2007年12月05日

PISA調査2006結果報告を受けて4

678de183.JPG PISA調査の結果が報告された。
 
 当ブログの読者の皆様も、きっと強い関心をもって、ご覧になったことと思う。いかがお感じになっただろうか。

 わたしは、新聞の見出し、テレビの第一声に反し、まず、『ほお。意外と健闘したじゃないか。』という思いをもった。

 まず、何度も言うように、ランキングにたいした意味はないのだが、一番強く言われ、誤解を招くもとにもなることから、そこから、ふれたい。

 科学的リテラシーは、2位から6位にとなっているが、これは、3位から7位までほとんど差がないし、日本より上位にある国で新たに2カ国参加したことを考慮に入れると、さほど下がったとは思えない。ただ、フィンランドの突出した1位は、すごいと思う。

 数学的リテラシーは、6位から10位にとなっているが、これも、7位から13位までほとんど差がないし、同じく新たに1カ国参加したことを考慮に入れると、さほど下がったとは思えない。
 ただ、台湾、フィンランド、香港、韓国は、ほんとうに僅少差で、1位グループを形成している。アジア各国の健闘が目立つなかでは、日本のみ取り残された感はある。

 最後に日本が一番深刻に考えている読解力リテラシーだが、これは、14位から15位だった。同じく新たに1カ国参加したことを考慮に入れると、下がってはいない。ただし、12位から20位まで(新聞にはここまでしか載っていないから、もしかしたらもっと下位まで)、ほとんど差はない。

 以上、ランキングからは、意外と健闘したというのが、わたしの思いだ。もっと下がるのではないかと思っていた。そういう意味では、よかった。


 しかし、ご承知のように、問題は別なところにある。

 学力の二極分化はどうなったかということである。

 科学的リテラシーについては、2003調査において、国の報告に得点分布がないので、考察からはずす。

 数学的リテラシーについて、2003調査においては、レベル5以上が24.3。逆にレベル1以下が13.3%。それが、今回は、同じく、18%くらいと、13.0%。

 読解力リテラシーについては、2003調査において、レベル5以上が9.7。逆にレベル1以下が19.0%。それが、今回は、同じく、8%くらいと、18.4%。
 (〜%くらいとしたのは、記事に数値がないため、表からの読み取りにならざるを得なかったため)

 以上をみると、二極分化がすすんだとは言えないが、韓国、フィンランドなどと比べると、レベル1以下は、相変わらず多いと言える(ただし韓国との比較では、例外もある。後述する)。これが一番深刻な問題かもしれない。

 その象徴とも言えるのが、白紙解答が多いこと、また、興味・関心は、世界最低とのこと。

 興味・関心の具体的項目について、今回は、科学的リテラシーについて調査しているが、

〇科学についての本を読むのが好き。
〇科学に関する科学番組や、雑誌・新聞を見る。
などがある。

 また、授業については、
〇習った考えを日常の問題に応用するよう求められる。
〇クラス全体で討論する。
 などがある。これも世界最低とのこと。

 これは、子どもたちが、授業をどう見ているかの調査だ。日本の授業は、世界のなかで特殊なのかな。


 現在のところ、マスコミ等の論調は、まあ、まともなようにみえる。個々の記事から拾ってみよう。

〇上位にとどまってはいるが、じわじわ後退し、楽観を許さない。

 まあ、そうだろうな。わたしもそう思う。しかし、何度も言うように、上位かどうかということに、さほどの意味はない。中身の分析が大事。

〇PISAでは応用力を求められるが、今の学校では基礎を学ばないまま、自分で考えることが重視されがちだ。読解力が低下したPISA調査の受け止め方を間違えたのではないか。

 これは不可解な論調だ。今春の全国学力検査などでは、基礎は、まあまあだったはず。それに、PISA調査は考える力を測るもの。基礎はまあまあで考える力に問題があるのだ。どうしてこんな考察になるのだろう。

〇中学校で文字式や証明を教える際には、他人に分かりやすく説明するという意識をもたせることが必要だ。

 これは納得できる。日本では、どうも、指導者が一方的に説明しているかたちが多いのではないか。他人に分かるように話すことのできない子どもが多いということには、当ブログでも問題としてきたところだ。

〇レベル5以上の割合が減ったことが心配だ。

 これは当たっている。上記、数学的・読解力リテラシーの得点分布から得た数値を見ても、上位グループは減っている。科学的リテラシーが不明なので断定はできないが、有識者がそう言っているのだから、やはり下がっているのかな。

 数ある数値のなかで、わたしは、これが一番意外だった。『上位グループは変化ないだろう。下位グループがまた増加していないか心配だ。』と思っていたから、その点では、結果はまったく逆になった。

 これまでのわたしの考察から言えば、

 日本の上位グループは、受験教育に専念させられている。実用的学力、つまり、『知識・技能を実生活に活用できるか。』という学力は、ほとんどきたえられていない。その結果と言えよう。
 
 そして、フィンランドのように、受験に専念する必要のない国で、上位グループは日本より多いのをみると、わたしの考察は妥当なように見えるが、

 一方、日本以上に受験過熱な韓国を見ると、それにもかかわらず、PISA型学力においても、日本より上位グループが多い(先に述べたように例外もある。)。

 この点について、新聞記事がふれている。

「韓国では、大学入試に「論述型」が導入され、〜。読書も受験対策のためのブームになり、読解力の向上に貢献した。」

 それがある程度納得できるのは、科学的リテラシーについては、韓国より日本の方がいいのだ。韓国は科学には力を入れていないということか。

 結論。

 やはり、受験の弊害はあるだろう。
 上記、報道の通りなら、わたしは、韓国の高得点もあまり評価しない。受験とたまたまマッチしたからと言って、それで、PISA型調査で高得点だったとしても、それは、ほんとうの将来の実生活に役立つことはないだろう。あくまで、ペーパーテストの上だけのことだ。
 フィンランドのように、内発的動機付けがうまくいっている国こそ、真の学力形成と言えるのだと思う。

〇日本の読解力の指導は、まだまだ、文脈にそって理解していく力が中心。提案して考えて答えるというPISA型学力が浸透していない。

 これはとても納得できる。

 小学校においても、多くの学校は、いまだ、段落分け、要約、小見出し付けなどといった学習が横行している。これについては、次回、どういう学習が望まれるか、次回、初任者指導とからめて、提案させていただきたい。

 あっ。ごめんなさい。わたしは、段落分け、要約、小見出し付けは不要だと言っているのではない。無目的で行うのがまずいと言いたいのだ。あくまで実用的な学力の形成という観点で論述したい。


 最後に、2つふれたいことがある。


 一つ目。

わたしはこれまで、日本政府は、学力上昇に結びつかない政策ばかりをとっていると、具体的資料をもとに、訴えてきた。

 今日は、それについて、さらに一項目追加したい。

 それは、授業時数増の問題だ。これはもう決定したのだよね。(わたしも消極的賛成の記事をかつて書いたが、)
 今、『ああ。日本はどうなってしまうだろう。』という思いが強い。

 ただし、わたしは、『授業時数を増やしたから、学力は低下するだろう。』と言いたいわけではない。今回は、『時数を増やしたからといって、学力が向上するとは限りませんよ。』と言いたいだけだ。
 今回、日本より上位にある国々の授業時数を見てみよう。参考資料は、『学校の授業時間に関する国際比較調査』だ。

 ここでは、PISA型学力と授業時数との相関関係は認められないという結論を出している。


 二つ目。

 PISA型調査は信頼度の高い調査だが、万能ではないということだ。やはり、ペーパーテストゆえの限界はあるだろう。

 『話す。』『聞く』力というのは測れていないのではないか。
 また、物語などで、主人公の心情に迫るという点でも、同様だと思う。

 ただし、将来的には、対人関係能力も測るように取り組んでいるとのことだから、もしかしたら、そうした観点で、調査リテラシーに入ってくるかもしれない。

 
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 今後の日本の課題について、わたしの提言は、


 日本は、子どもを学ぶ気持ちにさせることに、完全に失敗している。したがって、そこに焦点を定めて、改善策を検討しなければならない。

 
〇受験本位の教育システムを改善する。

〇授業改善が急務だ。
   習熟度別授業をやめ、教員の授業力アップを図るなかで、低位グループの引き上げを図る。

   そのために、教員を雑務から解放する。授業に専念できる体制にする。中学校の部活動は、社会教育にゆだねる。

  並行して、内発的動機付け重視、子ども主体の学習など、授業力アップのための研究研修体制を強める。あくまで現場本位、実践重視の体制ですよ。

   学校が主体的に、教育活動に取り組めるようにする。

   そうした観点での査定なら、賛成する。

〇家庭教育の重要性を認識できるようにする。

   ただし、家庭に対しストレートにお説教しても、改善は望めない。あくまで、上記取組のなかで、学校への信頼を高めることを通して、家庭教育が改善されるという考えで取り組む。


 いかがでしょうか。読者の皆様のご意見もお待ちしています。

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1. PISA  [ 楽天靴 ]   2007年12月06日 14:46
11月28日(水) PISA礼賛そうした内省は別の機会に譲るとして、さて、いま気になってしょうがないのが、例の学力低下問題の根拠とされるPISA(OECDによる学習到達度調査)の結果です。そもそも学力低下という議論自体が、PISAをきっかけに降ってわいたよ...
2. PISAが測っているのは「学力」「応用力」ではない  [ PSJ渋谷研究所X ]   2007年12月14日 23:21
教育の専門家のblogに送れる内容なのか迷ったが、ご批判もいただきたく、勇気を出してTB。

この記事へのコメント

1. Posted by KG   2007年12月05日 17:48
PISA2006に関する考察、私もtoshi先生とほぼ同じ見方をしています。
学力上位層の低下に関しては、私もtoshi先生と同じく学力格差の拡大の方を予測していましたが、教育学者の佐藤学先生が習熟度別や(日本的な)基礎・基本の徹底(=ドリルや百マスなど)を躍起になって行うほど、PISA調査で測定されるような高度な学力が崩壊すると予測していたのでこちらがかなり当たっていると思いました。
日本以外の東アジア勢の台頭は、動機付けが外発的であれ内発的であれ、モチベーションが高く学習量が多ければPISAが問う学力が上がる事を示唆しているでしょう。
問題は外発的動機付けは経済情勢に強く左右され、明らかに低成長時代に突入した日本においてはもう今までのような動機付けは通用しないという事でしょう。
2. Posted by toshi   2007年12月06日 04:56
KGさん
 なるほど。
〇ドリルや百マス計算などは、おやつ程度にすること。
も、提言のなかに追加しなければいけませんね。
 KGさんのコメントを読ませていただいて、大学受験などの外発的動機付けによる学力維持は、限界に来たということだと思いました。それは、上位層にも、下位層にも言えることなのですね。
 今のような成熟社会に、今のような政策を続けている限り、PISA型学力はやはり長期的には、落ち続けるのでしょうね。
3. Posted by きくちR   2007年12月07日 02:12
まったく同感!同感!と読み進め、終えようとしているときに、どっきりでした。
>〇家庭教育の重要性を認識できるようにする。
そして、Categoriesで「家庭教育」がないかを探してみましたが、ありませんでした。
いずれも表現が適切でないかもしれませんが、
子どもの勉強の進捗をときおり観察して必要な場合手助けせよ、行儀や挨拶など礼儀に関することをしつけよ、本当に大切なこと(道徳)を伝えよなどあれこれ思い浮かべましたが、
toshi先生のお考えとは全然違っているような気もします。
何かの機会にお教えください。
どうぞよろしくお願いします。
4. Posted by toshi   2007年12月07日 09:57
きくちRさん
 最後にドッキリさせてしまったようで、ごめんなさい。
 今回のPISA報告を読んで、わたしが一番ショックだったのは、テストの成績は、世界10位なのに、学習意欲に関しては、世界で最低と評価されたことでした。さらに、子どもによる授業評価も最低なようです。そこから、記事のような提言となりました。
 今回のPISA報告では、家庭教育については何もふれていないと思います。しかし、先に何回も引用させていただいたシュライシャー氏講演では、社会背景として、家庭環境にも言及しています。家庭環境等が子どもの学力形成に占める影響力は大きいということですね。
 
5. Posted by toshi   2007年12月07日 10:19
 もちろん、家庭環境がよくないから、どうしようもないと言っているわけではありません。
 それをどう教育システムが克服しているか、あるいは、していないかを、国際比較のなかで論じている訳です。うまくいっている国もあれば、いっていない国もあるということですね。
 ここから先は、わたしの考えですが、ストレートに家庭の教育力を高めようとしてもうまくいかないでしょう。お説教や講話などですね。
 相手は大人だからです。多様な考えがあるからです。
 しかし、ただ一点。学校教育によって子どもが変容すれば、そして、それを家庭が感じ取れれば、これは家庭を変える力になるでしょう。そう言いたいのです。
 かつて記事にしたことがあります。本コメントのわたしの名前をクリックしていただければ出るようにしましたので、どうぞ、ご覧ください。『心の教育(4)』です。
 学校教育は、あくまで子どものよりよい成長を図るのですが、その成果によってしか家庭の教育力を高めることはできないと思うのです。もちろんこれは、理念の問題ですから、その役割は学校しか果たせないと言っているわけではありません。このような考えでいくなら、他の機関でも、やれることはやればいいと思います。
6. Posted by toshi   2007年12月07日 11:59
《子どもの勉強の進捗をときおり観察して必要な場合手助けせよ、行儀や挨拶など礼儀に関することをしつけよ、本当に大切なこと(道徳)を伝えよなどあれこれ思い浮かべましたが、〜。》
 きくちRさんが思い浮かべたとおっしゃるこれらは、いずれも、お説教、講話のたぐいですね。これは、よほど問題意識をお持ちの保護者にしか通用しません。ですから、問題意識をお持ちの保護者がお集まりの場なら、効果的でしょう。
 考えてみれば、子どもの学習と同じですね。目的意識をしっかりもっている子どもたちを相手にするのなら、教え込み、詰め込みも効果的な場合があるという意味です。
 でも、公教育はそういう場ではありませんものね。子どもの場合は、目的意識をもたせるところからの指導が必要になるわけです。『意欲のない子どもたちにも、意欲的に学ばせるには、』の研究から始めなければなりません。
7. Posted by きくちR   2007年12月09日 11:08
『心の教育(4)』を読ませていただきました。以前にも何かのおりに読んで素敵なお話だなぁと感じたことを思い出しました。そのときは、ご祖母様の立場から、これまでのご自身の仕事が評価されたような思いや、今後の給食調理の向こうに側に子ども達の笑顔や健康を感じることができただろうなと。でも、
>学校教育は、あくまで子どものよりよい成長を図るのですが、その成果によってしか家庭の教育力を高めることはできないと思うのです。
toshi先生はその先のことをおしゃっておられるのですよね(?確認)。
8. Posted by きくちR   2007年12月09日 11:11
(上からの続き)このご家庭(大人たち)が、学校やよその子たちも含めて子ども達やその(学校)教育に関心を持つ機会を提供することによって、学校は家庭の教育力を高めることができるということですね。
>もちろんこれは、理念の問題ですから、その役割は学校しか果たせないと言っているわけではありません。このような考えでいくなら、他の機関でも、やれることはやればいいと思います。
情報が正確であるかどうかはわかりませんが、あるところで知ったスウェーデンの“国民の家”という思想を思い出しました。「人生のあらゆる段階で国家が“良き父親”として人々のニーズを包括的に調整する役割を担う社会」だそうです。
9. Posted by toshi   2007年12月09日 13:14
きくちRさん
 ひびき合いということでしょうか。信頼は信頼を呼ぶと言ってもいいと思います。
 リーダーシップをとるのは学校でしょうが、一クラス30人〜40人くらいいて、保護者もそれだけいらっしゃるわけですから、多いほどひびき合いも大きくなっていくわけですね。
 最初は、子どもの変容。それが契機となって、保護者と信頼関係で結ばれれば、そのひびき合いが、無形・有形の財産となって、子どもへまた、返っていくわけです。
 こうなったらしめたもの。ほんとうに学級経営が楽しくなります。
10. Posted by toshi   2007年12月09日 13:24
『心の教育(4)』を、再度、お読みくださいまして、ありがとうございました。
 考えてみれば、わたしは、信頼関係の構築に資するという点でとても貪欲だったと思います。
 この記事でも書かせていただきましたが、自分の学級経営のためなら、何でも利用(?)させていただきました。
 それが、子どもの成長に大きくかかわると思っていたからです。

 今日か明日、一昨年初任者で、わたしが担当した教員の授業を掲載する予定です。
 その教員が、最近、このようなことを言っていました。
「保護者の方が、どんどん変わってくださるのです。わたしに協力してくれて。とっても、うれしいです。
 toshi先生がおっしゃったように、それで、ますます子どもとの一体感が感じられるようになっています。」
 とてもうれしい思いで、その話を聞きました。
11. Posted by きくちR   2007年12月11日 22:34
上のコメント欄に今日書いた「あるところで知ったスウェーデンの"国民の家"」は、次のグループホームのブログに書かれていました(http://blog.canpan.info/tomo/daily/200710/20)。学校の先生を経験された方がお書きになっているので、グループホームのブログですが、教育に関する素敵なお話も掲載されています。
このブログの10月20日の記事には、上のtoshi先生のコメントにある
>『意欲のない子どもたちにも、意欲的に学ばせるには、』の
>研究から始めなければなりません
にも関係するかもしれない内容も含まれているので、参考までに紹介します。
12. Posted by toshi   2007年12月12日 09:35
きくちRさん
 すてきなブログをご紹介くださいまして、ありがとうございました。
 試験がないというのは、コアカリキュラムを実践された先生の、『テストはお遊びだ。』の言葉と重なりましたし、
 また、障害走を走った子どもの言葉は、かつての拙ブログの、『子どもの見方が変わるかな。』シリーズを思い浮かべました。
 また、最後の、《家族のように暖かく、支えあいながら暮らして生きたい。我々の願いが一つの家となり、国民の願いとなれば良いのに…》からは、つい最近載せさせていただいた、授業と重なる思いでした。
13. Posted by KY   2008年03月20日 23:27
韓国はネットだと批判されがちですが、あの国の人々のなかには、書物から得る知識を心から愛し、尊重するDNAを持った人がまだ残っているし、親の期待に応えたいという気持ちを持っている子どもも多いですよ。そして、他のアジアの国を見ればさらに顕著ですが、勉強が贅沢だと思っている人々はたくさんいる。映画『always』でもあったけど、サンタクロースに鉛筆をお願いするような子どもがいるわけです。「社会に出たら学校の勉強は役立たない」とか言う大人が多い日本の子どもの意欲が低いのは当然じゃないですかね。信じるものを失った大人に育てられた子どもに、意欲を持てというのは酷といえば酷な話です。
14. Posted by toshi   2008年03月21日 07:18
KYさん
 そうですか。ネットだと批判する人がいるのですか。わたしはネットだってすばらしいと思っているのですが。現にわたしもネットでがんばらせてもらっているわけですから、ネットの信頼性が高まることを祈ります。
《「社会に出たら学校の勉強は役立たない」とか言う大人が多い。》
 そうですね。PISA調査は、そうした日本の風潮に、一石を投じるものだと思います。
 なお、具体的にPISA調査問題を考察してみたいと思っていますので、よろしくお願いします。近いうち記事にさせていただきたいと思っています。
15. Posted by YK   2008年03月21日 18:12
申し訳ありません。私の書き方が誤解を生むものだったかもしれません。言いたかったことは、「インターネット上では、韓国について批判的な論調が目に余る」ということです。ネット自体は素晴らしいツールですし、こうして教育について考える機会を頂けるのは有難いことです。ただ、インターネットの利便性も相手への信頼が無ければ機能しないように、言葉を媒介とする以上は批判にも相応の気遣いが必要だと考えています。
≪PISA調査は、そうした日本の風潮に、一石を投じるものだと思います。≫
PISA調査について、詳しく言及できるほどのものはありませんが、「問題解決型の思考力があるのはいいことだ」という前提を国民が共有しているかどうかが、第一の問題に思えます。問題解決型というのは、日本の教育の悪い部分をかなり明らかにするだろうし、逆に良い部分を失くすというリスクも含んでいるように思えます。
16. Posted by YK   2008年03月22日 01:00
私がPISA調査について思うのは、この調査が問うているのは、思考力というよりは、思考の柔軟性ではないか、と言うことです。率直に言えば、「読み・書き・ソロバン」によって、思考の柔軟性が養われることはありません。読み書きソロバンの発想は、資格試験などには良い教育方法です。そして、普通の試験は、思考の柔軟性がなければないほど受かりやすいです。何故かと言えば、すでに隠された答えを当てるだけでいいから。先生とのコミュニケーションは、答え探しゲームで良いわけです。思考の柔軟性となると、知識があってもいいし無くても構わないが、知識が邪魔になることもありえる。何故かと言うと、状況にニュートラルに対処する必要があるから。既成概念が邪魔になることが多々ありえる。
17. Posted by YK   2008年03月22日 01:14
PISA型の学力と言いましても、状況を理解する能力と、問題を解決する能力が必要とすれば、まず問題となるのは、子ども一人ひとりが問題を認知する能力に(優劣とは別に)差があることを、どう受けとめるかという教員側の問題ではないかと思われます。つまり、さまざまな子どもの認識能力について、それをきちんと理解するための心の準備が、教師側にできているかどうかが重要になってくる。これは、子どもと教師の間にかなりの信頼関係が構築された状況でのみ成立するものであり、方法論化も難しいかもしれない。そして、教育としてはありえても、結局試験で学力が測られるのであれは、このテストの「意味」は何か、ということになりかねない気がします。
18. Posted by YK   2008年03月22日 01:29
そういう意味において、この学習のあり方において重要なのは、教師と子どもが互いに感受性を触れ合えるような環境にあるかという点に尽きる気がします。日本という国におきまして、教育において感受性が最も重要だという認識を国民が共有したことは一度もないのではないかと思います。そういうわけで、個人的にこの学習のあり方について危惧するのは、日本人の精神的な問題に関わるからです。記事の方は是非読ませていだたきます。長々とすいませんでした。
19. Posted by toshi   2008年03月23日 07:52
YKさん
 こちらこそ、すみませんでした。『韓国はネット社会』という先入観があったものですから、つい間違えてしまいました。
《インターネットの利便性も相手への信頼が無ければ機能しない〜。》
 これはほんとうにその通りですね。で、『信頼』に身を委ねていいと思っています。
《先生とのコミュニケーションは、答え探しゲームで良いわけです。》
 これ、痛いほどよく分かります。そして、今の日本は、こうした授業のやり取りが多いのではないか、それではまずいのではないかと思っています。
20. Posted by toshi   2008年03月23日 08:01
《思考の柔軟性となると、知識があってもいいし無くても構わないが、知識が邪魔になることもありえる。》
 これについては、まったく思いを共有できます。ありがとうございます。世間では、『知識あって初めて思考が成立する。』という考えが横行していますから。
《子ども一人ひとりが問題を認知する能力に(優劣とは別に)差があることを、どう受けとめるかという教員側の問題ではないかと思われます。》
 いやあ。もう、ほんとうにおっしゃる通りです。わたしは問題解決学習を標榜するものですが、これはもう、子ども理解なくしては始まりません。なお、『差』もありますが、『違い』もあると思います。
 また、感受性という言葉に、何か、啓発される思いがしました。ありがとうございます。
 今回のYKさんからいただいたコメントで、記事が一つ書けそうに思います。ほんとうにありがとうございました。

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