2007年11月27日

『問題解決学習とPISA調査』の補足4

76e6e060.JPG これまで、『問題解決学習とPISA調査』のタイトルのもと、2回にわたり、わたしの授業を記事にしてきた。
 
 そのなかで、なお、補足したいことがあるので、今日はそれを記事にさせていただきたい。

 4つほど書かせていただくが、それぞれは、特に脈絡がないことをあらかじめお断りしておきたい。



1.音読

 『問題解決学習とPISA調査(1)』でとり上げた授業では、冒頭、全員による全文音読から入った。

 しかし、同記事では、そのことにサラッとふれただけだった。

 でも、今という時代を考えたとき、その音読について、専門外ではあるが、ちょっとふれておきたいことがある。
 わたしは、音読を必要ないとは言わないが、今、世間で流布されているほど重要かという疑念をもっている。

 教科書を見ても、わたしの担任時代と比べ、明らかに音読重視の傾向がある。

 著名な方が、『声に出して読みたい日本語』だったっけ。それを出してから、おかしな傾向を示すようになったのではないか。知識・技能重視の風潮にのったと見える。


 学校も学校なのだ。安易に流行に合わせ過ぎる。あれ以来、我が地域では、多くの学校が、音読発表会なるものを行うようになった。


 もう一回言うが、音読はいらないとか、軽視していいとか言っているのではない。

 わたしだって、担任時代、そんなことが重視されなかったころから、音読はやっていたし、主人公の感情あふれる読みをする子に対しては称賛の拍手をおくり、それが学級にひびくようにはしてきたつもりだ。

 しかし、音読発表会などと称して、一時間まるまる音読などということはしなかった。
 

 学習の本筋は、あくまで物語のテーマを読み取ったり、主人公の心情に迫ったりすることではないか。そのための話し合い学習を重視する。そちらの方が、子どもは楽しく充実した思いになるはずだ。

 友達のいろいろな考え、思いを聞きながら、多様な見方があることを知る。それによって、自分の思いをより強めたり、修正を図ったりしながら、確かなものにしていく。その営みこそ、学習の本筋のはずである。
 それによって、上手に音読ができるようになるのなら、それはすばらしい。

 その程度に音読を大事にしていきたいということだ。主客転倒してまで、音読をとり上げる必要はない。そう思う。

 PISA型読解力が弱くなったとのこと。もしそうなら、わたしは、こうした昨今の風潮も、関係あるのではないかと思っている。



 初任者の学級において、以下のようなことがあった。

 『ちいちゃんのかげおくり』に入り、最初に学級全員が声をそろえて音読したときのことだ。

 空襲にあって、親子で、逃げていく場面がある。

「こっちに火がまわるぞ。」
「川のほうに逃げるんだ。」

 これを実に、真に迫った感じで音読した子がいる。いや。音読というより、役者さんのせりふと言った方がいい感じだった。今、Aちゃんとしよう。

 前々記事において、

「(最後の6行は)あった方がいい。戦争中は大変でしょう。ちいちゃんのような子どもだって、死んじゃうからね。かわいそうでしょう。それにくらべると、今は、とっても、楽しいでしょう。だからね。戦争中と今とを比べて、それで、『戦争はもうやめましょう。』と、あまんきみこさんは言いたいのだと思う。」

と発言した子だ。

 Aちゃんは、この物語を読み始めたときから、戦争の悲劇性に目を向けていた。学級の多くの子は、このAちゃんの影響を受けて、そちらに目を向けるようになったと言えるのではないか。

 その読み深めと、子どもたちみんなが感情あふれる音読をするようになったのは同時進行ではなかったか。


 上記の、空襲にあい、逃げていくときの言葉。

 当初は、Aちゃんのみが、真に迫った感じだったから、何人かの子は、Aちゃんの音読を聞き、Aちゃんの顔を見ながら笑っていた。他の子は、まだ感情移入ができていなかったのだ。

 ところが、わたしが行なった授業、これは、この物語最後の読解だったわけだが、このときは、もう、自然体で、全員が、Aちゃん同様の音読をしていた。

 それを聞いて、初任者の日ごろの指導のすばらしさを感じた。

 全員音読が終わった後、これまで述べてきたような学級のみんなの変容を述べ、さらに、それは、Aちゃんのがんばりのおかげなのではないかと付け加えて、称賛した。

 結論。

 あくまで、音読は、物語の主題、主人公の心情の読み取りに付随して、とり扱われるべきものと思う。その方がかえって音読は上手になるというものだ。



2.教材研究

 指導者主導の授業においては、指導者がとり上げようと思うものだけ教材研究すればことが足りる。子どもは基本的に受身だから、子どもの方から質問してくるということはあまりない。楽でいい。

 ところが、問題解決学習においては、どうか。

 基本的に、子どもはどこを問題にしてくるか、見当はつくものの、意外性は常にあるから、教材研究は多岐を極める。5時間扱いなら、10時間も、15時間分(ちょっとオーバーかな。)も、教材研究をしなければ、子どもに対応できない。


 一例を挙げよう。

 すでにコメント欄には書いたが、

 ちいちゃん一人でかげおくりをする直前、『ちいちゃんは、ふらふらする足を踏みしめて立ち上がると、〜。』という文章がある。

 ところが、そのあと、ちいちゃんが空の上と思うところで家族と再会するとき、ちいちゃんは、『花畑の中を走り出す』のだ。

 ちいちゃんは、空襲で独りぼっちになってしまい、3日ほどすごす。ほとんど食べていないなかで、身体がどんどん衰弱する。だから、ふらふらして立ち上がるのだが、『そんなちいちゃんが、なぜ、その直後、走り出すことができたか。』と、子どもが問題にすれば、読み深めはちいちゃんの『想像の世界』(コメント欄から借用)に入っていくだろう。

 そのように、子どもたちが問題にしそうなところ、そして、それをとり上げたら、何が学べるかを、指導者はあらかじめ考えておく。


 しかし、この場面、子どもたちはそれをとり上げなかった。とり上げないなら、わたしの方から、働きかけることはしない。


 その理由。

〇指導者主導は避けなければならない。

〇もともと、10時間分も15時間分も教材研究はしているのだ。全部はとてもできるわけがない。

〇高い山の頂上を目指すとして、その登山口はいくらもあるように、『ちいちゃんの想像の世界』に迫るとして、それに迫ることのできる学習問題は、他にもあるからだ。現に、わたしの授業でも、子どもたちは、他の学習問題から、『ちいちゃんの想像の世界』に入り込んでいると言えよう。


 問題解決学習における教材研究は、氷山にたとえられる。授業の流れにのるのは、全教材研究の一部に過ぎない。大部分は、海の中にかくされている。


3.平和教育

 このお話は、平和教育ともかかわるだろう。

 しかし、日本で多く行われている平和教育は、一方的に話して聞かせるたぐいのもの、あるいは、指導者主導型が多い。
 大人の熱い思いが、ついそうさせてしまうという面もあるだろう。

 しかし、それでは、受身の立場に追いやられた子どもたちの頭の上を、理念が素通りしてしまうことになりかねない。子どもの心のなかになかなか響いていかない。

 やはり、平和教育も、子ども主体、問題解決的な学習形態をとらないと、むなしい結果になるだろう。

「なんですか。ついさっき、みんなで平和について考え合ったのに、もう、あなたたちはけんかですか。」
そう言って、子どもたちを叱りつける場面を何度見てきたことか。


 これについては、かつて記事にしたことがあるので、まだ、お読みでなければ、ご覧いただければ幸いである。

   いわゆる『平和教育』

 また、我が地域では、年一回、校長が全校朝会で、空襲にまつわる講話をすることになっている。わたしもかつてそれをやらせてもらった。

 ごめんなさい。一方的に語って聞かせても、理念は素通りすると書きながら、・・・、矛盾していますね。

 でも、これは、立場上のことだから、お許しください。

 どうしても、講話だから一方的になってしまうが、わたしは、できるだけ矛盾を克服すべく、子どもの心のなかに食い込むよう、話し方には気をつけたつもりだ。

 今、それにもリンクさせていただきたい。

   平和教育(1)朝会の話

   

4.4年生の『一つの花』

 4年生になると、やはり、戦争中の家族愛をテーマとした、『一つの花』をとり上げる。これがまた、『ちいちゃんのかげおくり』と、お話の構成が似ている面がある。物語の最終場面は、主人公のゆみ子が成長し、小学生になっている場面だ。

 実は、今回、子どもたちが特にふれない最終場面をとり上げたのについては、4年生の『一つの花』を意識していた面もあった。

 次年度、子どもたちが、
『あれっ。まえにも、このように、急に数十年後になるお話があったな。』と思えてくれたら幸いである。そうなれば、そのときは、最初から、数十年後の世界が描かれている意味について、子どもたちは考えるのではないか。

 系統と言うと大げさだが、そのようなことも意識のなかにはあった。


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 知識・技能偏重は、何も音読に限ったことではありません。教科書を見ると、漢字にしても、言葉の学習にしても、ドリル的、クイズ・ゲーム的学習が、ものすごく多くなっているのに気づきます。
 目先の興味・関心にとらわれているといったらいいでしょうか。とても、『生き方』の教育とは無縁な感じです。

 PISA調査の先生方は、こうした日本の現状をどう思われるでしょうか。

 このことも、いずれは記事にしたいと思っていますが、・・・。

 それでは、今日も、1クリックをどうぞ、よろしくお願いします。


rve83253 at 09:10│Comments(8)TrackBack(0)PISA | 問題解決学習

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この記事へのコメント

1. Posted by KG   2007年11月28日 10:24
昨日、校長と保護者で学力について話し合う会がありました。
校長先生からは、全国学力調査の結果の報告、今度の学習指導要領改訂についての報告がありました。
中教審のまとめを文科省が教員向けにまとめた資料を読ませて頂き、私にとっては既知の内容でしたが文科省のまとめを読み、中教審や文科省が考える改訂案のどこに問題があるのかはっきり再確認できました。
中教審の反省として、「生きる力」について共通理解が足りなかった点があげられていましたが、あの内容では今回もおそらく共通理解は得られないでしょう。
また、学力調査の結果が出る前にまとめた案なので、知識を活用する時間を確保するために授業時数を増やす、という論旨がありながら、一方で基礎・基本の徹底のために反復を徹底するという100マス先生好みの文言もありました。
2. Posted by KG   2007年11月28日 10:25
保護者同士では学力とは何か?と深く突っ込んだ話しにはなりませんでしたが、いい先生の授業、ダメな先生の授業の具体事例を聞いていると、保護者がいいと思うのはやはり子供同士をうまくすりあわせながら、個々の子供に対応している先生がいい評価をされ、100マスや結果だけを重視してプロセスを全く見ない先生の評価は悪かったです。
あと感じたのは、昨日集まった保護者の共通した思いは(見た目の)高い学力よりも、安心して学べる環境の方を期待している事です。それは担任のスキルへの不安や学級内の問題への不安の裏返しなのかも知れませんが。
3. Posted by KG   2007年11月28日 10:34
おそらく一番の問題点は、やはり「生きる力」とは何か?ここを文科省・教育委員会・学校関係者らが、うまく説明できない事に尽きるのではないでしょうか?
校長先生もイメージとしては何となくつかんでおられるのですが、同時に保護者には「生きる力とは何か?」と全く伝えられておらず、上手く伝えられるほど明確につかんでいない事を感じました。
PISAは、生きる力→リテラシー→プロセス・スキルと細かく落とし込み、逆にプロセス・スキルがリテラシーを構成し、リテラシーを育てることが結果的に生きる力につながるという事で生きる力と学力の関係が明確になります。
まず文科省自体がこの構造をはっきり理解し、それを一般の教員や保護者にわかる言葉で説明できなければなりません
総合学習削減や反復の徹底などという言葉が出てくる間は、文科省や中教審自体がPISA型読解力が足りない証拠でしょうね。
教育再生会議はもう論外でノーコメントです。
4. Posted by toshi   2007年11月29日 17:54
KGさん
《中教審のまとめを文科省が教員向けにまとめた資料》
 わたしも今日、それを手にすることができました。
《中教審の反省として、「生きる力」について共通理解が足りなかった点があげられていましたが、あの内容では今回もおそらく共通理解は得られないでしょう。》
 ほんとうですね。基礎・基本の徹底と豊かな人間性と二兎を追っている姿は、従来とまったく変わらないですね。両論併記です。
 『ゆとり教育こそ大切なのだ。いきいきと学習に取り組み、充実した学校生活を送ることによって、基礎・基本は身についていくのだ。』
そう言ってくれれば、教育観も明確になるのですがね。
5. Posted by toshi   2007年11月29日 19:52
そう。反復を徹底するなど、まったく、PISA調査や国の学力調査から、何を学んだのでしょうね。これで、ますます学力低下などということにならなければいいのですが。現場の工夫がないと、むずかしいでしょう。
 それにしても、マスコミが騒ぎ、国が優柔不断では、保護者の多くは、不安でしょうね。
 せめて、学校だけは、信頼に足る実践を積んでほしいものだと思います。
 わたしも保護者でしたから、思うのですが、親は、我が子が楽しそうで、幸せそうなら、もう、それだけで、満足なのではないでしょうか。最低限ということではありますが。
6. Posted by toshi   2007年11月29日 22:03
『生きる力』
 ほんとうにうまく説明できていないですね。要するに総花的なのです。言っていることは、誰からも文句のつけようがない。だから、逆に言えば、どうにでもとらえられる。そういう感じなのです。
 今、国のHPのURLを紹介しましょう。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/korekara.htm
 いいことも言っているし、反復の徹底につながるようなことも言っているというわけです。
 こうした曖昧さは、戦後ずっとです。
 だから、学力低下だといえば反復。いじめの多発だといえば豊かな人間性というように、ほんとうにころころ言うことが変わっていくわけです。
 この曖昧さは、学習指導要領も同じ。たぶんに本音と建前という感じがしてしまうのです。
7. Posted by KG   2007年11月30日 16:52
私は教育学者の佐藤学先生の著作をよく読んでいますが、佐藤先生がよく使う言葉にこういうものがあります。
「危機が改革を生むのではなく、改革が危機を生む」
昨今の教育改革の現状をよく言い表しているような気がします。
今日報道のあったPISA2006・科学的リテラシーの結果公表についても、もうまさに予想通りのマスコミの反応でした。
前回2位→6位に低下、と大きく出ていますが日本より上位にいるエストニア・台湾は前回不参加。統計的な有意差を考慮すれば2位→3位グループというのが適当ですね。
もっとPISA調査を詳しく知ってこのような順位はあまり意味がないことに気がついて欲しいです。
むしろ気になるのは、まだ公表されていませんが習熟度別ランクで学力格差が拡大傾向にあるのではないか、それが心配です。
8. Posted by toshi   2007年12月01日 10:36
KGさん
 おっしゃる通りです。もうこれまで学んできたことにより、ほとんど想像がつくのですが、学力格差は増大しているでしょう。
 問題はその後ですね。感情的な学力低下論に惑わされることなく、的確な教育施策が採れればいいのですが、これまでと同じ流れだと、学力格差はますます増大し、いわゆる学力低下もすすむことでしょう。
 そちらの方がよほど重大問題ですね。
 低下していると言われる思考力ですが、もう、日本においては、習熟度別でない、ある程度の多人数、そして、一斉学習による問題解決学習。解決はそれしかないという思いを、ますます強めています。

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