2008年01月20日

『ああ。やっぱりなあ。』センター試験実施中4

93be58b9.JPG 昨日、今日と、センター試験が実施されている。

 その一日目の問題を、早くもネットで見ることができる。


    センター試験


 そして、参考までに、すでにリンクしたことはあるが、PISAの問題も。

    PISA調査の問題



 双方を読み比べてみて、『ああ。やっぱりなあ。』

 別に驚くわけではないが、あらためて、日本が求める学力がどういうものか、実感させられる。一目見ただけで、双方は、まったく趣を異にすることが分かるだろう。

 
 暗記中心の力を見ようとする日本の試験。ほんとうにこれへの『信仰』は、根深いものがある。国は、『生きる力を養う』という看板は下ろさないと言うが、それは、結果的には、お題目に過ぎないと思われる。

 PISAは、もう何度も申し上げているように、まさに、『生きる力』。資料活用力、判断力、思考力だものね。
 PISAの言葉を借りれば、『将来の実生活に生きる力』を測ろうとしている。



 日本の教育は、今、まさにその矛盾、ジレンマのなかにあるのではないか。二兎を追っているように見えるが、それは無理というものだ。早くそれを脱してもらいたいものだ。



 ところで、

 先に、大学の准教授と話す機会があったことは述べた。

    『今、なぜコアカリキュラムか。』


 この日、同准教授は、現在の学生気質にかかわる話もされた。今日は、それにふれてみたい。


 「我が大学は、センター試験重視なので、気になることがあるのです。それは、わたしたちが送り出す学生が、新任教員として採用された後、ほんとうに力を発揮できているのだろうか。実践力は大丈夫なのかということなのです。

 その点、今日は、初任者指導に携わっていらっしゃるtoshi先生に、ぜひおうかがいしたいと思っているのです。

 と言いますのは、センター試験によって選抜されますので、うちの学生は、知識・技能はあるのです。まあ、ざっくばらんに言えば、暗記力ですね。そういう力はあるのです。

 しかし、そういう学生が、大学に入って、討論とか、調査とか、発表とかしますね。そうすると、見事に二つのタイプですね。サッとできる学生と、一年生のあいだは、かなりの訓練を要する学生とに分かれるのです。

 これは、どのくらい前からかは分かりませんが、最近の傾向なのです。

 
 それで、三年生になって、『さあ、自分で課題を見つけてごらん。』『自分で調べてごらん。』『それでは、発表しましょう。』と言っても、後者のタイプの学生は、けっきょく手取り足取りの指導になってしまうのです。

 そこで、大学に入るまで、どのように学習してきたのかを問うと、そういうことができる子というのは、小学生時代に、残念ながら、中学生、高校生のときという話はほとんどないのですが、その段階で、活動を豊富にした経験や、仲間と一緒に問題追求をしたり、協力し合って学習したりした経験をもっているのですね。

 そういう経験をしてこなかった子は、知識・技能はあっても、ほんとうに、上記のようなことが苦手なようです。

 それで、
『四年生になって、やっと自分で学ぶことの楽しさが分かりました。でも、もう時間がありません。卒業します。』
という例が多過ぎるくらいあるのですね。

 ですから、新任教員として採用されてから、『責任』とか、『自信』とか、『実践力』とか、そういう点どうなのだろう。大丈夫なのだろうかと、気がかりなのです。」

とのことだった。



 それで、わたしが担当した初任者は、これまで9人。さらに、現職のときも、毎年、初任者を迎えていたので、感じるところを申し上げたかったが、話の流れが他へ行ってしまい、話さずじまいになってしまった。



 わたしが担当した初任者は、まあ、よくやっているとは思う。折にふれて、このブログにも書かせてもらっているので、あらためて、ここで言う必要はないくらいかもしれない。

 読者の皆さん。よくやっていますよね。

 

 ただ、お話をうかがって、わたしは複雑な心境だった。

 上記の理由で、特に話さなかったのだが、

 大学がもっと主体的に、ほんとうにほしい人材を獲得すべく、入試を改良すればいいのではないか。少なくとも、PISAのような問題をとり入れれば、そうした実践力のある、活動体験豊富な人材を採れると思う。

 暗記力中心のテストをやっていたのではね。

 また、どの大学もそのような入試改革を行えば、小学校、中学校、高校ともに、『生きる力』重視の教育を行うようになるだろうし、

 それこそ、大学四年生が、卒業直前に、『自ら学ぶ楽しさ』が分かったというのでは遅いよね。

 そうではなく、小学生時代から、それが体感できれば、それは学ぶ意欲にもつながるし、日本の学力も上がるというものだ。

 

 それにしても、それはそれ。今、まさに、センター試験受験中の皆さんには、奮闘を祈ろう。

 
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 准教授が話されたことは、かつて、このブログでも、読者の皆さんからコメントをいただきました。

 たとえば、『全国学力検査の結果公表で』にKGさんからいただいたコメント12番です。今、要点だけ、コピーします。

『算数B(活用)の正答数が多い児童は、算数A(知識)の正答数も多い。
算数A(知識)の正答数が多い児童は、算数B(活用)の正答数におい
て広く分布している。

ここからは下記の仮説が導き出せるのではないでしょうか?
「活用をしていく中で知識が定着していく」。「どれだけ知識・基礎基本を徹底させても活用できるかどうかは限らない。」』


つまり、

 『調査、討論、発表など、実践的に主体的に学ぶなかで、知識・技能は身についていく。』が、『知識・技能が身についても、それで、調査、討論、発表など、実践的に主体的に学ぶ力が育っていくかどうかは限らない。』

 そういうことですよね。


 それでは、最後に、今日も、1クリックをよろしくお願いします。

rve83253 at 03:09│Comments(15)TrackBack(0)教育観 | 教育風土

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この記事へのコメント

1. Posted by hirarin   2008年01月20日 07:21
同感です。
文科省も、PISAの学力テストの結果を見て、いろいろと改善策を導き出すのであるならば、まずはセンター試験の問題を改善することが手っ取り早い方法だと思います。でも、即効性はありますけど、これでいいのかという問題は残りますね。
試験時間が夜の7時までかかってやっているのは驚きました。教科が多岐にわたると、こうなってしまうんですね。システムが複雑になったぶん、学力も偏った部分にいっている可能性もあるかと思います。
センター試験は、あくまで暗記の部分にとどめ、教員を志す学生が入学する大学の2次試験は、ぜひいろいろと工夫して欲しいものです。ともすると「活用」ができない教員が増える可能性もあります。
大学側も考えてはいるのですが、「数値」として示す(情報開示)となると数値で測りにくい試験はやはり回避せざるを得ないのでしょうか。
2. Posted by きゃる   2008年01月20日 09:26
「知識・理解」中心大学入試をやめましょう!
私も声を大にして言いたいです。
中央教育審議会がとりまとめ1月17日に公表された
「学習指導要領等の改善にいて」を見ても
センター試験のような大学入試は
これからの教育が向かう道を阻むものです。

○ペーパーテストで問題が作成しやすい
○客観的に評価しやすい(数値化・標準化)

という点で、なかなか大きく変わらないのが現状でしょうが
どうにかならないものでしょうか。
3. Posted by toshi   2008年01月21日 09:31
hirarinさん
 今の日本の教育の課題は、PISA調査などにより、かなりはっきりしてきたと思います。わたしは、入試をやめて、『入るは易く出るは難し』にすべきと思っていますが、次善の策としては、せめて、PISA型読解力、思考力、判断力を問うものにしていただきたいですね。
 そうなれば、中、高の暗記中心の学習法も大幅に変わると思うので、受験生のみでなく、子ども全体の『学習意欲』を向上させることも可能と思います。
 数値で測ることの難しさについては、PISAは現実にやっているのですから、十分可能と思いますがね。
4. Posted by toshi   2008年01月21日 09:49
きゃるさん
 わたしも、つい数ヶ月前までは、思考力はともかくとして、判断力、意見表明力などは、ペーパーテストになじまないと思っていました。
 しかし、皆さんのおかげで、PISA調査を学ばせていただき、今では、これらも、ペーパーテストによる測定は可能と思うようになりました。(PISAは、近い将来、人間関係調整力まで、ペーパーテストで測ろうとしています。)
 一例ですが、どう判断したかを点数化してはダメですね。提供された資料などをもとに、どれだけ客観性を持たせることができたか、どれだけ関係付けることができたか、自分の考えを述べているかなど、また、採点法については、複数名で採点することなどにより、点数化は、十分可能と思うようになりました。
 国民が声を上げて、世論となれば、どうにかなるはずと思います。PISA調査の結果については、やかましいくらいの論評がなされますが、調査の目的とか、内容とかには、かなりの信頼性をおいている日本ですから。
5. Posted by KG   2008年01月21日 16:37
久し振りのコメントになってしまいました。遅ればせながら今年もよろしくお願いします。

過去のコメントも取り上げて頂きましたが、あれに賛同してくれるのはtoshi先生だけなんですよね(笑)

基礎基本がなければ活用・応用はできない、という先入観はかなり強固に一般的には信じられているかと思います。

6. Posted by toshi   2008年01月21日 21:04
KGさん
 こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
 あまりいい例ではないのですが、センター試験とPISA調査との違いを端的に示していると思いますので、書かせていただきます。

 むかし、ある先生から聞いた話です。
 教え子が中学校に上がり、小学校を訪ねてきたときに、旧担任(ある先生)に言ったそうです。
「先生。中学校の社会科の先生に言われちゃったよ。『なんだ。おまえたちは、源頼朝も知らないのか。いったい、小学校で何を勉強してきたのだ。』って。」
 それに対して、旧担任は、
「こう言っておけ。『源頼朝について、覚えてはいないけれど、資料集の〇〇ページを見れば、分かります。』ってな。」
7. Posted by toshi   2008年01月21日 21:13
 まあ、いくらなんでも、源頼朝くらいは知っておいてほしいので、あまりいい例ではないのですが、要するにそういうことなのですね。
 センター試験だったらアウトですね。でも、PISA調査なら、資料を駆使して解くのですから、おそらく、満点でしょう。
 そう。もう一つ、あまりいい例ではないということの続きですが、
 調査、収集、整理、考察などなど。そういう力があるからこそ、知識も身につくのですね。
 すみません。身につかなかった話を紹介してしまいました。

《基礎基本がなければ活用・応用はできない、という先入観はかなり強固に一般的には信じられているかと思います。》
 そうですか。わたしの周りは、わたしと同様の考え方が多いので、その点ではけっこう楽観視していました。
8. Posted by toshi   2008年01月21日 21:20
 これも、進化の過程を想像すれば、簡単に理解できる話だと思うのですがね。
 基礎・基本がなければ、思考できないというのであれば、試行錯誤を認めていないわけで、人類はいまだに、思考できないことになってしまわないでしょうか。
 現代においても、子どもの思考は、試行錯誤の連続です。そして、それだからこそ、納得は大きく、知識がストンと落ちる形で、しんから身につくのではないでしょうか。
9. Posted by かとう   2008年03月10日 23:10
たまたま今年度は母校の社会学部で1年生を教える機会がありました。たしかに自分の意見を言ったり書いたりすることが上手い学生と、そうでない学生はパシッと分けられるようにも感じました。しかし、丁寧に指導をしていくと、数ヶ月後には後者にもかなりの変化があったように思います。また、スッと自分の意見を言えるわけではないけれども、産婆法的な会話によって順序良く考えを整理してやると、意外なほどに面白い発想が出せる学生も居ましたね。ですから、実は大学入学後でも育て方次第では、3年4年までに間に合わせることが出来るのだと思います。
10. Posted by かとう   2008年03月10日 23:12
ですが、入試の特に社会科系科目では、採点のことを考えると、論述問題は事実上不可能でしょう。2週間そこそこで1万人分あるいはそれ以上の答案をチェックしなければいけないし、論述の質を判定出来る人材は最低でも博士課程在籍者クラスになりますから。
11. Posted by toshi   2008年03月11日 17:27
かとうさん
 そうですか。可能ですか。いろいろあるのですね。ただ、『〜のような学生もいました。』とありますから、あまり違わないのかなとも思いました。
 入試問題については、わたしは門外漢ですので、あまり強くは言えませんが、
〇PISAのように、『〜の点と〜の点にふれていれば〇。〜の点だけなら△』というようにすること。
〇何文字以内というように、字数制限をかけ、あまり膨大にならないようにすれば、可能ではないかはと言う気がしています。
 また、本記事には書きませんでしたが、わたしは、入試の廃止、原則的に希望者はすべて受け入れ、卒業を厳しくすることが大切と思っています。
12. Posted by かとう   2008年03月11日 18:08
希望者の全員入学となりますと、まず人気校はインフラ面で対応出来ないかと思います。
13. Posted by toshi   2008年03月12日 09:32
かとうさん
 確かに一時的には、そういう問題は起きるでしょうね。でも、卒業の厳しさが浸透すれば、落ち着くのではないでしょうか。
 また、似た事例は現状でも行われていますね。小、中学校の学校選択制です。わたしはこのやり方に賛成ではありませんが(一時期賛成していたことはある。)、知恵を出し合い、対応しています。
14. Posted by helipilot777 @ YouTube   2008年10月31日 01:40
Nobel賞受賞おめでとうのSectionにコメントさせていただいた内容に加えて下記します。

  何十万人に順番をつける センター試験は内容が難しく 暗記勝負になってしまう。 疑問点等考えている暇があったら 少しでも暗記しなさいという指導方法、、、、

  暗記の弊害は下記の通り、 関係する情報との関連付けや Topicsに関するEmortional Attachment(感情、入れ込みが無くなる) よって 創造的なOutputにもつながらない。 
  教育のProである 文部省がゆとり教育だの考えさせる指導要領を小学校で作っても 受験戦争のRealityが要求する 暗記、塾、の価値観に親も、高校も乗っ取られているということでしょうか。  数日まえの朝日新聞Interviewに 本田由紀教授が高度成長時代の社会システムは破綻を招いている旨コメントしてます、、、、

  大学が考えられる能力のある学生を欲しいのであれば 様々な社会問題や社会貢献について 高校生を対象とした 論文コンテストを主催し 入学選考基準に含めればよいのではないでしょうか?

  米国の場合は SAT, ACT等の試験、学校の成績GPA,とEssayが選考基準です。

野村総合研究所の論文募集例:
http://www.nri.co.jp/publicity/2010/2007/contest.html

http://cmap.ihmc.us/Publications/ResearchPapers/TheoryCmaps/TheoryUnderlyingConceptMaps.htm
 Figure 2, Figure3の通り 暗記では 関係する情報集めや Topicに対する感情も湧かず Creative Outputにはつながらないとのこと。 暗記することがすべてという価値観は今回のノーベル賞の先生方の苦言と一致していると思います。
15. Posted by toshi   2008年10月31日 04:26
helipilot777 @ YouTubeさん
 ほんとうですね。人生の大事な時期に、『人生とは何ぞや。』などという根源的な問いかけに思索をめぐらせる、そのような機会を奪われてしまうのですものね。この損害は、日本全体でみた場合、こわいほどです。
 日本の大学は、その選抜方法とほしい人材とのあいだに、えらい矛盾を抱えているようです。

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