2007年12月16日

世界標準の学力へ4

63990d2d.JPG 前記事『今なぜコアカリキュラムか。』のコメント8番にも書かせていただいたが、

 文科省は、『総合的な学習の時間につちかう学力は、世界標準の学力です。』と言う。『だから、時間数は減るが、軽視してよいということではありません。』とも言う。
 さらには、『日本中の実践校による、これまでの積み重ねがあるので、今後、学習内容、方法等は、さらに明確になっていくことでしょう。』とも言った。


 一瞬、分かっているのだなと思う。

 これは、まさに、PISAのことを言っている。PISAが指し示す学力。それこそが、世界標準の学力ということだろう。


 それでは、その学力とは、

 一つ目。

 わたしたちは、子どもたちに、問題解決力、思考力、判断力といった学力を養わなければならない。

 基礎・基本は重視しなくていいとは言わない。そういう主張もあるが、わたしは、それをとらない。両者は車の両輪だ。同時進行的につちかっていくのだ。

 これについては、かつて、KGさんが、拙ブログに、とても印象に残るコメントをお寄せくださった。『10月25日の全国学力検査の結果公表で』のコメント13番だが、

 学者の論調を紹介してくださった。

《学力には「下から積み上げる学力」と「上から引上げられる学力」があると言っておられます。
 具体的には、漢字を100回書き取りするよりも、作文をして漢字を使う中で覚えていく。
 台形の面積について完全には理解できなくても、それを理解していく過程で三角形についても理解が深まるなど。(上位概念を理解する過程で下位概念が補強される)》
《九九を暗唱できなくても割り算の授業に参加でき、割り算を理解していく中で九九も覚える。》

 
 そして、もう一つ。大事にしたい学力は、

『心を育む教育』も力を入れなければいけないだろう。

 これも『総合の命』であることは、つい最近も、授業記録を掲載させていただいた。

 

 文科省が、冒頭の言葉の通り、一枚岩でがんばってくれるならいい。未来はばら色だ。

 しかし、文科省は、どうも、相反する二兎を追っているようだ。毎度お得意の、国の無定見。・・・。今回もその域を脱しないようだ。


 上記のように言いながら、つまり、

『生き方の教育はこれからも重視します。それは何も変わりません。』と言いながら、総合的な学習の時間は減らされる。

『読み・書き・そろばん』的な意味での基礎・基本の徹底が言われる。

 そして、驚いてしまったのだが、

『日本の教育はこれでいいのかな。』今日さんのブログを読ませていただくと、新指導要領では、『暗唱』なるものが盛り込まれるらしい。



 暗唱。

 それが、『世界標準の学力』とどう結びつくのだろう。どうも日本の有識者と言われる方々の頭のなかは分からない。


 もとより、わたしは、暗唱を全否定するわけではない。

 一生懸命勉強していたら、自然に覚えてしまっていた。そういうものなら、大いにけっこうだ。それなら、子どもの意欲的な学びのなかで、自ら獲得する力だから、PISAのいう学力と一致する。

 わたしたちは、気に入った歌があるとき、誰から言われなくても、無意識のうちに自然に覚えてしまうものね。まさに生活のなかにおける、生活に潤いを与える、『暗唱』だ。

 教室のなかでも、そういう姿は大いに見られる。低学年など、教科書の物語くらいだったら、全文覚えてしまって、得意になって暗唱するというのは、よく見る光景だ。

そうしたら、
「すごい。一生懸命勉強したら、自然に覚えちゃったのだね。」
「覚えちゃったからこそ、登場人物の気持ちになりきって、まるで劇をやっているかのように、お話できるのだね。」
などと言って、ほめてやればいい。暗唱の輪は広がっていくというものだ。


 しかし、国が言っているのは、そういうことではあるまい。

 100マス計算、徹底反復ドリル学習など、これまでの、日本の教育のありようを見ると、また、暗唱も、同じ道をたどることになるだろう。覚えるまで、徹底して練習させる。子どもはますます学ぶ意欲をなくす。


 ああ。現状、日本は、学ぶ意欲が、世界最低なのだよね。これ以上、学ぶ意欲を喪失させて、どうするというのだろう。もっと、意欲喚起に焦点を定めて、学習内容を決定してほしいものだ。



 そう。こういう論があるね。

「今は、意味も分からず、暗唱するのかもしれない。しかし、大きくなって自然に、あのとき、一生懸命暗唱したあれは、こういう意味だったのかと気づくときがくる。教育というのは、そのように息の長いものだ。」

 それは一面の真理ではある。それがほほえましいエピソードとして語られるのならいい。

 しかし、それは、ある人に、偶然、やってくるかもしれないし、来ないかもしれない程度のことだ。そんなたよりない教育観で、世界最低の学ぶ意欲が克服されるとは到底思えない。


 ああ。早く、世界共通仕様の学力観を身につけたいものだ。


にほんブログ村 教育ブログへ

ninki



 わたしは、KGさんからいただいたコメントで、忘れられないものがあります。

 今の日本の大人こそ、PISA型読解力、問題解決的手法を身につけなければいけないと読み取れるコメントです。

 KGさん、ごめんなさい。無断で借用させていただきます。

《おそらく一番の問題点は、やはり「生きる力」とは何か?ここを文科省・教育委員会・学校関係者らが、うまく説明できない事に尽きるのではないでしょうか?
 校長先生もイメージとしては何となくつかんでおられるのですが、同時に保護者には「生きる力とは何か?」と全く伝えられておらず、上手く伝えられるほど明確につかんでいない事を感じました。
 PISAは、生きる力→リテラシー→プロセス・スキルと細かく落とし込み、逆にプロセス・スキルがリテラシーを構成し、リテラシーを育てることが結果的に生きる力につながるという事で生きる力と学力の関係が明確になります。
 まず文科省自体がこの構造をはっきり理解し、それを一般の教員や保護者にわかる言葉で説明できなければなりません
 総合学習削減や反復の徹底などという言葉が出てくる間は、文科省や中教審自体がPISA型読解力が足りない証拠でしょうね。
 教育再生会議はもう論外でノーコメントです。》

《昨今はモンスターペアレンツ(という言葉は好きではありませんが)という言葉が取り上げられていますが、これは価値観が多様化する今の社会の中で、保護者も学校も両者が意見のすり合わせ(合意形成)ができなくなってきた1つの現れかと思います。
 全ての問題を教育に帰する事は避けなくてはいけませんが、しかしこれは一方的な教師や親からの教え込みで育ってきて他人の意見を尊重する事を知らずに大人になった人が多い事を示しているのではないでしょうか。》

 長年、教育に身をおいてきたものとして、身につまされます。反省です。

 すみません。反省のなかでお願いするのも、気が引けるのですが、できれば、上記バナーの1クリックを、・・・、お願いできますか。

rve83253 at 12:58│Comments(24)TrackBack(0)教育観 | 指導観

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by KG   2007年12月17日 10:02
私のコメントをここまで取り上げて頂いて身に余る光栄です。

「今の日本の大人こそ、PISA型読解力、問題解決的手法を身につけなければいけない」

これは学力低下論を自分なりに調べていくうちに、非常に痛感してしまいました。

例えばの話しですが、今の日本は疑似科学(というよりはエセ科学ですが)でも非常にすんなり信じられやすい社会です。
血液型占いなんていうのも代表的な疑似科学でしょう。
果てはメディアが率先して「スピチュアルブーム」を演出する始末。
子供の数学的・科学的リテラシーが低下したのは問題だ、と言える資格のある大人の方が少数派かと思います。

「世界共通仕様の学力観」というのはいい言葉ですね。
学力ではなく、学力観。

さらに「無理をする」が語源で終わりのある「勉強」から、終わりのない「学び」への転換が必要でしょうね。
勉強という言葉が一般的なうちは学習意欲はあがらないでしょう。
2. Posted by toshi   2007年12月17日 15:50
KGさん
 この血液型とか、星座とか、これはもう、日本においては、相当根深いものがありますね。
 わたし、初任者の学級に入っているわけですが、子どもたちと出会うと、必ずと言っていいほど聞かれます。
 科学的態度を養うことの大切さ、切実さを、強く感じます。
 科学的態度、問題解決力、生涯学習力、自己肯定感、意欲的な学びなど。これらはいずれも、相互に関わり合っているように思います。
 
3. Posted by ドラゴン   2007年12月20日 16:04
はじめまして。

教育に関わるところにおります。
亀@渋研Xさんのところで拝見して、参りました。
たいへん勉強になりました。

ただ、文部科学省を弁護するわけではないんですが、中教審や指導要領作成メンバーもみなさんに近いところの教育観だと思います。教育の目標として「生きる力」を打ち出したところにそれが現れているのではないでしょうか。
しかし、社会がテストで計れる学力しか関心がないので、その社会の要請から、後退してしまっているのだろうと理解しています。
あまり、長い文が書けないようなので、連投になりますが、ご容赦ください。
4. Posted by ドラゴン   2007年12月20日 16:28
ある方から聞いた話ですが、有馬氏が文部大臣になられたときに、識者が呼ばれて説明を受けたそうです。その際に、「総合的な学習」や「生きる力」についても説明したそうですが、結局は最後に、「それで学力は上がるの?」と質問されたそうです。当時の有馬氏の頭にある学力は、「見える学力」しかなかったような印象だったそうです。
東大総長まで務めた有馬氏がそのような認識ですので、中教審も突っ走るわけにはいかないだろうと思います。
そのようなわけで、私は、なんとか社会が「生きる力」的な学力観を理解してもらいたいと願うのです。まさにKGさんが書かれた「学び」を社会が認めるようになってほしいのです。
もう教育界内部でどうこうできることでなくなっているように思います。
5. Posted by KG   2007年12月20日 18:11
久し振りに有馬元文科大臣について検索してみたら、あるインタンビュー記事の中で面白い事を発見しました。
今はOECDのPISA調査によって子供の学力について大騒ぎになっていますが、OECDは1991年度から35才を対象に「一般市民の科学の理解度調査」というのを10年単位で行っているそうです。91年に35才という事は、中学生当時はIEAの調査で世界トップだった頃ですが35才ともなると14ヶ国中13位だったそうです。2001年度もほぼ同様な結果だったとか。
この調査の正式版は発見できませんでしたが、中教審でもかつて言及されたようです。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/gijiroku/014/05022201.htm
6. Posted by KG   2007年12月20日 18:35
「生きる力」については、他記事のコメントでも述べましたが文科省が配布した教員向けの資料(中教審まとめ)でも明らかに説明不足です。(ドラゴンさんが文科省関係者でしたらごめんなさい)

例えば成人の大半がもう忘れているような因数分解や二次方程式、これがどうして「生きる力」につながるか、うまく説明できるでしょうか?
私は数学は精緻な論理体系だと思っています。因数分解や方程式を解こうとする過程で、論理力(専門家が語ればもっとたくさんのスキルが出てくるかと思います)が養われると思います。
論理的に物事を考える、判断する事ができる、表現できるというのはコミュニケーション力や色々なものにつながっていくと思います。勝手ですがこういう風に理解しています。
全てとは言いませんが主要なカリキュラムがどのように「生きる力」に収斂するのか、そこの説明の仕方次第かと思います。
7. Posted by macfan   2007年12月21日 04:52
 こだまさんのところから来ました。確かコメントは2回目かと思います。
 PISAの調査結果に関する報道や、時数増加の動きなどに疑問を持っているのですが、先生のブログを読ませていただいて、目からうろこというか、腑に落ちたというか、そんな感じで、きのうはとても衝撃的な日でした。
 疑問を持ちながら日々子どもたちとの授業、その他の公務をこなしていくことに疲れ、やる気を無くしていましたが、先生のグログでがんばろうという気持ちになりました。
 でも、暗唱まで出てくるとは。
> ああ。現状、日本は、学ぶ意欲が、世界最低なのだよね。これ以上、学ぶ意欲を喪失させて、どうするというのだろう。もっと、意欲喚起に焦点を定めて、学習内容を決定してほしいものだ。
 本当ですね。
8. Posted by macfan   2007年12月21日 05:04
(つづきです)
 明日(もう今日ですが)の終業式は教務のわたしが提案をつくったのですが、教頭にみてもらっている間、わたしが出張になり、いない日の朝会で教頭が替わりに提案したそうです。
 式の途中で学年の代表の子どもが、2学期にがんばったことを発表するのですが、なるべくメモを見ないでということになったようです。メモを見ず言えたほうがいいのでしょうが、3・4年生のレベルでメモを見ないでとなると、一字一句を覚えて暗唱になります。言いたいことのアウトラインを頭に入れてメモを見ないで発表ならいいのですが、暗唱では意味がないと思うのです。
「先生、見ちゃいけないんですか」という困惑した子どもの顔が浮かびます。そう言うに決まっています。意欲がなくなると思うのですが。
9. Posted by ドラゴン   2007年12月21日 09:54
KGさま
私は文部科学省には関わっておりませんのでご安心ください。ご指摘の説明不足と言うところは私も同感です。
二次方程式や因数分解については、これは内容であって目標ではありません。
「数量,図形などに関する基礎的な概念や原理・法則の理解を深め,数学的な表現や処理の仕方を習得し,事象を数理的に考察する能力を高めるとともに,数学的活動の楽しさ,数学的な見方や考え方のよさを知り,それらを進んで活用する態度を育てる。」これが数学の目標です。
これを達成するために必要な能力の一つとして因数分解や二次方程式が使われるのです。極端なことを言えば、事象を数理的に考察する能力が身に付けば、二次方程式の解法は忘れてもOKということです。あくまでも極論ですが。

10. Posted by ドラゴン   2007年12月21日 10:03
連投失礼します。
昭和52年の指導要領の数学の目標には、
「事象を数理的に考察する能力を高めるとともに,数学的活動の楽しさ,数学的な見方や考え方のよさを知り,」という文言がありません。逆に言うならば、この部分が、新しい学力観や生きる力に結びつく部分でしょう。
特に「数学的な考え方」が出たことは非常に重要だと思います。要は、計算練習ばかりではダメだよ、ということです。これもちょっと極論ですが。
こういう部分は、指導要領を読んだだけでは分かりにくいですね。その意味で、文部科学省ももっと説明する必要があったのだろうと思います。
11. Posted by ドラゴン   2007年12月21日 10:11
目標と内容に関わって、もう一つ失礼します。
多くの人は、教科は自然発生的に「ある」ものだと思われていますが、これは、学校教育法や指導要領で政策的に作られたものです。
学校教育を通して、子どもをどのように育てたいという目標(今で言えば生きる力)を身につけるために、どのような内容が必要かを考えられたものが教科です。効率よく内容を教えていくために考えられたものが教科です。前々回の中教審では、国語と数学を合わせて記号科を作ったらどうかという議論もありました。
ところが、多くの人(保護者)は、教科そのものを目標としてしまい、子どもが生きる力を獲得したかどうかよりも、教科の成績に一喜一憂してしまっているんだろうと思います。その歪みが、あるのだろうと思うんです。
12. Posted by ドラゴン   2007年12月21日 10:16
暗唱にかかわって連投させてください。
前に書いたように、目標と内容はきっちり考える必要があると思います。

暗唱も否定しませんが、暗唱を通して、子どもにどんな力をつけるか、その目標がしっかりしていないとやらせただけ、子どもに苦痛が残っただけになるでしょう。
実際、暗唱そのものが目的となっていて、暗唱できたことだけで満足してしまっている取り組みが多いように感じるのです。
これは、百ます計算でも同様に思います。
13. Posted by toshi   2007年12月21日 12:39
ドラゴンさん
 『文部科学省がどうこうよりも、世論の方がテストで測れる能力しか関心がないので、』とおっしゃっているのですね。そう言われればそうかもしれないと思います。と言いますのは、そこに国の無定見が現れているとも言えるからです。
 ただ、今回中教審のメンバーには、徹底反復などで有名な方がいらっしゃるものですから、わたしは、このブログにいろいろ書かせてもらっています。中教審の委員に、一ブログではとても歯が立たないでしょうが、それでも束になればね。いや。もうなっているのです。力強い思いもしています。
《私は、なんとか社会が「生きる力」的な学力観を理解してもらいたいと願うのです。まさにKGさんが書かれた「学び」を社会が認めるようになってほしいのです。》
 またまた、力強く感じます。ありがとうございます。
14. Posted by toshi   2007年12月21日 12:46
KGさん
 わたしはずっと小学校畑ですので、因数分解や二次方程式がどう『生きる力』にかかわるかと言われると、一瞬身を引いてしまうのですが、でも、おっしゃる通りと思います。『論理的思考力』ですよね。
 これ、確か、『道草学習のすすめ』のこだま先生がおっしゃっていたのだと思います。
 ごめんなさい。ちょっとリンクができなくて。
15. Posted by toshi   2007年12月21日 12:54
macfanさん
 ほんとう。現場はつらいですよね。現場も一枚岩とはいえない状況がありますね。そこに校長のリーダーシップが大切になってくるのですがね。しかし、その校長もいろいろいたりして。
 でも、思います。現場は、声を大にして叫ばなければいけないけれど、でも、だから、仕方ないとはならないわけで、そのなかで、子どもが主人公の学校となるようがんばらなければならないわけです。
暗唱にしても、強制的ではなく、あくまで、努力したらほめるという方向でいきたいですよね。目を宙に泳がせ、思い出し出し言うのと、完全に覚えてしまい、表情豊かに言うのとではまったく違うわけで、そんなほめ方ができるのもいいですね。とにかく、意欲を育むのだという観点だけは、大事にしたいものです。

 まずは、自分の学校から。そして、一ブログから、地道な努力を積み重ねていきましょう。
16. Posted by toshi   2007年12月21日 13:04
ドラゴンさん
 《要は、計算練習ばかりではダメだよ、ということです。これもちょっと極論ですが。》
 横から失礼します。
 わたしはこの部分はちっとも極論とは思いませんでした。小学校もまさにこの精神でやっています。
 3年生の国語に『分類すること』というのがあります。
 一人の子が、『一つに分類する。』と言いました。多くの子が、『一つでは分類になっていない。』と反論しました。すると、こう言ったのです。
 『それなら、掛け算九九の一の段は、九九じゃないの。』
 一つでは分類にならない(分けたことにならない。)と言うのなら、一の段だって掛けたことにはならないだろう。そうすると、九九でなくなる。
 そう言いたいのでしょう。
 初任者の授業で、初任者は面食らっていましたが、わたしは、まさに、この子は、国語の時間に数学的見方をしているのだと、うれしくなってしまいました。すごい子を育てています。
 さて、正答は、国語ではこう、算数ではこう。それしかないのではと言いましたが、・・・、それでいいかな。
17. Posted by toshi   2007年12月21日 13:08
教科論も楽しく拝読しました。もうおっしゃるとおり、子どもの生活にとっては、教科など、必然性がありません。ですから、生活科、総合、古くはコアカリキュラムとなるわけで、やはり、子どもの生活そのものを見ようとすればするほど、教科ではくくれなくなっていくのですね。
18. Posted by KG   2007年12月21日 15:13
ドラゴンさん。レスありがとうございます。
文部科学省が「事象を数理的に考察する能力」というような表記をもっと生活に密着した表現で一般にアピールできればいいんですよね。

toshi先生。いきなり因数分解やらを持ち出してすみません。でも数学を忘れてしまった大半の大人が聞いただけで身を引くような「因数分解」(方程式でも微分・積分でも何でもいいんですが)がどう生きる力とつながるのか理解できれば、その分インパクトが強いだろうなぁと思って因数分解を出しました。

ドラゴンさんのレスを読んで、やはり目的と手段の取り違えが多いのだと再認識できました。教育現場に限った話しではないんですけどね。目的と手段の取り違え=手段の目的化は人間心理が陥りやすい錯覚だとは思うのですが、そうならないためのPISA型リテラシーなんでしょうね。
19. Posted by toshi   2007年12月23日 06:33
KGさん
 そう言えば、因数分解にしても、二次方程式にしても、こんなのが将来の実生活にどう役立つのだということは、むかしからよく言われていたなと思い出しました。
 論理的思考力を養うことが目的と、そして、それこそが実生活に役立つのだと思いますが、そういうためには、単なる技能として、つまり解法だけを目的として学ばせた場合は、論理的思考力と結びつかないわけですね。
 こういう教育が日本では多くないか、危惧するものです。受験教育の弊害がここにも現れていますね。
20. Posted by 柴田勝征   2009年08月22日 11:12
5 toshi先生、「世界標準の学力へ」ですか。いやーっ、まいりましたね。実は、私、3週間前に広島大学理学部に招かれて、高校教科「情報」教職科目の授業をやったんですが、その中のテーマ「日本人のメンタリティー・西洋人のメンタリティー」についてのまとめの結論として、「世界標準(PISA)に世界を支配させてはならない」ということを理解させたのですが... (^o^);
<http://www1.rsp.fukuoka-u.ac.jp/kototoi/2009_08.html#408go>
 その後の成績評価用のレポートを読んでみると、学生さんたちもよく自分の頭で考えて、PISAテスト企画者の西洋流実利主義的な考え方が、日本人の伝統的な思想・価値観やイスラム社会の倫理観にあわないことを理解してくれたように見えます。
21. Posted by 柴田勝征   2009年08月22日 11:15
 私がひごろ教えている大学生たちは、あと半年後、とか1年半後には社会に出てゆく人たちであり、すでに何回も企業の採用面接を受けたり、教員採用試験の勉強の真っ最中の人たちです。「生きる力」とは、まず何よりも当面の就職試験に勝ち抜いて、職を得て、自分の労働によって自分の生活費を稼げるようになることのように見えます。私はこのような「就活」の対策にも力を入れていますが、同時に、「社会に出て、生きてゆく力」という時の「社会」とは、具体的には、人間の限りなき欲望を駆動力とする「グローバル資本主義」の社会であり、その中で「生きる力」とは、そのような強欲資本主義の中で潰されずに生き残る力であると教えています。
22. Posted by 柴田勝征   2009年08月22日 11:17
同時に、そのような「社会」の「経済利潤第1主義」「ちから(資金力)こそすべて」の風潮に流されることなく、心の中に批判的精神を持ち続けることが、人間としてあるべき道である、ということを抽象的にではなく、具体的な教科「情報」の教材の中で、できるだけ学生たち自身の頭と感性によって理解・納得できるように努力しています。小学校での「生きる力」は、ある程度、遠い将来への準備教育という感じもありますが、大学生にとっての「生きる力」とは、まさに半年後とか1年半後という直近に迫った実社会での職場での生き方・働き方の能力なのです。
23. Posted by toshi   2009年08月23日 15:28
柴田勝征さん

 いやあ。ごめんなさい。
 そのような授業をなさったあとでの拙ブログ紹介だったわけですね。

 でも、柴田さんのおっしゃっていることも分からないわけではありません。実は、柴田さんが主張されるような学力も大事にしながら、なお、巨視的に見る目も必要と思うのです。

 なお、なぜ、『世界標準の学力』が大事かといいますと、地球は小さくなり、人類共通の課題がふえてきたという点にあります。地球環境、経済危機、戦争、貧困など、など。
 とても、一国で解決できる問題ではありません。そういうとき、各国の学力観がばらばらで、水と油のまま放置していいとはならないわけです。

 OECDの果敢な取組も、そこから生まれたと言っていいでしょう。なお、これは、『世界標準の教育行政を考える。』と言ったらいいでしょうか。そのような記事も過去に書いたことがあります。よろしければご覧ください。
 
24. Posted by 柴田勝征   2009年08月24日 10:24
ご回答、ありがとうございました。貼り付けてあったURLの「全国学力テスト」についての論評も興味深く拝読させていただきました。

コメントする

名前
URL
 
  絵文字