2007年12月07日

PISA調査からみる日本の授業改革の道は?4

f4013239.JPG 前記事から、本日述べたいことにかかわる部分だけ、再度、抜き書きさせていただきたい。

 わたしがショックを感じたのは、決してランキングではない。ランキングでは、世界10位なのだそうだ。
 しかし、そのようなことより、学ぶ意欲について、世界最低と評価されたことだ。それがショックだった。


 今回、関心・意欲については、科学的リテラシーのみの調査なので、他は分からないが、

 たとえば、

 『科学についての本を読むことが好き』は、36%で、参加した57カ国・地域中最下位。
 『科学に関するテレビ番組を見る。』『科学に関する雑誌や新聞の記事を読む。』はともに、8%で、やはり最も低い。

 そして、理科の授業についてだが、
 『習った考えを日常の問題に応用するよう求められる。』は、11%。
 『クラス全体で討論する。』は、4%で、いずれも最下位。


 他のリテラシーに関して調査したとしても、最下位かどうかはともかく、まあ、低いことは容易に想像がつく。

 新聞報道によれば、文科省は、『小中ではかなり力を入れ、各種調査で関心や意欲は上がっているが、高校はまだそこまで至っていない。』と説明したそうだが、・・・、

 そうかな。中学校だって、似たり寄ったりではないのかな。ちなみにやった時期は、高1の、・・・、それも、蒸し暑い時期のようだから、6月か7月ごろかな。

 このことについては、かねて、『学力低下より、学習意欲の低下だ。』と言われていたから、承知していたが、『ここまでか。』という思いで、ショックだったのである。

 また、授業においても、PISA型学力の観点から見れば、日本の授業は最下位と、子どもによって評価されてしまったわけだ。

 もっとも、新聞は、最下位という、ショッキングな項目だけを書いたのかもしれない。だって、あまりに、『最下位』とか、『最も低い。』とかのオンパレードだし、PISAが、上記項目しか調査しなかったとは思えないからだ。

 このことは、『今後を待たないといけないかな。』・・・。と心で言って、自らを慰めた。

 まあ、いずれにしても、現段階では、意欲も、授業も最下位と書かれたわけだ。


 さあ、どうするか。

 わたしは、これを教員のせいにはしたくないし、ましてや、子どものせいにはしたくない。というより、事実、そういうことではないだろう。

 国の政策の誤り、それが一番。

 社会が変わってしまったのだ。それについていけないのがおもな原因だろう。



 でも、しかし、そのことを論じる前に、わたしは、初任者指導の様子を振り返りながら、授業のあるべき姿を提案したい。


 3年生。国語。『ちいちゃんのかげおくり』の次は、『大事なことをたしかめよう』。そして、お話は、『すがたをかえる大豆』。説明文だ。

 ここに全文を記すわけにはいかないが、できるだけ、読者の皆さんに分かるように書こうと思う。

 例によって、授業時間の2倍から3倍に当たるくらいの教材研究は、初任者とする。しかし、ここでは、ほんの一例しか示さないことを、お許しいただきたい。



 その一例。

 教材文では、

 コウジカビの力を借りてつくるのがみそやしょうゆで、そのあと、みその作り方については簡単に説明している。しかし、しょうゆについては、よく似た作り方としか言っていない。

 そこで、わたしは、初任者に言った。

「ここを子どもたちは問題にするのではないかな。だって、みそとしょうゆは、見た目、まったく違うだろう。それなのに、みそはくわしく書いてあるのに、しょうゆについては、『似たつくり方』としか書いてない。

 片っ方はかたまりで、もう一方は液体だから、納得しない子どもがいるのではないかな。

 もし、
「似ているって書いてあるけれど、みそとしょうゆとでは、つくり方は、まったく違うのではないの。変だよ。」
という意見が出たら、・・・、

 この説明文の次は、『食べ物はかせになろう』で、「もっとくわしく知りたいことは」をとり上げるのだから、そこで、しょうゆのつくり方を調べればいい。そのように子どもの思いを大切にして学習をすすめれば、子どもの意欲は喚起されるだろう。」

 初任者も十分納得して、授業に臨んだ。

 ところが、授業のなかでは、予想に反し、それを言う子はいなかった。



 かわりに、こんなことを問題にした。

 先ほどとり上げた文の直前にあるのだが、それをもとにした、Aちゃんの発言だ。

「なっとうには、ネバネバがあるでしょう。あのネバネバは、大豆をむしてできるのかな。それとも、ナットウキンを加えた後でできるのかなと思いました。」

 しかし、こんなことを子どもがいうとは予想もしていなかったから、教材研究からはもれてしまった。そのため、初任者は、この発言をやり過ごしてしまった。
 
 あとの指導の場面でわたしは言った。

「あれはおもしろいと思ったよ。先生は、素通りしてしまったね。」

「はい。教科書には書いてありませんから、分からないと思いました。」

「そうか。そう思うのも無理はないけれど、『Aちゃんの言ったことは、このお話から分かるかな。分からないかな。』と投げかければよかった。『ナットウキンの力をかりたのがなっとう』とあるから、『ナットウキンを加えた後でネバネバができる』と想像はつくけれど、あくまで想像だよな。

 そうしたら、それをとっておいて、次の『食べ物はかせになろう』につなげればいい。」

「ああ。そうですね。次の学習に生きますね。」

「そう。自分が、あるいは、友達が言ったことだから、一生懸命調べて文章にまとめると思うよ。・・・。でも、まだ、言いたいことがある。」

「・・・。」

「子どもが、『文章からは分からない。』と言ったら、子どもに、『どうして。』と聞けばいい。そうしたら、たぶん、子どもは、
「だって、『ナットウキンを加えるとネバネバができます。』とも、『むすとネバネバができます。』とも書いてないから、分からない。」
と答えるだろう。

 そうしたら、先生は、次のように言うことだな。
「他に大豆をむした話はないかな。もしあって、それにネバネバがなければ、ナットウキンをくわえたあとでネバネバができることになるわね。」

 もっとも、ほんとうは、これを子どもが言い出すくらい、子どもをきたえておきたいものだ。

 でも、まあ、いいや。子どもから出なければ、先生からそう投げかけるといい。

 そうすると、子どもは、一生懸命、文全体を読むだろう。このクラスだったら、『むす。』『むす。』『むす。』なんて口ずさみながら読みそうだ。・・・。

 あとは、概略を言うけれど、子どもたちは、そうしながら、『にる。』『こなにひく。』『すりつぶす。』『いる』『ゆでる。』などという調理法があることを知る。

 そして、やはり、『むす。』は、ここにしかない。他には載っていない。

 だから、『Aちゃんの提起したことは、他の本で調べないと分からない。』ということになるね。・・・。

 でも、どうだい。この学習活動を通して、お話の後の『学習』欄にある、『おいしく食べるくふう』『食品』の表ができ上がっていくと思わないかい。」

「あっ。ほんとうだ。そうですね。・・・。そのようにして、この表ができれば、子どもたちは楽しいでしょうね。」

「そうだよな。ただ、『表を作りましょう。』と言ったって、それでは無目的だ。表をつくる意味がない。学習のための学習になってしまっている。おもしろいわけはない。

 しかし、Aちゃんの発言を受け、『ネバネバのできる訳は分かるかな。』という思いで表ができれば、それはちゃんと目的を持っているから、楽しく学べる。」


 以下、詳細は略すが、段落分け、要約、小見出しつけなども、このような流れの中で扱えば、学ぶ必然性が出てくる。



 もう一つ簡単な例を挙げよう。

 多くの先生は、新しい学習に入ると、すぐ段落ごとに、番号をつけさせる。その目的も言わずに。

 だから、子どもは、機械的に番号をつけていく。無味乾燥だ。


 これなど、番号をふらずに学習に入ればいい。

「〇〇って書いてあるでしょう。」
「えっ。どこ。どこ。」
「ほら。ここだよ。」
「わからないよ。何ページよ。」

などと、こまらせればいい。

 そうすれば、子ども同士で、
「番号をふろうよ。楽でしょう。」
「簡単にどこを言っているか分かるね。」
「そうだね。『段落の7番を見てください。』って言えば済むものね。」
「〇ページの〇行目などというよりらくだね。いちいち行数を数えなくてすむもの。」
などと言うようになる。いや。そういうようになる学級を育てたい。

 そうして、『段落ごとに番号をつけると便利だな。』と実感しながら、学ぶことになる。


 これで、授業の一提案を終わりにしよう。

 以上、るる述べてきたことは、PISA型読解力に直結する学び方であると言えよう。
 実用的な学力、生きて働く学力、生涯を通して使える学力を養っていると言ってよい。

 そして、何より、子どもの切実性、必然性を大切にしているから、学びが楽しくなる。主体的な学びになる。

 これまでも、授業風景を折にふれて掲載してきたが、

〇討論は豊富にある。
〇資料等を根拠に話し合い、価値を深め合う。
〇学び方を習得することは応用がきくという考え方で取り組む。
〇何のために調べるか、何のために見学に行くか、今日引用した説明文なら、何のために表をつくるか、そうした目的が子どもに明確になっている。



 さて、国の政策に戻る。また、教員へも一言。



 これまでも、子どもが主体的に学ぶ授業をいろいろ紹介してきた。

 こうした授業を保障しない限り、子どもの学びへの意欲は喚起できないだろう。

 それには、まず、学校の自主的な取組を保障しないといけない。そうしないと、上記のような授業はなかなかできない。
 締め付けでは、学力は低下する。これは、シュライシャー氏の報告にあった通り。

 教員もがんばろう。

 子どもを受身に追いやったり、ノルマを課すような変な宿題を出したり、徹底した反復ドリル学習をさせたりしたのでは、子どもの意欲はなえるばかりだ。

 また、だんだん受験などの外発的動機付けのきかない時代になっていく。子どもの内面からほとばしり出るような、つまり、学ばずにはいられないといった気概を養う必要がある。それには、内発的動機付けを大事にするしかない。

 そこに焦点を定めて、政策を立案してほしい。



 そこで、前記事の国への提言を、再掲させていただく。



 日本は、子どもを学ぶ気持ちにさせることに、完全に失敗している。したがって、そこに焦点を定めて、改善策を検討しなければならない。

 
〇受験本位の教育システムを改善する。

〇授業改善が急務だ。
   習熟度別授業をやめ、教員の授業力アップを図るなかで、低位グループの引き上げを図る。

   そのために、教員を雑務から解放する。授業に専念できる体制にする。中学校の部活動は、社会教育にゆだねる。

  並行して、内発的動機付け重視、子ども主体の学習など、授業力アップのための研究研修体制を強める。あくまで現場本位、実践重視の体制ですよ。

   学校が主体的に、教育活動に取り組めるようにする。

   そうした観点での査定なら、賛成する。

〇家庭教育の重要性を認識できるようにする。

   ただし、家庭に対しストレートにお説教しても、改善は望めない。あくまで、上記取組のなかで、学校への信頼を高めることを通して、家庭教育が改善されるという考えで取り組む。

(なお、この家庭教育の項については、前記事『PISA調査2006結果報告を受けて』のコメント欄に、補足を載せています。きくちRさんへのお返事。4番から6番までです。)
 
 
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 すみません。本文で言い足りなかったことを補足させていただきます。

〇誤解のないようにふれておきますが、一人の子がいい問題を提起すれば、即、とり上げようというのではありません。本文では省いてしまいましたが、それを多くの子の意識にまでもっていく努力は必要です。

〇どんなに教材研究しても、本事例のように、なかなか思い通りにいくものではありません。そこが、問題解決学習の苦しいところであるし、同時に、おもしろいところでもあります。

〇『食べ物はかせになろう』は、『すがたをかえる大豆』を受け、もっと知りたいことと言っているのですから、これは教材文を離れることになります。いわば、国語学習の総合化と言えるでしょう。前に紹介した教科等の総合化の学習になります。

 教科書では、図書室にある本などで、調べる学習を推奨しています。しかし、これも、本論にあるように、無目的でない調べ学習にしたいものです。

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rve83253 at 16:45│Comments(0)TrackBack(0)PISA | 国語科指導

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