2007年12月03日

今、なぜコアカリキュラムか。(1)4

d40961d5.JPG 我が亡父の昭和20年代の実践を中心に、『温故知新』と題し、拙ブログ記事を連載したのは、今年初めだった。驚くことに、その連載中に、・・・、

 何年ぶりだっただろう。電話をいただいたのである。

 それは、昭和20年代、父が勤務したA小学校に、初任者として着任したB先生からであった。もちろん、わたしにとっては大先輩だ。

 その電話で、B先生が、当時のA小学校のコアカリキュラムの実践を話されたとき、わたしはてっきり、拙ブログを読まれての電話だと、錯覚してしまった。あまりのタイミングのよさに、そう思ってしまったのである。

 しかし、違っていた。

「今、我が地域のC国立大学のD准教授と学生のEさんたちが、昭和20年代のコアカリキュラムについて研究をしています。

 戦後初期、民主主義教育を標榜し、自立した子どもの育成、民主主義の新生日本を背負って立つ日本人の育成を目指した教育は、全国各地で実践されたのですが、地元にも数校、そういう学校があるということで、特に、A小学校の実践をくわしく知りたいと、そう言っています。

 これこそほんとうの教育ではないか、日本にもこのような教育がかつてあったのかと、また、その実践がなぜその後の日本で持続発展しなかったかと、そんな思いで、研究をしているようです。

 それで、わたしなどは、当時初任者だったから、あまり多くを語れないのだが、コアカリキュラムの実践校だったA小学校にいたのだから、彼らの研究には、できる限り協力したいと思っています。

 そこで、お尋ねしたいのだが、toshiさんのお宅には、お父さんの、当時の研究物が残されていないか。もしあったら、それをコピーでもいいから、提供してくれないかと思うのです。」

とのことだった。

わたしは残念な思いでお答えした。

「いえ。それが、・・・、実はないのです。申し訳ありません。・・・。かつてはありました。わたしも、見たことがあるのです。
 どうも、父は、それ以後、処分したようです。

 でも、A小学校には、当時の研究物が保存されています。わたしは、A小学校を訪ね、見せてもらいました。」



 そして、話は、一昨日のことになる。

 実は、一昨日、わたしたちは、C国立大学に集まった。そして、D准教授と学生のEさんらの取材を受けた。
 わたしたちというのは、B先生。そして、当時、父の研究仲間で、父より数年後輩のF先生だ。F先生は、もちろん、ご高齢なのだが、かくしゃくとしていらっしゃった。おっしゃることに、また、おっしゃり方に、若さを感じた。

 実に熱っぽく語られた。当時のコアカリキュラムにかけた思いが、色あせることなく、今も持続しているようだった。


 取材を終えて、F、B先生と、呑み屋に立ち寄ったが・・・、

 B先生がおっしゃる。

「わたしは、当時、初任校だったから、ついていくのが精一杯で、・・・、だから、今回、C大学の取材を受けても、まあ、Eさんの卒業論文がいいものになるように協力を惜しまないという、そのくらいの気持ちだったのですが、・・・、

 F先生は違っていましたね。F先生は、むかしのコアカリキュラムが、今に生きないか。復活が無理でも、少しでもいいから、今の教育実践にとり入れられないか。そういう強い思いがありましたね。」

 そうなのだ。今の、混沌とした時代。国をあげて、また、国民の多くが、ゆとり教育を攻撃している時代。

 それだけに、教育の良心を大事にするF先生は、黙っていられないのではないか。これは、年齢には関係がない。教育を思う熱情で、いっぱいなのだ。
  
 F先生の熱情。それは、コアカリキュラムへの自信だったり、頓挫させられたときのくやしさだったりしたのだが、その姿をまのあたりにし、わたしは、F先生に、亡父の面影を見た。



 遅ればせながら、読者の皆さん。ごめんなさい。拙ブログの『温故知新シリーズ』(すみません。拙ブログの目次にリンクしました。下の方、『むかしの思い出』のなかにあります。)をすでにお読みの方は、本記事をすんなり読めるだろうが、そうでない方は、何のことだか分からないでしょうね。

 温故知新シリーズをお読みいただければありがたい。

 しかし、お時間のない方は、これは、非常にあらっぽい言い方だが、このコアカリキュラムとは、つい最近の、PISA型調査がもつ教育観とほぼ共通したものをもつと思っていただいてかまわない、・・・、(と、わたしは思う)。



 それでは、同大学で、Fさんが語った教育観を、断片的ではあるが紹介しよう。

 「今、このように、コアカリキュラムを研究されているということ、大変うれしく思うが、研究されたものをどうしようとするのか。実験校というような構想はあるのか。あるなら、これを頓挫させられたという、かつての失敗の二の舞にならないような工夫はあるのか。」

 「採点なしの評価。それこそが大切。」
 テストはそれほど重要ではないということだろう。日ごろの実践のなかで、子どもをみとる。その不断の努力があれば、子どもは伸びる。そうおっしゃりたいのだろう。このあたり、今のフィンランドの教育観を思わせる。

 「手ごたえのあるカリへ。」
 指導計画が単なる計画であってはならない。ましてや、ノルマのようなものであってはならない。子どもが確実に伸びたという実感のもてるカリキュラムを構築しようということだと解釈した。

 「カリに見えないものが大切。」
 当時、学校図書館なるものはほとんどなかった。しかし、本は大切だ。それで、地域、保護者、教員が一体となり、図書(館)の整備に尽くした。
 また、用務員が通学路の整備をしたなどということもあった。そういう子どもを思う気持ちというのは、カリキュラムにはあらわれないことだ。
 
 「泥まみれでがんばれ。」
 今の教員へ贈る言葉だと思う。
 今の教員の努力は認める。しかし、きれいごとで終わっている状況はないか。ハウツーものや、子どもとうまく付き合うすべなどを、『きれいに』学ぶ。
 
 しかし、それだけではね。

 のめりこむくらいの実践をということか。

 「エキスパートだけ多くてもね。」
 当時のA小学校は、助教諭や免許なしの教員が、半数以上だった。しかし、みんなで学び合った。学校としてのまとまりは、強いものがあった。

 「着任するとわたされたのは、〜」
 当時着任すると、わたされるのは、能力規準表、学習指導の手引き。もちろんどちらも学校が作成した膨大なものだが、それだけだった。
 学校経営計画などは、いただけなかった。

 「テストの点数?そんなのはお遊びだ。」
 これはすごい言葉だと思った。現在の世相を猛烈に皮肉っている。
 テストの点数などでは、子どもの力は測れない。分からない。
 日々の実践。そのなかでの明日の指導につながる評価。それこそが、子どもに力をつけさせる。
 そうおっしゃりたいのだろう。



 最後に、今、各地の大学において、戦後初期のコアカリキュラムの研究は、盛んに行われつつあるのだろうか。

 実は、今、わたしが担当している初任者も、ふるさとは我が地域からだいぶ遠くだが、そちらの大学で、コアカリキュラムを学んできたという。

 B先生がおっしゃる。

「そのようですよ。今、総合的な学習の時間がスタートし、これは、かつてのコアカリキュラムの実践と似ているのではないかと、コアカリキュラムを研究することによって、総合の充実を図れるのではないかと、そんな思いをもつ大学がふえているようです。」

 わたしは、今、ともすると、総合的な学習の時間が減らされたり、ゆとり教育批判が渦巻いているようなときに、大学において、そうした思いをもってくれていることはありがたく、協力は惜しまない。そういう気持ちになった。


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 Eさんは、自分の卒業論文では、戦後のコアカリキュラムの実践をテーマとすることに決めたようです。それで、我が亡父の当時の実践、取組を、資料としてたくさん用意していました。亡父も、草葉の陰で、喜んでいるのではないかと思いました。

 それでは、今日も、1クリックを、・・・、でも、お願いするのが恥ずかしくなりました。これも、立派な、『お遊び』ですね。

 でも、お遊びと承知しつつ、今日も、・・・、よろしくお願いします。

   (2)へ続く。
  

rve83253 at 00:09│Comments(0)TrackBack(0)教育観 | コアカリキュラム

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