授業時間が比例するという考え方自体、必ずしも正しいとは思っていません。(そこに教師の力量という視点は全くありませんし)
しかし学力と授業時間は比例するという考え方に基づいたとしても、結局あんまり増えてない、ということでどっちつかずの方針だと思うんですよね。
13. Posted by toshi   2007年10月24日 22:35
KGさん
 リンクされたブログ記事を読んで驚きました。わたしは、現代の世論から、1割増はやむをえないと思っていますが、リンクされた記事では、実質ほとんど増にならないとも読み取れますね。
 まあ、学校現場のことをよく理解してくれているという思いはありますが、でも、こんな数字のマジックを使ったら、国民は納得しないでしょうね。
 複雑な心境です。
 今日、勤務校の校長に話したら、上記リンク記事が引用したのと同じ文がでてきました。まあ、中教審の資料ですから、当たり前ですけれどね。
 なお、調べてみます。
14. Posted by KG   2007年10月25日 08:50
この素案の中身、そのまま学習指導要領改訂に盛り込まれるのかどうか、今後も注意深く見守る必要はありますね。

丁度今、全国学力調査の結果が発表されましたよね。この調査自体、個人的には異論はあるのですが、授業時間増も含めて今までは「学力は低下している」「教育は崩壊している」(ってとても失礼な決め付けですよね)事が前提でアレコレ改革策が打ち出されています。
しかしこの調査の結果が今後の改革にどのような影響をもたらすのか、興味があります。
15. Posted by toshi   2007年10月25日 15:39
KGさん
 ちょうど、今日、拙ブログでも、全国学力調査のことを記事にさせていただきました。
 どこかの教育委員会が言っていた、成績優秀校に手厚い予算をというのでは、驚かされましたが、今回の調査で有意差があるとみられる沖縄県や、就学援助の家庭が多い学校に対し、手厚い支援が行われれば、やったかいがあったというものでしょう。
 また、少なくとも、学力低下は、立証されませんでした。あるかもしれないし、ないかもしれないといったところ。
 まあ、記事にはしませんでしたが、各地域でも学力検査をしている以上、全校やる意味というのはなさそうですね。これをやると、学校ランキングをつくろうとしているとしか思えなくなります。

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