2007年10月27日

学力検査問題の『品質』を高めるために(1)4

d16a5bac.JPG 前記事に対し、KGさんから、大変勉強になるコメントをいただいた。知らなかったことが分かったし、わたしの主観的考察に客観性をもたせてくださったし、それやこれやで、深く感謝している。

 いえ。文体を改めます。

 感謝しています。ありがとうございました。


 その、KGさんからいただいたコメントに、『問題の品質』という言葉があった。

 わたしには、新鮮にうつった。

 わたしは、長年、地域の学力検査の問題づくりに携わった身だが、『問題の品質』という言葉は使ったことはなかった。
 多く使ったのは、『問題の妥当性』『子どもの思考の流れを重視した問題づくり』などだっただろうか。


 でも、ごめんなさい。言葉などどうでもよい。


 やはり、思いつきではこまるのだ。全国でやるテストなら、問題の妥当性、つまり、品質は、いくら突き詰めても、やり過ぎということはない。


 そこで、今回からは、国の検査ではないものの、我が地域の学力検査について、その問題作りがいかに精魂傾けたものであったかを、思い出とともに、記事にしたいと思う。


 ただ、あらかじめ、いくつかお断りしておきたい。


○ 専門的でむずかしいことを述べるつもりはない。単にエピソード風に語った方が、多くの方にお読みいただけると思う。そのエピソードから、問題づくりの熱意が伝われば、ありがたいと思う。

○ わたしは、社会科を専門としてきたので、ここでは社会科の問題づくりをとり上げる。ご承知のように、国がやったのは国語と算数だけ。だから、単純には、くらべられないだろう。

○ わたしは、かつて、このブログで、国の作問は安易だと書いた。しかし、今回の問題は、それよりはよくできていると評価している。
 もっとも、わたしは、国がどのような作問手続きをとったかはまったく知らないのだが。

○ すでに、わたしは、上記リンク記事で、自分の若かったころの作問のエピソードを紹介させていただいた。そこでここでは、わたしが作問のお世話をさせていただいたときの、若き教員たちの奮闘をお伝えしたいと思う。

 そう。この検査の問題をつくるのは、研究熱心な教員なのである。



 それでは、どうぞ、ご覧ください。

 いい思考問題にするために、作問委員は、これはと思う地域に出かけ、取材することが多い。それは全国各地に及ぶ。

○ 取材先の方から感謝されることもある。
「A市の小学校の学力検査に、我が町がとり上げられることは、すごいことだ。」
ということで、その町の役場の方から取材を受け、町の広報紙に紹介されたことがあった。

 問題づくりのために取材にうかがったのに、逆取材をされてしまった。

○ ある漁協の資源保護運動を取材した委員がいた。取材のなかで漁協の方から、お願いをされてしまった。
「わたしたちの資源保護団体の会員にならないか。」
 その委員は、同団体の趣旨に賛同し、会費を支払わせてもらったとのこと。もちろん自腹ですよ。

○ 大企業の取材は、難航することがある。企業秘密にかかわる例を一つ。

 あるとき、取材の過程で、思わず企業秘密を漏らしてくれたことがあった。委員は具体的な作問ができると喜んだ。問題の骨格ができ上がったので、企業にお送りし、点検していただいた。

 そうしたら、その企業から、お詫びとお願いの電話がかかった。
「せっかく問題ができたところで、まことに申し訳ないのですが、たとえ小学生が解く問題とはいえ、まだ実験段階にあることですし、公表されるとこまりますので、〜。」
とのことだった。

 委員一同、がっかりしたが、そこは、世話役であるわたしの出番。数回の交渉を重ね、妥協点を見い出すことができた。

○ せっかく資料をそろえても、種々の条件で作問をあきらめなければならないときもある。

 ある委員が、B地域のC(農作物)づくりをとり上げた。確かに同地域ではCづくりが盛んだ。その土地の気象や地形の条件をうまく生かしている。いい問題になりそうだ。

 しかし、調べれば調べるほど、もっと条件の適した地域は、全国各地にあることが分かった。この地域で、盛んに行われるようになったおもな理由は、政治的というか、他にあったのだ。
 これでは、B地域がいくら気象や地形の条件を生かしているといっても、必然性、切実性が弱い。
 子どもの心に、『なぜ、そちらではつくっていないのだろう。もっといい条件なのに。』と思われては、まずいだろう。

 けっきょく、この作問は断念することになった。



 エピソードはこのくらいで終わりにするが、

 ここまで、書かせていただいて、読者の皆さんのなかには、けげんに思う方がいらっしゃるかもしれない。たとえば、こんなふうだ。

 「学力検査のために、こうした取材をするという努力は感じるが、こうしてできた問題は、教科書にも載っていないし、既習の内容でもない。習っていない内容で問題を作っても、解くことができないのではないか。」


 それは、こういうことだ。

 確かに、知識・理解の問題だったら無理だ。こちらは、既習内容でないと問うことはできない。

 しかし、社会的思考・判断力、資料活用力、関心・意欲・態度を診る問題だったらどうだろう。

 既習内容だと、どんなにいい具体的資料を用意しても、子どもたちは資料を見ずに解いてしまうだろう。すでに知っているからだ。たとえ、問題の形式は、思考力を問うようになっていても、実質、知識・理解の問題になってしまうわけだ。

 そこで、工夫する。

 解くのに必要な資料は、既習したことで読み取り、判断が可能なものにする。しかし、とり上げる社会事象は、まったく目新しいものにする。

 それで、真に、思考・判断力を問う問題になるわけだ。


 以上、我が地域における作問の状況を見てきた。



 我が地域では、作問委員に携わると、授業力がアップするという定説がある。

 社会科でいえば、子どもたちの思考の筋道を予想し、それにそった問題づくりを、検討し合っているからだ。

 たとえば、
『子どもはそのようには考えないだろう。つまり、問題に無理があるということだ。』
『この資料だったら、多くの子はそちらに目が向かないだろう。もっと違ったこちらに関心がいってしまうと思われる。やはり、問題の流れに無理があるということだね。』

 そのような検討をし合う。

 こうして、20回くらいの検討を繰り返す。


 なお、KDさんの指摘された予備検査も行っている。

 めったにないが、予想に反したテスト結果になることもたまにはある。そうなると、本検査までに、原因を探り、標準性を高めるための手直しを行う。


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 こうしてできる問題ですから、信頼度はあります。ほんとうは問題そのものを掲載できるといいのですが、それは、やはりね。

 すみません。ちょっと事情は言えませんが、・・・、お察しください。

 次回も、検査問題作成にまつわるエピソードを中心に掲載します。よろしくお願いします。

 それでは、今日も、1クリックをお願いできればと思います。

(2)へ続く。


rve83253 at 14:09│Comments(15)TrackBack(1)評価観 | 社会科指導

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1. 東京都の学力テスト批判(1)あなたが書いた説明文は?(11)  [ 日本の教育は、これでよいのかな ]   2007年10月28日 18:39
では、あなたは、どんな説明文(理論文)を書いたのですか?と言う声が聞こえそうです。ご紹介します。説明文、これは、テーマ(主張)とそれを裏付けるデータで、構成されているのでしたね。このテーマとデータの吟味、これが説明文の読解でしたね。さて、僕のもの、どう...

この記事へのコメント

1. Posted by 今日   2007年10月28日 18:14
真剣に学力テストの問題が、語り合われているので、大変、うれしいです。

僕は、
以前の都の学力テストの国語科の問題を分析しました。
貴ブログの流れの邪魔にならなければ良いと思いながら、それをTBさせていただきまあす。

それと、今回の国の学力テストについても
感想的に書きました。それをTBさせていただきます。
2. Posted by toshi   2007年10月29日 06:48
今日さん
 邪魔などと、とんでもありません。TB、コメントとも、ありがとうございます。
 今回、KGさんが紹介してくださったHP等により、全国学力調査が、目的をめぐって紆余曲折の上、実施されたことがよく分かりました。
 学校序列化は一応断念したようですが、でも、地域によってはどうでしょう。分かりませんよね。前記事でのコメントに書かせてもらった今後の同検査の動向とともに、注視していきたいと思います。
 学力調査の目的は明確です。一人ひとりの児童への明日の指導に役立つもの、それは同時に、指導者の指導の振り返り、反省に役立つものでなければなりません。

 ところで、わたしは、我が地域の学力検査も、気になるのです。最近の学力低下論の影響で、変質を余儀なくされているかもしれないのです。近いうち、そのことも記事にさせていただこうと思っています。
 どうぞ、よろしくお願いします。
3. Posted by KG   2007年10月29日 11:35
一気呵成に貼りつけた大量のリンクを参照して頂き、こちらこそ恐縮です。
また、何気なく使った「品質」という言葉について、使ったこちら側も何故その言葉を使ったのか考えさせられました。
自分は商売人なのですが、日本の「ものづくり」、製造業の考え方に以前から興味があり、形のないサービスや役務にも「品質」や「品質管理」の概念は適用できると考えております。
そういった下地が「品質」という言葉になってでてきたんでしょうね。
私も教育活動には色んな評価は必要だと思っております。そして評価の為にはツールが必要です。そのツールの1つであるテストにも当然品質は問われて然るべきであると考えます。
4. Posted by KG   2007年10月29日 11:47
toshi先生が関わってきた作問プロセスは、「今目の前にいる子たちに何を問うか?」にこだわった非常にいいプロセスかと思います。きっと過去、現在関わっている子供たち一人一人の顔を思い浮かべながら作問したり検証したりした、非常にいいプロセスだと思います。
それが結果的に授業力向上につながった、という話しもスムーズに納得できました。
結局授業もテストも根っこの部分では共通しているんですよね。それが目的に応じて授業という形で表現するのか、テストという形で表現するのかの違いだけで。
5. Posted by KG   2007年10月29日 14:13
コメントを書いた直後に中教審関係のニュースが飛び込んできました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20071028ur01.htm

中教審がゆとり教育路線の反省を打ち出したという事なのですが、容認しがたい反省点とした下記の点があります。(当然他にも色々ありますが)

>〈4〉授業時間を減らしすぎたため、基礎的な知識の習得が不十分になり、思考力や表現力も育成できなかった

大金をかけた学力調査の結果では、知識(A問題)は良好、活用に問題あり、という分析ではなかったでしょうか?
何の為に全国学力調査を行ったのでしょうか?
問題を色々孕んだ調査ではありましたが、少なくともデータを教育行政や施策に生かす、その為の調査だったはずです。学力調査の結果に関係なく思い込みによる反省点が打ち出され、改革の方向性を打ち出してしまうのでは調査した意味がありませんよね。
6. Posted by きくちR   2007年10月29日 15:49
学力調査の結果を受けた専門家の論評を新聞で読みながら、教育には100%素人の主人が、「文化祭で見た子ども達の素晴らしい発表も、総合の時間でやってたんだよね。減るとどうなるんだろう?」と。また、「なぜ、子ども達に直接関わっている先生の意見が載ってないんだろう?」と。
教育について改善すべき点があるのかないのか、あるとすれば何をすればよいのか、国は右往左往しているのに、なぜ、現場の先生方の声を採り入れようとしないのか?、また、影響を多いに受ける先生方が声を集約し提案されないのか(すみません。されているのかもしれませんが、新聞には先生方の声は載ってないように思います)が、私にはとっても不思議です。
7. Posted by きくちR   2007年10月29日 16:07
(続きです)
↑に国が右往左往していると書いたのは、上の子と下の子で学校が重視することがすっかり変化してしまったためです。また、先生方が影響を受けるとも書きましたが、一番影響を受けるのは子ども達です。少しずつ向上または改善されるというのではなく、組織の長が変わるたびに、それまでの方針を否定するような発言をして、この数年間はこんな方針、次の数年間はこんな方針と一挙に変わることは、10年近く子どもを学校に通わせている親でも気が付くことです。それを、長年、現場で教育に携わっている先生方の手の届かないところで、方針がコロコロ変わることに不安を感じています。
8. Posted by toshi   2007年10月30日 05:29
KGさん
 ご紹介いただいたなかの一つ。OECD・PISA調査責任者のアンドレア・シュライシャー氏の講演録を読ませていただくと、まさに、『品質』という言葉がしっくり来るなと思いました。
 わたしがこれまでテストできないと思っていた、問題解決力、人間関係力などが、今後、テストとして開発されようとしているのですね。
 テストが出来上がれば、問題としての妥当性が問われることになるでしょうが、その開発の過程は、まさに、『品質アップ』を目指す営みなのではないかと思いました。もしかしたら、『すごい時代が来るな。』という予感を抱かせてもらいました。
9. Posted by toshi   2007年10月30日 08:41
《それが授業力向上につながった、という話もスムーズに納得できました。結局授業もテストも根っこの部分では共通しているんですよね。それが目的に応じて授業という形で表現するのか、テストという形で表現するのかの違いだけで。》
 おっしゃる通りだと思います。わたしたちの作問では、よりよい問題というのは、子どもの思考の流れを予想するということから始まりますから、よりよい授業と軌を一にするのですね。
 テストの目的が変われば、作問の手法も変わるのだと思います。一口にテストと言っても、その目的によって、0にも、100にもなるということだと思います。
10. Posted by toshi   2007年10月30日 08:48
中教審についての記事は、ほんとうに嘆かわしい。
 でも、分からないです。
 数日前のコメントによれば、授業時間数増も、実質は増にならないという見方もあるのですね。
 上のやることは政治的です。あまりにも政治的です。自分の思う路線で恣意的に動きもします。そうかと思えば、世論に迎合もします。
 結果、どう転ぶかわからないという、今は、そういう嘆かわしさを感じています。
 せいぜい、わたしとしては、このブログを通し、がんばっていきたいと思います。そういう意味で、これまで同様、ご支援賜りたいと思います。よろしくお願いしますね。
11. Posted by KG   2007年10月30日 08:59
PISAの源流は1980年代に始まった「教育の非認知的側面の指標の開発」(OECD・INESプロジェクト)です。2000年に初めてPISA調査が行われましたが、実に10年以上も準備をしてきたわけですよね。
日本もPISAの結果の分析は行われてはいるのですが、PISAについては国際的な順位だけが報道などで先行しているようで、その中身についてtoshi先生のような教育現場の人に詳細に伝わっていないところが問題だなぁと感じます。
PISAの営みが教育現場に何らかの形で伝われば、それはいい刺激になるんじゃないかなぁと思います。
12. Posted by toshi   2007年10月30日 09:09
きくちRさん
 KGさんとのやり取りでも明らかになったと思いますが、ほんとうに国は右往左往ですね。教育の中立性はどこへ行ってしまったのでしょう。
 お子さんのこともよく分かります。と言いましても、きくちRさんがおっしゃっていることとは違うかもしれませんが、我が地域においても、10年前教員は、総合的な学習の時間の研究にとても熱心でした。しかし、今は、国語、算数の指導法の研究がとても多くなっています。時代の流行に押し流されている感じです。
 教員の声は聞いていると思います。しかし、教員も多様なのですね。このブログでもその多様性はお分かりいただけると思います。『ゆとり教育は失敗だった。』という教員も大勢います。総合が減ることを喜ぶ教員も大勢いると思います。
 そんな時代ですが、わたしは、わたしで、このブログにおいて、がんばっていきたいと思いますので、どうぞ、よろしくお願いします。
13. Posted by KG   2007年10月31日 08:53
昨日、息子が通う小学校の校長先生と学力調査について意見交換をしました。
私の住む県は学力調査の結果は上位、市も県の中ではトップ、その中でも本校はかなり結果がよかったようです。
これだけ今回の学力調査について疑問を持っている自分でさえ、上位と聞くとつい嬉しくなってしまうのはランキングの持つ魔力なんでしょうね。
幸い、この結果を手放しで喜ぶ校長先生ではなかったのが幸いです。
むしろ、不登校になりかけの子や学力的に不振な子が存在する限り、手放しでは喜べないようです。
14. Posted by KG   2007年10月31日 08:55
何故我が県の成績が良かったのか、県が毎年行っている教育課程実施状況調査のテスト内容を見せて頂いて、その一端はわかりました。
いわゆるドリル的な問題は極小で、思考力を問う問題が中心です。作問者のこだわりがうかがえる、良問が多かったように思います。
特に社会科にその傾向が強かったように思います。そして県としてこういう学力を育みたい、というメッセージ性も感じられ、これが現場に伝わった結果が今回の学力調査の結果にも伝わったのではないかと思います。
15. Posted by toshi   2007年10月31日 14:14
KGさん
 ああ。うれしいお話をうかがいました。
 ほんとうにその校長先生のお気持ちがよく分かります。校長としては、テストの点などよりも、毎日、どの子も楽しそうに学校に通っているか、充実した学校生活を送っているか、その方がものすごく大事なのですね。
 学力はその結果としてついてきます。
 教育課程実施状況調査も、すばらしい問題のようですね。そういう調査だと、先生方も、いたずらに知識注入に走ることはないでしょうね。明日の指導に役立たせるための実態把握に努めるいるのだなと思います。
 我が地域の学力検査も、そのセンは永遠に踏み外さないでほしいと思っています。

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