2008年02月01日

ああ。道徳(徳育)が教科だって。3

df59f474.JPG 昨日、我が勤務校は、道徳の研究授業を行った。教員採用後、2年次、3年次、4年次の教員が対象だった。

 一方、教育再生会議は、最終報告で、道徳を徳育と変え、教科とすることを提言した。



 ああ。何を考えているのだろう。道徳的価値観の画一化をねらっているのかな。


 本記事では、そのあたりを、昨日の研究授業を振り返りながら、検証してみようと思う。


 若い3人の教員の授業は見事だった。
 本来なら、その授業の様子を紹介したいが、それは本旨ではないので、『道徳を教科とした場合の危惧』にかかわる部分に限定して書かせていただきたいと思う。


 4年生の担任は、自作の教材文を使った。それだけでも大変意欲的なことが分かる。

 簡単に紹介すると、

『ぼくと同じクラスの女の子を、たまたまデパートで見かけた。その子は、足を骨折し、松葉杖をついていた。しかも、重い荷物も抱え、つらそうに階段を上っていた。ぼくは助けようと思ったが、声をかけることができなかった。いやな気持ちになった。

 次の日、ぼくは、友達のAと話しながら、登校した。学校の階段に差し掛かったら、そこでまた、昨日の女の子が、つらそうに階段を上っているのを見た。『今度こそ。』と思ったが、とまどっていたら、友達のAが、その子のそばにかけより、『大丈夫かい。ぼく、ランドセルを持ってやるよ。』と言った。ぼくは、恥ずかしくなった。』

というもの。

 みんなで、『ぼくの』、いやな気持ちになったり、恥ずかしくなったりした、その心情について話し合った。

「声をかけてあげられなかったから。」
「同じクラスなのに、協力してあげられなかった。」
「無視したのと同じ。」
「男の子だったら助けたかもしれない。」
「勇気がなかった。」
「別れてからも、女の子がちゃんと階段を上がったか、気になっていたと思う。」

「Aは、すぐ声をかけてランドセルを持ってやった。先を越されたという思い。」
「女の子が、うれしいと思うことをやってあげられなかった。」
「ぼくは何も応えられなかった。」
「心の弱点が出た。」

 これ以外にも、ほんとうに多様な意見が出て、その点、『すごい。』と思わせた。担任も、うれしかっただろう。


 終末近くなり、担任は、
「人に思いやりをもって接するには、どのような気持ちをもてばいいのでしょう。」
と投げかけた。
 
 その際も、子どもたちの多様な意見に感心させられたのだが、一つ、指導者も子どもも、ある一つの観点が抜けているなと思った。


 読者の皆様は、どういう観点が抜けたと思われるだろうか。




 それでは、ヒントを差し上げましょう。

 よく、『やろうと思っただけでやらないのは、思わなかったのと同じ。』などと言う人がいるが、ほんとうにそうだろうか。思っただけの人と思わなかった人は、同じだろうか。



 それでは、わたしの思いを。

 『ぼく』は、最初、自分に対しいやな気持ちになっているし、次の学校の場面でも、恥ずかしくなっているのだから、『そういう気持ちをもてただけでもすばらしい。』と、わたしは思うのだ。

 だって、そういう場面に遭遇しても、何も感じない人だっていっぱいいるだろう。それにくらべたらね。(何も感じない人だって、そのときたまたま忙しかったり、考え事をしたりしていたのかもしれないし、・・・、しかし、本授業で、そこまで扱うのは無理というものだ。)

 そうした、より広いとらえで、道徳の授業に臨んでほしい。そう思った。



 現に、授業の冒頭、Bちゃんが、
「ぼくは、さっきの休み時間、Cちゃんが〜してくれたのに、『ありがとう。』も言えず、黙ったままでいた。」
と、それこそ、すまなさそうに、恥ずかしそうに言っていたのだ。


 思っただけではダメなのか、つまり行動に移せなければダメなのか、思っただけでもすばらしいとするのか、ここに、指導者の指導観、人間観が現れると言っていいだろう。


 まして、他校の校長先生である、講師の先生は、
 『道徳は、即、行動化を目指すものではない。目指さないというわけではないが、即大事にするのは、道徳的心情を養うことである。』
そうおっしゃった。それなら、よけい、心情面を重視してよいというものだろう。



 さて、記事冒頭の、『徳育と名を変え、教科とする。』の話題に移る。



〇教科となれば、教科書ができる。多くの現場が、『教科書で教えなければならない。』という思いをもつだろう。

 今は、副読本を使用しているから、指導者は自分の学級の実態をみながら、教材文を選ぶことができる。本指導者のように自作も自由だ。わたしも校長時代、自作で、卒業記念の授業を行ったことがある。

 そうした自由がかなり奪われ、全国画一化に向かうのではないか。



〇これが本授業とかかわるのだが、教科となると、評定をしなければならない。

 わたし、昨日の研究会講師にうかがった。

「どうなのでしょう。教科となった場合の評定ですが、今は、絶対評価の時代ですよね。そうすると、むかし、テレビで、『よい子。悪い子。ふつうの子』というのがありましたが、徳育の評価規準は、そのようなものになると思っていいのでしょうか。」

「はい。そう考えていいと思います。よい子がA規準。ふつうの子がB規準。そして、『悪い子』などという言い方はしないでしょうが、それが、C規準ですね。さしずめ、そのようになると考えられます。

 こわいですね。だって、心情って、内面ですよね。それを評定する。そのようなことはできないですよ。
 けっきょく、『行動によって評定』ということになるでしょうね。しかし、逆に、『行動したから、心情が育っている。』と決めることもできないですよね。」


 そうなのだ。前記、わたしが、思ったもう一つの観点。『思っただけでもすばらしい。』は、成立しなくなる可能性がある。


 ほんとうは、

〇『思っただけでもすばらしい。反省する心が豊かなのがいい。そういう気持ちがあればこそ、3回目に女の子に出っくわしたときは、心から助けることができるのではないか。』

〇このクラスの男の子にしても、同様だ。してもらっても、『ありがとう。』と言えなかったことを悔いる心。その心を認め、ほめることによって、次は、『ありがとう。』と言えるようになる可能性が高まる。


 それなのに、『目に見えない』道徳的心情は軽視され、『見える』行動のみが問われる時代がくるのかもしれない。 



 道徳。名を変えるのはかまわない。徳育だってかまわない。そのようなことはどうでもいいことだ。
 だけれど、教科化だけはこまる。ただでさえ、『すべての子に、共通してとらえさせなければいけない基礎・基本の徹底』などと叫ばれているのだものね。
 

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 教科化に問題を感じる方の多くは、『道徳的価値観の画一化』を心配されているのではないでしょうか。そうなのですが、

 本記事に書いたように、画一化の問題の中身はいろいろあると考えます。

 そう。そう。すでに記事にしたものもあります。

   子ども一人ひとりの基礎・基本(1)

 この記事の後半で、道徳の授業をとり上げています。
 この記事の場合、『不撓不屈』でとらえられた子に、Aがつくのでしょうか。
 そして、勇気のとらえは、本時目標に達成していないということで、Cがつくのでしょうか。
 ああ。やはり、考えただけでも、こわいですね。国語の読解ではないのですからね。


 今のところ、中教審は、教科化を考えていないようですね。ここは、中教審にがんばってもらうしかありません。

 道徳教育の重要性。それは、わたしも、強く感じます。そこにとどまるなら、何も異存はないのです。


 それでは、・・・、

 ああ。いやだな。このブログ記事も、Aだ。Bだ。いや、Cだ。


 悪い夢を見てしまいました。
 
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rve83253 at 11:32│Comments(15)TrackBack(0)道徳指導 | 評価観

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この記事へのコメント

1. Posted by 海ママ   2008年02月03日 09:58
そっかぁ!道徳が教科になるということは、教科書や個人に対する評価をだすことになるのですね。私は考え方が古いのかもしれませんが、本来道徳というものは親が子に自然と手本となったり、場面場面で話したりして育っていくものだと思っていました。学校の先生方は学力低下の問題だけでも大変なのに・・・。
2. Posted by toshi   2008年02月03日 16:48
海ママさん
 いえ。いえ。古くなんかありません。
 家庭教育の大切さも、もちろん、言えると思います。
 しかし、学校が担うべき、道徳もあると思うのです。集団生活の規律にかかわることとか、豊かな人間関係にかかわることですね。そうしたものは、家庭ではなかなか、・・・、なのではないでしょうか。
 また、道徳的価値が、学級(学校)内でひびき合うことによって、一人ひとりの内面が豊かに育つということも期待できると思います。
 さらに、家庭と学校が信頼関係で結ばれることも、効果を2倍に、いや、2乗に、(あれ。同じかな。)することと思います。
3. Posted by とんちゃん   2010年11月19日 15:25
私は、小学生のころ「トムソーヤの冒険」を読んで、これはおもしろい自分もやってやろうとおもいました。こんな子どもの徳育の評点はどうなるのでしょうか?
4. Posted by toshi   2010年11月20日 06:04
とんちゃんさん
 『評点』とのこと、点ですから、たぶん、評定のことを指しているのでしょうね。わたしは、道徳の教科化には反対しておりますので、評点をつけることも反対です。
 記事にも書いたと思いますが、『思っただけでは評点にはならない。』でしょう。『行動に出れば評点の対象になる。』のではないでしょうか。
 
 評価はしたいと思います。それは、『日々の子どもの成長のために、なくてはならないもの』と考えます。ただし、この場合の評価の基本は、子どもをほめたり認めたりすることです。
5. Posted by 相馬 紘司   2010年12月05日 21:22
4 私も、ある退職校長の想いでの感想に賛同します。
私は、65歳で古い道徳心しかもっておりません。
親の私が子に道徳を教え、教師が学校での団体生活における道徳を教えた時代が懐かしく思えます。しかし、今の親は、子供に道徳を教え込む能力に乏しい。その親に育てらた子に上辺だけの道徳心を説いても、頭で消化しても体動しないと思うのです。私の周りにも教師はおりますが、本来教師の資質が備わっていないのに、なまじ学生時代の成績が良いばっかりに教師になり、教壇に立っている姿を想像するだけで、子供らはどのように育つのだろうかと懸念するものです。その教師もそのような親に育てられいるのです。道徳に優劣をつけるものではありません。子に思考能力の差があって当然です。理解出来なければ、じっくりと教え込むことも必要と思います。徳育を教え込む教師は、自身の子供時代は、どのような道徳をされたのか、原点に返り見つめ直し、教育書でなく、先人たちの話しを見聞きし、参考にした徳育の取り組みも一つだと思います。名称の道徳を徳育と変え、教科化はすべきでない。人間の優劣までも教科で判断にするべきでないと私は思います。
6. Posted by toshi   2010年12月06日 11:30
相馬紘司さん
 ご賛同いただき、ありがとうございます。
 記事では道徳的心情を養うことの大切さを述べたつもりです。心情を養うことと行動に移さなければだめという考えと・・・、
 どうも、世間的には後者の方が強いように思います。『口先だけなら何とでも言える。』というような言葉が、教育現場でもとび交っているのではないでしょうか。口先だけかどうかは、学級経営していれば分かるのですけれどね。
 教えるということ。指導者の姿勢が、口先だけかどうか、子どもはよく見抜くものです。指導者の真摯な姿勢こそが、子どもの心を揺り動かすのではないでしょうか。
 相馬さんがおっしゃる《上辺だけの道徳心を説いても、頭で消化しても体動しないと思うのです。》からそのようなことを思いました。
 拙ブログの次回記事は、直接道徳にふれたものではないのですが、相馬さんからいただいた本コメントにかかわることになると思います。
 よろしくお願いします。
7. Posted by ABC   2014年05月05日 15:35
小学校で、道徳の徳育化を始めるそうなので、調べています。
道徳の教科化は、教育基本法一条改正により、戦前の " お国のための教育 ”を始めるのですが、それに関連しているものかと思いましたが、裏があるようなので、もっと調べてみようと思います。
戦争するための準備も整ってきているので、自民党としては、教育を変えて、集団的自衛権行使容認を年内に決めるそうです。
特定秘密保全法も、去年の12月に法案が通りましたし、自民党の憲法改正草案、「 表現の自由を定めた21条改正 」により、戦争を反対する市民運動は、捕まるそうです。
これからの子供たちは、戦争に行かされるんですから、かわいそうですね。
徴兵制になるか、貧困層から集めた傭兵にするのかは、分かりませんが徴兵制も法整備が整っていますので、貧困層も20歳〜34歳の年収200万円以下のワーキングプアが男性25%で、女性は47%で一日一食や二食でネットカフェに泊まったり、酷い暮らしをしています。集団的自衛権については、ネットで調べてみるといいですよ。
「 そりゃおかしいゼ、集団的自衛権という戦争理由 」詳しく載っています。

8. Posted by ABC   2014年05月06日 00:08

他のブログモ拝見しました。
道徳=徳育と同じことのようです。
来年度から、” お国のための教育 " が始まります。
この徳育によって、自民・公明は戦前戦中の軍国教育を目指すようです。
もちろん、時代が時代ですから、アメリカと共に金儲けのために侵略戦争をするようです。
これからの子供たちは、年収200万円以下のワーキングプアで戦争に行かされ命を落とすことになるかもしれないということです。
9. Posted by toshi   2014年05月13日 04:55
ABCさん
 コメント、ありがとうございました。
 この記事は6年前のものですが、教科化の動きはその後も着々と進んでいるようです。しかしながら、純粋に教科化するのとはいささか異なる点もあるようです。そこで、
 次回とはいきませんが、現時点で思うことを記事にまとめさせていただこうと思いました。
 なお、わたしたち教育実践に携わり研究・研修活動を志してきたものは、ABCさんがおっしゃるような、《お国のための教育》などは行ってきておりません。これからもしないでしょう。あくまでも、明日をよりよく生きる日本人の育成に向け、子どもの思いを大切にし、子ども自ら人間性を高めていこうとする気概を養うような教育を心がけていくつもりです。
 拙ブログのサイドバーにはCategories欄があり、その中の道徳指導欄を開いていただければ、そうした実践の数々をご覧いただくことができます。
 ただし、ABCさんがご心配になるような点もないわけではないので、繰り返しになりますが、そこの部分は近日中の記事にて、よろしくお願いします。
10. Posted by ABC   2014年06月13日 14:54
いえいえ、法整備も整っていますし、集団的自衛権行使容認も国会で法案を通しています。そのような事は、安倍自民党によってなされています。東京都の大田区と武蔵村山市の中学校の社会科で育鵬社という歴史を歪曲した、戦前の軍国教育がすでに始まっています。全国で4%が導入されています。是非調べてみて下さい。中学校の育鵬社の教科書を友人に見せていただきました。恐ろしい事です。その育鵬社の教科書を道徳で使います。
国民がボッーっとしている間に海外で戦争が始まりますよ。第二次世界大戦の時も、お母さんたちは知らない間に戦争が始まって、徴兵制で戦地に息子さんたちが行かされたそうです。
11. Posted by ABC   2014年06月13日 18:05
たびたびすみません。武蔵村山市のある小学校は、軍国教育が酷いです。安倍晋三がわざわざ文部科学省指定にしています。学校は、80万円ぐらい補助金がいただけるので、軍国教育を率先してやっています。
中学校に関しては、武蔵村山市の全部で、育鵬社の教科書を使い、「 お国のための教育 」をしています。
私たちは、これを阻止しようと思います。
確かに、小学校の校長先生とお話ししましたが、戦争なんてとか秘密保護法が去年の12月に法案が通ったのも ( 戦前戦中の治安維持法 ) まったく知りませんでした。
道徳が軍国教育なんて知りませんでした。
子供たちに軍国教育はしないとおっしゃっていたので、悪気はないようです。
12. Posted by ABC   2014年06月13日 23:02
武蔵村山市の中学校の社会科の教科書を友人に見せていただきました。内容を一部ご紹介します。
沖縄戦では、多数の県民が犠牲となりました。中にはスパイ容疑で日本軍に殺されたり、「 集団自決 」で命を落とした人もあります。「 集団自決 」は、住民の自発的な意志によるものではなく、日本軍の強制で起きたものです。
このことは、たくさんの証言で明らかになっています。
ところが育鵬社は「 米軍の猛攻で逃げ場を失い 」 、自由社も「 米軍が上陸する中で、追い詰められた住民が」と、「集団自決」は住民が米軍の攻撃のなかでみずから選んだものと描き、日本軍の責任を認めません。「 日本軍によって、集団的自決に追い込まれた」と書く他の教科書がある中で、沖縄戦の史実の歪曲は際立っています。
安倍自民党は、教育基本法を改正して子供たちに戦前の軍国教育をするのです。
目的は憲法を改正して、戦争をする国の担い手に子供たちを育てることてす。
それは、近い将来、数年後の話しです。
今では、自民党を支持している国民を恨んでいます。
若い人たちも可哀想です。
これかは、年収200万円以下のワーキングプアで戦争に行って命を落とすことになるかも知れないのですから。
武蔵村山市のある小学校の校長先生も、道徳の教科科は、礼儀やマナーを教えていくと話していました。
礼儀やマナーなんかではなく、確かに軍国教育です。
来年度からは、自民党は全国に育鵬社の教科書を広めていくようです。
13. Posted by ABC   2014年06月15日 12:14

昨日、集団的自衛権行使容認の閣議決定が決まりました。
もう、おしまいです。
自衛隊のご遺体を冷蔵バックに入れて空輸される日も近いと思います。
そして、勉強のできない子供たちは、数年後には戦争に行かされるのですから。
アフガンの時は、米兵3000人が亡くなって、
イラク戦争では、米兵440人が亡くなっています。
アフガン戦争の時は住民も含めると10万人以上亡くなっています。
子供たちは、人を殺し殺されるわけです。自分達の子供が戦争に行って、命を落とせば、国民は気づくのでしょうか?
14. Posted by toshi   2014年07月20日 01:52
ABCさん
 コメントをありがとうございました。
 しかしながら、本ブログの記事でとり上げていない個人名を挙げての批判コメントは、わたしの思いを超えておりますので、申し訳ありませんが削除させていただきました。
 あしからずご了承ください。
 
15. Posted by ABC   2014年09月23日 23:08
削除は、残念です。ただ、武蔵村山市のある小学校の校長は、修身教育を率先してやっています。全国で、1校だけなのです。子供たちは、勉強ができなくても修身教育は大切だと話していました。どなたか、心ある方に子供たちに修身教育を押し付けるのをとめてほしかったのです。本当に子供たちがかわいそう。どうにかなりませんか?子供たちを助けてあげて下さい!お願い致します。オバマさんが、シリアに攻撃して、地上戦もそろそろ始まります。集団的自衛権の関連法案が通って、自衛隊が戦争に行かされるのも数年後だと思います。子供たちを誰か助けて下さい!

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