2007年11月24日

問題解決学習とPISA調査(2)4

96d45f64.JPG いい発言だなと思った。前号最後に登場した、次の発言だ。

 前号をお読みでない方は、まずは、そちらからどうぞ。

   前号  問題解決学習とPISA調査(1)  

 「今のわたしたちというか、子どもたちは、『戦争中は、防空壕だった小さな公園で、きらきら笑いながら』遊んでいるでしょう。だから、今は、平和で、楽しい。」

 そこで、わたしは、ある一つのことを意識しながら、こう投げかけた。

「そうか。『きらきら笑いながら遊ぶ。』っていうことは、平和で楽しいことなのだな。〜。」

 Aちゃんは、そういうわたしの投げかけに、うれしそうに微笑み、うなずく。

 

 そこで、わたしは続けた。


 実は、ある一つのことと言うのは、

 この数行前に、やはり、『きらきら笑いながら』が出てくる。それが、『ちいちゃんの死』という、あまりに好対照な、悲しい場面に出てくるのだ。

 そう。ちいちゃんが軽くなって、・・・、浮いて、・・・、空の上で家族を見つけたときなのだが、・・・、

 そこの場面と対比させたいわけだ。


 そこで、 
「その少しまえにもあるぞ。『きらきら笑い出しました。』って。」
と投げかけた。


 子どもの発言を契機に学習を深めようということで、また、『きらきら』という表現から、終わりの6行の意味について考えさせたいということで、投げかけることにした。
 


 子どもはわたしの言葉を受け、口々に発言した。

「もう一つの『きらきら』は、戦争中だ。」

「『きらきら笑った。』って言ったって、こっちは、ほんとうのことではないからね。かわいそう。」

「賛成。家族に会えたって言っても、みんな死んじゃったっていうことでしょう。だから、『きらきら笑った。』って言ったって、それはほんとうに笑ったのではないから、かわいそう。」

「そう。天国で会えたのだよ。天国で会えてもしょうがない。」

「天国で会えたのでは、死んだっていうことだから、かわいそうだけれど、でも、空襲のあと一人ぼっちだったからね。そっちの方がもっとかわいそうで、まだ、天国で会えたからよかった。」

「ぼくね。初めは、『おなかがすいて軽くなったから浮いたのね。』っていうことを死んだことと思わなくって、ほんとうに家族に会えたからよかったって思っていたのね。
 でも、そのあと、『小さな女の子の命が空に消えました。』って書いてあるから、『ああ。やっぱり死んじゃったのだな。』って分かって、ほんとうにちいちゃんのことがかわいそうになった。」


 ここで、一時、授業の流れを中断し、解説を加えさせてほしい。

 PISA調査では、『将来役立つ実用的な学力を測るのだ。』と言っている。また、わたしは常々、国の学習指導要領では、『生きる力』を育むことの大切さを言っていると指摘している。そのなかには、人間性の豊かさということも含まれる。

 この、自分の考えを深めること、修正を図ること、まさにこれは、人としての生き方にかかわることではないか。

 この子は、夏休み前には、とことん自己中心性をむき出しにするところがあった。

 本姉妹ブログの、『小学校初任者のブログ』でも、記事にしたことがある。

   トラブルへの対応法

に登場するBちゃんが、まさにこの子に当たる。

 このBちゃんが、ここまで思考の柔軟性を見せるというのは、ほんとうに感激的だった。

 自分の思いは主張する。

 しかし、友達の発言を聞いたり、お話をしっかり読み込んだりするなかで、自分の言っていることが間違いと気づいたら、修正を図るという、この態度は、人としての生き方にみがきをかけていると言えるし、広い意味の学力を一つ身につけたとも言えるのではないか。



 それでは、授業の流れに、戻そう。

「そうだよ。今のBちゃんと同じで、おなかがすいてっていうのは、ずっと食べてないっていうことだし、ほしいいを少し食べただけだからね。それに、のどもかわいたっていのは、水も飲めなかったっていうことでしょう。やっぱり戦争中は、かわいそう。」


 ここで、ふだんあまり発言しないCちゃんが、ほんとうにしっかりと挙手した。自信がありそうだ。

 このCちゃんは、声が小さくて、聞き取りにくいから、わたしは、Cちゃんの席まで寄って行った。Cちゃんの発言が終わったら、『今、Cちゃんは、〜ということを言ったのだよ。』というように、通訳になってやるためだ。
 しかし、いざ発言し出すと、これまでになく、大きな声だったから、わたしは安堵し、教卓に戻った。

「戦争中の、『きらきら』は、お話に感動している感じなのだけれど、あとの、今のわたしたちのことを言っている『きらきら』は、元気な感じ。」

 みんなから、Cちゃんへの称賛の拍手があった。
 わたしも、『大きな声で、みんなに聞こえるように言うことができたね。自信がもてたのだなと思ったよ。それが、とてもうれしかった。』と称賛した。

 そして、そのあとで、Cちゃんに聞いた。

「この、『元気な感じ』っていうのは、さっきの、『平和で楽しい。』っていうのとつながっていると考えていいかい。」

 Cちゃん。ニコッとうなづく。そこで、わたしは、黒板上の両者を線で結んだ。

 そう。無意識に出てくる概念を関係づけてやり、意識化させるのも、指導者の大切な役目だ。

 
 このあと、今の子どもたちの、『きらきら』と、戦争中の、ちいちゃんの『きらきら』とを対比させて話し合いながら、最後の6行の意味を考え合っていった。



 そろそろ時間となった。

 最後は、
「よし。みんな、今のわたしたちの暮らしと結びつけたり、関係づけたりして、ちいちゃんのことを深く考えることができたね。
 それでは、最後に、作者のあまんきみこさんがなんで最後の6行を書いたのかを、これまでの発言を振り返りながら、ノートに書いてみようか。」

「うん。いいよ。やっぱり最後の6行はあった方がいい。ぼく、書けるよ。」

 わたしは、机間巡視し、子どもたちのノートを見ながら、

『ああ。いいなあ。誰も発表しなかったことを書いているな。』と思えるものを、本人の了解をとったうえで、みんなに紹介した。

 それを手がかりに、さらに書き足してもかまわないことになっている。


 一番感激したのは、腕白なDちゃんの次のノートだった。

「あまんきみこさんがぼくたちに言いたいことは、『けんかなんかしちゃあいけないよ。けんかをすると、みんな、貧しくなったり死んでしまったりする。』っていうこと。」

 ちょっとおかしく思う気持ちもあったが、それを読み上げてから、Dちゃんに話しかけた。

「けんかって、戦争のことか。」

「うん。大人がけんかすると、子どもだって死んじゃうし、かわいそうだよっていうこと。」

 そうしたら、隣りのEちゃんが言う。

「うん。食べ物もなくなっちゃうしな。平和だったら、家族みんなでかげおくりもできるけれど、戦争になると、かげおくりが、『いのちおくり』みたいになっちゃうよな。」

 いのちおくり。

 そうか。家族4人のかげを送るのは、家族の幸せにつながるけれど、いのちを送ってしまったのではね。


 ああ。戦争の悲劇を、なんと、劇的な言葉で表現したことか。Eちゃんは何気なく言ったのだろうけれど、あまんきみこさんが言いたかったことは、まさに、ほんとうに、このことなのではないか。そう思った。

 またまた、子どもから学ばせてもらった。

 そして、ノートの文をみんなに紹介するとともに、その感動も伝えた。

 そう。問題解決学習は、大人である自分の教材研究を越えて、すばらしいところへ学習を導いてくれる。


 それでは、授業を追うのはここまで。



 話は変わる。

 ここのところ、読者の皆さんが、ほんとうに有益な調査報告や講演などを紹介してくださる。コメントもいただき、学力について、深め合っていくことができている。
 感謝の思いでいっぱいだ。

 そして、これこそ、まさに、わたしたち、大人が、『真の学力』について問題解決学習をし合っているということではないか。

 本シリーズの冒頭で、『日本の大人に、PISA型読解力がない証拠』というコメントを紹介したが、まさに、このブログにおいては、日本の大人が、PISA型読解力を発揮し合っているように思う。



 皆さんが提供してくださったPISA調査、ならびに、TIMSS関係の講演などには、どちらにも、次のような話があった。

「今の子どもたちの語彙力の低下、言語による表現力の低下は、実に嘆かわしい。問いかけても満足のいく応えが返ってくることは少ない。単語のみで、何が言いたいのか、こっちが問い返さないと分からないことも多い。
 その原因だが、基本的に、生活のなかで、表現力を高めるような会話が減っているのではないか。また、授業にしても、そのような、言語による表現力を高める授業をしているとも思えない。」


 ところが、どうだろう。

 問題解決学習は、子どもたちの表現力を大変豊かにしていると言えるのではないか。
 それだけではない。互いの発言を関係付けたり、対立し合ったり、深め合ったりして、思考力も深めている。まさにPISAが言うところの実用的な学力を大切にしている感じだ。

『あっ。ひらめいた。今の〇ちゃんの発言で。』
『あっ。そうか。なるほどね。・・・。そういうことか。』

 逆もある。
『ああ。みんなの話を聞いていたら、分からなくなっちゃったよ。どっちもほんとうみたい。』

 そう。問題解決の『解決』は、答えが見つかることを必ずしも意味しない。追求していく中で、かえって混沌としてしまうことも、『解決』に含まれている。追求の過程が大切なのだ。

 

 今のところ、初任者のクラスでは、よく発表するのは半分くらいの子どもたちかな。でも、だんだんふえつつある。

 また、どうだろう。

 前回と今回記事にした授業の様子を見ても、その発言内容から、いろいろな学力の子が発言していると、ご理解いただけるのではないか。決して学力の高い子だけが活躍しているのではない。



 さて、最後に、・・・、近日中に、記事にしたいと思っているので、ここでは、簡単にふれる。

 小学校では、比較的このような授業を行っていると思う。子どもの思いを大切にし、それを引き出し、そのことによって学習を深めていくということだ。

 ところが、PISA調査は、15歳が対象だ。

 そこで、思う。

 中学校は、どうなのだろう。こうした授業を行っているのか。

 我が地域では、わたしの子ども時代から何も変わっていないようにみえる。前記事に、『世界に冠たる授業研究』と書いたが、中学校では、その授業研究を、まずやっていないのではないか。

 日本の教育では、小と中とのあいだに大きな断層があるように思える。

 中学校の3年間では、徹底した受身の学びになっているようにみえる。

 日本において、15歳という時期には、そうした意味があるのだ。

 
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 もう一度、『ちいちゃんのかげおくり』の物語に戻ります。

 わたしは、こういうお話に弱いのです。すぐ、胸がつまります。

 それは、わたしが、戦争末期の生まれだから。

 ここで、戦争中だったのにもかかわらず、亡き母がつけていた、わたしの育児日記にリンクします。

    追 慕(2)母の育児日記
    

 わたしをおぶって、防空壕に逃げ込んだ話などは、幼いときよく母から聞かされたものでした。耳にたこができるくらい。

 そう。

 だから、このお話の、『ちいちゃん』は、わたしより、3・4歳上でしょうか。健在なら、今頃は、65歳くらいかな。初老のいいおばあさんになられていることでしょう。
 ついそんなことを考え、胸が熱くなってしまうのです。

 
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rve83253 at 20:59│Comments(16)TrackBack(1)PISA | 問題解決学習

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1. 育児・子育てのなかの家族支援  [ 子育て・育児の相談駆け込み寺 ]   2007年11月26日 19:51
育児は本当に複雑

この記事へのコメント

1. Posted by よたよたあひる   2007年11月25日 02:37
本文とはちょっとずれてしまうのですが、
ちょうど昨年の今頃、私が書いた記事に、
『一つの花』をめぐって考えたこと、のシリーズがあります。

http://plaza.rakuten.co.jp/yotayotaahiru/diary/?ctgy=14

よたよたあひるオバサンが、娘の小学校4年生の時の授業参観をしたあと、数年来ずっと考え続けていたことを、ネット検索しながらまとめてみたものです。たぶん、これも大人の「問題解決学習」になるだろうな、と思いましたし、「ちいちゃんのかげおくり」に続く、戦争と平和をテーマにした作品の読解ですので、もしよろしかったらご覧になってみてください。
2. Posted by きくちR   2007年11月25日 10:47
授業方法によっては、短い時間の中でこんなにすばらしいことを子ども達が学べるのかと驚きました。
とはいえ、toshi先生が長年積み重ねてこられた経験、教育に対する思い、子ども達との信頼関係がベースとなる授業で、教育の大変さと素晴らしさを同時に思い浮かべました。
子ども達が授業で学んだことは、文章の読解(戦争の怖さ、平和の素晴らしさなど)に終わらず、友達が違った意見を持っていること、違いを互いに尊重し合うことの大切さ、けんかが招く悲惨さなど生きる上で大切なことを自主的に考える力のようにも感じました。
3. Posted by きくちR   2007年11月25日 10:48
(上の続き)
中学生の子もいる私は、ついつい点数や偏差値にのみ気を奪われがちになることもありますが、どんな子に育てるかをもっと真剣に考えなければと改めて感じました。
Toshi先生、いつもながら、良いお話をありがとうございました。
4. Posted by きくちR   2007年11月25日 21:18
上に「文章の読解(戦争の怖さ、平和の素晴らしさなど)」と書きましたが、
間違えていることに気づきました。ちいちゃんと家族の様子や一人ぼっちになった
ちいちゃんの想像の世界について書かれているんですね。
うる覚えの印象で書いてしまって申し訳ありません。
5. Posted by yoko   2007年11月25日 22:12
去年、娘はどんな風に授業を受けたのだろうと気になって、聞いてみました。教科書を見ながら最後の6行の話をして、この記事のtoshi先生と生徒のやり取りを話して聞かせました。肝心の作者の言いたい事についてやった覚えがないらしいです。きっと忘れてしまったのだと思いますが…。3年生の発言に娘はびっくりしたように「凄いね」と一言。こんな活発な発言の飛び交う授業は経験した事がないそうです。toshi先生の授業を受けた子供達、羨ましいなぁと思いました。
6. Posted by toshi   2007年11月26日 04:57
よたよたあひるさん
 引用の記事を読ませていただきました。ほんとうに大人の問題解決学習ですね。
 そこで、わたしの思いを書かせていただきたいと思いますが、よたよたあひるさんのおっしゃったこと(国民の戦争加害者的側面)は大切ですし、そこまで学ばないと、真の平和は学べないと思いますし、また、そうした学習は『いじめ防止』にもつながると思います。
 でも、そうしたことは、社会科で学ぶべきと思います。国語はあくまで物語の読解ですから、そこまでやるとなると、教科等の総合化のはんちゅうになるでしょうね。
 なお、わたしも、似たような記事を書いたことがあります。本欄のわたしの名前をクリックすれば出るようにしましたので、よろしければご覧ください。
7. Posted by toshi   2007年11月26日 05:08
きくちRさん
 そうですね。物語の主題は、家族愛でしょうか。しかし、その伏線として反戦がテーマとなっているのですね。
 国語の教科書にはこうした物語がけっこうとり上げられています。4年生では、『一つの花』がありますしね。
 教員の仕事は実に多岐にわたりますが、本筋はあくまで授業と思います。ですから、授業研究は、教員の義務であると同時に権利でもあるのです。
 わたしの今の仕事も、初任者の授業力アップがメーンなのですよ。
 そして、『好きこそものの上手なれ』。
 子どもをやる気にさせ、学ぶことは楽しいと思ってもらうようにすることが、偏差値アップにストレートにつながっていくのだという信念を持って、がんばっています。
8. Posted by toshi   2007年11月26日 05:45
yokoさん
 記事にはしませんでしたが、物語というのは、実にいろいろ緻密に書かれているものだなと思います。たとえば、ちいちゃんが一人でかげおくりをする場面では、『ふらふらする足を踏みしめて立ち上がる。』のですね。しかし、そのあとで、家族を見つけたときは、『花畑のなかを走り出す』わけです。
 ここからも、いい学習ができそうです。
 また、4年生で学習する『一つの花』も、最後は、ゆみ子が成長した10年後くらいでしょうか。ちょこっとそういう世界が描かれます。なにやら、その構成が、『ちいちゃんのかげおくり』と、似ていなくもないなあと、そんなことも思って、記事にしたような授業を行いました。
 いつも、ありがとうございます。
9. Posted by KG   2007年11月26日 09:07
前回ご紹介頂いた記事も含め、子供たちの自由で柔軟な発想、表現力、読み取り方には感嘆する限りです。
PISAが求める読解力を養うお手本のような授業ではないかと思いました。
以前にも別の授業紹介でコメントしたかと思いますが、子供一人一人の発言、発想を普段から教師が尊重しているからこそ、子供からこのような発言が引き出せるんでしょうね。
その尊重する姿勢がいつしか子供たちにも伝わり、子供たち同士でお互いの考えを尊重する雰囲気が作られてこのような授業になるのだと思いました。
多様な意見をすり合わせる、というのはまさに大人になってからも必要とされる力でまさに生きる力の1つ。PISAの考え方や問題を見ていてもこの力は重視されています。
10. Posted by KG   2007年11月26日 09:16
昨今はモンスターペアレンツ(という言葉は好きではありませんが)という言葉が取り上げられていますが、これは価値観が多様化する今の社会の中で、保護者も学校も両者が意見のすり合わせ(合意形成)ができなくなってきた1つの現れかと思います。
全ての問題を教育に帰する事は避けなくてはいけませんが、しかしこれは一方的な教師や親からの教え込みで育ってきて他人の意見を尊重する事を知らずに大人になった人が多い事を示しているのではないでしょうか。
11. Posted by KG   2007年11月26日 09:35
このような問題解決型学習、教師の教育観によって左右され、おそらくは「教師はどこまで子供を信頼するか?」にかかっているかと思います。
そしてその根底には教師は一人一人の子供をよく知っている事があると思います。
中学においては教科担任制なので、一人の教師が授業を受け持つ生徒数は200人前後はいるのではないでしょうか?
そして先生同士は教科においては学年単位ではなく教科単位で編成され、授業研究も同じ教科同士でまとまり、従って子供が置き去りにされた、教師の発問や教材研究に終始した授業研究になりがちなのではないでしょうか。他教科を通じて見えるその子の別な側面、というのは小学校では見えますが中学ではおそらく見えないでしょう。
その中学特有の問題に真正面から取り組み、全国的に有名になった公立中学の改革が出版されています。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31301708
ご参考までに。
12. Posted by せきちゃん   2007年11月28日 01:42
興味深く読ませていただきました。
国語と特別支援教育を中心に,「楽書き」を推奨しています。
ちいちゃんのかげおくりも,子どもたちと共通の課題を設け,それらについて話し合う学習をしました。

最後の場面は,「きらきら笑う」の比較でした。

そして,どうして戦争なんてするの……という,国語とは,少し外れたような,しかし,大切なことを話し合えた手応えを感じました。

toshi先生の授業,目に浮かぶようです。
このような問題解決学習は,必要だと強く感じています。
もちろん,そのためには,どの子どもも考えをもつための手だてが必要ですね。

でもこの学習,このような手だてを忘れている授業を見てしまうときがあります。

そうなると,これらの学習……。全員が本当に力をつけているのかな?と,疑問になることは,無きにしもあらず,ですね。
13. Posted by toshi   2007年11月28日 07:58
KGさん
 きくちRさんも含め、大変な評価の言葉をいただき、ただただ感謝しています。
 おっしゃるように、まずは、担任と子ども個々とのつながりだと思います。それが、子ども同士のつながりに転移していくのですね。
 初任者と子ども個々とのつながりは、良好です。しかし、もっともっと、子どもの心が開かれるよう、言い換えれば、ほとんどの子が自由な雰囲気のなかで発言できるようにしたい。そういう意味では、いまだ発展途上です。

《一方的な教師や親からの教え込みで育ってきて他人の意見を尊重する事を知らずに大人になった人が多い事を示しているのではないでしょうか。》
 今の日本の大人の状況は、もう、おっしゃる通りと思います。このブログを始めて、皆さんのブログでの主張を拝見するようになり、この思いはますます強くなっています。

14. Posted by toshi   2007年11月28日 08:09
中学校の問題については、おっしゃりたいこと、分かるような気がします。たとえば、小学校でも、音楽は、専科による授業が多いですよね。
 一方、子どものなかには、音楽のみ、いきいきとがんばるという子がいます。そういう子の場合、担任は専科との連携を深めないと、その子の一面しかみていないということになりがちです。
 でも、他方では、授業研究も大切と思うのです。特別活動や道徳、それに総合はすべての先生が行っているのですから、やる気になれば、たとえ、教科担任制であっても、授業研究は可能と思うのです。
 ご紹介いただいた本、ぜひ買って読んでみたいと思います。ありがとうございました。
15. Posted by toshi   2007年11月28日 09:38
せきちゃんさん
《そのためには,どの子どもも考えをもつための手だてが必要ですね。でも,このような手だてを忘れている授業を見るときがあります。そうなると,これらの学習……。全員が本当に力をつけているのかな?と,疑問になることは,無きにしもあらず,ですね。》
 かつて、問題解決学習への誤解という記事を書いたことがあります。でも、誤解ではないのかもしれません。せきちゃんさんがおっしゃるような授業を見た結果なのかもしれません。
 実際、限られた一部の子だけの話し合いで、大多数をお客さんのように扱ってしまうと、これは、エリート教育だと誤解されてしまうのも無理からぬこと。
 
16. Posted by toshi   2007年11月28日 09:41
わたしは、今、初任者指導に携わっているわけですが、一番神経を使うのはこのあたりです。
 最初はどうしても一部の児童の活躍になりがちです。それをいかにして、全児童の学びにもっていくか。
 でもね。そういうことに、指導する側が神経を注いでいれば、大丈夫。全員がちゃんと参加するようになるのだという確信が、今はあります。

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