2007年12月30日

ゆとり教育、是か非か。(日本の悲しい『さが』)4

ea3afd23.jpg 最初にお詫びを。

 申し訳ありません。前号で予告した、『問題解決学習の問題点』については、しばらくおあずけとさせてください。

 というのは、一昨日未明、NHKの討論番組、『夜どおしナマ解説』というのがあって、『ゆとり教育、是か非か』という討論をしていたので、ここでは、それを聞いての思いを書かせていただきたい。


 大筋においては、わたしが拙ブログにおいて主張してきた点と共通した理解がなされていて、『よかったな。』と思った。

 すなわち、『ゆとり教育に罪はない。むしろ、ゆとり教育は推進していかなければならない。』という主張が強かった。

 国は、『生きる力』の看板を下ろしてはいないが、その大切さを、今後ますます訴えてほしいものだ。


 おもしろかったのは、

「わたしはゆとり教育反対です。」
と言っている方のなかに、
「とり入れるのが性急過ぎた。大学受験体制には一切手をつけないで、それで、ゆとりなどと言ったって、実効の上がるわけがない。まずは、そこから手をつけるべきだ。そうすれば、大きな成果が上がるだろう。」
という論があったこと。

 これなど、わたしとまったく共通する認識で、ゆとり教育そのものには賛成なのではないかと思えた。


 これまでの記事の繰り返しとなるが、

 『読み・書き・ソロバン』的学力に、問題があるのではない。活用力、問題解決力、判断力、意見表明力など、そういう学力に問題があるのだ。
 だから、断じて詰め込み教育に戻してはならない。ゆとり教育を推し進めるなかで、改善を図る。
 正しいゆとり教育にもっていく。すなわち、子どもの生活や思いを大切にして学習を進めることが、ますます重要になってくる。

 もう、これからは、ばかげた、『読み・書き・ソロバン』的学力のつめ込みが大切などという論は引っ込むのではないか。何よりヒステリックな学力低下論は、かげをひそめるのではないか。

 そう思えたことはうれしかった。


 冒頭、現状における日本の大学生の問題として、『言葉の少ない大学生』『他人に分かるように話すことのできない大学生。』が語られた。そういうのが蔓延しているというのだ。

 そう言えば、むかし、『分数の計算のできない大学生』というのが話題となったっけ。

 もし、今、『読み・書き・ソロバン的学力は豊かにもっているが、コミュニケーション能力の欠如した大学生』と、『分数の計算はできないが、豊かな人間関係をきずいている大学生』とがいた場合、どちらの方に問題性が高いのかな。

 いや。これは仮定の話ではない。こういう例はあんがい多いのだ。

 PISAは、『将来の実生活に役立つ学力を、どう学校が養っているか。それを測っている。』と言っているのだよね。もう、答えは明瞭だろう。


 余談だが、

 わたしは、両者は車の両輪。双方とも大切と言っている。しかし、その、『大切の思い方』が、多くの方とは違っていると思っている。

 わたしは、『好きこそものの上手なれ。』つまり、学ぶ意欲、自己教育力、生きる力を身につけさせることが大事で、そうすれば、つめ込みなどしなくても、『読み・書き・そろばん的学力』は、後からついてくる。
 そういう考え方だ。

 そしてこれは、表現こそ違え、PISAの考えでもある。(シュライシャー講演録 P4の右側及びP5の右側)



 NHKの討論に話題を戻そう。

 ほぼ、いい討論をしているなと思ったが、それでも、いくつか問題点はあった。

 『世界最低の学ぶ意欲』については、ほとんど語られることがなかった。それは残念だった。ここまで掘り下げれば、つめ込みと相まって、無意味な反復訓練ドリル学習がいかに、学ぶ意欲や考える力を低下させているかの分析がなされると思ったが、それはなかった。

 いや。それどころか、『反復訓練によって、学力はつく。』と本気で思っている方もいらっしゃった。これだと、日本式テストの点数はよくなるかもしれないが、PISA調査のような学力は、低下し続けますよ。つまり将来の実生活に役立つような学力は低下し続けますよと言いたい。

 そう。そう。こう反論した方がいらした。

「そういう学力は底が浅くて、そのときは、よい成績で身についたかのように見えても、すぐはがれ落ちてしまうのです。けっきょく身につかないことが多いのですね。」


 もっとも、問題解決学習という言葉こそ出なかったものの、

「子どもって学ぼうとする意欲は旺盛ですよ。『なぜなの。』『どうしてなの。』と盛んに聞いてくるものです。そういう子どもの学ぼうとする意欲をうまく引き出す指導力を、教員には身につけてほしいと思います。」
などという、すばらしい発言も見られたのは、心強かった。


 もう一つ、問題と思ったのは、習熟度別授業の弊害が一切語られなかったこと。これももう、結論はでているのだから、ぜひおさえてほしかった。



 外国の教育事情も、いろいろ語られていた。

「フィンランドの教育事情がよく語られるが、これは、『高福祉社会の実現』という政策をとるなかで、そのなかの一つとして教育が位置づけられているのだから、その教育の部分だけ切り取って、さあ、日本もそうあるべきだと言っても、それは無理というものだろう。」

 言わんとしているところは分かる。高福祉社会を目指しているから、ものすごい税金だものね。だから、国民にとっては、その分逆に教育にお金がかからない。そういう意味では、そこまで見つめない限り、日本がまねのできない面はあるが・・・、

 しかし、日本よりはるかに授業時数が少なく、学校の自主性、主体性が認められている状況で、教員の指導力も高く、ゆとり教育が見事に成功していることは間違いないことで、そこから学べることはいくらもあるだろう。

 フィンランドは、『読解力』を養っているという。しかし、ここで言う『読解力』は、日本で言うそれとは違う。冒頭に述べた、日本が苦手とする、活用力、問題解決力、判断力、意見表明力などを指している。


 わたしの知らないことも語られていた。

「イギリスでは、学力検査の点数によって教員が評価される。それが査定にまで響くため、教員はシビアになっている。それで、今、大問題になっているのは、教員の志望者がものすごく減ってしまって、定数が埋まらない状況がある。いい教員がほしいとして始めた取組だが、皮肉にも逆な結果となっている。」

 ああ。これなど、どこかの都道府県を思い浮かべてしまった。解答の漏洩なども起きているのかな。


 日本の教員のおかれた状況というのも、話題になった。このなかではわたしの知らなかった事実がいくつか語られていた。勉強になった。

 日本の教員は、授業以外に、拘束される時間があまりに長いということ。外国から来た教員が驚くのは、このことらしい。『わたしたちは授業が終われば自由に帰れるのに、日本の教員は授業以外の仕事の何と多いことか。気の毒だ。』(もっとも、注釈させていただきたい。早く帰れるのは、こういう国の場合、教員だけではないのだよね。)

 そして、この、雑務に関しては、国も反省しているらしい。『統計調査などは、極力減らす方向で。』と言っているらしいが、さて、どうなるか。


 でも、ほんとうに大変なのは、中学校の部活だよね。土、日もない。

 このこともほとんど語られなかったが、こんな、教員が授業に精力を傾けられない状況を放置して、学力向上などあったものではない。教員の授業力アップも期待できない。


 生徒指導、生活指導で大変?

 でも、これは、授業で、どの子も意欲的に学ばせる技術を身につければ、絶対解決できる。

 少なくとも、無意味な反復訓練ドリル学習や変な宿題に力を入れれば、いじめは増えるし、学校は荒れるし、学力どころではない状況に陥ること間違いなし。(もちろんそれだけが原因と言いたいわけではない。)これは、現状を変えない限り、ますますひどくなるだろう。

 そういうことのないように、教員の授業力アップをねらっての研究研修体制は、大いに盛り上げるべきだろう。正しい査定なら、それもいとうものではない。


 驚いたのは、この討論でもまた、教員の授業時数に関して、おかしな資料が提示されたことだ。これまで拙ブログでとり上げたことはないが、それは、あまりに嘘八百。それが明瞭だったからだ。論評するのも馬鹿らしい。そう思ったからだ。

 でも、それが、この番組でまた提示された。

 どうも、出所は、教員の減少をねらった財務省らしい。

 その資料は、リンクさせていただくが、それにくわしい。

    キースアウトの緑色の文字が現れるところからが該当する。

 これがインチキということは、司会者も説明していたから、議論はそこで収束したが、まあ、驚かされた。政治では、こんなおかしなことも起きるという、そういう意味では、いい勉強になる事例だった。


 ただ、この資料を提示した方は、『日本の教員は雑務に追われている。もっと授業に集中できる体制にすべきだ。』と言いたかったようだから、それは、まあ、正論に違いないのだが。


 最後に、最近、強く思うことがある。

 かつて、このブログで、性善説、性悪説を述べたが、日本は、どうも、性悪説がしっくりくるお国がらなのではないか。それに対し、フィンランドは、性善説がしっくりきているように思う。

 人間というものは、ほおっておけば、何をするか分からない。悪さばかりする。なまける。

 そう思う国民性なのではないか。だから、学校の自由を奪おうとする。教員を管理しようとする。ランキングで競わせようとする。地方分権もなかなかすすまない。悲しいさがだ。

 フィンランドはそうではない。それは、わたしが調べたなかでは、『教員がしっかりとした指導力を身につけているか。』その一点だけはきびしいようだ。しかし、あとは自由。授業が終われば、どう過ごそうと自由だ。
 
 子どもも自由。テストでしばられることもない。日本のような受験もない。

 人を信頼している。


 もちろん、『がんばることが楽しい。生きがいだ。』そう思うには、支えというか、風土というか、そういうものはいる。何もないところで、そんな気概が養われるものではない。

 とすれば、究極の教育の目的は、そういう精神風土を創ることと言えるのではないか。



 テレビの司会者が言っていた。

「成果主義の国は、いい結果を出していない。」

 ああ。為政者は、肝に銘ずべきだろう。

 
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 「ゆとりというのは、教員に対してこそ、必要なのです。雑務に追われているのでは、授業に思いを集中させることができない。それでは、子どもの学力も期待できなくなってしまうではないか。」

 テレビの番組で、有識者の一人が言っていた言葉です。

 わたしは、子どものゆとりと思っているから、これには違和感をもちましたが、

 しかし、明日の授業のことを考えるいとまもないというのでは、さびしい限りです。

 わたしの思いからすれば、
『明日の授業のことを考え、子どものことを考えているので、とてもゆとりがない。』そうなってほしいもの。

 ああ。これが日本人の大多数の思いとなり、そういう政策がとられたとき、日本人の学力は向上するのでしょうね。

 それでは、日本の教育力のアップを願い、今日も、1クリックを、どうぞ、よろしくお願いします。  

rve83253 at 09:18│Comments(9)TrackBack(0)教育観 | 教育制度・政策

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この記事へのコメント

1. Posted by こだま   2007年12月31日 22:10
ご無沙汰しております。
コメントありがとうございました。

今回のtoshi先生の記事は多くの方に読んでもらいたい記事です!
早く世の中全体がこの流れになってもらいたいと思いますが、まだまだ道のりは遠いかもしれませんね。お互いがんばっていきましょう。
これからもよろしくお願いします。

よいお年をお迎え下さい!
2. Posted by toshi   2007年12月31日 23:29
こだま先生
 今年も大変お世話になりました。ありがとうございました。
 
 記事にも書きましたが、NHKの番組は、うれしい思いで聞く場面が多かったです。タイトルには、『悲しい』などとしましたが、これからの日本はこの部分を克服していくのではないか。そんな思いをちょっと(ちょっとですが、)抱いた番組でした。
3. Posted by 畑野そらまめ   2008年01月01日 14:34
toshi先生、はじめまして。
こだま先生のところからお邪魔して、いつも拝読しております。
先日は先生の記事をいくつかコピーし、息子の担任の先生にお渡ししました。
冬休みにゆっくりと読んでくださるとのことでした。
いつも大切な内容をわかりやすく書いてくださってありがとうございます。
子供たちの未来のために、少しずつでも出来ることをしていきたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。
4. Posted by toshi   2008年01月01日 20:00
畑野そらまめさん
 あけましておめでとうございます。
 わたしも、こだま先生のブログで、お名前は存じ上げていました。
 拙ブログもお読みいただいているとのこと。とてもうれしく思いました。コピーの件は、気恥ずかしいやら、でも、ありがたい思いでいっぱいです。
 これから折々にコメントをいただければ、幸いに存じます。どうぞ、よろしくお願いします。
5. Posted by とし   2008年01月03日 12:41
toshi先生,はじめまして。
私も同じ音のHNを持つ教員の1人です。
勤務校では,学習指導と学校課題研究に携わっております。担当は理科ですが,音楽も図工も大好き,一番好きな授業は国語,という女性教員です。
2年前,主任として初任者さんと同学年を組み,
指導とまでは生きませんでしたが,
ともに授業の組み立てを初心から見直すこともできました。
しかし,貴blogを拝読し,toshi先生のような指導のもと,
教員のスタートを切ることのできた新任の先生は,
まさに幸福だなと,ひしと感じ入りましたし,
私もまた,学ばせて頂きたいと思いました次第です。
・・字数制限により次コメントに続きます
6. Posted by とし   2008年01月03日 12:47
さて,今回の学習指導要領改訂では,様々な私見を持つとともに,巷の学力論争「問題解決学習」の核心的な部分での言及の甘さ,理念を現場で稼働させるためのステップの欠如等々感じておりました。
そして,toshi先生の論旨に大きく共感いたしました。
>両者は車の両輪。双方とも大切と言っている。
私も,そう痛感しております。しかも真の学びの目的を見失ったり,意欲を欠いては,知識理解も,思考力も,様々な基礎的な部分の学力は,痩せ細り
せっかくの豊かな可能性は枯れてしまうであろうと感じます。
・・続きます
7. Posted by とし   2008年01月03日 12:47
学力に関しての徒然,まとめて簡潔に記す表現力を私自身持ち合わせておりません。
ですので,私の拙ブログの関連エントリを
トラックバックさせていただこうと思ったのですが,失敗してしまいました。残念です。
ですので,関連URLを下記に。
http://lhaca.seesaa.net/category/417757-1.html

学習論のエントリが常時できずにいますが,折に触れ,真摯に教育現場・現状を凝視し,目を背けず,考えて参りたいと思いました。
これからも,拝読させて頂きます。よろしくお願いいたします。

長々と,失礼致しました。
8. Posted by toshi   2008年01月03日 15:37
としさん
 同じHNなのですね。よろしくお願いします。
 コメントを拝見し、つくづく感じたのは、としさんがおっしゃるように、基礎と言うのは、決して知識理解だけを指しているのではなく、思考力、判断力、もろもろにも基礎はあるのですよね。
 しかし、一般的には、基礎は、知識・技能ととらえがちなように思います。そこで、わたしは、ブログにおいては、『読み・書き・ソロバン的学力』という言葉を使用することにしました。
《「問題解決学習」の核心的な部分での言及の甘さと理念を現場で稼働させるためのステップの欠如》は、国の姿勢が常に、知識・技能の基礎・基本と、生きる力の両論併記であることとかかわりますね。そのあたりは現場に任せている感じです。
 この国の姿勢が続く限り、学力の向上は望めないような気持ちがしています。
9. Posted by toshi   2008年01月03日 15:52
貴ブログ、拝読させていただきました。
 子どもを真に育む教育へかける情熱を感じました。まったく同感です。お互いにがんばっていきましょう。明るい未来に思いをはせつつ・・・。
 拙ブログをリンクしてくださっているのですね。ありがとうございます。
 わたしもリンクさせていただきます。
 今後とも、どうぞ、よろしくお願いします。

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