2007年11月03日

問われる。大人の姿勢も、4

3f3d8aa0.JPG 本ブログにおいては、子どもの切実性、必然性のある学びを保障したいと、何度も述べている。

 それは、学習指導要領が大切にしているところの、『生き方』、『学び方』を身につける過程で、当然重視されなければならない教育である。

 ただ単に、知識・技能の習得を目ざす教育には、ここまでの切実感はない。
 
 ただし、これは、指導する側の、『生き方』『仕事への取り組み方』も問われることになる。指導する側も、どれだけ真剣か、切実性をもっているかを問われることになる。

 それを、今日は述べてみたい。

 
 2つ、例示するが、いずれも、4年生の社会科、『火事を防ぐ』の授業である。

 


 その1

 我が地域に限らずだと思うが、消防署は、おもな建造物が火災にあったときの、消火体制組織図を、あらかじめ作っている。
 それは小学校とて例外ではない。
 4・5か所(?)の消防署・出張所から、数種類の消防車がやってくる。そして、それらは校庭にも入ってくる。その止まる位置も、基本的に決められている。

 また、消火栓や学校のプールは消火のために使われるが、それぞれ、消防車が止まる場所ごとに、使用する消火栓等も決められている。

 これらを通して、子どもたちは、火事を防ぐ取組が組織的に行われるとともに、ふだんから、緊急事態に備え、計画的に営まれていることをつかむ。


 A小学校で、A小学校火災時の消防車配置図を使って授業をしていたときだ。

 子どもたちは口々に叫んだ。

「消防車は、校庭だけでなく、裏庭にも入ってくるのだね。」
「でも、そこには、いつも、先生方の車が止まっているじゃん。消防車は入って来られないよ。」
「そうだよ。消防車が入って来られないと、火事は大きくなってしまって防げないかもしれないよ。」
「先生方の車はすぐどけてほしい。」



 その2

 消防車が到着するまでの初期消火も、大切な学習内容である。

 学校には、初期消火のための設備がいろいろ整っているし、それを誰がどのように使うかも、あらかじめ決められている。そうした防災組織図も事前に作成され、学校運営計画に盛り込まれている。
 それにしたがって防災訓練も行う。

 以上も本単元の大切な学習内容になりうる。


 B小学校で、B小学校の防災組織図を使い、初期消火も計画的・組織的に取り組むことが、あらかじめ決められていることをとらえようとしていたときだ。

 子どもたちは口々に叫んだ。

「先生。搬出係って、金庫や書類の入った戸棚を安全な場所に運び出すのが仕事って書いてあるよ。でも、金庫や戸棚って重いでしょう。」
「そうねえ。・・・。」
「C先生が搬出係になっているけれど、いいの。今、C先生は、おなかのなかに赤ちゃんがいるのではないの。」
「そうだよ。かわいそうだよ。別な係にしてあげないと。」
「・・・・。」
 担任の先生は、子どもたちの切実で思いやりのある発言に、絶句してしまった。



 以上は、わたしが参観させていただいた授業で実際に見た場面である。



 この2つに共通していること。

 子どもたちは、真剣・率直に、学習に取り組んでいる。決しておざなりではない。 そうなると、ちょっとしたごまかし、いい加減さも許せない。

 これが、知識・技能の習得のみを目ざす授業だったら、どうだろう。
 上記2点は、素通りしてしまうのではないか。ただ単に、組織的・計画的な営みを知識として身につけるだけだろう。

 また、教え込みの授業だったらどうだろう。上記2点は、指導する側の視野には入っていない。だから、とり上げられることもなく、神のみぞ知るという結果になるであろう。


 もとより、こういう真剣な学びを育てたのは、教員方である。

 しかし、こうなると、学校としても、真剣な対応を問われることになる。まさに、大人としての『生き方』を問われる。

 A小、B小とも、その後ただちに、子どもたちの納得のいくように、教員の車の駐車位置、組織図の見直し、変更を行った。そして、子どもたちに知らせたそうである。


 以前、『心の教育を標榜するものは、みずからも、心を示さなければならない。』と述べた。

 ここでも、同様のことが言える。
「子どもの主体的な学び、切実性、必然性のある学びを標榜するものは、自らも、姿勢を正さなければならない。」

 本音と建前の使い分けは、許されないだろう。


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 ごめんなさい。予告編と異なる記事になってしまいました。

 本記事掲載については、ちょっと、切実性を求められることがありましたので、お許し願います。

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rve83253 at 07:57│Comments(4)TrackBack(0)社会科指導 | 指導観

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この記事へのコメント

1. Posted by ベア   2007年11月03日 19:57
子供達の意見は、もっともですね。
大人が気付かなかった、あるいは見逃していたことを子供達が指摘してくれることってありますよね。
きっと真剣に取り組んでいるからこそ、こういう意見が出るのでしょうね。
このように自主的に授業に参加している子供達は、きっと将来「指示待ち人間」にはならないのではないでしょうか。
とても頼もしい子供達だと思います。
このような子供達を育てた先生方も、とても素晴らしいですね。
2. Posted by toshi   2007年11月04日 10:59
ベアさん
《このように自主的に授業に参加している子供達は、きっと将来「指示待ち人間」にはならないのではないでしょうか。》
 自ら学ぶ子どもを育てるのは、やはり、子どもの回りにいて、子どもを育む大人の接し方でしょう。特に、学級担任の営みは大きいと思います。
 そうやって育つと、おっしゃるように、指示待ち人間にはならないでしょうね。
 そして、大人自身も、自らの生き方を再確認させられたり、身を律していくようになったりするのだと思います。
 子どもによって、大人も育てられていくのですね。
 
3. Posted by KG   2007年11月05日 10:15
普段の授業から、教師と児童の対話の営みが築き上げられていた結果、このような素晴らしい授業になったんでしょうね。
勉強(語源は無理をする、気が進まないことをしかたなくすること)、ではなく教師と子供が共に学び合っている姿が感じられました。
教師の普段からの姿勢が子供たちの学びを引き出したんでしょうね。
educate(教育)の語源はラテン語のeduce(引き出す)。まさに引き出していますよね。
4. Posted by toshi   2007年11月05日 16:50
KGさん
 おっしゃる通りと思います。
 『子どもの学びを引き出す。』この姿勢から、指導する側は、子どもから学ぶことができます。
 教え込みは、子どもを受身にしますし、指導者待ちの姿勢にしますから、宝物の学習内容は、でてこようがないのですね。
 

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