2008年01月23日

子どもが意欲的なだけに  問題解決学習の問題点(6)3

1c831704.JPG ちょうど本シリーズを開始しようとしていたころ、こだまさんの『道草学習のすすめ』ブログに、『数学という名の恋人』という記事が掲載された。その記事の、『分からないからおもしろがれるのだよ。』がえらく気に入った。

 まさに、問題解決学習と同じ概念だ。指導者側から見れば、『分からないから』というので簡単に教えてしまうのではなく、自ら追求し解決しようとする過程を大事にするということだろう。

 そうしたら、その記事に、Hidekiさんからコメントが入った。それには、『「教えない教育」は大変な毒をはらんでいると思うのです。』
とあった。

 わたしは、Hidekiさんは、『教えない教育』のすばらしさを十分ご理解になったうえで、しかし、『このようなことも言えるのではないでしょうか。』と、警鐘を鳴らされたように理解した。


 そうなのだ。これは、ほんとうにそうなのだ。

 問題解決学習にも同様なことは言えて、わたしは、これはもう、修行時代などでなく、この実践に自信を深めていたころ、大変な失敗をおかしてしまったことがある。ある程度、満足のいく実践ができていただけに、猛省をしいられたのだった。
 今日は、そのことにふれてみたいと思う。



 問題解決学習が定着すると、子どもは、大変意欲的に学ぶようになる。

 発言をほとんどの子がするようになるし、ノートには自己の考えをしっかり書くようになる。どちらからも、子どもらしいユニークな考えが発揮され、思わず、にやっとしてしまうことも多い。
 授業参観だと、後ろで見ている保護者は、かわいい子どもたちの主張、意見に、口元をほころばせっぱなしになることもある。

 自分自身の生活経験や既習内容と結びつけたり、思いもしない資料と関係づけたりして、思考をふんだんに発揮する。授業前から、本時は何を学習するのかもはっきり分かっていて、授業開始を待ちかねるようになる。

 自分だけでなく、友達の考えも把握していて、『あいつがこう言ったら、ぼくはこう言おう。』などという思いで、授業に臨むこともある。

 友達と協力したり、共に追求したり補い合ったりして、解決すると共に喜び合う姿も見られるようになる。

 子どもが意欲的になるというのは、そういうことだ。



 そのようなとき、とんでもない落とし穴にはまってしまった。まさに、Hidekiさんのおっしゃる『毒』だった。



 学校は、教科等、実にさまざまな教育活動を行っている。
 わたしは、社会科を専門とするので、社会科の実践を中心に、子どもの『学ぶ力』『生きる力』を養おうとするわけだが、子どもにしてみれば、育まれた意欲は、決して社会科にとどまるものではない。ありとあらゆる教育活動に転移していく。

 先に記事にさせてもらった『学級文化』にしても、どこで発揮されるか分からない。指導する側の予測を超えて、子どもが『燃えている』ことは、いっぱいある。


 ちょうどそのときは、1年生担任だった。

 その学校は、その時期、全校縄跳び集会があり、個人・学級ともに記録をとっていた。わたしは、子どもたちの、縄跳びへの『意欲』をすばらしいことと思い、子どもが自己最高を出すたびに、『やったね。』『すごいよ。』『一年生の新記録じゃないかな。』などと、たいして教材に通じていないまま、ただやみくもにほめていた。


 『はやぶさ跳び』という跳び方がある。

 ただし、これは、学校によって、違う跳び方になる場合もあるようだ。わたしの学校の場合は、二重あや跳びをそう言っていた。

 わたしのクラスでも、これのできる子がぼちぼちと出てきた。1人、2人とできるようになると、それが刺激となって、だんだんできる子どもの数、跳べる回数がふえていく。

 そのうち、10回を超える子も、数人出るようになった。


 そのようなときだ。もうすぐ、縄跳び集会というとき、一番跳べていた子がお休みとなってしまった。

 お母さんからの連絡帳にはこう書かれていた。

「ひざを痛めてしまったようで、今日はお休みさせてください。
 縄跳びのやり過ぎなのです。もう好きで好きで、マンションの通路で、毎日1時間以上もやっているものですから、近所の評判になってしまいました。
 今回のけがは、いいクスリになったと思います。好きなのはいいのですが、ほどほどにするように、注意しました。」

 わたしは、たいした教材研究もせず、ただ、やみくもに、子どもをほめていただけだったから、ものすごく自責の念に襲われた。


 放課後、その家庭に電話。お詫びをした。

「いえ。いえ。先生のせいじゃないですよ。うちの子が、張り切り過ぎただけです。かえって、ご心配をおかけして申し訳ありません。」

 いえ。いえ。これは、もう、『わたしのせい』が大きい。


 体育主任にも、この失敗を話した。

「それは、それは、励ますのも、ほどほどにしないとね。それにマンションの通路っていったら、かたいじゃないですか。土と違いますからね。また、一年生だと、ひざを硬直させて跳ぶ子も多いですよ。
 その子はどうだったのですか。」

 「うん。ちゃんと跳んでいたと思うけれど、・・・。」

そう答えたものの、いまいち、自信のなかったわたし。

「一年生にはやぶさは、必要ないですよ。」

 そう言われてしまった。

 一週間くらい休んだかな。登校するようになっても、縄跳びは当分おあずけ。本人は気にしていないようだったが、かわいそうだった。


 そう。やはり、危険性のあるものは、特に気をつけないとね。教材研究、子どもの実態をしっかり把握していないといけない。意欲的に学ぶ学級をつくり上げたら、特に注意しないと、大変なことになる。


 もう、25歳になるかな。今も、その子に謝りたい。・・・。ごめんね。


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 冒頭のHidekiさんのコメントでは、プロの野球選手を例示されていました。あまりに本記事と似ていたので、わたしは、すぐ、このできごとを思い浮かべました。


 社会科でけがすることはまずないと思いますが、考えてみると、理科、図工、家庭、体育などは、いずれも、その危険がありますね。『学ぶ意欲』。それはもちろん大切ですが、『意欲』にゆだねっぱなしではいけないですね。

 そう。それは、けがのことだけではありません。次回は、けが以外に、ふれてみたいと思います。

 それでは、今日は自己ざんげの記事で、1クリックをお願いするのも気が引けるのですが、よろしければ、お願いします。

rve83253 at 03:13│Comments(2)TrackBack(0)学級経営 | 子どもの安全を

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この記事へのコメント

1. Posted by こだま   2008年01月24日 09:36
かつて「なわとび少年」でした。小学生の時は確か一日に1000回以上飛んでいたと思います。私の場合は、だれかから褒められたからではなく、いわゆる体育が苦手で勝てるものはなわとびしかない、ということが動機でしたが…。

『〜しなければならない』の表現には気をつけないといけませんね。最終的には個別的にならざるをえないと感じる日々の連続です。そこをふまえたうえでの原則をさぐる努力はし続けていけなくては
いけないことは確かなことだと思います。

記事へのリンクありがとうございました(^^)

次の記事も期待しています♪
2. Posted by toshi   2008年01月24日 22:50
こだまさん
 こだまさんのブログ記事は、『目からウロコが落ちる』ことが多いです。共感したり、刺激を受けたりしています。ほんとうにありがとうございます。
 『〜しなければならない。』は、おっしゃる通りと思います。でも、わたしもそう表記していることはありますね。吟味はしているつもりなのですが、ほんとうに多様な意見がありますから、その点、気をつけたいと思います。

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